渡る世間はヤンデレばかり   作:トクサン

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俺の彼女は「もしも」が多い

(かける)さん、朝ですよ? ほら、起きて下さい」

 早朝、僅かな冷気が布団の隙間から俺の体温を奪う中、布団を手繰り寄せようとした手が暖かい何かに触れて意識が覚醒する。それから自分を呼ぶ声を認識し、未だ霞む視界の中で此処半年見慣れた顔が映る。

「朝ごはん、出来てますよ?」

 整った顔立ちに長く艶やかな黒髪、彼女に似合った和服は一週間前に俺が送ったモノ。段々と靄が掛かった思考が回転数を取り戻し、彼女の顔を見て「おはよう」と告げた。そして自分が未だ寝床で横になり、彼女が起こしに来たのだと理解する。

「はい、おはようございます」

 全くだらしない俺を起こしに来た彼女は、しかし全く嫌そうな顔一つせず寧ろ嬉しそうに微笑みながら俺を見て居た。上体を起こして伸びを一つ、彼女は俺が起きたのを確認した後に退出、布団を捲ると冷気が自分の肌を舐めるがもう慣れたモノ。寝床から抜け出すと手早く布団を片付けてしまい寝室を後にした。後は洗面所で顔を洗って、相変わらず酷い寝癖だと確認しつつ彼女の居る和室へ。

「今日はオムライスを作ってみました」

 和室に入った俺に声を掛けながら配膳をする彼女、和室の木製テーブルの上に並べられたのは新鮮なサラダと少し大きめのオムライス、それにコーンスープだった。彼女は見た目が如何(いか)にも大和撫子と言った風なのに和食が苦手だったりする、最初は何となく違和感を抱いていたが、今ではもう寧ろ洋食に慣れてしまって稀に練習で和食が出ると「あれ」と思うほどになってしまった。慣れと言うのは怖いモノである。

「中にチーズも入れてみました、お口に合うと良いのですが」

 振り向き、にっこりと笑みを浮かべる彼女。俺は頷きながら座布団の上に座る、彼女も続いて俺の隣に腰を下ろした、彼女は何故か俺の隣が好きだった。

「頂きます」

 スプーンを手に取って出来立てのオムライスを一口、熱々のソレを噛みしめながらオムライスの上に書かれた文字に目をやる。

上に赤色で書かれた文字はー「浮気は絶対に許しません」

 浮気とは何だろうか、俺に彼女は居ないのだけれど。

確認の意味合いも兼ねて隣の彼女に視線を飛ばす、にっこりと意味ありげに微笑む彼女。

― 見なかったことにしよう。

というか端から端までびっしりと書かれた文字に赤色が不気味だ、そう思うのは俺だけだろうか、そうか俺だけか。

 もぐもぐと口を動かしつつ浮気、彼女、浮気、彼女、と思考が空回り、やはりまだ寝ぼけているのだろうかと他人事の様に思う。それから隣でじっと俺を見つめる彼女に気付いて、半ば反射的に「美味いよ」と声を出した。

「あっ‥‥」

 ぱぁ、と。

 彼女の顔に花が咲く。

結構気丈に見えるがこの彼女、かなり心配性なのだ。

 俺がこの旅館に流れ着いて既に半年が経とうとしている。時の流れは早いもので、彼女の好意で住まわせて貰ってからは一気に時が加速した感じだ。最初は住み込みで働くと言う条件で雇って貰っていたと言うのに、何故俺は彼女の家で一緒にご飯を食べている、不思議だ。

 そう、最初は本当に住み込みで働いていた。

 彼女の一族が経営している旅館に流れ着き、彼女の好意で旅館の従業員となり住み込みで働き、しかし何故か彼女は毎日俺の部屋を訪ねて来て、何かと「不便はありませんか?」と聞いてきたのを覚えている。自分にとっては衣食住全てが揃っているので不便な事など無いと言い続けていたのだが、ある日唐突に「そうだ、私の家で一緒に暮らしましょう! 貴方もそれが良いですよね!」と言われ俺の預かり知らぬ所で元より少ない荷物が全て彼女の家に運ばれ‥‥あれ、本当に何で俺は此処に居るんだろう?

