渡る世間はヤンデレばかり   作:トクサン

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俺の彼女は素直になれない

 

「ちょ、ちょっと、本当に大丈夫なの?」

 俺の目の前で右往左往しながら心配そうに見つめる小柄な女性、それに対し「大丈夫、大丈夫」と言いつつ纏まった荷物を肩に担ぐ。それなりの重量を誇るそれらに、少しだけ体が悲鳴を上げるが特に問題も無く、病み上がりの運動としては最適とも言えた。

「あんまり無理しないでよね‥‥べ、別に心配してる訳じゃないけど」

 そっぽを向きながらも心配げな視線は外さない、チラチラと此方を盗み見る『女性』‥‥‥いや、『彼女』は実に愛らしい。

 色素の薄い髪は僅かに白が混じり、ツインテールに結ばれた髪が動きに合わせて揺れる。碌に外に出ない為か肌色も白く、見る者全てに儚げな印象を与える。だがその実、性格は非常に負けず嫌いで気が強い。初めて逢った時はそのギャップに暫く呆然としたものだと少しだけ懐かしく思う。

「何よ‥‥?」

 じっと見過ぎたためか僅かに頬を赤くした彼女がじっと此方を見つめる、「あぁ、いや、何でも」と誤魔化しつつ、見惚れていただなんて恥ずかしくて口に出せない。照れ隠しに荷物を指定された場所へと運び出す為、歩き出した。

「あ‥‥そ、そうだ、きょ、今日の夕食は何が食べたい? 私からコックに言っておくわ!」

 俺が歩き出すと、()かさず後を追って隣に並ぶ彼女。最初の頃はそれ程一緒に居なかった俺達だが、最近は彼女の方から俺に寄って来る。俺みたいな奴と一緒に居ても楽しいとは思えないのだが、一度そう口にしたら「そんな事無い!」と声を大にして否定されたので今は何も言わない。

「夕食? うーん‥‥特に食べたいものとかは無いなぁ」

 実際一緒に居て何か悪い事がある訳でも無いし、別に良いかなぁと思っている。

「そう‥‥貴方、本当に食事に頓着しないのね」

 俺の答えに満足しなかったのか、少しだけ寂しそうにする彼女。だが実際何か食べたいものがあるかと言われても、コレが食べたいという欲求が湧いて来ないのだ。

「そうだな、既に満たされた感じがすると言うか、何と言うか‥‥」

 俺は自分でそう口にする、だが容量を得ない言葉に対し彼女は首を傾げ「‥‥良く分からないわ」と言った。

 実際、俺自身も良く分かってないんだ、そう言って笑う。

 元来そういう性格だったのか、或は何かしら自分の知らない所で既に満たされていたのか。それを知る術はもう無いのだ。

「あっ、此処(ここ)よ」

 彼女が不意に立ち止まり扉を指差す、どうやらこの部屋が目的地らしい。彼女が開けてくれた扉を潜り、荷物一式を床に置く。久々の肉体労働に体が早くも疲労感を感じるが、中々どうして清々しい気持ちだった。やはり体を動かすのは良い、もしかして俺はスポーツとかが好きだったのかもしれない。

「ありがとう‥‥でっ、でも他人の仕事を奪うのは感心しないわ!」

 お礼の言葉を口にしつつも、次いで直ぐに説教を吐き出す。何処かツンツンした態度はしかし本当に心を許した人間にしか見せない顔だった、それを俺は知っている。

「ははは、いやでも、ただ飯食らいってのも居心地が悪い、これくらいはやらせてくれ」

 この荷物は元々召使(めしつかい)さんが運んでいたものだが、女性には辛かろうと俺が譲り受けたものだった。実際それなりに体格が良い俺でも疲労感を覚えるのだ、女性では小分けにしても大分疲れる仕事だろう。ましてや運んでいたのは線の細い女性だったのだ、手を貸して然るべきだろう。

「~~~っ!」

 彼女はそんな俺を睨めつける様に見上げながら、その場で足を踏み鳴らす。

「何で、私だけに優しくしてくれれば、それでッ‥‥!」

 何やらぶつぶつと言葉を漏らすが、声が小さい為俺の耳には届かない。彼女は(たま)にこうした独り言を呟く癖がある。本人は直さなくてはと言っていたが、別に独り言くらい良いじゃないかと言うと、それ以来特に直す直さないと言った話題は出なくなった。

「‥‥そろそろ日も沈むし冷えるだろう、部屋に戻って暖かくしよう」

 窓の外を見てやれば既に水平線の向こう側へと太陽が沈んでく所だった。海辺の高台に建てられたこの別荘から見える風景は実に美しい。時間があれば何時までも眺めていたいが、此処に住む主にとっては別段珍しくも無い風景だろう。

「えっ‥‥あ、うん、そうね‥‥」

 一人思考に没頭していた彼女が俺の言葉で顔を上げる。

 退出する為に彼女の背を押しながら扉を潜ると「ちょ、ちょっと」と非難の声が上がる、しかし振り解かれる事は無い。そのまま彼女の部屋へと向かい、道中は無言。頬を赤くして俯く彼女は口をもごもごさせたまま視線を忙しなく動かしていた。何か言いたい事があるのだろうなぁと思いつつも、それを口に出さないのは彼女が思いの他口下手(くちべた)だからか。性格に反して本質は内向的、そんな所も彼女の魅力だと思う。

 部屋の前に到着すると、何やら言いたげだった彼女は諦めたのか「ありがとう」とだけ呟き、それから俺の裾を掴んだ。

「また、その‥‥あ、後で来てよね、貴方は、そのっ、わ、私の専属、なんだし‥‥」

 視線は俺を捉えておらず壁に向かって注がれているが、握られた裾を離す素振りは無い。首を縦に振るまで逃がさないと言う言外の主張なのだと、少しばかりだか同じ屋根の下で過ごした俺は知っている。

「分かっているよ、また後で」

 そう言って彼女の頭を撫でると彼女は花が咲いた様な満面の笑みを見せ、それから我に返った後「な、撫でないでよぅ」と拗ねたフリをする。最初は本当にスネているものだと思っていたが、彼女に仕えていた女性の一人から「実は嬉しがっているのを隠しているだけ」と言う話を聞いて以来、途中で手を止める事は無くなった。何だかんだ言って振り解く事も無く、手を離すと寂しそうな目で俺を見るのだ。今ではすっかり可愛がりたくなってしまっている。

「それじゃあ、すぐ戻りますから、仕事を片付けたらね」

 彼女の頭からゆっくり手を離すと「約束だからね? 破ったら分かってるよね?」と何度も念を押す、それに対し穏やかな笑みを浮かべたまま俺は踵を返した。その背に彼女の熱い視線を感じながら。

 

 

「あ、(かける)さん、お疲れ様です」

 屋敷の奥にある搬入口へと向かうと幾つかのクーラーボックスと一人の女性が佇んでいるのが見えた、女性は俺に気付くと手に持っていたボードを胸に抱きながら腰を折る、俺も女性に近付きながら頭を下げた。

