没落モノクローム   作:紅音 総司

4 / 5
4.失敗

 ふと時計を見てみると十二時前を示していた。昼食の時間だが、アリスはちゃんと掃除と洗濯を終わらせているのだろうか?

 そろそろここらへんの廊下を走り回る音が聞こえてもおかしくないのだが、やけに静かだ。

 本を読むのに集中していたから聞こえなかったのかもしれないが、それにしても不気味なほどに静かで、一人でいた頃と殆ど変わらないほどの雑音の無さが妙に気になった。

 変な予感がしたので部屋から出てアリスの様子を見てくることにした。廊下、リビング、キッチン、洗面所をはじめとして部屋を一通り見ていったのだが、屋敷の中には居ないか、すれ違ってしまったみたいだ。

 仕事に対して真面目な態度を取るアリスが仕事から逃げるということはあまり考えられないが、一つだけまだ見ていないところがある。

 僕は外にある洗濯場を目指し一旦靴を履いて玄関の先の扉を開いた。

 外に出て右に行き、しばらく歩いて建物の角を曲がれば洗濯場だが、そこにアリスはいた。だが彼女の様子はいつもと違い、冷静さを欠いたものだった。

 おろおろとしており、何かをしでかしてしまったような感じだ。アリスから感付かれない距離で見守っていたが、彼女は狼狽えるばかりで困っている様子だ。助けてやらないと彼女の次の作業にも支障が出るだろう。

「アリス、なにをしているんだい?」

 遠くから声をかけてみたところ、アリスはいつもに増して身体をビクつかせ、恐る恐るこちらのほうを振り返る。その顔は、最初に屋敷に来た時より僕を恐れているような、そんな表情をしている。

 世界の終わりのような顔をしてどうかしたのだろうか――そう思って彼女の周りを見てみると、地面に落ちて散乱した僕のシャツが数枚、彼女を取り囲っていた。状況を確認したと同時に、突風のような強い風が吹き、庭の木とアリスのスカートをなびかせる。

「……なるほど、風で飛ばされてしまったのか」

 アリスに近寄りながらそういうと、彼女は必死な顔をしてこくこくと頷く。今までの人生の中でもあまり見たことのない、命乞いや、その類の表情だ。

 首より下は石像にされてしまったの如く固まって、こっちが見ているのすらつらくなってくる。

「アリス。誰だって人は失敗する。僕も今までに失敗は沢山してきた。僕の服が汚れたくらいで、自分のお金を使って買った奴隷を手放すなんて、勿体無いことはしないさ」

 値段の問題ではないのだが、アリスにその話をしてもまだ理解は得られないだろうから、少しだけ奴隷主ぽく、しかし僕らしさは抜けないままで彼女に言った。

「御主人様……」

「……それとも、情け容赦無く怒ったほうが身の為になったかい?それはそれで、困るけどさ」

「え、えっと……今度は風が吹いても大丈夫なようにするんで……」

 意地悪を言ってみたら、アリスは心底困ったような顔で真面目に答えてくれた。あまりいじめるのもよくないので、程々にしておこう。

「さ、汚れたシャツはもう一度洗おう、まだ時間は沢山ある。洗濯機に入れ終わったら昼ご飯だ。いいね?」

 何かを追加で言われる前に、僕から口を開く。唯一の同居人がこんな調子では、僕も気分が下がってしまう。

「はい!」と威勢のいい返事を聞くことに成功したので、また一つアリスの成長が見れて満足だ。元気が出るように、少し料理も奮発することにしよう。

 

 

 

 昼食を済ませ、再び自分の部屋へと戻る。アリスは部屋掃除の続きと、洗濯のやり直し。

 終わり次第買い物に出掛けようとも約束しているし、何処へ連れて行ってやるかも考えておかなければならない。

 そういえば、昼食の時にアリスから少しだけ自身のことを聞くことができた。自分の本名だとか、身元だとか、そこまで重要なことではない。

「私、本を読むのが好きだったんです」

 ただ、これだけだった。彼女の言語は僕の喋っているものと同じな為、恐らくこちらの本だって読めるはずだ。

 どんなジャンルが好きなのかだとかは全く聞けてない。ので、今日は大きめの本屋に行って、彼女を知る切欠としてみよう。

 僕もそこそこ本を読むほうだが、生憎アリスに貸せそうな趣味のものはない。だいたいが勉強のためのものというのもあるし、それ以外も小難しく書かれた推理小説だったりと、少し読ませるには早い。

