シードガンダム――王道を往く者達――   作:スターゲイザー

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第9話 悲劇の地で

 

 ユニウスセブン。その名を知らぬ者は地球圏において、よほどの世間知らずか情報に疎い者に限られる。それほどに彼の地で起きた悲劇は有名であった。

 C.E.70年2月14日。数日前に設立された地球連合がプラントに宣戦布告し、月面のプトレマイオス基地より侵攻開始。プラント側はモビルスーツ部隊をもって、連合の攻撃を殲滅。だが、ブルーコスモスに所属する将校が艦長を務めるMA空母「ルーズベルト」に極秘裏に運び込まれていた一発の核ミサイルが発射された。核ミサイルは120基あるコロニーの一つである食料生産コロニー『ユニウスセブン』に着弾した。

 閉鎖的な空間であるコロニーは外壁に穴が開くだけで致命的な損傷になる。それが通常のミサイルの何百倍もの破壊力を持つ核ミサイルともなれば容易く想像がつく。

 核ミサイルが着弾したユニウスセブンは、戦闘宙域が近づいていて避難行動の真っ最中だった。

 小さな子供、結婚したばかりの夫婦も各世代に分け隔てなく存在していた。ただの農業コロニー。破壊されるはずがないと油断があったのは否めない。しかし、例えそうだとしても一瞬にして暮らしていた世界が滅びゆく瞬間を目の当たりにしなければならないほどの罪深さがコーディネイターにあったのだろうか。

 一発のミサイルが壁を抉り、地を裂き、世界を破壊した。

 逃げる時間などない。5分にも満たない時間で全てが崩壊した。

 24万3721名。それがユニウスセブンに滞在していた人の数であり、そのまま犠牲者として名を刻まされた数である。

 安住と信じた大地が砕け、崩壊していく様をその場で見させられた犠牲者達の思いを察することはもはや出来ない。ただの一人として生き残った者はいないのだから。同胞が、守ると誓った世界が滅びていく様を見させられたザフトがモビルスーツのコクピットで、或いは艦船の中で、ナチュラル憎しの感情に染まってしまうのは無理からぬ話だった。

 ユニウスセブンが崩壊した直後、飛来するコロニーの破片に一人でも助けようとする気概すら奪われ、漂う犠牲者達を前にすれば人の善性など期待できるはずもない。

 地球側はこのユニウスセブンの惨劇を、後に血のバレンタインと名付けられた悲劇をプラントの自陣営の戦意向上の為の自爆作戦と批判した。これがそれまでモビルスーツという強大な兵器を持ちながらも受動的であったプラントを戦いに猛らせた。

 多くの識者がこの事件に対して様々な意見を出している。

 地球連合の作戦や、ブルーコスモスの暗躍、果ては戦争を望んで早期決着を求めるプラントの陰謀。数え上げればきりがない。ただ一つ分かっているのはこの悲劇こそが両者の間で戦争を起こさせた始まりであるということだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルとの戦闘でムウ・ラ・フラガ大尉が駆るメビウス・ゼロに手傷を負わされたザフトのナスカ級ヴェサリウスは、ヘリオポリスが崩壊した件で隊長のラウ・ル・クルーゼに出頭命令が出ており、応急処置をしてプラントに戻ってきていた。急いで戻ってきたはいいが、プラント間近で足止めを食っていたが。

 

「プラントにブルーコスモスが現れるとは、本国は何をしているのだ!」

 

 プラント間近の空域にある軍事ステーションに足止めされている原因のテロ。到着早々に管制官から聞いた話にヴェサリウスの艦長フレデリック・アデスは温厚な彼にしては珍しく怒りを露わにしていた。

 そんな彼を制するようにクルーゼが肩に手を置く。

 

「落ち着け、アデス。頭に血を昇らせ過ぎだ」

「しかし、隊長。本国でテロがあったのですよ。許されることではありません」

 

 柔らかな声をかけてくるクルーゼを振り返りつつもアデスの憤りは止まらない。

 なんといってもプラントにはアデスの妻子がいるのだ。今回のテロの戦力は今までの比ではなく、状況によってはコロニーの一基を落されていた可能性もあるとなればアデスでなくても怒りは大きい。

 

「どこかのジャンク屋が被害を未然に抑えてくれている。それで良しとしようではないか」

 

 クルーゼにしては優しい物言いだが彼にしたところで首都の仕掛けられたテロに混乱が続くプラントへの上陸が認められず、ここ数日は艦内に留まらされているのだからアデスにイラつかれると精神衛生上よろしくないという理由があった。

 評議会に提出する資料はここに来るまでの道程で完成しており、何度も見直すのにも飽きてブリッジに上がってみればこのアデスの様子である。機嫌を取っておくことは自身の為でもあった。

 軽く笑ったクルーゼの言いようにアデスも怒りが続かずに、されど憤懣は抑えきれずに艦長席に深く身を沈み込ませる。

 そんなアデスの様子にクルーゼは軽く含み笑いを浮かべながらもブリッジから修理と補給が行われているドックと、その向こうにあるプラントを見た。

 

「侵入を許した担当者らを許すほど国防委員長は甘くない。今頃、全員の首がすげ変わっているだろう。今後、このようなことがないように対策も十分にされているはず」

 

 言った直後、ブリッジに通信のコールが鳴った。

 オペレーターが直ぐに通信を開き、少し会話して艦長席に座るアデスとその横にいるクルーゼを振り向いた。

 

「艦長、隊長。本国より上陸許可が下りました」

「分かった。アスランを呼び出してくれ」

 

 了解、とオペレーターが返すのを見もせず、アデスは横にいるクルーゼを見る。

 

「本当に査問界にアスラン・ザラもお連れになるので?」

「ああ。その場に居た者だしな。彼なら冷静で客観的な分析も出来る」

 

 問いにどこか嘘くさい返答を返すクルーゼにアデスはその真意を探ろうとして直ぐに止めた。探らせてくれるほど迂闊な人物でないことは数年の付き合いが分かる。無駄なことは最初からしなかった。

 アスランが冷静で客観的な分析を出来ることはアデスも認めている所であった。一人減った赤服五人の中では最もアカデミーの成績が良く、本人も思慮深いところがある。

 

(他の3人に比べればマシではあるが……)

 

