没落モノクローム   作:紅音 総司

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5.挑戦

 本屋に行ったあの日から数日が経ち、僕とアリスの生活はそこそこうまく行っていた。

 彼女にとって初めての体験が多く、もちろん不慣れなことは少なくない、失敗だって両手ではとても数えられるものでは済まなかったが、別段それが許せないだとか、損をしたとかいう感情はあまり無かった。

 買った奴隷が成人だったり、ある程度別の場所で経験を積んでいたりしていたらこうはならなかっただろう。ずぶの素人で、まだ幼いアリスだからこうやって穏やかにしていられるのかもしれない。

 ——しかし、それはそれ、これはこれ。僕は彼女に対してたった一つながら、不満を抱えていた。

 

 時刻は四時を回ったころ、陽が傾き始め、西日の眩しさに思わず持っていた本から目を上げた。

「アリス、いつもの料理屋に買い物に行ってほしい。場所はもう僕が案内しなくても分かるかい?」

 畳んだ洗濯物を運ぶアリスの小さな背中に声をかけた。足を止め、首だけこちらに向けていつもの何を考えているのか分からない表情のまま返事を返す。

「地図があるので、なんとか」

 彼女には少し前に簡単な地図を渡して近くの店への買い物を任せるようにしていた。僕が買うべきものをメモに書いてアリスに渡し、それをそれぞれ馴染み深い店員に渡せばアリスにリスト通りのものを渡してくれるように事前に言ってある。案内はもう要らないようなので、アリスが帰ってくるまでは落ち着いて自分の趣味に没頭できるわけだ。

 そしてこうなってしまうと家から出る用事の半分以上が消えてしまったため、ただでさえ運動不足気味なこの身体が将来どうなるかなんて想像に難くない。

 おつかいの出発を見送る前に、僕はアリスに封筒を渡した。

「これは?」

「ちょっとした『小言』さ。店主に渡してくれれば笑ってくれるよ」

「……なるほど」

 口に出しては言わなかったが「趣味が悪いなぁ」と言いたげな顔と間の空け方だったので、顔に出てるぞ、と注意してやったらあわてて真顔に戻った。

「ま、とりあえず渡してくれればわかるさ。日が暮れないうちに帰っておいで」

「はい、行ってきます」

 車で数分なら、歩きで30分足らずと言ったところか。もし歩くのに疲れてしまっても、バスの運賃代を余分に渡してはいるので問題はないだろう。

 事前に連絡をしているとはいえ、あの店主がアリスに渡した手紙を読んだらどう反応するだろうか。

 うまいことアリスに言ってくれればいいのだが。

 

 アリスが帰ってきたのは5時を回って30分が過ぎようかというころ。西日もすっかり収まってしまい、外は電気の灯りがつきはじめていた。

「おかえり」

「……帰りました」

 帰りだけバスを使ったそうだが、それにしてはやけに帰りが遅かった。それが何故かというのはおおよそ知ってはいるが、わざとらしく聞いてみた。

「ずいぶんと遅かったね、アリス。彼の与太話にでも付き合わされたかい?」

「あぁ……えっと……、これです」

 アリスに持たせていた小さな鞄から取り出されたのは、ほのかに店の残り香がついた白い便箋だった。どうやら店主が僕宛に手紙を返してくれたらしい。

 どれどれとそれを受け取り、その場で封を切って読んでみる。

『偉大なる政治家様へ

 君がメールじゃなくてわざわざ筆で手紙を書くなんて雨でも降らすつもりかい?

 とにもかくにも、料理をアリスちゃんに教えるのは分かった。が、たまにはお前も俺の料理を食いに来い。それがアリスちゃんへの授業料だ。いいのを食べさせてやるよ。世の中は与え施す(ギブアンドテイク)という素晴らしい言葉があるから、お店で待ってるよ。

 アリスちゃんによろしくね』

 

「……なるほどアイツも考えたな」

 昔から商魂にあふれ、軽快な口ぶりと何にでも商機を見出そうとするあの男には感心するものがある。僕にはとても真似できない。

 