「ふぅむ……」

 暮らしている人間が二人となると気になることが多くなるという当たり前のことに気付き、ついうなってしまう。奴隷とはいえ、ほっとくわけにはいかない。

 おそらく奴隷というものを僕は勘違いしているのだと思う。でも、それはそれでいい。奴隷をどう使うかなんて、それは奴隷主の自由な訳だし。

 少しだけ綺麗になった本棚を見てみるが、時間をおいて見てみるとまだまだ埃は多い。アリスがここに辿り着くのがいつになるか分からないし、ここは一つ自分で掃除をしてみよう。

 その前に書類の処理……メールが新たに数件来てたのでそれの返信と、手紙に返事を書いてと……。今まではここに辿り着くまでに早くて15時と恐ろしく時間が掛かっていたので、改めて人手の重要性を感じる。

 無職となった僕に用事がある人というのは大抵決まっていて、マスコミがそれをほぼ独占している。一度表舞台に立った人間となると、その後も何かと動向を探られるもので、僕もその例外ではなかった。

 人の上や前に立つような器ではないと自分で分かったそのときから、そういったお仕事は全て断っている。沈黙を貫くという意味もあれば、再び舞い戻る理由を自分から消している過程の一つでもある。

 すべての出演依頼のメールにコピー&ペーストで返してひと段落。送った後からもしかしてそもそも返信しないほうがこういうメールが来ないのでは?と思ったが、試しにそれをやってこの家にアポ無し訪問をされて後悔していたことを思い出した。

 ゆっくり過ごしたいね……そうは思うがまだまだ安寧の時を得るには早いようで。

 メールへの返信が終わったところで本棚へと目を向ける。中に並べてある本の背表紙を見てみるが、読んだ覚えがあるかどうか怪しい本が数冊。

 忙しかった時にもらってそのままにしていたり、買ったはいいが読む時間が無くて放置していたり、途中で読み飽きたり……理由は様々だが、なんにせよ結末を覚えていないのが僕としては少し気になるところだ。

 考えを巡らせていたところに、アリスの足音が廊下から聞こえる。昨日と同じく、体力の有無を気にせず全力で掃除に力を入れているらしい。

 足音が遠くなったところを見計らって廊下に出てみる。午前中の失敗で少し気を落としていたりはしていないかなとは気にかけていたのだが、元気に掃除をしているあたり杞憂だったようだ。

 一応掃除ができているかの確認のため、客間に入ってみたが、正直僕が掃除するよりもきれいになっているような気がしてならない。早いだけでなく、質も悪くない。

 アリスがまだ僕のもとに来る前はどういう生活をしていたのだろうか。前までの僕と同じく、特に人を雇わず家族で家の管理をしてて、アリスも手伝いをしていた、とか。

「こりゃぁ……ちょっとアリスのことを見直さなきゃな……」

 ただの没落したお嬢様と思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 来たばかりで全くの無口だったアリスを不良品扱いしていたが、仕事に関してはそんなことはない。僕とアリスの間にある溝を埋めていけば、きっと彼女は素晴らしい人間になれるのではないだろうか。

 そんなことを思いながら、全速力で廊下を駆け抜ける幼いメイドを見ていた。

 

 

 

 時は流れ、只今15時を少し過ぎたところ。

 アリスに任せていた掃除と洗濯が終わり、これから外に出ようというところだ。

「さて、今から本屋に行こうと思う」

 アリスの眉がぴくっ、と揺れた。やはり興味は少なからずあるらしい。

「僕の言葉がわかるなら、おそらく字も読めて、読書もできるんじゃないかなってね」

 肯定の頷きを貰った。首を横に振られてもそれはそれで困るのだけども。

 昨日今日と働きが良かったので、賃金代わりに本を買ってあげようということだが、まんざらでもなさそうな感じなので一安心だ。

「さ、車に乗って。少し遠いが、きっと気に入ってくれるはずだ」

 彼女の顔は、無表情を貫き通しているように見えたが、少しだけ感情が外に漏れている、そんな表情をしていた。

 車に乗り込み、エンジンをかけて屋敷から飛び出る。そこまで時間がかかるような距離ではないのだが、そう嬉しそうな雰囲気を出されてはアクセルを踏む足に力が入ってしまう。