 イザークでは主観が入り過ぎるだろうし、ディアッカでは斜に構えた意見が出そうだ。ニコルでは評議会の前に出て意見を出すには若すぎる。Gに乗った者の中ではアスランが最も適任であることはアデスも認めるしかない。イマイチ釈然としないと感じるのはクルーゼの胡散臭さ故か。

 

(ザラ国防委員長と懇意とい噂も聞く。まさか隊長に限ってゴマ擦りなどはあるまい)

 

 唯我独尊を地で行く男に限ってそれだけはないと結論付けると別の懸念が頭を擡げた。

 

「オーブはかなり強い姿勢で、抗議してきているようですが……」

 

 ヘリオポリスを所有しているオーブ連合首長国がコロニー崩壊に際してプラントに抗議していることを、この軍事ステーションにいる知己から聞いたアデスは当事者として、或いは加害者としての立場から気にせずにはいられなかった。

 

「オーブも自国での責任を取って首長が退任したと聞いた。責任の所在は新型機動兵器を中立国で作った地球連合と協力したオーブにある。奪ったGがそれを証明してくれる」

「……はぁ」

 

 煙に巻かれているような印象と問題のすり替えをしているだけと思わなくもないが、一概にザフトにだけ責任があるとはアデスも思わなかった。思いたくはなかった。

 

「しばしの休暇といってもそう寛いでいられる時間はないぞ。恐らくな」

 

 不吉な予言とも取れる言葉だけを残して、クルーゼは身を翻してブリッジを去っていった。アデスの耳にはまるで呪いのようにその言葉だけが何時までも木霊し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤の軍服のままでヴェサリウスから軍事ステーションに降り立ったアスランは、自らが所属する隊長であるクルーゼと共にプラント本国へと向かうシャトルに乗り込んだ。

 数日前にテロが起こってから厳戒態勢が敷かれていて、特にプラントへの渡航はかなりの制限がされている。アスラン達にしても渡航制限によってヴェサリウスで拘留を強いられることになり、渡航が許可されたのにも二日の時を擁した。

 自分達がザフトであることから渡航が許可されたというのはアスランの思い込みに過ぎなかったようだった。その原因は既に機内にいる鋭い眼付きの男にあると、アスランは父パトリック・ザラを見た瞬間に悟った。

 窓際に座る父との覚悟のない対面にアスランは足を止めて息をつめた。

 

「ご同道させて頂きます、ザラ国防委員長閣下」

 

 アスランとは違って、始めから知っていたかのようにクルーゼは緩やかに微笑んで敬礼する。

 ハッ、と上官の動作に相手が父としてではなくザフトのトップである国防委員長としてそこにいることを認識したアスランは遅れて慌てながらも敬礼する。

 

「礼は不要だ。私はこのシャトルには乗っていない。いいな、アスラン」

「分かりました。父上。お久しぶりです」

 

 パトリックがクルーゼと事前に連絡を交わし合っていたかどうかはアスランの知るところではない。念を押すように自らを見て言ったパトリックに父としての面を見い出して、少しだけ緊張を和らげて挨拶をする。

 公私共に話すことがあると察したクルーゼは少し離れた席に座り、空いているパトリックの隣にアスランは座らざるをえなかった。

 パトリックもクルーゼに向けるものとは違う、目の奥に柔らかさを含んだ視線で父の隣に座って緊張しているアスランを見て、クルーゼに視線を向けた。

 

「クルーゼよ。アスランは大事な所で詰めを誤る癖がある。上手くやっているか?」

「ええ、流石は赤を着る者というだけあります。よくやってくれています」

 

 この瞬間だけは国防委員長としてではなく父としての面を見せるパトリックにクルーゼは笑うことなく答える。どうも自分の上で交わされる会話が面白くなくてアスランの顔は我知らずに仏頂面になっていた。

 

「私も何時までも新兵ではありません。赤を着た者として相応の働きをしてみせます」

 

 男としての意地か、父に認められたい複雑な心境かは別にして、まだまだ子供な我が子に含み笑いを浮かべたパトリックは、ユニウスセブンで死んだ妻と同じ緑の瞳を注視する。

 

「働きは聞いている。大変な任務だがよくやった。親の忠告を無視してザフトに志願した放蕩息子が一丁前の口を聞くようになったぐらいだからな」

「父上、それは……」

 

 上司の近くで息子の成長を純粋に喜ぶパトリックに面映ゆさを感じながらも、反対を強行に押し切ってアカデミーに入学したアスランには抗弁する言葉が続かない。

 

「いいと言っている。お前の気持ちが分からぬほど、私も愚鈍ではない」

 

 パトリックはアスランには解らぬ理由で苦笑いと微笑みの中間のような笑みを浮かべる。

 どう考えてもアスランにはその笑みを浮かべる理由が分からなかった。これが大人をやっているのだろうか、とプラントの成人年齢に達していても敵となった幼い頃の友達を切り捨てられない心が悩む。

 

「正直に言えば嬉しいとすら感じた。お前もまたあの悲劇に憤っていてくれるのだと」

 

 ふと、パトリックは窓の向こう側に広がる宇宙空間を見た。

 何を見ているのだと聞くことはない。彼の息子であるアスランにはパトリックが今はデブリベルトに流れてしまった母の遺体が今も眠るユニウスセブンを見ていることはよく理解していた。

 父と母は仕事柄などで離れて暮らすことが多かったが互いに愛し合っていたことは息子のアスランが一番良く知っている。ユニウスセブンが崩壊した後に家に一度だけ帰ってきた時の父の狼狽具合。あまりにも膨大過ぎる犠牲者の数と悲劇で行われた国葬の場で一滴だけ流した涙をアスランだけが見ていた。

 

「アスラン、何があっても決して死ぬな。私を一人にしてくれるなよ」

「父上……」

 

 光の加減か、窓に映る父の顔はアスランには見えなかった。

 次の言葉が出なければ自分は絶対に死なないと言ったかもしれない。それよりも早くパトリックが次の言葉を紡ぐ。

 

「例え友と戦おうともだ」

「!?」

 

 アスランは言葉を出さなかった。出せなかったといった方が正しい。

 シャトルが動き出した僅かな振動だけが体を揺らす。

 

「レポートは読ませもらった。だが、悪いがパイロットの欄は私の方で削除しておいた」

「何故です?」

 

 理由を聞かねば納得できる話ではなかった。残ったGに乗っているのはアスランが三年前に別れた親友キラ・ヤマトである。彼はコーディネイターであり、自分達の同胞であるはずなのに削除するとは理解できなかった。

