幻想郷見聞録噺   作:ボイス

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17 舟幽霊と入道使いと外来人

「お酒飲みたい」

「…………」

 命蓮寺――縁側で日向ぼっこに興じていた雲居一輪は、うつらうつらと居眠りしかけた意識を取り戻していた。

 ぽかぽかとした陽射しを受けており、眠気は完全に覚めたわけではないが、彼女の少々瞼が降りかけた瞳は、横隣に座る村紗水蜜へと向けられる。

 同じように縁側に座る水蜜はといえば、足をぶらぶらとさせながら再度口を開いていた。

「お酒飲みたい」

「……唐突ね」

 守るべき戒めのひとつに『不飲酒』がある。その字の如く、穀物種や果実酒であろうとも、どのような酒類でも飲むことを戒めたものであり、水蜜と一輪にとっては、戒められているのではなく、禁止されている。

 信者から見れば模範ともなるべき存在であるともいえるふたりである。白蓮の教えに従い賛同し、ともに歩んでいるそんな彼女たちが戒律を破り人里で呑むなどもってのほかであろう。

 自分たちだけがどうこう言われるならまだいいが、事はそう簡単には済まされない。日々布教に励み、人々に説く白蓮の威厳すら潰すことになる。

 そのためには、それだけは、なんとしても避けねばならない。

 そう。ならない、のだが――

「……なら、前みたいにこっそり買って、夜中に飲む?」

「…………」

 一輪の問いかけに――難しい顔をして顎に手を当てていた水蜜ではあるが、首を振っていた。

 それはできない。

 何故出来ないのかといえば、バレたと言う前例があるからだった。

 今回同様に、あまりにも酒が飲みたくて飲みたくて我慢が出来なかったふたりは一計を案じていた。人里で飲むことが叶わぬのならば、買って隠れて飲めばいいという安易な考えによる。購入する際も、それなりの理由をでっち上げてに簡単に入手していた。嘘も方便とはこのことであろうか。

 意気揚々と持ち帰り、皆が寝静まった頃合を見計らって飲もうとしたところ……見事、白蓮に見つかることとなる。

 夜も更けた完全な深夜……今思えば、その日のふたりの素行は余程おかしく怪しかったのだろう。挙動不審な彼女たちを怪訝に感じた白蓮もまた頃合を見計り動いてみれば、まさか、部屋で静かに酒盛りに興じている姿を眼にするとは思わなかったことであろう。

 あっさりとバレた際の水蜜と一輪の顔は一言で表わすならば『絶望』であった。この世の終わりだというぐらいの表情を浮かべて。

 対照に、二コリと笑みを浮かべた白蓮の顔は今でも忘れてはいない。微笑を湛えるのは菩薩のように慈愛に満ち溢れはするが、それは見た目だけである。その実、顔には出さずとも、怒りに打ち震えた般若の如く、負の感情を醸し出しているのだから。

 あの時の恐怖は忘れるに忘れられぬトラウマと成り果てている。無論の事、きつい仕置きを受けたのは言うまでもない。

 魔が差したと平身低頭して、誠心誠意、必死になって――水蜜は既に幽霊の身であるが――ただひたすら謝り続けて許しを乞うたのだから。

 その際に科せられた罰というのも、経典を書写すという、いわゆる「写経」を朝昼晩と昼夜を問わず数日させられたのだった。

 同じことを繰り返し、これまた同じように白蓮に見つかりでもすれば、今度はどんな仕打ちを受けるか想像がつかない。少なくとも、二度目ともなれば、数日間の写経ですむとは到底思えない。

 思い出しただけでも身の毛がよだち、ぶるりと身体を震わせ一輪。

 隠れて飲むというのも、罪悪感により後ろめたさがある。   

 にもかかわらず、かなしいかな欲は捨てきれずにいるのも事実であった。

「お酒飲みたい」

「そうはいってもねぇ……」

 いまいち乗り気でない一輪に対し、水蜜はちらりと視線を向けていた。

「一輪は、飲みたくないの?」

「……飲みたくないわけないじゃない」

 できることなら一輪とて酒を呷りたい。それこそ財が許されるならば、浴びるほどに飲んでみたいと思うように。

 だが、それに伴うリスクはあまりにも大きすぎる。人里では飲めない。寺では飲めない。では、どこであれば無難となろうか?