 気付けば彼女の家の一室が俺の部屋になり、気付けばその部屋は半ば彼女の部屋にもなり、気付けば隣に布団を敷いて一緒に寝ていた。

訳が分からない。

それどころか掃除洗濯炊事まで全て彼女がやってしまうのだ、最早居候というよりも客人の域である、申し訳無くてしょうがない。だが「俺がやります」と進言しても「私の仕事を取らないで下さい、これは義務なのです」と頑なに譲らない。何が彼女を駆り立てているのか俺には分からない。

誤解の無いよう言っておくと、一緒に寝ると言う部分では最初こそ俺は反対した、確か一人で寝るが最近寂しいので一緒に寝て欲しいと言われたのを覚えている。流石に男女が一つ屋根の下で寝床を共にするのは拙いのではないかと思ったし、口にもした。他人の家に住まわして貰っている身でどうこう言うのは非常に気が引けたが、これは貴女の為でもあると追い出される覚悟で進言したのだ。しかし返ってきた答えは「とても誠実な方なのですね‥‥」である。尚、頬を紅潮させて潤んだ瞳もセットだ。それ以降何を言っても似た様な反応しか返ってこなかった。

結局、渋々承諾して一緒に寝る様になったのだが彼女には何と言うか、少しだけ変わった趣味(?)があった。

 俺が寝付くまで、じっと此方を見つめ続けるのだ。

 最初は顔に何かついているのかと思ったが、そう問うても「いいえ」と返してくるので俺は実はとんでもなく警戒されているか、(あるい)は嫌われているのではないかと推測していた。しかし、訝しんでいるのが分かったのだろう、彼女は顔を赤くしながら「違うんです!」と捲し立てた。曰く、人の顔を見て居ると安心して眠れるとの事。

 珍しいと思ったし、少しだけ変だとも思ったが、別段そういう理由なら気にしなくて良いかと自己完結。まぁ俺の顔で良いなら別に幾らでもどうぞと言うと、彼女は本当に、それはもう、本当に嬉しそうに眺め続けた。最近では彼女の視線を意識しなくなり、布団に入ればどれだけ見られていても()ぐ眠れるようになった。良い事なのか悪い事なのか分からないが、まぁ良い事だと思っておこう。うん、きっと良い事だ。

 彼女自身、若くして両親を亡くし人肌恋しい時期だと思えば納得も出来る。若女将としての重圧とか責任とか、家に居る時くらいは忘れて欲しいと思ってしまうのは彼女とそれなりに長い時間を過ごしたからか。

 オムライスを口に運びながら彼女の方を盗み見る、自分の料理を噛み締めながら「うん、今日も上手くできた‥‥」と小さく呟く彼女は、旅館に出れば若女将として忙しなく働くのだろう。家では年相応に振る舞う事が出来ているだろうか、ちゃんと休めているだろうか、そう聞いてしまえば早いのだろうが、何となくこういうのは押し付けるものじゃないと思って胸の奥に仕舞った。

 

「今日は五時くらいに終わると思うので、お昼には一度帰って来ますから」

 彼女が支度を終え玄関に立つ、姿は和服のままで手には手提げ袋が一つ。彼女の家は旅館本館から数分程歩いた離れにある一軒家で、彼女の一族が住んでいた場所でもある。元々一族経営だった為近い場所に家を構えたかったのだろう、幸い職場が近いと言うのは便利で出勤近くまで家でのんびり出来る。通る道も全て彼女の所有地、旅館の敷地内だ、何と言う贅沢。

「分かった、何か手伝いが欲しかったら言ってくれ、すぐ行くから」

「はい‥‥では、行って参ります」

 いってらっしゃい、そう言って俺は玄関で彼女を見送る。扉の向こうに消えた彼女を確認して扉の鍵を閉めた。元々は鍵など掛けない家だったらしいのだが、何故か俺が来てからは彼女に「防犯はしっかりして下さいね、鍵は掛ける事、後は何かあれば旅館の警備の方が飛んできますから」と言われた。何故かは知らない、けれどまぁ彼女には彼女の考えがあるのだろう。

 さて、今日も一日何をしようか。

 誰も居ない家の中を見渡しながら、俺はそう思った。

 ― 言い訳をさせて貰えるのならば、別に俺はヒモになる気持などサラサラなかった。

 俺は悪く無い、いや()しかしたら少しは俺が悪かもしれない、うん、二割とか三割とかその位。

 先に話した通り、俺は最初こそ本館の住み込みで働いていた。住み込み従業員用の部屋が本館三階に用意されており、六畳一間の小さな部屋で俺は二週間ほど過ごした。仕事そのものは然程難しくも無く、以前の職場で経験したスキルなども発揮しそれなりに働けていたと思う。しかし、何と言うか旅館の仕事は何かと人手が足りなくなる事がある。人気があるならば尚更だ。

