簪とのありふれた日常とその周辺   作:シート

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簪達はいない。一夏が本当に求めていた温もりというもの

 二月十四日。ついに当日。

 その日、一夏達男二人組みの一日は誰もが予想していた通りだった。

 二人とも朝から誰かと出会うたびにバレンタインチョコを貰っていた。簪や本音が予想していた通り、おもしろ半分のチョコや友チョコばかりだが、なにせIS学園は男子二人に対して、残りは全員女子という男女の比率。二人が今日一日で貰ったチョコの数は少なくても二桁以上と数が多かった。

 一夏は毎年のことなので平然としていたが、簪の彼氏は初めての体験なだけに嬉しい反面、それ以上にげんなりともしていた。

 しかし、それも放課後まで。放課後になれば、ほとんど皆渡し終え、すでに落ち着いたものとなっていた。けれど、一夏は違った。

 

「……」

 

 学生寮のロビーのソファに腰掛け、暗く神妙な面持ちでスマホを見つめる一夏。

 液晶ディスプレイにはLINEのアプリが表示されており、そこにはこんなメッセージが書かれていた。

 

『五時に学校の屋上で待ってます。どうしても話したいことがあるので来て下さい シャル』

 

 というメッセージがシャルロットから来ていた。

 今日、放課後までに一夏はたくさんのチョコを女子達から貰った。その中には当然、箒達もいた。改めて告白こそはなかったが本命の様な義理チョコを貰ったが、一夏のことを好きな五人の中で唯一まだチョコを渡してない人物がいる。それがシャルロット。

 おそらく会いにいけば、チョコを渡してくることは勿論。

 

『どうしても話したいことがある』

 

 この一文を見て、どんなことを話されるのか分からない一夏ではもうない。

 決して自惚れているわけではなく、今までのこと。何より、最近の一夏に対するシャルロットの行動から、確実に告白されているということを一夏はちゃんと分かっている。

 メッセージが来たのはたった今。既読がついてしまったので見てみぬフリもできないし、まして逃げるつもりなんてもの一夏にはない。

 これはいい機会なんだ。自分に向けられているシャルロットの想いを断ち切って、今の曖昧な状態にちゃんとしたケリをつけるには。

 そう分かっているが、一夏の表情は暗く浮かない。おまけに暗い溜息までついてしまっている。

 

「はぁ……」

 

 約束の時間、会いに行くしかないのだが気が重たい。

 しかも、五時までまだ三十分以上もある。五時ちょっと前には向かうつもりだが、早く行くにしても 、まだかなりの時間がある。ゆえに約束の時間まで暇という長い時間があり、その長さから気の重たさは尚更大きくなる。

 だからなのか、ついつい一夏は考えても仕方のないことを考え悩んでしまう。シャルロットに告白されても、一夏は受けるつもりはない。二股とかなんてもってのほか。どれだけ悩もうとも答えはただ一つ。振るだけだが振れば必然的に、一夏はシャルロットを今以上に傷つけてしまう。それも避けられない仕方のないことだと分かってはいるが、一夏はシャルロットが傷ついている姿をつい思い浮かべてしまうと、胸が痛む。

 

「割り切らないとな」

 

 胸は痛むが、今は割り切らなければならない。気持ちは変わらないのだから。

 一夏の心の中にいるのはただ一人。本音だけだ。

 これからのことは一夏自身の為だが、同時に本音のためでもある。

 このままは本音の為にもよくない。

 

「のほほんさん……」

 

 ふと彼女の名前を呼ぶ。

 本音は今日も生徒会の用事や簪の専用機の整備の手伝いなどで今一夏の傍にはいない。

 一昨日から一夏と本音の仲は何だかぎこちない。別に喧嘩したわけではない。いつも通り何気ない会話をしたり、一緒にいたり、お昼ご飯も一緒に食べたりしている。だが、いつもとは違う確かなぎこちなさが一夏と本音、二人の間にはあった。その原因を一夏は分かっている。

 一昨日、本音とシャルロットが言い争っていたことで一夏は責任を感じていた。そして、責任を感じるあまりに思い込みすぎていることも一夏はちゃんと自覚している。そんな一夏を本音は気遣ってくれたが、一夏はその本音の気遣いを遠慮してしまった。それが原因で、これ関連の話題をお互い無意識に避けるあまり、ここのところ二人の間にあるぎこちなさを作っている。

 

「甘えろか……そう簡単にはいかねぇよ、やっぱり」

 