「お疲れ様です優子さん、俺の分の仕事は残ってますよね?」

「はい‥‥でも、良いんですか? 病み上がりだと言うのに‥‥」

 優子さんは背後に積み上げられたクーラーボックスに目を向けながら、続いて申し訳なさげな顔をする。

「ははは、動かないと体も鈍ってしまって、治るものも治りませんよ」

 彼女の気遣いを笑みでやんわりと流しながらクーラーボックスの前に立つ。これらは週に一度から二度程この屋敷に運び込まれる食材で、優子さんはその点検を務めている。前は何人か複数の女性でこれらを厨房まで運んでいたらしいのだが、一つでも結構な重さになる。それを往復何度もと言うのは少々辛いだろう。

「一、二、三‥‥‥五つですか、今日は少ない方ですね」

「はい、何でも輸送船が一隻海賊に襲われたとか‥‥」

「海賊、ですか」

 何とも聞きなれない言葉に俺は思わず顔を顰めた。この文明時代に海賊とは、一体全体どういう事なのか。

「この辺りは日本と大分離れた諸島ですから、結構危険な海域みたいです、一応この島周辺は安全です、ご本家が警備の者を雇っていますから」

「そうなんですか」

 初耳だ、何とも貴重な情報だった。

「さて、じゃあさっさと終わらせますか、時間が経つと鮮度も落ちますからね」

 優子さんとの会話を打ち切りクーラーボックスの取っ手を掴む。中にぎっしり詰まった食材の重さは俺の筋肉を引き裂こうとするが、何とか持てない重さでは無かった。両手に一つずつ、二つのクーラーボックスをぶら下げながら厨房へと歩き出す。

「置き場所は大型冷蔵庫の前で良いそうです、詳しくは厨房の方に!」

 背後から優子さんの声が聞こえたので「分かりました!」と返事をして、えっちらおっちら厨房まで歩く。途中何度か立ち止まりながらも厨房のあるホールまでたどり着くと、コック姿の女性が待機しているのが見えた。こちらに気付いた女性は俺に手招きをする。

「あぁ、翔さん、ありがとうございます、ボックスは此方に置いて頂ければ後は私達がやっておきますので」

「分かりました、じゃあ残りも全部運んじゃいますね」

「はい、お願いします」

 後はボックスを置いてまた戻る、それを繰り返して三往復。腕が少しだけ痛くなってきた所で終了、後は厨房の人達に任せて俺は退散した。頼まれていた仕事はこれで終わり、いや頼まれたと言うよりも無理矢理取った様なものだけど。流石に寝床と食事を貰っている身で働かないなど日本人としての良心が咎めるのだ。

 元々俺の仕事は彼女の相手をする事なので基本的に行動を制限されたりはしていない、強いて言うなら余りお屋敷から離れない事だが、別段外に出る事に対して小言を言われる事も無かった。

「あぁ、お疲れ様です翔さん、お散歩ですか?」

「はい、綺麗な貝殻でも探してこようかと思って」

「分かりました、ですが‥‥」

「大丈夫です、近場で済ませますし、余り遠くには行きませんよ」

 屋敷の警備を任されている女性に挨拶しつつ、浜辺の方へと向かう。屋敷の出入り口は合計で三つ、表門と裏門、そして搬入用の入り口が一つ。俺が(もっぱ)ら使っているのは河岸方面から近い裏門であり、そこの守衛さんとはそこそこ話す仲である。彼女の前で話すと何故か咎められるが。

 しかし、大きい。

 歩きながら背後を見てやれば高台に建つ大きい屋敷、普通の民家二十軒分位のスペースを取っているのでは無いだろうか。それでいて住んでいる人間は俺を入れて二十人程度しか居ない。それで成り立っているのだから個人個人の能力が高いのだろうけど、外から改めてみた屋敷は圧巻であり、庶民感覚を有する俺にとっては正に(きら)びやかという言葉を体現した様な場所だった。

「さて、と」

 高台にある屋敷から舗装された階段を下って数分、海岸へと辿り着いた俺は少しばかり歩く。この辺りは良く彼女と散歩で訪れていた、滅多に外を出歩かないと聞いて俺が半ば無理矢理連れ出したのだ。最初の頃は少し歩いただけで疲れ切っていたが最近では二日に一度海岸まで降りてきている、その為この辺りの地理にはそこそこ詳しい。

 階段を下りた後に真っ直ぐ西へ、三分ほど歩くと切り立った崖の側面に辿り着く。此処まで来たら引き返すのが彼女との散歩ルートであるが、俺はその崖に『ある秘密』を隠していた。

「ふっ‥‥っ、よいしょ」

 崖の一角、切り立った岩肌の隅っこに盛り上がった砂と草木、流木や波で押し出された砂に混じったそれは違和感なく見えるが、それは俺が意図的に作った壁。それらを取り除くと中には大人二人が入れそうな空洞、その中心にソレは鎮座していた。

「良し‥‥大丈夫だ」

 全体を黒色で統一してあるゴムボート。

 通常のゴムボートより一回り程小さいそれは、二週間前から俺が作っている唯一の秘密だった。

 

― 俺の名前は(かける)、性別は男、生まれは日本だが彼女の家系に血の繋がった親族が居て、その繋がりで彼女の世話係り兼お目付け役と言う役職に就いている。

 

 

 という事になっている。

 

 

 俺は彼女の親族でもないし、本当は世話係でもお目付け役でも無い。普通に庶民的な暮らしを営んでいた一般人であった。それが気付けばこんな豪邸に住み、日本ではない何処かで暮らし、全く見知らぬ家系に名を連ねている。

 

 そしてこの島に来た当時、俺は記憶も失っていた。

 

 意味が分からない。

 その時の心境はその一言。

 記憶を失っていた時、俺は何故か海辺に打ち上げられた状態で発見された。脱力して動かない体をそのままに呆然と一時間程過ごしていた所を、この屋敷の警備に発見され回収されたのだ。そして、あれよあれよと屋敷に運ばれ、屋敷の人たちがあーでもないこーでもないと言いあっている内に、偶然部屋にやってきた今の彼女が一言。

 

「その人は、私のよッ!」

 

 意味が分からない、二度目の驚愕である。

 だが意味は分からなくとも、それは俺にとっては幸運だった。気付けばどこかも分からない場所で、記憶も無くし、財布も携帯も無く一人。そんな状況で発見された人達の保護に入れるなんて願っても無い事だ。

 

 何て思っていたが、どうやら俺は元々この屋敷の人間らしかった。

本当は違うが記憶の無かった俺は目の前に居た親切な人達を信じる他無かったのだ。人間心理的に参った時に囁かれる都合の良い言葉というのは、無条件で信じたくなる。

 その言葉を放ったのは他でもない彼女、身分は先程の通り。

 何でも数日前から行方不明になっていて、屋敷の人総出で探していたらしい。

 記憶が無かった俺は「そうなのかー」とホイホイ彼女の言葉を信じ、それから徐々にこの屋敷へと馴染んでいった。最初こそどこか人見知りらしく話す度に赤面したり、何かと後をつけては俺をじっと見つめて居たりしていた彼女だが、一ヵ月もすれば隣に来て笑いあう仲になった。

