「ふふっ、よしよし」
「んー……」
特に会話らしい会話もなく、一夏の一人部屋で静かに抱きしめあう一夏と本音の二人。
厳密に言ってしまえば、服の上からではあるが本音の胸の谷間に一夏が顔を埋めながら抱きつき、本音に抱きしめられていた。
――可愛いなぁ~おりむー
そんなことを思いながら本音は、嬉しそうにして抱きついてくる一夏を抱きしめ愛おしそうに頭を撫でた。
一方の一夏はそうした本音の愛情を感じながら、一夏は心地よさそうにする。
最近、一夏と本音の二人が一緒に過ごし、特にこれといってやることがなくなると、大体こういったことをしながら二人は過す。
もっと言えば、一夏が本音に抱きしめてもらうことをよくお願いするように、甘えるようになってきた。
流石に人前ではしない。今の様に部屋で二人っきりの時のみ。
「おりむーどう? 気持ちいい~?」
「ああ、凄く柔らかい。ごめんな、のほほんさん。いつもこんなこと頼んじゃって」
「それは言わない約束でしょう、おりむー。というか、気にしなくていいんだよ~私とっても嬉しいんだから」
本音は、嬉しそうに微笑みながら一夏を抱きしめる。
何故、一夏がこんな風に甘えるようになってきたのか、その理由は本音にはよく分かっていた。
以前の様な変に片意地を張るようなことはやめた一夏。最初こそは自分から抱きつくこと、甘えることに抵抗がやはりあったようだが、徐々になれていき今ではこんな風に素直に甘えるようになってきた。
形はどうあれ、こうして一夏がちゃんと素直に甘えてくれているのが本音はたまらなく嬉しい。一夏が変わっていってくれていることが嬉しい。
――あの日、おりむーとちゃんと向き合うことが出来てよかった。本当のおりむーを知れてよかった。
そう思うのは一夏もまた同じ。
あの日、本音のおかげで本当の自分というものに気づくことが出来た。
自分が甘えることで相手の重荷になってしまうのではないかと恐がる必要なく。甘えることに臆病になることもなく。昔の様に言い表せない恐怖から必死に自分を守る為に強がる必要ももうない。
ただ素直に甘えることが出来る。それがどれだけ嬉しくて、心の底から安心できるものか言い表せないほど。
今までずっと足場がなく必死でいるしかなかった一夏だったが、ようやく地面に足をつくことが出来たような気分。
甘えさせてくれている本音には感謝の気持ちで一杯だ。愛しくてたまらない。
「本当、こんな風に誰かに甘えることが、抱きしめてもらえることが出来るなんて夢みたいだ」
独り言のように一夏は言う。
こんなこと、昔だったら想像つかない。だからなのか、一夏は昔から秘めていたあることを思い出していく。
相変わらず顔を半分本音の谷間に埋めたまま、視線を本音へと向ける。
「だからってのも変だけど、今だから言えるかっこ悪い話があるんだけどさ……聞いてくれるか?」
「ん、分かった」
「ありがとな」
一夏は、本音に抱きついたまま、ぽつりと話し始めた。
「俺、ずっと小さい頃からこんな風に誰か抱きしめてもらうことに憧れてたんだ。女の人ってか、母さんに抱きしめられるのってどんな感じなんだろうって。正直、周りの奴らが羨ましかった」
懐かしむようでそれでいて、何処か少しだけ寂しそうにして言う一夏。
―ーそっか。それでおりむーいつもこんな風に抱きしめてもらうことを頼んできたんだ
本音は納得した。
抱きしめてもらうこと。それは分かりやすい甘え方の一つ。本当は誰よりも、誰かに甘えたかった一夏だからこその頼みごと。
特に幼い時、甘えた盛りの時に甘えることができなかったのなら、こんな風に憧れるのも無理ないのかもしれない。
周りが普通に甘えている光景を見ているなら尚更。自分は強く望んでいるのに、周りが当たり前の様に出来ていることが、自分だけ出来ない。その辛さ、本音には何となくにだがうっすら想像がつく。
「そっか~……。だったら千冬さん、織斑先生には……無理だよね」
一夏は天涯孤独というわけじゃない。姉が、唯一ではあるが家族がいる。
甘えてないというわけでもない。一夏なりに不器用でも今までも千冬には沢山甘えてきている。
それを分からない本音ではない。むしろ、一夏がどんな風に答えるのかある程度分かった上で本音はあえて聞いた。
