軍人。当該国家の正規の軍事組織に所属し、正規の軍事訓練を受け、正規の軍服を着用し、国家により認められた階級を与えられた者を指す。
近代以前においては戦闘を行う者を幅広く指していた。近代以前の「国家」誕生以前においては封建制の下、兵と住民、貴族、官僚と士官の区別は基本的になかった。時代の流れによって軍人と一般人が分かれていった。
軍人の制度として、国民にある一定期間軍隊に入ることを義務化する徴兵制と、募集を行ない志願者を募る志願制がある。
コズミック・イラにおいても軍人の制度は旧態依然から変わっていない。
地域によって格差はあれど、地球連合は志願制を取っている。エイプリルフール・クライシスで家族や友人、または親しい者が犠牲になった者達がプラントで憎しで志願することは珍しくない。またエイプリルフール・クライシスの影響で職を失って軍人になるケースもまた多い。色んなケースはあれど、地球連合に所属する軍人の多くは個人個人の理由で成った者が多いということだ。
反対にプラントはどうかといえば、これもまた難しい。
プラントが有する軍隊「ザフト」は、正規軍ではなく「義勇軍」であることは意外と知られていない。
ナチュラルよりも鮮やかにモビルスーツを操る彼らも平時にはそれぞれの本職に就いており、職業軍人である地球連合軍とは異なる。それはプラントの最高評議院も同じである。
そして地球連合と同じ志願制であるが、義勇軍なのでザフトには地球連合のような下士官、士官といった階級制は存在しない。肩書きは配属された兵科、職種及びその戦術単位の責任者名、管理職名で呼ばれる。そんなザフト兵が士気を鼓舞する際に叫ぶ「ザフトのために」は、ザフトへの忠誠の自己目的化では無く、政治的同志意識の確認の意味合いが強いと言える。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ザフトの襲撃によってそこら辺で黒煙を上げるヘリオポリスの街中に、突如として激音が轟き渡った。
山間部から巨大な爆発が起こり、爆炎から白亜の戦艦が出て来るのを見た、ヘリオポリスを襲撃した部隊の隊長であるラウ・ル・クルーゼは自機であるシグーのコクピットの中で唸り声を上げていた。
「新型か? ええい、マシューめ仕留め損ねたか!」
湾口の制圧はマシューの担当である。外部がオロール、中をミゲル・アイマンが制圧する手筈になっていた。仕事を完遂していないマシューをクルーゼはシグーのコクピットの中で罵った。
クルーゼのシグーによって攻撃を受けて墜落しないように制御するのが精一杯の、メビウス・ゼロに乗るムウ・ラ・フラガもまた戦艦を見た。
「戦艦!? コロニーの中にか!」
この事態に出て来る戦艦がオーブの物とはとても思えない。ザフトでないとすれば消去法的に地球連合しかない。
「俺は聞いてないぞ、戦艦も造っているなんて」
現戦艦の中で類似する形を持つものがないことから開発した新型機動兵器の搭載母艦と直ぐに察したムウだが、彼の任務はあくまでGのパイロットの護衛でしかない。英雄と煽てられようと一大尉でしかない若造に多くの情報が与えられるはずもなかった。
「あの艦長…………こんな大事なことは先に言っておいてくれ!」
死んだ者に言ったところで栓のないことと分かってはいても、愚痴らずにはいられなかった。状況を見届けることすら叶わず、不時着できる場所を探して彷徨うことだけが今のムウに出来ることだった。
クルーゼやムウを見上げていたカトウゼミの学生と一緒だったマリュー・ラミアスは、自身が副長を務めるはずだった戦艦が絶妙のタイミングで現れたことに喜色を露わにした。
「アークエンジェル!!」
シグーが躊躇うように滑空するのを見て、ザフトですら予期せぬ事態であることを察して友軍が乗り込んでいる可能性に希望を持った。Gが全5機中の4機も奪取されたとなればアークエンジェルもまた奪われたか破壊されたと考えていたので、ようやく先の展望が見えたような気がしていた。
反対にアークエンジェルのブリッジ内では状況を理解をするのにてんてこ舞いだった。
正規クルーの殆どが死亡していて、間に合わせのメンバーで専門ではない部署へ配置されている者もいたのだ。生き残る為に必死に抗って目の前のことに集中していた。
「開口部を抜けました! コロニー内部に侵入!!」
数少ないアークエンジェルの正規クルーであったアーノルド・ノイマン曹長が操舵手席に座って、始めて操る艦の操舵に意識の大部分を割きながら状況を報告する。
艦長席に座るナタル・バジルール少尉は、クルーの多少のもたつきは仕方ないと諦めて視線を前へと向け続ける。階級で最上位の彼女が狼狽えれば、動揺はクルーに広まる。ニセモノであっても気丈でいるしかなかった。
モニターに映るストライクの姿に、身を乗り出したナタルは直ぐに気がついた。
「ストライクが起動中………いや、戦闘中か!?」
言ったところでザフトのモビルスーツであるシグーが近づいて来るのを見たナタルの頭の中で幾つかの戦術が弾きだされる。
初搭乗の戦艦では弾きだした戦術の全てが不可能と即時に却下した。艦に不慣れなクルーが実行しやすい次の行動は回避しかなかった。
「回避! 面舵――っ!」
ナタルの指示に、おっかなびっくりといった様子でノイマンが操縦桿を動かす。どれだけ動かせば艦が動くのか試したことがないのだ。慎重に慎重を期して悪い事は無い。
ノイマンの懸念通り、予想以上に操縦に敏感に反応したアークエンジェルがシグーが撃つ「MMI-M7S 76mm重突撃機銃」を避けようと左底部が跳ね上がる。
牽制のつもりで放った銃弾を見事に全て避けたアークエンジェルに、シグーを操るクルーゼが瞠目していた。
「なんという機動力。Gのみならずこれほどの戦艦を開発していたとは。しかし、今は先約があるのでね」
いくらアークエンジェルが機動力に優れていようとモビルスーツほどの小回りは利かない。クルーゼは弾を撃ち尽くした重突撃機銃の弾倉を交換しながら、元よりの標的である残ったGであるX105ストライクの下へ飛来する。
「フェイズシフト…………これはどうだ!?」
飛来するシグーを見て取って、危険性に真っ先に気がついたマリューがカトウゼミの面々に振り返る。
「伏せて!!」
今からではトレーラーの影に隠れるのは間に合わない。逃げようとした男達に言い捨てて、一番近くにいたミリアリアに覆い被さった。
フェイズシフトのスイッチを入れて、機体をトリコロールに染め上げたストライクのコクピットでキラは撃たれる銃弾が地面を抉っていくことに気がついた。
銃弾の進行方向にストライクはなく、このままいけばトール達に当たる。
「トール達を狙ってる!?」
機体ではなく生身の人間を狙う狡猾さに吐き気を覚えつつも、放っておくわけにはいかないので操縦桿を操作してストライクを沈み込ませる。膝を地面に付けて機体を盾にして銃弾を防ぎ切る。
命中した銃弾が装甲に跳ねて大きな火花を散らしたがフェイズシフトを貫くほどの威力は無い。ストライクの斜め上空を通過してその光景を見遣ったクルーゼは結果を予想しつつも、想定以上の装甲の固さに舌打ちをした。
「強化APSV弾でも貫けない。D装備でなければダメージを与えることも出来ないと見るべきか。地球連合は厄介な物を開発してくれたものだ」
機体の性能が戦力の決定的差ではないことを、メビウス・ゼロでジンを撃破したムウ・ラ・フラガを敵対視しているクルーゼは良く知っている。携行武器では強い部類に入るシグーの重突撃機銃で貫けないのならば拠点攻撃用重爆撃戦装備を使うしかない。
冷静に状況を見極めるクルーゼであったが、回頭してきたアークエンジェルを見て気を引き締める。
「艦尾ミサイル発射管7番から10番発射準備! 目標、敵モビルスーツ!」
乗り込んだばかりのナタルはまだ兵装の全てを熟知していない。マニュアルに載っている攻撃オプションを選択して、鋭い眼でストライクを攻撃したシグーを見る。
「レーザー誘導。いいな、間違えてもシャフトや地上に当てるなよ」
続いて火器管制席に座るロメロ・パルを振り向いて厳命する。いくらヘリオポリスに来て中立を気取って苛立ちを覚えても、だからといって好き好んで破壊したいと思いはしない。ナタルの目的はシグーの破壊か撤退に追い込むことだった。
言われたロメロ・パルは、ただでさえ始めて乗る戦艦で、しかもコロニー内での戦闘という緊張を強いられる中で更なるプレッシャーを与えられて顔を強張らせた。しかし、ナタルは気付かない。彼女もまた目の前の状況に集中するばかりで全てのクルーの精神状況まで把握できるほどの余裕はなかった。
「撃て!」
ナタルの合図と共にアークエンジェルの艦尾から四発のミサイルが放たれ、レーザーで誘導されてシグーに向かって飛ぶ。
シグーのコクピット内で戦艦がコロニー内で攻撃したことに舌打ちを漏らしながら、背面飛行をして一発のミサイルを撃ち落とし、追尾してくるもう一発をコロニーを支えるシャフトの後ろに回り込んで逃げる。
レーザー誘導は間に遮蔽物が飛びこんできても躱してくれるほど気の利いた物ではない。シグーの動きに対応しきれず、残りの三発のミサイルはシャフトに次々と当たって爆発を引き起こす。
破壊されたシャフトの破片が降りしきる中で、戦艦の方がヘリオポリスを破壊していることに憤ったキラは怒りを覚えていた。
「冗談じゃない! あんなのに任せてたらヘリオポリスが壊される!」
操縦桿のスイッチを押して照準スコープを引き出し、覗き込む。その動作に合わせるようにストライクが左肩後方にセットされていた長い大砲を腰だめに構えた。
照準スコープを覗き込むキラの視界の中で、戦艦からのミサイル攻撃を鮮やかに躱し、時には迎撃しているシグーの姿が映し出される。
「くっ、出来るのか僕に!?」
照準が合わされていく中でキラは迷っていた。大砲を構えてシグーを倒す決意を固めたはずなのに、乗っている人を殺すことに躊躇を覚えたのだ。
キラに意図的に人は殺せない。だが、時は待ってくれず、照準がスコープの中で合っていくことに逆に焦燥を覚えていた。
スコープの中で飛び回るシグーは、キラの焦燥など知らずに鳥以上の軽快さを持ってアークエンジェルを翻弄している。シグーの装備ではどれだけ撃っても戦艦を撃ち落とすことは出来ない。やがては諦めて母艦に帰るの待つべきかとキラの内面で声が囁く。
スコープ内で照準が合いかけても、甘い囁きはキラの体を硬直させる。そんなキラを動かしたのは外的要因だった。アークエンジェルでも、ムウが乗るメビウス・ゼロでもない。第三者が放ったビームがシグーの右足を直撃する。
「何っ!?」
ザフトのトップガンであるクルーゼが気づいた時にはどこからか発射されたビームがシグーの右足に命中し、当たった膝部分を打ち抜いて機体を揺らす。
命中の衝撃と四肢の一部を失くした機体がコンマ数秒とはいえ、クルーゼの支配から離れた。同時にキラが覗き込むスコープ内で照準が定まった。ロックオンの表示が出て、明らかに制御を失って空中で無防備に身を晒すシグーにキラは思わずトリガーを引いた。
ストライクが大砲――――320mm超高インパルス砲アグニを構えてキラが逡巡し、第三者の介入でトリガーを引くまでたったコンマ数秒。ストライクがアグニを構えたことにマリューが気づいたのはアークエンジェルを見ていて遅れたこの瞬間だった。
「待って! それは……」
コロニー内で使っていい武器ではないとマリューが静止の声をかけるも全てがもう遅い。ストライクが腰だめに構えたアグニから凄まじいまでのエネルギーが放たれた。轟音と眩しさにマリューらは腕で覆って顔を背けるしかなかった。
シグーのコクピット内で予想もしてない第三者からの攻撃を受けて右足の膝から下を欠損したクルーゼは機体を立て直していた。そこへ一直線にアグニのビームが直進してくる。
空間認識力でアグニのビームを察知したクルーゼは、今まで生きてきた中で最大の命の危機に全力で機体を操作する。
「ぬおっ!?」
ビームが直撃して機体を激震する振動に苦痛の呻きを漏らす。しかし、クルーゼは生きていた。
致命の一撃を辛うじて右腕を犠牲にしながらも神業的な反射神経と操縦でアグニのビームを回避した。後のことなど考えずに回避したので機体が制御を失っていたがクルーゼは全身に走る冷や汗で生きていることを実感した。
