「…………」
口から息を漏らし、彰人は額に手を添えていた。
耳に響くのは、碗と箸があたり、かちゃかちゃと鳴る音。
視界に映るのは、ばくばくと白米を掻っ込むふたり。
見るともなしに視線を向けていたが――現実逃避をするかのように、彼の思考は別のことへと切り替わっていた。
やはり電化製品はほしいな、と考える。
薪をくべ、かまどを使って米を炊く方法と比べてしまえば、炊飯器があれば楽になるだろう。だが、そうなると別の欲が出てしまい、冷蔵庫や電子レンジもほしくなる。これらがあれば、食材の冷蔵や保温も圧倒的に便利になる。しかし、いくら無い物ねだりだとわかっていながら、それら家電を使うためには、当然、要となる『電気』が必要だ。根本的の問題自体が解決されていない。
が――
電気が手に入らないのならば、別の手段を考えていた。
ガスによるカセットコンロがあればいいなと彰人は思い込んでいた。ガスボンベがあれば電気が無くても使えるだろうと。しかしながら、こちらも同様に、機材一式がなければどうにもならない。何処から調達するのかという難題にぶつかっているのだが。
(香霖堂にあるかもしれないな……)
文明の利器による恩恵が懐かしく感じ、どこかに発電機でも転がっていないかなとひとり思案に暮れていると――意識は現実に戻されていた。
差し出される茶碗を無言のまま受け取り、米をよそい相手へ返す。
もう一方からも差し出された茶碗も同様にしゃもじで払った米を盛り、渡す。
釜の飯は既に空。鍋の味噌汁も各々に食され僅かしかない。
彰人は、もぐもぐと口を動かし咀嚼するふたりがこれで満足はしないだろうと予測していた。
「…………」
改めて、彰人はふたりを見入る。
ひとりは見知った相手だった。
黒のミニスカートにニーソックス、胸元には赤いリボン。切れ長の瞳に、艶のあるショートカットの黒髪。
背中には奇抜なデザインとしか言えない翼のようなもの。彰人から見て左には赤い鎌のような三枚の翼。右には、青くぐねりとした矢印のような翼が三枚生えている。化け狸、二ッ岩マミゾウの友人――封獣ぬえ。
もうひとりは、初めて見る顔だった。
金の髪をサイドテールに一房垂らし、紅く輝く双眸。ドアノブカバーのような個性的な帽子を被り、真紅を基調とした半袖とミニスカートの服装。
一際眼を惹くのは、その背に飾られるかの如く――枯れ枝に輝く七色の宝石をぶら下げたような羽根と表現してよいのか判断に迷う姿。
名を、フランドール・スカーレット。
余程お腹がすいていたのか、ふたりは差し出されたうどんとご飯、味噌汁をがつがつと食べている。
おかわりの分もなくなりかける。彰人は、手をつけていなかった己の分までふたりに分け合うように差し出していた。
「…………」
自身でも気づかぬうちに、彰人の口からは再度溜め息がもれていた。
先日も『厚意』で妖精たちに夕飯を振る舞いはしたが、まさかこういったことが続くとは思わなかった――というのが心情であろう。
人里での用事を済ませた彼が帰宅し、真っ先に気づいたのは、室内に入った際の違和感。
住み慣れているいつもの家でありながら、どこか違う家。
部屋が荒らされたわけでもなく、物取りの類の犯行ではない。
各部屋を確認したが、やはり何かが無くなっているということはなかった。だが代わりに、ふすまの中に何かが潜んでいるというのがわかっていた。
最初はチルノかと思ったがそうではない。がたがたと音はするし、なにやらボソボソと話し声さえ聴こえる。
当初は放っておいて、囲炉裏の傍に座り沸かした茶を飲んでいたのだが。
――と。
がたん、と一際大きな音が鳴ったかと思えば、ふすまから「頭打った」「痛い」と声が漏れ――しんと静かになる。
「…………」
こうまでくれば、なんと声をかけていいやらわからなくなっていた。
故に――
「……なんだ、猫か?」
呆れを含みながらも、聴こえるように冗談めいて声をかけてみれば――
「にゃ、にゃーっ」
「にゃうー」
「…………」
ご丁寧に鳴きマネをして、やり過ごそうとする。
結果的には、ぐうと腹の鳴った音に観念して――息を吐き立ち上がると、隣の部屋のふすまを開き――
そこには、両腕で両膝を抱え込むように座り、不貞腐れた顔をしたふたりの少女を発見していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
