うだるような暑さ――
午後の強い日差しに、彰人は動く気にはならなかった。
「…………」
うちわによる風の扇ぎは無気力に近い。
ぱたぱたと――ゆっくりと手首は上下するが、もはや涼むためとは呼べぬほどに無意味に動くだけだった。
「暑い……」
日がな一日、風も吹かず、ぎらぎらと照りつける陽光。庭周り一帯に打ち水を撒きはしたが、然したる効果などは……実は全くなかったりする。
そもそも、『打ち水』とは、地面や道路などの埃を抑える効果がある。夏場には、気化熱を利用し涼気をとるために行われる方法ともされている。
涼をとる目的とした打ち水である場合、二点の方法が考えられる。
一点は、朝方夕方といった日がそれほど高くない時間帯に撒くというもの。だが、これには問題点もある。既に気温が高く、ならびに日差しが強い日中に例え打ち水をしたとしても、水などすぐに蒸発してしまう。なぜかといえば、気化熱による気温上昇の抑制効果が得にくいためであるからだ。
もう一点は、輻射熱を減らすためという方法。熱した地面を冷やすのが効果的という考え方もある。
元来、暑さを感じるというのは、空気の温度自体から感じるものだけでない。輻射熱からも感じている。
打ち水によって、空気の温度に大した変化はないが、高温になった地面の『熱』を下げることで輻射熱を減少させ、体感温度が下がるのではという考え方だ。
気温自体が下がらずとも、湿度の方が高くなれば、人間の体感温度が低くなるという利点もある。
だが――
陽の当たっていない場所に水を撒いたとしても、結果的に言えば、暑いことになんら変わりはないのだが。
日課となっていた庭の一画の花々に水を与え、早朝から人里の農作業の手伝いをし、家に帰ってからは眼につき気になっていた草むしりも終えていた。約束事も無く、他に今日やることは特には見当たらなかった。
動くにしても、これほど暑い中を身体を動かす気力は一向に湧かなかった。もっと夕方の涼める時間帯にでも人里にでも行くかと考えていた。
「……暑い……」
今一度、彼は同じ台詞を漏らしていた。口にしたところで涼しくなるわけでもない。しかしながら、彼は呟かずにはいられなかった。
こんな時にでも氷精のチルノが遊びに来ないかなと考えていた。彼女が常時放つ冷気がこの時ばかりは酷く羨ましく思えていたりする。
便利な扇風機やクーラーと捉えた事に対して、胸中でこの場に居もしないチルノに詫びながら、彼はごろりと横になる。
と――
縁側でだらけていれば、視界には赤いチェック柄が眼に止まる。
「…………」
ぼんやりとした意識のまま、彰人は視界に映る、その『赤』をじっと見つめていた。
こんな暑い日に、赤い柄を見ているだけでも頭がどうにかなりそうだと思いながらも、彰人は視線をはずしはしなかったのだが……ようやくして、チェック柄の相手が誰かを理解していた。
力なく視線を動かしてみてみれば、やはり、日傘をさしてこちらを見下ろしていたのは、『四季のフラワーマスター』と呼ばれる風見幽香。
「ごきげんよう、加藤」
「……これはどうも、風見さん。こんにちは」
みっともなく、だらしない格好を見せたとして、彰人はのそのそと身体を起こしていた。
幽香は気にした様子も見せず、笑みを浮かべると、日傘の柄を握る指先でくるくると回し動かしていた。
「別にそのまま寝ててもいいのよ? 声をかけてもピクリともしないんだもの。思わず傘の先端で突き刺してやろうかと思ったわよ」
「……勘弁してくださいよ。あなたが口にすると、冗談には思えない。それに、突き刺されたら死にますっての」
「あら、失礼ね。わたしが冗談を言う相手は、ちゃんと選ぶものよ? それと、死なない程度に突き刺すつもりだったし。何も問題はないわ」
「……刺すのが前提だというのは置いとくとして……そりゃつまり、本気だったってことですよね?」
「よくわかっているじゃない」