シグーの右腕を跡形もなく焼き尽くしたアグニのビームは止まることを知らないように直進する。そのままコロニーの地表に着弾して爆発する。
爆発が内側に起こらずにそのまま外へ、つまりは宇宙空間へと抜けていった。アグニは地表を貫いてコロニーに穴を空けていた。
空気が外に抜けているのか、ストライクに乗っているキラからはゴミとしか見えない小さな物体が次々と引き込まれていく。
「ああっ…………僕は、とんでもないことをしてしまった」
人を殺さずにはすんでも、コロニーに穴を空けてしまったことは宇宙空間で生活する者には何にも勝る大罪だ。キラ・ヤマトは己が仕出かしてしまった罪に慄いて声を震わせていた。
反対に赤色灯やアラートが鳴り響くシグーのコクピット内で、欠損した四肢の重量を計算してスラスター値の変更や損傷部分の機能をカットしながら必死に機体を操作していたクルーゼはこれを好機と見て穴に自ら飛びこんでいった。
「足を撃った者の正体を暴けんのは剛腹だがこの有様では戦えん。しかし、これほどまでの戦艦の並の火力をモビルスーツに持たすとはな。残ったG、なんとしても仕留めねばなるまい」
モニターの一部もブラックアウトしていて姿を確認できないが、トリコロールの機体に向けて宣戦布告だけを残してヘリオポリスを抜け出して母艦を目指す。
「敵モビルスーツ。離脱します」
初戦闘のあまりの無様ぶりに思うところはあれど、ジャッキー・トノムラの安堵したような声の報告にブリッジの内の空気が弛緩したのを感じたナタルも気持ちは同じだった。
シグーがコロニー外に出て行ったのを確認してアークエンジェルのブリッジで艦長席に座るナタルは、コロニーに穴を空けたストライクを忌々しそうに見つめながらもシャフトを破壊した自分達も同罪であると、ひとまずは敵が去ってくれたことに一安心した。
しかし、ナタルには考えるべきことがあった。
「さっきのは一体……」
飛び回るシグーの右足を正確に撃ち抜いた誰か。通信すらなかったのだから地球連合ではないだろう。となればオーブか。
「どちらにせよ、頭の痛いにことには変わるまい」
ザフトはまだ完全に撤退していない。きっとヘリオポリスの外にいることだろう。残ったGとアークエンジェルを狙っているはず。これ以上の頭痛の種は勘弁してほしいところだった。
直後、ピーピーと通信を知らせる音声がブリッジに流れた。
「通信です。所属は――――オーブ軍を名乗っていますが?」
どうしましょうか、とオペレーター席に座るダリダ・ローラハ・チャンドラII世の窺うような声に、ハッキリと頭痛がしてきて頭を抱えたくなった。
「ハァ……着陸する。対地速度合わせ。重力の発生に注意しろ。ストライクとそのオーブ軍に打電。話し合わねばならんだろう、これからのことを」
問題ばかりが積み重なっていく現状に眉を顰めすぎて跡が残るのは無いかと心配になって眉間を解すナタルを、操縦席に座ったノイマンがチラリと心配そうに振り返った。
モルゲンレーテの敷地から少しだけ離れた広い土地に大天使の名を冠された戦艦アークエンジェルが羽を休めていた。
船体を木馬のように見せる二本脚の右側部分のカタパルトデッキが開いていて、そこへランチャーパックをつけたままのストライクが展開していると電力を消費するフェイズシフトをオフにして入り込んだ。その手に五人の人間を乗せて。
ストライクがマリューとカトウゼミの四人を下ろすと、ブリッジから大慌てで走って来た士官達が走り寄る。
「ラミアス大尉!」
走りにくいスカートでありながら集団の先頭を走っていたナタルが既知の軍人を見つけて顔に喜色を覗かせながら名を呼んだ。
自分よりも階級が上の人物に、背負わされた荷物が重荷になっていたナタルは気持ち的には飛びついて抱き付きたいほどの喜びを感じていたが多くの人の前であって自重した。元よりナタル・バジルールはそのようなことをするような性格ではない。
「バジルール少尉!」
マリューもまた駆け寄って来る集団に驚きながらも先頭に見覚えのある人物を見い出した。
「御無事で何よりでありました!」
「あなた達こそ、よくアークエンジェルを…………お蔭で助かったわ」
互いに敬礼を交わし、万感の想いで生き残れたことを喜び合う。
マリューが言い切ると同時にストライクのコクピットが開いた。中から結局は地球連合軍と合流する羽目になってしまったことに憂慮するキラがのっそりと顔を出した。
コクピットハッチが開く音に知らない大人達からの視線が集中しても、キラは出来るだけ感情を表に出さないようにしながらラダーを使って下に降りる。
「おいおい何だってんだ? 子供じゃないか。あのボウズがあれに乗ってたってのか」
モルゲンレーテの作業服にも似た服装を纏い、色黒の髭面の中年――――コジロー・マードックが漏らした驚きの言葉はしっかりとキラの耳にも届いていた。直にコーディネイターであることはバレるだろうと暗澹しながら近づいてきた仲間達にせめてもの笑顔を向けた。
明らかに民間人と分かる私服で若すぎる少年少女を見たナタルが動揺しているのを、近くにいたマリューにはよく分かった。
「ラミアス大尉……これは?」
「ああ……」
この場にいる少年少女以外の総意であることは、問いを発したナタルだけではなく彼女の後ろにいる全員の顔を見れば分かった。
マリューはどこから話すべきか、どこまでを話すべきかを頭の中で整理するために、過保護らしいトールに安全を確認するために全身を触られまくって困惑しているキラを見遣った。
一般人のキラを巻き込み、助けられ、脅して戦わせた彼女であっても敵という概念で少年を括ることはどうしても出来なかった。だが、なにを言おうとも話の根本に触れなければ伝わらないことが分かっていたので苦悩する。
何も答えられないマリューを救ったのは、艦内から現れたパイロットスーツの男だった。
「へー、こいつは驚いたな」
突如として現れたくすんだ金髪の男に全員の視線が集まる。
少年少女は見知らぬ大人達に囲まれて、ストライクを背にして身を寄せ合っていた。その中にあってキラだけが覚悟を決めたように表情を引き締めていたのがマリューには気がかりだった。
「これが新型機動兵器、Gか。一つ目のジンよりも人間に近いし、スマートで格好いいじゃないの」
金髪の男は歩み寄りながらストライクを見上げて感心したように笑った。
マリューらがいる場所に近づくと見上げていた視線を下ろした。悪戯子供のように無邪気に笑って足を揃えて手を上げる。軍人には珍しくない敬礼だった。
「地球軍、第7機動艦隊所属、ムウ・ラ・フラガ大尉だ。よろしく」
堅苦しい自己紹介でありながらどこか口調に遊び心を混ぜた男は軍人というよりはやり手のセールスマンのようにも見えた。
「第2宙域、第5特務師団所属マリュー・ラミアス大尉です」
「同じく、ナタル・バジルール少尉であります」
敬礼に敬礼を返す軍人達の中で少年少女だけが場違いだった。元より軍艦なのだから場違いなのは当然だが軍人のやり取りは一般人を受け入れない頑迷さがある。この時のキラが感じていたものは疎外感に似た恐怖だった。
地球連合軍が戦っているのはプラント。この図式はナチュラルとコーディネイターの闘いを示している。地球連合軍の戦艦に乗って周りは軍人ばかり、キラは自分の進退が窮まったことを悟らざるをえなかった。
「乗り込んどいて今更なんだが乗艦許可を貰いたい。この艦の責任者は?」
敬礼をしていた手を下ろしたムウは言いながら辺りを見渡した。
見ても彼の周りにいるのは若い士官ばかり。この中で一人だけ軍服ではなく作業服姿の男でも50にも満たないだろう。名乗った二人はまだ若く、ムウと同階級のマリューにしても年下だ。責任者とは考えにくい。
「艦長ならやっぱブリッジか。俺の乗機が壊れちまって修理も頼みたいんだが」
艦の責任者がこのような事態にブリッジから離れるとも思い難く、ムウは自然と責任者はブリッジにいるものだと考えて問いかけていた。
問われた士官であるマリューとナタルだが、マリューは先程艦に乗ったばかりで詳しいことは何も知れない。知っているだろうナタルにチラリと視線を向けた。
ナタルは周囲の視線が自分に集まるのを自覚して、マリューとムウから乗せられた無意識の期待に体を押し潰されそうになった。そんな彼女を気遣ってか、隣に立っていたノイマンは無意識に彼女の肩に手を乗せていた。
ノイマンの行動にナタルは一瞬目を丸くして彼を見たが、心配そうな視線を向けて来る彼に軽くそうと見なければ分からぬほど微笑んだ。
肩に入っていた力が抜けたのを乗せていた手から察したノイマンは、胸に走った稲妻に全身を支配されながら手を離した。そんな二人の様子を目撃したマリューが瞳の中に喜悦の感情を浮かべ、ムウはもっと直接的に口笛を吹きそうなほどに驚いていた。堅苦しそうな士官が女の顔を浮かべていればムウでなくともそうしたくもなる。
マリューとムウに知られたことに頬が真っ赤になりそうな羞恥を覚えながら、肩から離れた手に妙な物寂しさを感じながら咳払いをして誤魔化す。
「艦長以下、艦の主立った士官は皆、戦死されました。よって今は、ラミアス大尉がその任にあると思いますが」
「えっ…」
ムウを真っ直ぐ見てのナタルの発言に、ムウと同じく艦長以下の責任者達はブリッジにいると思っていたマリューは絶句した。
「無事だったのは艦にいた下士官と、十数名のみです。私はシャフトの中で運良く助かりました」
「艦長が……そんな……」
アークエンジェルの艦長になる予定だった男と顔を何度も合わせていたマリューは動揺を隠せなかった。副長として乗り込むことになっていた彼女は艦長と何度も話し合っていた。仲も決して悪くはなかった。ようやく一機でもGを奪取されずにすんだ報告が出来ると思っていたのにナタルが感じていたショックと重みを今またマリューも味わい、背負わされる。
ムウとしてもまさか艦長以下が死んでいて、この場にいる面々が生き残りの殆どと知れば嘆きたくもなる。
「やれやれ、なんてこった。生き残りはそんなに少ないのかよ」
壊滅した外の状況とどちらがマシかと比較しかけてしまった自分の間抜けさ具合に頭痛を覚えて眉間を解しながら、友軍が生きているだけでも良しとしようとムウは結論付けた。
「あーともかく許可をくれよ、ラミアス大尉。俺の乗ってきた船も落とされちまってね。行き場がないんだよ」
皆が感情を抑え込んで暗くなりすぎる雰囲気を明るくしようとして無理に口調を軽くしたムウは、動揺を表に出し過ぎるマリューに言った。
「あ……はい、許可致します」
マリューに乗艦の許可を受けたムウは先程から気になっていた少年少女達を見た。
「で、あれは?」
「御覧の通り、民間人の少年です。襲撃を受けた時、何故か工場区に居て…………私がGに乗せました。キラ・ヤマトと言います」
あれ、と集団ではなく明確に個人を指した問いかけに、彼もまたキラがストライクから降りて来る現場を見たのなら下手な言い訳は禁物と自らを戒めたマリューは必要な情報だけを開示した。
「ふーん」
どのような考えを持っているのかムウの横顔や言葉からは判別しづらい。
面白い物を見たと言わんばかりに笑みを浮かべているムウが信じているのか信じていないのか、それとも何かを察しているのかマリューでは判断がつかず、いらぬことまで口にしてしまう。
「か、彼のお蔭で先にもジン1機を撃退し、あれだけは守ることができました」
「ジンを撃退した!? あの子供が……?」
ジンを撃退したことまで言う必要がなかったとマリューが気づいた時には既に遅く、ナタルが言葉を拾って信じられぬとばかりにキラに視線が集中した。
軍人達の視線が集まってもキラは気丈にも怯まず、強い視線を前に真っ直ぐと向けていた。その視線が無言で責めているように感じて、マリューはキラが内心で称したように軍人には向かない気質から視線を逸らした。マリューは軍人として正しい行動を取っても人間として間違っているのならそっちを選んでしまう。やはり軍人には向かない性格をしているようだった。
体全体でキラだけを見ていたムウは、少年が動揺せずにナタルの後ろで軍人達の方が顔を見合わせていることに情けなさを感じながら顔だけをマリューに向けた。