とりあえず、押入れから引きずり出しはしたのだが――
その際に、ふたりは大層おどろいた顔をしていた。どうして自分たちがここに居るのがわかったのだ、といわんばかりの顔で。
しかし彰人は、もはや指摘も反論も否定もする気も持ち合わせてはいなかった。
手招きし、ちゃぶ台の前にふたりを座らせると、人里からの帰りに、上白沢慧音からもらった甘菓子をふたりに与え――今に至る。
何をしたのかと訊けば、双方、各々の住む家で悪戯をして怒られたからだと応えていた。
ぬえは、命蓮寺の連中の顔に夜中に落書きをした。
フランドールは、庭で遊び作った泥団子を姉の顔にぶち当てて遊んでいたという。
ふたりが揃ってるのは何故だ、と訊いてみれば、ぬえ曰く、フランドールとは友達であり、偶然会って、互いの話をしていたら意気投合して一緒に行動していたらしい。
「家出だ」
「家出なの」
申し合わせたように、口を揃えて告げるふたり。
どうしてウチに居たのか、と訊ねれば、他にいく当てもなくマミゾウからこの家のことを聴いていたので、ここならば問題がないからだ、と応えていた。
悪びれた様子も見せず、あっさりと応えるぬえに対して、彰人は自分の後頭部を掌で軽く叩きながら胸中で呟いていた。
(いつからここは、家主の断りもなく宿代わりになったのだろうか……)
なんにせよ、と気分を切り替え――
「いずれにせよ、家の人が心配するだろう? それを食べたら大人しく帰った方がいいと思うけれど――」
そう言い聴かせるのだが――
ぬえとフランドールは、キッと鋭い視線を向けてくる。
「心配などするものか。ちょっと悪戯しただけで怒りすぎる」
「お姉さまは、わたしが嫌いなのよ」
睨みつけてはいるのだが――ぬえは米を口にし、フランドールはうどんをちゅるりとすすっていた。
説得失敗。
「…………」
見た限り、明らかに使い慣れていないであろうと思しき箸使い。それでもなんとか零さずに――悪戦苦闘しながらも――ぷんすかと頬を膨らませたまま、カツカツと茶碗と箸の音を立ててを口に掻きこむふたり。
さて、コレはどうするべきかと彰人は考えを張り巡らせる。
今のふたりの態度では、恐らく何を言っても聴く耳を持たない。余計に神経を逆なでし、火に油を注ぐのもよろしくはない。
「あれぐらいで大人気ない――」
「まったく、お姉さまときたら――」
悪いのは向こう。わたしは悪くない。
各々の分を平らげたふたりは、やはり彰人の椀にまで手を伸ばし、うどんと白米、味噌汁を仲良く分け合い食べはじめる。
不意に――
ぴくりと表情を強張らせるフランドールとぬえに彰人が気づくこともなく――来訪を鳴らす鈴の音が響いていた。
はい、と返答し、玄関に足を運んだ彰人は、そこで三人の姿を視界に捉えていた。
うちひとりは面識のある女性。相手もまた彰人を見て、ぺこりと頭を下げる。一礼するのは、聖白蓮。
白蓮と一緒に居るふたりは見知らぬ相手。
当然、彼の視線は白蓮から横へと移される。青みがかった銀髪に真紅の瞳。コウモリのような大きな翼をぱたぱたと動かす少女。更にはその少女の背後へ控えるように立つのは、青と白を基調としたメイド服を身に纏う女性。まさか、こちらの世界でメイドを見るとは思いもよらずに。
彰人の視線に気づいた少女は、己の踝辺りまで届く長い、僅かに泥で汚れたスカートの左右の端をつまみ優雅に一礼して見せていた。
「はじめまして、と挨拶させてもらうわ人間……わたしは、レミリア・スカーレット。誇り高き吸血鬼であり、紅魔館の主をしているわ。後ろにいるのは咲夜」
「十六夜咲夜、と申します。レミリアお嬢さまが治める紅魔館で、メイド長を務めております。以後、お見知りおきを……このような夜分に、突然うかがいました無礼をどうか御容赦ください」
深々と頭を下げる咲夜につられ、彰人もまた頭を下げかけ――
「スカーレット?」
オウム返しにポツリと呟き――
「泥団子をぶつけられた、お姉さん?」
その言葉に、瞬時にレミリアの眉はしかまり、咲夜と名乗る女性の表情も微かに変わる。
失言に気づいた彰人は、慌てたように手を振っていた。
「失礼――ご丁寧にどうも。俺――わたしは、加藤彰人と申します。外来人、と呼ばれている外から来た人間です」
「外来人……」
その言葉にレミリアは明らかに眉を寄せ、咲夜はほんの微かに眉尻を動かしていた。
彰人も相手が口にした紅魔館、という言葉には覚えがある。ここから先にある魔法の森を抜けたところにある、霧の湖の中心にそびえるように立つ館。