「勘弁してください」
着崩した服装、身だしなみを整えると、彰人は立っているのもなんであろうと幽香へ腰を下ろすことを勧めていた。
「それで、何か御用ですか?」
「用がなければ、此処へは来てはいけないのかしら?」
日傘を閉じ、縁側に座る幽香はジト眼でそう問いかける。
「……ああ、いや、そういうわけではありませんけれど」
すぐさま失言に気づき頭を下げる彰人。言い方としても、もっと別に訊ね方があっただろうにと胸中で自省していた。
相手が何を考えているのか容易に察し、表情にも出ていることに対し、幽香としてはそれほど本気で咎めたわけではない。彰人の反応が面白いから、からかうだけではあるのだが。
「ふふ、冗談よ。寄ったのは、本当にたまたまよ。それに……」
言って、彼女の視線は庭先へと向けられる。
僅かな一画に咲き誇る色とりどりの花々へ、眼を細めた幽香は口元に微笑を浮かべていた。
「
『花を操る程度の能力』を有しているといわれる相手、風見幽香にとって、操るというその能力により、花々との意思の疎通が可能なのかと彰人は考えていた。
「……わかるもんですか?」
「ええ、花たちだって生きてるのよ。あなたにはわからないでしょうけれど、人間や妖怪のように感情だってあるの。優しく、丁寧に育ててくれることに感謝してるし、なによりも、愛情を注がれることにとても喜んでいるわ」
「…………」
彰人は意味もなく頬を掻いていた。
『愛情』などと口にされては、どこかこそばゆさを感じてしまう。
気分を変えようと、彼は視線を動かしていた。向けた先は幽香へと。
「…………」
こちらの視線に気づいた素振りも見せず、幽香は花を見入ったまま。
花を眺める彼女の横顔は、それこそ華麗である。こう見ていると、とても幻想郷で恐れられている、力ある大妖のひとりとは思えなかった。
美人の姿を形容する言葉であるが、御多分に洩れず 幽香はまさに当てはまる。花を慈しむという姿は画になり優美である。尤も、口を開かずに黙っていれば、という大前提であるのだが。
風見幽香は、本当に花々を愛している。花の説明、世話の仕方になると嬉しそうに語りだす。それはまるで眼を爛々と輝かせる子どものように。
無邪気、とでも言うべきか。
本人に自覚はないのだろうが、聴き入る彰人はその態度の変化になんとなく気がついていた。気がつくといっても、何気なく世話の仕方を訊ねた際に呆れながらも嬉しそうに口を開いている姿を見ればイヤでもわかるのだが。
花が好きだという姿は、可愛らしい少女のようにも思えてならなかった。無論、そんなことを当人には言ってはいない。言おうものなら、次の瞬間に己の身がどうなるかが想像できないからだ。
「いろいろと話しかけているのね……この間は、吸血鬼の館に遊びに行って水をやるのが遅れて申し訳ないと謝ったそうね。丸一日近く水をやらなかったのはいただけないけれど」
「ああ、言い訳するつもりはありませんけれど……日帰りすることが出来なくて、翌日も帰宅が遅くなってしまって……水をやるのも手間取ってしまいまして――」
そこまで口にしていながら、彰人は『ん?』と首を傾げていた。
よくよく考えてみれば、おかしな点がある。確認を踏まえた上で、彼は視線を幽香へと向けていた。
「……風見さん……なんで、知ってるんですか?」
その問いかけに、幽香は不思議そうな顔をして一画に指先を向けていた。
「なんでもなにも、随分とおかしな事を訊くわね。
「…………」
眼を瞬かせ、きょとんとする幽香とは対照に、彰人は両手で顔を覆っていた。
彼女が口にした『あの子』たちとは、一画に咲く花壇の花々。
指の隙間から覗かせた眼を幽香へ向け――
「……風見さん……確かに、そう言っているんですか?」
当然であるが、彰人には花々の『声』など聴こえはしない。
「本当におかしなことを訊くのね。言ったでしょう?