 外で飲む――?

 いや、それこそ何時何処で誰の眼に触れるかすらわからない。

 ふうと息を洩らすふたりであるが、良い案など思いつきはしなかった。

 と――

 縁側を歩く音に意識が向けられていた。そちらへ視線を向けてみれば……そこには異常な人物の姿を目撃することとなる。

 驚くほどに上機嫌な顔。鼻唄まで口ずさみ、スキップしているのは……封獣ぬえであった。

 普段見慣れた姿とあまりにもかけ離れた状況に、水蜜は一瞬理解が遅れてしまっていた。それほどまでに衝撃的であろう。

「……どうしたの、ぬえ……すっごく気持ち悪い顔してるけれど……?」

 水蜜のさり気ない悪口に対し、だがぬえはそんな暴言もどこ吹く風か。軽く聴き流し、弛みきった表情で返答していた。

「聴きたい? 聴きたい?」

「……いや、そうまでもったいぶって話されてると、別に聴かなくてもいいかな」

 些か面倒くさいと感じ取った水蜜は手を振り拒否を示したのだが……聴かせてほしいと応えていないにもかかわらず、ぬえは仕方がないなと前置きして話し出していた。

 余程喋りたく、かつ、聴かせたいのだろう。

「えっへっへっー、実はぁ、カトーがぁ、夕餉に誘ってくれたのよねェ」

「…………」

 くるくると小躍りしながら、ぬえっへっへっ、と含み笑いを零し彼女。

 一方の水蜜はと言えば、ぬえが口にした『カトー』との言葉に覚えが無い筈がない。

 外来人である加藤彰人のことであるというのは察しがついていた。命蓮寺にも度々訪れているために面識はある。だが、水蜜自身が彰人と親しいのかと問われれば否となる。顔を合わせれば挨拶程度はするが、それだけの間柄であった。

 だらしない顔はそのままに、るんるん気分で縁側をスキップさながら去るぬえの背を見送りながら――

「随分と御機嫌ね。カトウって、あの外来人の男のことよね?」

「…………」

 訊ねる一輪を余所に――

 水蜜は顎に指を触れさせると、ニタリと口元を歪ませていたのだった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「――てなワケで、また宝塔を失くしたのよ」

「……それって確か、つい数日前にも失くしてませんでしたか?」

 缶ビール片手にそう問いかける彰人に対し、水蜜は乾物を齧りながら手をパタパタと払っていた。

「失くした失くした。そうしたら顔を真っ蒼にして『え、えへ、えへへ、ナ、ナズー、話がー』って擦り寄ってたわ」

「……あの賢将さんも大変ですね」

 寅丸星の口真似をする水密に彰人は苦笑するしかなかった。

 命蓮寺が崇める毘沙門天の代理を務める寅丸星と、彼女の部下であるナズーリン――名目上では星の部下であるが、実際は毘沙門天直属の部下兼代理として信仰を集める星の監視役を任されていることを彰人は知りもしない――の性格をそれとなく知っているだけに、両者の心情もなんとなく察しができる。

「大変も大変。苦労して、やっと見つけてきたと思ったら、その数日後にまた失くされてるんだもの」

「そりゃ堪忍袋の緒も切れるわよ」

 水蜜と一輪は普段彰人と会話を交わす機会はそれほどない。だが、両者は程好く酔いが回り饒舌になっていた。

 ケラケラと笑うふたりとは対照に、この場でひとり不機嫌な者が居た。ぬえである。

「…………」

 ぶすっとした態度に至るのも、何も今にはじまったことではない。

 家に来た時からぬえの機嫌はすこぶる悪かった。

 来訪を知らせる鈴の音に出迎えてみれば、玄関口に立っていたのは三人だった。ぬえと一緒に居るのは水蜜と一輪である。

 ふたりが増えていることに関して彰人は格段思うところはなかった。当初はぬえがふたりを誘ったのだと思っていたのだが、話を聴いていくうちに無理やり押しかけたのだと理解する。

