約束の時間である五時。
一夏は、約束の場所に指定された本校舎屋上へとやってきた。
屋外がある屋上は二月の冬風が静かに吹き少しばかり肌寒い。加えて放課後ということもあり、人影はある一人を残してない。
そのある人とは、シャルロットのこと。シャルロットは、屋上にやってきた一夏を見つけて、ぽつりと立ったまま静かに待っていた。
「よかった、ちゃんと来てくれたんだ」
「ああ。約束だからな」
「そっか」
二人は短く言葉を交わす。シャルロットは寂しそうな笑みを浮かべると、一夏の前にあるものを出した。
「まずは……はい、これ。バレンタインチョコ、一夏の為に作ったんだよ。ちゃんと食べてね」
「……ああ」
シャルロットから一夏が手渡されたのは、バレンタインチョコが入っているだろう紙袋。
笑みを浮かべて紙袋を渡してくるシャルロットを見て、一夏は一瞬受け取るかどうか迷った。だが、今受け取らなければ、話が始まらない気がして、何より会って早々シャルロットから逃げてる感じがし、大人しく受け取る。
一夏が受け取ってくれたのを見て、ホッとしたようにシャルロットは笑う。
そのまま二人の間に沈黙が流れそうになるが、沈黙になっては話しづらい。それに話の主導権ぐらいは自分の方でも管理しておきたいと一夏は思い、ゆっくりと口を開いた。
「それでシャルル、話っていうのは?」
「シャルルか……」
寂しそうにシャルロットは小さく呟く。
もう自分のことを一夏は、一夏自身がつけてくれたこの世でたった一つだけの特別な愛称である『シャル』とは呼んでくれない。そのことが今の今まで目を背けていた沢山の嫌な現実を突きつけられているようで胸が痛いほど締め付けられ、また自分の一夏との間には『友達』としての距離しかないようで嫌になる。
その距離をつめるように、シャルロットは唇を噛み締めてから言った。
「ねぇ、一夏」
シャルロットは一夏を見つめ、瞳をキッと細める。
燃え上がるような『本気』が、そこから感じられた。
「今の僕は何もない、何も持ってないけど」
「……」
「でもね、僕は一夏の為ならどんなことだって出来る。一夏の為にならどんな風にだって、一夏の望む僕にだって変われる。この気持ち、一夏への想いは誰にも……あの女にだって絶対負けない」
静かに、それでいながら力強くシャルロットは言う。
あの女……シャルロットが誰のことを指して言っているのか一夏にはすぐにわかる。
そして、シャルロットの一言一言が一夏には、とても重くのしかかる。
そう感じている一夏を他所に、シャルロットは告げた。
「一夏、好きです。僕と付き合って、恋人になってください」
一夏から目からそらすことなく見つめたまま、シャルロットの口から想いが言葉となってあらわれた。
気丈な表情を浮かべているが、内心不安なのが一夏にはすぐに分かった。
その証拠にシャルロットの瞳は一夏をしっかりと捉えているが、微かに不安げに揺れている。
「一夏が望むなら僕、どんなことだってする。一夏の為なら、僕の身も心、僕の全てを一夏に捧げられる」
「……」
「あの女……布仏さんのことだって、全て僕が忘れさせてあげる。誰にも文句言わせないくらい、最高の彼女になってみせるから」
言葉はしっかりとしているが、シャルロットの声は不安から震えていた。
告白。 予想してなかったわけじゃない。むしろ、予想としていた通りになった。シャルロットの言葉が一夏の胸を締め付ける。
真剣なシャルロットの姿は心から愛おしく思えた。
だが、それでも一夏が持つ答えは、一つしかない。
――……のほほんさん
刹那、一夏の脳裏に本音の顔が思い浮かんだ。
一夏の心にいるのは、ただ一人のみ。迷いはない。覚悟は今も変わらない。
どういう結果を招こうと、それは所詮、自分の撒いた種だ。それは、自分で刈り取るしかない。
一夏は、答えるべき答えをシャルロットへ告げた。
「ありがとう。気持ちは嬉しい。でも、シャルルの気持ちは応えられない」
「……」
「俺が好きなのは、愛しているのはのほほんさんだけだ。それは今も、そしてこれからも変わることはない」
「……ッ……」
シャルロットの表情が悲痛なほど曇る。
一夏の言葉、想いに嘘や迷いなんてものがないことをシャルロットは決して変わらぬ事実なのだと、認めずにはいられなくなる。