「…………」
「花というのは命を宿し生きているのよ。人間のあなたには理解できないでしょうけれど――って、だから、何をしているのよ、あなたはさっきから」
呆れた幽香の声音を耳にしながらも、彰人はうな垂れるように更に顔を覆っていた。
「……恥ずかしい」
幽香が言うように、彰人は花々に話しかけていた。傍から見れば、怪しい輩と思われがちであろう。しかしながら、誤解が無いように明記しておけば、『話し相手』という認識ではない。
話しかけると言っても、それはあくまでも日々成長する花々の変化に気づいたことを口に出しているだけである。
芽が出、蕾がほころび、花が咲く。
たかだか花とは言えど、自分が育て、日々に僅かな変化が生じるというのは嬉しいものがある。
その一連の成長を眼にするのは楽しみともいえよう。
確かに、先日、紅魔館へ赴いたために日課としていた水やりが遅くなったことに対して、花々に申し訳ないと呟きはした。
だが、それは、人間であれば誰であろうとも、人目に触れられず、気兼ねなく己の有意義な時間を過ごしていれば、ついぞ独り言ぐらい口にしよう。
とは言えど――
誰にも聴かれてはいないと思っていたことが、まさか、それが当の花たちから内容が漏らされるとは、努々思いもしなかったのだが。
何が恥ずかしいのやらと呆れ果てる幽香ではあったが――ふと、彼女はあることを思い出していた。
眼元は笑い、口角さえも歪む。一目見て、意地の悪そうな表情を浮かべていた。
「恥ずかしいといえば……加藤、はじめて会った時のあなたは、それこそ、とても恥ずかしかったわね?」
「……ああ、
幽香に告げられ、彰人は一連のやり取りに対して深い溜め息をついていた。
愉悦の貌となる彼女とは違い、こちらは当時の出来事に関しては苦笑を漏らすことしかできなかった。記憶の片隅に封印しておきたいと切に願うほどに。
彰人は、幽香とはじめて
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
とある事情により、まだ上白沢慧音の家で世話になっていた頃の話である。
「『太陽の畑』というところには近づいてはならない。花を愛する妖怪が住み、害を与えれば恐ろしい眼に遭う」
とある日、散歩に出かけようとしていた彰人へ彼女が告げた言葉。
押すな、触るな、近寄るな――
人間、ダメだと言われたことには、なぜか余計に逆のことをしたくなるものである。
好奇心旺盛、興味本位。
危険らしい危険と捉えておらず、幻想郷を甘く考えていたのは事実。
慧音の忠告を半ば無視するように、彰人の脚は、妖怪の山の反対方向の奥地――近づくなと告げられている『太陽の畑』が在る方角へと向けられていた。
今思えば、無知というのは本当に恐ろしいことだった、と今更であるが後悔さながらに痛感する。
ついでに言えば、花を愛する妖怪など、いうほど有害でもなく、むしろ無害に近い類であろうと考えていた。
何故無害であると捉えたのか――?
それは、『花』という言葉から好戦的でもなかろうと結びつけ、穏便な妖怪の類なんだなと容易に想像し、それを証明する確信も得もせずに、己自身が勝手に決めていたことによる、浅はか以外のなにものでもなかった。
甘くみていたのは二点より。ひとつは、日も昇っているこんな時間に妖怪の類になどは遭わないだろうと思っていたこと。もうひとつは、慧音が口にした言葉も大袈裟であろうとして、とりあわなかったことによる。
時間にしてはどれほどか……彰人の歩が停まる。
「…………」
眼前に広がる草原一面に茂るヒマワリの群れ。風が吹き抜け、
広大な面積を覆う『黄』一色。
想像していたものとは、ある意味、良い方向で裏切られていた。
「これはすごいな」
花を愛でる心を持つわけではないが、それでも彰人にとって、眼の前に広がる雄大さには舌を巻くことになる。
あまりの壮観に。
あまりの美景に。
あまりの衝撃に。
それこそ、 別世界の景観に眼を奪われていた。
故に――
彼は、自分でも知らずのうちに、引き寄せられるかの如く領域内へと足を踏み入れてしまっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは、まさに唐突だった。