紅魔館という名の通り、館は「紅」一色だった。遠目で見たことはあるが、正直な彼の感想は、趣味の悪い館だな、という認識だった。
「ああ、あの趣味の悪い館の持ち主さんか」
思わず二度目の失言になりかけた言葉をなんとか呑み込み、彼は訊ねていた。
「それで、失礼ですがスカーレットさん? その館の主の御方が、何用でしょうか?」
丁寧に訊いてはみるが、結局のところは理解している。レミリアの背にある翼、ならびに彼女から感じる雰囲気、格好から、フランドールの話から聴いていた『姉』なのだろうと推測していた。
彼の考察を肯定するように、レミリアは頷く。
「ええ。一部始終の話は知っているようね。妹のフランがこちらにお邪魔しているとうかがって、連れ戻しに来たのだけれど……で、当のフランは何処かしら? 案内してもらえるとありがたいのだけれど?」
ニヤと笑いはするのだが、気品漂う彼女の口元からは、吸血鬼らしく八重歯が覗いていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
白蓮とレミリアから詳しく話を聴いてみれば、各々いなくなったぬえとフランドールを探していたという。
放っておけばいい、と怒り心頭の村紗水蜜を諭しながら、何処に行ったのかと黙考する白蓮ではあるが、マミゾウには目処は立っていた。ぬえの性格上、立ち寄り篭る場所など限られてくる。
「恐らくは、
地霊殿、紅魔館、香霖堂――
他にぬえの立ち寄りそうな場所の辺りは絞られるが、マミゾウが彰人の家に目処を立てていたのは二点から。一点は、命蓮寺からもっとも近い場所。もう一点は、彰人の話をしたこともあり、本人同士顔見知りともなれば当ての確立は高かろうとの読みで踏んでいた。
だが、ワシが行こうかや、と腰を上げるマミゾウを白蓮は制していた。
思いつく場所を教えてほしい、わたしが迎えに行くからと押し切られ、それならばと彰人の家だろうと教えていた。
レミリアの方は、鴉天狗の射命丸文が、日傘を差したフランドールがぬえと一緒に居るのを見たということを聴き、途中たまたま白蓮と一緒になったという。
通された居間に足を踏み入れ――
まず驚いたのは白蓮だった。彼女はちゃぶ台に残る綺麗に平らげられた器たちを見て、食事まで世話になったことに眼を丸くする。
額を押さえ、申し訳ありませんと頭を下げる彼女を手で制し――レミリアは姿の見えない妹を探すのだが、彰人は隣の部屋を指差していた。
つい今し方まで居たはずだが、ぬえもフランドールも姿が見えない。だが、縁側を仕切る障子は閉じられたまま。唯一隣へ続くふすまだけが開かれていた。
彼の親指が示す先は、布団が仕舞われている奥の押し入れへ向けられていた。どうやら最後の砦とばかりに閉め切り篭城しているのだろう。
「フラン、帰るわよ! 何を子どものように駄々をこねているの」
「ぬえ、帰りますよ。一輪もムラサも心配していますから」
篭城を決め込むふたりに――レミリアは怒り、白蓮は困った顔をする。
子どもの浅知恵だなと思っていた彰人を無視し、レミリアは押しのけるかのようにふすまの前に仁王立っていた。
「出てきなさいフラン!」
怒鳴りながらふすまを開けようとするのだが、内側からは同様に開けられてなるものかと抵抗するフランドールとぬえが居る。
「開けなさい! わたしの妹でありながら、
がたがたと音を鳴らすだけで開かないふすまに苛立ち、レミリアがそう怒鳴るのだが――
対照に、フランドールからの返答は、至極落ちついたものだった。
「イヤ。わたしここに住む。カトーは、わたしに優しくしてくれるもの。お姉さまのように意地悪じゃないんだから」
勝手に住むなどと話を進められることに、家主たる彰人は困惑する。
「何を馬鹿なこと言っているの! 出て来ないと
「それはやめてくれ。曲がりなりにも俺の家なんで、吹き飛ばされてはかなわん」
破壊されるなど真っ平御免である。
物騒なことを口にする吸血鬼に半ば呆れる彰人ではあるが――
「まあ、いやだわお姉さま。紅魔館の主であり、誇り高い吸血鬼としてあるまじき行為。殿方の前だというのに、むやみやたらに大声を出したりして、はしたないわ。淑女としての慎みを持ち、もっとエレガントに振舞うべきだと思うの。今のお姉さまからは、とてもスカーレット家当主としての威厳も感じられないなんて、なんと嘆かわしいことでしょう。だから出ない」