「俺は、あれのパイロットになるヒヨっこ達の護衛で来たんだがねぇ、連中は……」
「ちょうど指令ブースで艦長へ着任の挨拶をしている時に爆破されましたので共に」
「…………そうか」
死んだか、と輸送艦に偽装していた艦の艦長に紹介されたトップガン達の顔を思い出そうとして、たった数時間前のことなのに色々なことが目まぐるしく起こって記憶が掠れていることにムウは表情に出さずに愕然とした。
トップガン達について覚えていることは自分と違って生真面目そうな後ろ姿だけだった。そのことに寂しさと申し訳なさを覚えながらキラに向かって歩いて行く。
少し視界を上に向ければ鋼色の巨体が主に跪くように片膝をついている。その股下にいる年上の少年少女達の中で、瞳の中に最も強い輝きを以て自らを見る少年の胆力に心中はムウは驚嘆した。
「!」
パイロットスーツの男を先頭にして近づいてい来る軍人達にキラの左隣にいたミリアリアが体を震わせた。無理もない。女の子ならば体格の良いムウが無言で近づいてきたら委縮もする。
ミリアリアの気持ちに感謝しながらも肩に手を置いて彼女を下がらせ、反対側にいるトールの手を振りほどいてキラは前に出た。
「何ですか?」
自分から距離を詰めたこともあって、手を伸ばせば届く距離で立ち止まったムウ・ラ・フラガと名乗っていた男にキラは挑むように自分から問いかけた。
目の前の男はキラよりも20㎝近くは背が高い。地球連合の軍人であるからしてナチュラルと考えられる。軍事教練を受けた体格の良い男相手にコーディネイターだからといって勝てるはずもない。簡単な護身術しか習ったことのないキラでは銃を持つ警備兵がいる場所で出来ることは何もない。
「へぇ……」
自分の肩程度の身長しかない少年が挑むような目つきで仲間を守る為に自分から近づいてきたことは当然ムウも気づいていた。
身内にいれば酒でも奢ってやりたくなるタイプだと、部下を失ったばかりの心の琴線が擽られるのを感嘆の声を上げたムウは自覚せずにはいられなかった。それでも問わずにはいられない。後に回せば余計に不和の種になると知っているから。
「君、コーディネイターだろ」
ムウが言った直後、キラの顔にハッキリとした動揺が現れた。表情を表に出してしまうのは若い証拠だと、自己分析しながらムウは周りの反応を窺う。
背後にいるナタルや下士官達の動揺が背中を向けていても手に取るように分かった。仕方ないと分かっていてもどう転ぶか、ムウは先の展望がこの後の展開によって決まる考えた。
キラは一度開きかけた口を閉じ、また開きを二、三度繰り返して意を決したようにムウを見た。
「…………だったら、どうだっていうんですか」
ムウの言葉にYesと取れる返答を返したキラに待っていたのは、敵意と銃口だった。
仕方ないと分かっていても同じ人の形をした者達に、ただコーディネイターであるだけで敵と認定される我が身の生まれに始めてキラは疑問を覚えた。マリューが顔を背け、警備兵達が銃を向けて来ても、もう焦りも怒りもない。あるのは諦めにも似た諦観だった。
キラはこの場で殺されるか、良くても投獄。もしくは荒れ地となったヘリオポリスに放逐されてシェルターを捜して彷徨う羽目になるのか。どれにしろ碌な結果にはならないことは間違いない。
「止めろよ!」
下される審判は生か死か。どんな結末でも碌な羽目にはならないと諦めて瞼を閉じていたキラの耳にトールの叫びが聞こえた。
開いた視界の先にはトールの背中があった。銃口の前に勇敢にも身を晒して盾となり、軍人達を睨み付けている。
「コーディネイターでもキラは敵じゃねぇよ! 俺達の仲間だ! 銃なんて向けてんじゃねぇよ!」
続くトールの言葉に触発されたようにミリアリアがキラを下がらせ、ムウの前にサイとカズィが立ちはだかった。
「どういう頭してんだよ、お前らは!」
何時自分を撃つともしれない銃口の前に身を出して、自分達よりも年上の軍人に歯向かって怖くないはずがない。後ろから見ればトールやサイ、カズィの体は震え、寄り添ってくれているミリアリアも怯えているのが分かる。それでも彼らは一歩も退きはしなかった。
「キラには手を出させないからな!」
意地でもどかぬと手を広げるトールの背中は大きかった。キラが憧れ、ああなりたいと願った姿そのままに。
「大丈夫だから」
ミリアリアは女の子だ。トールと一緒にアウトドアを嗜んでいようと怖いものは怖い。瞳に涙を浮かべながらも一歩も退きはしなかった。
「……………」
サイの無言で見せる背中が頼もしかった。カトウゼミの父親的存在はこの時も揺るがずに前に在ってくれた。
「守ってくれた借りもあるからさ。下がってろよ」
親指を立てるカズィは他の三人と比べれば一定の距離を保って、あまりキラと関わって来ようとはしなかった。コーディネイターであるキラに対して思うところがあるのだろう。それでも動いてくれた。
彼らのこの場における最適の行動はキラを見捨てて軍人達に迎合することだ。地球連合が何と戦っているかを考えれば子供にだって分かる。それらを理解した上で、彼らはキラの味方をしてくれている。
「…………ありがとう、みんな」
キラにそれ以上の感謝の言葉は言えなかった。他に何が言えようか。下手に口を開けば泣きそうになって歯を食い縛らなければならなかった。守られて泣くことは情けないことだと思うだけの理性はまだキラにも残っていた。
「やれやれ、完全にこっちが悪者だなこりゃ」
「諸悪の根源が言わないで下さい」
これは困ったと苦笑いをしている顔を向けて来るムウに、騒動を引き起こしておきながら反省もしてない男にマリューは軽く殺意すら覚えながら辛辣に言い切る。
「きっついなぁ。ほら、銃を下ろせ。民間人に何時までも銃を向けてんな」
マリューの言いようはきついながらも的を射ている。頭を掻いたムウはまだ銃を向けている警備兵に向かって銃を下ろすように腕を下に下ろすジェスチャーをしながら言った。
警備兵も少年少女に銃を向けていることは気が咎めるのか躊躇うように最高責任者であるマリューを見た。判断を仰ぎたかったのだ。
「いいわ、銃を下ろしなさい」
これぐらいは自分で判断してほしいものだと頭の隅で思いながらマリューは指示を出した。警備兵達もホッとした様子で銃口を下ろす。
今すぐにドンパチをやる気配がなくなったとはいえ、場に満ちる緊張感が消えたわけではない。コーディネイターであるキラがこの場にいる意味、地球軍の新型機動兵器に乗ったことなど問題は多い。
「ラミアス大尉、これは一体……」
「そう驚くこともないでしょう? ヘリオポリスは中立国のコロニーですもの。戦渦に巻き込まれるのが嫌で、ここに移ったコーディネイターが居たとしても不思議じゃないわ。違う? キラ君」
ナタルの困惑を最もだと理解しながらも、心情的に同じコクピットに乗った少年を敵と思えないマリューは想像も含めて事情を推察してキラを見た。
「ええ、僕は一世代目のコーディネイターですから」
「両親はナチュラルってことか。いや、悪かったなぁ。とんだ騒ぎにしちまって。俺はただ聞きたかっただけなんだよね」
マリューの問いに頷きを返したキラは、ムウの呆れた理由に少しの怒りを覚えた。それでも沸点を超えさせないのは彼が身に纏うオーラや雰囲気のお蔭なのだろう。
そんな理由で聞いたのか、と全員の呆れた視線が集中して思うところがあったのか、誤魔化すように首の後ろを掻いていたムウがストライクを見上げた。
「ここに来るまでの道中、これのパイロットになるはずだった連中のシミュレーションをけっこう見てきたが、奴等、ノロくさ動かすにも四苦八苦してたんぜ。それを上手く動かしてる奴がいるってんなら話もしたくなるさ」
正規パイロットを知るムウの発言に誰も何も言えない。彼らが見上げる唯一奪われなかったストライクはその性能を如何なく発揮してザフトのモビルスーツ、ジンを倒したという。それがよりにもよってコーディネイターの手によって行われたのだから運命の皮肉を嘆かずにはいられなかった。
なんとか悪い方向には転がらなかったキラは、ムウの発言に行き場を失くしていた。彼らの期待をよりにもよって叶えてしまったのがコーディネイターである自分では何も言えるはずもない。
そんな時だった。艦内放送が鳴り響いたのは。
『バジルール少尉! モビルスーツがアークエンジェルに急速接近していますっ!』
デッキ中に鳴り響く、ブリッジに残ったジャッキー・トノムラの声に全員が身を固める。
「何っ!?」
名指しされたナタルだけでなく、マリューやモビルアーマーのパイロットであるムウが咄嗟に走ろうとするが既に遅い。キラは行動に移すべきか迷って一瞬遅れた。
『駄目です!? 迎撃間に合いません!』
絶望に満ちた、ダリダ・ローラハ・チャンドラII世の金切り声がカタパルトデッキに響いたのと、ストライクに匹敵する巨体がカタパルトデッキに侵入してくるのは同時だった。
恐らく走ってきたのだろう、ジャンプしてカタパルトデッキに乗り上がったモビルスーツは足裏のバーニアを吹かして慣性を殺すと見事に着地して見せた。
着地したモビルスーツはストライクの肩に手をかけて、右手に持つ銃口がマリュー達に向けられる。人間を丸呑み出来そうな銃口を向けられて、人が向けるのとは違う別の圧力を感じてデッキにいた全員が体を強張らせた。
バーニアの影響を受けて腕で顔を伏せた軍人達とは違って、ストライクの脚が壁になってくれた少年少女の中で、キラは銃口を向けて来るモビルスーツがストライクに似ていることに気がついた。
「ストライクに似ている?」
ジンと違い、奪われたGにも共通する人の顔に似せたようなツインアイにフェイスマスク。細かな意匠は違うものの、同系統の機体であると言われても信じられるほどに酷似している。
『ストライクが似ている、よ。この機体の方が作成は先なんだから』
モビルスーツのパイロットがキラの発言を聞き咎めたのか、外部音声を通して女性の声がデッキ中に響く。その聞き覚えのある声にマリューの顔色が変わった。
「その声はアマカワ博士!? あなたが乗っているんですか!」
数時間前に会って話をしたばかりの酒飲み仲間であるミスズ・アマカワの声をマリューが間違えるはずがない。しかし、それでも目の前で銃口を向けて来るモビルスーツのパイロットがミスズであるとは信じたくはなかった。
『正解。でも、パイロットじゃないわよ』
それだけ言うとコクピットハッチが開き、中からくすんだ金髪を首の後ろで束ねた、白衣を着た実用性を疑う小さすぎる眼鏡を鼻の上に乗せた女が出て来る。
ストライクの肩から手を離したモビルスーツが腰元に持って行き、その上にコクピットから出て来たミスズが乗った。ストライクがやったのと同じように滑らかな動きでマリュー達の前に下ろす。
「お久しぶり、マリュー。また生きて会えて嬉しいわ」
モビルスーツはミスズがいるからか、銃口をどけた。残る緊張した場に似合わぬにこやかに笑みで旧友に挨拶するミスズに、マリューは直ぐに言葉を返せなかった。
口の中の唾を飲み込んで、ようやく喉がカラカラに乾いていることに気がつく。
「…………どういうことですか、アマカワ博士?」
舌が絡まるのを自覚して、それでもマリューはミスズに問わずにはいられなかった。
「友好を温めに来たんじゃない。親友が危険に晒されているから助けようと思って」
藪蛇だったみたいだけど、とストライクを見上げたミスズの視線にキラはシグーの右足を撃ち抜いたレーザーがモビルスーツのライフルによるものだと理解した。
動き回るモビルスーツを的確に狙って当てられる自信は今のキラにはない。事実、隙を見せたシグーには十分な狙いを計って撃ったのに当てのは右腕だけ。
「じゃ、ザフトのモビルスーツの右足を撃ち抜いたのは……」
「そう、この機体よ」
キラが零した言葉に、ミスズは跪いているモビルスーツの装甲を手の甲でコンと叩いた。
「何を聞きたいのかしら。今の状況? それともこの機体のことかしら?」
「全部です」
「困ったわね。全部話そうと思ったら一日以上はかかるけど本当に聞く? 何時、ザフトが攻めて来るか分からない状況下で自殺行為だと思うけど」
はぐらかすように笑うミスズに、旧友が何を考えているのかが分からず、迂闊に踏み込めないものをマリューは感じ取った。彼女がマリューの何倍も頭が良いことは酒の席でのなんでもない会話からでも窺い知れている。話術で勝てる自信は全くなかった。