流石に朝起きて部屋の入り口を見たら、半開きの扉越しにじっと俺を見つめる彼女を見つけた時は驚いたが。何でも昨日の夜からずっと居たらしい、勿論次の日は風邪をひいた、何をやっているのか。その他にも朝起きたら隣に寝ているとか、三日に一度は不思議な味のするクッキーを焼いて食べさせてくるとか、そう言えば最近は俺が隣に居ないと不安がる様になったと傍仕えの人から聞いた気がする。まぁ、概ね良好な関係を築けていたと言えるだろう。

屋敷の人達も最初こそ他人行儀だったが、俺が無理を言って仕事を譲り受けてからは共に働く仲間と言う認識が強まった。それからは気兼ねなく接する仲になったし、スムーズにこの屋敷へと入り込めたと思う。

そんな日常が当たり前のように感じ、徐々にここでの生活が馴染み始めたなぁ思い始めたある日。

 

 階段から滑って落ちた。

 

 そう滑って落ちたのだ、それはもう盛大に。

 運が無かったと言えばそれまでだが、屋敷の絨毯が一部汚れてしまいクリーニングしようと話が上がった翌日、絨毯が取り除かれ大理石が剥き出しの踊り場で、ものの見事に滑った。ついでだから磨いてしまおうとか思った俺が悪かったのか。

まず手すりに後頭部を強く打ち付け、その後ゴロゴロと階段を転がり落ちた。その音を聞いた召使さんの一人が様子を見に来たところ、階段の下で力なく横たわった俺を発見、悲鳴を上げてしまったらしい。そして何だ何だと駆けつけた数人によって直ぐに医務室へ搬送、幸い怪我自体はそれほど大したものでは無く後頭部は若干切れた程度の傷で済んだ。

これは騒動の後で皆に聞いた話だが、駆けつけて来た彼女の表情はそれこそ青白いを通り越してほぼ真っ白だったと言う。この世の絶望を見たと言わんばかりに俺に縋りつき、この屋敷で行える最高の治療をしろと何度も医者に怒鳴ったとの事。後頭部の傷も幸い縫う程でも無く、全身の打ち身も骨折する程酷いモノでも無かったと説明したが、念には念をと言う彼女の言葉でそれはもう今回の怪我とは全く関係ない所まで検査された。

階段から滑り落ちて二時間ほど経過した所で俺は目が覚めた、俺の手を握って涙の痕も隠さず「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」とブツブツ呟いている彼女が目覚めて一番最初に目に入った光景だ。一瞬俺は死んだのかと思った、冗談抜きで。

「‥‥‥あの」

 ブツブツ呟いていた彼女に向かって声を掛ける、すると彼女は視認も難しい速度で顔を上げると俺に真っ直ぐその瞳を向けた。充血して涙の痕が見える目元、その奥底には薄暗い何かが見え隠れしていたが俺を視界に捉えるや否や一気に抱き着いてきた。

「ッ! お、起きたっ、起きたぁッ!」

 悲鳴とも歓声とも聞き取れる声、それを上げつつ俺の首元へと縋りつく。とても十五歳の少女の力とは思えない強い抱き締め攻撃を受け俺は打撲した箇所の痛みに呻いた、勿論それを悟られるような事はしなかったが。俺の首元に顔を埋めすすり泣く彼女、暫くすれば彼女の叫びを聞いた何人かの仕事仲間が駆けつけて来て、半狂乱の彼女をまず俺から引っぺがす作業に入る。それはもう、万力の如く締め付けだったとだけ言っておこう。

 後は彼女を何とか説得して、それから暫く安静にする様にと医者の説明を聞く。騒がしい喧騒が遠のき医務室が自分一人になった所で漸く一息()けた。自分一人の空間となるとそれまで機能を停止していた思考が周り始め‥‥。

 

― 俺、(かける)じゃねぇじゃん、(かがり)だよ

 

 後頭部を打ったお蔭か、或は他の要因があったのか、それは知らないが兎に角俺は忘れていた事の一部を思い出した。それはもう、何があってどうなって何故自分が此処に居るかとか。少なくとも自分が翔と呼ばれる人物では無いことは明らかであった。

 俺はあの日居酒屋から真っすぐ家に帰宅途中だった、まだ新米の俺は先輩に嫌というほど酒を煽らされ酔っぱらって研究所の資料を読んでから寝ようとか考えていたんだ、それから……。そう、突然横合いから真っ黒な車が突っ込んできた、最後の記憶は甲高いブレーキ音とサングラスを掛けた運転手、ボンネットに乗りあがる俺の体、浮遊感。そこでプッツリと全てが途切れていた。

 後は消化試合と言うべきか、俺は俺自身の本当の名前を思い出し、元の場所に戻るべく記憶を取り戻した事を内密に再度『翔』として日々を過ごしている。皆に内緒でボートを調達し、今か今かと機会を伺っていた。何故秘密にしているかと言えば、正直な所ただの(かん)である。

 どことなく嫌な感じがするのだ。

 そう、彼女に俺の秘密がばれる、或は記憶を取り戻した事を悟られる、どちらでも良い、そのどちらかが知れてしまった時点で俺はこの島から一生出られなくなる気がする。

 考えてみれば何故彼女は見ず知らずの俺を手元に置いたのか、態々(わざわざ)屋敷の人間全てに言い含めてまで。少なくとも俺は彼女の親族であった記憶など無いし、そもそもこんな大金持ちと縁があるとは思えない。

 それと彼女の行動だ。

 これはハッキリと言える、彼女は元彼女達と同じ感じがする。俺の今まで付き合ってきた女性は皆等しく異様に嫉妬深い女性ばかりであった、自慢になるが俺の顔は中々どうして整っている。学生時代は何人もの女子生徒に告白されたし、社会人になってからも幾度となくそういう色恋沙汰に巻き込まれた。

そして俺に言い寄ってくる女性というのが彼女に似ているのだ、何処となく危うげと言うか、激情を胸に秘めていると言うか。この感覚ばかりは言葉にする事が難しい、兎にも角にも彼女達と少なくない時間を過ごして来た俺には分かる、彼女も又それらの同類であると。

 本当なら数ヵ月此処に置いてくれた恩人を裏切る様な真似はしたくないが、如何せん不自然な点が多過ぎた。結果俺は行動に出て、逃亡の準備も万全にしてある。

 そして今に至ると。

彼女と一緒に居る時は最大限の注意を払い、内面も記憶を失ったままという自己暗示を掛けた。自分は篝では無く翔だと言い聞かせる、それは存外上手く行っている様で、今の所勘付かれた様子は無かった。

 

この島には驚くべき事に空港がある、勿論彼女の本家が個人的に作ったモノだが、最初その空港の飛行機に潜入して脱出する事を考えた。

 しかし、遠目で見ただけで大分警備が厳重であり、仮に上手く行っても航空機が何処に行くかも不明、着陸後に誰にも見つからず抜け出すなど不可能に思えた。故に海路での脱出を考えたのだが。