ぴしゃりと言い切り、以後は何も聴こえてくることはなかった。
と――
「しゃ、しゃくやー!」
先程までに振舞っていた高貴な威厳も何処へやら。涙目になり従者に抱きつくレミリア。コウモリの羽根すら哀しむようにうな垂れていた。
逆に、ふすまからは、クククと笑い声が聴こえていた。更には――
「うっうーっ、ぶれいくぅ~ぶれいくぅ~、かりちゅま~、ぶれいくぅ~、きりりっ」
などと小馬鹿にした口調が続いていた。これによって、レミリアを一際泣かせるには十分な効果を発揮する。
妹に馬鹿にされ、人目も憚らぬまま、おんおんと泣き崩れる幼い主を従者はあやす。
入れ替わるように、今度は白蓮がふすまの前に立つ。
「ぬえ……」
「いや。出ない。わたし悪くない」
取り付く島もない。
だが、白蓮はやんわりと――それでいて優しく言葉をかけていた。
「こちらの方のご迷惑にもなります。ムラサには、わたしも一緒に謝ってあげますから」
「うるさい」
「ぬえ、話を――」
「うるさいって言ってんの! わたし悪くないもん!」
「
ぼそりと呟かれた声音は一オクターブほど下がっていた。だが、声に含まれたのは怒り。冷たさを含んだ一言は、かけられたぬえ当人が一番よくわかっていた。
「
「…………」
だが、それでもぬえの意地が勝る。うるさい帰れ、と一言返すと、以後はフランドール同様、なにも喋りはしなかった。
ここまで頑固だとは、さすがの白蓮も思いはしなかった。
困りましたね、と呟く白蓮は考える。力づくで連れ帰ることは容易であろう。
フランドールにしても同じことが言える。咲夜の能力でふすまを開け、叩き出すことは簡単だ。だが、こちらはその後が面倒だとも考えさせられていた。100パーセント、無理やり連れ出されたフランドールは癇癪を起こすだろう。
彼女、フランドールが持つ、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』――
力加減をすることを覚え、最近は情緒が安定しているとはいえ、一度怒り狂えば咲夜はもちろん、レミリアでさえ手におえないだろう。現に、紅魔館当主はおいおいと泣き崩れている。
判断に迷う白蓮と咲夜のふたりに――彰人は声をかけていた。
「あの」
「なにか?」
「…………」
振り返る白蓮と、咲夜もまた視線だけを彰人へと向ける。
「考えたんですが、今日は、このまま預からせてもらえませんか? 決して悪いようにはしませんから」
「…………」
そう告げてくる彼に対し――
考える白蓮ではあるが、やはり首を振る。
「いえ、これ以上ご迷惑をおかけするわけには行きません」
力尽くで連れ帰ると応える彼女だが、今度は彰人が首を振っていた。
「ですが、聖さん……例え無理やり連れ帰ったとしても、今のふたりでは大人しく従うとは思えません。失礼ですが、また何かしら暴れる、とも限らないのでは?」
「…………」
そう言われてしまうと、白蓮は黙ってしまう。
顎に手を当ててはいたが――彼女の眼は彰人へと向けられていた。
「そうまで仰るには、何か良い方法が?」
「いいえ、全然」
真顔でけろりと応えながら彼。
肩透かしを喰らいはするが、そこまで清々しいと逆に感心さえしてしまう。しかし、彰人は決してふざけて口にしているわけではない。
「それでも、時間を置けば少しは落ち着くことでしょう。それは、双方にも言えることではないでしょうか?」
「…………」
彰人の言い分は一理なくもない。苦い顔をする白蓮ではあるが、それ以上は何も言ってはこなかった。しばらく待ってみたが無言を納得と捉えた彰人は、今度は視線を咲夜へと向けていた。
「従者の方も、どうでしょうか?」
話を振られた咲夜もまた白蓮同様、無言ではあったが、渋々と頷いていた。
「そうですね……本当であれば、お連れしたかったのですが……」
ちらと腕に抱く己の主に視線を落とし――
「うー、おうちかえるー! いやー! フランなんて知らないー! 勝手にすればいいのよーッ!」
「……お嬢さまも、このようにお疲れのようですし、日を改めさせていただければ、と。大変心苦しいのですが、フランドールさまをお願いいたします。ああ、それと」
「ん?」
「お伝えするのを忘れていたのですが――」
一瞬の間を置き――
唐突に、彰人は己の首筋にひやりとした冷たい物が押し当てられていることに気がついた。
