簪とのありふれた日常とその周辺   作:シート

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今年の夏は簪とこんな場所で月を

 ……ここが簪の言っていた……。

 今目の前にある古くから続く伝統の歴史を感じせられる大きく厳かな日本旅館を驚きながら、俺は見上げる。

 予め簪にこの旅館のホームページを見せられ、どんな感じなのかは知っていたが、こうして実際に実物を見ると、まさに老舗旅館といった感じで圧倒される。

 建物の時点から凄すぎて、凄いの一言に尽きてしまう。

 

「ふふっ、喜んでる」

 

 俺の様子をくすくす嬉しそうに隣の簪が笑う。

 やはりこういうところに来た経験があるようで簪はなれた様子だ。

 凄いのは建物だけではなく。

 

「お待ちしておりました。ようこそおいでくださいました」

 

「おかえりなさいませ」

 

 外で俺達を待ち構えていた女将だろう年配の女性を筆頭にした和服に身を包んだ従業員一同が出迎えてくれた。

 何だか感激だ。ドラマや映画とかでよく見る光景そのまま。笑顔で出迎えられるのは気分いい。

 そのまま従業員の一人に伴われて中でチェックインをすることに。

 中も当然の如く凄い。和風らしく落ち着いた感じではあるが、何処か煌びやか。柄にもなく置物や絵などに目を奪われる。

 

「予約している……――ですけれども」

 

 今なんと。辺りをグルグル見ていた俺はバッと簪を見る。

 フロントでチェックインしてくれている簪から聞き慣れた名前が聞こえてきた。

 聞き間違えだろうか。簪の苗字である更識ではなく俺の苗字を簪は名乗っている。

 

「はい、確認しました。――ご夫妻、2名様ですね」

 

 フロントの人が言った名前も俺の苗字。

 聞き間違えではなかった。思ってもみなかったことに驚く。

 というか、ご夫妻って。

 

「はい」

 

 驚く俺とは打って変わり、簪はさも当然の如く頷く。

 予約間違いの線も一瞬考えたがそうではないらしい。ここを探して予約してくれたのは簪だから、素で間違える訳ないだろうし、わざと俺の苗字にしたんだろう。

 ただ少し驚きすぎてフロントの人に不思議そうに見られてしまった。

 どういうつもりで簪は俺の名前で予約したんだ。疑問に思いつつもチェックインが済み、予約していた部屋へと案内された。

 

「ん……思った通り、いい部屋」

 

 簪の満足げな表情。そのようだ。

 予約した部屋は和室8畳の客室。特段広いというほどではないがそれでも充分な広さで、何より綺麗で静かな雰囲気のいい部屋。

  これならよくある高級旅館で終わりだが、この旅館にはとある名物がある。

 

「あっ、そうだ……部屋風呂見にいこ」

 

 簪と一緒に部屋の外にあるテラスへと出てみる。

 するとすぐ横には名物の一つであるこの部屋専用の露天風呂があり、そしてもう一つ。

 

「わぁっ……凄いねっ」

 

 簪が思わず声をあげるぐらいの大海原、素晴らしい見晴らしがテラスから広がって見えた。

 この景色の綺麗さなら簪が声をあげるのも納得だ。それほどの良さ。

 口コミは本当だった。この景色を独占しながら、誰にも気兼ねすることなく露天風呂に入ってゆっくりできるのは中々の贅沢。

 まだ来たばかりで風呂にも入ってないが、こうしてテラスから海を一望しているだけでも何だか楽しい。

 

「ね……何だかそれだけで夏休みに来た甲斐感じる」

 

 そう。簪と俺は夏休みを利用して今この旅館に来ている。

 目的は言わずもがな。この旅行が終ったらすぐいつもの生活に戻るが、少しでも夏の余暇を楽しむ為。

 更識家の盆行事やその他諸々が終ったこの時期。これまでは毎年、数ある更識家の避暑地を使っていたが、たまには旅館にでもということになり現在に至る。

 そういえば、場所は違うがこうして旅館に来るのは簪と初めて旅行した時以来か。懐かしい。

 

「懐かしい。そう言えば、そうだったね」

 

 部屋や景色の確認が済み、俺達は一旦腰を落ち着ける。

 

「とりあえず、お茶でも飲む? 私入れるね」

 

 言って簪はお茶を入れ始めてくれる。

 聞くなら今か。一息つけたので気になっていたことを聞いてみることにしてみた。

 少しばかりわざっとらしいが一つ咳払いの前置きをして。

 