「アリス、料理は何日分受け取った?」

「3日分です」

「ならその1日後の4日後というと……、なるほど人があまりいない休み明けに食べに来いと。……気をつかってもらってるみたいだな」

 こちらにしてもらってる事に比べれば、安い対価だ。これで僕の不満が解決できるなら、混んでる店にすら出向けるくらいだ。

 

 僕がアリスに抱えている不満、それは『料理ができない』ということだった。料理以外の家事全般はできる。それはもちろん大いに助かるのだが、そこまでできるのなら料理もしてもらいたい、というメイドに対する当然の願いだった。できるだけ多くの仕事をアリスに任せて、僕は隠居老人よろしくのんびりと本を読みながら腹が空いたときにアリスの料理を食べる――なんと素晴らしく優雅で、自堕落な生活か。その生活を目指すためのレッスン代ならば別に痛くも痒くもない。そもそも彼女を買った金額は破格だし、アリスと過ごす日々は娘を育てているような感覚を覚えているからだ。

「……何も言わずにあの料理屋に投げて申し訳ない。僕もそこまで料理は得意じゃないから、彼に余すことなく教えてもらってほしい」

 ただ、やはりあらかじめ言っておいたほうが良かったかな、と思いそういうと、アリスは不思議そうな顔でこちらを見ていた。

「御主人様が奴隷の私に謝る必要なんてありません。本当は、料理もできるのが当たり前ですから」

 とあっさり返されてしまった。至極当然、そして正論中の正論だった。本当に僕に奴隷主は似合ってない。

「では折角ですから、今日は私が料理を作ろうと思います。ミートソースのスパゲッティです」

 じゃんっ、と僕に見せてくれたのは乾麺の束とミートソースが入った瓶。なるほどこれならアリスでも作れそうだ。

「茹ですぎないようにね。タイマーは冷蔵庫にマグネットでくっついているから、それを使えばいい」

「ありがとうございます、それでは早速」

 と言って足早に台所へ行ってしまった。見るからに張り切っているる。何かを覚えた時はすぐに実践すると定着しやすいと聞くし、ひとつも料理を覚えてくれないのではという心配は、ひとまず消えた。料理の幅は……これからの課題だろう。それこそあの店主の仕事次第だ。

 

 アリスが僕を呼びに来たのはだいたい15分後。パスタならそんなものだろう。

 台所に彼女と同じ小さな歩幅で、しかし多少の期待が抑えきれず、小さな見習いコックの先を歩きそうになる。

「今はまだ、簡単なものしか作れませんけど」

 一歩先に進んで案内してくれた台所にはミートソースのかかった、いたってシンプルなパスタ。

「ミートソースも作れるように、ってレシピを教えていただいたんです。味付けは……塩胡椒、コンソメ……あと…………あと…………」と指を折って数えてみるが思い出せないようで、しばらく考えてみるようだがそれには辿り着けず、ついに諦めたようで「……今日はお店で全部下ごしらえをしたので大丈夫です」とこちらを見ずに言った。声のトーンは落ちているし、今後が不安にしかならない。

「味は保証します。教えてもらった通りに作りましたから」

 全く説得力のない保証を頂いた。アリス、君は僕に毒味をしろというのかい。

(……まあ、仮にアリスのパスタが食べれない味だったとして、恨むべきはアリスではない、か)

 食べよう、冷めないうちに。アリスの言う通り、店で下ごしらえを全て行い、あの胡散臭い料理屋に教えてもらった通りに作ったと言うのなら、少なくとも不味くはならないはずだ。

 椅子に座り、フォークを持ち、さあ気合いを入れて。

 アリスが横で心配そうな表情を浮かべて僕の顔を覗きながら、一口。

「……ん。これは……」

 不味くない。いや、むしろ……うまい。

「お味は……いかが、でしょうか」

「むぅ……」

 いや、美味しいんだ。予想を超えるレベルで。反応が追いつかない。もうちょっと、「悪くないかな」とか「初めてにしてはいい出来だな」とか、そういう反応で収めるつもりだったんだ。

 しかし、これはそうは行かない。何を仕込んだ?何のひねりもないただのパスタとソースのはずだ。いつも食べているミートソースとはまさしく段違いだ。一体、どういう理屈で……さてはこれが女性の手作り……