 息子の鋭い声にもパトリックは窓の向こうを見たまま振り返ることなく答える。

 

「奪取出来なかった機体のパイロットがコーディネイターなどと、そんな報告をそのまま上げれば全体の士気に関わる。我らは同胞の為に戦っているのだぞ。その同胞が敵に回って平気でいられるものか」

 

 ザフトの為に、と多くの兵が戦う前に唱え合う文句を思い出してアスランに返せる言葉は無かった。

 パトリックの言葉は正論過ぎて、親友が敵に回ったアスランの心情を斟酌する余地はない。だからといって全てに納得できる話ではなかったが、パトリックが国防委員長でザフトを束ねる地位にいる以上は息子の友といえど、敵に回った者のことを気遣ってやれる道理はない。

 

「ナチュラルが作り上げた高性能のモビルスーツは我が軍で採用している現行機を遥かに上回る。それは実際に奪取した機体に搭乗するアスランの方が分かっていよう。息子一人の気持ちの為に多くの同胞を危険に晒すわけにはいかんのだ」

 

 分かれ、と暗に訴えかける父の立場にアスランは膝の上に置いた拳を強く握り締めることしか出来なかった。

 敵となった友にしてやれることはエリートの証たる赤服を着ていようとも一介の兵士でしかないアスラン・ザラに出来ることはない。父に頼もうにも国防委員長というザフトを統括する立場が邪魔をする。

 

「ヤマト家のことはレノアから聞いていた。辛かっただろう、アスラン」

 

 強く握り締めすぎて血管が浮かんだ手の甲を見下ろしていたアスランにかけられる声。

 顔を上げると、そこには優しげな父の顔があった。

 

「これ以上、戦えないというなら除隊も認める。除隊が嫌ならテストパイロットでもいい。もうお前が前線に出ることはない」

 

 全て受け止めてくれそうな父にアスランはどうしようもなく泣きたくなった。

 

「父上、本当にどうにか出来ないのですか? アイツは、キラは利用されているだけなんです!」

 

 縋りつき、甘えてどうにも出来ない父に叩きつける。今のアスランにはそれしか出来ることはなかった。

 アスランの叫びにパトリックは沈思するように口を閉じ、重い壁をこじ開けるようにゆっくりと唇を開いた。

 

「…………今ならまだ手はある」

「手、とは?」

「全てはお前に掛かっている」

 

 ゴクリ、とキラを救う方法が自分にあると言われたアスランは唾を飲み込んだ。

 

「残った機体は武器換装型という特殊な機体だ。完全とまではいかなくても生きた状態で鹵獲出来ればザフトに多大な利益が出るはず。パイロットも生きたまま確保して地球連合に戦うことを強要されたと証言させれば友軍の士気も上がる。既に犠牲者が出ていることから無罪とまではいかなくても極刑は確実に避けられる」

「キラを助けられる?」

「アスラン、お前が友達を救え」

 

 力強い父の言葉がアスランに実感を与えた。

 膝に置いていた握り拳を胸の前に持ち上げて、閉じていた拳を開いて閉じるを繰り返す。

 息子の幼い頃からの決意を固める時の癖を見遣って、パトリックは再び窓の向こうに広がる宇宙空間に視線を向けた。

 

「我々はもっと本気にならねばならんのだ。早く戦いを終わらせる為にはな。でなければ何時までもレノアを冷たい墓標に置き去りにしたままだ」

「…………はい。母上を、同胞達を早く温かい場所へ連れて行ってやりたいものです」

 

 アスランは頷いた。恐らくユニウスセブンの被害者の遺族、プラントの多くの同胞が同じ気持ちだろう。

 ユニウスセブンの悲劇はあまりにも多くの同胞が亡くなった。国葬はしたものの、戦争状態に突入したプラントでは遺体を回収することすら出来ていない。地球連合と国力で遥かに差があるプラントでは膨大な遺体を探して収容するには何もかもが足りなかった。

 早く戦争を終わらせて死者たちを温かい土の下に移してやりたい。それがナチュラル憎しに染まりきったのとは別に、プラント全体の総意だった。

 

「ああ、ナチュラルを滅ぼして早く終わらせねばな」

 

 歩く道行きに希望を見出したアスランは気付かなかった。パトリックの呟きもその目で爛々と輝く憎悪と狂気に。

 少し離れた席に座るクルーゼはパトリックの呟きを耳にしてニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラントから合流場所であるユニウスセブンに向かったホームに乗るロウ達ジャンク屋組合のメンバーは、デブリベルトを進んでいた。

 デブリベルトとは、地球を取り巻く宇宙ゴミの辿り着いた宙域だ。人類が宇宙に進出して以来、廃棄された人工衛星や宇宙開発において派生する様々な廃棄物が宇宙空間に捨てられてきた。ここは、それらのスペースデブリが地球の引力に引き寄せられて漂っている云わばゴミの墓場と言ってもいい。

 瓦礫の少ないホームで通れるルートで、どうしても避けられない物は汎用MAであるミストラルやロウの乗るレッドフレームで除外しながら進む。行けども行けども瓦礫が散らばる空間に、レッドフレームのコクピットに座ってモニターを見つめるロウは眉を顰めた。

 

「しかし、ここは広いねぇ……」

 

 ザフトのモビルスーツであるジンよりも高度なセンサーが備え付けられているレッドフレームでもデブリ海の端が探知できなくて、ロウはその果てしない瓦礫の数々に嘆息するように呟いた。

 

「お宝の山に手を出してぇ」

『合流地点につかないとプロフェッサーにどやされますよ』

「分ぁっているよ」

 

 ジャンク屋の性が魂レベルにまで染みついているロウは宝ともいえるデブリが混在する辺りに手を出したいところだが、彼自身も合流相手に聞きたいことが山ほどある。リーアムの忠告を受け入れてレッドフレームを進ませる。

 

『あ……! あれは……』

 

 近くのミストラルに乗っている樹里の狼狽した声がコクピットに響いてロウの意識はデブリ海から目の前の光景に戻って来る。

 正面のモニターに瓦礫とは全然スケールの違う物が映し出されていた。瓦礫と称するにはデカすぎるそれは突然大陸が目の前に現れたかのような衝撃を伴ってロウの眼前に出現する。

 

『ユニウスセブン、ですね』

 