正直、今すぐにでもこの場から逃げだしたい。逃げだすことが出来れば、どんなに楽か。
しかし、ここで逃げれば一夏から、そして疎ましく思っている本音に対して完全な敗北を自分で認めているようなものだと感じてシャルロットは、逃げ出したい一心の気持ちを抑え、震える声で一夏に問いかける。
「僕じゃ……ダメ、なの?」
「ああ」
「……ッ。ね、ねぇ、一夏。僕がもっと早く告白していたら僕達は恋人同士になれてたのかなぁ」
一縷の望みをかけるようにシャルロットは言った。
こんなこと聞いてももう手遅れなことは認めたくないがシャルロットはもう分かっている。それでも聞かずにはいられなかった。あったかもしれない未来に恋焦がれるから。
しかし、一夏は。
「それもないよ」
即答だった。
「俺が恋をすること。誰かを本当に好きになるってこと、他人から寄せられている想いの数々に気づけたのはのほほんさんのおかげなんだ。のほほんさんと出合って、一緒に過ごさなければ気づけなかったことなんて沢山ある。シャルルの気持ちだってそうだ。のほほさんのおかげで気づくことが出来た。のほほんさんでなければ、ずっと昔のまま変わらなかった」
一夏は確信をもって言う。
例えシャルロットがもっと早く、それこそ本音よりも早く告白してきたとしてもそんな未来はない。
これは遅いか早いかの問題ではない。本音よりも早く告白してきても、どういう意味のものなのかなんて以前の自分では絶対気づかないと一夏は思う。例え説明されても理解できないでいるはずだ。今の様にシャルロットの気持ちを理解しない。理解使用ともしない。ずっと無自覚で無責任なまま。
本音だからこそ、自分は変われた。変わることが出来た。今みたいにシャルロットを苦しめることはないが、今の様に今まで気づかなかったたくさんのことに気づいて考えたりはしない。
そう思うからこそ一夏は即答した。
「……」
唇が切れそうなほど強く噛み締めながら、シャルロットは悔しそうな表情を浮かべていた。
「なら、どうして……」
「シャルル……」
「どうして! 一夏は『ここにいろ』なんて僕に言ったのッ!」
シャルロットは弾ける様に叫んだ。
「忘れたなんて言わせない!」
「この言葉だけが唯一の支えなの。お願い………傍に居てよ。お願い……お願いだから……僕を好きになって、愛してよ!」
「母さんが死んだ今、もう僕には誰も居ない。今更国になんて帰れない。帰ったところでまた昔みたいに父親にいいように使われて最後は捨てられるだけ。そんなの嫌!」
「僕には一夏しかいないの。一夏じゃなきゃ、ダメなの……ッ!」
「憶えてるさ。ちゃんとな」
忘れられるわけがない。
今でも一字一句、はっきりと昨日のことのように覚えている。
無自覚で無責任な昔の自分が言ったこと。忘れたくても、あの時の自分のことを一夏は殺したくなるほど憎くて忘れられない。
「大切な友達が理不尽な目にあうんだ。助けたいと思うのは当然だろ。シャルルにここにいて欲しいと思う気持ちは今も変わらない」
「だったら……僕と」
「でも、俺はシャルルの居場所にはなれない。俺にとってシャルルは友達だからだ」
ここまではっきりとしたことを言う必要はないのかもしれない。
だが今まで曖昧にしていたからこそ、はっきりと言わなければならないと一夏は決意した。はっきり言葉にしなければ、今のシャルロットには届かない。
言った通り、あの時一夏が言ったここにいたらいいという言葉に今も変わらない。
シャルロットが絶望すら通り越して諦観している姿を見て、シャルロットを苦しめているたくさんの理不尽が許せなくて、友として救いたいと思ったから。あの時、言ったのはこの思いからだけのこと。それ以下でもそれ以上でもない。
しかし、自分が思っている以上にその言葉にシャルロットは縋っていた。安心させてしまっていた。
安心していたのは一夏とて同じだ。甘い言葉をかけるだけかけ、安心して、代替案の一つすら考えてなかった。
そして自分の想い人に対する、シャルロットが抱いていた想いを知ってしまった今。
一夏は改めて、自分の犯した罪を実感していた。
結局、今シャルロットとの間に起きていることは全て、己の鈍さと曖昧さが、彼女の心を縛り付け……ずっと、立ち止まらせていた。こんな甘い言葉をかけてまで。
何をどう繕おうと、それが真実なのだと、一夏は深く痛感していた。
「――」
