「はい、着きましたよ」
「すまない。助かったよ」
抱えていた手を離し、境内にそっと下ろした射命丸文に彰人は軽く礼を述べていた。
「守矢神社の祭神はクセのある御方たちですので気をつけてくださいね。では、頃合を見計らって迎えに来ますよ」
「帰りも送ってくれるのか? 随分と親切なんだな」
相手の申し出に、彰人は不思議そうな顔をしていた。よもや、帰りも運んでくれるとは思っていなかっただけに。
だが、鴉天狗は愉快そうに、にんまりと口角を上げていた。
「もちろんタダではありませんよ? そうですねぇ……お礼は、外の世界のお話で十分ですからね」
「ギブ&テイクってことか」
それぐらいならと了承し、文もまた後ほどと言葉を残し翼をはためかせていた。
微かに大気を震わせて加速する彼女は、疾風の如く――
幻想郷最速を自称するのは伊達じゃないなと感心させられていた。気がつけば文の姿は遥か彼方。豆粒のように見えたその姿も瞬く間に視界から消え失せていた。
「……さて」
一言漏らし、彼は守矢神社へ向き直っていた。広い敷地内――視界に建つ社殿。神域の入り口に一の鳥居、参道を進んで本殿近くに二の鳥居。
博麗神社とはまた違った厳かな雰囲気。鳥居に視線を向けながら、彼は感慨深げに見入っていた。
聴けば、元はこの守矢神社というのは外の世界に存在していたのだが、信仰が得られなくなったために神社本殿、ならびに神社近くの湖ごと幻想郷にやって来たという話を博麗の巫女が愚痴っていたのを覚えている。
妖怪からの信仰を集め、代わりに神徳を与え続けた結果、妖怪勢力の一定の均衡を崩してしまい、博麗の巫女と一悶着起こすことになってしまったという話も聴かされていた。
「毎回面倒くさいことしてくれる連中よ」
疲れたように呟く彼女。
ついでに、おかげで参拝客も失ったと文句を漏らしていたが、理由はそれだけではないだろうと彰人は口が裂けても言えなかった。
加えて、もとより参拝客の数が少ないことで有名な博麗神社にとって、今更礼拝者が減少したと言われてもなんら変わりはないのではとさえ思ってしまっていた。
極めて当たり前のことであるが、それらは思うことだけであり彰人の胸の内におさめられたまま。
「しかし、まあ……」
遊びに来てくださいといわれ、その言葉を鵜呑みにして来ている自分もどうかと思いながらも、彰人は首を傾げていた。
腰に手を当て、視線は社へと向けられる。
彼がここ、守矢神社に来る経緯としては大した出来事が起きたわけではない。
話は数日前にさかのぼる。
茶屋の縁台に腰かけ、甘味物を口にしていた彰人の視線がふととある箇所へと向けられていた。
視線の先に立つのは東風谷早苗という少女。
守矢神社に仕える巫女として、布教活動のために人里で熱心に説く姿を何度か見たことがある。
同じ信仰体系である『神道』の博麗の巫女はもとより、信仰する『対象』――思想が違うことで、『仏教』を教義とする命蓮寺の聖白蓮、『道教』を教義とする神霊廟の豊聡耳神子とはいわばライバル関係に当たると聴かされていた。
宗教というものは、信仰者の数が多ければ多いに超したことは無い。その分だけよりよく浸透し、教えが広がっていくことに意味がある。人から人に伝わり、目指す思想を理解してもらうために。
しかし、東風谷早苗や聖白蓮、豊聡耳神子であろうとも、考える根本的なところは皆同じである。どこの宗教よりも、多くの信者を獲得したいと日々精進している。
故に、日によって人里の大通りに立つ者が違っていたりするのだが。当然、目的は各々が布教する信者を増やすこと。
(信者を増やすってのは、まぁ、わからなくは無いが……)
茶を口に運び、彰人はそんなことを胸中で呟き思考にふけっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「カトーっ!」
朝も早くから、縁側を仕切る障子を蹴散らし、室内に転がり込んでくるのは封獣ぬえ。
「聴いて聴いてよ聴いてったら聴いてってのっ! ムラサのヤツったら酷いのよ! わたしなりに布教を手伝ってやってんのに『お前は邪魔だ。あっちいってろ』とか言うのよっ!? そりゃ至らないところもあるかもしれないし、自覚もある……でもでも、わたしだって悪いと思ってるから頑張ってるのに、そんな言い方って酷いでしょう!? 酷いと思わない!? 思う!? 思うでしょう!? 思うわよねっ!?」
「あー、とりあえず、まずはそのやかましい口を閉じろ。次に、倒した障子を元に戻せ。それと、何を当たり前のように俺のメシを食ってるんだお前は?」
一日の活動のはじまりとして、活力源と栄養を摂取するために用意した朝餉。
ご飯に味噌汁、生卵と漬物――
質素ではあるが、朝に摂る量にしては十分だとし、口にしようとした
ちゃぶ台に置かれていた箸を取ると、喋りながら米をほうばり、味噌汁を飲み、漬物を齧り、卵を割る。
「ん?」
箸を口にくわえたまま、小首を傾げるぬえに、彰人は呆れた声を漏らしていた。
「お前、逃げ出してきたのか?」
「逃げ出したわけじゃない。カトーにお願いに来たんじゃないの!」
「なんで朝から俺が怒られるんだ? 理不尽にも程があるぞ」
ぬえに布教を手伝ってと泣きつかれた際――嘘泣きであり、面倒くさいからという前提である――に、どうして俺が手伝わなければならないんだと訊き返してみれば、相手は真顔。だが、どうして今頃そんなことを言うのかと不思議そうな表情を浮かべていた。
「どうしてって、カトーは命蓮寺の入門者でしょ? よくよく考えてみれば、手伝ってくれてもいいじゃない!」
「……お前は阿呆か?」
些か頭のネジが抜けているぬえの発言に、彰人は嘆息を漏らさずにはいられなかった。
誰が何時何処で入門を口にしたものか。無論のこと、入門希望を申し入れたことなど一度もない。
彰人本人は否定しているが、どういうわけか、白蓮自身は満更でもなかったりするのが些か打算的過ぎる感が否めない。
人間と妖怪の共存を目的とし、分け隔てなく相対する容が白蓮の理想である。そのため、外来人とは言え、ぬえやマミゾウ――最近では紅魔館のフランドールや地霊殿のこいしにも同様に接しているという『姿』を彼女は知っている――に対しては当たり前のように振舞う彰人の存在というのは、興味を惹かれる逸材であったりする。
白蓮の思惑など知るはずもなく、彰人は何を馬鹿なことを言っているんだと問い詰めてみれば――
「だって、聖もそう言ってるし……」
「……聖さんは何を言っているんだ?」
口を尖らせるぬえを前に、彼は額に手を添え吐息を漏らすことしかできなかった。
「悪戯したのはお前だ。結果、怒られたのはお前だ。反省するのもお前だ。自業自得だろう?」
話を蒸し返すなと釘を刺すが――ぬえは居心地悪そうに視線を逸らしたまま。
「うん……それは、わかってるんだけれど……」
「…………」
人前に出るということに、彼女は抵抗が無いわけではない。
ぬえにとって、疎まれているということは慣れている。陰口を叩かれることなど造作もない。だが、それでも、正直に言えば身が持たぬのだろう。
白蓮のように、人間に説くことを得意とするわけでもない。
なにより、人間たちがぬえを――いや、正確に言えば白蓮と一緒に布教に精を出す舟幽霊たる村紗水蜜や入道使いの雲居一輪をも恐れている。理由は説明するまでもない。彼女たちが妖怪だからである。
片や足を止めて仏法に聴き入る者もいれば、片や足早に去る者もいる。
他者多様――
それでもぬえがぬえなりに頑張っていられるのは、
白蓮たちに混ざり頑張っている姿を見たことがある。ただ突っ立っているだけではあるが、それでも一緒になって約束事をきちんと守っているぬえに対しては純粋に称賛を送ったこともある。
「…………」
見れば、ぬえは茶碗と箸を手にしたまましゅんとしていた。演技でもなく、本当に落ち込んでいるのがわかる。
起伏の激しいヤツだと声を零すと、立ち上がった彼は未だ倒れたままの障子を掴み起こしていた。
そのまま――
「で? 今日も布教に出かけるのか?」
「……え? あ、うん。まぁ、ね……聖との約束だし」
ぽりと漬物を齧り、黙々と食事を進めるぬえを前にし、立て付けの悪い障子を直した彰人は背を向け息を吐く。
先までの態度はどこへ行ったのやら。雨の日に外に捨てられた仔犬のような双眸を見せられては、此方としても考えさせざるを得ないのだが。
いつの間にやら命蓮寺の信者のひとりにカウントされているのはさておきながら。
余計なことを口にしようとしている自分に気づき、同時に放っておくこともできずに要らぬ世話を焼こうとしている。
雨戸を開き、視線を向けた外は快晴。今日も一日暑くなるなと感じながら――
「先に言っておくが、俺が手伝ったとしても何もできないぞ。何の役にも立ちゃしないし、それこそ、ただ横に突っ立ってるだけしかできないしな。それと、そんなに長時間手伝うこともできないからな」
「……え?」
かけられた言葉に、ぬえは呆けたような声を漏らして顔を上げていた。
彰人もまた呆れた声を漏らし振り返る。
「なんだお前、手伝えっていうことで来たんじゃないのか?」
「あ、いや……その……うん、そうなんだけれど、その……断られると思ってたから」
「…………」
そんな顔をしていては、放っておくこともできぬだろうにと彼は視線を逸らしていた。
これが計算であれば
「まあいい。とりあえず、メシを食え。食べ終わったら命蓮寺に行くからな」
いずれにせよ、白蓮とは話をせねばならない。いろいろと、ではあるが。
ここに二ッ岩マミゾウと森近霖之助が居合わせていたのならば、間違いなくふたりは口を揃えてこう言うだろう。
「
「本当に、君は人が
頭の中に直接響いてくるからかいの言葉。だが、所詮は錯覚だと適度に流しながら出かける用意をするかと踵を返し――
「あの、カトー」
「なんだ?」
声に向き直れば、おずおずと茶碗を差し出すぬえの姿。
意味を理解できていない彰人へ、彼女は申し訳なさそうにぼそりと呟く。
「その、おかわり……」
「……少しは遠慮という言葉を覚えるべきだと、俺は思うんだがなぁ?」
腹八分という言葉も知らないのかと零しながら、彼は茶碗を受け取っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そんなこともあり、布教活動というものがどのようなことをするのかは――なんとなくではあるが――身を以って経験したので理解はしている。
一言で表すならば『大変』である。
「…………」
それらを思い出しながら、彰人は大通りを眺めていた。
先と比べて人だかりはなく閑散としている。ある程度の話はし終えたのだろう。早苗の表情もどこか満足そうだった。
(人の心を掴むには、意外と弁舌に長けているということか?)