 震える声で言ったリーアムの言葉がロウの耳の中で木霊して我知らずに唾を飲み込んだ。

 

「でかいな……」

 

 ロウが思わず正直な感想を漏らしてしまうほど常識外の大きさの瓦礫がどんどん近づいて来るような錯覚を感じる。

 ユニウスセブンの異様に気圧されて操縦桿を握る手が我知らずに強くなっていた。

 

『血のバレンタインで連合に破壊されたプラント…………。当時、24万3千人が暮らしていたと記録にあります。あの事件を切っ掛けにプラントは本格的な戦争になってしまったのでしたね』

『なんか、ここって怖いよ。やっぱり引き返そう?』

 

 リーアムの説明に当時のニュース情景でも蘇ったのか、樹里が震えた声で言ってきたがロウは茶化す気持ちにはなれなかった。正直に言えばレッドフレームのメインカメラの前を原型を保った死体が流れて行ったときは思わず悲鳴を上げそうになったものだ。

 

『目的地はここです。ロウ、そろそろホームに戻りませんか? 私もあまり長居はしたくありません』

「ああ、そうだな。俺もこの場所は嫌いだぜ。俺は機械を治すのは好きだが壊す理屈は解らねぇ」

 

 無念に散って逝った多くの人々のことを思い、死者の冥福を祈るようにロウは胸に拳を当てて瞼を閉じた。樹里とリーアムもそれぞれのやり方で祈りを捧げる。

 祈りを邪魔したのはホームからの通信だった。

 

『ロウ、近くで戦闘が起こってるわ。片方からSOS信号が発信されている。攻撃を受けているのはプラントの民間船よ』

 

 ロウが閉じていた瞼を開けて、胸に当てていた手で母艦との通信を繋ぐとモニターに映ったプロフェッサーが開口一番に言った。

 

『あ、何か光った!?』

『あの光は……戦闘の光です!!』

 

 樹里やリーアムが乗るミストラルが見ている方向にレッドフレームのメインカメラを向ければ、ロウの目にも瓦礫の合間で光る瞬きが見えた。

 

「罰当たりな奴らだ。助けに行くぞ!」

 

 この時のロウに撤退の二文字はなかった。レッドフレームのバーニアを吹かせて戦闘宙域に向けて飛んだ。

 

 

 

 

 予定より数日遅れでプラントから出発したユニウスセブンの追悼慰霊団先遣隊を乗せた船シルバーウィンドは攻撃を受けていた。

 

「わああああああ!!」

 

 ブリッジに誰が上げたものかは分からないが、恐怖に満ちた叫びが響き渡る。

 

「左舷ブロック被弾!!」 

 

 部下からの被害報告に、艦長席に座る壮年の男は着弾の振動で揺れるシートを掴みながら怒りの籠った視線で攻撃を加え続ける敵戦艦を見る。

 

「クソッ、連合め! なぜこんな宙域に!」

 

 ユニウスセブンの残骸が浮遊するデブリ帯は飛来する瓦礫が危険すぎて、連合・ザフト共に近づこうとはしない宙域だったはずだ。重要拠点もない宙域を通りかかる艦もないはずで、ましてや戦争状態に突入している敵国の軍艦に出会ってしまった不運に艦長は歯軋りしていた。

 

「民間船と打電したにも関わらず…………!」

 

 申し訳程度の武装どころか目的が目的だけあって完全な非武装の民間船が軍艦に勝てるはずがない。民間船に容赦なく攻撃を加えて来る地球連合の非道さを艦長は改めて感じ取った。

 

「艦長!! 駄目です! 後一撃で航行不能になります!!」

 

 部下からの報告に艦長は決断を余儀なくされた。

 

「ラクス様の脱出を!」

「ハイ!」

 

 一番出口に近い場所にいたクルーの一人が立ち上がって出て行く。

 その姿を見送って数分後、脱出艇が排出されたのを見送った艦長はクルーに頭を下げた。

 

「すまん。お前達を助けてはやれん」

 

 この船、シルバーウィンドにはプラントの要人が乗っている。彼女だけでも逃がさなければならなかった。いや、正確にはこのような小さな船に船員全員が乗れるような脱出艇はない。逃げられるのはたった一人だけ。艦長は命の選別をしなければならなかった。

 プラントに大切な人を残している者もいるだろうに、助けてやれないことに歯を食い縛って謝った。

 

「いいですよ、艦長」

「若い子を助けるのは当然」

「ラクス様の歌がなくなるなんて人類の損失ですから」

 

 政治的な理由でラクスを脱出することを選んだ艦長の苦悩を察したクルー達は、次々と声をかける。中にはふざけたような返事を返す者もいたがそれだけラクスが船の中で愛されていた証拠だった。

 

「ありがとう」

 

 艦長に他に言える言葉は無かった。これほどの良きクルーに恵まれて、最後を共に過ごせる幸運に静かに頷いた。溢れる涙を隠すようにキャプテン帽を深く被り、キャプテン帽の裏側に縫い付けた妻子の写真を眺めた。

 

「さらばだ、エミリィ、ミリア。幸せに暮らせ」

 

 最後に赤いフレームのモビルスーツがこちらに向かって必死に手を伸ばす光景を最後に、艦長の意識は煉獄の炎と共に消失した。

 

 

 

 

 

 シルバーウィンドが撃沈される少し前。近くの宙域にアークエンジェルはやってきていた。

 ユニウスセブンが次の目的地だと聞いて、直に到着するという報を耳にしたキラはムウに連れられてブリッジに来ていた。そして、そこで惨劇の地を見た。

 

「これって……!」

 

 アークエンジェルの前には凍り付いた大地が広がっていた。

 嘗ては長閑な農村風景に似たものだったろう。枯れて凍り付いた麦が一面に白くそそけ立ち、ぽつぽつと散る農園らしき建物だけが真空中にほぼ完全な保存状態で残っている。その大地の周囲を取り巻くのは減圧で沸騰した形のまま凍り付き、まるでこのコロニーの運命に憤っているかのような海だ。嘗てはプラントの一基だったものの残骸だ。

 

「大陸? こんな所に!?」

 

 副操縦席に座るトールの声が耳に入らぬほど、体調が戻って艦長席に座るマリューの目には衝撃的な光景だった。

 

「きゃあああああああっ!!」

 