一夏の言葉を聞いてシャルロットは、言葉を失い動揺していた。
「フランスに帰れなくて日本にいたいのならいたらいい。シャルルが卒業後も日本にいてちゃんとした生活が送れるように俺が日本政府やIS委員会とかにかけあって絶対にしてみせる。それは約束だ。俺にはそれができるから」
自分には何かをいきなり変えられるほどの大きな力はない。
だが、自分が周りや大人にとって、世界にとってどういう存在なのか一夏にはもう重々分かっている。自分には世界を少しでも動かすことが出来る力があるのだと分かっている。
言ったからには、やらなければならない。簡単なことではない。代償だって大きいはずだ。
周りの人間にたくさんの迷惑をかけるのかもしれない。姉やそれどころ大切な恋人までに。
それでも大切な友達が理不尽な目にあうのから助けられるのなら、きっと安いものだ。
「やめてよ! そんなこと聞きたくない!」
「分かれなんて言わない。だけど、ちゃんと聞いてほしいんだ!」
「――ッ!」
一夏の強い語気にシャルルが竦む。
シャルロットが言ってほしい言葉はこれではないと一夏にも分かっている。
でも、これもまたはっきりと言葉にしなければ、今のシャルロットには届かない。
何よりこれは、 男以前に一人の人間として一夏なりのケジメのつけ方。曖昧にしすぎていた今までの自分や多くのことにきっちりと決別する為に。
「い、一夏が誰と付き合っているとか、誰のことを好きかとか、もうどうだっていい」
シャルロットは自分に言い聞かせるように震えた声で呟く。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「僕は一夏のことが好きなの! 好きで好きでたまらないの! どんなことがあっても大好きなのッ!」
シャルロットの瞳が涙で潤む。
「今はダメでも……絶対に僕が一夏のこと惚れさせてみせるから」
「……」
「この先どうなるかだった分からないよ? 一夏の気持ちだって変わるかもしれない」
「……」
「布仏さんのことが忘れられないのなら僕が忘れさせてみせるから。布仏さんがしてくれないようなことだって僕がどんなことでもしてあげる。だから、一夏」
涙をポロポロと流しながらシャルロットは縋るように言う。
泣いている目の前の彼女を見ていると一夏の胸は痛む。
守りたいと思う大切な人達の一人であるシャルロットを今も自分が傷つけ続けている。守るという行為からは正反対の行為。
泣いているシャルロットの姿を見ていると守りたいと気持ちが強くなってしまう。今の自分がシャルロットにそんなことしてはいけないと分かっているのに。
――こういうのがきっと依存されてるってことなんだよな
泣いているシャルロットの姿を見て、一夏は頭の片隅でおかしなぐらい冷静に考えている自分がいることに気づく。
今自分はシャルロットに縋られている、依存されてると一夏には、はっきりと分かっている。
このままではいけない。自分が傍にいても、もうシャルルにしてあげられることは『友達』としてのことしかないい。それ以上はできない。逆に自分が傍にいることでシャルロットは、いつまでも新しい道に、ここから先に進めない。一夏にはそんな気がしてならない。
ちゃんと距離を置かなければならない。誰かの為にとかではなく。このままでは共倒れしかねない。
もう昔には戻れない。前に進むと決めていたのだから、一夏が言える言葉はかわらなかった。
「どんなことを言われても、どんなことをされても俺の気持ちは想いは変わらない。変えさせない」
変わらない一夏の意思の強い言葉。
それを聞いて、ポロポロと涙を流していたシャルロットは、これ以上堪え切れなくなったかのように、、大粒の涙を流し更に沢山泣いた。
「……っく……ッ……」
どんなことを言っても、どんな甘い言葉をかけても、もう自分の言葉は一夏の心には響かない。
叫んでも、泣いても、もう自分の想いは一夏には届かない。
悔しい。死にたいほど悔しくてたまらないけど、もうダメなんだ。自分では、一夏の心はつかめない。
自分の知っている一夏のはずなのに、自分が知っている一夏ではないみたい。
こんな風に一夏を変えたのは、彼女の力なのだろう。正直、今殺したいほど憎くてたまらないけど、もう認めるしかない。
「ダメ、なんだね……」