 親友や本音に言われた『甘えろ』と言う言葉が一夏の脳裏に過ぎり、悔やむように言葉をもらす。別に本音の気遣いが嫌だったわけじゃない。むしろ、嬉しい限りだ。

 しかし、今回のことは自分のふがいなさが招いたこと。自分がちゃんとしていれば、本音がシャルロットにあんなことを言われなくてすんだ。一夏はそう後悔するから、簡単には気遣いを受け入れられなかった。何より、今甘えてしまえば、決意や決心が揺らいでしまいそうになる。

 だから、簡単には甘えるわけにはいかない。

 

「俺がやらなきゃならないんだ」

 

 声こそは小さいが、語気は強い。

 甘えてなんいれられない。本音の気遣いは嬉しいが、自分ひとりでやらなきゃ意味がない。

 自分がまいた種の責任は自分できっちり取りたい。取らなくてはならない。自分はそれが出来るぐらいには成長したのだと思うからこそ、一夏の中で自分がという思いは強くなり、余計に甘えられなくなっていく。

 

――というか今更、甘えろなんていわれてもどうしたらいいのか分からねぇよ。散々、甘えさせてもらっているのに。

 

 周りからはあれやこれやと言われているが一夏本人にしてみれば、別に甘えてないわけではない。不器用なのかもしれないが、一夏は自分なりに甘えているつもりだ。それが周りには伝わってはない。

 

――遠慮も……してない、はず。だから、これ以上甘えるっってもなぁ……

 

 どうしたらいいのか今の俺には皆目検討もつかない。

 散々甘えさせてもらっているのに、伝わってないってことは今のままでは全然足りないってことも分かっている。それが周り……特に本音には、遠慮しているように見えてしまっている。  それは悪いと思うし、のほほんさんに心配かけてしまっているのは不器用な俺のふがいなさに尽きる。

 

――こんな俺が、方法は兎も角、今以上にたくさん甘えるってなったら……

 

 そんなことを考えてきた時だった。ふと、一夏はあることを思い出した。

 昔。忘れもしない第二回IS世界大会『モンド・グロッソ』決勝戦の日。誘拐された自分を、姉である千冬が確実視されていた優勝すらなげうって、助けに来たくれたことを。

 そして、助けに来てくれた姉、千冬の凛々しく、強く、美しい姿を。何より、自分がどれだけ……。

 

「――」

 

 一夏の背筋に悪寒が走る。何だか恐くて仕方ない。

 不意に胸の内に浮かび始めた不透明な想いがどんどん強くなるのを一夏は感じる。それはまるで蓋をしたはずの箱の中から何かがあふれ出ていくよう。ダメだ。これはダメだ。急いで蓋をしなくては。箱の中身を外に出してはいけない。箱に堅く蓋をするかのように一夏は自分の体を強く抱きしめていた。

 すると、ふと一夏はあることに気づいた。

 

――なんだこれは……暖かい。優しい感じがする。とっても。

 

 自分を包む暖かさ。その暖かさは優しい感じがしてもとても安心する。

 まるで陽だまりのような暖かさ。その温もりは一夏を堅くこわばらせていた様々なものを優しくゆっくりと解きほぐしていく。何かがこみ上げてきている感じがして、このままじゃ。

 

「っ!?」

 

 瞬間、一夏は我に返り、後ずさりするように体を起す。

 

「きゃっ!?」

 

 驚いた声が上がり、声をした方を見れば、そこには一夏がよく知っている人がいた。

 

「のほほんさん……なんで」

 

 今まで一緒にいなかったはずである愛しの彼女が目の前におり、一夏は目を疑う。

 どうした彼女がここにと、不思議で仕方なかった。

 

「えっ……用事終わったから会いに。LINE送ったんだけど、返事なくてここならおりむーがいるかなって」

 

 言われて一夏はポケットにしまったスマホを取り出し、確認する。

 スマホには彼女の言葉通りの文面が送られており、納得した。

 

「ごめん……気づかなかった」

 

「それはいいんだけど……おりむー大丈夫? 震えてたけど」

 

 一夏は返事に困った。

本音の言葉から自分が震えていたことを自覚した。そして、さっきの温もりは本音が抱きしめてくれていたからだということに気づいた。すると、一夏は何だか気まずさを感じ、とっさに誤魔化した。

 

「ああ、大丈夫。何でもないって」

 

「何でもないってあんなに震えていたのに」

 

「いや、もう落ち着いたよ。ありがとな、のほほんさんのおかげだよ。それで会いに来てくれて悪いんだけど、これからその……シャルルに呼ばれてて、会いに行かなくちゃならないんだ。終わったら、連絡するよ」