「? どうかした?」

 

 入れてくれたお茶を出してくれながら、目の前の席に座る簪は首をかしげる。

 聞くのはもちろん、フロントでご夫妻というか予約の名前について。

 

「何か問題でも?」

 

 問題あるほうが問題とでも言わんばかりの様子の簪。

 問題は……ないな。今はまだそうではないけども、いずれ将来はご夫妻と呼ばれてもおかしくない。

 

「ん、問題なかったでしょ。それとも……嫌だった……?」

 

 それはない。きっぱり否定する。

 ただ簪がこういうことをするとは思ってなかったから、驚いたのと気になっただけ。

 何かあったんじゃないのかと。

 

「別に何かあった訳じゃないけど、ここの予約してる時にふと思いついて。あなたの名前で予約するの。もしかしたら、夫婦って呼ばれるかもと思って。後……一度でいいからあなたの苗字で呼ばれてみたかったし……。まあ、その、ほんと何となくだけど……って何笑ってるの……」

 

 簪は眉を顰める。

 何となくと言った割りには可愛い理由だった。

 だから、微笑ましくてつい笑ってしまった

 

「もうっ……納得いったでしょう。これでこの話はおしまい。……こほんっ、で……これからどうする……?」

 

 咳払いで無理やりにでも話題を変えられる。

 まあ納得はいったし、可愛いことも聞けたから充分だ。

 

 で、これからどうするか。

 今は昼飯時が済んだ昼過ぎ。朝昼兼用で飯済ませてから来たから、少しばかり微妙な時間。

 このままじっとこうしているのはもったいない。何かしたいところではあるが……ここは散歩がてら旅館周りの観光でも。

 

「太陽の下出ると嫌な暑さだから嫌。後、観光は明日する予定でしょ」

 

 それは最もその通りなのだが、そこまでばっさりと嫌がらなくても。

 言うと分かってはいたが。

 他となるとなんがあるだろう。もう一度考えをめぐらせ頭を悩ます。

 

「じゃ、じゃあ……一つ、私から提案なんだけど……」

 

 提案とは。

 

「お風呂、入らない……?」

 

 風呂か……何もすることがないのならそれも大いにありだ。

 部屋風呂もそうだが、ここは数多くの風呂があるらしく、それらに入るのも今回の目的の一つでもある。昼から風呂というのも中々優雅。

 いいと思う。どれから入るか迷うところだ。

 

「そうじゃなくて……部屋風呂、一緒に……入りたい。折角だもん」

 

 ということは混浴か……この旅館で混浴をしようと思ったら、家族風呂とかがあるが前もって予約などをしておかなければならい。

 だが、俺達の部屋には部屋風呂がある。これならそんなことをせずとも何も気にすることなく、好きなだけ二人ゆっくりできる。

 簪の言う通り、折角だ。一緒に入らない手はない。

 

「じゃあ、決まりだね。ぱぱっと着替えとか用意して入ろう」

 

  そういうわけで露天風呂である部屋風呂へと入ることになった。

 着替えとかを用意すると、かけ湯を済ませ一足先に湯船に浸かり、後から来る簪を待つ。

 この部屋風呂、露天風呂はヒノキで作られ、優しい樹の香りがして、海から潮の香りと相まって安らぐ。

 

「……湯加減どう……?」

 

 簪がやってきた。

 手に持ったタオルで今は前を隠している。

 湯加減は普段慣れているのよりかは熱いが、丁度いい感じだ。

 

「そう……あ、隣……ありがとう」

 

 かけ湯をして入ってくる簪に中央を陣取っていた俺は横へずれる。

 そしてそのまま簪は空けた横に腰を落ち着け湯船に浸かった。

 

「ん~……気持ちいい」

 

 足と手を伸ばしてリラックスする簪。

 旅館の露天風呂というだけあって結構広い。こうして簪と二人並んで浸かっていてもまだまだ余裕ある。

 こうしてお互い足を自由にしていても邪魔にらないのは楽でいい。

 

「ね……それに今日は外、涼しくてラッキー」

 

 ここ最近、暑い夏の日が続いていたが今日は涼しくて過しやすい。

 おかげでこうして露天風呂に入っていても、外の空気の方が熱くていられなんてことがなく済んでいる。

 それに風呂のあるところは建物で日陰の下にあるのもありがたい。涼しいところで言い景色を眺めながら、こんないいお風呂にゆっくり浸かれるなんて本当に至れり尽くせりだ。

 

「ん……極楽~……」

 

