没落モノクローム   作:紅音 総司

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1.命令

 悪の蔓延るこの現代――居心地はお世辞にも良いとは言えない。俗世に留まることを辞めた僕は、この表舞台から消え、静かに、人の邪魔が入らない場所に住むことを決めた。それはもう数年前の話だ。

 しかし、人の繋がりはそう簡単に消えない。それが良い事なのか、悪い事なのかはケース・バイ・ケース、と言ったところだろうか。それを決めるのはその人自身だが、ついさっき起こったことをどう思うのか、少し判断に戸惑うものがあった。

 

 それは一ヶ月前のことだ。

 僕のところに、ひとりの訪問者が来た。彼は昔からの腐れ縁というか、振り切ろうとしても何故か僕のそばにいる、そんな感じの人間だ。彼は僕に挨拶を済ませると、胸ポケットから出した一枚の写真を見せてくれた。

「どうだ、いい『商品』だろう?」と僕に営業用の笑顔を振り撒きながら見せてくれた写真に写っていたのは一人の少女だった。綺麗に伸びた黒髪に、まだ幼さが残る顔だが愛嬌のある雰囲気が十分に見て取れる。

「これは、何だ?」聞き返してやると、「商品名は『アリス』だ」と、意にそぐわない回答が返ってくる。僕が不満そうな顔を見せると慌てて説明を付け加えてくれた。

「……この地方から遠く離れた、とある家の娘だ。家主がどうやらハメられたらしくてね、富豪生活が一転、借金まみれになったそうな。それで、自分が貧しい生活をしたくないからって形見に自分の子を売ったそうな。……自分の富を求めて身体を痛めて産んだ子を売るとは、頭がイカれてるよ」

 返答に戸惑ったが、とりあえず「ああ、そうだな」と素っ気ない返事だけをしてやった。

「お前は娘が欲しくないのか?独り身のくせして、お前もいい年だろう」

「おいおい、よしてくれよ……俺は人に愛情を振り撒いたり、そういったのにはもう疲れたんだ。お前ならわかるだろう?」

 彼に諭されたが、もう、そういった人への信頼だとか、愛情だとか、心なんてものには心底うんざりさせられたのだ。騙し騙され、人を信頼し裏切られ……そうやって生きてきた過去と同じことはしたくないのだ。

 しかし、そう思っていた僕の心も、彼の一言で少しだけ揺らいでしまったのだ。

「家族ほど、お前に尽くしてくれる人間は居ないぞ」

 それは、僕にとって強烈に刺さる一言だった。さほど家族というものを知らない僕が密かに欲しがっていたものを、彼が持っていて、それを譲ってくれるというのだ。

「……お前は、つくづく話がうまいな」

「君に対してだけだ。弱点を知ってるからな」

「……そうか。お前のことだ、話は長くなるだろう?椅子に座ってゆっくり話そう」

 そんな軽口を交わしながら、部屋に招き入れたのち、一時間くらいだろうか……『アリス』について、話を聞いた。彼の『アリス』に関する話は、僕の過去を振り返らないだとか、親しい人間としかもう交流しないだとか、そういったちっぽけなプライドを打ち砕くには十分なものだった。

 昔からそうだ。彼のする話……特に『商品』に関する話は魅力的で、何かの魔力があるのではないかと思うくらいに話に吸い込まれてしまう。そのおかげで困らないだけの地位を築けたが、僕を困らせるようなことも起きた。

 もちろん彼の商品を買わなかったことも幾つかはある。だが彼はそれに漬け込んで、似たようなものをちらつかせて僕に買わせようとするのだ。

「……まあ、君は僕の上得意様だ。安くしよう。そうだな……、これでどうだ」

 数々のエピソードの後、そういって、彼は僕に数字が書かれた紙を見せてきた。それが『アリス』の値段というのであれば、彼女に失礼なほどに、自分の目を疑うほどに安く、僕は彼の顔を見なおした。彼は微笑むだけだ。