そしてまた、一夏も本音がそうなのだと分かった上で聞いたことを察したようで、同意するかのように苦笑いを浮かべていた。
「まあな。俺にとって千冬姉はそういう甘え方できる人じゃないし、ただでさえ俺は千冬姉に今もずっと甘えっぱなしで守られてるんだ。これ以上は流石に甘えられない。俺は強くて凛々しい千冬姉の背中にも憧れたんだから。千冬姉みたいに大切な人達を、弱い自分すらも守れるような強い人になりたい」
一夏は変らないと本音は本音は思った。
一夏という男にあるものの一つはやはり、『守る』ということ。それは変えようない一夏という存在を強く作り上げているもの。
だが、話す今の一夏には以前の様な『守る』ということに固執や執着した様子はない。ただ純粋な思いから言っている。
それは本当の自分というものに気づき、受け入れることで一夏はまた一つ人として強くなっている証拠なのかもしれない。
強がるわけでも、相手に合わすわけでもなく。ただ素直に甘えることが出来るようになった一夏には広い心の余裕があるように本音には感じられた。その姿は頼もしく、かっこよく思える。
「というかむしろ、今まで甘えさせてもらってるんだから千冬姉には甘えてほしい。多分、千冬姉もきっと俺と同じで本当は千冬姉も誰かに甘えたいんだ」
「似たもの姉弟なんだね」
「だな。だから、こんな風に余計なこと考える必要もなく甘えられるのが嬉しい。いい年した男なのに小さな子供みたいでかっこ悪いってのは分かってるんだけどさ」
照れ隠しするように一夏が苦笑い気味に言うと、本音は一夏を優しく抱きしめた。
「ううん、そんなことないよ。今こうして話くれたこと。そして、おりむーが甘えてくれているのが私で、こんな風に安心してくれているのが私で凄くうれしい。だから、大丈夫」
ぎゅっと一夏を抱きしめる本音。
一時期は一夏が甘えてくれないことに悩んだこともあったりしたが、ようやく自分たちはここまで来れたのだと実感できる。
今の話だってそうだ。一夏が甘えてくれているからこそ、話してくれた。
自分でよかったと思うのは女としての独占欲からなのかもしれない。それでも本音は、一夏が甘えてくれているのが自分でよかったと、ただただ嬉しくてしかたなかった。
「ああ。でも、別に俺はのほほんさんを母親代わりとかにしたいわけじゃないから」
「分かってるって。私もおりむーのお母さんの代わりしたいわけでもなければ、おりむーのお母さんになりたいわけじゃないからね~。私達は恋人なんだから」
「恋人……そうだな」
ぎゅっと本音に抱きつく一夏。
本音の胸の中は暖かで心が落ち着く。
この胸の温もり、安心感にはやはり母親というものを感じてしまっていることは一夏は否定できない。
だからといって、一夏は別に本音が母親であってほしいわけではない。一夏にとって本音は、やはり大切で愛しい“恋人”。こうして甘えてもいたいが、甘えた分、彼女に尽くして、本音にも甘えてもらえる自分でありたいと一夏は思う。
甘えられる相手が、恋人がいるということがこれほどまでに自分をいい方向へ変えさせてくれるとは、一夏は思ってもいなかった。
こんなにも母性が、包容力がある可愛い本音が自分の彼女でよかった。そう思わずにはいられない一夏だった。
「恋人と言えば……」
思い出した様に一夏は言う。
「名前」
「名前? 名前がどうかしたの?」
「ほら、俺達って付き合ってからもあだ名呼びだろ。名前で呼ばないのかってよく皆言われるんだよな」
「ああ~それかぁ~。私もよく言われるね」
一夏と本音が付き合い始めて早数ヶ月。
付き合って間もない頃ならまだしも、二人のお互いの呼び方は友達だった頃と何ら変っていない。
かといって二人だけの秘密の呼び方があるというわけでもない。昔のまま。
そのことが周りには少し変に思えた。
「でも別にあだ名で呼び合うっておかしいわけじゃないじゃん。世の中にはそういう風に呼び合うカップルもたくさんいるしねー」
「だよな」
あだ名で呼び合うカップルも当然いる。数も決して少ないというわけではない。
ただ一般的にカップルとは親密度を示し感じる為に、下の名前で呼び合うカップルが圧倒的に多い。