 もたれながら肩まで浸かり、ゆっくりする。

 その間、会話はなかった。今に始まったことではなく、それはそれで悪くない一時だった。

 

「ねぇ……」

 

 ふいに声をかけられた。

 充分温まったからそろそろ出たいんだろうか。そう思ったが、何か別のことを言いたそうにしてるから違う。何が言いたいんだろう。

 

「いや、その……そっち行ってもいい……?」

 

 簪が視線で指したのは俺の膝辺りだった。

 もしかすると、普段みたいな感じにしたいのか。

 

「……うん。嫌ならこのままでいいけど……」

 

 風呂は大きいのだから、普段一緒に入っている時みたくくっつかなくてもと思いはするが。

 風呂の広さは堪能したし、簪がそうしたいなら構わない。

 膝へと簪を招き入れる。

 

「ありがとう」

 

 湯船の中を四つんばいで動くと簪は、両膝の間にやってきて腰を落ち着け、後ろ俺を背もたれにするようにして浸かりなおした。

 これが普段一緒に入っている時の状態。まあウチのユニットバスは縦長な為、必然的にこれになってしまうだなのだが。

 

「でも、私は並んでよりもこっちの方が好き。落ち着く」

 

 そう言った簪は体を俺に預けリラックスしきっている。

 確かに落ち着くな。こっちだったら、密着してるおかげで簪を近くで感じられるし、簪の体に触れていても何も問題ない。

 

「いや、問題あるって……触りすぎ。ん、手付きらやしい……」

 

 こんなに魅力的なものがすぐ目の前にあれば、触りたくもなる。

 ある種の男の嵯峨というもの。大目に見てほしい。

 というか、触って……もとい今みたいに後ろから抱きしめてないと拗ねるだろ。

 

「流石に拗ねはしないけど、それはそれで寂しいから嫌。でもここ、ちゃ、ちゃんとした旅館だよ……え、えっちなことはよく……ない……うん」

 

 簪の声は次第に弱弱しくなる。

 口にしないが、本当簪は雰囲気とかに弱いな。

 ここが旅館でそういうことがよくないってのは言われずとも理解している。

 もう少し見晴らしのいい大海原の景色眺めながら、ゆっくり浸かってたいから何もしないつもりだ。

 

「うん……そう……私も……うん」

 

 さっきから頷いてばかり。

 落ち込んだ様子で簪は肩を落としては、湯船に深く浸かる。

 そんな様子が可愛らしくてくすりと笑ってしまう。

 

「何よ……」

 

 拗ねてしまって可愛いな、まったく。

 そんな可愛いことされたら、もっと触れたくなる。

 拗ねる簪の頬に手を添え、唇を合わせる。触れ合わせ、少し啄み、顔を離す。

 未だ簪は拗ねた感じを装っているが、口角がニヤけて嬉しそうなのを簪は我慢中。ここでそれを指摘すると本気で拗ねられるから言わず、俺はもう一度許しを乞うように唇へと口づけた。

 

「何もしないつもりって言ってたの忘れたの」

 

 忘れた。もう綺麗さっぱり。

 今頭の中を占めているのは簪ともっと触れあいたい。愛し合いたいということぐらい。

 無論簪さえよければだが。

 

「聞くまでもないよ。私も同じだから……もっと強引でいいのに」

 

 強引すぎるのは趣味じゃないが、簪がそうお望みならば強引なのはこれからだ。

 

「もしかして、このままお風呂でする気じゃないよね」

 

 する気満々だ。

 出てからでは手間になるだろうし、何より興ざめだ。

 こんな素敵なところなんだ。風呂でするのも悪くないだろう。

 

「え……あの、ここ、外なんだけど」

 

 知っている。

 強引なのがいいと言ったのは簪だから、強引に外でするつもりだ。

 この普段とは違うところでなら、きっと最高の寛ぎを得られること間違いなし。

 楽しみだな。

 

「へっ!? あっ……ま、待っ――」

 

 

 

 

 素敵で優雅な露天風呂。そして簪を満喫した後、俺達は部屋でゆっくりとしていた。

 

「本当に外でしちゃった……信じられない、まったく。鏡の前とかでもするしっ」

 

 風呂から上がってから簪はずっとこんな感じで怒ったり、拗ねたりしている。

 にも関わらず、俺の膝の上から降りようとしないのだから、おもしろい。

 というか、そんなこと言いながらも簪は結構気持ちよさそうにしていたな。誰かに聞かれるかもと分かっているからか、声とかいろいろと凄かったし。

 