「奴隷を売るには随分と安くないか?俺はそこらの成り上がりとは違う」

「お前を見くびっている訳ではない。お前じゃなかったら桁を一つ、いや二つは上げてた。お前を思っての値段だ。俺は慈悲深いからな」

 冗談交じりに彼はそういって、一桁代の後ろに強くマイナス記号を書いた。どうやら、ここから値段を変える気はないらしい。それと同時に、買ってほしい――いや、買え、と強い意思も感じる。

「……負けたよ。いつものところに振り込めばいいかい?一括で払ってやる」

「君と一時間半も話した甲斐があったよ。それでいいから、よろしく頼むよ。きっかり一ヶ月後、服と一緒に持ってくる。いいかい?」

 僕は「ああ」と返事をして、席を立つ。長らく椅子に座っていたせいか、立ち眩みが襲う。慣れっこだが、あまりいいものではない。長らくの間これと向き合ってきたが、未だに慣れないものの一つだ。

 彼にいつものことながらも心配されるが、大丈夫だと返す。この時の彼がいつも以上に優しいのは、彼の『商品』を買った時のみだ。なんとも分かりやすい男だ。

「また一ヶ月後に会おう。それまでにまたいい『商品』に巡り会えたら、お前に一番に売ってやる」

「勘弁してくれ、俺を破産させるつもりか?」

「冗談だ。また会おう」

 彼はそういって、僕の家の扉を開けて出て行った。

 

 このような事があり、時間は午後の二時を少し過ぎた頃だが、僕の目の前には『アリス』がいる。揃えて切られた前髪に、フリル付きカチューシャ。黒のワンピースと白のエプロン、ロンググローブとニーハイソックスと、新品のメイド服が彼女には与えられていた。彼の「粋な図らい」らしいが、久しぶりに僕は彼に感心している。一方で当の彼女は、僕を恨めしそうに睨みつけるだけでずっと無言のままだ。売人に連れられて僕の前に来てからここ数分間ずっとこの調子で、会話すら難しい。埒が明かないと判断した僕は、自分から話しかけることにした。

「名前は、アリスでいいのか?」

 彼女は僕が話しかけたのに反応したのか顔を素の状態に戻しはするが口を開かず、こくりと頷くだけだ。試しにしばらくイエス・ノーで答えられる質問だけを選んで彼女に問いかけたが、頷いたり、首を振ったりばかりで、口を開くことは一度もなかった。どうやら喋ることすら満足にできないか、僕に不信感を抱いているか、のどちらかだろう。

 何かおかしいと思ったのだ。桁が明らかに違う。人格的に問題がなければ僕でも桁が2個増えていたに違いない逸品を、投げ売りかのような値段で売るものだから、裏があると思っていたのだが、そういうことだったか。これは不良品(ジャンク)だ。値段の安さと彼の話術に嵌められてしまった。質問によって少しずつ判明してきた身体や精神の未熟さにも、不安を隠し切れない。

「……まあいい。今日からお前は僕のメイドだ。何ができる?」

 苛つきながらも、今までの二択式ではない質問をアリスに投げつける。彼女は少し困った表情をしながらも、最後には観念した表情を浮かべ、小さな声で答えた。

「……掃除と、洗濯。ごはんは、作れません……」

 上流階級のお嬢様にしてはそこそこできる印象を最初は受けたものの、一番苦労する料理が出来ないのは少し困ったものだ。これから教えていくのも久しぶりの感覚で悪くないのかもしれない。

「わかった結構。とりあえず出来ることだけでいい。小さいことからでいいから、僕を助けてくれ。いいね?」

 アリスはまた無言で頷いて、返事の代わりとする。

「じゃあ、部屋を案内しよう。台所に客間、トイレにお風呂、そしてお前がこれから住む部屋もだ」

 彼女は必要な時以外は口を開かない。だが、僕の言うことに対してはきちんと反応を返す。だから、かろうじて会話が成立している。本当に最低限ではあるが、それが彼女にとっての精一杯なのだろう。

 僕が家のいたる設備や部屋を説明する時は、彼女は真剣な表情で構造や設備の使い方を覚えようとしていた。仕事をすることに対してはそれほど嫌々しているということはないのだろうか。