 結果、当初表の仕事をやる予定が無かった俺が運悪く応援で駆り出され、裏方の仕事しか覚えていないと言うのにぶっつけ本番で接客。当時の焦りと言えばそれはもう凄かった、内心「ヤバイ」を連呼していた位には焦っていた。妙齢の女性を部屋まで案内し、新規のお客様だったので旅館の事を説明、具体的には温泉の位置や食事の時間帯など。この辺りは俺も最近説明を受けていたので何とか切り抜けられた。

 問題はその後だった。

 自分で言うと少々ナルシストっぽくなるのだが、俺は顔が良い。取り敢えずぱっと見て「かっこいい」と言う程度には整った顔立ちらしいのだ。おまけに背も高く全体的に細身で見栄がある、これのせいで今まで色んな厄介事があったり無かったりするのだが、今回はそれが悪い方に働いた。

 そう、俺の事を気に入った女性が指名して来たのだ。

 食事を運んで来たり、お酌をしたり、接客の仕事と言うのは存外多岐に渡る。そして俺を気に入った女性が俺を寄越せと要望を出した。旅館にそんなキャバクラ(まが)いシステムは存在しないので「知るか」と一蹴する事も可能だったが、旅館と言うのはサービス業だ。俺を拾ってくれた恩もあるし、自分がやれる事をやらずに旅館の評判を下げるのは嫌だったので、俺は自分から「やります」と声を上げた。

 それが悪かったと言えば、まぁ悪かった。

 食事を運んで、お酌をして、何かと話しかけてくる女性に相槌を打ちつつ、接客というのも中々大変だと前職場の営業の辛さを噛み締めていた所でその日は解放された。しかし、表に出た事で俺の存在がお客様に知れてしまったのだ。

 新規のお客さんには「きゃ、イケメン」常連さんには「イケメンの新人さん」と認識され、十代後半から七十代まで広い年齢層の女性客に何かと呼びつけられる様になった。一週間程掛けてそれなりに覚えた裏方作業は終わりを告げ、気付けば料理を片手に客室を行き来し、お酌をして話相手となる。それから明らかに何でも無い用事で呼びつけられたり、具体的には温泉の場所が分からないので案内して欲しい等。流石に案内を見ろと頭ごなしには言えないので、案内した後客室にあるパンフレットをご覧下さいと言っておいた。兎に角俺の本来の仕事は放りっぱなしで接客に奔走する結果となったのである、それには俺も参った。客である以上あまり強く言う事も出来ない、殆ど表の仕事に従事し一週間ほど経過した頃、唐突に彼女が俺の元へとやって来て例の「一緒に住もう」発言をした。

 最初こそ戸惑い慌て、一体どうしたのだと遠回りにお断りの言葉を投げかけてみたのだが、半ば強引に同居は成立した。

 そしてその後は知っての通りヒモ男よろしく、家で怠惰に日々を過ごす生活。この生活を続けてどれ程の時間が経っただろうか、既に旅館の仕事仲間からも「若旦那」と呼ばれ、いい加減洒落(しゃれ)にならない所まで来ている。仕事もせず家事も出来ない、毎日ごろごろし本を読むだけの生活。もとよりアウトドアな趣味など持ち合わせていないが日にちすら把握出来なくなる程堕落するのは間違っている、彼女に寄生して‥‥これではダメ男では無いか。いや、実際の所ダメ男なのだろう、きっと彼女はダメ男生産機に違いない。

 この家に来て一ヵ月程経過した頃だろうか、流石にこんな生活をずっと続けるのは間違っていると思った俺は彼女に直談判した事がある。仕事をさせてくれと、今こそ巣立ちの時だろうと。最悪旅館でなくともアルバイトでも良いから働かせてくれと。

 一瞬で却下された。

「翔さんはこの生活に不満があるのでしょうか? 何かあるのであれば言って下さい、何でも要望は聞きますから、お金が必要であれば用意します、食事が気に入らないのならば厨房の料理人に教わります、掃除が未熟であるならば今以上に努力します、住居が良く無いのであればリフォームします! ですからどうか、どうか此処から出ていく何て言わないで下さい‥‥ッ!」

