2030年 9月某日
全ての準備が完了した韓国軍は行動を開始した。
韓国海軍の主力艦隊である第七機動艦隊が演習航海と称して出撃、攻撃隊の発進ポイントへと向かった。
また、独島を旗艦とする揚陸艦部隊が第3艦隊に護衛され出撃した。
対馬と韓国本土の距離は陸上機や巡行ミサイル等でも問題はない程近いのだが、日本とアメリカに察知されるのを避ける為今回は見送られた。その代わりに第七機動艦隊からの要請があれば支援を行うこととされた。
第七機動艦隊はかつて第七機動戦団と呼称されていた機動部隊だったが、艦隊の規模が拡大したため数年前に名称を変更したのだ。
その戦力は軽空母2隻を中核としてイージス駆逐艦6隻、汎用駆逐艦12隻、フリゲート8隻を有し、これらの艦艇を二つの戦団(第七一戦団および第七二戦団)に別れて運用される極東アジアでも指折りの規模を誇るものであった。
この艦隊の総指揮を取るのは朴 丙仁(パク ヘイジン)中将(48)(第七一戦団司令官兼務)、朴は艦橋から自身の指揮する艦隊を見て、今回の作戦の成功を確信していた。
朴(倭奴(ウェノム)が対馬に置いている地上戦力は一個中隊程度、我が艦隊の前では紙切れも同然。後からノコノコと出てくるであろう平和に染まりきった彼奴の艦隊なんぞ我等の敵ではない。)
この時彼が想定している敵艦隊は東海(日本海)方面を担当する第三艦隊のみで他の艦隊のことは頭から抜けていた。頭の固い倭奴が他の区域から戦力を回すことはないだろうと考えていた。その判断が大きな間違いであることをこの時の彼は知るよしもなかった……
出撃した第七機動艦隊は欺瞞の為に二日程艦隊演習を行いながら攻撃ポイントへ移動、深夜の0100に攻撃隊を発艦させた。
発艦した攻撃隊はレーダーを掻い潜るために低空で飛行、そのため対馬のレーダーサイトがこの攻撃隊を探知した時は既に遅し、直後にレーダーが破壊された。
時を同じくして第3艦隊に護衛された揚陸艦部隊が対馬北部の港湾を目指して進撃を開始した。
しかし、此方はLCACを発進させようとしたところを日本側の巡視船に発見されてしまった。
巡視船は韓国の軍艦だと確認すると急いで管区に連絡しようとしたが、直後に駆逐艦「楊 万春」の砲撃をくらい撃沈された。
さらに偶然付近にいた日本の漁船に対しても彼らは攻撃を行った。
自分達が来た事をまだ日本側に悟られたくなかったのが主な理由であった。
無論、これが国際法に抵触することは韓国側も承知していた。しかし彼等はあえて黙認した。
日本が相手ならばどうせ口先だけの抗議だけで終わると考えていた節が彼等の中にあった。
攻撃隊がレーダーサイトと電波塔を破壊したことを知らせると輸送機が空挺部隊を投下していった。
攻撃を受けた対馬の各部隊は何とか体制を建て直そうとしたものの、その前に空挺部隊と上陸した部隊により殆どが制圧されてしまった。
幸いなのは通信端末と機密書類の破棄がな間に合ったことだった。
対馬の唯一の空港も職員共々あっけなく制圧されてしまった。
唯一、陸上自衛隊の対馬警備隊の大部分が山岳部に退避することが出来た。
対馬の陸自警備隊の隊員の殆どはレンジャー資格を持つ者で固められているため最初から施設の防御はあまり考えておらずこのような状態になることは半ば予測済みであった。
このため通信設備の破壊と機密書類を焼却するために残っていた司令官と一部の隊員を除き、大部分が対馬の森の中へ溶け込んでいった。彼等は援軍が到着するまで身を隠しつつ情報を収集、援軍到着後は後方撹乱および援軍の道案内をすることとされた。
その後も韓国からの攻撃は続き、北部の港湾は瞬く間に制圧。住民は拘束され公民館や学校へと集めれる事となった。
中には漁船で逃げようとした住民もいたが韓国軍は見つけ次第、射殺或いは撃沈していった。
二時間後、対馬の主要な港湾部の占拠が完了し、奪取した空港にC-130輸送機が着陸し、装甲車や地対空ミサイルが次々と運ばれ、各所に配置されていった。
また、北部の浜辺にはLCACがピストン輸送を行い、戦車、自走砲を陸揚げし、対馬の玄関、厳原港へは待機していた輸送船が接岸し、地対地ミサイル、ハープーン地対艦ミサイルを吐き出していった。
夜が明けた頃には対馬の防備が取り敢えず完成し、日の丸の旗が掲げられていた所には変わって韓国の国旗が掲げられていたのだった。
なろうで同じネタ書いてる人みたいに上手く書きたいけど、それが出来ない自分の未熟さよ……