「……すいません、大丈夫ですか?」
大丈夫ではなかった。断じて大丈夫ではなかった。
飛行の際彼女は、私が失礼なことを考えていた腹いせだろう、ものすごい速度で空中遊泳をさせてくれた。それはもうこちらの顔が真っ青になるほどに。
ジェットコースターに乗っていた気分だった。いや、まだジェットコースターのほうがましであると思う。ジェットコースターはまだ安全が保障されている(100%とは言えないが)が、こちらは彼女に抱きしめられているだけであった。彼女が何かの拍子に手を離してしまえば一発でジ・エンド。あんな思いは二度としたくないものである。
まだうずくまっていた私は深呼吸してなんとか気分を落ち着かせ、彼女の方を見た。その表情には申し訳なさがいっぱいに広がっていた。
内心もう少しだけ蹲っていたかったが、これ以上彼女を心配させるわけにもいかなかった。納得いかないところもあるが、原因を作ったのは私なのだ。私はその報いを受けただけ。断じて彼女のオーラが怖いから反論できなかったわけではない。
私はなんとか立ち上がり、平気であることを示した。
「よかった……私のせいで倒れられたらどうしようかと思いました」
事実、倒れていたが。
「そういえば自己紹介もしてませんでしたね。私の名前はフローラ=ノースウィンドといいます。よろしくお願いしますね!」
私も自分の名と、自分が天界の遺跡などを見るために探検をしているということを告げ、彼女に握手を求めたところ、
「?」
きょとんと首をかしげられた。
その姿も容姿と相まって様になっていたが、握手が拒否されたのかと少しばかり落ち込んだ。
「あの……この手は一体どう意味でしょうか?もしかして地界の風習だったりします?」
……失念していた。そう、ここは天界なのだ。街で出会った人たちの対応から、天界の作法も地界の作法も同じなのだと思っていた。いや、そもそも地界であっても握手の風習がない地域があるというのに、つい癖でやってしまった。
私は、これは地界の一部の風習で、お互いの手を握り合うことで挨拶や友好の情を表わすものだと伝えた。
「へぇ~、地界にはおもしろい風習があるんですね。こっちの世界にはそういった風習はどこにもないと思います」
とはいっても、自分の住んでいる町の周囲しか知らないですけど、と彼女は付け加えた。
「代わりにこちらの世界で親愛の情を示すにはこうするんですよ」
そう言って彼女はいきなり抱きついてきた。突然の行動に驚くも、踏ん張って何とかこらえた。
身長差から、彼女はこちらの胸に顔をうずめる形となっている。ふと、彼女がこちらを見上げてきた。
「大体の地域ではハグすることで親愛の情を表わすんです。普通は初対面の人にはしないんですけどね」
それはいいから早く離れてほしかった。彼女の一部突き出た部分が、私の体にあたってひしゃげていた。その光景と感触に加え、彼女の見上げる姿は、それはもうかわいらしく、必死に自制をしていなければとっくに彼女を押し倒していただろう。
彼女は私にそういう耐性が無いことを見抜いていたのか、私がしどろもどろして赤面している様をニコニコしながら見ていた。きっと彼女は自分の魅力に自覚的なのだろう。とすればこれは先程の詫びのつもりなのだろうが、むしろ心労の方が溜まりそうである。
私はなんとかこの状況から脱しようともがいていた。が、
不意に背筋に冷たいものが走った。
この感覚は、何度も経験している。冒険をしていて、クマに襲われた時、頭上から岩が降ってきた時、橋が崩れそうになった時。
そう、これはつまり、死の危険。逃げなければ死ぬぞ、という第六感からの警告。
私はその警告に従って、彼女を抱えて右前方に飛び込んだ。
「え、ちょっ、そんな、私そんなつもりじゃ……」
とかなんとか彼女は言っていた気がする。その時の私にはその言葉を聞いている余裕はなかった。なぜなら、私達がほんの数瞬前に立っていた場所には、
銀緑色の体毛を持つ巨大な狼が居たのだ。