 いや、別に出ていくとは言っていないのだけれども。

 しかし既に彼女の耳は俺の言葉を聞きとらず、嫌々と首を振りながら俺に縋りつく彼女。一向に俺の弁解は聞き入れられない、俺の腰を抱き衣服に顔を埋めながら泣き喚く彼女、一体何が彼女をそこまで突き動かすのか。結局その日は俺が折れて、一日中彼女を慰める羽目になった。

「うっ‥‥ぐすっ‥‥もう、家を出たい何て言いませんか?」

「言わない、言わないから」

「わ、私の言う事、ちゃんと聞いてくれますか‥‥?」

「お、おう‥‥聞く、ちゃんと聞くよ」

「ぐすっ‥‥本当に‥‥? 私の事、裏切りませんか‥‥?」

「裏切らない、大丈だよ‥‥」

「じゃ、じゃあ、これって、事実婚って事で良いですよね!」

「そうだな‥‥ん?」

 その日、最底辺だった彼女の機嫌は何故か一気に最高潮に達した。

その日を境に彼女は俺を執拗に構う様になり、何処に行くも一緒になり、より一層仕事を得る事が困難になり‥‥。気付けば「仕事が欲しい」と再度挑戦する機会を完全に失い、ダメ男が一人。

 どうしてこうなった。

 いや、実際問題彼女は非常に優秀な『ダメ男生産機』(女性)なのだ。気配り上手と言うか、痒い所に手が届くと言うか。旅館の仕事で養ったスキルを家でも遺憾なく発揮した結果、ついつい甘えてしまう癖が俺に付いてしまった。

 例えばお腹が空くと、丁度良いタイミングで「ご飯、出来ていますよ?」と言ってくれたり。

 例えば風呂場のシャンプーが切れていたりすると、補填しようとして風呂場の外に出た瞬間、代わりのシャンプーを持った彼女が居て「こちらを使って下さい」と手渡してくれたり。

 例えば朝起きた瞬間に「おはようございます、着替えを用意しておきました」と朝の準備をしてくれていたり。

 例えばテレビのリモコンが見つからずに右往左往していると、お目当てのモノを持った彼女が「これですか?」と微笑んでくれたり。

 まぁ兎に角、彼女は非常に気が利くのだ。

 何故風呂場の扉前に居たのかとか、いつから枕元に座っていたのとか、色々疑問に思う事はあるけれど、彼女のそのスキルに俺はすっかり骨抜きにされてしまった。唯一探し物で見つからなかったモノと言えば昔のスマホ位か。大事な人達の連絡先が入っていたのだが、まぁ失くしてしまったのなら仕方ない。それも又、神様の(おぼ)()しと言う奴なのかもしれない。家の管理はお手の物、全く以て俺がダメ人間になった理由が分かると思う。そう仕方ない、仕方ない事なのだコレは。

 

― そう決めつけて、堕落したら本当のダメ男だ。

 

 俺はリビングを素通りし家の奥へと向かう。そこは数多の本で埋め尽くされた書斎、彼女曰く生前父親が使用していた部屋らしい。本の匂いが充満する部屋の一角、四方を本棚に囲まれた中にポツンと佇む木製机と座布団。その上に小さなタブレットPCが畳まれていた。

 家の外に出れないなら、中で稼げば良いじゃない。

 そう思い付きこの仕事を始めたのが二ヵ月程前からだろうか、専業主夫の様に家事も出来ず、かと言って外に出る事も許されない。しかし今の時代は家に居ながら仕事も出来る「IT」と言う素晴らしいツールが存在するのだ。幸か不幸か、こういった老舗旅館の女将である彼女はてんでこう言った情報ツールの存在に疎く、ネット環境が欲しいと言ったところ旅館の方から態々有線を引いて来てくれた。こう言ったネット上の色々は旅館事務員に任せているらしい、まぁ確かに適材適所と言うものがあるし何でも完璧だったら寧ろ俺が居た堪れない。彼女の用意してくれたネット環境を有り難く頂戴し、ネットで金銭を得る方法を模索したのが二カ月と一週間前。

幸いにして大学時代にPCを頻繁に使用していたので特に問題も起きる事無く、何とか現在まで漕ぎ着ける事に成功する。ネットで稼ぐ方法と言えばFXや株取引等などが代表的だが、元手が無く十分な知識も無かったのでその辺りは敬遠した。アフィリエイトも軌道に乗るまでが大変だし、ましてや人を沸かせる様な記事を定期的に書く才能など俺には無い。さてどうしたものかと考えている俺の元にふと一つの広告が目に入った。

 

― 電子書籍、貴方も物語を書いてみませんか?

