小一時間歩くと、ようやく人影らしきものを見かけた。
どうやら女性のようだった。吊り目でも垂れ目でもないスカイブルーの瞳は一見冷たく、近寄りがたい感じがした。
しかしながら、その人が発する柔らかな雰囲気がそれを打ち消していた。その上、美しい鼻梁、少し丸みを帯びた輪郭、うっすらとウェーブのかかった金の髪、陽光を浴びてほのかに輝く純白の翼。服の上からでもわかる、他の天界人と比べても小柄ながら豊かな体つき。そして何よりも、その透きとおるような白い肌が人目を引き付ける。そんな人であった。
地界であったなら間違いなくモデルになれるであろう。
思えばミッドガルドを歩いている時も、美男美女が多かった気がする。天界の特色であろうか。羨ましい限りである。
閑話休題、未だ橋は見つからなかったが、とりあえずその人に話を聞こうと声をかけた。
「はい、何かご用でしょうか?」
私は、旅をしていること、そしてこの川に辿り着いたが、橋が見つからなくて困っていることを告げた。
「橋……ですか? そんなものこの川にはありませんよ?」
橋がない? 私は耳を疑った。あんな危険な魔物がいる川を、まさか泳いで渡るつもりなのか?慌てた私は彼女に問いただした。
「? 飛べばいいじゃないですか」
再度私は耳を疑った。そして思ったそれができるなら苦労はしないと。すると、口に出していたのか、彼女は言った。
「え? 飛べないんですか?」
……まさか、天界人は空を飛べるのか?
いや、確かに羽はあるが、それで飛べるとは到底思えない。人が空を飛ぶには2mほどの厚さを誇る胸筋を身に付けなければいけないという話を聞いたことがある。私の目には彼女が、そして天界人達がそのような筋肉をつけているようには到底見えなかった。
また口に出していたのか、それとも私に羽根が無いことに気付いたのか、彼女は言った。
「……もしかして、地界人の方ですか?」
問われた私は頷いてみせた。
「あ、すいません。そうとは気付かずに……地界人の方なら知らなくて当然かもしれませんね。天界と地界がつながって5年は立ちますが、今だに交流は完全とは言えませんからね」
そう、たとえ世界がつながってもすぐには交流は始まらないのだ。異文化交流は慎重にしなければ、双方に多大な被害をもたらす。
実際、世界がつながった当時はひどかったそうだ。私はアマゾンの奥地に探検に出ていたので、その時のタイムリーなニュースは見ていないが、話を聞くだけでもその時の様子は想像できる。
門がつながった場所は、いきなり空間に穴が開いたことでパニックに陥り、更にはそこから翼を生やした人が出てきたことにより更にパニックを引き起こすこととなった。
地元の警官は未知の生物に対して銃を向け、銃というものが分からずとも、敵意を向けられたことが分かった天界人は呪文を唱え。そのことで危険を感じた警官は銃を発砲し、それによってダメージを受けた天界人は魔法で応戦し。そのあとはトントン拍子に争いが大きくなり、あわや戦争かというところで地界の首脳陣と天界の長達(天界は明確な国というものが無く、地域ごとに長がいる。長は地域すべての町をまとめる役割を担っているが、それは町の総意を決定し、他の地域との交渉を行う代表という役であり、統治するものではない(もちろん例外はあるが))がストップをかけた。あれらは隣人であり、決して敵ではないと。ここまでかかった時間はおよそ半年にも及ぶ。世界のトップも突然の事態に混乱し、未知に対する恐怖と警戒心あったからだ。
そして4年の歳月をかけてようやく敵対感情は薄らいでいった。どちらの住人も相手の土地にそれほど深く入り込めなかったことにより、(門は軍隊が通れるほど大きくなかった)土地を蹂躙するということはなく、怨恨もそれほど残らなかったことが大きかった。
そこからさらに1年かけて世界間条約を制定し、地界は科学技術を、天界は魔法技術を提供することになった。そこで世界間交流を促すために、それぞれの門を建物で覆うことにした。これが異世界交流センターである。