こういう時は親しい間柄であるからこそ、なにを優先して問うべきかを迷った。そんなマリューの横からナタルが前に出た。
「では、そのモビルスーツのことだけでも教えて頂きたい」
「あなたは?」
「第2宙域、第5特務師団所属ナタル・バジルール少尉であります」
「ふぅん、まぁいいけど」
明らかにマリューと対応が変わって、人によって対応を変える人物を好きにはなれないナタルは表情には出さなかったが好きにはなれない相手だと思った。
「Gは大西洋連邦とオーブが共同開発したことは改めて言う必要もないわよね」
「改めて言われなくても分かっています」
大西洋連邦、と地球連合ではなく連合を構成している一組織を上げたことがどこか皮肉なことを言っているように聞こえてナタルは眉を顰めた。しかし、マリューはミスズが何が言いたいのかが分かるような気がした。
Gは対ジンを目的とした、ザフトと戦うことを想定して作り上げられた機体だ。なのに、作り上げたのは大西洋連邦と連合に所属していないオーブ連合首長国。つまり、ミスズは地球連合は決して広報部が言うような一枚岩でないと言っている。
「この機体はあなた達の技術も取り込んで完成させた機体…………卑怯とは言わないでよね。まさかオーブのコロニーで開発をしといてこっちに見返りもなしなんて都合の良いことは考えていないでしょう」
ぐ、とそう言われて、文句を言いかけたナタルは吐き出しかけた文句を詰まらせた。
他国のコロニーを使用し、あまつさえ襲撃を受けているリスクを考えればオーブに返って来るメリットがあるべき。モルゲンレーテが共同で開発しているのだから技術を盗用してモビルスーツを作り上げることは上層部でも考えつかぬはずがない。
「上層部では暗黙の了解だったみたいよ。こうやって表向きは協力して出し抜かれる可能性を見越しても完成させたかったらしいわね」
続くミスズの言葉に、ナタルは自分の推測が外れていないことに落胆を覚えた。
せめてもの粗を捜そうと現れたモビルスーツを見上げた。
「先の動き、パイロットはコーディネイターですか」
モビルスーツの操縦はコーディネイターしか行えないと言われている。それはナチュラル用のOSが完成していない状況では不可能だからだ。ストライクに乗り込んでジンを倒したキラの例もあり、ナタルがパイロットをコーディネイターと考えたのは自然だった。
「いえ、ナチュラルよ」
「…………では、博士はナチュラル用のOSを完成させていたということですか。地球連合に提出したのは偽装したものだと」
平然と返って来た返答に、もしやと考えたマリューは親友を疑いたくはないがそうでなければ理屈に合わない。モビルスーツをナチュラルが操縦しているならナチュラル用のOSが完成していることを示している。
「ああ、まだよまだ。多少の細工はしたけど完成はしてないわ」
「ですが、パイロットはナチュラルでは」
連合側に提出したOSに細工していたことを暗に認めながらも、完成していないのならナチュラルが操縦しているなら理屈に合わない。先ほどの見事な動きといい、ナタルにもマリューにも信じられるものではない。
食い下がるナタルに、ミスズはモビルスーツを見上げた。
「そうね…………ユイ! 出て来なさい!」
「ユイ?」
最近聞いたばかりの聞き覚えのある名前にマリューは思い出せずに頭を捻った。だが、一度は閉じていたコクピットハッチが開いて、そこから小柄な人影が出て来るのを見て思い出した。
「まさか……」
マリューの驚きを知りもせず、ヘルメット被ったままのパイロットは身軽にも一度ストライクの膝の上に降りてから地面に着地する。
ナチュラルとは思えない身軽な動きと運動能力に周りが驚くも、パイロットがヘルメットを取った時の衝撃に比べれば小さいものだった。
「キラよりも子供じゃねぇか」
ヘルメットを取ったパイロットの顔を見たトールが唸るように言った。
若い、この場にいる最年少であるキラよりもずっと若い。トールから見ても15歳になっていないのは、体に張り付くパイロットスーツを盛り上げる未成熟な肢体が証明していた。
ヘルメットを小脇に抱えて、親を見つけた子犬のようにパイロットがミスズの下へ行くのを誰もが唖然と見ていた。
「ほら、自己紹介しなさい」
「ユイ・アマカワです」
ミスズに促されて、名前だけを名乗ったユイが感情など感じさせない声と表情で機械的に頭を下げてまた上げる。
「それだけ?」
「他に何を言えと」
「ほら、趣味とか好きな物とかあるじゃないの」
「趣味も好きな物も特にありません」
「じゃあ、普段してる事とか」
「訓練…………としか」
「改まって聞くと危ない人みたいね」
「言えと言ったのは博士です」
周りを置き去りにして漫才のようなやり取りを続ける二人。白髪赤眼で動かない表情と人形染みた容姿を持つユイが時折、不満そうにしていたり呆れていたり、表情は変わらないが雰囲気的なものか感じ取れる。彼女はミスズの相手をしている時は不思議な人間味を覗かせていた。
二人の世界を形成しているところへ、若干の耐性があったマリューが踏み込んだ。
「博士、本当にその子が操縦していたのですか?」
コーディネイターであるキラでも信じられなかったのに、彼よりも幼い少女が操縦していて更にナチュラルだと言われれば確認したくもなる。
「コクピットから出て来るのを見ていたじゃない。何よ、疑う気? なんならコクピットを見てもいいわよ。誰もいないから」
「彼女に操縦できるとは思えません。しかもナチュラルと言われても。ナチュラルではモビルスーツを操縦することは出来ないはずです」
常識として、ナチュラルにはモビルスーツを操縦できないと念頭に置いてしまっているナタルはミスズが嘘をついていると言ってくれた方がよほ信じられた。問い続ければボロを出すのではないかと言葉を重ねる。
「ちょっとした事情があるんだけどね。この子は純粋なナチュラルではないから、コーディネイター用のOSのチューンしたのを搭載しているアストレイ・グリーンフレームを操縦できるのよ」
「アストレイ・グリーンフレーム?」
マリューは純粋なナチュラルでないとミスズが気になることを言っている方を気にしたが、ナタルは聞き覚えのない名称の方が気になったようで繰り返した。
聞かれたことが嬉しいのか、ミスズは首を巡らせて後ろのモビルスーツを見た。
「この機体の名称よ。この子が考えたにしては良く出来てるでしょ」
隣にいるユイの頭をポンポンと、娘の偉業を誇る母親のように撫でた。
当のユイも心持ちか頬が赤くなっているような気がする。見間違いと言われればその通りだが、人形染みたところのある彼女もミスズに褒められるのは嬉しいのだろうか、とマリューは考えて彼女達が親子であることを今更ながらに思い出した。
(似てないわね)
容姿も何も似ていないところに、ミスズがユイを純粋なナチュラルではないと称した理由があるように思えて、仲の良い二人に余計な茶々を入れるのも野暮だろうと疑問を自分の中にしまい込んだ。
そんな彼女の前をミスズが白衣に手を突っ込んだまま横切って行った。その先にいるのは困惑した様子のキラ・ヤマト。
「で、あなたがストライクを操縦したパイロットね。名前を聞かせてくれる?」
マリューが止める暇もなくキラの前に立ったミスズは、覗き込むように顔を見下ろした。
長身の女性に見下ろされて圧迫感を感じたキラは艦に乗り込んだ当初の気概をとっくの昔に失くして、元よりある気弱な面が表に出て来た。
「キラ…………ヤマトです」
名前を問われたので大人しく答えたキラの表情は、雨の日に捨てられた子犬のように頼りなかった。水に濡れた瞳に眉は垂れ下っていて、整った甘いマスクと相まって特定の可愛いもの好きのミスズの大好物であった。
「可愛い顔してるじゃない。食べたいぐらいだわ」
「ええと、あの」
ジュルリ、と舌なめずりしたミスズにキラの雄的な部分の警報が逃げろと最大限で警鐘を鳴らしている。何故か口から蒸気が見えそうなプレッシャーを出すミスズに、逃げなければならないのに全身が蛇に睨まれた蛙のように固まっていて足がピクリとも動いてくれない。
顔だけは動かせれたのでトール達の方を向いて視線で周りに助けようとしたら、トール達は既にマリュー達の傍という絶対安全圏に避難していた。
「ちょ、トール!?」
「悪い、俺にはミリィがいるから」
「もうトールったら恥ずかしいことを言わないの」
ここはやはり大親友のトールに助けを求めようとしたら、隣のミリアリアといちゃつき出した。二人とも分かっていてやっている。
「サイ! カズィ!」
「だから僕は常から思うわけだよ。工学系がモテないのは仕方ない。でも、キラだけがモテてるのはやっぱり男は顔って証明なのかな」
「そんなことはないって。きっとお前を好きになってくれる女の子も現れてくれるさ」
サイとカズィを見れば青少年の悩みを吐露しているカズィを年長者らしくサイが慰めている。どう見てもカズィは本気なのにサイだけは台詞が棒読みだったが。
キラは完全に見捨てられていた。
カトウゼミの全員に裏切られたキラは、これはカトウゼミ流の肉体言語で会話する必要があると決心を握り締めた拳と共に固めた。
まずはトールと肉体言語で会話しようとしたキラの首が誰かによって強制的に強引に前に戻される。
「良し、食べちゃおう」
「は?」
前を向いた視界には睫毛の数を数えられるほどドアップにまで近づいているミスズの顔。
あ、と思った時にはどうしようもないほど近づいており避ける暇もなかった。
「ふむぐっ!?」
両手でガシリと顔を押さえつけられ、目の前には瞼を閉じたミスズの綺麗な顔立ち。鼻に香るのは甘い女性の匂い。そして唇に当たっている柔らかい感触。初めての口づけを奪われたと嘆く暇すらもない。ABCの人生で一度だけの初Aを呆気なく奪われたキラの脳裏には淡い思いを抱いていたフレイ・アルスターの笑顔が脳裏から遠ざかって行く。
キラは脳裏のフレイが手を振ってどんどん遠ざかっていくので必死で追いかけようとした。しかし、キラは追いかけようとしているのに蛸の吸盤に全身を搦められたように動けない。それどころか蛸足の本体に近づいていく。
「むぐっ!?」
口が強引に開かれミスズの舌まで侵入してきて、キラの舌と合わされ縺れ擦られる。
唾液が吸われ、舌が吸われ、酸素さえも吸われると錯覚するほどに吸着していくる唇。舌がまるで別の生き物のようにキラの口内を蹂躙して暴れまくる。
グチャグチャ、チューチュー、と二人の口から卑猥な音が鳴り響く。
振りほどこうにも女性を傷つけることが出来ないキラには弱い抵抗しか出来ない。何時の間にか顔を固定していた両手が移動していることにも気づかなかった。
「はむっ!?」
右手が後頭部に回され、左手が尻を掴み上げられたのを感じて奇声を上げた。
キラの体はミスズの細身の体では信じられない力で体が浮かび上がっていて、浮かぶ両足がジタバタと空を切る。尻を掴み上げた左手の人差し指が肛門付近を触って来る感触に目を見開くほどの叫びを上げかけたが、声はミスズの口の中へと消えていった。
「うわぁ、ディープキスしてる。くそっ、俺もしたことないのに!?」
「やるわね、キラ」
「流石は年上キラー」
「哀れ」
トール・ミリアリア・サイ・カズィと順にコメントを発表し、サイに同調して皆がハンターに狩られる獲物と化したキラに黙祷を捧げる。
「いい性格をしてるよ、お前ら」
ちゃっかりと安全圏に避難して近くにいるトール達にムウは呆れながら、これは後でいいネタになると予感を覚えながら目でバッチシと記憶する。パイロットスーツにはないがこのようなハプニングを想定して軍の制服には胸元にポケットに小型カメラを仕込んでいたので残念である。
「これなら着替えて来るんだった。ちっ、折角のシーンを見逃しちまったぜ」
何度艦内でオペレーターといった女性兵士と逢引していたパイロット仲間のシーンを撮影して暴露したことか。着替えて来なかったことを後悔していた。彼も方向性は違ってもトール達と同類だった。しかも性質の悪い方向に。
「ん――んんんっ、んっ……」
貪られる側のキラは徐々に抵抗の力すらも失って、緩慢になってきた抵抗の手がミスズの白衣を掴んでいるのでまるで受け入れているようにも周りからは見えた。