 だが、だからといって水蜜と一輪を追い出すわけでもない。

「わたしたちが居たら、何かマズイわけ?」

 敢えてかまをかけるような言い方で水蜜。

 下手な詮索をされても面倒なことでしかない。故に、他意もなければ、やましいことも考えていない彰人は否定はしなかった。

 ただひとり、ぬえだけはその際に悪かった機嫌が更に増すことになっていたのだが。彰人とふたりきりで食事ができると喜び楽しみにしていたところを水を注された恰好となったのだから。

 面白くないハズがない。

 彰人とてぬえの相手をしていないわけではない。しかしながら、接する割合を比べてしまうと水蜜と一輪の方が多い。

 不貞腐れ、ひとり一升瓶を抱きかかえ、ぬえの顔は真っ赤だった。

 眼は完全に据わり、まともに立てず、口にする言語も一貫性は疾うに失せ滅茶苦茶になっている。いわゆる泥酔状態と化していた。

 特に、彼女が独占しているのは、淡麗な味わいと繊細な芳香が特徴の純米大吟醸酒である。

 くちあたりも華やかでパンチを持ち、のどごしもなめらかで厚みのある飲み応え。コクもあり、口いっぱいに広がる十分な香味、まろやかな風味。

 無論のことながら、本当に美味い酒というものは、それ相応に見合う金額を有している。今もまたぬえが飲み干そうとしている一本自体の値段も、結構張る代物である。それを既に二本空にしているのだが。

 彼女がそれら旨味を十二分に理解して飲んでいるというワケではない。ただ単に眼につき、酒であればなんでもよく、飲めればどうでもイイという理由で選んだだけでしかない。

 タダ酒に誘ったのは彰人であるが、懐が痛まぬなどということはない。顔には出さぬが、致命的ではあろう。

 奮発して外の世界から買っておいた秘蔵中の秘蔵を用意したというのに、ぬえにひとりで飲まれているのは悲しいものがある。

 ヤケ酒を呷っていたぬえではあるが、今は水蜜の膝を枕に静かな寝息を立てていた。

「こうして寝てると大人しいんだけれどね……まったく、可愛い顔しちゃって」

 穏やかそうな寝顔。彼女の黒く艶のある髪をそっと撫でつけ水蜜。

 普段であれば、頭を撫でるなどといった行為に関して、瞬時に顔を真っ赤にしては手を払いのけ、恥ずかしがり嫌がるぬえであろう。だが、当の彼女は夢の中であった。

 いわば今は絶好の機会であるといえる。

「ぬえには悪いことしたわね。せっかくあなたのところに遊びに来たのにさ」

 くっついて来たことを今更ながらに詫びり彼女。

「…………」

 水蜜の心情を察したかのように彰人は無言のまま。

 一輪は苦笑を浮かべながらも囲炉裏で炙っていた乾物を齧っていた。

「せっかくの逢瀬を邪魔しちゃったわね」

 ぬえほどではないが、水蜜とて程好い具合にホロ酔い加減。

 ニタリと意地悪く笑う彼女に――彰人は勘弁してくれと一言洩らす。

「なにが逢瀬ですか。それに、そういうアナタ方もお酒を飲むために一緒に来た、というのも方便でしょう? 本当のところは、ぬえのことが心配だったからついてきた……違いますか?」