首を動かすこともできず――だが、視界の見える範囲でわかったことは、ナイフの刃。柄を握る手が確認できた。
ナイフを握り、首に当てているのが誰かなど確かめる必要もない。咲夜である。
しかし、それでも彰人にとって見れば、眼の前にいた女性が一瞬にして背後に回りこんでいたことに対しては、状況がつかめず混乱するだけ。理解することに頭が追いついていなかった。
身体を動かす仕草も一切見せず、瞬前までは確かに正面に居たはずなのに――
白蓮が制止するが、聴き入れることはなく、冷たい声音が咲夜の口から紡がれる。
「なにをお考えの上で、そのようなことを口にされているのかは存じませんが、妹さまに、邪な考えなどは持たれませぬように。もしも、何かがあった場合は、お覚悟されますよう……努々お忘れなきように」
「…………」
咲夜にとっては、見ず知らず、会ってまだ数分としか立たない輩――それも男を――を信用することなどできない。なによりも、大事な当主の妹君ともなればなおさらに。
ぐいとナイフに力がこめられるのだが――そこで咲夜の眉が寄る。凶刃は、彰人の皮膚には当たっていない。
口を開き言葉を発しようとした咲夜だが、それを遮るように、フランドールの声が割って入っていた。
「咲夜……?」
「――っ」
押入れの中に閉じこもるフランドールからは決して見えていないはずだが、咲夜からもれる殺気でなにをしているかがわかったのだろう。
「カトーをイジメたら、
「妹さま、わたくしは――」
「うるさいなぁ……わたしは、イジメたら許さないって言ったよ?」
咲夜もまた、ふすま越しに放たれる、自分の比にもならない強烈な殺気を向けられては、それ以上手出しをすることは躊躇われていた。
彰人は、はっきりと咲夜にわかるように両手を動かし――ゆっくりと指先をナイフの身に当て首から引き離す。
その動作に、咲夜は特に抵抗はしなかった。
凶器が完全に離れてから彰人は向き直っていた。咲夜は未だナイフを構えたまま。
「初対面の相手なんてを信用できないの当たり前だろう。重々承知しているさ。無茶なことを言っているってのもわかってるつもりだよ」
僅かに口調を崩し彰人。白蓮も同意するように頷いていた。
「咲夜さん、わたしからもお願いします。ぬえが一緒ですので、どうかナイフを下げてもらえませんか?」
「…………」
白蓮からも声をかけられ――ようやくして咲夜はナイフを下ろしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
レミリアたちが帰ったのを確認してから、彰人は「帰ったよ」とふすまに声をかけるのだが、しばらくは反応がなかった。
だが、本当にレミリアと咲夜、白蓮が帰ったのだとわかると、ようやくして、ふたりはのそのそと押入れから這い出てきた。
追い返したことに「やったー」と喜ぶフランドールとぬえではあるが、彰人は手招きをして呼び寄せていた。
胡坐をかいて畳に座る彰人に呼ばれたふたりは、「なに?」と応えながらも素直にちょこんと眼の前に腰を下ろしていた。
先程、咲夜や白蓮へ口にした手前、彼はどうしても伝えておきたいことがあった。特にフランドールに対して。
「フランドール・スカーレット、て言ったかな? 少し、俺と話をしてもらえないかな」
「フラン」
「ん?」
改めて視線を向ければ、ぷうと頬を膨らませていた。
何か気に障ったかなと思う彰人だが、それよりも早く、どこか拗ねたような顔をしてフランドールは口を開いていた。
「『フラン』て呼んでくれないと、お話聴かない。畏まった話し方もイヤ」
言って、ぷいと彼女はそっぽを向く。
「…………」
参ったものだと彼は頭を掻いていた。
フランドールのことは、咲夜からある程度の話を聴いていた。
495年間、外に出ることもなく地下で過ごしていたこと。なによりも、495年も生きている以上は、彰人の方が遥かに子どもであろう。にもかかわらず、見た目が幼い吸血鬼は、その姿に偽り無い子どものように不貞腐れている。
これではどちらが『子ども』かわからない。
しかし、相手が望むのであれば、それに応じるしかない。
「わかった。なら……フラン、俺の話を聴いてもらえるかい?」
「…………」
希望する呼び方をされたことに満足したのか、フランドールはにこりと笑い、「うん」と向き直っていた。
「ぬえ、お前も聴いていてほしい」
「……うん」