「は、破廉恥な!?」
ナタルはこういうことに免疫がないのか、顔を盛大に赤らめて目を背けていた。それでもやはり気になるのか、チラチラと見ては顔を赤らめている。
乙女なナタルの仕草に胸をときめかせている男がいた。アーノルド・ノイマン曹長である。
「可憐だ」
ぽつりと零した一言に、近くでその言葉を聞いたロメロ・パルとコジロー・マードックの度肝を抜いていた。彼らはナタルを規則にお堅い典型的な軍人と考えていたので、女性としてはとても見れなかったのだ。
色んな方面に激震を起こしているのを見てマリューが頭痛を堪えるように頭を押さえていると、末期みたいに痙攣し出したキラにやっと満足したのかミスズが口を離した。二人の唇の間を繋ぐ長い糸が垂れる。
「ふぅ、御馳走様」
「あ、アマカワ博士。何を突然……」
親友の突然の行動に、ジンに立ち向かって勇敢だったキラ・ヤマトが呆気なくノックアウトされて地面に転がるのを見てマリューは突っ込んだ。疲れた様子のマリューとは違ってミスズはキラの生気を絞り尽くしたように、肌が艶々と輝いていた。
「若い燕のエキスを貰っていたのよ。いやぁ、流石は若いだけあって芳醇だわ」
この女はサキュバスか、と満足そうに艶っぽく息を吐く姿を見て、マリューは割と真剣にこの相手と友達関係を続けるべきか悩んだ。
「博士はキス魔です。10代前半が好みのようで」
ご丁寧にユイが、ミスズがキラにした行為への説明をしてくれる。
しかし、年齢の矛盾を発見したサイは頭を捻った。
「キラは16歳のはずなんだけど」
10代前半が好みならキラは対象外ではなかろうかとサイは思った。
「童顔が悪い」
「可愛ければなんでもいいのよ」
サイの疑問にユイが、成程と納得してしまうほどの意見を出した。確かにキラは年齢よりも若く見える童顔だった。だが、ミスズが補足した内容は身も蓋もない。
「おーいキラ君、大丈夫ですかー。駄目だ、返事がない。屍のようだ」
倒れているキラにトールが近づいて指先でツンツンと突くも、キラは完全に意識を別世界に飛ばしていてご臨終なされていた。南無、と横に並んだカズィと共にキラの冥福を祈っていた。
何時もならここでキラも目覚めてるのだが、予想以上に唇を奪われて口内を蹂躙されたダメージが大きいようでピクリとも動かなかった。
「確かに美人なら俺も年が多少上下しても気にしないもんな。分かる。分かるぜ、その気持ち」
「「大尉っ!」」
「おっとやべぇ」
思わず本音を吐露したムウは、マリューとナタルに睨まれて逃げ出した。気絶してしまったキラといい、ノリに付いていけなかった者を置き去りにして色々とグダグダのまま色んな事がうやむやになってしまった。それこそがミスズの狙いなのだと気づくこともなく。
ヘリオポリス外の宙域にガモフとヴェサリウスはいた。宇宙空間内での敵を掃討し終え、湾口も破壊したことでヘリオポリスから敵がやってくることもない。
小惑星に隠れる必要もなくなったヴェサリウスのモビルスーツデッキは慌ただしい空気で満ちていた。
『第5プログラム班は待機。インターフェイス、オンライン。データパスアップ、ウィルス障壁、抗体注入完了。データベース、コンタクトまで300ミリ秒。 第2班……』
艦内アナウンスが流れる中で、隣にマシュー機のジンを置いたX303イージスがモビルスーツヘッドに固定されて様々なケーブルに繋がれていた。
地球連合から奪取したばかりなので問題がないかウィルスチェックを行い、データの吸出して他様々作業が並行して行われていた。イージス一機のヴェサリウスはまだマシな方で、三機も収容したガモフでは作業員がきっとてんてこ舞いになっているに違いない。
「………………」
赤のパイロットスーツのままイージスのコクピットの中でシステムの調整を行っているアスラン・ザラの頭の中を占めていたのはイージスのことでも地球連合のことでもない。ストライクに乗り込んだと思われるキラ・ヤマトのことだった。
次々とシステムをナチュラル用からコーディネイター用に書き換えていくアスランの脳裏に思い描かれているのは、三年前に別れた時の泣きそうな友の姿。
(本当にあれはキラだったのか)
新型機動兵器の肩の上で、地球連合の士官と共にいたのは間違いなく成長したキラ・ヤマト。硝煙と爆炎の中での望まぬ再会。頭の中では本人だと認めていても、最も見られたくなかった相手に感情が否定をし続ける。
鼻に香るのは三年前の桜の香り、断じて数十分前の硝煙の臭いではないはずなのにと、理性と感情が鬩ぎ合っていても目はシステムを追って手はキーボードを叩き続けていた。
「うわ!?」
コクピットの外から聞こえた声に、アスランの意識はようやく過去から戻って来た。
モニターに落としていた顔を上げれば慌てた様子の整備員の姿があった。手元に視線を落とせば自分の領域を超えて向こうにまで干渉してしまったことに気づいて申し訳なくなった。
「すまない。ついそっちまで弄ってしまった」
「ああ、大丈夫です。外装チェックと充電は終わりました。そちらはどうです?」
過去にばかりうつつをぬかし過ぎて大事な仕事を疎かにしてしまった不始末を相手に押し付けてしまったと心配したアスランに対して、整備員は弄られた範囲が修正可能なことを確認して告げる。
「こちらも終了だ。しかしよくこんなOSで」
どうやら不手際で手間を取らせずにすんだと一安心したアスランは操縦桿についているボタンを押して付属のキーボードを自動で直しながら呟いた。
ナチュラル用のOSは決して専門でないアスランが見ても不出来が目立つ代物であった。とてもではないが機体の性能を活かしきれない。例え完成しても折角の機体が宝の持ち腐れにしかならないものだった。しかし、逆に言えば改善の余地が幾らでもあるということで、アスランの顔には不安が残った。
シートから立ち上がろうとしたアスランの耳に、モビルスーツデッキに鳴り響くアラートに一瞬身を固めた。
『クルーゼ隊長機帰還。被弾による損傷あり。消火班、救護班はBデッキへ』
アラートに続いて響き渡る艦内アナウンスに騒然となるモビルスーツデッキ。
直後、カタパルトデッキの射出口が開いてシグーが飛びこんでくる。バックでスラスターを吹かしながら制動をかけるシグーが準備されていた防護ネットに収まった。
アスランと共にイージスの調整を行っていた整備員の一人が静止したシグーを見て絶句した。
「クルーゼ隊長があれだけの損傷をするなんて……」
イージスのコクピットから身を乗り出したアスランも右手を右足を失っているシグーを見て絶句した。
シグーのパイロットであるラウ・ル・クルーゼはザフトの中でも指折りのトップガンで、並外れた機動をもって実戦で殆ど被弾したことがないことでも有名であった。
ザフト内での訓練でも彼に被弾をさせただけで有名人扱いになれるのだから実力は折り紙付き。アスランも訓練でジンを操って赤を着た五人で掠り傷一つも与えられずに撃墜された記憶は新しい。
(まさか、でもあいつなら……)
胸の中で走った考えに、クルーゼの心配よりも過去の親友を優先していることに気づいて、装甲の冷却が始まったシグーから思わずアスランは後ろめたくなって目を背けた。
「隊長!」
熱せられていた装甲が冷却材によって急速に冷やされていくことによって発生する蒸気音を切り裂くように、アスランの耳に聞き覚えのある声が聞こえて視線をシグーに向けた。そこにはヘルメットのミラー部分から微かに見える金の髪でミゲル・アイマンと分かる体がシグーに取り付こうとしていた。だが、ミゲルがシグーに取り付くよりも先にコクピットハッチが開いた。中から無謀にもパイロットスーツを着ていないラウ・ル・クルーゼが五体満足で出て来る。
モビルスーツの修理や整備がある整備員はともかく部下の自分が動かないのは問題があるだろうと考え、アスランもまたイージスの装甲を蹴ってクルーゼの下へ向かう。
「お怪我は?」
「大丈夫だ。だが、Gの母艦らしき新造戦艦も出て来た。残ったGといい、状況は良くない」
「「!?」」
無重力でクセのある長い金髪を揺らしながら相変わらずの仮面には一つの変わりもないクルーゼの発言に、クルーゼの近くにいたミゲルも向かっていたアスランも共に体を固めた。
「あれらをこのまま残しておけば後々の災いとなろう。ここで沈めるぞ」
ラウ・ル・クルーゼという男には、人を惹きつける何かがある。カリスマと言ってもいいのかもしれないが、同時に人を突き放したところがあるのでアスランは上司として信頼しながらも人として信用を置けないでいた。
「戦艦もまたかなりの機動性と防御力があると見た。確実に沈めるにはD装備が必要になる。準備を急げっ!」
「「はい!」」
「!?」
D装備――――拠点攻撃用重爆撃戦装備に分類されるミサイルランチャーの使用に踏み切ったクルーゼに、整備員が戦意を滾らせて答えたのとは違ってアスランは信じられない面持ちだった。
ヘリオポリスを破壊しかねない装備を使うことに躊躇いを見せなかったクルーゼに思うところもあれば、疑う様子も見せずに了承した整備員にも同様だった。
アスラン・ザラの母親はコロニーの破壊によって死んだ。だからこそ、コロニーが危機に陥るかもしれない行為を自らが所属する組織の、それも尊敬する上司が行うなど信じたくなかった。
「クルーゼ隊長、お願いがあります」
一言言いたくなったアスランの機先を制するように、乗機を失ってヘリオポリスから帰還したばかりのミゲルが先に口を開いた。
「俺に残ったGをやらせて下さい」
並々ならぬ決意を猛らせたミゲルの言葉に、クルーゼは何時ものように薄く笑みを浮かべ、アスランは親友が乗っているかもしれない機体の話題を出されて動揺を表情に出さないようにすることで精一杯だった。
「ふむ、一人でやらせろと言っているように聞こえるが気のせいかな?」
「気のせいではありません。俺はそのつもりでお願いしています」
試すような問いかけるような、クルーゼ特有のどこか曖昧な問いかけにミゲルは小指一本も揺るぎさえしなかった。決して付き合いの長いわけではないアスランでさえ分かる。今のミゲルが不退転の決意で物申していると。
「分かっているだろう、あの機体の相手をするのにジンが向かないことは」
物理攻撃をほぼ無効化してしまうフェイズシフト装甲は、実体兵器しか持たないジンの天敵とも言える。
Gの相手をするのは同系列の機体か、フェイズシフト装甲をしていようが意味をなくさせるビーム兵器のような攻撃オプションを持つものに限られる。ジンの兵装ではD装備に分類されるザフト側の初期ビーム火器「M69バルルス改 特火重粒子砲」に限られる。
特火重粒子砲にしても大口径の割には威力も高くなく機動力も削がれるので、ジン以上の機動性を持つG相手には重しにしかならない。
「電力を食うフェイズシフト装甲を使っていれば、いくらバッテリーを改良しようとも長時間の展開は出来まい。先に戦艦を沈め、補給を断ってから確実に沈める。私の作戦に異論はあるかね?」
フェイズシフト装甲だろうと無敵ではない。展開し続けるには電力を消費しなければならない。ニュートロンジャマーの影響下で、核ミサイルをはじめとする核分裂兵器、核分裂エンジン、原子力発電などは使用不可能となる。モビルスーツのエンジンは絶対にバッテリー型になるのだ。
フェイズシフト装甲を有するGは圧倒的な防御力を有しながら継戦能力に問題を抱える機体であった。攻略する方法は簡単である。補給できる母艦を先に破壊し、バッテリーの電力を使い切ったところを墜とす。クルーゼの作戦に穴はない。
「いえ、ありません。ですが、その作戦ではGを戦艦から遠ざけ、足止めする役が必要になります。ジン以上の機動をするGを相手には隊長か…………俺でなければ不可能なはずです」
「確かに。オロールやマシューでは少し不安がある。私のシグーもこの様だ。ミゲルに足止めの役割を命令することになるだろう」
言ってクルーゼは目の前のミゲルではなくあらぬ方向を見つめた。アスランがクルーゼの視界を追うと、そこには左手と頭部を失い、腰部に被弾の跡が残るマシューの機体だ。
予備機が一機あるので、ミゲルかマシューのどちらを乗せるかと言われればアスランでもミゲルを押す。