実際、一夏達の身近なもう一組のカップル。簪とその彼氏も付き合い始めてから、下の名前で呼び合うようになり、呼び方だけで周りから見てその親密度が分かった。
故、余計に一夏達が友達だった頃と呼び方が変らないのは変に思えるのだろう。
それでもおかしいことではない。
「あっ……でも、流石にこのままの呼び方ってまずいよな……。下の名前で呼べるようにしておかないと」
「ん? どうして?」
同じ意見だったと思っていたら、いきなり反対してきた一夏。
しかも、何故だか真剣な表情をしている。
一体一夏は何を言い出すのかと本音が思えば。
「だってさ将来、子供できた時……流石に子供の前であだ名呼びってのはまずいだろ」
恥ずかしそうに言った一夏の言葉を聞いた瞬間、思わず本音は吹く様に笑ってしまった。
「あっははっ!」
「な、なんだよ?」
何で笑われたのか分からない一夏は困った顔をする。
しかし、本音の笑いは止まらない。
言っていることは正しいと言えば正しい。それは間違っていないはず。
だけど、あまりに一夏らしすぎる。
普段、女ったらしを超越した最早人間垂らしの域に達した言葉や素振りを平然とするというのに、今恥ずかしそうに言っているものが、何だか可愛いくて、おかしくて笑いが止まらない。
――こんなところはやっぱり、変わらないな。
一夏は確かに大きく変わった。
それでも変わらないものだって沢山ある。これはその一つ。
こういうことを急に言い出すようなところも本音は一夏が大好きでたまらない。
「わ、笑うなよ」
「ふふっ、ごめんね。うんうん、確かにそうだね。でも、子供の前ではパパ、ママとか。お父さん、お母さんでいいんじゃないのかな? もしくは、お前、あなたとか?」
「あ……それもそうだな」
「でしょう。でも、子供って……ふっ、ふふっ」
「お、俺が悪かったって」
思い出してまた笑う本音に一夏はたじたじだ。
真剣に言ったが、自分がどんなことを言ってしまったのか分からない一夏ではもうない。
しまったと失言を心の内で認めたからこそ、ばつが悪い。
「嫌だったら」
「ううん、そんなことはないよ。絶対に。凄く嬉しいから。笑ってごめんね?」
「いいんだ。俺のほうこそごめん」
優しい表情だが、真剣に言う本音を見て、一夏は安心した。
突拍子のない一夏らしい言葉だったから、本音は嫌ではない。
いつものようにほぼ無意識のうちに言ってしまったことは分かる。
そこにどういう意図があったのかは正確なことは定かではない。未来のことを無意識にでも考えているからこそのことか、子供がいるためのそういうことを考えてのことなのか、とか。
おそらくは前者。一夏かして後者はまずありえない。彼はそういう人ではない。
無意識なのは間違いないが、無意識にでも自分達の将来のことを考えてくれて言ってくれたのなら、嬉しいと本音は思う。例えそれが違うとしては嬉しい事には変わりない。
だから思わずとはいえ、笑ってしまったことに本音は内心で反省した。
「じゃあさー、一回やってみようよ」
「何を?」
「名前。下の名前で呼び合うことだよ~。子供がもし出来た時の為に備えよ! 備えあれば憂いなしっていう言うもんね」
「そうだな」
そう言って二人は離れて、何故か正座して向き合う。
「こほん」
わざとらしく咳を一つ本音が仕切り直すようにつく。
仕切りなおしたからなのか、本音は少しばかり緊張を覚える。
こうもかしこまるほど大したことではないが、あのままの体勢では名前を呼んでも味気ない。呼ぶならちゃんと呼びたいという思いが本音にはあった。
それに緊張はただ仕切り直したからというだけではない。
――そういえば、おりむーの名前ってちゃんと呼んだのっていつだったけ?
記憶を探るが思い当たらない。
それほどまでにあだ名呼びに慣れてしまっている。悪いことではないのは確かだが、決していいことでもない気がするとか本音は思った。
幸い、織斑一夏という彼の名前を忘れてしまったということはない。後は呼ぶだけの動作としては簡単なこと。
しかし、久しぶりすぎて、尚且つ簡単だと思うからこそ余計に緊張するのは気のせいではないはず。
言いだしっぺの法則というものがあり、自分から言わなければはこれは始まらないと本音は思う。
――やってみなきゃ分からないこともあるよね。よし、頑張ろー!