 ミリアリアの絶叫がブリッジ中に響き渡る。

 誰も叫びに驚きはしない。ブリッジの正面に傷一つないように見える遺体がぶつかって跳ねた目の前の事態に彼女が叫ばなければ自分が、という者が多かったからだろう。

 

「これがユニウスセブン。血のバレンタインがあったコロニー、その残骸よ」

 

 誰もが絶句し、言葉を失くす中でユイを従えたミスズだけが超然としていた。

 白衣のポケットに両手を入れていて、そのポケットに入れられた両手が拳を握って震えていることを近くにいるユイだけが気付いていた。

 

「24万3721人――――ユニウスセブンで暮らしていた人の人数であり、同時に犠牲者の数でもある」

 

 嘗てユニウスセブンに暮らしていた人達は皆、先程ぶつかった遺体と同じ運命を辿って今も周辺に滞在している。

 

「遺体を回収しないのですか?」

 

 マリューが発した疑問はブリッジにいる全員が考えたのとを同じだった。

 ともすれば震えそうになる声を抑えて、当時の衝撃を思い出したマリューは膝の上で拳を握り締めた。マリューもまたあの戦場にいたのだ。

 

「出来ないのよ。戦争中だっていうのと犠牲者が膨大過ぎてそのまま。だから、ここだけはあの日から時を止めたように漂い続けている」

 

 この大地のどこかにアスランの母レノア・ザラの遺体がある、とキラは考えた。

 会話を交わし、一度ならずとも触れた肉の温もりが永遠に失われた喪失感。親友の大切な人が動かなくなってこの場所にいるのだと思うと腹の底から嘔吐感が込み上げて口を手で覆った。

 

「おい、坊主!」

 

 近くにいたムウが気づいたがどうすることも出来ない。それはこの場にいるナチュラルの彼らでは理解できない苦しみであったからだ。

 キラは一度もプラントに渡ったことはない。それでもナチュラルに比べれば少数であるコーディネイターは、同種と分かるだけである種の連帯感が湧く。プラントに対して帰属意識とかはないがコーディネイターは同胞だと、排斥団体ブルーコスモスの存在を知ると強く思うのだ。

 『ユニウスセブン』『血のバレンタイン』は彼らコーディネイターに特別な思いを抱かせずにはいられない。同胞の多くがここで死に、知り合いであるレノア・ザラがこの場所にいる。キラは腹の底から湧き上がって来る物を抑えきれなかった。

 

「大丈夫よ。あなたは一人ではないわ」

 

 ふわり、とキラを包み込む温もりが嘔吐感を直前で押さえつけてくれる。

 ミスズがキラを抱きしめていた。言葉と温もりが孤独ではないのだと慰めてくれる。

 嘔吐感が急速に消え、目の奥が熱くなって涙が湧き上がってきた。何時だったか、こうやってレノアにも抱きしめられたことがあった。

 コペルニクスではアスランもキラも優秀な学生だった。中立だったこともあって多くのコーディネイターが同じ学び舎で学んでいたが、そんな彼らよりも飛びぬけて二人は優秀だった。コーディネイターだからこそプライドが高い同輩達から強い嫉妬を受けた。アスランは文武両道を地で行くタイプだったから標的にはされなかったが気の弱い所のあったキラは虐めの恰好の標的になった。宿題のデータを消されるなどの軽いものでキラなら復旧出来たが辛い事には変わりなかった。母には心配を掛けたくなくて黙って耐えていた時、抱きしめてくれたのがレノアだった。先ほどのミスズと同じよう言葉をかけてキラの涙を受け止めてくれた。その後はアスランが虐めに気づいてやり返してくれた。ザラ家の存在はキラの中で大きかった。

 

「……あそこ、には…………友達の……お母さんが、いたんです…………」

 

 何度も詰まりながらキラは涙交じりに言った。

 友達を何人もユニウスセブンで亡くしたミスズなら受け止めてくれると確信があった。卑怯な確信であったがミスズはキラを抱きしめる腕に力を込めた。強く感じる温もりが孤独ではないのだと救ってくれる。

 

「そう、大切な人だったのね」

 

 大切だった。失って、この地に来て始めてキラは自らの気持ちを知った。

 優しく、恰好良く、尊敬する母に勝らぬとも劣らぬ立派な人だった。1年遅れてやってきた哀しみがキラを喘がせる。

 

「う、ああ………ああ……あああああああ………うわああああああああっ!!」

 

 それが限界だった。キラは声を上げて泣いた。周りなど気にもしなかった。気持ちを貪るように、血を吐き出さんばかりに泣き続けた。

 

「ああぁあぁああ………ぁああぁあああぁあっ!!!」

 

 悲鳴にも、犬の遠吠えにも似た叫びが喉から放たれていた。止まらない。止めようとしてもどうすればいいのか判らない。堰を切ったようだった。とめどなく、とめどなく、キラの目から涙が湧き上がって来る。怒りを、空しさ、あらゆる感情が混じった慟哭がブリッジに響き渡る。

 ブリッジの誰にもキラにかけられる言葉を持つ者はいなかった。

 数秒か、数分か、キラの泣き声が落ち着き出して来た時だった。自席に座るロメロ・パルが叫びを上げた。

 

「近くの宙域よりSOS信号をキャッチ! プラント船籍の民間船が攻撃を受けています! 至急救援を求めています!」

「何ですって!?」

 

 突然のパルからの報告に、キラを見た全員が視線を彼に向けた。マリューがありえない報告に目を剥いた。

 

「くっ……!」 

「キラ君!?」

 

 友の母が眠る神聖な場所で民間船に攻撃を加える恥知らずに怒りの表情を浮かべて、ミスズの腕の中から抜け出た。ミスズがキラの名を呼んだ時にはブリッジから出て行くところだった。

 

「俺も行くぞ!」

 

 ムウもキラに遅れてブリッジを出て行く。

 

「博士」

「駄目よ。グリーンフレームはまだ修理が終わっていないわ。あなたは待機してなさい」

 

 ユイもキラやムウに続こうとしてミスズに伺いをかけたが彼女の機体は先の戦闘で多大な損傷を負い、整備員と技術者達が総力を上げて修理しているがまだ終わっていない。

 自分の機体の状況はユイも良く解っているのでそれ以上は何も言わなかった。ただ、この時に出撃できないことに出れないことに明らかな不満の表情を浮かべている愛娘にミスズは薄く笑みを浮かべた。