早苗の布教活動によって、相応に信仰を得ているという噂も耳にしていた。
東風谷早苗と聖白蓮、豊聡耳神子の三人が手を組んでひとつの宗教を立ち上げたとしたら、それはそれは布教活動もすごいことになるだろうなと思わず馬鹿馬鹿しい絵空事を考えていた。あの三人に熱心に説かれては身が持たぬだろう。
つい、彰人は苦笑を浮かべていた。
と――
不意に、東風谷早苗と視線が合っていた。
唐突に眼を逸らすのもわざとらしくもあり、かくいうそのままにしておくこともできず、彰人は軽く会釈する。
相手も同じように倣いぺこりと頭を下げると――何の迷いもなくこちらへと歩み寄ってきていた。
「こんにちは、加藤さん」
「……どうも、守矢神社の巫女さん。布教活動とは御苦労なことだね」
「いえいえ、これがわたしの仕事ですから」
言って、早苗はふと、とあることに気がついていた。
「そういえば、加藤さんにはお話していませんでしたね。単刀直入にお訊きしますが、信仰している神さまはいらっしゃいますか?」
「は?」
眼を輝かせ、自己心酔したかのように、ぺらぺらと彼女は話し出していた。
(これは厄介な子に目をつけられたな……)
胸中でそう呟きながらも湯呑みに口をつけて彼。
実を言えば、彰人にとって、彼女――東風谷早苗は少しばかり苦手な相手であった。理由としては、見た限りは高校生ぐらいの女の子であろう。そんな年頃の少女が、こういっては何だが、宗教にのめりこんでいるのはどうかと考えてしまうからだった。
ならびに、この展開が予想できていなかったワケでもなかった。
「加藤さんは、幻想郷で信仰している神さまは居られますか?」
「……ここでって言うのは特にないけれど……どちらかと言えば、俺は仏教徒に分類される――」
「つまり、無信仰という訳ですね? ご存知のように、当守矢神社は二柱の神さまを祀っています」
「…………」
二柱とは説明されるまでもなかった。
はじめて彼女と出会ったときから、長々と説明を受けたために、彰人は守矢神社に祀られている祭神たるふたりの名等は当に覚えてしまっていた。
だが、はいそうですかと信仰者になるわけでもない。
同様の事を博麗神社の巫女にも言われており、命蓮寺の聖白蓮にも思想に関して説法されている。どちらも返答保留として与ってもらっているし、布教云々の話を上げられたのは白蓮が最初である。
ならびに、この幻想郷でいろいろと世話になっているのは博麗の巫女である。それらの借りを受けていながら、自分が守矢神社を信仰するというのも些か筋違いであるし、博麗の巫女と白蓮に対してはどこか恩を仇で返しているような気がしてならなかった。
熱心に説明している早苗の声に耳を傾けながらも、相手の言葉が途切れた合間に彰人は声を割り込ませていた。
「……今すぐ返答というわけにはいかないよ」
「もしかして、もうどこかを信仰するように言われているんですか?」
「そういうわけじゃないけれど――」
「霊夢さんですか? ダメですよ! あそこの神社は『妖怪神社』と呼ばれているんですから」
「……えらいことをいうもんだなぁ」
妖怪神社、との言葉に否定できないところが辛いところであろう。事実、妖怪の類――主に鴉天狗や鬼が頻繁に入り浸っており、人里ではあの神社は妖怪に乗っ取られたという話をよく耳にさえしていた。
事実確認も兼ねて、上白沢慧音と森近霖之助にそれとなく訊ねてみたことがあるのだが、ふたりとも苦笑を浮かべることしかできなかった。
否定をしないということは事実であると納得せざるをえなかったのだが――
「その点、うちの神社は清く正しいものですよ」
「…………」
博霊神社と違い、守矢神社は清廉潔白だと豪語する。
だが、清く正しいという言葉を聴き、彰人の脳裏にはどこぞの鴉天狗のケタケタと笑う顔が瞬時に浮かび過ぎ去っていく。こじつけるわけではないのだが、哀しいかな、うさんくささが一気に増してしまっていたことは否めなかった。
「一度お会いすれば、お考えも変わると思います。神奈子さまも諏訪子さまも、おふたりはとても素晴らしい御方です。是非一度、守矢神社へ遊びにいらしてください。いつでも歓迎いたしますので」
「……機会があれば、うかがわせてもらうよ」
ランランと眼を輝かせ、むふーと鼻息荒く彼女に僅かに引きながらも、彼は適度に相槌を打つことしかできなかった。
そんな会話を交わしたことを思い出し、ならば実際に行ってみるかと思い立ったのが朝方。
適度に準備をして、事前に聴いた情報を頼りに向いはしたのだが、山道を黙々と進む途中で出会ったのが鴉天狗の射命丸文である。
彼女は自前の新聞のネタを探しに当ても無く幻想郷を飛び回っていたのだが、山道を歩く彰人の姿を見つけると瞬時に空を翔けていた。
「どうも、彰人さん」
「ん? ああ、射命丸さん」
かけられた声に足を止め、彰人もまた顔を上げて鴉天狗へと向き直る。
「ええ、毎度おなじみ、清く正しい射命丸です」
挨拶もそこそこに、くるりと宙を舞うと文は彰人の前へと回り込んでいた。
「どこかにお出かけですか? この先に彰人さんが御用のある場所なんて無いと思うんですがね?」
そう言葉をかけながら、彰人の片手に持たれている風呂敷包に視線を向ける。文自身、この先にめぼしい場所など僅かしか思い当たらなかった。そのために声をかけた意味もあるのだが。
「ああ、守矢神社にね」
「…………」
何食わぬ顔でさらりと応える外来人に対し、文は無言であった。
黙る相手に首を傾げる彼であったが――
「彰人さん、ひとつお訊ねしますが……貴方、守矢神社が何処にあるか、ご存知ですか?」
「山道沿いに登ったところだろう? ああ、ちょうどよかった。こちらからも訊きたいんだけれど、その神社ってのは、まだまだ先なのかな?」
「…………」
求めた答えにそわない言葉。文は自然と額を押さえていた。
「あの、彰人さん……失礼ながらひとつご忠告しておきますけれど、守矢神社は、この先も先、ずうっと先、『妖怪の山』の山頂付近にあるんですよ? 徒歩で向うにしても日が暮れてしまいますが?」
「……ん?」
「……わかっていて向っている……というワケではなさそうですね、そのお顔を見る限りでは」
「『妖怪の山』の山頂付近てことは……」
「ええ、多分あなたが想像していることは当たりだと思います。天狗の警戒網に完全に引っかかります」
警戒網と聴き、案の定かと彰人は苦い顔をする。
山に在る神社であれば、適当に山道を進めば着くだろうと甘く考えていたと応える相手に文は息を吐いていた。
「事前に下調べぐらいなさった方がイイかと思いますが……知らずにこのまま進んでいれば、間違いなく排除されますよ?」
「……それは厄介だな」
「そもそも、『外来人』のあなたが博麗神社ではなくて、守矢神社に用があるとは珍しいですね。何か急ぎの用事でもあるんですか? 信仰に目覚めたとかですか?」
そうであればネタになると文は手帖を取り出していた。
捏造はやめてくれよと告げながらも、彰人は頭を掻き返答する。
「いや、悪いがネタになるようなことでもなくてだな……守矢神社の巫女の子に今度遊びに来てくれと言われてね、それで足を運んでたってところだよ」
「ああ、守矢神社の巫女も『外来人』でしたね」
そう応え、文はふむと口元に手を当てていた。
しばらく黙考し――
「じゃあ、わたしが送ってさしあげますよ」
「……は?」
唐突な彼女の申し出に、彰人は間の抜けた声音を漏らしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さ、では行きますよ」
彰人の後ろに立ち、腰に手を回した文が密着する。
人間を『妖怪の山』の領域内に連れたりして、厳しいとされる天狗の縦社会は大丈夫なのか訊ねてみれば――
「バレなきゃいいんですよ」
したたか過ぎるにも程があるが、文はあっさりとそう応えていた。
「それに守矢神社に着いてしまえば、いい訳などどうとでもなります。帰りに関しては守矢の神々から直々に許可をもらっていると豪語すればいいんですから」
「そんなんでいいのか?」
「まぁ、正直なところ、組織に属するということは自分の意思だけでは動けなくなるということですがね。いろいろと制限がされてしまうのは事実ではありますよ」
背に当たるやわらかい感触を意識しないようにしながら、彰人は肩越しに振り返り声をかけていた。
「……振り落とさないでくれよ? くれぐれも、安全運転で頼む」