ぬえも素直にこくりと頷く。
ふたりを前にし、彰人は口を開いていた。
「まず最初に、フラン、俺は君と会ったばかりだ。君のことは何も知らない。当然、俺のことも知らないね?」
「うん。外から来た外来人てしか知らないよ?」
こくりと頷くフランに、いい子だと一言呟き――彼は続ける。
「先に謝っておく。何も知りもしないで、偉そうなことを言って、もしかしたら、君に不快な思いをさせるかもしれない。勝手な憶測と推測も混ざる」
難しそうな言い回しに、僅かではあるがフランドールの表情が曇る。それはぬえもまた同様に。
もしかしたら怒られるのでは、という浮かない顔をするふたりではあるが、怒ったりはしないから、退屈だろうけれど話を聴いてほしいと不安を払拭させるように言葉をかけていた。
「ええとな、フラン……お姉さんが探しに来たのは、どうしてだと思う?」
「そんなの決まっているわ。わたしを怒りにきたのよ」
何の迷いも見せずに即答するフランドールに、彰人は頷いて見せていた。
「うん。それもあるかもしれない。じゃあ、何でお姉さんが連れ戻しに来たと思う?」
「…………」
問いかける意味合いは同じであるのだが――先とは告げる『言葉』が違う。
今度は小首を傾げて考えると、フランドールは導き出した答えを口にしていた。
「暇だったから?」
「それはどうだろう。心配だから探しに来たんじゃないのかな? 本当にどうでもいいと思うなら、従者の人だけでも十分だと思わないかい?」
「…………」
彰人の言葉に、僅かではあるが、フランドールは口を尖らせたまま。だが、反論はしなかった。
彼の言うように、探すとなれば、レミリア本人ではなく、咲夜や紅魔館の門番、紅美鈴に任せてしまえば事足りる。
だが、直接怒るためだろうと、フランドールは言い返していた。
うんと頷き、彰人は肯定する。
「フランを探したのも、怒るためという意味もあるだろう。でも、それと同じように、君を心配したからだと思うよ」
「……心配?」
「ああ、そうとも。突然居なくなって、いつまで経っても帰ってこない。フラン、君は見ていないからわからないだろうけれど、お姉さんのスカートは泥で汚れていたんだ。あちこち君を探したんじゃないかな?」
「お姉さまが、わたしを心配するなんてありえないわ」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、お姉さまはわたしが嫌いなのよ」
フンと鼻を鳴らし、フランはそっぽを向く。対照に、ぬえは言葉無く黙ったまま。
つまらない話なんて聴きたくないと仏頂面の相手に――彰人は構わずに訊ねていた。
「そうかな? 本当に嫌いだったら直接迎えには来ないんじゃないか?」
「…………」
「彼女――レミリアにとって、妹の君は、とっても大切な存在なんだと思う」
「……でも、だからって、悪戯したことに怒りすぎるのはどうかと思うわ」
わたしはただ遊んだだけなのに、と漏らしながらも向き直ったフランドールの表情は不服そうなまま。
なるほど、と返答し、彰人は人差し指を立てて見せる。
「じゃ、こう考えよう」
「?」
「フラン、君が例えば、先のお姉さんや従者の人に、同じような悪戯……ええと、なんだったっけ? 泥団子だったかな? その泥団子をぶつけられたらどうする?」
「……やり返すわ」
「ふむ。じゃあ、そこに、お姉さんの友達も加わったとしよう。皆がフランにぶつけたらどうだろう? 皆、お姉さんの味方だ。フランの味方になってくれるのは誰も居ない。ひとりっきり。やめてって言ってもぶつけられたらどうだろう?」
「……ひとりだけ?」
「そうだ。ひとりだけ。皆笑って君だけにぶつけられたらどう思う?」
「…………」
友達、という言葉にフランドールは瞬時に紅美鈴、パチュリー・ノーレッジ、小悪魔、博麗霊夢や霧雨魔理沙といった面々の顔を思い浮かべる。
なによりも、ひとりっきり、という言葉がフランドールの心を深く抉る。
最初は笑っていた表情だが、次第に表情には陰りが浮かんでいった。
「……すごく嫌だわ」
「そうだな、すごく嫌だ。でも、その嫌なことを、お姉さんにしてしまったんだよ?」
「…………」
「フラン、確かに、君はそんな気でお姉さんに悪戯したんじゃないんだろう。それこそ、ちょっとした悪戯心だったんだろうね。遊んだだけ、と言うかもしれない」
「……うん」
素直にこくりと頷くフランドール。彰人も頷き、続けていた。