「……そう思う?」

「ええ」

 一切の間も置かずに即答し彼。

 そうまであっさりと言い切られたことに――

「……まあ、そう言われると否定はできないんだけれどね」

「疑うつもりはないんだけれど、一応、ね……」

 彰人の指摘にふたりはバツが悪そうに視線を逸らす。とはいえど、彼は気にした様子もない。

「おふたりにとっては、手のかかる妹といったところでしょうか?」

 家族という意味合いで触れたことに関して、水蜜は満更でもなさそうな顔となる。

「まあ、ね。わたしたちって、いろいろあったから」

「イタズラ好きにも参るわよ」

「…………」

 どこか意味深に呟く彼女たちを見入り、彰人は訊ね言う。

「そういえば……おふたりは、もともとは人間だったんですよね?」

 舟幽霊である村紗水蜜――

 入道使いの雲居一輪――

 聴いた限りの話では、両人とも元は人間であったということを耳にしていた。

「もとが人間だったということは……失礼ですけれど、それなりに苦労したということですよね?」

 極端な言い方をすれば、人であることを辞め、人ならざるモノへと変わる。それがどういうことを指すのかは、彰人とてわからぬワケではない。昨日まで人間だったのに、朝起きたら妖怪の身となっていたともなれば理解が追いつくこともなく、心労とて如何なるものか。

 余程大変な目に遭ったのだろうと悟る彰人ではあったのだが……

「そ。わたしは昔に水難事故で死んじゃって、念縛霊として行き交う舟を片っ端からひっくり返して過ごしてるうちに妖怪になったのよ」

「わたしは雲山と一緒に居る生活を続けていたら、紆余曲折を経て今に至るんだけれどね」

 あっけらかんと笑って答える水蜜と、いろいろと思うことがあるのか感慨深げに告げる一輪。

 だが、経緯は違えど両者に共通するのは聖白蓮の存在だと言う。ふたりとも今居られるのは彼女のおかげだと口を揃えていた。

 予想に反してあっさりと割り切った返答は意外となる。

 狐につままれたような顔をしていた彰人に対し、彼女たちは苦笑ながらに続けていた。

「それこそ長い長い年月過ごしてれば、今のわたしたちの姿っていうのも、ある意味自然なものなのよ」

「そういうことであれば、妖怪に接してるあなたも、そうなるかもね?」

 妖力、神力、霊力、魔力――

 数々あるそういった『力』に長い年月中てられ続けると、ただの人間とて身体に変化が生じるという。

 現に雲居一輪も、もとは普通の人間であったのだが、見越入道の雲山と一緒に居るうちに、いつしか妖怪になったという経緯がある。

 だが――

「…………」

 酒を片手に軽い冗談のつもりで口にした彼女とは対象に、つまみを口に銜えた彰人は無言であった。

 強靭な『力』の余波が少しずつ蓄積されていけばどうなるか?

 ついで、顎に指先を触れさせひとり黙考する彰人を見て――水蜜は慌てて言い繕っていた。

「あ――いや、別に……い、今すぐどうこうなるかってワケじゃないのよ? ほ、ほら……そういったこともあるってことでの話だから」

 水蜜からしてみれば、彰人が気分を害したのではないかと危惧した故に。

 外来人とはいえ、人間が人間であることをやめて妖化するのである。それを快く思わぬはずがない、と。簡単に言えば、化物の身となるのだから。

 嫌悪されるのは痛手でしかない。

 だが、彼女の心配をよそに彰人は格別悪点とは捉えていなかった。なにも考えていないというワケではない。妖怪化するかもしれないという部分は汲み取っているが、それだけである。彼なりに、思うことがあるために。

「ああ、気にしないでください。別のことを考えてましたので」

 敢えて彰人はそのことに触れず、別のことを口にしていた。

「しかし納得しました。なるほど。おふたりにとっては、すべては聖さんのおかげですか」

 話を逸らすために何気に白蓮の件へと持っていき――目論見通りに水蜜と一輪は乗ってきていた。

「ん? ま、まあ……そういうこと。聖には助けられたのよ。聖に逢っていなかったら、悪霊のまま過ごしてたと思うし」

「おかげといえばおかげよね。そんなわたしたちは、姐さんの恩義に報いるためにも、布教を広めないといけないの」

「…………」

 なるほどと彰人は胸中で呟いていた。命蓮寺の住職はふたりに大層慕われているのだな、と。

「……そういうわけで」

「……ということで」

「?」

『あなたも命蓮寺に入門するべき』

 口をそろえ、同じことを言う彼女たちではあるのだが――

「……なんでそうなる?」

 思わず素の言葉使いで返答し彼。

 しかし、ふたりは信じられないといった顔をしていた。

「え? なに? まさか聖よりも、どこぞの道教の方がイイとか言うの?」

「まさか、姐さんの素晴らしさがわからないなんて」

 唐突に攻撃的な態度へと変わるふたりに彰人は慌てるだけである。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 同刻、とある某所にて――