同じようにマシューの機体を見たミゲルは、再びクルーゼにその強い視線を戻した。
「足止めではなく撃破してしまっても問題はないはずです。頼みのGを失えば地球連合も戦意を失うでしょう。戦意を失えば新造戦艦なぞ恐れるに足りません」
「ほう、強く出たな。出来るかな、一度負けた君に」
ミゲルの論理には筋が通っている。だが、その理屈もGに勝てなければ何の意味もない。クルーゼの挑発染みた言いようのように、油断もあっただろうが艦の貴重な戦力を失った者を作戦指揮官である者が受け入れられるはずがない。
「モビルスーツ乗りとしての誇りを穢されたんですよ! ナチュラルに負けたままでは本国には戻れません! いい恥さらしです!」
パイロットスーツの胸元に握った右拳を強く叩きつけ、コーディネイターとしての自尊心、モビルスーツ乗りとして黄昏の魔弾とまで呼ばれた誇りがミゲルを戦えと猛らせる。
「隊長! 俺に奴を討ち取るチャンスを下さいっ!!」
今までに見たことがないほどのミゲルの気迫に、二人と共にデッキの壁近く流されてきたアスランは完全に呑み込まれて聴衆と化していた。もしアスランが作戦を指揮する立場にあったならミゲルの意志を受け入れていたことだろう。しかし、クルーゼはアスランと違って冷ややかだった。
「意志は認めよう。だがミゲル、君の提案は受け入れられん。G相手に普通のジンでは足止め以外は認められない。それだけの性能差がある。気持ちだけで成し遂げられるならとっくの昔にザフトは地球連合を倒しているだろう。作戦に変更はない」
クルーゼは冷徹なまでにミゲルの強い意志をあっさりと跳ね除けて、ブリッジに戻る為だろう、壁に足をつけて背中を向けた。
「しかし、もし君専用のカスタムジンが出せるならば考慮しよう」
ミゲルの専用カスタムジンは先の作戦で傭兵サーペントテールと交戦し、相打ちによって右手の肘から先を失って中破している。そのすぐ後にヘリオポリスでの作戦に従事したので、デッキの端で修理もされないまま置いておかれている。
「カスタムジンの損傷は右腕のみ。丁度運良く壊れたマシュー機のを代用できるだろう。修理と調整が間に合えばミゲルの提案を作戦に組み込もう」
「っ!? 間に合わせてみせますっ!!」
「期限はブリーフィングまでだ。朗報を待っている」
壁を蹴って入り口に飛んで行くクルーゼに向かって、彼の姿が見えなくなるまでミゲルは頭を下げていた。
アスランにはクルーゼを止めることの出来る利も、ミゲルを思い止まらせる理由も、何もなかった。アスラン・ザラに出来ることは早速整備員に声をかけて回って動き始めたミゲルを見ていることだけだった。
せめてヘリオポリスに大きなダメージを与える可能性のあるD装備だけでも止めてもらおうと、クルーゼの後を追って壁を蹴った。
デッキから廊下に抜け、しばらくしてブリッジの手前でクルーゼに追いついた。
「クルーゼ隊長!」
呼びかけた声に振り返った仮面の視線に全てを見透かされているようで、アスランは気後れする自分がいることを認めざるをえなかった。
「アスラン。ミゲルと一緒にいたようだがイージスの調整は終わったのか?」
「終わっています。作戦のことでお話が」
続きを話そうとして、軍人としては尊敬できながらも本質を読まさせないクルーゼに苦手意識を覚えているアスランは喉の奥で言葉が詰まるのを感じた。
何時までも睨めっこをさせてくれる人でもない。アスランは意を決して口を開いた。
「コロニー内でD装備など危険すぎます。ただでさえ我々の破壊によってダメージがあるのに、隊長はヘリオポリスを破壊されるおつもりですか!」
言っていて、母を失った時の怒りや喪失感が蘇って来て声が荒げるのを抑えることが出来なかった。
部下に、遥か年下に怒鳴られても怒った表情どころか気配すら見せずに逆にクルーゼは理解の表情を浮かべた。
「君の母上は確かユニウスセブンで亡くなったのだったな」
レノア・ザラ――――農学博士でユニウスセブンにて農業研究に携わっていたアスランの母は、血のバレンタインでユニウスセブンの破壊と共に帰らぬ人となった。多くの人達と共に未だに亡骸すら見つかっていない。
「っ、……ええ、そうです。ですから、コロニーを危険に晒すには止めて下さい」
心の傷を無遠慮に触れられた痛みに、目の前の男に殴り掛かりたい衝動に駆られながらもアスランは自らの軍人としての立場を思い出して自重した。上司に食ってかかっていることを理解て本当に最後の一線だけを守れてしまうのがアスラン・ザラという少年だった。
「君の懸念も理解している。私も好き好んでコロニーを危険に晒したくない」
「なら、D装備でなくても」
拠点攻撃用重爆撃戦装備は地表に当たれば甚大な被害を招く。クルーゼにその気がなくても戦闘で100発100中などありえないのだから、どうやってもコロニーにダメージを与えることになる。
「君もGを解析したならば分かったはずだ。ザフトですら実用化していないフェイズシフト装甲やビーム技術。モビルスーツに実装しているなら戦艦にも何かがあるのではないかね?」
「それは!? …………確かにそうですが」
イージスを奪取して先程まで調整していたアスランだからこそ、クルーゼの言いたいことがな何であるかよく分かってしまう。否定も出来ず、されど肯定してしまえばコロニーが危険に晒されることが分かりきっているので口を開けない。
クルーゼを納得させる理由を考えつかず、アスランは拳を握り締めて俯くことしか出来ない。
俯いているアスランを見やったクルーゼがニヤリと笑った。
「装備に変更はない。が、ザフトがコロニーを破壊すれば醜聞が悪いのは確かだ。ブリフィーングでコロニーにダメージを与えないように厳命しておこう。これが私に出来る最大の譲歩だ」
アスランが顔を上げた時、クルーゼは笑みを消していた。
「あ、ありがとうございます!」
「礼はいい。Gの調整が終わったならミゲルの手伝いをしてくるといい」
「はい!」
一転して喜びを露わにするアスランにクルーゼは鷹揚に手を振るだけであった。申し出を受け入れてくれた隊長にアスランが不満を覚えるはずもない。嬉々とした足取りでデッキへと戻って行った。
アスランの姿が廊下の向こうへ見えなくなるまで見届けたクルーゼは、他人が見れば底冷えするほどの暗い笑みを浮かべていた。
「厳命しようがあの戦艦の機動力では躱されることもありうる。コロニーがどうなろうが構わないが次期評議会議長のザラの息子のご機嫌を取っておいて損になることはあるまい」
アスランの願いなど損得だけで受け入れ、かつ意味などないと分かっていながら利用するクルーゼ。副官のアデスや彼を信頼している部下達が知らないクルーゼがそこにいた。
「さて、どう転ぶかなこの事態は」
暗い笑みを引っ込めて、掌の上で踊る愚者達を眺める王のように超然としたクルーゼはブリッジへと入って行った。
アークエンジェルに収容されたキラ達カトウゼミの学生は軍の重要機密を見たこともあって艦内の居住区で軟禁状態にあった。
宇宙戦艦であるアークエンジェルの居住区はお世辞にも広いとは言えない。士官や艦長クラスの部屋と比べて、末端の兵卒が暮らすことになる居住区は集団で寝泊まりすることだけを前提としているので一言で言ってしまえば狭い。
重要機密を扱う立場でもないので機密性など皆無に近く、一室には四人が寝泊まりする艦に組み込まれているベッドが二段で四つの寝台。
ミスズ・アイカワの濃厚なディープキスによって意識を失ったキラが二段の下の狭い布団の中で目を覚ましたのは、運ばれてから直ぐの事であった。
「……ぅ……」
「あ、キラが目を覚ましたみたいよ」
悪夢を見ているように全身から冷や汗をダラダラと流しているキラが唸り声を上げたのを、トールと並んで同じ布団の端に座っていたミリアリアが気づいた。
ミリアリアの声に反応して薄らと目を開いたキラは視界が定まっていないのか、茫洋とした視線をベッドの天井に向ける。
「おい、キラ。大丈夫かよ」
顔から生気を奪われたようなキラの様子にトールが完全に棒読みな口調で問いかける。
「言葉だけで心配されても嬉しくともなんともないよ、トール」
まだ頭のスイッチが入っていないのか、キラもまた完全に棒読みな口調で返したことが彼の現在の状況を示している。ミスズに本当に何もかも吸い尽くされたようなキラに、しかし仲間達は一切の容赦ない。
「あんな美人とキスしたキラが悪い」
「けっ」
「僕、ファーストキスを無理矢理奪われたのに悪者扱いだなぁ」
嫉妬を滲ませながらイイ笑顔で隣にいるミリアリアから捲り上げている袖から露出している腕を抓られて罰を受けているトールはまだしも、向かい側でトール達と同じようにベッドに腰を下ろしているカズィが盛大に舌打ちをしながら唾を吐いているのを見て、キラは枕に顔を押し付けて泣きたくなった。
カトウゼミでは平常通りと言えばそうなのだが、住んでいるヘリオポリスの現状に参っているキラには冗談ではすまなかった。そんなキラを救ったのはカトウゼミの最後の良心だった。
「大丈夫か、キラ。気持ち悪いとか、頭が痛いとか、体に異常はないか?」
「サイ、もう僕は君に一生ついていくよ」
トールの棒読みな口調とは違うサイ・アーガイルの言動と口調が一致した心掛けに、女性不審が芽生えかけていたキラは一気に男色に傾いていた。枕元に膝をつけて冷や汗で額に張り付く髪の毛を優しげに払いのけてくれるサイにキラの胸のキュンキュンと締め付けられる。割と真剣に尻の穴の捧げてもいいと考え始めていた。
危ない方向に超絶進化しかけていたキラを救ったのは、やはりサイ・アーガイルの手だった。優しげに髪を梳いていたサイの手がキラの頭を鷲掴みにする。
「別に羨ましいとか思ってないからな。本当に、本当だからな?」
ミリアリアと似て非なるイイ笑顔でサイはキラの頭を鷲掴みにした手に力を込めていく。
「え、サイ? ちょっと頭がミシミシっていってるんだけど。真面目に痛いんですが!?」
傾きかけた愛が手に込められた万力の如き力によって物理的に元の位置に戻され、キラは研究ばかりで運動神経が死んでいるはずのサイに文句を言いながら身悶えする。
コーディネイターとしての生まれ持った力を使えばサイを圧倒できるはずなのにしないのは、キラの他者を傷つけるのを厭う性格とカトウゼミに入ってから刻み込まれた上下関係の所為だろうか。
「あんな美人とふか~いキスまでしたキラ君なら平気だろ。うん、平気に決まってる」
「怒ってる?! サイも怒ってるよね! 頭蓋骨が危ない音を立てて軋んでるよ!?」
色眼鏡の向こうで逝っちゃってる目をしたサイがブツブツと独り言のように呟きながら、細腕のどこにそんな力があるのかと思うぐらいにキラの頭蓋骨が立ててはいけない危ない音を出している。
キラは助けを求めて頼りになる兄貴分を見たが、当のトールは暗黒のオーラを醸し出すミリアリアによって部屋の隅に追いやられて子犬のようにガタガタと震えていた。
「トォール」
「ひぃっ!? ゴメン、赦してミリアリア様っ!!」
よほどミリアリアはトールの言いようが気に入らなかったらしい。トールは頼りにならず、取りあえずいい気味だと思いつつも頭の軋みに残った一人に視線を向けた。
「フッ」
残った一人、カズイ・バスカークは良い見世物だと冷笑を浮かべていた。助ける気などサラサラない態度だった。
自分を助けてくれる人がいないことを悟ってキラはジタバタと暴れ出した。それでもサイを傷つけないようにしているのは驚嘆ものか。
ギャーギャー、キーキー、フッ、と収拾のつかない室内を訪れた者がいた。アーノルド・ノイマン曹長である。
「何をやってるんだ、君達は?」
どこから突っ込んでいいかも分からなくなったノイマンは、とりあえずそれだけは言えた。
ノイマンの発言に部屋の中が静まり、まずサイがキラの頭を掴んでいた手を離して反対側のベッドに腰掛け、トールを部屋の隅に追いやっていたミリアリアがサイの真向かいに座った。
何事もなく座ったサイとミリアリアを見遣ったカズィは、おもむろに口を開いた。
「何時もの通りですが」
「どの口が言うんだ、どの口が」
平静そのもののカズィに、ノイマンは思わず間髪入れずに突っ込んでしまった。