「……」

 

 いい訳しなければ、否定もせず。かと言って肯定もしない簪は、顔を真っ赤にしながら図星をつかれたかのように気まずそうに顔して、視線を彼方へとやる。

 それは肯定しているのと変らないが、今はそっとしていてあげるか。 

 

 そんな風にじゃれあいながら火照った体を冷ましていると時間は過ぎる。

 時間は夕食時。丁度時間になったので夕食をすることに。

 ここの旅館は料理を部屋で食べさせてくれるとのこと。最初のうちは仲居さんがついて、よそったりしてくれるサービスがあるようだ。

 ついてくれた仲居さんは受付と部屋までの案内をしてくれた人と同じ。だからなのか。

 

「今日は新婚旅行ですか?」

 

「えっ!?」

 

 いきなりそんなことを聞いてくるものだから簪と二人して驚いてしまった。

 新婚旅行……二人揃って同じ苗字で予約して、フロントでご夫妻と呼ばれていたから、そう言われてもおかしくはないのか?

 

「あら? 違うんですか? これは失礼を。お似合いのお若いお二人さんですから、夏の休暇利用してお越し下さったと思ったんです。すみません」

 

「い、いえいえっ」

 

 微笑みながら言われ、俺達は恐縮するばかり。

 料理の説明をしてもらいながらも、他愛の話は続く。

 

「つかぬ事をお伺いするんですがお二人は何年目なんですか?」

 

 付き合ってということだろうか。

 だったら、もう一年……いや、二年三年以上になるか。

 

「そんなになるんですか。凄いですね。旦那さんはお若いのに偉いしっかりしてますし、奥さんは凄く可愛らしい……お子さんとかいたりするんですか?」

 

 どうして子供の話しに。そんな歳でもないのにいるように見えるのか。何か話がかみ合ってない。

 もしかして、結婚してると思われていたりしてな。だとしたら、何年目というのは結婚して何年目ということを聞かれていたことになる。

 なら納得だが、俺達はまだ結婚していない。

 

「え!? そうなんですか? すみません! わたしてっきり! 申し訳ございません」

 

 素でビックリしているってことは、例えとかじゃなく本気で夫婦に見えたってことなんだろうか。

 

「ええそれはもう。仲のいいご夫婦ですよ」

 

 そこまではっきり言われると照れる。

 隣にいた簪は先に気づいたようで、恥ずかしそうに両肩を縮こませ、ずっと顔を赤くしている。

 

「あ、ありがとうございます……嬉しいです」

 

「そう言ってもらえると助かります。でもしっかりした旦那さん……じゃなくて、彼氏さんでいいですね」

 

「は……はい……」

 

「ふふっ、お節介ついで一つ。今夜は空が澄んでいるので旅館すぐ近くの砂浜で月見するのオススメですよ。ご夫婦さん、カップルさんに人気です。では、そろそろお暇させてもらいますね。お代わりなど何かありましたら、 そちらの電話でおねがいします。それではごゆっくり」

 

 俺がお礼をいうとニッコリ微笑んで仲居さんは部屋を後にした。

 

「……」

 

 仲居さんがいなくなると、俺達は静まりかえる。

 嫌な静けさということではなく、あんなことがあってあんなこと言われてお互い照れてしまっての静けさ。

 あっという間の出来事だったのに、凄い長かったような……兎に角、驚いた。

 

「うん……びっくり。仲のいい夫婦だって……ふふっ」

 

 ふにゃふゃとだらしない顔して、簪は嬉しそうだ。

 

「うんっ……嬉しい。あなたと一緒の苗字で予約してよかったって心底思う」

 

 けど、夫婦じゃないって知られたから少しマズいんじゃないかと思わなくはない。

 チェックインのこととか、そもそも予約のことか。

 

「あっ……それはまぁ、大丈夫……だと思う。そこまで悪いことしてるわけでもないし、お金はちゃんと払ってる。それにあながち嘘じゃないっていうか……将来的にはそうなるわけだし……? ね……?」

 

 それもそうだ。

 何か問題あれば、言ってくるだろうからその時対応すればいいか。

 今は奥さんとの食事を楽しまないとな。

 

「もうっ……からかわないで。あっ……でも、そうだ」

 

 ぽんと両手を合わせ、簪は何か思いついた顔をする。

 

「そんなこと言うんだったら、奥さんとしてあなたのお世話するね。全部私がやるから」

 

 お世話って……具体的には何をどうするつもり何だ。

 