「――へくちっ」

「む?」

「いかがされましたか、太子さま……風邪ですか?」

「……いえ、そうではないと思いますが……」

「であれば、太子さまの威光を皆が噂しているのでしょう」

「民草どもも、ようやく太子さまの偉大さに気がついたということですかな。しかしながら、些か遅すぎると言うものでもありましょうが」

「…………」

「皆、太子さまの尊大さに平伏すことでしょう」

「うぇーはっはっはーっ、さすがは太子さまですなぁ」

「……そういうものでしょうか?」

 とかなんとか、どこかの尸解仙とその臣下たちによるそんな会話があったとかなかったとか。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「待て待て。志しは立派だとは思うさ。それは嘘偽りなく本当に。おふたりが聖さんを慕うのも、あの人の『人間性』に惹かれたんだろうなってのが、なんとなくだがわかる。だけど、だからといって、俺が入門するのとは違うだろう?」

「大丈夫だって。そんなに難しく考えなくても、軽い気持ちで入ってみれば問題ないから」

「最初は不安もあるでしょうから、少しずつ慣らしていけば大丈夫よ」

 深く捉えすぎだと笑うふたりに――しかしながら、彰人は呆れるだけでしかない。

「……なんだ? そのお試し期間的なノリは……?」

 と――

 室内に、さらりと風が吹き込まれ囲炉裏の火が僅かに揺れる。変化に気づき、彰人が意識を向けた先は、縁側を仕切り閉じられていた障子である。その障子が音もなく、すうと開かれていた。

 酒を飲んで背を向けている水蜜と一輪は気がついていないが、対面する彰人は、室内に脚を踏み入れて来る者の姿をハッキリと捉えていた。

 その結果、その者の名を口にすることとなる。

「……ああ、どうも聖さん。こんばんは。お迎えご苦労さまです」

『――――』

 その言葉に、浮かれていた水蜜と一輪の酔いは、極度の冷水を頭から浴びせられたの如く一気に消し飛んでいた。

 ――聖?

 何故この場所に、その名が出るのか。まさかとばかりに慌ててふたりは振り返り――

「ひっ、聖っっ!?」

「ぎゃあっっ!?」

 聴き間違えであってくれという願いは届くはずもなく、青い顔となり悲鳴を洩らす現実となる。

 見紛うことなき自分たちが深くよく知る聖白蓮本人が、そこに立っているのだから。

 ふたりとも、どうして此処にとの驚きを隠せていない。

 何故、此処に、彼女がいるのか――?

「ど、どうして、姐さんが、此処に――」

 胸中で思っていた言葉をつい口に出してしまったのは一輪である。

 思考回路が正常稼動していないふたりは慌てふためくのみであった。思わず立ち上がりかけた水蜜にいたっては、その際に彼女の膝枕から転げ落ちたぬえが畳に頭を強打していたりするのだが。

 転がるように――それでいて素早くなのは言うまでもない――ふたりは彰人の傍へとすり寄ると、ガタガタと震え出していた。

(……どこかで見た光景と同じだな)