「言っている意味はわかりませんが、最速の名に恥じぬよう全力を以って守矢神社にお届けしますよ」
「いや、そうじゃなくてだな――」
彰人の台詞を遮り、文は黒翼をはためかせ地を蹴ると――瞬時にトップスピードに乗り加速する。
「…………」
視界は一変し、見渡す光景も斬新すぎた。
地に足が触れていないというだけで、心は酷く落ち着かない。さながら、安全装置の無い絶叫マシンといったところだろう。
恐怖心が全く無いわけではない。ばくんばくんと心臓の鼓動は高鳴っている。
反面、文の手を借りているとはいえ、空を飛んでいるというのは、童心に返るかのように興奮もしていた。
眼下に広がる森や山。それらを遥かに越える高さを何の障害も行く手にない。
普段見ることのできない状況からの景色、味わうことのできない状態。
恐怖と興奮による表裏一体――
「……すごいもんだな」
「何か言いましたか?」
抱える相手の耳もとに顔を動かして囁く文に対して、彰人はひとつ頷くと再び口を動かしていた。
「すごいって言ったんだ。さすが幻想郷最速と自称するだけはあるってな。最速を誇るその翼は本当にすごいもんだな」
「あやややや、そんな風に賛辞を受けるとは思いませんでした」
人間――『外来人』相手に褒められたことに文の声音に変化は無い。だが、背後をうかがう事のできない彰人は彼女の表情が照れたような顔となっていることに気づいてはいなかった。
「では、ご期待に応えるように、更に速度を上げましょうか」
「あ、すまん。それはやめてくれ」
幻想郷一、最速を誇るとは伊達ではないことを彰人自身、今一度思い知る。
疾風迅雷、電光石火――
射命丸文にこそ相応しい言葉だなと胸中で呟きながら、彼はその身に強い風を受けていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
徒歩で向っていたならば、文の言うように日は暮れていただろう。ならびに、妖怪の山の頂付近に存在するこの守矢神社は、山路中危険が全くないわけではない。天狗の警戒網の中をひとり歩いていたとしても、排除されるのが常であると聴かされていた。
それでも興味本位で足が向った一番の理由は、この神社の巫女、東風谷早苗という少女。彼女もまた外から来た人間、いわゆる『外来人』である。自分同様のお仲間が居るとなれば、話だけでもしてみたいと思うのは当然といえよう。
だが、そのための道中が予想以上に困難であるとは思いもしなかったのだが。前に山に果実を採りに行った感覚と同様程度にしか捉えていなかったのは浅はかすぎる。
「…………」
無言のまま、一度空に視線を向け……
「これは思っている以上に、厄介なところに来てるってことか」
考えるのも面倒だと判断すると、文には相応の礼をする必要があるなと胸中で呟き……参道を進む。
賽銭や弊物を捧げる拝弊殿――
神社の各種の業務を司ったり巫女が待機するための社務所――
絵馬やおみくじ、お守りを頒布する授与所――
祈祷済みのそれらを括りつけるためと思われる御神木――
とりあえず、せっかく来たからには賽銭でも入れていくかと彼は賽銭箱の前に立っていた。手にしていた風呂敷包み――手ぶらで来るわけにも行かず、土産として人里で酒や菓子といった適度に見繕った品々である――を置き、財布を取り出し小銭を確認してみれば……幾枚かの貨幣の中に、五円玉が在るのを見つけていた。
金銭に関しては、外の世界のものと幻想郷のものとでは分けていたつもりであったが見落としていたのだろう。然したる意識をせずに彰人は五円玉を摘んでいた。
宙に放り、今一度硬貨をその掌に掴み握ると――
ご利益を得るために、外の世界とこちらの貨幣とどちらが良いのかと悩んだ末に、両方入れておけばどうとでもなるかと結論付けて金銭を投入していた。
「…………」
祈願することも特に思いつかずに二拝二拍手一拝し終えると、次に彰人の歩の先が向ったのは御神木だった。
恐らくは、当時の外の世界のままなのだろう。色あせ、風化した絵馬が目立つ。試しに数点手にとって見てみれば、書かれた文字もうっすらと消えかけているが家内安全、健康長寿、病気平癒といった言葉が読みとれた。
「…………」
はたして、常識が通じないこの幻想郷においては絵馬というものは役に立つのだろうかと素朴に疑問を感じていた。
古くは絵馬の本来の意味としては、神々の乗り物として奉納されていた馬が像となり、絵となり、やがては描かれる絵も馬だけではなくなり、今現在の形になったと言われている。
神社や寺に祈願をする際、または祈願した願いが叶ったときに奉納されているものではあるのだが、現代では願い事を書いて境内の絵馬掛けなどに吊るす形が一般的になっている。
言葉や文字というものには力があるとも伝えられている。願いを言葉や文字にすると叶いやすくなるということにおいて、絵馬とはいわば発展系とも呼べるものであろう。
特に、言葉とは声に出したとしてもすぐに消えてしまうものだが、文字にすることは言葉を形に残すことでもある。
「…………」
今一度考えて、彰人は別の絵馬を手に取っていた。
文字として書くことで、願いはさらに明確な形となる――
なれば、さほど間違いでもなく、逆に幻想郷であればその願いというのは叶い易いということなのだろうか。
金運招福の祈願でもして、外の世界で宝くじでも買って高額当選でもできれば御の字か、と俗なことをつい考えていたのだった。
と――
「……珍しいね。人間がひとりで居るなんて。
「……?」
唐突にかけられた幼い声音。顔を上げて周囲を窺うが――声はすれど姿は見えず。
はて、と首を傾げる彰人であるが、声は下から聴こえていた。
「何処を見てるのさ。下だよ、下」
「……下?」
言われるままに視線を落せば――
面白帽子をかぶり、ショートボブの金の髪。青と白を基調とした服装の子どもがひとり。
少女がかぶっているのも、正式には帽子ではなく『
「……お嬢ちゃん、こんなところにひとりできたのか? お父さんとお母さんはどうした? 一緒じゃないのか?」
文から聴いていた話の通りであれば、大人でも辿り着くのに結構な時間と労力がかかる。とても幼い子どもひとりの足でこの神社まで来れるはずも無い。
ならば、自分と同じように天狗にでも運んでもらったのかと周囲に視線を向けて見渡すのだが、生憎と自分たち以外に人影は見受けられなかった。
迷子、というわけでもあるまい。
「いや、わたしは――」
「ほーら、たかいたかーい」
幼女の脇を両の手で抱きかかえ、軽々と頭上へ持ち上げる彰人。
「あーうーっ、景色が高いよー」
きゃっきゃとはしゃぐ幼女であったが、しばらくしてハッと我に返ると彰人の手を振りほどき地に降り立っていた。
そのままくるりと向き直ると、不機嫌そうな『貌』のまま、無造作にも男のすねを蹴り上げる。
ごすと鈍い音が上がり、一際強く蹴られたことに彰人の口蓋からは声にならない悲鳴が漏れる。すねを押さえてうずくまる相手に頬を膨らませた幼女はフンと鼻を鳴らしていた。
「仮にも『神』を子ども扱いするとはどういう了見さ」
「……カミ?」
耳に聴こえた言葉に思わず聴き返し彼。
腕を組み、表情は不機嫌のまま視線を向ける幼女は頷く。
「そうさ。『しめすへん』に『申す』と書いての『神』。わたしは諏訪子。洩矢諏訪子。これでもれっきとした祟り神だよ!」
「ちんちくりんの神が――っうぉ!?」
台詞を皆まで言わせず、今度は逆のすねを蹴り上げる。
両足を押さえうずくまる彰人に、再度フンと鼻を鳴らし彼女。
「馬鹿にしてるのかい?」
「神……?」
つい呟きながらも彰人は眼の前の幼女を見入っていた。
洩矢諏訪子、という名は早苗から散々聴かされている祭神のひとりである。
見た目の姿が必ずしも内面と一致するわけではない。こと幻想郷において、人外妖怪類の連中にとっては、姿形など殆ど意味をなしはしない。
古明地こいしやフランドール・スカーレットがその例となるが、眼の前の少女も同様なのであろう。
「…………」
だが、にわかには信じられないというのが現状であった。想像していた姿形と大きく懸け離れた人物。特にわたしは『神』と自称してくる輩は、現実世界においての思考で言うなれば『頭の痛い人間』としか認識できないのが常であるからだ。
すねをさすり、痛みが若干和らぐと――
「ほーら、たかいたかーい」
馬鹿なことをやっているというのを十二分に理解していながらも、彰人は再度、諏訪子と名乗る幼女の身体を持ち上げていた。
