「三人とも悪いね。本当は見に行きたかったけど急用ができて」
「うぅん! レッスン沢山してもらって、アドバイスもしてもらったから大丈夫だったにぃ!」
「ちょっとしたハプニングがあったけど、とーっても楽しかったよ!」
「『ピンチを活かしてこそさらなる高みへと登れる』って本当だったんだね!」
次の日、見に行けなかったことを三人に謝る翠だったが、気にした様子はなく。
昨日何があったのかを楽しそうにテンション高く話し始める。
しかし、普通の話し方であれば複数人の会話を聞き取れる翠であっても、三人の話すことは聞き取れずにいた。
それぞれが興奮したようで元気に話しているのだが、擬音語が多かったり文脈がおかしかったり。
一人一人話しても少し考えなければ分からないため、翠の処理能力を超えた。
なので、取り敢えず『そうなんだ』『ほー』などと声を出しながら相槌を打つだけの機械と化す。
「まあ、アドバイスが役に立ってよかったよ。今日もまたレッスンでしょ? 時間があったら見に行くから」
なんとなくキリの良さそうなところで翠が話を止める。
まだ話し足りなそうにしていた三人だが、時間も時間であるため、大人しく引き下がる。
去って行く三人から視線を外した翠は一度ため息をつき、昨日のことを思い返す。
「……結局、なんで失敗したのか分からん」
逃げるようにして店から出て行ってしまったことを少し悔やむ翠。
多少、気になっているが探して問い詰めてまで聞き出すことでもないかと考え。
気分転換と少しの憂さ晴らしのためにとある人物を探しに行く。
「可愛い可愛い幸子見っけ!」
「な、なんなんですかどうしたんですか急に!」
とある人物……輿水幸子を見つけた翠は大きな声で先ほどのセリフを言った後、後ろから抱きつく。
突然のことに慌てる輿水だが、言われたセリフと現在の状況を理解して頰を赤らめる。
「あー、幸子可愛いなぁ。癒されるわぁ……」
後ろから抱きついたまま、頰と頰を擦り合わせたり。頭を撫で回したりと好き放題にいじり始める。
「ふ、ふふん。ようやく翠さんも僕の可愛さに気づいたようですね!」
そのような状況に照れた様子を見せながらもいつものセリフを口にする。
「幸子の可愛さは前から知ってるさ。採用したの、俺だもの」
「…………へっ?」
輿水としては聞き逃せないことを言われたのであるが、翠はそれに構わず。マイペースに頰をムニムニといじっている。
「す、すいひゃん、ひまなんふぇ」
「んー、幸子は可愛いねーって」
「ふぉのあふぉでふ」
「でふ……でふって……ふはっ」
頰を引っ張られているため、輿水が上手く話せないのはそれをやっている翠が一番分かっているはずだが、それでも我慢できずに笑いが溢れる。
「い、いつまで頰をいじってるんですか!」
無理やり翠の手を振りほどいて少し距離を取り。いじられてなのか照れてなのか本人しか分からないが、赤くなった頰を撫でながらキッと睨みつける。
「減るもんでないのだからいいじゃん」
「そ、それはそうですけど……って、ほれよりも!」
「ん?」
「さっき言ってたことです!」
「幸子が可愛いってこと?」
「そ、それはそれで嬉しいですけど! 今はそうじゃなくてですね!」
あくまでもとぼける翠にペースを乱された輿水は落ち着くため、一度深呼吸をしてから口を開く。
「採用したのが翠さんってどういうことですか!?」
「ん? そのまんまじゃん。……頭、大丈夫? 病院、行く?」
「だ、大丈夫です! そうじゃなくって、その、ほら……なんとなく分かってくださいよ!」
「…………うわぁ、逆ギレだぁ」
本当は輿水が言いたいことを理解している翠だが、すぐに話してもつまらないため。こうしてからかっている。
若干キれ始めている輿水からオーバーな表現で距離をとった行動によって、ようやくからかわれていることに気づいたのか。
今度は羞恥によって頰を赤くさせながら翠に詰め寄る。
「か、可愛い僕だってたまには怒るんですからね!」
「怒った幸子も可愛いんだろうね」
「もうっ! もうっ! 今日の翠さんはどうしちゃった……んです、か」
「…………」
何かに気づいたのか。徐々に先ほどまでの勢いは失っていき、力が抜けたように両手をだらりと下げる。
「…………はぁ」
翠の浮かべるどこか悲しげな笑みにも気づき、輿水は一つため息をつく。
「まったく。翠さんはどうしてこうも僕をからかうんですか」
口でぶつくさ文句を言いながらも翠の体に手を回し、優しく抱きしめる。
「僕よりも翠さんの方が年上じゃないですか」
「…………うるさい」
翠も手を回して輿水を抱きしめる。
その姿は母親に甘える子供のようであった。
「ずっとこうだったら僕的には嬉しいんですけどね」
「何? こうやって抱きしめていたいの?」
「ち、ちがっ!? 違いますよ!」
ニヤニヤした表情を輿水に向けながら、先ほどまでの雰囲気は何処へやら。再びからかい始める。
慌てた輿水は距離が近いために離れようとするも、翠が抱きついているため離れることができずにいた。
「…………まあ、ありがとな」
「ふふん、またいつでもいいですよ」
「…………やっぱりお前」
「違いますから!?」
「冗談だって。……もう少しこのまま」
「…………はいはい」
輿水は真っ赤になった顔を見られないことを願いながら。愛おしそうに、自身の首元に顔を埋める翠の頭を優しく撫でるのであった。