 まさしく、今の状況は守矢の巫女に咎められるケロ神の姿と酷似する。違っているのは咎められる者がひとりではなくふたりであるという点であろう。

 残り少ない煙草を取り出し、一本口に銜えて彼。火を点けようとして……そこで三人の女性陣が同席していることに気づき、思い留まることとなる。

「…………」

 手持ち無沙汰に火の点かない銜え煙草のまま彰人は状況を見入るだけである。

 彼の心境を他所に、現場は変化が生じていく。

「聴き慣れた声がすると思ってこちら(縁側)に周ってみれば……ムラサ、一輪……あなたたちは、なにをしているんですか……?」

「ひ、聖こそ、ど、どうして……此処に?」

 白蓮の問いかけに対し、水蜜もまた疑問で返答してしまっていた。

 ひとりこの場で冷静であるのは彰人である。彼は事前に白蓮に話を済ませおり、また彼女が迎えに来るのを知っていたからだ。

「ぬえの迎えに来たんですよ」

 しれっと応える彰人に――水蜜は瞬時に彼の胸倉を掴み上げていた。

「なっ、何でそんな大事なこと黙ってるのよっ!?」

「え? いや、何でって……おふたりとも、知っててぬえと一緒に来たんでしょう? 聖さんがウチにいらっしゃるのを――」

「知らないわよっ! 聖が来るなんて、聴いてないわよっ!」

 まくし立てる水蜜と一輪に彰人は文字通り『困惑』の一言に尽きる。落ち度を責められたとしても、それは理不尽としか言いようがない。

 割り込むように――事実そうなのだが――白蓮は告げる。

「わたしが、此処へ伺ってはいけないのですか?」

「と、とんでもありません」

「ま、待ってよ……ぬ、ぬえはっ?」

 震える一輪とは逆に、つい咄嗟に『ぬえはイイのか』という意味合いで抗議した水蜜であるが、白蓮はやんわりと返答していた。

「ぬえ本人から話を聴いています。彰人さんからも事前にお話をお受けしています。ぬえは、今宵、此方に夕餉にお招きされている、と」

「…………」

「ぬえの話は聴いていましたが、どうして、あなたたちが、此処に居るのでしょうか? あなたたちがお呼ばれしていると言う話は耳にしていなかったと思うのですが……おかしいですね……わたしの思い違いでしょうか?」

「は、はわわわわわ」

「あ、あわわわわわ」

 動揺する水蜜と一輪を余所に、白蓮は畳に転がる空き瓶へと意識を向けていた。ゆっくりと眼が細まっていく。

「……まさかとは思いますが、此方を隠れ蓑にして、お酒を飲んでいた、という訳ではないでしょうね?」

『…………』

 厳かに――しかし、威圧を篭めた低い声音。明確に、怒りを孕んでいるというのがいやがおうにも理解できる。

 下手な言い訳は、即、己が身に罰として降りかかる。故に、ふたりは口を開くことはできなかった。

 蒼い顔をしたままのふたりに、白蓮は更に畳みかけるように問いかける。

「どうしました? 黙っていてはわかりませんよ? わたしは、どうなのかと訊いているのです」

「…………」

 長い付き合いのため十分理解している。これ以上のだんまりは無理と悟りふたり。

 観念し、口を開こうとして――それを遮っていたのは彰人であった。話に割って入るべきか否かと脳内で判断していたが、決を採るまでもなく口を挟まねばならぬ状況であるがために。

「待ってください、聖さん。違いますよ。これは般若湯(はんにゃとう)ですよ」

 般若湯(はんにゃとう)とは、僧侶たちの隠語で酒のことを指す。般若とは智慧のことであり、酒として飲むのではないという意識から、「智慧のわきいずるお湯」との意味合いを示す名をつけられたといわれる。

 白蓮は無表情でありながらも、視線は彰人へと移行させていた。隠語を持ち出して擁護する彼に対し、少なからず表情に温厚さは薄れている。

「この瓶は、なんでしょうか?」

 どう見ても酒が容れられていたであろうと含みを持たせる問いかけであるが、彰人はにべもない。

「ちょうどいい器がなかったものでして。たまたま、これしか手元に無かったんですよ。いやあ、相応の杯でもあればよかったんですが、すみません用意していなくて。そういったことに頭が回らなかったもので、配慮が足りませんでした」

 嘘を口にしてはいない。屁理屈だと指摘されようとも、言い方を変えているだけである。

 この言い返しとて、彼が導き出した答えではない。マミゾウから教えられた切り返し方である。

 仏教徒が守るべき日常生活における規則に『五戒』というものが存在する。五戒とは、不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒の五つである。