「きゃー、景色が高いよー」
両手を広げてはしゃぐ諏訪子であるが、直ぐに表情は素に戻ると、彰人の顔を蹴り飛ばす。
鼻っ柱を強打され、苦悶に呻く彰人の手を再度振り解き、地面に降り立ち彼女。
「だから子ども扱いするなっていったろう? その頭の中は空なのかい、人間! 本気で祟られたいのかいっ!?」
「……その割には、ノリノリだったような」
「何か言ったかい?」
「いや、何にも」
赤くなった鼻をさすりながら視線を逸らす彰人ではあるが、諏訪子のジト眼は続いていた。
居心地悪く、頭を下げる彰人ではあるが――
「寺子屋の子どもたちを相手にしている感覚で、その、ついうっかり」
「……『つい』で神を子ども扱いするのはどうかと思うけれどねェ」
「その姿で言われてもなぁ。大いに説得力が欠けるんだが」
「あん? なにか言ったかい?」
ぎろりと睨みつけてくる相手に彰人は何でもありませんと応えることしかできなかった。
諏訪子もこれ以上は言うまいとしてか、息を吐き問いかけていた。
「姿形なんて些細なものさ。で、何か用かい、人間? わざわざ妖怪の山くんだりまで来たんだ。相応の用件なんだろう?」
そう言われてしまってはなんと返答してよいのか困る彼ではあるが、正直に答えるだけでしかなかった。
実はと前置きをして口を開く。
「此処の巫女の子に呼ばれて」
「
「かぜはふり?」
訊き返してくる相手に……どうにも会話が噛み合わない事に諏訪子は眉を寄せていた。
「アンタが言うところの、この守矢神社の巫女……正確には巫女ではなく、
「入れ違いか」
言われてみれば、本人に何時何時に訪れるという旨は伝えていない。いわば勝手に来ただけである。
根本的なこと自体から間違ったことに恥じりながらも応えていた。
「火急の用件なら、わたしが代わりに取り次ぐよ?」
「いや、用というほどでもなく、こちらのサナエという子に、良かったら今度守矢神社に来てくださいと言われたものでして」
「なんだいアンタ、茶飲み話のためにわざわざここに来たのかい。ご苦労なことだねぇ」
「鴉天狗の超特急便で、ですけどね」
ああ、それなら納得だよと応え――諏訪子の表情がふと変化する。
「アンタ、早苗と同じ
「?」
告げられた意味がわからず首を傾げる彰人にかまわず、諏訪子はひとり納得したように続けていた。
「『外来人』てヤツかい? 波長がそんな風に感じるよ。なるほど。わざわざ脚を運んで話に来たってのも納得だよ。同じ外の人間同士ともなれば、外の人間同士で募る話もあるわけだ」
立ち話もなんだと区切ると、彼女はくるりと彰人に背を向けていた。
「まあいいいさ、なら早苗もそのうち帰ってくると思うし、遠慮なく上がりなよ」
「ああ、いや……その、断りも入れずに来た身ですから……また日を改めますよ」
言って、彰人は手にしていた包みを諏訪子に渡していたのだが――
「いいからいいから。そんなの気にすることないよ。いいから上がりなっての。今、お茶を淹れるからさ」
自称『神』に茶を淹れられるというのもおかしな話であろう。
「神奈子ー、信仰の人間が来たよー」
「…………」
風呂敷包みを両手で抱え落さぬように――声をかけながら、ばたばたと忙しなく本殿の奥へと消える諏訪子に彰人は呆れるしかなかった。自分は信仰しに来たわけではないのだが。
彼の視線は一度宙へ彷徨い、再び社へと向けられる。
せっかくの厚意ならば素直に受けようかと考えると、彼は本殿へと歩き出していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
張り詰めたような空気。なんともいえない雰囲気。
彰人の視線は、室内に居るひとりの女性へと向けられたまま釘付けとなる。
正確には視線を逸らすことさえできなかった。それほどまでに、相手は威風堂々。
「…………」
無言のまま、しかし直感的に、なるほどと彼は思ってしまう。
これが神という威厳、貫禄なのか、と。
人間である彰人でも、相手から発せられる妙な違和感をその身に受ける。大妖である風見幽香や八雲紫ともまた違う雰囲気を感じていた。
紫がかった青髪。赤い半袖の上着を羽織り、その下には白色のゆったりとした長袖の服を着ている。
臙脂色のロングスカートに加えて、裾は赤色。
なによりも異様であり、威容を誇るのは、その背中に複数の紙垂を取り付けた大きな注連縄を輪にしたものを装着している。
よくよく見れば、小さな注連縄も至るところに見受けられる。まるで冠のように頭に付けてた注連縄には、右側に赤い楓と銀杏の葉の装飾されている。
首元、白い長袖と赤い上着の袖、腰回り、足首。
裸足に片膝を立て、女性――八坂神奈子もまた茶色に近い赤眼の瞳をこちらに向けていた。
「人間、我になに用か?」
厳かな声音でそう問い質されるのだが――
「いえ、特には何も」
「……は?」
「すみませんが、用といえば用ではありますが、特にこれといった用件があるわけでもなくて……」
歯切れが悪く返答する相手に対し、しばらくきょとんとした表情を浮かべていた神奈子は気を取り直したかのように問いかけていた。
「……信仰に来たのではないのか?」
ちらりと視線を諏訪子に向けて確認するのだが、彰人は苦笑を浮かべるしかない。
「生憎ですが、信仰のために伺ったわけではなく、こちらの巫女の方が自分と同じ外来人ということを聴きましてね。できれば外の人間同士、積もる話でもできればと思いまして」
その点で伺ったことで、他にこれといった理由は、すみませんがありませんと応える相手。
無言のままの神奈子ではあったが――彼女は彰人の話を聴いてはいなかった。信仰に来たのではない、という時点で意識は諏訪子へと向けられている。
そのまま――
「……諏訪子、ちょっと」
ちょいちょいと神奈子に手招きをされ、諏訪子は「なにさ?」と声を漏らして近づいていくのだが――
蛙を捕らえた蛇よろしく、瞬時に首に手を回された諏訪子は、神奈子によって頭を脇に抱えて締め上げられる形――いわゆるサイドヘッドロックの体勢をとられていた。
「ちょっと、話が違うじゃないのっ!?」
「んん~、なにが~?」
ぎりぎりと締め上げられながらも、諏訪子は気にした様子もなく、間延びした声音で、けろりとそう応えていた。
彰人から見た限り、ヘッドロックは完全に極まっている。神奈子の腕は明らかに諏訪子のこめかみと頚部を圧迫し、激痛を伴わせているはずだった。
「アンタが信仰に人間が来たって言ったじゃないのっ!?」
「あれ~? そうだっけ~?」
神さま気取りに些か高圧的な態度の自分が馬鹿みたいに思えて気恥ずかしさを感じたのだろう。やり場のない怒りの矛先を諏訪子へと向けている神奈子の顔は少々赤かった。
故に――
彰人の口からは小さな笑いが漏れていた。二柱の神の視線が向けられる。
「失礼、神さまと言っても照れるものなんだなと。案外、可愛いところがあるんですね」
「よかったね、神奈子~、可愛いだってさぁ~。そんな風に言われることなんて滅多にないもんね~」
「う、うるさいわね」
茶化す諏訪子を黙らせるために、一際強く腕に力を込めて神奈子は締め上げようとするのだが――
拘束されていたはずの腕からするりと容易く抜け出すと、諏訪子は取り落とした
十分な距離を保ったところでニシシシと意地の悪い笑みを浮かべ、笠をかぶりなおし彼女。
多少顔を紅くしたまま、行き場の失った拳を震わせていた神奈子ではあるが、諦めたように息を吐き出していた。
「その、なんだ……つまらないところを見せたね」
「いえ、お気になさらずに」
「……どうだ? 一献」
差し出される酒瓶ではあるが、彰人は丁重に断りを入れていた。
『神』に勺をされる機会など、そうそうあることではない。だが、目的は守矢神社の巫女に会うことであり、酒盛りに来たわけではない。
酒を呑んだ状態で巫女に会うワケにも行かず、更に言えば、幾らなんでもまだ日の高いうちから酒を呑む気など持ち合わせてはいなかった。
なによりも、土産に持参した品を自分が口にするのもどうかと考えていたこともある。
「せっかくの申し出は嬉しいのですが、ここの巫女さんに会いますので」
「固い人間だな」
一言漏らし、神奈子は杯を傾ける。
実に美味そうに呑み干して息を吐く相手を見るともなしに眺めていた彰人ではあるが、ここの連中はどいつもこいつも酒豪ぞろいかとどうでもいいことを考えていた。
(呑ん兵衛ばかりか、ここは……)