 良く考えなくとも自分は此処が何処かすらも知らなかった。

 しかし定期船に潜り込もうにも担当が違うので自分が近場をうろつけば不自然だ。とまぁ色々考えたのだけれど、一番確実なのが小型ボートでの脱出だった、最悪死ななければ何とかなるだろうと言う俺の楽観的な性格が出ているのかもしれない。夜間ならば視認は難しいし、その為に色も黒一色にした。あとは実行するだけ。

 

 毎日の散歩も終えて海岸を歩きつつ綺麗な貝殻を適当に拾い集める、理由を付けて出てきているのだから手ぶらでは帰れないだろう、ついでに彼女の機嫌を取ると言う下心もある。何故か俺がプレゼントしたものは無条件に喜ばれるので此方としては助かる、この前など俺が作った失敗クッキーをとても嬉しそうに頬張っていた。いつも貰ってばかりで悪いと思い厨房のコックに頼んで作り方を教えて貰った、しかし今まで付き合ってきた彼女に頼っていた弊害か(あるい)は俺に料理の才能が皆無だったのか、お世辞にも美味いとは言えない若干焦げたクッキーが出来上がった。流石にそれを差し出すのは悪いと思い内密に処分しようと思っていたのだが、そのコックが彼女にクッキーを焼いた件を話してしまった様で、満面の笑みで俺の部屋へと突撃して来た彼女に対して内心戦々恐々としながらクッキーを渡したものだった。それを「美味しい!」と言いながら頬を紅潮させて食べる彼女にも驚いたが。

 取り敢えずそれなりの数を拾い終えたら階段を上りそのまま裏門を潜る、砂場で僅かに汚れてしまった靴を外に設置されている水道水で洗った後、予め用意していたタオルで拭いて室内へ。そのまま彼女の部屋へと直行し、扉をノックした。

「翔っ!」

 そして僅か数秒で扉は開け放たれる、尚この時扉から数歩下がるのがコツだ。でないと勢い良く開いた扉に顔面を強打する羽目になる。因みに経験済みである。

「お待たせ、ごめん、少し遅くなったね」

「ほ、本当よ! もう、四十三分二十一秒も待ったわ、ほら早く来て、退屈で死んじゃう所だったわ」

「ははは、ごめんごめん」

 こんなバラバラの数字を咄嗟に言えるなんてきっと彼女は俺より頭が良いに違いない、俺ではきっと舌が絡まる。

「あ、それ‥‥」

 部屋に踏み入ろとした彼女が俺の手に視線を向ける、そこには砂浜から拾ってきたばかりの貝殻が乗っかっていた。様々な色に模様も違う、出来るだけ被らない様な貝殻を選んで持ってきた為色とりどりだ。

「あぁ、うん、お土産、綺麗だったから」

 そう言って差し出すと、彼女はどこか呆れたような、でも嬉しそうな表情を隠さず「貴方も好きね‥‥」と言って受け取った。

「このままじゃ、私の部屋が貝殻だらけになっちゃうじゃない」

 彼女は俺に背を向け部屋に入ると、少し大きめのこれまた豪華な装飾が施されているボックスの元へと近付く。部屋の一角に鎮座するそれは豪華な室内の中でも一際目立って見えた。その蓋を開け、中に貝殻を大事そうに仕舞う。あそこには俺が今までプレゼントしたものが入っている、一度だけ彼女に内緒で見た事があるのだが中には貝殻とか作ったクッキーの一枚とか、あと誰かの髪の毛や赤い液体の入った小瓶なども入っていた。最初は黒魔術でもやるのだろうかと(おのの)いた、しかしまぁ彼女も十五歳、色々な多感な時期だろうと俺の中では既に決着がついている。その内ケガもしていないのに眼帯や包帯を巻いたり、突飛な事を言い出したりするのだろうか。だとしても温かい目で見守る自信がある、大丈夫。

「んー‥じゃあ次はもう少し別なプレゼントを考えてみるよ」

 と言ってみるものの、俺には何かを作ると言う技能がある訳では無い。料理も駄目だし裁縫も駄目、日曜大工の真似事すら出来ないし彼女にプレゼントするものを作る術がない。この島には店だって無いのだ、現地調達も不可能だった。

 さてどうしたものかとウンウン唸っていると、彼女が「じゃ、じゃあ!」と声を上げた。

「そ、その、欲しいものが‥‥ある、ん‥だけど」

 顔を真っ赤にしながら、俯いて上目遣いに俺を見上げる彼女。その瞳は心なしか潤んでいる様に見える。珍しい、彼女からおねだり(なん)て。彼女は病弱体質故に療養の為此処に住んでいるが、基本甘やかされて育った為かとても我儘だ。しかし、満たされていると言う事は基本「欲しいモノが既に揃っている」と言う事でもあり、元々娯楽の少ないこの島で「あれが欲しい」とか「これが欲しい」と言った事は全く無かった。

 そんな彼女からのおねだり、一体何が欲しいのだろうと思ってしまうのは無理も無いだろう。

「俺に出来る事なら‥‥一体何だい?」

「そ、その‥‥」

 俯いたまま、腹の前で組んだ手を弄ばせる。恥ずかし気に目を伏せて言い淀む彼女に俺の疑問はますます深まった。言い出しにくいと言う事は、それなりに高価だったり得難い物だったりするのだろうか。一応彼女から給金は貰っているが果たして自分で手に入るものだろうか、作る事も買う事も此処では出来ないと言うのに。今更だが安請け合いしてしまった事に僅かな後悔を覚えた。

「あ‥‥あの」

 ぐっと両手を拳にして、口を強く結んだ彼女が一層強い目線で俺を射抜く。一体何を強請(ねだ)られるのか想像もつかない俺は、何を言われても大丈夫なように心に踏ん張りを入れて、さあ来いと気持ちを入れ替えた。

「わ、私」

 覚悟の色を瞳に灯した彼女が、胸を反らして俺を見つめたまま、口を開いて。

 

「‥‥貴方が欲し‥ッ」

 

「お嬢様」

 しかしその言葉半ばで遮られる。

丁度良いタイミングで部屋に訪れた傍仕えの一人が彼女の声を掻き消してしまったのだ。出鼻を挫かれた彼女は呆然とするが、立ち直るや否や厳しい視線を今しがた部屋に訪れた傍仕えに向ける。向けられた傍仕えと言えば何か自分が邪魔をしてしまったのかと俺と彼女とを交互に見て「‥‥お邪魔、でしたか」と肩を竦めた。

「あぁ、いや、それで何か用でしたか?」

 一向に視線を逸らさない彼女に代わって俺が問えば、傍仕えは自分に向けられる視線に苦笑しながらも「ご本家よりお電話が」と手に持った受話器を差し出した。それを聞いた彼女が「‥‥家から?」と怪訝な顔をする。

「はい、大旦那様からです」

「お爺様から‥‥分かったわ、少し席を外して」

 傍仕えから受話器を受け取った彼女はそれから俺に申し訳無さそうな顔をする、これは俺も席を外した方が良いなと判断し気にするなと手を振ってから傍仕えに続いて部屋を後にした。

「‥‥はい、今代わりましたわ、お爺様」

 彼女の声を背に扉を閉じる、それから隣の傍仕えの女性と顔を見合わせ、どちらからと言う事無く頭を下げた。お互い大変ですね、なんて幻聴が聞こえてきそうだ。

 