「最後にアリス、君の部屋に案内しよう。今日は疲れただろうから、もう休むと良い。明日からはしっかりと仕事をしてもらう」

 アリスは気持ちを口には出さなかったものの、安堵の溜息をついた。見ず知らずの人間のお世話係になるのだから、そういう反応はまったくもって自然だ。成長過程にある人間が、このような常人が体験しうることのないことを今からしようとしているのだ。何が起こっても不思議ではない、今から自分の身にどんな災難が降りかかっても仕方ないと思わざるをえない環境下では、溜息の一つや二つくらい許されるものだ。むしろ、溜息の一つで済んだことに今は驚きを隠せないでいる。

「ここだ。何かあったら、渡した電話で呼んでくれると良い。部屋は好きに使えばいい。……最後に、何か質問はあるかい?」

 どうせ首を横に振られるだろうと思いながらも聞いたが、予想通りそのままの返答が返ってきた。僕は「そうかい」とだけ言って部屋を後にし、短くも長く感じたアリスとのファーストコンタクトが終了した。

 

 アリスと屋敷の中で別れて三時間が経ち、陽も暮れてきた。

 そろそろ夕飯を考える時だが、今日からはアリスのことも考えねばならない。今日はすこしばかり豪勢に行くことにしよう――そう思いながら、アリスに持たせた携帯電話の番号に電話を掛け、買い物に行くから出るよう伝えた。

 アリスは玄関まで走ってきたが、そこでぴたりと止まる。靴を履き終わりさて出掛けようとする僕を凝視して、何か言いたげそうな顔をしている。

「何かあったか?」と聞いたが、やはり彼女から返答が返ってくることはない。しかし彼女の顔が紅潮していることから粗方の予想はつく。

「その服が恥ずかしいのか?」

 そう聞くと、こくりと頷いてくれた。確かに、今アリスが着ている服は外を出歩くには少し浮いた格好だ。だが、買い物にはついてきて欲しい。

「……その気持ちはわかるが、僕は君の余分な服を売人から買っていないんだ。我慢してくれ」

 なにか言いたげな顔を続けるアリスだったが、暫しの沈黙の後、それが無駄な抵抗だと分かってからは素直に頷いて、靴を履いてくれた。

 ――買い物に行くと言っても、そこまで遠くには出ない。車をしばらく走らせたところにある、古くからの友人がオーナーをしている創作料理店から余った材料を安く買い取るのだ。これから一緒に住むアリスには、そういったことをなるべく多く教えておきたい、そう思ってのアリスの同行だった。まあ、当の本人は車の助手席で顔を真赤にさせてそれどころではなさそうだが。

 とにもかくにも、僕は車のエンジンをかけて、その創作料理店へと向かった。車中で特に話が盛り上がるわけでもなく、アリスを店の中に連れてきたらオーナーには「ようやく、ですね」と安堵の声を掛けられ、二人前にしては多めの材料と、ケーキを二つもらった。いつもならデザートをくれる日は決まっているのだが、今日はその日でもない。

 きっとオーナーにとっては相手がどんな人で、どのような関係であれ、僕が人を連れて歩くようになったのが嬉しかったのだろう。僕が知り合った人間以外との交流を絶ってから年月が経ち、彼の言葉を借りるなら『人間らしい生活を送っていない状態』が打ち解けることを望んでいたのはあいつなのかもしれない。

「アリス、帰るぞ」

 アリスを呼んだ時、彼女は早めの夕飯を食べながら談笑する客達を窓越しにぼーっと見つめていた。家族連れ、カップル、老夫婦、友人……きらびやかなアクセサリーを付けた人も、街でみかけるような何の変哲も無い人も、そこには様々な人たちが楽しそうに食事をしていた。

「アリス」と、短くもう一度呼んだら、ハッ、と我を取り戻すかのようにこちらを振り向いて、僕の数歩離れたところまで戻ってきた。風景か、食事か、どちらに視線を注いでいたのか、あるいは別の何かなのか――僕にはすぐには分からなかったが、振り向く時に表情を変えていたのだけは確かに分かった。

 