「でもね、悪戯にも、限度ってのはあると思う。相手を泣かせてしまったり、酷く怒らせてしまった場合、それと全く同じことをフランがされてしまったらどうだろう?」
「…………」
無言のまま、俯くフランドール。心情を察するように彼は言う。
「たぶん、すごく悲しくなるだろう? 想像しただけで嫌な気分になるんだ。それを実際にやられてしまったらもっと悲しくなると思う」
「……カトーも、お姉さまの味方になるの?」
切なく、どこかすがるような眼差しのフランドールに、彰人は「まさか」と応え、その手で彼女の頭を優しく撫でる。
「してしまったことはしょうがない。でも、それをそのままにしてしまうのはもっといけないことだと思うよ」
「…………」
「話はズレてしまったけれど……フラン、君に嫌な思いをさせてしまったことは謝ろう。すまない。でも、嫌われてしまいたくはないだろう?」
嫌われる、という言葉に酷く過敏に反応するフランドールの顔は、今にも泣き出しそうな表情だった。
「カトー、わたし、嫌われちゃうの?」
「フランがこのまま悪戯を繰り返してしまうと、嫌われてしまうかもしれないな」
「そんなの嫌だわ!」
「うん。俺も嫌わせる気などはないよ。だから、そのためにフランは、お姉さんに謝らなくちゃいけないんだ」
「でも……」
ぶすっとした顔のまま、指をつき合わせて、いじいじと動かしながらフランドール。
その眼差しは、不安をたたえる。
「わたしが謝っても、お姉さまは許してくれるかしら……?」
「きちんと謝ればわかってもらえるよ。でも、謝り方もちゃんとしなくちゃいけない。相手に許してもらうためには、心から謝らないといけないよ?」
「心から……」
呟き、何度もその言葉を繰り返すのだが、フランドールの表情は憂いを含んだまま。
「むずかしそう。わたしにできるかしら? それに……それでも許してもらえなかったら? お姉さまに嫌われてしまったら?」
悪い方へと考えれば考えるほど、フランドールの幼い精神面は抑圧される。
が――
その不安を取り除くように、再度彰人の手がフランドールの頭を優しくなでていた。
「わかった。なら、俺もついていってあげるから。俺も一緒に謝ってあげるから」
「……ほんと?」
「ああ。だから、きちんとゴメンなさいって謝るんだ。それでも許してもらえないなら、俺も一緒に謝ってあげるさ」
「約束してくれる?」
「約束しよう」
ぽんぽんと、フランドールの頭を優しく叩くと……幼い吸血鬼は嬉しそうに笑っていた。
しかし――
上白沢慧音や聖白蓮ならまだしも、彰人は弁舌に長けているわけでも、今の言葉のやり取りも、的を得たたしなめですらない。
穴があり、指摘されれば矛盾が生じる内容。言葉が悪いが、言いくるめることができた、などとは微塵も思っていない。
なにを偉そうに説教じみたことを口にしているのか、とさえ自分自身に呆れすら持ち合わせている。
滑稽であろう――
だが、それでも敢えて言い聴きかせたのは、少しでも考えを改めてくれるならば、としたこと。
言葉を並べて、フランドールが僅かにでも耳を傾けてくれれば――
彰人の視線は、次にぬえへと向けられる。
「ぬえ、聴いていたように――」
「ねえ」
口を開きかける彰人を遮り、ぬえは詰め寄るように身体を滑り込ませていた。
身を乗り出してくる相手の勢いに思わず気圧されるが、なんだ、と訊ね返しはするのだが――ぬえの表情は、至極真面目だった。
じいっと見入り――
「わたしにも、一緒に謝ってくれる?」
「……は?」
ぬえが何を言っているのか理解できず、彰人は思わず間の抜けた声音で訊き返していた。
「だから、フランと同じように、一輪とムラサと聖に、わたしと一緒に謝ってくれる?」
今一度口にするぬえに対し、しかし今度は相手の言い分を理解した上で、彰人は眉を寄せていた。
「いや……なんと言うか、ぬえ、お前はフランと違って、きちんとひとりで――ちなみに、悪戯って、なにをしたんだ?」
「人里へ布教に出る三人の顔に落書き施して、『能力』使ってそのまま送り出したら、ムラサがものすごい形相で――」
「すまん、もういい。それは、お前が怒られて当然だと思うから、俺は手を引かせて」
「ずるいっ! フランは良くて、なんでわたしはダメなのっ!? そんなのズルいっ!」
彰人の台詞をみなまで言わせず――
ぬえは言うや否や、相手の胸倉を掴み、激しくガクガクと揺さぶっていた。