 

 夜 

 皆が寝静まった夜中二時、黒一色に染まった海は朝と違い恐怖感を見る者に与える。耳に届く波音は同じというのに、夜と朝というだけで海はその姿をガラリと変える。時折灯台のライトが海を照らし、透明な海水が光を反射する。俺はそんな海辺に一人で立ち、すぐ脇にはこの時の為に用意していたゴムボートがあった。

 計画を実行する時が来たのだ。

 

 大旦那と言う人から電話が来て、彼女は今日一日部屋から出なかった。その電話の内容がどんなモノだったのか俺は知らないが、どこか屋敷の人達が浮足立っているのは理解していた。何やら彼女の傍仕えの人が従者を集めて電話の内容を話したらしい、俺も聞きたかったのだが男子禁制と言われてはどうしようもない。どうにも、「これは女性の問題ですから、翔さんは聞かないでおいてください」と恥ずかしそうな表情で言われてしまったのだ。こう、少しデリカシーの無い想像ではあるが、生理用品の搬入が遅れているとか、そういうのを俺は想像した。若しかしなくても男性の聞けない話というのはそういう類のモノだろう、確かにそういう話題に首を突っ込むのは気が引ける。間違っていたら間違っていたで、まぁ別段俺の気にする話でもあるまい。

 どうせ俺は、今日ここを去るのだから。

「……あとはタイミングだな」

 ゴムボートに手を掛けて俺はじっと待つ、此処で不用意に飛び出して灯台のライトに照らされては一巻の終わりだ。ライトが一周するタイミングを見計らって行くのが良いだろう、俺はその間ゴムボートに積む荷物を確認する。緊急時用の浮輪、発煙筒が二本、食料や水が大量に入ったバッグが二つ、毛布が一枚、双眼鏡や薬などが入ったポーチ。どれもこれも厨房や倉庫から無断拝借したものだ、窃盗ではあるが宇宙の偉い人は言いました「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」と。

「……よし」

 周囲を念入りに確認し、人影が無いことを確認する。そもそも灯台のライト以外広範囲を照らす光源が無いことから、遠くから俺を視認することは困難だ。海に出てある程度離れてしまえば灯台のライトも届かない、黒塗りのゴムボートは海に紛れて見つけることも出来ないだろう。背後を振り返ると、短い間ではあったが住んでいた本邸が見える、僅かな室内の明かりと小さな街頭のみが外壁を照らし昼間の印象と違って物静かな慎ましい印象を見る者に与える。そういえば夜の本邸を外から眺めるなんて事は今まで無かったな、なんて独りでに思った。良くも悪くもあの場所で過ごした時間は濃いものだった、何だかんだ言ってあの場所での暮らしを俺は気に入っていたのかもしれない、いざ離れるとなると此処での記憶が脳裏を過っていく。

けれど俺は元々此処の住人では無かった、俺には俺の生活があったし、暮らしがあったのだ。

俺はそれを取り戻さなければならない。

灯台のライトがゆっくりと回転し光が目の前を過ぎる、その瞬間にゴムボートを押し出して海に繰り出す。その間にエンジンを始動させ低い重低音が海の中に鳴り響いた、エンジンは元々廃棄寸前の物品だった為動くかどうかぶっつけ本番だったが、どうやら神様は俺に味方したらしい。振動と共にボートは前進を始める、エンジンは確かに役割を果たしていた。

「っ、ふっ!」

 波に乗ったボートに合わせて俺もボートに飛び乗る、あまり広くもない大人二人が乗れば手狭になるボートは多くの荷物を載せた為そこそこ狭い。けれど贅沢も言っていられない、海水を掻き分けて進むボートは灯台のライトを避けて広大な水平線へと進んでいく。振り返ると段々遠ざかっていく本邸、あの場所には未だ何も知らず同僚が、彼女が眠っているのだろう。自分が消えたと知ったらどう思うだろうか、悲しむだろうか、それとも怒るだろうか、一抹の寂しさが胸を突くが深く息を吐きだして気持ちも一緒に体の外へと押し出した。

 そうして色々な未練とか、想いとか、諸々を全て断ち切って。

 まだ見ぬ水平線の先、ただ前を見据えエンジンをひと際強く吹かした瞬間。

 

(かける)っ!」

 

 叫び声が聞こえた、それもとても耳に馴染む聞き覚えのある声が。その声は波の音が支配する海辺に良く響き、思わずといった風に振り返れば肩で息をしている彼女が浜辺に立っていた。服は寝間着のままであった、恐らく気付いた時点で着の身着のまま走ってきたのだろう、如何にこの島が温暖気候であるといっても夜の寒さには心許ない恰好だった。実際、その体は小刻みに震えている。

「何で……」

 彼女の姿を視界に捉えた俺は愕然とする。

俺が確認した時浜辺には誰も居なかったし、見つからない自信もあった。けれど浜辺に立つのは他でも無い彼女で、離れた位置からでも分かる悲壮感漂う表情で彼女は叫んでいた。

「行かないでっ! 翔ッ!」

 そのまま彼女は大粒の涙を流し、海に向かって、俺に向かって走り出す。

「なっ」

 バシャバシャと彼女の足元から水飛沫が上がり、一歩一歩彼女の身が海に沈んでいく。夜の海に薄着のまま入水、尚も「お願いっ、お願いッ!」と叫びながら俺を追っていた。

「馬鹿っ」

 ただですら体の弱い彼女だ、こんな冷たい海に薄着で入水などすれば(たちま)ち体調を崩すだろう。それでなくとも彼女は泳げない、水泳などやった事もない。それでも彼女は俺を追おうとする、届かない手を必死に伸ばし何時(いつ)もの面影など微塵も感じさせない、悲痛に歪んだ表情で泣き叫ぶ。常日頃見せるどこか高圧的な態度も、上から見下ろす尊大な姿勢も、今の彼女からは少しも想像出来ない。そこにいるのは涙を流して「行かないで」と懇願する幼い少女が一人。

 俺の思考は混迷を極めた、このままボートに乗って遠ざかれば彼女は海に呑まれてしまうだろう。けれどここで俺が島に戻れば、恐らく、いや絶対に二度と島から出る機会を失う。それは予想というよりも、半ば確信に近いものだった。

 これが島から逃れる最後の機会(チャンス)なのだ、これを逃せば一生後悔するかもしれない。

 けれど。

 

 

「翔っッ!!」

 

 彼女の体が、波に呑まれた。

「くっそぉッ!」

 体良く逃げられて、彼女が仮に死んでしまったら俺は耐えられない。目の前で自ら危機に飛び込もうとしている親しい人を見捨てるなんて、そんな事出来るハズが無かった。

 ゴムボートが勢い良く前進する、俺はその勢いに逆らって全力で跳躍した。

勿論島の方向へと。

足から入水した俺は一気に極寒の海水に体全体を包まれ、きゅっと心臓が締め付けられる。それを気合で押し込め、人生でも最も力強く水を押し退けた。背後でボムボートが豆粒ほどの大きさになって行く、比例して彼女の姿が段々と大きくなり、殆ど溺れかけている彼女の脇下に手を入れて思い切り引き寄せた。