 そして再びユニウスセブンを見る。

 エールストライカーを装備したストライクが飛び立って行く。これだけの出撃の速さだとパイロットスーツにも着替えていないだろう。

 

「この時期にプラントの民間船なんて、まさか追悼慰霊団かしら」

 

 何人もの友の遺体が眠る墓所を見ながら呟いた言葉がまさか正鵠を射ているとは、さしものミスズも気づかなかった。それに乗り込んでいる厄介な人物のことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パイロットスーツにも着替えず、軍服のまま出撃したキラが機動力に優れるエールストライカーでSOS信号を発信している宙域を目指して直ぐに通信が入った。

 

『み、民間船からの信号、途絶しました!』

 

 管制官のミリアリアのマイクを通して、パルの声がキラの耳に入ってきた。

 

「くそっ!」

 

 遅すぎた対応に悔やんで目の前のコンソールを叩く。

 

『ヤマト、脱出艇を使っての生き残りがいる可能性もある。急げ!』

「っ……!? 分かりました」

 

 ナタルからの通信にそこまで頭が回っていなかったキラは気を引き締め、緩めていた操縦桿を最大まで前に傾けた。

 推進力を全開にしたことで発生したGによって体をシートに押し付けられるものの、逸る意識はその速度ですら遅いと感じる。

 

「速く速く、もっと速く!」

 

 常に全開状態を維持すれば機体に掛かる負担とエネルギーの消耗は速いが気にしていられる状況ではない。

 全速で飛ばした甲斐もあり、大した時間もかけずにSOS信号が発進された宙域に辿り着いた。

 

「戦闘の光!? まだ誰か生きていてくれた!」

 

 チカチカ、と宇宙には不釣り合いな光が時々閃光に発せられている。キラは更にストライクを急がせようと、これ以上は動かない操縦桿を前に押し続ける。

 戦闘の光に近づこうとして視界に真新しい船が見えて、ストライクを止めた。

 ゆっくりと近づいていくと艦の全貌が見えてきた。

 

「民間船…………駄目だ。ブリッジに被弾してる」

 

 他の彷徨っているデブリと違って真新しさを感じさせる白亜の船は無残にもあちこちに穴が空き、ブリッジらしき部分に銃撃を受けたのか艦上部が抉れていた。

 見る限りでは武装の類はなく、民間人の視点からでも非武装の民間船であることは疑いようもなかった。損傷からは逃げようとして嬲るように攻撃されたことは損傷を見ると想像に難くない。

 目の当たりにした惨劇に砕けんばかりに歯を食い縛る。

 

「よくも!」

 

 民間船の状況から生き残りがいるとは思えず、この破壊を為したであろう敵が近くにいるとキラの中で堪えようのない怒りが込み上げてきた。

 一気に操縦桿を倒してストライクを戦闘空域に向かわせた。

 戦闘空域は近く、瞬く間にストライクのセンサーが敵機の存在を示す。

 

「ジン!? でも、形が違う?」

 

 識別信号ではジンと出ているがモニターに映った二体のジンは通常の物とは違って改造されているのか、二機とも原型を留めているのは頭部ぐらいだった。

 民間船の護衛か、それとも出くわしただけなのかは解らないがジンならばザフトの所属と安易に考え、二機と戦っているモビルスーツらしき反応が襲った下手人だとキラは判断した。

 

「ジンならザフトのはず。敵は戦っているモビルスー……っ!?」

 

 ジンに加勢しようと機体を動かそうとした時、敵モビルスーツが発光弾か閃光弾を使ったようでモニターが光に染まった。

 閃光を直視してしまったキラの視界は光に塗り潰され、何も見えなくなった。

 

「あぁ……」

 

 数瞬で視界を取り戻したが、その時には重機を連想させる鈍重な外見の改造ジンが敵モビルスーツに撃破され、もう一機にも魔の手が迫っているところだった。

 

「止めろ――――っ!!」

 

 叫びながらストライクを急行させたが敵モビルスーツが攻撃を繰り出した方が圧倒的に速かった。

 ビームサーベルを振り上げた敵モビルスーツは、脚部をスラスター化させて機動力に優れていそうなジンが動くよりも早く真上から一刀両断に切り裂いた。直後に改造ジンは爆発を起こして欠片だけを残してこの世から消え去った。

 

「うわぁああああああああああ――――――――っっ!!!!」

 

 怒りに我を忘れたキラはビームサーベルを抜き放ち、減速させずに敵モビルスーツに突っ込む。

 敵モビルスーツはストライクの接近に気づいて慌てたように振り返ったがその挙動は今まで戦ってきたザフトと比べれば遥かに遅く鈍い。

 

「お前ぇえええええ!!」

 

 機体で突き刺すように伸ばしたビームサーベルは間一髪のところで避けられた。

 その避け方がやけに人間味に溢れていたことが、亡くなった民間船の乗組員とユニウスセブンを真下に見えるところで戦闘をしてジンを落した喪失と重なって、キラを怒りで狂えさせた。

 迷うように機体を揺らめかせる敵モビルスーツに向けて、今度は左右に機体を振りながら接近する。

 

「落ちろ!」

 

 敵モビルスーツが距離を取ろうとしたところで一気に距離を詰めてビームサーベルを斜めに振り下ろす。

 また躱されたが肩の端を僅かに切り落とした。 

 それで敵モビルスーツもやる気になったのか、振り下ろしたストライクに向かって下からビームサーベル振り上げて来る。

 今までに戦った敵に比べれば何もかも遅い相手の挙動は、散々シュミレーションで仮想敵とやり合ってきたキラにはお見通しだった。振り上げられるビームサーベルをシールドで受け止めるだけで留まらず、叩きつけるように当てる。

 パワーではストライクの方が勝っているようで、敵モビルスーツの手からビームサーベルを弾き飛ばした。

 

「これで!」

 

 手を引いて機体の首下、人間でいえば胸の当たりにビームサーベルを突き立てんと機体を動かした瞬間だった。敵モビルスーツは弾き飛ばされて落ちていくビームサーベルを蹴り上げた。

 

「!?」

 

 キラの全くの予想外の攻撃だった。二機の距離は至近。精々がもう一機が間に入れるかという距離しかない。その距離で完全に意識の外に飛ばしていたビームサーベルが向かってくることを予測していなかったキラは、モニターに映るビームの輝きに体を固まらせた。

 突き出していたビームサーベルを戻してシールドを掲げようとするが既に遅く、もう間に合わない。

 

(死ぬ!?)