 

 小説か、などと俺は柄にもなく考え込んだのを覚えている。

 元々本を読むのは好きだったし、何か文字を書くと言う事が苦痛であると言う訳では無い、寧ろ好きだと言う部類に入るだろう。しかし読むのが好きでも実際物語を書くとなれば話は違う、ましてやそれで金銭を得るなどと。しかし元手がゼロで始められると言うのは魅力的だったし、仮に失敗しても損失も無い、幸いにして必要な時間は腐るほど有った。

モノは試しだ、駄目だったら他の方法を考えよう。

 そう思い俺は素人ながら小説を書き始めた、ジャンルは自分が興味のあった「ホラー系」、SFやファンタジーにも何となくチャレンジしてみたかったが敷居が高そうに思えて断念した。小説を書くとなると大筋の物語が必要になってくるが、特に面白い話を持っている訳でも無い俺は自身の体験をそのまま綴る事にする。ジャンルがホラーなのかは非常に微妙なところではあるが、まぁ別段ホラーに拘っている訳では無いので完成次第ジャンルを決めても良いだろう、目指すはホラー、完成品は行き当たりばったり。そうして書き出した小説ではあるが、自分の予想に反し驚く程滑らかに筆は進んだ。大学の論文や中学の読書感想文を書くよりも遥かに早く指はキーを叩き、頭に浮かぶ文字を書き起こしていく。小学校での出来事、中学校での出来事、高校での出来事、大学での出来事、そして今に至るまでの経緯。全てを文字に書き起こし一ヵ月掛けて俺は一本の小説を完成させた。

 だが所詮は初心者の書いた「なんちゃって」小説だ、売れる筈が無い。俺はそんな事を思いながらダメ元で小説を投稿、審査を終えて適当な写真を表紙に張り付けた俺の一冊はモニタの中に並ぶ事となった。期待もしない、売れるとも思っていない、そんな一冊だったのだ。

 しかし、何と言うか。

 世間と言うのは中々どうしてイロモノを好むと言うか。

 小説の投稿を終えてから一週間、あまり期待もせずに執筆した小説の事は既に頭の中から抜け落ちて、ある種の達成感に浸りながら自堕落に過ごした日々。しかし、いい加減達成感に浸るのも飽きて来て。さて新しい金策を探そうと思いたち、ふとweb履歴から小説の事を思い出した。一冊位は売れてたりするかな、何て淡い期待を抱きながらマイページを開いた俺は

「マジか」

 素でそんな言葉を口にする事となった。

 マイページに張り付けられているたった一冊の小説、その下に表記される販売冊数カウンター、その数字が「3000」と言う文字を表示していたのだ。いや流石に何かの間違いではと思い購入者推移を確認してみれば、初日で数人が購入し翌日から徐々に増え、今日に至っては800人が購入していた。

「マジか」

 同じ言葉を繰り返す位には衝撃であった。こんな小説初心者、なんちゃって小説を購入した人が三千人も居るとは、小学校時代では全校生徒が千人前後だった、と言う事は何かアレの三倍か、あれだけの数が自分の小説を読んでいるのかと。そう考えると何かむず痒い様な、嬉しい様な、何とも表現し難い感覚を覚えた。

 しかし成果は成果である、兎にも角にも三千冊が電子書籍として販売されたのだ。俺の小説は販売価格を二百円と設定していた、それが三千冊売れたので‥‥頭の中で計算機を叩く。

 六十万だ。

「マジか」

 三度目の驚愕、しかし内三割は税として徴収されるので十八万円が天引きされる。手取りは四十二万、だとしても十二分な額だろう。いやもう驚きを通り越して呆然とした、数冊売れてまぁこんなものだよなと苦笑いを浮かべる自分を想像していただけに、まさかこれほどの金を生むとは予想だにしていなかった。慌ててネットから銀行口座を確認してみれば、お金がキチンと振り込まれていた。棚から牡丹餅(ぼたもち)、まさか生きている内に経験する事になるとは。

 しかし、しかしである。

 これで俺はダメ男脱却なのではないだろうかと、俺はその時思った。内職で食っていけるだけの金を自分で稼いだのだ、それはつまり彼女に寄生しているのでは無く共生であり、そうしたらもうダメ男などと言う言葉とは無縁となる。これはその第一歩であると、俺の中の誰かがそう叫んだ。