 食事が完成したのは買い物から帰って二時間ほど後のこと、陽は既に落ちて半分に欠けた月が東からのぼった頃だ。台所と繋がったダイニングルームで向い合って食べる。食事と言っても特別なものでも何でもなく、ただのパスタとスープとサラダ。何ら周りの食卓と変わらない、一般的な食事だ。素材こそそこそこのものを使っているかもしれないが、高級品を食べる趣味は僕にはない。

「いただきます」

「……いただきます」

 僕に遅れてアリスも唱える。元々がお嬢様だっただけに、礼儀作法や、服の着こなしは最低限身についていたようだ。僕に対しては終始無言だが、挨拶だけはしっかりと行う。性格の破綻ではないとすれば、やはりアリスの過ぎた無口は僕への不信が原因だろう。売人の彼が「家主が謀略に嵌められて大量の借金を負った」と言っていたが、そうならば確かに合点がいく。なにせ、父親が騙されているのを間近で見たことがある人間なのだ。見ず知らずの僕を信じられないのも無理はない。

「……そうだアリス。ケーキがあるんだ」

 僕は、この距離感を埋めなければならない、いつもならそうは思わないのに、アリスに関してだけは、そう思ってしまい、彼女を試そうとした。

 アリスはパスタを食べる手をとめず、すすりながら僕の方を見る。

「ニコル……と言っても分からないか、さっきのコックから貰ったんだ。二つある。苺のショートと、チョコレートだ。どっちがいい?」

 また、イエスかノーかで答えられない質問をした。実物は冷蔵庫の中だから、指をさして選ぶこともできない。ただ、ケーキの種類を応えるだけで済むのだ。……が、僕の考えはそのケーキの如く甘かった。アリスは首を振ったのだ。「いらない」と、言ってみせたのだ。これは困った事態だ。

「いらない、ということかい?」と聞くとアリスはこくこくっ、と頭を縦に二回振った。無理やりイエスノーで答えられるとは思いもしなかったが、無理やりということならばこちらにも策がある。

「アリス、君は僕のいうことを何でも聞く。そうだろ?」

 何でも、と言った瞬間にアリスの身体がピクッと震え、彼女は恐る恐る、首を縦に振る。彼女の顔は与えられた料理を警戒しながらも頬張っているときの、少しだけ幸せそうな表情から、ここに来たばかりの時のような、不安に満ちたものに戻ってしまう。アリスの生唾を飲み込む音すら聞こえるほど静かになってから、次の言葉を発する。

「じゃあ、命令だ」

 意味もなく言葉と同時に僕は微笑んでみせた。そうしたら、アリスは流石に食事どころじゃなくなり、身を引いた。顔も蒼白になった。ここまで苛める気はなかったので、自分でやったこととはいえ少し可哀想に思ってしまう。これは早くネタを明かしてしまうほうが彼女の為だろう。

「僕はもうケーキが二個も頬張れるほど食べれないんだ。苺のショートを食べてくれ」

 一通り食べ終わった僕は食器を台所へと運び、そのついでに冷蔵庫に入れておいた二つのケーキを食卓へと持っていく。その間アリスはぽかーんとした表情でぼくの動きを追い、自分の目の前に白いクリームが塗りたくられたケーキが置かれるまでそのままの表情だった。食器とフォークが振れるカチン、という音を切欠にアリスの表情が変わり、深い二度目の安堵の溜息をついた。

 命令なので、僕に対して感謝の言葉はない。無理やり、ショートケーキを食わせているのだ。命令に対して感謝の言葉を述べるのはおかしなことだと、アリスも分かっているのかもしれない。

 だが、ショートケーキを食べるアリスの顔は、今日一番の笑顔だった。笑顔と言っても、それは満面の笑みとは遠く離れたもので、微笑みというほうが正しい。そうこうしているうちにもあっという間にショートケーキを食べ終えてしまうアリス。口についたクリームをナプキンで拭き取ると、信じられないことに、彼女の重い口が自分から、開いた。

「……何故、このような施しを?」

「施しではない。命令だ」

 僕は彼女が喋ったことに対してとっさに反応をとってしまう。もっと会話を吟味すればよかったと思ったが、これ以上会話を広げることももうできない。僕もアリスも、これ以上は何も言わなかった。

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