 

 一瞬とはいえ、覚悟もないまま迫る死にキラは動けなかった。が、エネルギーの供給減を失ったビームサーベル単体では何時までも刀身部分のビームを形成することは出来ない。

 キラが咄嗟に閉じた瞼の中で感じたのはビームに焼かれる感覚ではなく、コクピットハッチを叩く軽い音だった。

 

『おい、お前! いきなり何すんだコラ!! 危ねぇじゃねぇか!!』

 

 死の恐怖に体を固まらせ、開いた瞼の先に映る敵モビルスーツから通信が入った。

 若い男の声だった。怒りが込められているが憎しみといった負の感情は感じられない。少なくとも怒りが一瞬で消えたキラには民間船を嬲るような男のものとは思えなかった。

 

「う……ぇ、あ………」

『言葉が通じてんのか! お、やっと映像が繋がって…………ガキじゃねぇか!?』

 

 感情の揺れ幅が大きすぎて上手く言葉に出来なかったところに、正面モニターに敵モビルスーツのパイロットの映像が映し出された。

 声の通り、まだ若い。キラよりも二、三歳ほど年上のようだが好奇心の塊のような目と感情を剥き出しに叫んでいるところが同年代か、ともすれば年下とも見える。

 キラが思わず放心していると、アークエンジェルからの通信が入った。

 

『キラ君、彼は敵ではないわ。私が言っていた合流相手よ。相手とも連絡が取れたし、民間船を攻撃したのは彼らじゃない』

 

 通信相手はミスズだった。

 もはや絶句するしかない。確かにジンを破壊したのだから一概にミスズの言は信じられるものではなかったが、話を信じれば勘違いである可能性の方が高い。

 後少しで勘違いで人を殺したとあっては許されることではない。良く見れば向こうのモビルスーツはアストレイ・グリーンフレームのフレームの色が違うだけでそっくりだった。落ち着いて観察していればわかったはずなのに。

 目前に浮かぶ幾つもの汗の塊の向こうで、向こうのモビルスーツのパイロットも母艦から似たような通信を受けたのか気まずそうにキラを見ていた。

 取りあえずまず第一にやるべきことがあるので、キラは息を深く吸い込んだ。

 

「ごめんなさい!!」  

 

 悪い事をしたら謝れ、と母から口を酸っぱくして言われていたので教えに従って謝る。

 また電子音が鳴り始めた。下げた頭を上げるとモニターに映っていたのはモビルスーツの機影ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルの格納庫には、キラが見つけて曳航してきた救命ボードが置かれていた。

 救命ボートを運び込む前にキラが敵のモビルスーツだと思った赤いフレームのアストレイは僚機のミストラル1機と共にアークエンジェルに入り、もう一機が一度母艦に戻ってまたやって来たところだった。

 空気が注入されて、マリューやナタルといった幹部クラスや護衛の為に銃を持ったMP、そして赤いフレームのモビルスーツやミストラルからパイロットが降りてきた。

 

「ドクター!」

「プロフェッサー!」

 

 赤髪の女がミストラルから出て来て、アークエンジェル側からミスズも進み出て、二人は抱き合った。

 

「本当に久しぶり。元気にしてた?」

「ええ、そちらも元気そうね」

 

 プロフェッサーの背後に回されたミスズの手がアークエンジェル側から見えない視覚で動く。

 

「情報は役に立ったようね」

「勿論よ。お蔭で良い物が手に入ったわ。後で返せなんて言わないでね」

「言わないわよ。持ち出せたのは一機だけで、私としてもプロトシリーズは破壊されたくなかったしね。エリカにどやされちゃうわ」

「エリカは怒ると思うけど?」

 

 プロフェッサーも認識している手の動きは、やがて彼女のポケットに一つのデータディスクを入れた。プロフェッサーの後ろにいるロウや樹里にはその動きが良く見えた。

 

「ユイちゃんも久しぶりね。相変わらず可愛いわ」

 

 ハグを離したプロフェッサーは次にユイの頭を撫でる。

 特にユイは何も言わないが触られるのが嫌なら振り払っているので、これもユイなりの挨拶の仕方だった。知己の再会を喜び合う二人の何やら怪しい動きに辟易したロウは、辺りを見渡して目的の人物を見つけた。

 

「お、いたいた。さっきの坊主だ」

「ちょっと、ロウ」

 

 目的の人物を見つけて、銃を持ったMP達がいるのも気にせず、樹里の咎める声を無視して足を進めた。

 

「つくづく君は、落とし物を拾うのが好きなようだな」

 

 明らかに気に入らないと皮肉が込められた言い方にキラは肩身の狭さを感じて身を縮めるように立っていたところだった。

 

「おーい、坊主」

「!? あの赤いモビルスーツに乗っていた人?」

 

 そこへロウがやってきて、キラは体をビクリと震わせて彼を見た。

 一方的に攻撃をした相手が目の前に降り立ってキラは直視できずに目を伏せた。その姿は怒られるのを待つ子供そのものだった。

 

「顔上げろって。俺は気にしちゃいないからさ」

「でも、僕はあなたを攻撃をしました」

 

 肩に手を置かれて許されたとしても殺しかけた行為が消えるわけではない。自責こそがキラを苦しめていた。

 

「それは俺もお互い様だ。俺はロウ・ギュール。お前さんの名前を教えてくれないか」

「…………キラ・ヤマト、です」

 

 キラは自分で人見知りが激しいと自覚している。特に自分に負い目がある時は口も利くことが出来ない。だが、目の前のロウを相手にすると不思議と初対面とは思えない気安さを感じていた。

 

「おし、キラだな。じゃあ、キラよ。後でいいからお前のモビルスーツを見させてくれよ。ちょっとでいいからさ」

「え? でも……」

「いいじゃねぇか。な、俺のレッドフレームも見せるからさ」

「嫌なら嫌って言ってね。ロウは機械好きだからハッキリと言わないと勝手に弄っちゃうよ。私は山吹樹里。よろしくね」

 

 ストライクはキラが動かしているが個人の物ではない。軍の物であり、民間人でしかないキラは動かせるから乗っているだけでロウに対してYesともNoとも言えずにいると、ロウの後ろから特徴的な髪の少女が顔を出して自己紹介をする。

 

「おーい、開けますぜ」

「お、誰が乗ってんだろうな。さっきの話はまた後だ」

 