 

 言って、一夏はこの場から離れようとする。

 嘘は言っていない。この後、シャルロットに会いに行くのは本当のことだ。

 だが、先程本音のメッセージを見たときに時間を確認すれば、約束の時間までまだ二十分近くあった。向かうにはまだ少し早い。それでも一夏は少しでも早くこの場から、本音の前から離れたかった。

 あの温もりはダメだ。今の自分にとって危険すぎる。せっかくの決心や決意が緩んでしまいそうになって、堅く蓋をしたはずの箱の中から、不意に胸の内に浮かび始めた不透明な想いがどんどん強くなっていく。いけないこのままでは。そう感じて一夏はこの場から一刻でも早く離れようとしたが、それはできなかった。

 本音に腕をつかまれ、一夏は立ち止まる。

 

「のほほん……さん?」

 

 無言で腕をつかんだまま俯く本音。

 表情は俯いているせいで一夏からは伺えないが、腕をつかんだ手とは反対の手はぎゅっとよく握られおり、心なしか震えている。

 

「……か……」

 

「えっ?」

 

「馬鹿ぁッ!!」

 

 抑えられない感情を吐露するように叫ぶ。

 顔を上げた本音は、瞳に涙を浮かべている。そして悲しむような、怒るような、悔やむような、様々な感情が入り混じった目を一夏に向けていた。

 叫び声は大きく、今まで一夏は本音のこんな大声を聞いたことは勿論、こんな風に感情をあらわにしている姿を見るのは始めてで思わず怯んだ。

 

「おりむーは馬鹿。大馬鹿だよ。今だってあんなに震えて辛そうにしてたのに、どうしてすぐ平気な顔をするの! おりむーはいっつもそうだよ。いっつも一人で何でも背負い込もうとする! 一人で全部が全部出来るわけないじゃない! 何でも一人で背負いきれるわけないんだよ!」

 

 抑えていた想いを全て言葉に乗せて言った本音は、静かに泣いている。

 

「おりむーが誰よりも人一倍責任感強くて『俺がやらなきゃ』って思ってるのも知ってる。分かってる。男の子だからって素直になれないのも、おりむーにしたら遠慮してないのもちやんと分かる。でもね……やっぱり、頼ってほしいよ。甘えてほしい」

 

 黙って聞く一夏。

 

「今のままじゃ辛い。おりむーと一緒になったのに結局、本当は何もしてあげられてないのが悔しいよ」

 

 涙を流しながらそう本音は言った。

 本音はただ悲しくて泣いているのではなく、悔しくて泣いてもいるのでもあった。

 今もこうしてすぐ触れ合えるほど近くにいるのに、あんなにも辛そうにしている一夏に強がられて、素直に頼ってもらえず、甘えてもらえずにいるのが辛い。何より、頼ってほしいと、甘えてほしいと口では言っているが、ただ少しだけ遠慮されてたからといって、それで二の足を踏むようになってしまい踏み込めないでいる。遠慮しているのは、本当は自分の方なのではないかと本音は感じさせられて、無性に情けなくて泣いている。

 

「のほほんさん……」

 

 涙でぐじゃぐじゃになっている本音に、一夏は手を伸ばそうとした。

 悲しみにくれている彼女を今すぐに抱きしめたかったけれど、一夏は迷っていた。

 今の自分がこのまま抱きしめても本当にいいのだろうか。抱きしめてしまうのは卑怯なのではないかと。

迷いから宙をさ迷う一夏の手。それを見て、本音はあることを思い出す。

 

『知らないのかもしれないね。甘え方も』

 

 いつの日か簪が言っていた言葉。

 

――違う。そうだ。私、ずっと決め付けてた。おりむーは甘えるってことをちゃんと知っている。ずっと一人で生きてきたんじゃなくてお姉さんという家族がちゃんといて、ちゃんと甘えてきた。だから……。

 

 本音は宙をさ迷っていた一夏の手を優しく包むと、そのまま抱き寄せて胸元で一夏の頭を抱くように抱きしめる。

 本音は気づいた。どうして一夏がこんなにも頑なに大して誰も頼りもせず、甘えもせず、何でも一人で抱え込むのか。どんなに辛くても泣くこともせず、平気な顔をして頑張り続けるのか。その訳を。

 そして、薄々気づいていたはずなのに一方的にずっと決め付けていたことを。

 

「甘えることが本当にどういうことなのか。本当に甘えるということが甘えた相手にどんな影響をもたらすのか、おりむーはちゃんと知っているからこそ甘えることが恐くなって臆病になってしまったんだね」