「マッサージやお給仕は当たり前だけど、ご飯食べさせてあげる」

 

 最初の二つは嬉しいけど、最後のはちょっと……。

 

「いいの。奥さんは旦那様のお世話するものでしょ。あなたはドンっと構えてればいい」

 

 無茶苦茶な。

 奥さんと呼ばれたせいか、簪はすっかりその気になっている。

 よほど嬉しかったんだろな。

 

 

 

 

 あの後結局、簪に食べさせられた夕食。

 大変美味しかった。満足のいくもので、時間としてはいつもの食事の時間としては長いこと食べていた。

 しかし食後の予定が決まっているわけでもなく暇を持て余していた俺達はとあるところへと来ていた。

 

「夜の海って始めてきたけどこんな感じなんだね」

 

 関心した様子であたりを見る簪やってきたのは砂浜。

 旅館から目と鼻の先にあるこの場所は、夜。それも時間も時間だから、俺達以外人の姿はなかった。

 ちょっとした貸切状態。

 

「運いいね、私達」

 

 確かにな。

 外でも今夜は涼しい。むしろ、少しばかり肌寒いぐらいでここ最近の夜の暑さと比べれば大分運がいい。

 おかげで暑さに参ることなく、こうしてゆっくり出来ている。

 

「……」

 

 道路と砂浜を隔てる防波堤の上に上がって、並んで腰を下ろし夜の海を静かに眺める。

 ここまでの道もそうだったように暗がりで確かではないが砂浜は綺麗だ。

 そして何より綺麗なのが海。月の光に照らされた夜の海面には月が淡く映り、同じ様に水面に映った月の光が帯のようになってこちらへと伸びている。

 

「綺麗……昼間の時は全然違う」

 

 昼間見た海は明るく青々として壮大できらびやか。

 けれど今二人で見ている夜の海は深い青色一色で月も相まってとても幻想的。

 考えてみれば当たり前のことだが、海一つでも昼と夜で感じる印象がこんなにも違うものなんだな。

 あの仲居さんから教えてもらったことを思い出し、暇つぶしと食後の腹ごなしついでに来てみたけが、来て正解だった。

 

「だね。今だから言うけど正直夜って暗いだけでしょって侮っていたけどそんなことない。ただひたすらに美しい。来てよかった」

 

 そう簪は嬉しそうに言った。

 

 教えてもらった通り、今夜は夜空が雲ひとつなく晴れ渡り澄んでいる。おかげで丸い月がくっきりと見える。

 綺麗だ。月は勿論のこと、瞳を楽しそうに輝かせながら嬉しそうに夜景を眺める簪は月よりも綺麗。

 月が綺麗だ。こんな風に愛しの人と月を見ている時、昔からよく使われる遠回しな愛の告白。

 そんな言葉をふと言ってみた。

 

「……」

 

 すると簪は俺の顔を見て、案の定というべきなのかきょとんとしていた。

 この言葉とその意味を知らないはずはないだろうから、突然すぎたのかもしれない。

 しまったと思っていれば、簪はくすりと笑って。

 

「ふふっ、ずっと月は綺麗だよ」

 

 艶のある唇から紡がれた囁きには、しっとりと色を帯びていた。

 凄いことをさらっとそんなことを言ってのけられ俺は驚く。

 この言葉はただ言葉通りの意味だけではなく、「自分もずっと前から好き」という意味が込められていると以前どこかで知った覚えがある。

 おそらくそれを簪も知って言ってんだ。でなければ、驚くを俺を見てくすくすと達成感いっぱいの顔で微笑んでいたりはしない。

 上手い返し。これは一本取られた。

 

「えへへ、取っちゃった。でも、急にどうしたの……? 急にこんなロマンチックなことを言うなんて」

 

 何かがあったというわけではなく、何となくそういう気分だっただけ。

 まあ、あの言葉に隠された意味と想いが伝わり、照れでもしてくれるかとは思っていた。その点については簪の方が一枚上手だったけどもだ。

 今夜は月が綺麗。そんな月を簪と見られているのはとてもいいこと。また見たい。

 

「うん……約束。次も一緒に見ようね」

 

 隣り合った手と手を重ねあい、指をそっと絡める。

 それはまるで指きりをするみたい。

 次はどんなところで見ようか。そんな風に次の予定を俺達は夜空の下、月の光照らされながら話し合っていく。

 





今回もまた簪の相手である男性はオリ主です。決して一夏ではありません。
もしかすると、主人公は簪が好きなこれを読んでいる貴方かもしれません

それでは
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