「汚い手で触るな」
見上げる程の高さを持つ満開のヒマワリたちに囲まれ圧倒されていたところ、何気なく一輪のヒマワリに手を伸ばそうした瞬間――横合いから叩き込まれた強烈な衝撃に、彰人は息を詰まらせることとなる。
軽々と飛ばされた身体が地面へと打ちつけられ、無様に転がる。
呼吸をするのもやっとなぐらいに――それほどまでに、彰人は己の身に起きた出来事が理解できなかった。
「――っ」
熱を持つ腹部と鈍痛に、ようやくして彼は殴られたのだという状態を把握する。
しかし、把握ができたからといって身体を動かすことはできなかった。
額に脂汗を浮かべ、酸素を求めて口を動かし、ひゅうひゅうと呼吸の自制に苦しむ彼の耳には、土を踏みしめて歩み寄る輩の存在に気づいていない。
近づいていたその相手から無造作に伸ばされた腕が、彰人の胸倉を掴んでいた。
「……っ、うっ……」
乱れた息のまま、無理やり動かされた彰人の視界にはひとりの女性が強制的に映っていた。
真紅の瞳に癖のある緑の髪。白のブラウスに、襟元には黄色いリボン。赤いチェック柄の上着とスカート姿。
相手の容姿を観察できるほどの間――
「…………」
しかし、彰人はごくりと喉を鳴らして固唾を呑まざるをえなかった。
無言、無表情でありながら、相手が纏う雰囲気が普通ではないというのが感じ取れた。それとともに、慧音が言っていた『花の妖怪』というのも、眼の前の相手なのだろうと、なぜか自然と――本能的にそう捉えさせられていた。
虫けらでも見るかのような冷たい双眸。殺されるというものは、こういうことなのか、と彰人は人事のように考えていた。
女性特有の細い腕に関わらず、こちらの胸倉を片手で掴み平然と持ち上げる相手に対し、彼は言葉を選び口を動かしていた。
「す、すまない……」
謝ったところで許されるとは思っておらず――しかしながら、口に出さずにはいられなかった。
「か、勝手に入ったことは謝る。ただ、は、話だけでも聴いてくれれば……」
「…………」
逆の手には日傘を持つ相手は、彰人を値踏みするかのように見入っていた。
無言のまま「続けなさい」と物語る相手の雰囲気に気圧され、彼は懸命に口を動かし続けていた。
「その、無断で触ろうとしたのは、本当に申し訳ない……ヒマワリ畑があまりにも見事で、綺麗だったものだから――」
「……それで?」
女性の口から紡がれた静かな声音。
たった一言ではあるが、それだけで彰人の口を噤ませるには十分な威圧感があった。
「遠慮するのは利口よ? でも場合によっては、それは馬鹿でもある。花を害する輩は、その身を罰せられても文句は言えないわよねぇ? 果たして、今のあなたはどちらかしら?」
「…………」
地面から足のつま先が離れ、宙吊りの格好となる彰人は無言。
いかにして、この状況から切り抜けるか、などと都合のいい算段も言葉なども思いつきはしなかった。
下手に取り繕うことは、瞬時に命の危険に陥るということだけは理解している。否、理解する以前に、既にそうなのだが。
正に『蛇に睨まれた蛙』とはこのことであろう。
が――
「……な、なら、今の俺は、まだ、セーフ、じゃないかな……?」
「…………」
セーフ、と告げる相手の胸倉を、女性は一際強く締め上げる。この状況下において楽観視する態度が彼女は気に入らなかった。
このまま首でもへし折ってやろうか――
相手が息を詰まらせ苦しむが、そんなことは構いもしなかった。
「何を以ってして、そんなことが言えるのかしら?」
「は……花を害する相手と口にした……だから、
「……無知な相手だから見逃されるとでも思っているの? 媚びへつらう輩は気に入らないわ」
「まさか」
ごほと息を詰まらせ、それでも彰人の眼は、しっかりと女性へと向けられていた。
「俺は……『今』としか口にできないよ。少なくとも、花を害していない以上は。ただ、そこから先、あなたの気分次第で、俺がどうなるかなどはわからない……」
あとはそちらしだいだろう、と眼で訴える。
「…………」
いずれにせよ、生殺与奪の権は、眼の前の女が握っている。