彼女もまた、彰人が口にした『ひとりっきり』という言葉に過敏に反応していた。
別にひとりでも気にしない、とはぬえの性格故、気丈に振舞おうとも心の何処かには『寂しさ』がある。
命蓮寺で暮らし、白蓮たちに良くしてもらっているとは言えど、マミゾウ同様新参者に加え、その存在は他の連中とは違い浮いた存在であり、いまいち馴染めることも出来ていない。心の拠りどころはマミゾウに頼ると言ったところであろう。
少女の細腕とはいえ、妖怪の腕力により前後にこれでもかといわんばかりに揺り動かされては、苦しさにより気分は決してよろしいものではなかった。
「ちょっ――ま、待て! わかった――わかったから!」
「ホントに? 嘘じゃないっ?」
「や、約束する! 俺もお前と一緒に謝るから――頼むから、揺さぶるのはやめてくれ!」
言質を確かに取ったことに満足したのか、言われるままに、ぴたりと停まったぬえはパッと手を離していた。
解放された事に彰人は気持ち悪くなる胸をなんとか押さえながら呼吸を整えていた。二度ほど大きく深呼吸をして落ち着くと――
「カトー、大丈夫?」
「ごめん……」
心配そうに見上げるフランドールと、申し訳なさそうに謝るぬえ。
気にしなくていいとだけ告げると、彰人の思考は明日のことを考える。フランドールはともかく、ぬえに至っては三人に対しどのようにも申し開きをするべきか。今から胃が重いなと感じながら――
胡坐をかく彰人の脚の合間に納まるように身体を割り込ませてくるフランドール。丸いお尻をぽすんと落とし、煌びやかな羽根の宝石が眼の前でゆらゆらと揺れている。
無邪気に笑うフランドールとは対照に、彰人は相手の突然の行動に困惑していた。
「あはっ、あったかーい」
彰人の胸に背を預け、見上げるように首を動かし彼女。その仕草は至極可愛らしい。
ほころばせる口元からは、やはり吸血鬼たる牙が覗く。
「ねえねえ、カトー、お外のお話聴かせて」
「……外の?」
「うん!」
彰人にとってみれば長寿――495年でも十分であろう――の吸血鬼も、幼い容姿と同じように思考回路は子どもと遜色ない。
と――
気がつけば、背にトンと軽い衝撃を受けていた。
肩越しに振り返り見てみれば、背に寄りかかるのはぬえ。服越しとはいえ、ほんのりと伝わってくる彼女の体温。
フランドールがいいのなら、わたしもいいだろうというのがぬえの考えなのだろう。
なにを一緒になって遊んでいるんだ、と思わず口を開きかけるが、お話を聴かせてとせがむフランドールに彰人は観念したように息を吐いていた。
ぬえもまんざらではなく、話に興味があるのだろう。
明日のことで今から頭を悩ませるのも馬鹿馬鹿しい。こうなってしまっては、明日のことは明日考えればいいだろうとさえ思えてくる。
「なら、なにを話そうか……」
「なんでもいいよ。わたし、カトーのこと知らないから、カトーのことでもいいし、お外の世界は珍しい動物や、幻想郷にないお菓子もあるんでしょう? 前に咲夜が言っていたわ」
「…………」
では、なにから話そうか……
フランドールとぬえのふたりが退屈にならなそうな話などあったかなと、彰人は思考を巡らせていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
腕の中でくうと寝入るフランドール。彰人の背に身体を預けるぬえもまた眠りこけている。
あれから彼が話をした内容は、思いつた事を口にし、方向性もなくバラバラであり様々だった。
自分自身のことや、ありきたりな外の世界の陸海空。車や電車といった乗り物。
娯楽施設の映画館や遊園地、動物園。電化製品のテレビやゲーム機。
遠く離れた相手と話せる携帯通話機。
動物の話では、フランドールは海に生息する生き物に興味を示し――
それほど詳しくないが、お菓子に関する話もできる範囲で教えていた。
あれこれと話をしているうちに、気づけばふたりは夢の中だった。
勝手なふたりに苦笑を浮かべながら、話し疲れた彰人は喉の渇きを覚えると、お茶でも煎れて飲もうかと囲炉裏の傍に移動しようとして――
今更ではあるが、彼は、あることに気づく。
「……動くに動けん」
『前門の虎、後門の狼』ならぬ、『前門の吸血鬼、後門の封獣』――
寝入るふたりの少女を起こすことに気が引ける。
静かな寝息を耳にしながら……さて、これはどうしたものかと考えていた。