そうして俺はその購入者数に後押しされる形で小説家デビューを決め、面白い話の作り方やら文章の書き方を学ぶために本を読み漁ったり実際に書いたり、今までの生活とは一線を画す多忙な日々を送った。

そんなこんなで一週間が過ぎ、一ヵ月が過ぎ、二カ月経って今に至る。

静謐な書斎でキーボードを叩き、いつもの如く仕事を始める。マイページに表示される小説はこの二カ月で三冊に増え、それぞれが俺の収入源となっていた。下手すると過去のどの仕事よりも収入が良い、ある意味コレが俺の天職なのかとすら思い出し始めた。購入者は徐々にだが増え初め、何となくそれなりに名前が売れて来たと実感できる程度にはなった。この二カ月の間に俺は多額の金を手に入れ、同時にダメ男脱却を果たしたのだ、笑いが止まらないとはこの事か。

とまぁ、言ってしまえば俺はその時「調子に乗っていた」。

ヒモ同然だったダメ男が職を手に入れ、それなりの金額を稼げる様になったのだからある程度天狗になってしまうのはしょうがないと、そう思って貰えるのなら幸いである。しかし問題はソコ(天狗)では無く、その書籍の存在を知ってしまった人に有った。

小説を書き始めて二カ月と少しが経ったある日。その日、いつも通りの時間に帰ってきた彼女を玄関で出迎えた俺は彼女の纏う雰囲気がいつもと違う事に気付いた。見た目はいつも通り美しく凛としている彼女、だが何故だろうか。

その背後には真っ赤な般若の怒り顔が見えた。

俺のその時の心の声を言い表すのであれば「あっ、殺される」である。

 

「少しお話があるのですが、(よろ)しいですね?」

 

ここで断れる人間が居るのであれば連れてきて欲しい、そいつを生贄に俺は生きる。

 彼女に手を掴まれて居間に連行された俺は、彼女と対面する形で座布団の上に正座で座り、重々しい空気に唯々耐えていた。そうして余所行き姿の彼女と数分の沈黙を守った俺は、彼女の第一声に心臓が凍る事となる。

「『()()の記録』」

 思わず肩が跳ねたのは小心者である自分の(さが)か、笑っているのに目は本気(マジ)な彼女は俺のその動作に「ふふっ」と声を漏らし、それからゆっくりと身を乗り出した。

「この小説、とあるお客様が面白いと(すす)めてくれたのです、何でもリアリティのある生々しい人間関係が何とも読み応えがあるって‥‥この本、作者は貴方ですよね?」

 「いいえ」と答えたら信じてくれるのだろうか、そう思考するが彼女の目は殆ど確信を抱いている人間の目だった。こちらの腹の中どころか、臓物全てをぶち抜いて思惑ごと引っこ抜きそうな眼光だ。ここで悪足掻きをするよりも正直に白状してしまった方が罪は軽くなるだろう、そうに違いない、そうであって欲しい、そうですようにお願いします。

 消え入りそうになる程小さな声で「‥‥はい」と答えた俺に対し、彼女は口元を三日月の様に歪めながら「そうですか」と言った。殆ど確定事項だったのだろう、それ程大きな反応を見せる事無く彼女は淡々と語り始めた。

「私は別に怒っている訳では無いのですよ(かける)さん? 貴方が私の預かり知らぬ所で作家として活動している事も、お金を稼いでいる事も、見知らぬ誰かの為に労力を割いている事も、えぇ少しも怒ってなどいません、本当にこれっぽっちも」

 激怒している様に見えるのは俺だけなのでしょうか、俺だけですか、はい、そうですか。聖母の様に手を胸に添えて語り掛ける彼女はパッと見れば実に優しそうだ、けれどその瞳を覗き込めば炎の如く激しい感情が見て取れる。俺が理解出来る事実は一つだけ、彼女はとても「怒っている」

(かける)さん、私は何も小説を書くなと言いたい訳では無いのです、貴方には貴方の人生があるんですもの、それでお金を稼ぎたいと言うのであれば私は応援致します、けれど一つだけ、そう一つだけ教えて頂きたいのですが‥‥」

「な、なんだ」

 すっと目を細めた彼女の気迫に呑まれながらも言葉を返す。固唾を呑んで見守っていた俺は、唐突に顔を突き出して来た彼女に面食らう。突然の事に思わず仰け反りながら、視界一杯に広がる彼女の顔と甘い香りに一瞬意識が真っ白になった。