 少し荒くなっている運転に自分でヒヤリとすることが何度かあったが、事故になるようなことは無く、車を走らせること20分。目的地となる本屋に辿り着いた。

 車を降り、はやる足を抑えてアリスの様子を見ながら駐車場から本屋へと向かう。駐車場から店が遠くなければ、あと家から遠くなければと文句を考えてはみるがどうしようにもない。

 店のドアを開き、中へと入る。後ろにいたアリスもいつの間にか横に並んでいて、店の広さと本棚の高さに興味津々のようだ。どこへ向かうでもなく、とりあえず入口付近から離れながらアリスと話を進める。

「さてアリス。本が好きだと聞いてたから連れてきたけど、どういう本が好きなんだい?」

「えぇと……」

 右手の人差し指を額のあたりに置いて、思い出す素振りをするアリス。数秒考えたのち、彼女はとある小説のシリーズの名前を口にした。児童向けの小説で、僕でもわかるくらい有名なものだったため、探すのに苦労はしなかった。

「漫画は読まない?」

「あんまり、読んだことがないです……」

 なるほど、小説を中心に読んでいた、と……。とりあえずアリスが言っていた小説のコーナーまで辿り着けたので、どこまで読んだかを聞き、その続きから買うことにした。

「さてアリス。僕は自分の本を買おうと思う。退屈かもしれないが、ついてきてくれ」

「わかりました」

 自分の読む本も、ついでに買ってしまおう。アリスを長いこと退屈させない程度に、さっさと決めてしまわねば……。

 一人では無かった制限時間が今回はあるので、本を絞り込むことにする。とりあえず家に溜まっている本もあることだし、一冊だけにしておこう。

 見当がついたのでたまたま近くにいた店員に本のタイトルを伝え、在庫があるかどうかを尋ねる。店員は持っている端末を操作してしばらくした後、

「申し訳ございません、只今在庫を切らしておりまして……」と、言った。次回の入荷日も未定らしく、かなりの人気が窺える。

 ならば、と思い第二候補のタイトルを言ってみたがそれも売り切れらしく。第三候補まで行くと別にそこまで欲しいというわけでもなく、「ありがとう」と告げて場所を離れることにした。

 ただ、新刊を纏めたコーナーに行ってみると僕が好きな作家が新刊を出していたことに気付き、今日の一冊はそれにすることにした。遅筆の作家なだけに、新刊が出ていた事に素直に喜べる。

「よし、これにしよう。行こう、アリス……」

 アリスを呼ぼうと振り返ったら、彼女はある一点を集中して見ていた。

 新刊の文庫本のすぐそばにある、可愛く書かれた女の子や、スポーツに熱を入れている男の子、或いは魔法使いだったりと、漫画の登場人物がポップとして置かれている、新刊の漫画のコーナーだった。

 アリスはそれらを、ただじーっと見つめている。

「……気になるのか?」

「……ふぇ?!あっ……その……」

 余程気になっていたのか、反応がワンテンポ遅れた上に、僕にそれを悟られて焦っているのか顔が赤くなっているし、おろおろと落ち着かない様子だ。

 別に漫画の一冊くらい買い与えても生活が苦しくなったりはしないのだが、少し甘やかしすぎるような気がしなくでもない。

 でも、アリスの笑顔が、見れるなら……彼女に近づけるなら……。

「……わかった。一冊だけだ。好きなのを買ってあげよう」

「ほ、本当ですか!」

 言うと、すぐに勢いよく食いついてきた。しかもアリスの顔は真剣そのもので、「やっぱやめた」などと言おうものなら機嫌を悪くして掃除をサボったりするんだろうなぁ、と、しょうもない抵抗を想像して少しだけ一人笑いしてしまう。

「ああ。まだ一日と少しだけど、仕事を頑張ってくれてるからね」

 するとどうだろう。ケーキの時の比にならない、ここ一番の笑顔が見れた。物で釣ったとはいえ、アリスが初めて、笑顔を見せてくれた。その事実が、僕としては嬉しかった。

「……僕も、ずいぶん弱くなったもんだね」

 目を輝かせて漫画のコーナーを見渡すアリスは、無邪気に遊ぶ妖精のようだった。

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