 戒を守ることは仏教信仰最大の基本となる。だが、戒律と一言でいうものの、実際には戒と律は同じではない。

 戒とは自分で自主的に判断して選び取っていく思想と行動であり、律とは上から与えられる規則のことを示す。

 もっと簡単に言えば、毎日毎日の生活を自主的に判断して行う具体的な行動が『戒』であり、『律』とはその中において、やってはいけないことと規定されたルールとなる。

 その中のひとつである『不飲酒戒』は、ある意味建前として捉えられてしまう事柄がある。

 そもそも不飲酒戒とは、簡単に言ってしまえば『酒を飲んではならない』ということである。檀家に何かを勧められた場合、それは、お布施となるので基本的に何でも頂けなければならなくなる。これは根源仏教からの伝統といわれている。

 ここでいう檀家とは、寺や僧に布施をする信者のことをさす。

 金品とはいかぬが、彰人とて命蓮寺に伺いがてら手ぶらで来ることはない。菓子などを献上している。

 勧められたものは無下にはできぬ。それが例え、肉であろうが、魚であろうが、酒であろうが。

 瓶以外にも在る缶に関しては、自分が飲んだものだと主張する。

「これが仮にお酒だとするならば、確か五戒というものがあるから飲んでイイとは言えませんよね? でも、反省と自負を踏まえた上で、自分は僧侶として恥ずべき酒の飲み方をしていないとしたらどうでしょう? 参った、申し訳ない、という気持ちであったらどうでしょうか?」

「…………」

「加えて、勧められたものは断れませんよね? おふたりは仕方なく飲んでいるんですから。まあ、こちらが勧めすぎたという限度はありますけれど」

「…………」

「それに、村紗さんと雲居さんが一緒に居るのも意味がありますよ。俺なんかのところに、ぬえがひとりで来ると知ったんですよ? 何かあったらどうしようと、大切な家族を心配するのは当然のことじゃないですか?」

 自分を敢えて蔑む言い方に白蓮の眉間は僅かにしかまる。

「……そのために、ふたりも一緒に此処にいる、と仰るわけですか?」

「ええ、今述べたように家族であればそうでしょう? 俺から見れば、何もおかしな点はないと思うんですが……違いますか?」

「…………」

 無言となり白蓮。僅かな静寂が場を包む。

 このふたりの問答に、生きた心地がしていないのは水蜜と一輪だった。

(な、なんてこと言ってくれてんのよっっ!?)

 マミゾウの入れ知恵のおかげであることを知らぬ彼女らにとって、一人間風情が白蓮相手に大層な言い方をしているのだから。口を挟むにも挟めぬ状態であると言わざるを得ない。

 しかし、彰人からしてみれば、問答に関しては口達者なマミゾウに散々からかわれてはつき合わされている。自然と『返し』を覚えさせられている身となれば、こういっては難ではあるが、生真面目な白蓮を相手にしては怯みはしなかった。

 狡猾な狸よりも、至極まともである白蓮の性格を読んで否定できぬ単語を散りばめて。

 ならびに、当の彼女とて彰人の問いかけには黙らざるを得なかった部分がある。家族という言葉を引き合いに出されてしまっては、此処で返答を誤れば、それはぬえに対する視方を試されていることにもなる。

 決して褒められた返しではない。強いて言うならば、あくどいに他ならない。

 故に――

 不本意ではあるが、妥協はできぬが、妥協せざるをえない白蓮であろう。

「ムラサ、一輪……ぬえをお願いしますよ」

 踵を返し、御暇しようとする白蓮であるが、それを呼び止めたのは彰人である。

「せっかくいらっしゃったんですし、聖さんもどうぞ」

「…………」

 勧められては無下にはできぬ。

 白蓮も酒を飲めば同罪となる。それを見越す彰人の魂胆は腹黒であろう。

 わかっていながらも……白蓮は、断ることができなかった。

 結果――

「……今宵だけ、ご相伴にあやかりましょう」

 言って、彼女もまた囲炉裏の傍に着座する。

 流れるような一連の出来事に対して、水蜜は素直に言いくるめられる白蓮の姿に僅かながらに違和感を覚えていた。

 なんとなくだが、どこかがおかしい。

「…………」

 そこで彼女は、ふと思いつく。

 もしかしたら、ぬえを迎えに来たというのも方便ではなかろうか?

