日は沈みかけ、空がオレンジ色に染まる中。
神崎蘭子は一人、噴水のふちに腰掛け日傘をさし、憂い顔で膝に乗せたスケッチブックの表紙を撫でていた。
考えていたのは先ほどまで一緒にいた翠が発した言葉。
――俺、そろそろ引退しようと思ってる
その言葉が頭の中を繰り返し駆け巡るたびに神崎はため息をつき、顔を歪める。
「あ! やっと見つけた!」
沈んだ雰囲気を壊すように、突如として明るい声が響く。
神崎が顔を上げて声の方に目を向けると、ビデオカメラを手に持った本田、その後ろに渋谷と島村の姿が見える。
「いまさー、プロデューサーに頼まれてPVとってるんだけど…………どうかしたの?」
そのままの調子で話しかけながら近づいていく本田だったが、互いに手を伸ばせば届く距離まで近づいたところで神崎の様子に気がつき、首をかしげる。
「…………ぁ、……その……」
「なになに? 何かあった?」
「未央ちゃん。そんな急かしたらダメですよ」
何か話そうとする神崎であったが、言葉は続かず、口をモゴモゴとさせる。そこに興味を惹かれた本田はグイグイと詰め寄るように尋ねるが、その勢いに押されてかさらに口を固く閉じてしまう。
「あの…………プロデューサー、には内緒で……みんなに話しが」
神崎が
数分後。
CPのために用意された部屋に全員が集まっていた。
中で作業していた武内Pが何事かと尋ねたが、みんなから曖昧に誤魔化された上、部屋から追い出される始末。
「ねーねー、どうして集まってるの?」
未だ事情がよく分かっていない赤城が声を上げる。
「蘭子ちゃんがプロデューサーに内緒で話があるんだってー」
それに対し、隣に座っていた城ヶ崎が少し得意げに答える。移動している際、大まかなことを諸星から聞いていたりするのだが、諸星は微笑ましそうに二人のことを見るだけにとどめる。
ちなみにであるが、翠がヨダレをたらしたソファーはそのままとなっている。武内Pが説明し、取り替えてもらえることを伝えたところ、ほぼ全員から反対意見がでたからである。
「…………あ、あの……その」
特に言われたわけでもなく、皆が口を閉ざしていき神崎へと目を向ける。
注目されて顔を赤くさせ、なかなか言葉が出てこないが誰も急かそうとはしない。
「未央ちゃんたちを待ってる時……翠さんが来て、その……話をしていたんですけど……。…………翠さんから引退する、って」
「いん……」
「…………たい?」
『……………………』
皆はすぐに神崎の言ったことを理解できず、しばらくの間が空いた後。
『うぇぇぇえええ!?!?』
座っていたものは立ち上がり、あの双葉でさえも眠気がどこかへいったようで驚きの表情をあらわにしている。
「翠さん、アイドル辞めちゃうの?!」
「でも、そしたらプロデューサーに話さないのは?」
「……あの……」
「またいつもの冗談じゃ?」
「それだったらその場で蘭子ちゃんに冗談でしたーって言うと思うけど」
口々に自身の考えを言っていき、だんだんと収まりがつかなくなっていた。神崎はそれを見てオロオロし、何度か口を開いては小さな声を出してはいるが、誰の耳にも届いていなかった。
「みんな! 一回落ち着こう!」
手を叩き、注目を集めながら声をかけて収まりをつけたのは年長者である新田であった。
「まだ、話の続きがあるみたいだから、最後まで聞いてからにしましょ」
何か話そうとしていたことに気づいていたのか、新田は座るように促す。
皆はおとなしくソファーなどに腰掛けて口を閉じ、再び神崎へと目を向ける。
また話すのに少しの間、時間がかかりながらも要点をまとめて伝えていく。
――いますぐ、というわけではないこと
――だけど長いこと先でもないこと
――アイドル間では構わないが、プロデューサーには話さないで欲しいこと
詳しく知りたいことがあれば直接聞きに来て、など。
『……………………』
神崎が話し終えると、先ほどとは違い誰も口を開かずにいる。
いつも元気でいる赤城や城ヶ崎、諸星に本田も肩を落とし、島村は泣くのをこらえているのか口を結んでいる。
「やっぱアレかな」
そこに双葉が口を開き、皆の注目を集める。
「翠さんって、アルビノじゃん? 推測だけどガタがきたとかじゃない?」
☆☆☆
「蘭子がCPのみんなに話してくれたのなら、杏が勘付いているかな」
自室のソファーに寝転び、携帯をいじっていた翠はふと、壁にかけてある時計で時間を確認してつぶやいた後、ふたたびポチポチと携帯をいじる。
変装がばれているため、帰りは少し遠回りとなったが人通りの少ない道を通って行ったため、特にバレることはなかった。
帰ってくるや否や、手洗いうがいをきちんと済ませてからずっと携帯をいじっていた。
時折メールを知らせる着信音や電話がかかってくるため、誰かと連絡を取っていることがわかる。
「…………まじ面倒」
やることを終えたのか、テーブルに携帯を投げ置いて毛布にくるまる。
「原作をあまり壊さないようにしてきたけど……面倒になってきたし、世界の矯正力ってのを信じていこ。…………前世が事故死で神様転生とかやったら楽なのに、ただの転生だけとか。嬉しいっちゃ嬉しいけど、特典とかないし」
その後もグチグチとリビングに翠の声がつづくが、それも数十分後には寝息へと変わっていった。
「…………ぅ?」
目を擦りながら翠は上体を起こし、周りを見回す。
窓から差し込む太陽の眩い光に目をシパシパとさせながらもテーブルの上にある携帯に手を伸ばし、いまの時間を確認する。
「朝かぁ…………朝……」
そしてしばらく携帯の画面を見つめ、黙り込む。
「……………………」
不意に携帯が振動し、誰かから電話がかかってくることを知らせる。
画面には『日草奈緒』と表示されている。それを見た翠は面倒臭そうな表情をしながらも電話に出る。
「…………あい」
『いま、どこにいる?』
「寝起きでふ」
『…………迎えに行く』
ブツッという音の後にプーップーッと虚しい音を聞いた翠は携帯をテーブルに戻し、シャワーを浴びて眠気を飛ばす。
それから簡単な朝食を食べていると玄関から物音が聞こえ、奈緒がやってくる。
「おっす」
「…………早く支度しろ」
「うぃうぃ…………あ、奈緒」
「なんだ?」
「約束はちゃんと守るよ」
「…………? いきなりどうしたんだ?」
「何となく、ね」
心当たりはあるようだが、突然のことで理解が追いつかないため、翠に尋ねるが曖昧な笑みを返すだけで答えは返ってこなかった。
結局は奈緒が仕事の支度をやり、出かける前に持ってきていた新しい翠の変装――帽子とメガネを変えただけ――をさせて脇に抱える。
「今日の仕事は何?」
「今日は仕事はない。上からお話だそうだ」