本音は、決意を固め、一夏の名前を呼んだ。
「一夏」
優しい声色で言う本音。
噛む事もなく思ったよりもすんなり言うことが出来た。
だが、言い終えると言いなれてない感覚と、言ったという実感から落ちつかなさを感じ、頬を赤らめるほどではないものの恥ずかしくなってくる。
一夏はというと珍しく静かに喜んでいた。
――呼び捨てで呼ばれるのなんていつものことだけど、すげぇ嬉しい。
今まで何度も呼ばれてきた今更なんてことのない呼ばれ方。
ただ下の名前を呼ばれてただけのことなのに、他の誰に呼ばれるよりも嬉しい。
今更すぎるが、本音と親密になれたということを、恋人になれたという事実を改めて実感し、感慨深いものを一夏は感じていた。
呼んでもらえて嬉しいと感じたからこそ、一夏はこの嬉しさを本音にも伝えたい。喜んでもらえたら嬉しいと思った一夏は、返すように本音の名前を呼んだ。
「本音」
はっきりと淀みなく名前を呼ぶ一夏。
――そういえば、初めてちゃんと下の名前呼んだな。
始めてちゃんと彼女の名前を呼び、多少なりと緊張するだろうと思っていたが、意外にもこんなことはなかった。はっきりと呼ぶことが出来たことに一夏は安心した。
だが、一夏も言い終えると呼びなれてない感覚と、言ったという実感から落ちつかなさを感じ、本音と同じく頬を赤らめるほどではないものの恥ずかしさを感じていた。
――普段あだ名で呼ばれてるから、下の名前で呼ばれると不思議というか、特別な感じ。ふふっ
呼ばれたことを、その嬉しさを、胸の内でそっと本音は噛み締めるように喜ぶ。
下の名前で呼ばれるのがこれほどまでにいいものだったとは驚きだ。それはやっぱり、呼んだのが他の誰でもない一夏だからこそ、こうして特別に感じるのだろう。
互いに相手が喜んでくれていることも分かっており、また自分が照れていることも自覚しているからか、恥ずかしさで二人して黙りあう。
そして、当然沈黙の空間。そこに重苦しい雰囲気はなかったものの、変りに気恥ずかしさがある。相手から視線をそらしていた二人の目が合う。
すると、沈黙を我慢できなくなったかのように、苦笑いするかのように二人は微笑みあった。
「始めてだからかやっぱなれないね~何だか恥ずかしいや」
「だな。いきなりずっとってのはまだ難しいけど、これからゆっくりなれていこうぜ。な、本音」
「だね~、一夏」
・
・
・
「よし、じゃあ……本音」
突然、一夏が両手を広げてた。
たったそれだけで他に言葉はない。
一夏の仕草が何を意味してるのかは本音には何となく分かったが、何故今そんなことをしているのかは分からずにいた。
「?」
「ほら、たくさん抱きしめてもらったり、名前を呼んでもらったり今日も沢山甘えさせてもらったからな、そのお礼っていうか。のほほんさんにも甘えてほしい。甘えてほしいっていう甘え方というか俺の我侭なんだけどさ」
「何それ」
本音は、変なのとくすりと笑う。
別に馬鹿にしている訳ではない。言っていることは一見矛盾しているようだが、言いたいことは本音には分かる。本音もまた同じだから。甘えてもらえることが自分にとっての甘えるということ。
一夏は実は甘えたがり屋なのは今までのことで確かなことだが、同じぐらい一夏は甘えられたいという思いが強い。甘えた分、もしくはそれ以上のことを返したい丸元来一夏という男は、頼られ尽くすタイプなのだ。
その一夏の気持ちが分からないではない本音だからこそ、素直にその言葉に甘えた。
「あったか~い」
一夏が本音に抱きしめられていたように、本音は一夏の胸元に肩耳当てて抱きしめられていた。
感じる一夏の温もり。姿としてはあまり変わりないはずなのに、自分から抱きしめるのと、こうして抱きしめられているのとでは、安心感や心地よさがこんなにも違うものなのと感じた。
「凄いドキドキしてるね」
「まあな。煩い?」
「ううん。凄い安心するよ~」
耳元で感じる一夏の鼓動。
ドキドキと一定のリズムで鳴っているが、いつもよりほんの少しだけ早く感じる。
緊張してくれているのだろうか。そうだったら何だか嬉しいと本音は安堵の息をもらす。
安心はもちろん。一夏の心音をしばらく聞いていると、いつしかだんだんと自分の鼓動のリズムが一夏の鼓動のリズムとあっているよう。
一夏へと蕩けて堕ちていくような感覚。それはまるで……。
「ん~一つになっていく感じするー。何かダメになりそう」
「なんだそれ」
とろけた幸せそうな顔をしている本音を見ながら、一夏は微笑む。
幸せでゆっくりと時間が流れていく穏やかな時間。
そこに溢れる変えがたい幸せを二人は共に噛み締めていくのだった。
…
のほほんさんisGod
久しぶりの一夏の恋物語。
甘えられるようになった一夏の変化をお送りしました。
簪と“あなた”のカップルが割りと爛れているので
一夏と本音のカップルは、ほのぼのまったり担当です。
一夏が守るというのに固執していたのは千冬に、その背中に憧れていたから。
そして、言いあらわせない内にある恐怖に負けないためのもの。
という解釈になりました。ご了承を。
それでは