モビルスーツを動かしてジンを撃退した少年はベッドの上で壁側を向きながらシクシクと泣いているし、部屋の隅にいる少年は壁に向かって三角座りをしながら「ゴメンなさい。もうしませんから許して下さい、ミリアリア様」と念仏のように唱えている状況を何時も通りとほざくカズィの神経を信じられなかった。
「カトウゼミは大体こんな感じです。オチ担当のトールと最下層のキラが弄られるのは何時もの通りです」
ウンウン、とカズィの発言に同意するサイとミリアリアに自分が学生だった頃を思い出したノイマンはジェネレーションギャップを感じて天井を見上げた。
暫しその体勢で自分が年を食ったことを実感したノイマンは、自分の為すべきことを思い出して顔を下ろした。すると、キラとトールは復活してそれぞれベッドの端に腰かけていた。信じられない復活力である。
もうこの連中で驚くことは止めようと心に決めたノイマンは、本当に彼らに頼って大丈夫かと思いながら口を開いた。
「すまないが艦の仕事を手伝ってくれないか? ザフトの攻撃でこの艦に乗り込むはずだったクルーのかなりの人数がやられて人手が足りないんだ」
ノイマンの提案に、マリュー達が合流した時にその場にいて大体の事情を把握していたキラ達は顔を見合わせた。
「どうする?」と互いの視線を交わし合って口に出さずに意見を出し合ったカトウゼミの学生達は、最終決定権を最年長のサイに預けた。
「頼みを聞くかどうかは具体的な内容を聞いてから決めます。どうすればいいんですか?」
言葉を交わすことなく視線だけで会話している学生達に仲は良いのだなと妙な感慨を抱きつつ、サイの慎重な意見に尤もだと頷いたノイマンはナタルから聞かされていた仕事のリストを頭の中に浮かべる。
「怪我人の手当てと荷物運びだ。怪我人の手当てを手伝ってくれるなら医務室へ、荷物運びを手伝ってくれるならMSデッキへ行ってくれ。危険性なんてない。普通の仕事だよ」
仕事内容を聞いたサイは頭の中でノイマンの発言に裏がないかを考え、そんな余裕もないだろうと純粋に人手不足から手伝いをしてほしいと頼んでいることを推察した。
コロニーに穴まで開いた状況で今からアークエンジェルを出て空いているシェルターを捜すことは危険極まりない。見つけられたとしても5人全員が運良く入れる保証もなく、軍艦とはいえアークエンジェルに留まることは安全面を考えれば悪い選択肢ではない。
その場合、ザフトの攻撃を受けるリスクが高いのが難点だがシェルターだって巻き込まれる可能性は十分にある。
どの選択肢も一長一短。どの道、地球連合がモビルスーツに乗ったキラやそれを見たサイ達を放っておいてくれるはずもないのだから、手を貸して借りを作ることは甘そうなマリュー・ラミアス艦長のことを考えればないよりもマシな選択になる。
「分かりました。手伝います」
「そりゃ助かる」
サイが受け入れてくれたことに、現在のアークエンジェルに民間人といえど遊ばせておく余裕がないことをナタルに散々言われたノイマンはホッとした様子で胸を撫で下ろした。
ノイマンの安堵を尻目に、カトウゼミの生徒らは次の行動へと移ろうと話し合いを始めていた。
「この人数だし、二手に別れよう」
一ヵ所にに全員で手伝いに行くよりは、二手に分かれて両方を手伝った方が相手の印象も良くなると考えたサイ。艦長のマリューを見れば、モビルスーツを動かせるキラに対する人質なんて考えは取らないだろうと楽観もあった。
「じゃあ、サイとカズィはMSデッキな。俺とミリィは医務室に行って怪我の手当てをしてくる」
「勝手に決めるなよ、トール」
「男手は荷物運びに決まってるだろ。となるとミリィが医務室になるし、そうなれば彼氏の俺がそっちに行くのも当然。こんなところで彼女を一人に出来ないからな」
どういう区分けにするかと思考していたサイの対面にいるトールが矢継ぎ早に答える。カズィが文句を言うものの、その後にトールが言っていることは間違ってはいない。
カトウゼミの肉体労働担当であるトールは荷物運びに適任だが、ミリアリアをそちらに振り分けるわけにはいかないので医務室に回すことになるのだが100%地球連合を信用しきれない状況で人質になる可能性が最も高い女性である彼女を護るのにサイとカズィの二人では頼りないのは事実。彼氏であるトールが傍にいる方が心強いのはミリアリアの安心した顔を見れば分かる。
今更変更というのも無粋かと考えて、その旨をノイマンに伝えようとしたサイを遮る者がいた。
「あの、僕は?」
キラ・ヤマトである。ベッドの端っこの方で独り寂しそうに小さく手を上げるキラを見て、トールもサイも彼の名前を出していないことに気がついた。
キラを除いた男三人は顔を見合わせ、意見の同意を持って頷きを交わし合った。キラに伝える代表してサイが色眼鏡の位置を整えながら口を開く。
「キラの好きにすれば?」
「酷いっ!?」
投げやりな発言にキラはショックを受けて背中側にある布団に身を沈めてシクシクと泣き出した。
キラが泣き出すのを見て、男三人衆は望む結果を得られて「イェーイ」とハイタッチを交わす。
「何時もこんな感じなのか、お前達」
「ちょっと勢いが弱いです。やっぱりヘリオポリスがこんな状況で何時ものノリは出せませんよ」
困った、と頬に手を当てて溜息を吐くミリアリアにノイマンは、こいつらの日常はなんなのだと内心で思った。
ザフトの襲撃によって正規クルーの大半を失って手が回らない軍人達の手伝いを強いられいたトール達。サイとカズィはMSデッキに向かい、直ぐに復活したキラは取りあえず怪我人が気になったのでトールとミリアリアと共に医務室を訪れた。
「あのぉ、手伝いをするように言われてきたんですけど」
こういう最初の挨拶は年長者の仕事だとミリアリアに背中を押されたトールが扉が開いて開口一番になんとも頼りなさげ過ぎる発言をする。しかし、彼らに返ってきたのは軍人の叱責などではなく、生か死かの天秤に乗せられた者達を必死に生へと傾けようと戦うナタルの叫びだった。
「おい、サンダース二等兵! しっかりしろ! これくらいの傷では死なんぞ!」
「バ、バジルール少尉殿のような美人に看取られて死ねるなら本望であります。故郷の母さんに伝えて下さい。俺は立派に戦ったって」
医務室の床に他の居住区から持ってきたシーツの上に寝かされている兵卒に向かって怒鳴っているのは、副長のはずなのに駆り出されているナタル・バジルール少尉。怒鳴られたサンダース二等兵は長い長い旅路の果てに目的地に辿り着いた旅人のように悟った表情で、安らかで煤が残る顔にはやりきった男だけが出来る笑みが浮かんでいた。
「だから足を折ったくらいでは死ねんと言っている!」
ナタルが言うようにサンダース二等兵の右足の骨折のみで、ザフトの襲撃時に落ちて来た鉄骨を避けた際に壁で足をぶつけただけの命にはなんら別状のない怪我である。今にも臨終しそうなサンダース二等兵に医務室の奥から固定具を手に持ったミスズ・アマカワが近寄る。
「はいはい、怒鳴るのはいいから動かないように押さえつけておいてね。固定するわよ」
「はい!」
思いっ切りやっちゃって下さい、と目が言っているナタルにミスズは気圧されたのか少し引き気味に成りながら骨折部位の固定を開始した。
ミスズのやり方が荒いのか、ギャーと叫びを上げるサンダース二等兵。戦場の悲劇を象ったドラマのような展開が、どこにでもある三文芝居の喜劇と化した医務室のテンションにトール達はついていけなかった。
「あ、あのー」
手伝いに来た立場としては何時までも突っ立っているわけにもいかず、トールはあからさまに引けている声で、トール達と同じく外様らしいミスズではなくナタルに話しかけた。
「なんだっ! 今、忙しい!!」
キッと口調と同じく鋭い視線を向けられたトールの腰が目に見えて引けた。同じようにキラも大事なところが縮み上がるのを感じて、トールの背中に隠れてしまう。キラがトールの背中に隠れたのはミスズがいたからでもあったが。
「…………あ、学生達か。すまない、怒鳴ってしまって」
声をかけたのが学生達だと気づいたナタルは表情を和らげ、怒鳴った非を素直に詫びた。
ナタルが自分の非を素直に謝るタイプとは思っていなかったトールとキラは、少し疲れた様子の彼女に子供では出せない大人の色気が出ているようで少し惹かれたのは二人だけの秘密である。当然、ミリアリアにはお見通しで後でトールが折檻しようと考えていたりもする。
「いえ、こちらこそ忙しい時に来てしまってすみません。こちらの手伝いをするように言われて来たんですけど」
トールを見て一瞬だけ暗いオーラを覗かせたミリアリアは、ナタルを見た時には何時もの様子に戻って訊ねていた。
「すまない、助かる。軍医もいなくてな。博士が助けてくれなければどうなっていたことか」
制帽を脱げばいいのに被ったままのナタルにキラなどは突っ込みたい衝動に駆られたが自重した。疲れた様子のナタルに言って、美人を苦労させるのは思春期的な感情から嫌われたくない男心だった。きつそうに見えてもやはりナタル・バジルール少尉は美人さんだったからである。
「まさか私も本職じゃない軍医の真似をさせられるとは思ってもいなかったわ」
「人手が足りないのです。本来なら他国の人間の手を借りるわけにはいかないのですが、そうも言ってられない状況はお分かりのはずです。医療の心得があるなら手伝って頂きます」
サンダース二等兵の骨折を固定し終えたミスズがぼやくように言うのをナタルが若干の申し訳なさそうに、また納得もいってなさそうに言うのがその場にいた全員の印象に残った。
「分かっちゃいるけど、色々と納得できないものがあるのよ」
ぽん、と骨折部位を叩いてサンダース二等兵を悶えさせながらの最後の一言を忘れない辺りがミスズらしい。
「で、何をしたらいいですか?」
愚痴を聞かされるのは苦労性のサイだけで十分と考えたトールは、突っ立っていてもしょうがないと問いかけた。
「では、君は私の手伝いをしてくれ」
「はい」
ナタルはそうやってミリアリアを指名して医務室の奥に連れて行き、残った男二人にミスズが向かい合う。
「あなたたちは艦内にいる怪我人を連れて来てね。重傷者は先に治療して居住区に放り込んだけど、軽症者は手が空いてないからって後回しになってるから探して連れて来て」
「解りました」
トールは背後にいるキラが借りて来た猫のように大人しくなっていることに気づき、経緯を考えれば仕方ないかと思いつつも若干の面倒臭さを感じつつ頷いた。
「それとサンダース二等兵を部屋に連れて行って。命に別状はないし、居住区の適当な部屋に放り込んでくれたらいいから」
「ひ、酷い」
ぞんざいと言えばあんまりな扱いをするミスズにサンダース二等兵は小さな目に涙を浮かべて抗議した。
大の男の涙目など見苦しいだけだ。10代前半の可愛い子が好みのミスズは逆に汚らわしい物を見たように顔を顰めた。
「私に看取られようとしなかった罰よ」
「俺に年増の趣味は……」
可愛いもの趣味でも他の女の方を選ばれるのは嫌らしい。鼻を鳴らしたミスズはサンダース二等兵を物扱いする理由を語った。しかし、サンダース二等兵にミスズほどの年上の趣味は無いらしく、顔を逸らしながらぽつりと呟いた。
「ふんっ!」
失礼な発言に額に青筋を浮かべたミスズの脚が振り上げられ、もう少しでパンツを覗けそうになるのを男の性で趣味ではないと言いながらも見ようとしたサンダース二等兵の腹にパンプスが食い込む。
ぐふ、と口から身が出そうな息を吐いてサンダース二等兵は動かなくなった。
恥じようのない男の生き様に思わず軍人でもないのに敬礼を送ったキラとトールに、摩訶不思議なほどに重さを帯びたプレッシャーが圧し掛かる。発生源は言うまでもない。ミスズ・アマカワだ。
「さっさとこの邪魔なゴミを捨てて来てくれる?」
「「yes、sir!!」」
決して逆らってはならないと、宇宙に出ても退化しなかった人の動物的な直感が二人に悟らせた。ミスズの言葉に綺麗な敬礼を返して、男二人は気絶しているサンダース二等兵を肩に担ぎ上げてさっさと医務室を出て行った。
サンダース二等兵を居住区の一室に放り込んで、ミスズの怒りを買わないように艦内を駆けずり回って怪我人を見つけては医務室に叩き込んでいったキラは、トールを囮にして一人で抜け出した。これ以上はミスズと同じ部屋にいることに、まだ耐えられるような精神状況ではなかったのだ。ファーストキスを奪われた心の傷はまだ大きい。