そんな言葉が小さくシャルロットの口からこぼれた。
――……ダメだ。僕では……もうどうにもできない。敵わなかった、んだね……
僕といても一夏はこんな風には変わらなかったはずなんだ、と拒絶していた事実を無理にでもシャルロットは、受け入れていこうとする。
しかし、まだ認めたくない。諦められないという気持ちも強いからなのだろうか。
認めたくない一心からなのかどうにはシャルロットにすらもうよく分からなくなっていた。
無意識のうちにシャルロットの体は動いていた。
「……ぃッ」
一夏の体に衝撃が走る。
ドスッ、という物音が聞こえた気がして、胸元の辺りが痛む。
引いていくじんわりとした痛みを感じながら一夏はふと自分の胸元に目をやると、そこにはシャルロットが一夏の胸元に顔を埋めていた。
絶対に離さないと言わんばかりに、シャルロットは両手を一夏の背に回し、ぎゅっと力強く抱きしめられていた。
「……っ……うぅ……ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……!!! 一夏、一夏、一夏ぁ……!!!!」
シャルロットは、心の箍が外れたかのように、一夏の胸の中で激しく泣き叫んだ。
一夏の名を、何度も何度も呼びながら……。
「……やだ……嫌……やっぱり、嫌、だよ……!! 一夏、一夏ぁッ! ぅぅッぁあぁぁぁぁぁぁ!!」
シャルロットの悲痛な叫びが、一夏の胸を引き裂く。
「好き……大好き……一夏ぁ、大好きだよ……っ!!!!」
泣き叫び思いのたけをぶつけてくるシャルロットに一夏は強く強く、抱き締められる。
シャルロットの本気が伝わってくる抱きしめる力。これほどまで強く自分のことを想ってくれているんだと一夏は改めて実感する。
だからこそ、最後までシャルロットの想いと真剣に向き合うなければならない。
一夏はシャルロットの想いを受け止めはするが、受け入れしない。そして、最後まで抱きかえすことはしなかった。
ただ、泣き続けるシャルロットに胸を貸すだけ。
――甘いってことは分かっているんだけど、やっぱり……
シャルロットとはこれからも友達の関係でいると決めた。
しかし、今の距離は友達以上の距離。自分に依存しているだろうシャルロットを想うのなら、最後はきちんと突き放すべきなのだろう。甘い自分がいるとシャルロットはいつまでも甘えてしまう。先に進めない。
だが、泣いているシャルロットを見ていると一夏は、どうしても突き放せないでいた。
だからといって、抱きしめてしまえばそれは一夏とシャルロットにとって、受け止めていたままのシャルロットの想いを受け入れることになってしまう。それでは余計にシャルロットが先に勧めないようにしてしまう。
ゆえに、甘いと分かっていても今一夏に出来ることは静かに胸を貸すことのみ。それが最後、一夏が送るシャルロットだけの優しさ。
すると、自然と一夏の口から言葉が出ていた。
「ありがとうな、シャル」
「……」
「ありがとう」
一夏のその言葉を聞いてシャルットの涙が溢れ出す。
その涙は悲しみの涙ではなく、嬉しさから溢れ出る涙。
たくさん偉そうな事言って思い上がっていたけど自分は結局、かなわなかった。
だけど、今までずっと胸に秘め続けているだけで、言えずにいた想いをようやく一夏に伝えることが出来た。
想いは確かに結ばれはしなかった。でも、一夏に自分の想いを知ってもらえた。それだけで充分。
一夏への想いをまだ全部が全部あきらめられたわけじゃない。今でも好きな想いは変わらない。変えられない。
けれど、ようやく一夏への想いに一区切りなんとかつけられそうな気がする。そう思うとシャルロットの心は軽くなっていく。
――……一夏が『ありがとう』って言ってくれてよかった。『シャル』って呼んでくれて嬉しい。
自分の想いを一夏はちゃんと喜んでくれた。謝られでもしていたらそれこそどうなっていたのか、シャルロットにすら分からない。
また、大好きな愛称で呼んでもらうことが出来た。本当に、これで充分だ。
ほんの少しだったけど、同じ部屋で過ごしたあの頃の一夏は自分だけのもの。
『ありがとう』って言ってくれた一夏は、泣き止むまで抱きしめてくれなくても静かにずっと傍にいてくれた一夏は、自分だけのものでいてほしい。
今、この瞬間だけでいいかからとシャルロットは願うように強く思った。
…