「けほっ、げほっ、かけっ、翔っ」

「馬鹿ッ、大馬鹿だっ、クソ」

 普段の自分なら絶対口にしない様な汚い言葉が口を突く、俺にしがみ付く彼女は二度と放さないとばかりに俺の首に強く抱き着いた。幸い彼女はそれほど岸から離れた場所まで流されなかったので、すぐに俺と彼女は陸に打ち上げられる事になる。人を一人掴んで泳いだ経験の無かった俺は、何とか彼女だけでも助けようと必死になっていた。無茶な泳ぎを続けた結果、何度も盛大に海水を飲んでしまう。

「げほっ、かはっ」

 砂利と共に体を横たえ、俺は塩辛い海水が気管に入り何度も咽た、同じく打ち上げられた彼女は俺の体にしがみ付いたまま白い息を吐きだしている。その体は小刻みに震えていて触れる体は驚くほど冷たかった。

「けほっ、お前、っ、死にたいのか……っ」

 彼女に向けて言い放った初めての文句だった、彼女の先ほどの行動は明らかに自殺者のそれであり、危うくこの少女の命を失うところだったと思うと全身から血の気が引く。けれど彼女は何を言い返す訳でもなく、ただ俺の首元に顔を埋めて震えていた。

「はぁ…はっ……」

 久々の全身運動に体が悲鳴を上げる、カクカクと震える腕、未だ整わない息、何とか助かった安堵感に浸っていると、唐突に彼女が動いた。殆ど体力の残っていない俺を砂の上に押し倒し、ずいっと俺の顔に自分の顔を近づけた。

「っ!」

 その表情は涙に濡れていて、真っ赤に充血した目は海水が染みたとかそういう訳ではあるまい、紫色になった唇を震わせて彼女は叫ぶ。

「っ……翔が居なくなるなら、死んだほうが、良いッ!」

 ぐにゃりと歪む表情はとても悲しげで、ぽたぽたと彼女の瞳から涙が零れる。それは俺の頬を流れて前髪から垂れる海水と混じった、血の気の失せた顔で彼女は叫ぶ、それはいつもの高圧的な命令では無く心からの懇願。

「お願いっ、私から離れないで、私を捨てないでっ! 一人じゃ何も出来ないのッ、貴方がいてくれなきゃ駄目なのぉっ! お願いっ、お願いしますっ、なんでもするから、貴方の言うことなら何でも聞くから……っ!」

 震えながら俺の首元に顔を埋めて「お願い、お願いします……」と何度も繰り返す彼女。俺はそんな豹変した彼女に、どう対応すれば良いのか分からずに戸惑っていた。俺の知っている彼女はこんな卑屈になる人物では無かったし、こんな弱音も、人に真っ向から感情を吐露する様な性格でもなかった。けれど幾ら否定の言葉を重ねても目の前にいる女性は俺の見知った彼女であり、首元に力一杯しがみ付く彼女は不遜で尊大で、いつも胸を張っていた人で。

 

 そんな涙を流して体を震わせ必死に懇願する彼女を見て俺は、あまり褒められた感情ではないのだろうけど。

 

―「嬉しい」と感じてしまった。

 

それは彼女がこんなにも取り乱して、恥も外聞を捨てて縋りつく要因は全て俺にあると分かっているから。それだけ彼女が俺の事を想い、引き留めようとしてくれているから。それがどうしようもなく嬉しく、愛おしいと思ってしまったのだ。

「っ」

 そんな感情を俺は押し殺す、泣いて縋りつき、お願いしますと懇願する彼女をみて歓喜するだなんて、とんだ畜生じゃないかと。

「ほら、顔を上げてくれ、そんな姿見たくないんだ、いつも通りにしてくれよ……」

 やんわりと彼女の体を押し返すが、それよりも強い力で彼女は俺にしがみ付く。

「嫌っ、いや、嫌っ!」

 死んでも放さないとばかりの締め付け、震えながら懸命に縋り付く彼女の姿に引き離そうとした手が止まる。僅かばかりの逡巡を経て俺の腕は彼女を抱きしめる為に動いた。抱きしめると一層彼女の体温の低さと小刻みな震えが伝わってくる、俺自身の体も酷く冷たくなっているので彼女を温めることは出来ないけれど、このまま放っておくという選択肢は無かった。大きく息を吐きだす、白い靄となって宙に消える俺の吐息を見ながら自身の中で覚悟を決める。最も、彼女を助ける為に海に飛び込んだ時点で分かり切っていた事だけれども。

「はぁ……分かった、分かったよ、どこにも行かない、約束する」

 そう言って濡れた彼女の髪を撫でれば、ひと際大きく震えた彼女が恐る恐るといった風に顔を上げる。その顔は涙と海水に濡れて真っ青で、多すぎる感情にごちゃごちゃになっていた。

「……本当に?」と彼女は掠れた声で問う。これでも約束するという言葉一つ捻り出すのに俺は多大な覚悟を要した。

「本当に」

 そう言ってぎゅっと彼女を強く抱きしめる、そうすれば彼女の表情に段々と喜色が滲み出し、「えっ……えへへ」と笑顔が溢れた。笑いながら俺の体に全身を擦り付ける、ぐりぐりと濡れた服を圧迫する彼女を見て、あぁこれで本格的に後戻り出来ないなと思った。

「わ、分かってた、翔が私を捨てるなんて、そ、そんなのっ、ありえないって! 信じてたよっ!」

 まったく調子が良い人だ、けれど俺の言葉に嬉しそうに、安心したように笑う彼女を見ていると何か自分が正しい選択をした様に思えてくる。ゆっくりと上体を起こしてか引っ付いた彼女も起き上がらせる、二人共ずぶ濡れで夜の風は冷たい。いつまでもこんな場所で寝っ転がっていては二人して風邪をひくだろう。

「本邸に戻ろう、風呂にも入って温まらないと風邪をひくぞ」

 顔に笑顔が戻っても彼女の体は寒さに震える、カタカタと震えながら「心配してくれるの?」と嬉しそうにはにかむ彼女、「当たり前だろう」と答える。でなければ一人でこの島を今頃去っていただろうさ。

「ねぇ、翔、一緒に入ろう? 背中、流すよ? それ以外にもして欲しいがあるなら言って! 何でもするから」

 ぐいぐいと迫りながら舌を回す彼女、その言葉には純粋な好意だけが含まれている。俺だって男だ、女性にそういった誘いを受ければ男性的な部分が刺激される。けれど流石にこんな純粋な少女に欲情してしまってはまずいだろうと、聞かなかった事にして起き上がった。途端、さっと彼女の顔から血の気が失せる。俺が気を悪くしたと思ったのだろうか、忙しなく視線を彷徨わせながら手を俺に伸ばす。