フンと鼻をひとつ鳴らし、日傘をさす女性は彰人をつまらなそうに見つめていた。
「気に入らないわね。わたしは言葉遊びをするつもりは無いわよ。でも、そうね……気が変わったわ。その神経の図太さには評価してあげる。虐めるのは勘弁してあげるわよ」
言って、女性はパッと手を離していた。
地面に尻餅をつき、激しく咽、大きく息を吐き出す彰人に、日傘を持つ女性は射抜くような視線を向ける。
「……すぐさま逃げ出すかと思っていたのだけれど」
「いや……正直、腰が抜けているんで動けないだけだよ。しばらくしたら、すぐに帰るんで……その間だけでも、休ませてもらえれば……」
「それは、命令?」
「まさか……『お願い』だよ……」
「…………」
相手は無言。
彰人は幾分呼吸がマシになった喉に手を当てていた。
「這ってでも逃げるべきなんだろうけれど……嘘でも偽りでもなく、本当に動けないんでね……」
「口だけは無駄に動くようね」
「……まったくだ……」
自分自身の口に呆れながらも、彰人は眼の前に立つ女性を見上げていた。
それが、彼女――風見幽香との
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
三日月に近い幽香の口から言葉が紡がれる。
「滑稽だったわね。アレは」
「……あの時ほど、人の忠告はちゃんと聴いておくべきだったと感じますよ。本当に、殺されかけるとは思いもしませんでしたからね……まあぁ、俺が悪いんですから……」
たかがヒマワリ如きで、とは口に出来なかった。下手に口を滑らせて眼の前の相手の機嫌を損ねるのもつまらない。
はじめて幽香と出遭ったその後、人里に戻った彰人の雰囲気と態度がおかしいことに慧音は目敏く察することになる。鎌をかけるように、なにかあったのかと探りを入れてみれば、『四季のフラワーマスター』に暴行を受けたと理解したのも簡単であった。
うっかりと『太陽の畑』に行ったと口を滑らせたことに彰人が気づいたときには既に遅かった。
『怒髪天を衝く』という言葉通りに、慧音の顔は、激しい怒りの形相に変わっていた。
忠告を無視した彰人に怒りもしたが、それ以上に、里の守護者は無慈悲な暴力を振るった幽香に対して怒りを覚えていた。
例え気分屋だとしても、例えたまたま虫の居所が悪かったとしても、何もしていない『人間』に手を出したという事実が許せなかった。
あまつさえ、今から制裁を下してやると意気込み、家を飛び出そうとする彼女だったが、これに慌てたのは彰人である。
なんとか怒りの溜飲を下げてもらうために、彼は懸命に言いくるめることへと必死だった。
「この場合、悪いのは忠告を聴かなかった俺なんですから……言ってみれば、彼女は何も悪くないんじゃないでしょうか」
「何を呑気なことを言っているんだ、お前は……だからと言って、あの
「上白沢さんの言ってくれていることはわかります。俺も殺されかけたことを楽観視する気はありません。でもそれは、相手の住む場所に無断で侵入したっていう前提があるんですよ。そこを無視して、いくらなんでも――」
要は、大妖怪ともなれば、物理的な危害を加えずとも、人間ひとり追い払うことなど簡単なことである。にもかかわらず、力を振るった
だがそれは、あくまでも慧音の考えである。幽香にしてみれば、手を出そうが出すまいが、彼女の一存による結果でしかない。
自身が治める領域を土足で踏み込んだ相手に慈悲をかける必要もなかろう。
それらを踏まえた上で、彰人は懸命に慧音を説得し続けることになるのだが。そもそも、彼女が先のヒマワリ畑の妖怪と出会うものならば無事ではすまぬだろうとも見越してではあるが。慧音が怪我でもしてしまっては、それこそ問題である故に。
双方頑固であり、お互いの意見は譲れなかった。
結局は話は平行線となり、止むを得ないと苦渋の選択をしたのは慧音だった。彼女は申し訳ないと一言呟くと――彰人へ頭突きを見舞っていた。頭蓋が割れるのかと思わされるほどの深い一撃のもとに昏倒し、眼を回す相手をそのままに、風見幽香の住む場所へと向かったのだった。