「……さま。御主人様」

「ンっ?!」

 危ない。気が飛んでいた。アリスに呼ばれていなければ延々とわけのわからない思考ループに嵌っていただろう。

「いや……すまない。想像以上に、……美味かった」

「……!」

 アリスの顔が、綻んだ。彼女にとって、僕が言葉を発するまでのこの刹那は拷問のような永遠だったろう。珍しく彼女の顔が緩んだのも、緊張から解放されたからかもしれない。

「……僕の舌をよく知っている。あの店主に配分を教えて貰ったのかい?」

聞くと、アリスはこくり、と頷き

「『君の御主人様用に味を変えた』と」

 と教えてくれた。

 随分生意気な台詞だと思ったが、それは料理屋のものだとすぐに判断がついた。彼もまた、やり手のようだ。

「ふむ……にしてもアリス、一体どうやったらこんな味が出せるんだい?」

「それは、伝言があります。私は後から食べますので、食べながらでも聞いてください」

 御言葉に甘えて二口目を食べることにした。確かにアリスの言う通り、僕の舌にマッチしている。たまに食べる高めのパスタを食べているような感覚で……

……いや待て?何か嫌な予感を覚え、フォークが止まる。

「『こんなに可愛いメイドを雇う余裕があるくらいなんだ、きっと美味しい料理を食べる余裕もあるに違いないね!アリスちゃんの初料理記念として、とびきりの材料をプレゼントしたよ。材料が切れたら、お店に来る時に追加料金でちょうだいね』……だそうです」

「えぇ……」

 

 アリスがエプロンのポケットから出して読み上げた小さな紙切れには、その嫌な予感がそのまま書いてあった。

 えらく安いレッスン代だと思ったらこれだ。安いものにはそれなりの理由がある。世の中の事情をまさか友人にこんな形で教えられるとは思わなかった。やれやれだ。

「でも、これは店長さんの意地悪じゃないんです」とアリスは奴をかばってみせるが、あのオーナーの言いなりになった彼女が言ったところで一欠片も信用できないのは言うまでもない。

「奴隷の身で……こんなことを言うのは贅沢かもしれませんが、……私もたまには美味しい料理が食べたいです」

 ケーキを食べさせた時のアリスの顔を思い出し、うつぶせていた顔をふと上げると椅子に座ってパスタを前に僕の顔を真剣に見つめるアリスがいた。

 いつになく真剣な表情をするものだから、僕は観念して顔を上げた。

「アリス。君は奴隷という立場を本当に分かってそれを言っているのかい、と言いたいところだが……僕も実の所、あまりそんなことを意識せずに君の事を買ったからね。お互い様かもしれない。話は長くなるから、料理でも食べながら話を進めよう」

 台所に来た時からアリスもパスタを食べたそうにしていたので、とりあえず適当な理由をつけて食べさせることにした。多分言わないとずーっと食べないだろうし、話自体もそんなに改まってする話でもない。

「あの商人に、君を勧められた時、彼は何と言ったと思う?『娘が欲しいか?』だ。もう僕も若くないから、結婚もこの先できないだろうし、当然子を授かる事もない。人によれば――それこそ今までの僕みたいに、選んで独りでいることもある。……でも、あの商人は僕に『娘』を勧めてきたんだ。昔の仕事で人嫌いになった僕が、まだ人を嫌いになりきれていなかった証拠だ」

 アリスはパスタを食べながら僕の話を聞いている。自分で初めて作った料理に感動しながらも真剣に話を聞こうとしているので、若干変な顔になっている。

「アリス。君は私のよき奴隷で、娘だ。今回はあの料理屋にしてやられた感じはするが……娘の頼みとならば仕方ない」

「!」

 また一つ、アリスと約束をした。

 昔の僕ならば、生命活動を維持する最低限のラインをずっと保ったまま、質を上げようとなんて思わなかったのに。

 アリスは、僕を変えている。それが良いようにか、悪いようにかは分からない。だけど、今が一番幸せな事には違いない。そう強く感じた。




2017/7/11 文法間違い等により修正を行いました。
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