 そして紡がれる一言。

「これは、貴方の実話ですか?」

 凍てつく様な冷たい声色と、しかし裏腹に満面の笑みで放たれた言葉に俺は硬直せざるを得なかった。その態度で分かったのだろう、すっと部屋の温度が数度下がった錯覚を覚えた。

そして、彼女の顔から表情が抜け落ちる。 

「えぇ、えぇ、十分に理解はしております、例え実話だとしてもそれは既に過去の話、今現在私と愛を育む貴方に微塵も未練など残ってなどいないと私は確信しています、しかし、それでも残る嫉妬心とでも言うのでしょうか、その女どもが貴方の手に、足に、胸に、頬に、唇に触れていたのだと思うと、抑え切れぬ程に大きな殺意が湧いて来るのです、例え今、この私と婚約し愛し合っていると理解していても!」

「愛、え? なに、婚約?」

 何か聞き逃してはいけない単語が彼女から出ている気がするのだけれど、ギリギリと歯を擦り合わせ、瞳孔を開いた彼女に口を挟むのは無理だった。

「もしも、もしもですよ? えぇ、えぇ分かっています、貴方は私を裏切らない! そう理解しています、けれどもしも、貴方が何らかの気の迷いで過去の女の元に去ってしまったら、或は連れ去られてしまったら、脅されたら、脅迫されたら、心変わりしたら、惑わされたら、もしも、もしも、もしも! そんな『もしも』に私は耐えられないッ!」

彼女は大きく身を乗り出して俺にどんどん迫って来る、既に俺は背後に手を着き半ば反る様な体勢になっていた。それでも彼女は迫って来る、お互いの吐息が感じられ、逃がさないとばかりの彼女の手が肩に掛かる。再度覗き込んだ瞳は、未だ(かつ)て無いほどに濁っていた。

「過去であっても割り切れない、ねぇそうですよね? 貴方だってそうでしょう? だから、そう、これは仕方のない事なのです、ですよね? そうですよね? (かける)さん? 仕方ない事ですよね? そんな『もしも』は必要ない、不要で、絶対にあってはならない事なんです! だから、そう、仕方ないんですッ!」

 俺に問いかけると言うよりは、自分に言い聞かせている様な言葉だった。ブツブツと何事かを呟きながら彼女が背後から何か大きなモノを取り出す、何時(いつ)の間にと驚くのも束の間、それを見て俺は自分の一生を予期した。

― あっ、ヤバイ と。

 

「これで、ずっと一緒です」

 

 能面の様な顔からすっと、喜色に染まった表情に。

 紅潮した頬、潤んだ瞳、垂れ下がった目じり、つり上がった口元、甘い吐息に少しだけ汗ばんだ肌。

 そうして彼女が手に持つのは (のこぎり)

 

「もしも足が無ければ勝手に何処かへ行ってしまう事は無くなりますよね? もしも腕が無ければ私無しでは生きていけませんよね? 私が居れば全て万事解決です、ね、そうですよね? もしも貴方が心変わりしても私が居れば問題ありません、もしも貴方が惑わされても私が居れば問題ありません、もしも貴方が、もしも貴方が、もしも貴方が、全部問題ありません、だって」

 

「私が居るんですから、ね?」

 

 うっとりと(のこぎり)を見つめる彼女を見ながら、俺は自身の結末を悟った。

 

 




 → 「待て、はやまるな!」 逃げ出す

     √A へ




 → 「分かった‥‥好きにしてくれ」 全てを受け入れ諦める

     √B へ





2015/12/24 追記

 何だか随分伸びるなぁと思っていたら短編ランキング日間一位になってました‥‥
(;゚Д゚)ガクブルガクブル

 い、良いんですか、こんな「ヤンデレぇ!ヤンデレぇ!」しか言って無い様な小説が一位で!? しかも見たら週間にも食い込んでるし‥‥もしかしてハーメルンさんには存外ヤンデレ好きが多いのでしょうか!? まさか此処がヤンデレ好きの理想郷(ユートピア)ッ!?Σ(゚Д゚)

 いやはや、こんな作品が評価されたのもヤンデレ大好きな皆様方のお蔭です<(_ _)>

 どうかこれからもヤンデレ共々、宜しくお願いします(*´▽`*)

 

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