作業は急ピッチで進められ、地界は伝えられてくる魔法技術と自分たちの持つ科学技術を駆使して、天界はその逆に提供された科学技術と自分たちの魔法技術で、たった1年でその建物を築き上げたのだった。
そうして建物ができたことにより、本格的な交流が始まった。3ヶ月の間は行き来に厳しい制限がかけられていたが、そこからは人が海外に行くのと変わらず異世界に行くことができるようになった。
ここで重要なのは、そうやって自由な交流ができるようになったのはほんの3ヶ月前だということだ。それまでは不確かな情報しか得られず、相手を想像するしかなかった。中には天界人を化物のように書いてある雑誌まであった。(無論、すぐにお国から規制がかかったが)故に、3ヶ月前の交流自由化の時も一悶着あったのだが割愛する。
たった3カ月ではほとんど情報が入ってこない。何せ未知の土地である。その上ライオンよりも凶暴な生物が闊歩している地域もある世界とあれば、行きたがる人間はほとんどいなかったのが現実である。3ヶ月たった今でもあまりこちらに来ている人間はおらず、来てもミッドガルドの町から離れることはまれである。(町の外には魔物がおり、護衛の雇い方も暮らし方もわからぬ人間では仕方ないのであろうが)護衛も付けずに外に出た私のほうが特異なのである。
今までごちゃごちゃ書き連ねたが、結局言いたいことは『こちらの常識とあちらの常識は違う』ということである。わからない者は一度海外にでも行ってみるといい、文化の違いに驚くであろうから。
「とにかく、翼をもつ天界の人はほとんどが空を飛べるんです。原理的にはこの翼に浮遊の魔法がかかっているからだそうです。私もよく知らないんですが、天界の人は物心つくころには飛べるようになるんですよ」
そう言うと、彼女の体がふわりと浮かびだした。その時の驚きといったら、冒険中ふと後ろに振り向いたときに虎がいた時の比ではなかった。
「こういう風に飛ぶんですよ。ふふ、驚きました?」
彼女はコロコロと笑った。こちらはまだ驚きから抜けきれず、反応もできなかった。
「飛ぶのも結構疲れるんですけどね。まぁそういうわけで橋はいらないんです。飛べない種族の人達はそのほとんどが身体能力が高くて、この程度の川ならひとっ飛びで行けますから」
さらなる驚愕。こちらの世界の住人はどれほど規格外なのか。その時の私の頭にはオリンピックなどはどうするんだろうというどうでもいいことが浮かんでいた。
「そもそもここに橋を立てたらすぐに魔物に壊されちゃいますよ」
それもそうだ。あれだけのナマズ(?)がいたならちょっとやそっとの橋などすぐに壊されて終わりだろう。それこそもっと頑丈な、巨大な河川に立てるような橋でないと。そもそも必要が無いのに橋を建てるのは費用と労力の無駄遣いである。
「この川を渡りたいんですよね? なら私が運びましょうか?」
渡りに船ならぬ渡りに天使であった。喜んでお願いしたいところだが、あいにく私の体重は80kgを超えている(別に私は太っているわけではない。冒険に必要な体力と筋力をつけたら、自然とこうなっていたのだ)し、荷物の重さもそれなりにある。それをこんな小柄な女性が運ぶのはきついだろうと思ったので、丁重にお断りしたが、
「大丈夫ですよ。天界の人間ならそれくらいの重さは余裕です」
と言われた。もう驚かなかった。自分より一回り以上小さな女性が私より力持ちだからといって。
「今、失礼なこと考えてませんか?」
滅相もない。私はあわてて首を振った。にこやかに尋ねる彼女の顔が妙に恐ろしかった。
「一応言っておきますけど、私が筋肉質なわけじゃないですよ。魔法の力で筋力を上げてるだけです」
なんだ、そうなのか。私はなんとなく安心してほっと息をついた、がそれを彼女に見られていたらしく、彼女は黒いオーラを漂わせてきた。
何とか取り繕って機嫌を直してもらうことに成功した私は、早速彼女に運んでもらうことにした。
彼女は私の背後にまわり、背中から力強く私を抱きしめた。私はその豊かな感触に柄にもなく赤くなっていると、
「それでは、行きますよ!」
私は空を飛んだ。