 

 その言葉は一夏の中ですっと綺麗に当てはまっていく。

 

――ああ、そうかもしれない。

 

 一夏は知らないわけではなかった。親がどんなものか知らないし、いないがそれでも姉がいる。家族がいる。

 家族がいるからこそ、一夏は不器用なりにでも甘えてきて、頼ってきた。だが、自分が甘えて頼るばかりに、姉にたくさん迷惑をかけてることも一夏はちゃんと分かっている。

 頼るということ、甘えるということが相手にとって重荷になっているのではないかといつからから感じてしまい、必要以上に頼ることが甘えることが恐くなって、臆病になって今の様になっていた。

 

「ごめんね、おりむー。私はずっと決め付けてきた。おりむーが本当に頼ることも甘えること知らないんだって。おりむーの一面一つだけ見ただけで、おりむーの全部分かったような気でいて決め付けてた。それなのに自分のことばかり悩んで、おりむーのことちゃんと見て考えられてなかった。こんな自分のばっかりの人になんか、頼れない。甘えられないよね」

 

 本音は謝りながらも、一夏を優しく抱きしめる。

 やはり、遠慮されてたのではなく、自分の方が一夏に遠慮させてしまっていた。傷つけていた。

 今更、こんなこと言っても仕方ないとも本音は思う。でも、想いは言葉にして伝えなくては伝わらないとも思うから、一夏を心の底から強く想うからこそ、本音の想いは言葉となってあふれ出す。

 

「おりむーが、いっぱいっぱい頑張ってるの知ってる。男の子だもん、簡単には譲れないものたくさんあるよね。でも、強がって無理してるのもたくさん背負い込んでるのも私知ってる。自分ひとりで皆を何もかもから守って助けようとして全部一人で頑張るだけなんだって……誰にも頼らないで……頼ろうともしないで。頼ってもいいのに……甘えてもいいのに」

 

 本音は出会った時から一夏の頑張りをずっと近くで見ていた。

 一夏のことを想う五人よりも近くそれでいて遠い場所で。恋人になってからはより近く。

 だからこそ、他人が気づけないようなことに気づくことが出来て、今回新たに気づくことが出来たことがあった。

 

「遅くなっちゃったけど私はようやく気づけた。だから、ここから私と一緒に始めよう。辛いは、辛いっていうの。甘えたい時は、めいっぱい甘えるの。頼ったり甘えたり、弱音吐くことは悪いことじゃないんだから。それにおりむーだけがそうするんじゃなくて、私もちゃんとそうするから安心して。約束する。おりむーがたくさん頼っても甘えてもそれは重荷なんかにはなったりしない。もう恐がらなくても大丈夫。もう怯えなくてもいいんだよ」

 

 まるで母親が幼い子供に言い聞かせるように本音は、とても優しい声音で言う。

 

「私達は付き合って恋人同士なんだから私には、ちゃんと頼っても甘えてもほしい。素直に甘えて頼ってもいいんだよ。何も気にすることなんかない。思ってることをありのまま言えば。私は柔なんかじゃない。彼氏のことぐらいちゃんと受け止められる。私がおりむーのこと受け止めるから」

 

 一夏を包む本音の抱擁が強くなる。

 それに連鎖するように一夏は無意識に本音を抱き返していた。

 本音はそれを見て、優しい笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

「お互い心から向き合って助け合っていこう。それが一緒になるってこと。傍にいるってことなんだから」

 

 一夏は抱きしめられながら、無言で静かに頷く。

 本音から送られた言葉の数々が一夏にとって今までのどんなものよりも嬉しかった。

こんなこと言われるのは初めてだ。友達にはもちろん、家族である姉にすらこんなこと言われたことなかった。自分の頑張りを認めてくれて、ただ甘えていいというわけではなく、一夏も納得できる妥協点もちゃんと教えてくれている。誰よりも何よりも自分のことをよく見ていてくれて、よく考えてくれていると分かる言葉。

 言葉の一つ一つは確信をついていてむず痒いくもあるが、全てその通りで、 むず痒さは次第に嬉しさに変わっていく。もう強がろうなんて思いすら湧き上がってこない。むしろ馬鹿らしいとさえ思う。

 またもう一度甘えてもいいんだと思わしてくれる本音の暖かい優しさ。その優しさが全てを溶かされていく。一夏を背負い立たせていたもの。一夏を頑なにさせていたもの。そして、胸に内に押さえ込んでいたものすら。

 すると、一夏に変化が起きた。

 