宴会好きが多いとも聴かされていただけに、であれば頷けることであろう。
「さて……ならば、早苗が来るまでの間、話でもするか」
杯を傾けた神奈子の視線が彰人へと向けられる。
「人間、お前は我らを知っているようだが、其の方、名はなんと言う?」
言われてみれば、名乗っていなかったことに気がついた彼は、ひとつ会釈し告げていた。
「加藤です。加藤彰人と申します」
「ふむ、カトウ、か。それで、カトウとやら……何処まで知っているか?」
「そうですね。おふたりのことは此方の巫女さんから耳にたこができるほど聴かせていただきました。それと、自分と同じように、元は外の世界の神さまであったということも」
「うん?」
外の、という言葉を聴き、ようやくして神奈子も彰人が『外来人』であるということを理解する。途端に凛々しい表情には温厚さが浮かんでいた。
「そうかそうか。早苗以外の『外来人』であれば尚更であるか」
「さっき、そう言ったんですが……」
「そうだったか? いや、なに、聴いてはいなかった。まぁ許せ」
言って、なにがおかしいのか、神奈子はひとりからからと笑っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
酒の入った神奈子は饒舌であった。彰人が持参した三本の酒瓶は既に呑み干され、畳の上に無造作に転がっている。
神奈子が口にしている酒は、奥の部屋から持ってきた物である。それも追加で一本や二本という数ではない。結構な本数を水のように呑み干しているにもかかわらず、全く酔ってはいなかった。
漂う酒の匂いだけで彰人にとっては酔いそうになる程だというのにだ。
そんな中、彼女が今まで押し進めてきた産業革命について熱く語られていた。
「
「確かに、外の技術を持ち込んで見せたとしても、理解してもらうのは難しいでしょうね」
「ふむ……お前もそう思うか?」
外の世界出身であり、外の高度な技術や科学知識を得ている神奈子は技術革命が好きだという旨を聴かされていた。
人里でいろいろと実験しているのだがと愚痴を零す相手に彰人は苦笑を浮かべるしかなかった。
「物事には順序というものがあるように、順を追って説明しなくてはなりませんからね。お世辞にも、幻想郷は外と比べて技術や科学は同等とは行きませんよ? そこに、外と同じレベルの知識やらなにやらを持ってきたとしても、困惑するだけですし」
「むぅ……」
人々にしてみれば、予備知識も持ち合わせていないところに眼にするものそれら全ては、いわば奇妙奇天烈であろう。
渋い顔をしながらも神奈子は彰人の声に耳を傾けていた。
「例えば、より速い新幹線の車両を造ったとした場合、自分たちにとって見れば新幹線というものがどういったものなのかという根本的な所を理解してますよね? 極端な解釈ですけれど、更に速い車両が造られたという事に対して、駅と駅の移動時間がより短縮されると理解ができますけれど、それがここの人たちであればどうでしょう? まず新幹線というものを見せても何も反応はないでしょう? 何故ならば、それが何であって、何のために使われるのかを知らないわけですから」
「う、うむ……」
「それが何であり、何のために使われるものであるか、どういった意味合いがあり、利便性があるかまで詳しく説明してからでないと、相手にとって見れば何が何やらわからずに、ただただ首を捻るだけですからね」
「確かに、いろいろと実験をして見せてはいるのだが、どうにも此方が求める反応は無くてだな……まぁ、河童たちには好評なのだが……あげくは『異変』扱いされる始末でな」
「…………」
なかなかに困ったものよと息を漏らす神奈子ではあるが、逆に彰人は黙考していた。
なによりも、彼が耳を疑ったのは神奈子の『山の産業革命計画』として地下に造られた核融合炉施設である。
神奈子の説明によれば――だが、それ以前に理解の範疇を超えていたのは、既に核融合炉施設を建設してあるということ、ならびに今現在も稼動しているという点だった。
核融合とは、21世紀半ばの実用化を目標に世界的に開発が進んでいる新しいエネルギーである。外の世界でさえ、実用化にはまだまだ時間がかかり、完成はされていないはずだというのにだ。
さまざまな問題が未だあるというのに、原子炉のような高レベル核廃棄物を出さないエネルギー源とされる核融合炉を幻想郷に造ったと言葉軽く告げられては、彰人は無言にならざるを得ない。
しかし――
彰人にとっては、いまいち理解できないことがある。それは、外の世界の『神』である神奈子と諏訪子が何故、この幻想郷にやって来ているのか、ということについてである。
『神』という存在であるならば、外の世界でも何の問題も無いのではないだろうか?
「…………」
疑問に感じたことをさり気なく彼は訊ねていた。
「ひとつ、いいですか?」
「なんだ?」
「不思議に思うことがあるんですが、あなた方は『神』なんですよね? であれば、幻想郷に来なくても十分外の世界でもやっていけるんじゃないですか? 産業技術や科学知識に関しても、此処と外では圧倒的に差がありますよね?」
「…………」
その言葉に――神奈子は無言。諏訪子も視線だけを向けていた。
しばしの静寂の間、打ち破ったのは神奈子であった。
「……信仰が薄れては、生きてはいけん」
杯に落していた視線を彰人へと向けると、神奈子は口元を吊り上げていた。
「人間――カトウと言ったな? お前は、ヤマトの神々を知っているか?」
『ヤマトの神々』との言葉を振られ、彰人は首を傾げることしかできなかった。
「……『ヤマトの神々』って言うのは、ヤマトタケルのことですか? であれば、他に知っているところであれば、スサノオ、タケミカズチにアマテラスぐらいなら名前は知ってますけれど……後は、イザ……イザナギ? イザナミ、といったところでしょうか」
日本神話に詳しいわけでもなく、比較的耳にしたことがある神とされる名前がわかるだけである。加えて、名前だけを知っているだけであって、その神々がどのような偉業、逸話ををもっているか事細かく知っているわけではない。
だが、神奈子にとっては相手の反応こそ求めていた『答え』でもあった。
「……それ、そのとおりだ。名も知らず、存在すらも知られておらぬ『神』であれば、ならばどうなると思う?」
「……知られていないっていうことでしたら、衰える、ということですか?」
「ふふ、それだけならば、まだいいがな」
神奈子の口ぶりからは、どうやら彰人の回答は半分不正解ということなのだろう。
違うのかと首を捻る相手に彼女は告げる。
「わからぬか? 答えは、消えるのみよ」
「……消える?」
「人間で言うところの『死』であるさ」
予想外の言葉に彰人の眉根は寄っていた。
「死? 神さまなのに死ぬんですか?」
「応。神というのは不老不死であると思うか? だがな、等しく死は存在するものよ。違いは肉体の『死』ではなく、精神の『死』であるからな。カトウ、お前が生きるために肉を食すように、我々神も信仰を生きる糧とする。肉を食えずに飢えて死ぬように、すべからく人々から忘れ去られた神に残る末路いは消えるだけでしかないのだよ」
「…………」
「外来人たるお前ならばわかるであろう? 外の世界の人間たちは、科学と情報を信仰しはじめてしまった。結果、神々への信仰心は失われ、次第に人間から信仰を得ることが難しくなってきた。言ったであろう? 信仰を得ることができなくなった『神』は消えるしかないと」
「ええ」
「我はそれを受け入れることができずに此処に来たのよ。『守矢神社を人間の世界から幻想の物とし、幻想郷で信仰を集める』という、まぁ、一抹の賭けではあったのだがな。神といっても万能ではない。人々の信仰にあやかることで存在することができる。信仰がなくなれば、存在している意味も無くなる」
言って、杯に口をつけて加奈子は酒を煽っていた。ごくりごくりと白い喉が嚥下する。
「…………」
呑み干し、空となった杯から口を離したのを確認してから彰人は問いかけていた。
「どうにも理解できないんですけれど、『神』っていうのなら、自身の力で信仰とかは如何様にもどうにかできるんじゃないんですか?」
彰人の反応は当然といえよう。文字通り『神』と名乗るのであれば、人間には想像のつかない不可思議事などいくらでも起こせるだろうと想像する。天地創造というのは飛躍しすぎであるが、信仰を集めることぐらい造作なことではないのだろうか?