「あっ……翔、ご、ごめんなさ」

「……ほら」

 全てを言い切る前に言葉を被せて、彼女の目の前で屈んだ。背中を見せて手を後ろに回す、いわばおぶされのジェスチャー。

「えっ」

「いいから、ほら」

 背後から戸惑う声が上がる、彼女とくっついていたからか何か物足りなくて、自分でも恥ずかしいことを口走った。

「……くっついてないと、寒い」

 誰から見ても分かる、明らかな照れ隠しだ。けれど彼女には効果が絶大で「……う、うん!」とそれはもう嬉しそうに俺の背中へと飛びついた。未だ成長途中の小さな二つの弾力を感じながら煩悩滅殺を胸に立ち上がり、本邸に向けて歩き始めた。

 その俺の脳内はブラもしてない彼女の胸は柔らかないなぁとか、あぁこれで俺の元の生活は無くなったなぁとか、明日からどんな顔して仕事すれば良いんだとか、いろいろな事に埋め尽くされていた。けれど、唐突に「翔」と名を呼ばれて意識を現実に戻せば。

「……大好き」

 と彼女に呟かれた。

途端、頭の中を駆け回っていた雑多な思考は霧散した。

耳に聞こえるのは波の音、それから自分と彼女の息遣い、それから高鳴る心臓の音。息が詰まって一瞬なんと返事をすれば良いんだとか俺も結構好きだとか色々な言葉が胸中を巡ったけれど。今は兎に角、背中に密着する彼女に自分の早鐘を打ち鳴らす心臓の音を聞かれたくなくて、「(かがり)」と大分ぶっきらぼうに口を開いた。

(かける)じゃなくて、(かがり)、それが俺の本当の名前だよ」

 そう言うと、背後から息を呑む音。少しの沈黙、それから耳元で囁かれる「…知ってた」という声。今度は俺が驚く番だった。

「お爺様とお父様から聞いていたもの……」

「お爺様と、お父様…」

 

(かける)は私のお父様の名前」

 

 もう居なくなっちゃったけど、そう言って寂しそうに俺の首筋に顔を埋める。「私とお母様を置いて、いなくなっちゃった」と話す彼女の顔は見えないけれど、きっと悲しそうな顔をしているのだと分かった。

 

 

「藤堂(ゆう)がお爺様、(かける)がお父様、そして私のお父様は、貴方のお父様でもあるの、貴方のお母様はお医者さんでしょう?」

 

 

「……あぁ」

 海の見える診療所、そこで俺と母さんは一緒に暮らしていた。元々は俺と母さんと父さん、それから三歳離れた妹と暮らしていたのだけれど、母さんと妹の不仲が原因である日突然、父さんと妹は姿を消してしまった。母さんは「あの子が私からあの人を奪った」と妹を恨んでいた、俺は父さんが妹を連れて出て行ったのだと思っていたが、母さんの考えは違う様だった。

「じゃあ俺達は……同じ血筋、最初に言ってたアレは本当なのか」

「うん、一緒、だから最初に言った事、全部が全部嘘って訳じゃないんだよ?」

 それにしても驚かないんだね、と彼女は少しだけ残念そうに言う。いやこれでも結構驚いてはいるのだ、あの父さんに隠し子が居たなんて。いや、この場合は俺の方が隠し子になるのだろうか? では俺におぶさっている彼女は腹違いの妹という事になる、何とも信じられない気持ちになるが、恋人という響きよりは大分健全に思えた。

「…そっちの家族は、何でこの島に居ないんだ?」

 俺の親父が彼女の母親と恋仲であったのなら、今彼女の母親はどうしているのか、それが気になった。自分の父を憎んでいないだろうかとか、結局肉親の情というものは中々捨てきれないものらしい。

「……私のお母様はね、旅館を経営しているの、そこそこ名前の知れた老舗旅館で、きっと今もそこで働いているよ。けれど私は小さい頃に重い病気に罹っちゃって、どうしようってなった時にお爺様が来て藤堂財閥の血筋だからって手を貸してくれたの」

 お爺様ったらお嫁さんが二人もいるの、そう言って彼女は笑う。それは親父にも確かに受け継がれている様だった。

「……お母様は、きっと今でもお父様の事が好きだと思う」

「…そっか」

 親父は世間一般からしたら女房子どもを捨てて蒸発したクソ男という事になるのだろうか。不倫か、駆け落ちか、いや、どんな理由にせよ事実は変わらない。彼女は俺の親父が捨てた女性の子供で、俺はその後結ばれた女性の子ども。何とも、自分の父親への目が大分変ってしまった瞬間だ。

「それで……俺が此処に来たのは、ただの偶然なのか?」

 俺は満を持して、一番知りたかった疑問を彼女にぶつけた。日本という大分離れた島国から生きた状態でこの島に辿り着き、その島の主は自分の腹違いの妹で、所有主は消えた父の肉親。これが全て偶然だと考える方が難しい。

 彼女は俺の疑問に対して「多分……」と自信なさげに答えた、彼女の母親が恨み辛みで俺を島流しの刑にしたとか、そんな有り得ないだろう被害妄想が頭に思い浮かぶ。

「流れ着いた貴方を見た時は、まさかって思ったもん、写真では見た事があったけど、実際に会ったのは初めてだったし」

 俺が覚えているのは車に撥ねられる場面まで、その後何故この島に流されたのかは分からない。殺したと思って加害者が俺を海に投げ捨てたのだろうか、だとしてもこの島まで運よく流れ着いたなどと、どんな確率だよと鼻で笑う。一番ある可能性はその藤堂優というお爺様とやらが俺を此処に運んできたと言う線だが、何故連れてきたのか皆目見当もつかない、俺を此処に連れてくる理由が分からなかった。

「…じゃあ、俺もその『優』爺さんからすれば孫に当たるのか」

 こんな贅沢な、島丸ごと所有している人物の孫、何とも実感の沸かない事実だった。

「……今日、お爺様から電話があったでしょう? けれどアレはお爺様というより、お婆様からの電話だったの、お爺様の幼馴染だったっていうお婆様」

「電話の要件は何だった?」

 俺は女性の生理用品の搬入が遅れるだとか何とか、アホらしい事を考えていたが彼女の声色から察するに全く違う要件だったのだろう。

「詳しいことは私も、お爺様から電話を代わった後『盲目的に追い続けなさい』とだけ……良く分からなかった」

 

 俺はそれだけで全てを察した。

 

「……まぁ大丈夫、多分、そのアドバイスは血に染みついているよ」

「…?」

 首を傾げる彼女、けれどまぁ多分だけれど、全てはそのお婆様とやらの手の上だったのだろうと。俺はまだ見ぬ自分のお婆様にため息を吐き出した、恐らく孫可愛さにとかそういうのなのだろうと、俺も一応孫のハズなのだけど。

 

「……ねぇ、篝」

 本邸へと続く階段を登り切り、裏門に差し掛かったところで彼女は唐突に俺の名を呼ぶ。「何だい」と答えれば、少しだけ不安げな声で彼女は問いかける。

「本当に、どこにも行かない? 私のこと捨てない? 私、体は弱いし、何も知らないし、出来ないし……」

 掛けていた腕の一本を外して「む、胸も…」と泣きそうな声を出す彼女、まだ十五やそこらの年齢で何を言っているのか。それに今更そんな事言われても困る、だから俺は「じゃあ帰るって言ったら、帰らせてくれるのか?」と意地悪をした。