「あ、あれ? なんだ……よ、これ。ごめん、俺」

 

 一夏の頬に一筋の雫が伝わる。

 胸の内に押さえ込んでいた不透明な想いがどうしようもないほど抑えられない。

 

「涙が、嬉しいはずなのに止まらないんだ」

 

 自分が泣いているのだと自覚した一夏は、少しばかり動揺した。

 それに嬉しいはずなのに、嬉しくて涙が止まらない。こんなこと始めてだ。

 

「大丈夫。それでいいんだよ。泣いてもいいんだよ。今までどんなことがあっても弱音はかなかった。それどころか泣かなかったんだもん。もう我慢しなくていい。無理に強がろうとしてなくてもいい。私が許すから……」

 

 泣くことを躊躇う一夏を本音は慰めるようにそっと優しく頭を撫でる。

 一夏はその優しく暖かな手の温もりに安心を感じ全てを委ね、声もなく静かに泣いた。

 たくさん泣きながら一夏は、自分はこんなにも泣けるのかと思った。こんなに泣いたのはいつ以来だろう。誰かの前でこんな風に泣いたことどころか、姉である千冬の前でも泣いた記憶すらない。何だか始めて泣いた気がする。

 満杯になった水が更に吹き上がるように一夏の涙が溢れる。小さな箱に無理やり押し込めていた感情が外側へと止め度なく流れ出す。

 

「おりむー」

 

 静かにたくさん泣き続ける一夏を本音は優しく抱きしめ、落ち着かせるように撫でる。

 一夏は誰にも頼らず、甘えず、強がり続けて我慢して。そうしていたら、いつかしか泣き方どころか、甘え方すら忘れた気でいた。誰も彼も守れる強い『織斑一夏』を演じることで、自分を守っていた。

 だけど、一夏はずっと求めていた。この暖かな温もりを、頼らせて甘えさせてくれる人を。そして、母性を。

 本当は誰よりも一夏のほうが甘えたかった。甘えることを本当に知っていたから。

 

――やっぱり、一番甘えたかったのはおりむーのほうだったんだね。

 

 ひとしきり泣いた一夏はすっきりとした気分だった。

 胸のうちにあった迷いや悩み、それら全てが涙となって流れたよう。

 一夏は本音から体を起すと、泣いて赤くなった目元を拭い、気恥ずかしそうに笑って言った。

 

「ありがとう、のほほんさん。それとごめん」

 

「いいんだよ。これでもうひと頑張りできそう?」

 

「ああ」

 

一夏は力強く頷く。

 本音が何のことを言っているのか一夏にはすぐ分かった。

 一夏自身も頭の片隅に追いやられていただけで、忘れたわけじゃない。

 今日これで全てが全て終わったわけではなく、一夏にはまだやらねばならないことがある。

 シャルロットとの待ち合わせ。それを乗り越えなければ、本当の意味で二人はここから先には進めない。

 

「よかった。頼っても甘えても欲しいけど、ただそうさせてあげるだけが優しさじゃないって私は知ってる。頑張らない時は背中を押してあげる。頑張らないといけないのにへこたれてるなら、お尻ペンペンしてでも奮い立たせてあげるから、もう一頑張り頑張って」

 

 本音の言葉は、とても頼もしい。

 まるで強い母親の様な言葉だと、一夏は感じた。

 こんなにも頼もしくて強い、そして優しい最愛の彼女が自分なんだと思うと一夏は嬉しくて、気持ちが奮い立つ。彼女に恥じない自分でいたい。彼女に恥じない結果を今から掴みに行く。

 そう決意を締めなおした一夏は、今一度立ち上がる。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 一夏は本音に見送られながら、約束の場所へと向かった。

 




のほほんさんisGoD

一夏が求めていたのは母性であり、一夏が誰よりも甘えると言うことやその意味、それが相手にとってどうなるのか知っていたからこそ、臆病になってしまったという話でした。
そして、一番甘えたかったと言う話です。
この物語ののほほんさんは母性に溢れていますが、ただ甘えさせるだけの母性ではなく、必要な時はちゃんと頑張らせる背中を押す『オカン』的な母性を目指しました。

今回の話もまた『ラウラとの日々』や『【恋姫†無双】黒龍の剣』を書いている
ふろうものさんとの話で原案が生まれ、
『IS インフィニット・ストラトス ~天翔ける蒼い炎~』や『セシリア・ダイアリー』を書いている若谷鶏之助さんのアドバイスと協力で完成しました。
この場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございました!
両氏の作品、オススメなのでよければどうぞ。


それでは~
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