そう捉えた上での発言である。
――が。
「そこだ」
指を差し向ける神奈子は良くぞ聴いたと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「話せば長くなるのだが、掻い摘んで要点だけを説明しよう。本来の神社において、祭神というのは複数居ると思うか?」
「…………」
本来であれば、なにかしらの事柄にあやかり崇め祀り上げる祭神というのは、その神社の名称に冠するものが多い。この守矢神社で言うなれば、洩矢諏訪子と名乗る彼女が正式な祭神であるのだろう。では、八坂神奈子という彼女の存在とはなんなのだろうかと疑問点が生じる。
諏訪子と神奈子、両二神を見比べるが、似てる部分は何処もなく、決して姉妹には見えなかった。
八坂神奈子を祭神名と冠する神社であるならば、この場合『八坂神社』とされるべきであろう。音読みと訓読みの違いという例にも当て嵌まらない。
だがこれは、あくまでも一例である。
神社の名称の付け方は、正に様々であるが、とりわけ、その中でも最も一般的なのは地名によるものである。
あげくは、神社名と祭神が一致しない神社も中には存在する。二柱神を祭神として祀らぬ神社が無いわけでもない。
それらを踏まえた上で、彰人は顎に手を当て応えていた。
「場合によっては、二柱だろうが三柱だろうが、存在する場合は存在するんじゃないでしょうか? それほど重要性があるのかどうかは正直わかりませんけれど」
「場合によっては、か。そうだな。そういう考えもあるだろう。だが、我の場合はちと違う。この神社はもともと諏訪子のものでな……まぁ、端的に言えば表立っては譲り受けたものよ」
「?」
いまいち内容が把握できない彰人は疑問符を浮かべるだけ。
と、今の今まで傍観を決め込んでいた諏訪子が苦笑を漏らしたまま説明の補足に加わっていた。
「はっきり言えばいいじゃん。つまりはさ、この神社……まぁ、いろいろと説明すれば王国とかも出てくるんだけれど、それらは割愛するとしてだ。もともとの支配者はわたしだったんだけれど、神奈子に攻められてね。戦いはしたけれど、神力差があって止むを得ず降参。後は全部、神奈子に任せて静かに隠居生活を送っていたんだけれどね」
言って、諏訪子はあっけらかんとしたまま茶請けに用意していた饅頭をもふもふと口にしていた。
「その戦い自体が祭神となったと?」
「早合点だねぇ。まあ聴きなよ」
何処まで話したっけと呟きながら、別の饅頭を手に取り諏訪子は続ける。
「要は、元からある信仰に対して、後から来た『神』もまた同じように
国を神奈子に明け渡したとはいえ、王国の民たちは、新しくやってきた『神』を受け入れはしなかった。
土着神として諏訪子が束ねる、祟り神――中でも嫉妬深く執念深いとされるミシャクジさまと呼ばれる祟りを恐れたからだと口にする。
予想以上のミシャグジさまの影響力を越えることが出来ない神奈子は諏訪子と交渉し、表向き実務を自分が取り仕切るとした一方で、実際には諏訪子がミシャグジさまの恐怖を持ってそのまま信仰され国を治める体制を続けていくこととなる旨を説明していた。
「神奈子を『山の神』としたのも、わたしの力だよ」
「…………」
無言のまま茶を啜り、彰人は酒を呷る神奈子と饅頭を口にする諏訪子に視線を向けていた。
(それにしても……)
湯呑みから口を離し、彼は独自に考察する。話を聴いている限りでは、ふたりは侵略と自衛の間柄であろう。
にもかかわらず、こうまで極々普通にしていられるものだろうかと考える。
片や国を奪った者、片や国を奪われた者……
言うなれば水と油のように相容れないのが普通であろうか。
「…………」
攻められたという言葉を聴いた上で、元は敵同士の間柄だったということは理解する。
しかし――
その割には、両者とも仲が良いように思えてならなかった。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、蓬莱山輝夜と藤原妹紅のようなギスギスとした関係のようなのかと想像したが、そうではない。こちらはこちらでまた違ったパターンなんだなと納得することしかできなかった。
「……要は、いろいろあったってことですね」
「そうさ。紆余曲折を経て、今にまとまったってところだねぇ」
「未練がましく、生き永らえていると思うか?」
諏訪子と神奈子、二柱神の声に――彰人は頭を振っていた。
「どうでしょうね……? その瞬間に直面しないとなんとも言えませんけれど、仕方がないと受け入れる場合もあれば、納得できないと拒否することもできるでしょう。他に方法があるとするならば模索するというのは、妥当な判断じゃないですか?」
そう応えていながらも、彰人は己の立場を当て嵌めてみた。
例えば、医者に余命幾許かと宣言されればどうするか。延命する何かしらの方法が在ると知ったならば、藁にも縋る思いで飛びつくだろうか?
だが、それでも助かる見込みがあるかどうかもわからないとすれば?
事実に直面せずにあれやこれやと想像するのは簡単だ。つまりはそういうことであろう。
と――
「神奈子さま、諏訪子さま、今戻りました――って、お酒臭っ!?」
とたとたと縁側を歩く音が聴こえ、ひとりの少女が現れる。
だが――
眼の当たりにした光景に、瞬時にその表情は一変していた。
畳の上に散乱する酒瓶の数々。
「また神奈子さまは昼間からお酒なんて呑んで!」
「さ、早苗っ!?」
ずかずかと詰め寄り、彼女は神奈子の手から杯と酒瓶をひったくっていた。
「や、やめておくれ、早苗っ! わ、わたしの唯一の愉しみを……お、お酒がないと、わたしとしても威厳がだな」
杯と酒瓶を取り上げられ、悪戯がばれた子どものように動揺する神奈子を見て、彰人のイメージしていた『神』という偶像はどんどん崩れていた。
彰人の存在に気づかぬまま、早苗は怒り心頭のまま言葉を浴びせ続けていく。
「呑むなとは言いませんっ! ですが、昼間から呑むのがいけないと言っているんです! 宴会の席とは違うんですからね! そんな屁理屈は通用しませんよっ!」
「うう……」
「神奈子さまっ! そんな威厳を保つためにお酒の力を借りるなんて情けないです! 普段通りにきちんとなさってください!」
早苗にまるで母親のようにきつく叱られ、神奈子はしゅんとうな垂れていた。
「こ、これには深いワケがあってだな……」
「お酒の力を借りないといけないワケとはなんですか! まったく……こんなに呑むなんて信じられませんっ! もう金輪際、神奈子さまにはお酒は断ってもらわないといけませんね!」
禁酒命令を告げられたことに、神奈子はびくりと身体を震わせると――瞬時に早苗にすがりついていた。
「ゆ、許しておくれ、早苗っ! わたしが、わたしが悪かったから」
「いいえ、許しませんっ! 今日ばかりは、ほとほと愛想が尽きました!」
「早苗ーっ!」
彰人から見た八坂神奈子というのは、醸し出される雰囲気から相応の威厳があると感じていた。
凛々しい貌、物腰。
正直に言えば、杯片手に振舞う姿は様になり、威圧を受けていたのは確かである。だが、それが嘘か真かはわからないが、酒の力を借りているというのであれば、『神』というのも案外愉快な性格をしているなと思わされていた。
事実、先まで彰人に見せていた態度はなりを潜め、早苗を相手におろおろとしている。
「災難だねぇ、神奈子は」
気楽に呟き、饅頭をぱくりと口にする諏訪子であったが――
能面のままぐるんと向き直った早苗の怒りの矛先は、今度は神奈子から諏訪子へと移行していた。
「諏訪子さまは諏訪子さまで、また勝手に食べて!」
早苗の挙動は一瞬であった。
口にしていた饅頭。さらには、お茶請けの器ごと没収されたことに諏訪子は非難がましい眼を向ける。
「あ、あーうーっ! まだ残ってるのにーっ! た、食べたいから食べただけなのに、なんでいちいち早苗の許可が必要なのさ! 早苗は横暴だよーっ」
「食べたいなら食べたいと仰ってくださいっ! 勝手に食べたことが問題なんです!」
「そ、そんなこと言ったって、早苗がいない時にお腹が空いたらどうすればいいのさ!」
「出かける前に用意しておいたお菓子は、お団子でしたよ!? なによりも食べる時間は守ってくださいねと告げたはずですよ! それなのにどうしてお饅頭を食べているんですかっ! 何処から持ってきたんですかこれはっ!?」
これ以上早苗を怒らせることは得策ではないと悟ったのか、慌てて諏訪子は話の矛先を無理やり変えていた。
「お、お饅頭とお酒は、お客さんがわたしたちに持ってきてくれたものだもんっ!」
「……お客さん?」
苦しみ紛れに、言うに事を欠いて何を口にするのかという表情を浮かべる早苗ではあるが、神奈子もまたこくこくと頷き声を上げていた。
「そ、そうだぞ早苗、お前に客人が来てるんだ。わたしたちは丁重にもてなしただけなんだよ」
「わたしに?」
告げられ、そこでようやく早苗は彰人の存在に気がついていた。