「や、やだっ、帰っちゃ()だ!」

 途端に涙を滲ませる彼女、震える声が夜に響く。「冗談だよ」と言って彼女を背負い直し、「帰らない」とだけ零す。

「どうにも、俺にはやっぱり親父の血が流れているらしい」

 病的なまでに自分を求める女性に惹かれる、別に構わないと思ってしまう、許してしまう、ある意味寛大とも器が大きいとも言えるが一般的な感性の持ち主からすれば異常。そして俺は彼女が自分の血族だと聞いて妙に納得してしまったのだ、それは自分の母や本当の妹に何処か類似する部分があったから。その瞳の暗さに、独占欲に、行動に既視感が存在した。そしてソレを愛おしいと愛でられるだけの才が俺の血には含まれていたのだ。

「逢うべくして逢ったのか、それともお婆様とやらの手によるものか、まぁ大事なのはそこじゃないんだ」

 結局俺も、少なからずこの小さな彼女に惹かれていると言うことで。

 それを口にするには大分、いやかなり羞恥心が勝ったので曖昧な言葉で誤魔化した。

「……私、凄く嫉妬深いよ?」

「知ってる」

 それはきっと藤堂の(さが)だろう。

「……他の(ひと)と話しただけで嫉妬するよ?」

「それも知ってる」

 俺と同僚が和気藹々(わきあいあい)と話している時、背後の角から暗い瞳でじっと見つめていた事を俺は知っている。

「……一日一回はシてくれなきゃ拗ねるよ?」

「……それは要相談という事で」

 流石にそれは倫理的、道徳的に何とも危ないから保留させて貰う。

 

「あとあと、いつも私の傍から離れちゃ嫌だとか、出来れば一日中くっついていたいとか、お風呂とトイレも一緒が良いとか、一日に百回は愛してるって言って欲しいとか、私以外の女とは話して欲しくないし目も合わせないで欲しいとか、他の女と話しただけで私の部屋に閉じ込めておきたくなるとか、貴方の胃に入れるモノは全部私が作ったモノにして欲しいとか、もう誰にも貴方の姿を見せたく無いとか、浮気なんてしたら多分相手の女性をズタズタにしちゃうとか……」

 

 良くもまぁそんなにポンポンと要望が出て来るものだと俺は感心する。幾つもの願望を吐き出した後、彼女は不安げな声で「……私、絶対、面倒くさいよ」と自己評価を下した。けれどそう自分でいえるのならば、きっとまだ大丈夫なのだろうと思う。それが抑え切れないだけで、客観的に自分を見る事は可能なのだから。その抑えられ無い事が駄目なのだろうけど。事俺達の血筋に()いて言うならば、別に抑える必要も無いだろう。

「……それとね、(かがり)

「うん?」

 まだ要望が言い足りないのだろうかと声を返せば、彼女が半ば身を乗り出して俺の耳元で酷く申し訳なさそうに、けれど喜色の滲んだ声で言った。

「言って無くてごめんなさい、けど、最悪私を捨てても、貴方には此処に居て欲しかったから……」

 最初は意味が分からなかった、けれど彼女が言い終わるタイミングで本邸の明かりが一気に灯り、無数の人影がホールに設置された窓から見えた。その人数はこの本邸に住んでいる人間が勢揃いしている、明らかに(あらかじ)め待機していた手際の良さ。

 

 これは……。

 

「……お爺様からの電話、多分今日、(かがり)が逃げるだろうって」

 最初から知られていた訳だ。

俺は肩の力を抜いて溜息を吐き出す、俺の必死の逃走準備は全て筒抜けで決死の覚悟も全てお爺様達の手の上だったという事だ。

「ごめんなさい……」

 彼女の謝罪が鼓膜を震わせる、けれど怒りは湧いて来なかった。別にだからと言って何が変わる訳では無いし、全てが只の偶然で流れに身を任せたとしても、きっと俺は彼女の傍に留まる事となっただろう。

「いいさ」

 力の抜けた声で答える、彼女の方を見ずに笑って空を見た。日本では見られない爛々と光る星々、人工の明かりの少ない場所でのみ見られる空の輝き。

きっと俺は不自由な生活を送る事になるだろう、首輪をつけて一生鎖に繋がれた生活だ。彼女以外を好きになる事は許されないし、傍から見れば囚人の様な扱いかもしれない。

けれど……。

「………」

 悲し気に目線を落とす彼女をそっと見る、俺に背負われた彼女の顔は直ぐ間近だ。彼女の優しい匂いも憂いを帯びて目も全てハッキリと見える、自分を客観的に見れるからこそ自分の行いがいけない事だと分かっている。そんな自責の念に駆られる彼女に顔を近づけて。

その風にゆらゆら揺れる前髪の上から、そっと口づけをした。

僅かに触れた彼女の額、その先からビクンと彼女が跳ねる振動が伝わった。

「ッ!?」

 ぱっちりと目を見開いて、一体何をしたのと驚きに身を反らした彼女を見て。

「これからもよろしく」

 俺は微笑んで見せた。

 

 

 

 俺達(優 翔 篝)にとって、渡る世間はヤンデレばかり。

 

 

 

 この後、好感度がカンストした彼女に押し倒され危うく貞操を奪われかけたり、妹と一緒に行方不明になっていた親父が見つかったり、優爺さんの修羅場日記なるモノが見つかったりしたのだけれども。

 

 それはまた、別のお話 ―

 

 




 
 本編完結ッ!(多分)

 短編ですから!今回二万文字書きましたし二話分! 最終回と言う事で!

 もうちょうっとヤンデレにしたかったけど力不足でしたゴメンナサイ!

 ヤンデレが足りんのじゃ! ヤンデレアァァァッァア監禁されたいストーカーされたい媚薬飲まされたいハイライト消えた瞳で永延と「貴方は私のモノ」とか囁かれたいいあああああいあいあいあいあいああアアアア(゚д゚)
 大学のテスト勉強なんてやってる場合じゃないんですよヤンデレが無くなったら死んじゃうんですから病弱ヤンデレ強気ヤンデレメイドヤンデレ無口ヤンデレヤンデレヤンデレヤンデレああぁぁぁあヤンデレ成分がガガガガガガがヤンデレが‥‥光が逆流するウワアアアアアアア!!


 (´・ω・`)ふぅ

 (´・ω・`)みんなヤンデレになれば幸せなのに

 (´・ω・`)そう思うだろう?

 (´・ω・`)えっ、思わない?

 (´・ω・`)そうか、じゃあ君は既にヤンデレという事だね

 (´・ω・`)ハラショー

 
 以下真面目な後書き

皆様のお蔭で短編の累計11位という分不相応な評価を頂きました‥‥(゚Д゚;)
おまけに日間、短編共に一位という記録も頂けて……感無量です。
どうかこれからも、ヤンデレ共々宜しくお願いします!

ヤンデレに栄光あれっ!\( 'ω')/ヒョォオオオオオオオオ
うひょおおおおおおヤンデレ万歳ああぁぃあぃい!!ヾ(o´∀`o)ノ

 私は大真面目です。
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