取りあえず元いた居住区の部屋に戻ることにして廊下を歩く。そんなキラに後ろから声がかかった。
「あれ、キラじゃん」
「サイにカズィ? MSデッキに行ったんじゃないの?」
声をかけてきたのはサイで、振り返ればその隣にカズィもいる。MSデッキに行ったはずの二人が廊下にいることにキラは頭を捻った。
「行ったんだけど、荷物を運びすぎてどこになにがあるのか分からなくなったんだと」
「キラが乗ったモビルスーツのマニュアルがデッキの方で見つからなくて艦内を捜してくれって頼まれたんだ」
「もしかして艦内全部を虱潰しに捜してるの?」
だとすれば、広大なアークエンジェル内を捜す労力は、MSデッキを除外するにしても信じられないほど莫大なものになる。トール達に付いて行って正解だったなとキラが安堵した瞬間だった。
「いや、書類のありそうな場所ってことで場所の当たりは大体ついているから全部ってわけじゃない。人の出入りの多い食堂でジャガイモの箱に入っていた一冊と、ブリッジに他の書類と混ぜっていた一冊を見つけたしね」
そう言って、サイが後ろ手に抱えていた二冊の本を見せてくれる。
借りてパラパラとページを捲れば、キラがOSの書き換えをする為に弄ったシステムの概要が書かれている。やはり機体に組み込まれているシステムだけでは分からないような詳細が書かれていて、不完全なOSとは違って完成度の高い機体にキラは思わず感嘆した。
「後は大体捜したから残るは館長室だけだよね」
「じゃあ、僕も手伝うよ。こっちはもう終わったから」
残る探す場所が一つとなれば暇していたキラもマニュアルを返しながら同行することに決めた。こいつ後が楽だと知ったら興味本位で付いてくる気になったな、とサイとカズィは気付いたが同行を断る理由はない。三人は揃って艦長室に向かった。
艦長室にやってきたキラは二人が何の躊躇もなく自動で開いたドアを気にせずに入ったことに慌てた。
「ちょっと、勝手に入っていいの? マリューさんってブリッジにいるんでしょ。確認ぐらい取った方がいいんじゃ」
地球連合の艦の艦長の私室に入ることは、カトウ教授の研究室に入る以上に危険な行為だ。キラが躊躇うのも当然だった。
「まだあのマリューって人、艦長になったばかりだろ。私物なんてないだろうし、構わないって」
「僕達に探すのを指示したマードックさんが偉い人が目を通したりするんじゃないかって言ってたからいいんじゃない? 何かあったらマードックさんの所為にしたらいいし」
「そういう問題かなぁ」
妙に楽観的なサイといい、何かあったら責任を他人に押し付けようと画策しているカズィといい、カトウゼミの生徒はみんなこんなのばっかだなとキラは諦めの境地に達した。
仕方がないから何かあったら二人に無理矢理に室内に入れられたと主張しようと考え、気にすることなく入って行った二人の後を追って室内に入る。しっかりとカトウゼミに毒されているキラだった。
「さて、書類がありそうな所っていうと机周りか」
「ベッドの傍にも段ボールが置いてあるよ?」
「カズィとキラにそっちは任せるよ。俺は机周りを調べるから」
一方的に決定を下したサイはさっさと机の方に向かってしまう。カズィと顔を見合わせたキラは、仕方なく二人でベッドの傍にある段ボールに足を進める。
一杯ある段ボールの山にキラはどこから手をつけたらよいかと迷った。
「結構、一杯あるね。段ボール」
「そうだね。僕はこっちから開けていくからキラはそっちを頼むよ」
「うん、解った」
二人で手分けして開けていくカズィの意見は真っ当で、キラは特に逆らうことなく了承した。
カズィがベッドの頭の方から開けていくのを見て、キラは足下側から段ボールを開けようとして、その目に変な物が映った。
「なんだろ、このヒラヒラしたの?」
段ボールの端に少しだけ見えている布製の切れ端に気づいて、手に取って引っ張った。中から出て来た布製の切れ端の正体が白日の下に曝されてキラは一気に赤面した。
(こ、これはマリューさんの下着だ! は、早く仕舞わなきゃ!!)
布製の切れ端はマリューのパンツだった。キラからすればストライクに乗せられた時に後から乗り込んできた自分よりも大きい尻を知っているので、どうやって収まるのか不思議でならない小ささのパンツが手の中で存在を主張していた。
元に戻さなければならないと分かっているのに、女性の下着を手にしているという事実が体をカチコチに固まらせていた。そんなキラを救う救世主ならぬ地獄に叩き落とす悪魔が近づいてきた。
「どうしたの、キラ? もう見つけたの?」
「ぇっ!? ま、まだだよ。なんでもないよ。なんでもないったらなんでもないよ!」
段ボールを開ける手を止めて問いかけて来るカズィに、咄嗟に見られないようにズボンの後ろポケットに下着を突っ込んで盛大にドモリながら答える。
今のキラからすれば下着を持っている状況を他人に知られるのは不味いの一言ではすまされない。それもカトウゼミの面々に知られてしまったら地獄入りのサインを自分で書いてしまうのと同義。なんとしても隠さなければならなかった。
「なら、いいけど」
不審な目を向けながらもキラが精力に段ボールを開けて捜索を再開したのを見て、カズィも作業に戻った。
キラが内心で盛大に安堵していると机周りを捜索していたサイが声を上げた。
「ちょっと手伝ってくれるか。怪しいファイルがあったんだけど積み重なった書類の下にあって取れないんだ」
「うん! 分かった!」
怪しんでいるカズィの近くにいるのは危ないと、キラはサイの手伝いを向かって急いだ。積み重なった書類からファイルを引き抜こうとしているサイに近づく。
「こういう時は慎重に……それっ!」
「うわっ!?」
慎重にと言いながら何故か豪快に件のファイルを引き抜くサイ。そんなことをすれば積み重なった書類が倒れるのは当然。そして倒れていく書類の山にキラが巻き込まれるのも当然の流れだった。
急いでいたので倒れて来る書類を避けることも出来ずに巻き込まれたキラが倒れる。
「おいおい、キラ。折角最後の一冊を見つけたのに何やってんだよ」
「書類を倒したのはサイじゃないか」
自分がやったことなのに悪びれた様子もないサイにカズィが文句を言いながら書類をどけながらキラを引っ張り出そうとした。そこでカズィはキラのズボンの後ろポケットから何かが出ているのに気がついた。
「なんだ、これ?」
背後からカズィが手を伸ばしてくる気配を感じ取ったキラはジンが襲い掛かって来た時以上の脅威を感じた。
逃げなければならない。隠している物が見つかればキラの人生は終わる。
「うわ――っ!」
キラは自由を求めて逃げた。書類を吹っ飛ばして立ち上がり、走り出した。カズィとサイが止める間もなく一目散の逃げっぷりだった。
あっという間に艦長室から出て行ってしまったキラに、なにがなんだから分からずに二人は顔を見合わせるばかりだった。
逃げ出したキラは近くで隠れていて、二人が艦長室から出た後にコッソリと忍び込んで下着を戻そうと考えた。
「まぁ、いいや。マードックさんに持って行こう」
「やっと終わったよ。結局、キラは何の役にも立たないし」
ぶつくさ言うカズィを宥めながらMSデッキに向かう二人の背中を廊下の影から見届けたキラは、西暦の頃に極東の国にいたという「NINJA」のように足音を忍ばせ、気配を殺して艦長室に向かう。ズボンの後ろポケットから取り出したマリューの下着を手に持って。
最新の注意を払って艦長室に侵入することにキラは無事に成功した。
灯りをつけてはいけない気がして、部屋は真っ暗だ。だが、異様な集中力を発揮しているキラの目には暗い室内がぼんやりと見えた。
「よし、後は元あった場所に直すだけだ」
艦長室に入ったのはまず第一段階と自らを戒め、下着を握るのとは違うもう片方の手で浮き出た汗を拭う。
後一息だと考えて、一歩また一歩と下着を見つけた場所であるベッド脇の段ボールを目指す。
4メートル、3メートル、2メートルと少しずつ部屋の入り口から段ボールへと距離を詰めていく。今この時のキラの集中力はモビルスーツのOSを書き換えた時の比ではなく目の前のことだけに意識が集まっていた。
「やっとだ。やっと僕は……」
変態のレッテルを張られる重圧から解放される、と1メートルを切って熱い感慨が湧き上がって来て喉の奥から迸りかけた言葉を塞いだ。
遮る物もなく、キラ自身の忙しない呼吸音と流れ落ちた汗が地面を叩く音と耳に届く心臓の高鳴りだけが世界を占めていた。
段ボールまで50センチのところで足を止めてゆっくりと膝をつく。右手に持つマリューのパンツを目前にある段ボールへと手を伸ばした。正にその瞬間だった。艦長室のドアが開いたのは。
暗い室内に廊下の灯りが射す。
「あ……」
愕然として振り返ったキラは殺害直後の現場を見られた犯人のように体を硬直させた。
逆光によってシルエットしか見えないが、徐々に光に慣れた目が幼い肢体を映し出す。
「ユイ・アマカワさん」
キラの口から艦長室のドアを開けた人物の名前が自動的に出て来た。意識したものではない。
「キラ・ヤマト」
艦長室の扉を開けたユイは、医務室にいるミスズからアストレイ・グリーンフレームの大まかな概要を書き記した書類をマリューに渡す為にやってきたのだが、とんだ現場に遭遇してしまっていた。
ユイの視界の先には彼女の背後から差し込む廊下の光を浴びて、暗がりの中で段ボールに跪いて何故か右手に女物のパンツを握るキラ・ヤマトの姿がある。
人生経験が薄く、また感情表現も多様ではないユイは、このような時にどうすればよいのかが分からなかった。取りあえず、艦長室で女物なのでマリューのらしいパンツを握るキラが世間一般的に変態を呼ばれる人種であることは分かった。
「違うんだ、これは!」
数メートル先で片手にパンツを持ったままの少年が何やら弁明しているが、変態の言葉は全て言い訳なので聞いてはならないとパイロット候補生のアサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツ、ジュリ・ウー・ニェンの三人娘から何故か笑み混じりで言われていたので無視する。
頭に思い浮かぶのはミスズがこれもまた何故か笑顔で教えてくれた対処方法。
(博士が言っていました。変態を発見した時の対処方法を)
第一に誰かに助けを求めることと言われたような気がしたが、格闘訓練を受けてオーブで本職の軍人にも負けたことの無いユイには助けを求めるという発想が理解できない。助けを求めるぐらいならば自分でぶちのめした方が早い。しかし、仮にも民間人の少年をぶちのめしてしまうのは色々と不味いことも分かる。となれば、残った手段は一つ。
普段ならば体格差もあってユイが見上げねばならないがキラは跪いているので好都合。体を僅かに横に向けて顔を心持ち上げて視線はキラを見たまま、斜め上から少年を見下げるように意識する。そして一言。
「この、変態っ」
変態と言う前に間を開けて語尾を強くするように言い、軽蔑の眼差しを付け加えたら更に良しと言われていたので正確に再現する。すると、ユイの主観で変態男であるキラは大層傷ついた顔をした。
「僕は変態なんかじゃない! 誤解なんだ――――っ!!」
割とマジで涙を流すキラが涙を流して叫びながら走り出して、部屋を出て避けたユイの横を駆け抜けて行く。その手にマリューのパンツを握りながら。
「あ」
少し行ったところでよほど慌てていたのか、何もないところでキラは転倒した。顔から倒れ込んだが大丈夫だろうかとユイも流石に心配になった。
ユイの心配を余所に驚くべきことに何事もなかったように起き上がったキラは、ようやくその手にパンツを握り締めたままであることを気づいたらしく、立ち上がって舞い戻って来た。
ユイの前で立ち止まって彼女の手を握ってマリューのパンツを渡したキラはまた脱兎の如く駆け出した。
「ゴメンなさい――――っっ!!」
艦内中に響き渡る情けない叫びと共に。
ユイは手に残ったパンツを見た。キラが長時間握り締めていたからか、まるで誰かが履いていた直後のように生暖かい。
「変態、それは気持ち悪いもの」
ようやくユイは自分が言った変態の意味を理解した。同時にキラ・ヤマトが変態であるとも。