早苗の視線が神奈子、諏訪子へと向けられ、最後に今一度彰人へ向けられると瞬時にその表情はほころんでいた。
「そうだよ! 早苗がいないから代わりにわたしがお茶の用意したんだから!」
「わ、わたしも酒を貰ったとはいえ、逆に振舞うためにだな――」
だからわたしは悪くないと豪語する諏訪子と神奈子。
無言のまま早苗の視線は彰人へと向けられていた。どうなんでしょうか、と物語っているのがわかる。
「…………」
酒は神奈子がひとりで呑み、茶菓子は諏訪子がひとりで食べていた。彰人が口にしたのはお茶だけである。しかし、彼の視界の隅に映る二柱の神の懇願するような双眸がいたたまれなかった。
余計なことは言わないで口裏を合わせていた方がいいのかと悟ると、彰人は静かに頷くしかない。
「ええ、わざわざ俺のために用意をしてくれたものでして。せっかくですので頂きました」
お茶だけを――と、主語はあえて口にしなかった。
嘘は言ってはいない。
じっと見入っていた早苗ではあるが、そうですか、わかりましたと応えると、にこりと優しく微笑んでいた。
「ようこそ守矢神社へ。歓迎します、加藤さん」
「神奈子さま、諏訪子さま、お話は終わっていませんからね。後ほど、じっくりゆっくり、きっちりきっかりとお話いたしましょう。時間はたっぷりありますから」
視線すら向けず、微笑んだままの彼女の声音は酷く冷たさを含んでいた。
巧くやり過ごせたと思った神奈子と諏訪子は静かに呻き、首を縦に振るわざるを得なかった。
不意に――
「ところで」
ずいと詰め寄り、胸元で両の拳を握る早苗。鼻息もどこか荒かったりする。
「加藤さんは、ロボットアニメはお好きですか?」
「……ロボット、アニメ?」
「そうです」
何の前触れもない、唐突な問いかけ。
「…………」
彰人は僅かばかり視線を虚空に泳がせると、天井の梁を見てからまた早苗へと向けていた。
「……あの汎用人型とか、機動戦士とか言う類か?」
前者は社会現象を巻き起こしたアニメ作品であり、後者はいまだ新作が作られ根強いファンがいるというアニメ作品である。
彰人自身がロボットアニメに詳しいのかと問われれば、答えは否。あくまでも彼の返答によるところは、ニュースで知った情報と、子どもの頃に見ていた記憶が媒体でしかない。
早苗はうんうんと頷くと、己の両手の指を重ね頬に当てると、うっとりとした表情を浮かべていた。
その声音はどこか弾んでいる。
「そうですそうです! 前者は映画版もいいですけれど、テレビ版の残された謎を語り合うのも醍醐味ですよね! それに後者は、やはりなんと言っても初代じゃないですか! 原点となるあの作品があってこそです! ああ、幻想郷で、このような話ができる人に会えるというのは素晴らしいです!」
「…………」
変なスイッチが入ったのか、緑髪の少女は眼をキラキラと輝かせてペラペラと語り出していた。
やれ、あの作品のあの回の台詞がすばらしい。
やれ、あの作品のあの回の戦闘作画は神がかっている。
やれ、あの作品のラストはわたしなりにはこうだと思う。
やれ、あの作品の――
彰人にとっては理解できない内容ばかりだが、更には話をしているロボット作品の武装がどうだ、声を当てている人がどうだといった深く込み入ったと部分にまで進んでいく。
さすがに、彰人はついていくことができない領域だった。
「まあ、子どもの頃はよく見ていたな。割と……好きな方だったと思う」
呟く彰人ではあるが、早苗は聴いていなかった。熱心に語る彼女は独自の世界へと旅立っている。
「早苗、早苗」
「――ということでして、て――え? あ、え? はい? なんですか、諏訪子さま、今いいところなので、できれば後にしてほしいんですが」
「うん。早苗の好きな話に花が咲くのはイイことだと思うんだけれどさ、相手、引いてるよ?」
「……え?」
つい熱くなりすぎ話こんでいたという自覚はあるのか、早苗の視線は相手へと向けられる。
どういう顔をしていいのか反応に困る微妙な表情を浮かべる彰人――
「す、すいませんっ! わたしったら、つい……女の子がこんな話をしても、つまらないですよね」
恥ずかしくなり俯く早苗ではあるが、彰人は気にはしていない。
女の子であろうとも、ここまでアニメ作品に関して熱く語るということは、逆に言えば、それほどまでに純粋に好きだからなのだなと感心させられていたりもする。
「いや、そんなことはないと思うけれど、ただ、すまない。俺はそれほど詳しくないからさ、一生懸命説明してくれても、同意することができなくてな」
「すみません」
「だから気にしないでくれ。俺も少しは話に合わせられるようには勉強するから……今度、また聴かせてくれ」
「はい! そのときは是非。あ、ちなみに、わたしのおすすめは――」
「だからさ、早苗、それはもういいって」
再び熱く語り出そうとする少女の頭を、跳びはねた諏訪子がぺチンと叩く。
彰人は苦笑を浮かべることしかできなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
他愛も無い話――
歳の差はあれど、同じ共通点となる『外の世界』ともなれば、話など幾らでも繋げられていた。
やがて会話は守矢神社の信仰へと変わっていくことになる。
「神奈子さまは風雨の守り神であり、武運、五穀豊穣……諏訪子さまは土着神であり八百万の神。
「アラヒトガミ?」
聴き慣れぬ言葉に思わず彰人は訊き返していた。
『人間でありながら、同時に神である』という語義でも用いられ、多くは『その国の神話や宗教における神の血を引いている』または『その身に神が宿っている』と称される、若しくは称している人物をさす言葉である。
「『神』を祀る『人間』が祀られる事もあるんです」
「…………」
早苗の説明をきちんと理解したわけではないが、要は『生き仏』のようなものかと彰人はそのように解釈していた。
難しい話はよくわからないが、なんとなく把握できたのは、口ぶりからして早苗という少女も神奈子や諏訪子と同じように、何か特殊な力を持っているのだなということのみ。
普通の人間でもそんなことができるものなのかと胸中で呟いていたが、早苗は続けていた。
「霊夢さんと同じように、妖怪退治も生業としているんです」
「…………」
博麗の巫女と同じことをしているのかと感じながら湯呑みに口をつけていた。
「アラ、アラヒトガミ……? 神っていうのに妖怪退治も兼用してるってなると、意外と大変じゃないのかな?」
さらには人里で『神』自らが布教活動という営業までこなしているのであればいろいろと大変であろう。そう思い何気なく訊ねてみたのだが――
「いえ、それほどでもないですよ。それに、むしろ妖怪退治というものは愉しいですよ」
意外に返答された言葉。
「……たのしい?」
耳に聴き捕らえた言葉が引っかかり、思わず彼は訊き返していたのだが、早苗は頷き得意そうに説明していた。
「人里から害のある報告の妖怪や、事前に害を及ぼしそうな妖怪を退治して回っているんです」
「……ちょっと待ってくれ。実害の有る類はわかるけれど、その言い方だと、何もしていない妖怪まで手当たり次第に回ってるってことか?」
妙な違和感を覚え、手で制した彰人が今一度訊ねるのだが――
「ええ、そうですけれど……それがなにか?」
不思議そうに首を傾げる相手に、彰人は本格的に返答に困りながらも言葉を紡ぐ。
「相手が妖怪だからといって、むやみやたらに退治して回るというのはどうかと思うんだが……?」
「逆にこちらからもお訊ねしますが、加藤さん……妖怪に良いも悪いもないのではありませんか? そうは思いませんか?」
「……人間に害を与えず、静かに暮らしている連中も対象か?」
「場合によってはそうなりますね。今は大人しくしていても、何かの拍子に牙を剥いて人間に害を与えたらどうでしょう? 事前に退治しておくことに越したことはないんじゃないでしょうか? 人間は人間であって、妖怪は妖怪なんですよ? この垣根、隔たりは如何様にも履がえることはできません」
「…………」
この子の考え方は、一部は正論でありながら、一部は間違っている。
彼女なりの正義感があるのだろうが……
「命蓮寺はどうなる? 聖さんは妖怪や人間を平等とみなして対等に扱い共存を考えているじゃないか?」
「そこなんですよね。加藤さんは、本当に妖怪と人間が共存できるとお思いですか?」
「……できるできないでのみ応えるならば、できなくはないと思うけれどな」
「それはあくまでも理想です」
「理想を追うのは、悪いことかな?」
なぜか苛立つ気分を落ち着かせようと湯呑みに手を伸ばし口に含むのだが……次の瞬間に彼の理性は制御が利かなくなる。
「……確かに、命蓮寺は戒律などを科していますが、はたして守っている妖怪はいるのでしょうか? それに、紅魔館の方が脅威であると思いますけれど。今は大人しくしていますが、人間にとって危険であることには変わりありません。特に、妹とされる幼い吸血鬼は早めに芽を摘むべきだと思いますし」
「――――」
刹那――
今、この子はなんと言ったのか?