頭に響くように残る鈍痛に彰人が眼を覚ました頃には、ボロボロの格好となって戻ってきた慧音の姿があった。疲れ切った表情ではあったが、それでも彼女は「言い聴かせてきたぞ」と、思惑どおりに事が運んだことに対して、にんまりと満足そうに笑うのだった。
何をしてきたのかは、慧音の姿から見て察することなど想像に難くなかった。
その後、再度『太陽の畑』に現れた彰人の姿を眼にした幽香の表情は、驚きとも呆れともつかない微妙な表情を浮かべていた。
あれほどの眼に遭っていながら、またこの場所にやってくるとは余程の阿呆か、物好きしかいない。彰人に当てはまるのはどちらかと問えば、両方であろう。
『太陽の畑』へ行くと告げる相手に、慧音は考え直しやめるようにと諄々と説き聴かせはしたのだが、今度は彰人が聴き入れはしなかった。話の途中を無理やり頭突きで締めくくられたこともあったために。
慧音とて、理不尽な暴力を良しとはしていなかったが、彰人のことを考えての行動である。とは言え、手段が極論すぎるのも問題ではあるのだが。
後ろめたさを感じながらも、何かあっては事だと考えた上で、ならばわたしも一緒に行くと口にした慧音が同伴し、『太陽の畑』へと向かうことになる。その際に、慧音と幽香が顔を会わせた瞬間、どちらともなく不機嫌となり――一悶着起こしていたりするのはどうでもいい話である。
なおかつ、彼が『太陽の畑』を訪れた一番の理由というのは、壮麗なヒマワリたちを今一度見てみたいという、ただそれだけであったのだが。
「ところで」
未だ顔を覆い、うんうんと唸っている相手をいい加減見飽きた幽香は口を開いていた。
「ここの家主は、客にお茶の一杯も出さないのかしら?」
自己暗示が如く、ぶつぶつと呟いていた彰人ではあるが、己が耳に捉えた言葉を訊き返すべく、不思議そうな表情を浮かべて幽香へと向き直っていた。
「……ええと、客のつもりでしたか?」
「たった今、その気分になったところよ。わたしが思うことや、わたしが決めたことに関して、何か問題があるのかしら?」
「……いえ、何も」
彰人は曖昧に返答しながらも、胸中では問題ありすぎでしょうと呟いていた。無論、これほどの暴君に対して口には出さない。否、出せない。
相手の反応が面白いのか、嗜虐心に満ちた幽香は口元を吊り上げていた。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃない。加藤のことは、いい暇つぶし程度には気に入ってるのよ?」
「…………」
警戒するなとは無理からぬことだ。
幽香が口にした意味合いは、言うなれば『
だが――
玩具に飽きれば、滅茶苦茶にされるのが末路である。
それでも、その飽きた玩具で遊ぶとなれば、最後は『
言葉の中にどこか含みのある部分を感じ、彰人は僅かながらにゾッとする。
いつ『
紅魔館の大図書館で、彰人がパチュリー・ノーレッジへフランドールのことを話した時のように、先のことなどわかりはしない。策を講じたところで果たして望むようになるかも疑問である。いわば、なるようにしかならないのだから。
ある程度の手筈は整えておくべきなのかもしれないが、これからのことに思い悩み、毎日を肩肘張ったままでは疲れるだけであり、落ち着きもしない。
であれば、あれこれ考えたとしても、馬鹿らしく思えてしまっていた。思った上で……一応、彼は訊ねていた。
「……それは、人間扱いされているのだろうか?」
「さぁ、どうかしら? 詳しく聴きたい?」
「全力を以って遠慮させてもらいますよ」
「そう? 残念ね」
彰人の返答に、幽香は本当に楽しそうに笑っていた。
言われたからというわけではないが、お茶の用意でもするかと考えていたのは事実である。
今すぐ出しますよと一言断りを入れて、彼は立ち上がっていた。
「極力、美味く淹れますよ。茶菓子も貰ったのがあるんで、それもプラスでね」
「あら、殊勝な心がけね。言われるままにお茶だけ出してさっさと追い返すのだとばかりに思っていたのだけれど?」
「……さすがにそれはないでしょう?」
意地悪く応えた彼女の笑顔のはずが――
彰人にとっては、どこか少女特有の可憐さを感じていたのだった。