 よもや、それは――

 たどり着こうとした『答え』が脳裏に掠めかける寸前に、白蓮の視線が水蜜へと向けられていた。

「どうかしましたか、ムラサ? 何か言いたそうですけれど?」

「――な、なんでもないよ」

 思考を読まれたのかと慌てた水蜜はぶんぶんと頭を振り、咄嗟に否定の言葉を口にしていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「頭痛い……」

 彰人の家で散々酒を呷り続けたぬえは、以降の記憶はさっぱりと抜け落ちている。

 なにがあったのか、どうやって命蓮寺に帰ってきたのかも知りもしない。

 布団に包まり痛い痛いと繰り返し、うんうん唸るぬえに……事の顛末を何も知らず、二日酔いで頭痛が酷いと訴えるなど呑気なものだと水蜜は捉えていた。

 ぬえをおぶって帰路につく間、白蓮との会話は一切無く、命蓮寺に戻ってからも就寝の言葉を交わしただけである。

 これは相当怒っているなと覚悟を決めた水蜜と一輪のふたりは一睡もできることもなく。

 早朝も早朝、白蓮が休む寝所前の廊下に陣取り、彼女が起床するのを待っていた。

「聖、おはよう」

「おはようございます、姐さん」

「ど、どうかしましたか、ふたりとも……なにかありましたか?」

 障子を開いた途端に視界に映るのは廊下に平伏すふたりの姿である。これに眼をぱちくりとさせる白蓮は当然であろう。

 だが、水蜜と一輪は微動だにせず伏したまま続けていた。

「昨夜は調子に乗りすぎた結果、申し訳ございません」

「如何なる処罰も、我らは誠心誠意、謹んで甘んじて受けるつもりでございます」

 腹を括りすぎているために、些か言葉がおかしくなっていたりもするが。

「わたしたちは、聖に隠していることが存在します」

「昨夜のあの場では申し上げることができませんでしたが、姐さんには伝えていなかったことがございます」

 真実を告げようとするのだが――

 しかしながら、それを遮っていたのは白蓮だった。

「アレは、般若湯(はんにゃとう)だったのでしょう?」

 その言葉に水蜜と一輪は一瞬押し黙ることになる。が、すぐに違うと口にしようとするのだが、やはり牽制するかの如く白蓮が先に言葉を紡いでいた。

「確かに、智慧のお湯でした。大変美味しかったのは確かですし……まあ、良しとはできませんが、わたしも勧められて口にしたのは紛れもない事実です。ですが、こういったことはきちんと事前に話を――」

 そこまで言って、白蓮は自身の口を片手で覆っていた。

 自分は何を言っているのだろうか?

 これでは、またお酒を飲む時には誘ってくれと催促しているようにも捉えられかねない。

 思わず失言しかけたことに気づいた彼女ではあるが、水蜜と一輪は特に反応を示すこともなく姿勢は維持したまま。

 僅かばかり頬を赤らめた白蓮は、こほんと小さくひとつ咳を払い――

「とにかく、今回の件はこれでお終いとします。これ以上は不問とします。いいですね?」

 自分も同罪という意味で強くは言えないという含みがある故に。

 言って、顔を上げさせると白蓮は朝の日課となる勤行をするべく、そそくさとその場を後にしていたのだった。

 どういうわけか、仕置きを受けることはなかったのだが肝を十分に冷やしたのは事実である。いずれにせよ、白蓮の寛容な心に咎められることは無かったと言える。

「…………」

 早朝でのそんな一連のやり取りを思い出し、水蜜は深い溜め息を漏らしていた。

 一輪は白蓮の手伝いを兼ねてともに勤行についている。

「アンタ、昨夜のこと覚えてなくてホント良かったわよ」

「?」

 首を傾げるぬえに、水蜜はそれ以上何も答えはしなかった。

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