急激に感情が昂ぶりかけるが、あえて聴き間違いであってくれと自分に言いかけながら、彰人は問い返していた。
「摘む? 誰をだ?」
極力自制しながら言葉を吐き出しはしたが、己の耳にも聴こえた声音は酷く落ちついた響きを保っていた。
が――
「フランドール・スカーレット……いえ、命蓮寺で言えば、封獣ぬえも同様でしょう。前者は彼女が持つ『ありとあらゆるものを破壊する能力』があまりにも強力すぎます。後者は、平家物語で源三位頼政に射殺されたという怪物です。加藤さんも本来の『鵺』という言葉は聴いたことがあると思います。頭は猿、身体は狸、尾は蛇、脚は虎という得体の知れない――」
淡々と話を続けている彼女ではあるが、彰人はもはや聴いてはいなかった。
なぜならば、早苗の口から発せられた名前に、既に彼の理性の制御が失いかけていたからだ。
結果――
返答の変わりに、彰人の手に握られていた湯呑みが鈍い音を立てて砕けていた。
驚いた早苗の台詞が止まる中、握り潰した破片に指を切り、残った茶と鮮血を滴らせるが、構わずに彰人は相手を睨みつけていた。
「……なんだと……? 今、なんて言った?」
「え? あ、いや……」
「アンタ、人間か? それとも神さま気取りか? 自分は選ばれた人間だと上から目線か?」
「あの、わたしは……別に」
突然豹変する相手の態度に早苗は困惑することしかできなかった。なおかつ、いくら妖怪を相手に退治してきた彼女とは言え、純粋な怒りを露にする成人男性を相手には少女特有に萎縮してしまっていた。
相手からの威圧感に戸惑ってしまっていた。
「おいっ――」
ふたりの話を聴き入っていた神奈子ではあったが、会話の内容、方向性の雲行きが怪しくなったことに声を上げて割り込もうとするのだが、それを制したのは意外にも諏訪子であった。
黙って見ていろ、と『土着神の頂点』たる本領を発揮するかのような冷たい双眸。長い年月の付き合いでありながらも、実に何百年振りかに見る諏訪子の冷酷な眼に、思わず神奈子は背筋を悪寒にぞくりとさせながらも、それ以上動くことはできなかった。
二柱神の助けを乞うワケではないが、早苗の視線は周囲を彷徨うだけ。
勢いに任せて相手の胸倉を掴みたい衝動に駆られる彰人ではあるが、生き残った最後の理性がそれを踏みとどまらせていた。
「ずいぶんと愉快なことを口にするもんだな? 俺の聴き間違いだと思いたいところだが、フランとぬえを退治した方がいいと言ったのか? 人間のために?」
「……それは、大儀のために……神に帰依しない者を矯める為に」
「そんなのは、そっちの勝手な都合だろうが。ただ静かに暮らしてる連中にまで手を出す必要性なんてないだろう?」
「よ、妖怪は……信用できるかわかりません」
つい眼を逸らして返答する相手に――彰人は、ハンと鼻で笑っていた。
「アンタの言う神さまは信用できて、妖怪は信用できないってことか? 俺から言わせてもらえれば、どっちもどっちだがな。妖怪だろうが神だろうが、区別なんて大したことじゃない。ただ、人間と違うだけでしかない。それにだ。俺から見れば、そちらの神さまの方が遥かに胡散臭そうに見えるモンだがなぁ? 特に小さい方は何を考えているのか得体が知れない」
「か、神奈子さまと諏訪子さまのおふたりを、妖怪と同一視するというんですかっ!?」
遠回しに二柱神を侮辱されたことに対し、さすがの早苗も憤りキッと睨みつけるのだが、女子高校生ほどの年齢と思わしき相手に見据えられたとしても彰人は気にしてなどいなかった。
「アンタがふたりの神を侮辱されたと感じるのと、俺がぬえとフランを侮辱されたと感じるのとどう違う? それに、信仰がなくて消えかける『神』が妖怪の力を頼って存命してるって割には、随分とその妖怪を見下してる言い方じゃないか。はっきり言えば、妖怪のおかげで生き永らえてるもんだろうに」
「…………」
「片方では御機嫌取りのために妖怪から信仰を得てるクセに、もう片方では、その妖怪を蔑ろにして退治するのか? 随分とまぁ矛盾してるじゃないか。自分の傘下に治まらない類は排除するって考えか?」
「っ……それはっ、あなたの勝手な考えでしょうっ!?」
痛いところを衝かれ、苦しみ紛れに早苗はそう反論するのだが、彰人はあっさりと受け入れていた。
「ああ、そうだ。俺の考えを押し付けてるさ。だがな、アンタの考えを押し付けられるのも迷惑なだけでしかない」
「…………」
「それに言っておくがな、命蓮寺――特に、ぬえとフランが危険というだけで、アンタ一個人の意思で退治なんてしてみろ。ふたりに危害を加えた時点で俺は容赦しないぞ」
二柱の神の前だというが、もはや彰人にとってはどうでもよかった。神であろうが悪魔であろうが、そんなものは知ったことではない。
今は純粋に、眼の前の相手が気に入らなかった。
「悪い結果を招く可能性があるかどうかという、どっちつかずの段階で、ぬえとフランに手を出してみろ。アンタがお偉い神さまだかなんだかしらないが、叩き潰してやる」
それだけを告げると彰人は無造作に立ち上がり、踵を返し部屋を後にしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
本殿を抜け、鳥居をくぐった彰人の表情は浮かなかった。
息を吐き出し、女の子相手に自分は一体何をやっているんだという罪悪感に苛まれるだけだった。
口にするにしても、もっと他に言い方というものがあったはずである。それを一時の感情のままに、しかも女の子に対して恫喝紛いの態度はないだろうと、やってしまったことを今更ながらに後悔していた。
「…………」
今は少しでも早くこの場を去りたかった。足早に石階段へと向う彰人ではあったのだが――
「あんまり、早苗のヤツをいじめないでやっておくれよ。あれでも、あの子はあの子なりに一生懸命やってるのさ」
背後からかけられた声音に、既に彰人の怒りの溜飲は下がっていた。
「……まぁ、わかる気はしますけれどね。人里で熱心に布教してる姿は何度も見たことがありますし」
しかし――
だからといって、面と向かってフランドールとぬえを退治した方がいいと聴かされては、黙っていられるほど彰人は冷静ではいられなかった。
相手の心情を見抜くかのように、諏訪子は再度声をかけていた。
「アンタがあの吸血鬼や封獣とどういう関係で、どれほど仲がいいのかはわからないけどさ、そりゃ確かに、先の早苗の発言は決して褒められたモンじゃないけどさ、あの子はあの子なりに、あたしと神奈子のためにやってくれてるんだがね……許してくれとも、わかってくれとも虫のいいことを言う気はないよ。ただ、伝えておきたかっただけでね」
「すみません」
「律儀だねぇ。それに……謝るんなら、できればあたしじゃなくて、早苗にしてほしいところなんだけれど」
「……すみません」
再度謝罪を口にする彰人に対し、諏訪子は苦笑を浮かべるしかない。
とことこと歩み寄り、未だぽたぽたと血が流れる彰人の手を取ると、その傷口に布を当て巻きつけていく。
「まあいいさ。早苗にはあたしから言っとくよ」
「……彼女は?」
「神奈子が相手してるよ」
布で止血され、きつく締め上げられたことによって痛みに顔をしかめる彰人ではあったが、早苗を恐がらせたんだからこれぐらい我慢しなと諏訪子は告げていた。
「そりゃ配慮が足りず、一方的な考えになってしまいもするけれど……だから、約束するよ。あの子を……早苗を誤らせた方向には決して進ませないし、導かない。神の名にかけて、あたしと神奈子が責任を持つからさ……」
だからどうか嫌わないでやっておくれと告げると、諏訪子は頭を下げていた。だが、直ぐに彰人はその行為をやめさせていた。彼女に謝られるいわれはない。
奇しくも恰好は違えど、前に彰人自身が村沙水蜜に対して見せた姿と同じである。
「……神さまとの約束事であれば」
「おや? 今度は、子ども扱いしないのかい?」
「さすがに空気が読めないわけではないですからね」
苦笑を浮かべる彰人に諏訪子も頷いて見せていた。
「さっきのあんたの言葉だが……都合のいい建前さ。あたしらにとっては得となるが、あんたら人間にとっては得にはならない。主に信仰対象となるのは山に住む妖怪連中さ。天狗や河童が特にね」
「…………」
「人間を信仰対象にしていないわけじゃない。人間は
「…………」
「重ねて言うけれど、頼むから、嫌わないでやっとくれよ」
ばんと『外来人』の背を叩き彼女。
「……ええ」
そう応えると、彰人は諏訪子に背を向けたまま石段を降りていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……まだ居たのかい」
石段に腰を下ろして膝に両腕をつき頬を乗せて時間を潰していた彰人の姿に、諏訪子は呆れた声を漏らしていた。
神社から姿が見えない数段ほど下がったところに座っていた彼ではあるが、背にかけられた声音に振り返ることはしなかった。
「迎えの
「なんなら、室内で待つかい?」
「あんな態度をとった俺が、巫女の子とすぐさま顔を合わせるわけにもいかないでしょう?」
ひとりで下山してもよいのだが、途中で獣や妖怪の類に襲われても面倒である。
そのため、大人しく迎えの
「随分とまぁ、締まらないねぇ」
「いやはや、まったくです……」
諏訪子の冷めた指摘に、彰人は決して振り返ることもできずに、ただただ、未だ迎えが来ない空へ視線を向けていた。