 マードックが言うと合流したジャンク屋組も気になるのか、ロウを筆頭に救命ポートに集まる。なんとなく彼らが優先されて救命ポートの前が開けられて、彼らと一緒にキラも正面に立つ。

 マードックがロックを操作した直後、救命ポートのハッチが微かな音を立てて開いた。周囲に待機していたMPが銃を構える。

 

「ハロ ハロ、ハロー、ハロ、ラクス、ハロ」

 

 開けられたハッチから飛び出してきたのは人ではなく、ピンク色をしたボール状の物体だった。

 慣性で目の前を流れて行くペットロボットらしき物を眺める一同は、身構えていたところだったので完全に毒気を抜かれていた。

 

「ありがとう。御苦労様です」

 

 ペットロボットに視線が集まっていたところに、救命ポートから声が聞こえて誰もが驚いてそちらを見た。救命ポートから出てきたのは一人の少女だった。キラと年齢は変わらないだろう。

 どこか人に傅かれることに慣れた感じで出てきた少女をキラは一瞬天使が現れたのかと錯覚した。

 

「な、なんで……」

 

 ユイだけが隣に立つ母が少女を見て口をあんぐりと開けていることに気づいた。彼女だけは少女よりもミスズがそれほどに驚きを露わにすることにことが分からずに首を捻っていた。

 

「あら…………あらあら?」

 

 救命ポートから出てきた慣性で流れて困惑している少女に、キラは咄嗟に手を伸ばしてその手を掴んだ。確かに人と分かる温もりは彼女が空想上の存在ではなく、柔らかな肉を持った女であることを細い手首から実感させた。

 

「あら? まあ、これはザフトの船ではありませんのね」

 

 手を掴むキラが着ている制服の徽章を見て、言葉ほどには困った様子には思えぬおっとりとした口調で頬に手を当てた。

 居る場所を確かめるように周りを見渡した少女は軍人とは思えないロウや樹里の服装に頭を傾げながらも、視線を逃げようと背中を見せている一人の人物に向けた。

 

「博士! 博士ではありませんか!」

 

 少女の叫びに周囲は驚き、それが誰を指しているかは考えなくても分かる。

 呼ばれたミスズはギクシャクとした動きで、愛想笑いを浮かべているようだがぎこちない笑みを浮かべながらゆっくりと振り返る。

 

「…………久しぶりね、ラクス・クライン」

 

 ミスズの発言に一時、現実を理解できなかった場が凍る。

 

「はい?」

 

 マリューが思わず漏らした言葉の直後に、頭が痛いと眉間を揉んだナタルが深々と肺の空気を絞り尽くさんばかりの長い溜息を吐いた。

 

「「「「「「「「「「はいぃいいいいいいいいいい!?」」」」」」」」」」

 

 直後、モビルスーツデッキが爆発したかのように全員の叫びが唱和した。

 アークエンジェルはまたまた厄介な爆弾を抱えてしまったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 予定より遅れた到着の後に開かれたプラント最高評議会で、ヘリオポリスで奪取した地球連合の新型機動兵器の説明を行ったアスラン・ザラは長い長い溜息を吐いた。溜息と共に下げていた視界を上げると映るのは観光名物であり、プラントに住むコーディネイターにとっては特別な場所ではない『エヴィデンス01』である。

 始まりのコーディネイターであるジョージ・グレンが見つけて持ち帰った羽くじら石。地球外生命体を実証して『存在証明』の名を冠され、ジョージ・グレンと同じく歴史の転換点となった化石。当時の混乱はまだ生まれてもいないアスランには実感もしようのない出来事だが、数日前にこの化石の前でブルーコスモスのテロがあったのだから気にもなる。

 

「青き清浄なる世界のために、か」

 

 ブルーコスモスが合言葉として諳んじる決まり文句を口の中で呟いて、コーディネイター同士から生まれた第二世代のアスランにはどうにも理解できないことだったので頭を振った。まるで自分達が罪深い象徴のように感じて、当然ながら受け入れることが出来なかったからエヴィデンス01ではなくその下の地面を見た。

 金属製の床が見えるだけで何も変わったところは無い。アスランが月のコペルニクスから母と共に移住してきた時と何も変わっていない。しかし、この床には数日前には血に塗れていたことをアスランは知っている。

 

「テロを起こしたのがナチュラルなら止めたのもナチュラル。何をやっているだろう、俺達は」

 

 ヴェサリウスにいる間に時間だけはあったのでネットで収集した情報はアスランを混乱させるものだった。

 テロを起こしたのがナチュラルであることはニュースで報道されていたが、犠牲者のことには一言も触れていなかったので、道管制が敷かれているのはプラント情勢に詳しいと言えないアスランでも察することが出来た。

 事件の場にいたジャンク屋が迫っていたテログループを退治するのに協力したというのに、そのことすら報道されていない。地球連合と戦争をしているのだから理解は出来るのだが、止めたジャンク屋や犠牲者のことを考えれば一概にナチュラルが悪いとは言えない。

 アスランの母レノア・ザラは血のバレンタインで崩壊したユニウスセブンと運命を共にした。アスランがザフトの志願したのはその事件があったからで、ナチュラル憎しの感情がなかったといえば嘘になる。母を奪った悲劇の主犯や関係者達を法の上で裁きたい。同胞を守りたいとザフトに志願しても過激派のようにナチュラルを滅ぼせとまでは思ったことがないし、今もまた考えもしていない。

 

「キラ……」

 

 真実を知ったアスランは地球連合の戦艦に乗っている幼き頃からの親友を思った。

 キラが先程評議会で説明したGの中で唯一奪取出来なかった機体に乗っていると知っているのは数少ない。同胞たるコーディネイターが敵対していることを知ったザフトの士気低下を嫌った国防委員長であるアスランの父パトリック・ザラの独断で削除された情報だった。

 地球連合の戦艦でモビルスーツに乗せられているキラが非人道的な扱いを受けていないか、同胞と戦わされて心を痛めていないか心配事は多かった。

 

「俺はキラの母親か」

 

 まるで母親のようにキラのことを心配する自分を茶化す為に言って、崩壊したヘリオポリスにいたかもしれない第二の母とも言える人を思い出して自嘲をする。

 

「カリダさん、無事だといいけど」

 

 その場にいて崩壊に加担したザフトの兵士である自身に言えたことではないと自嘲を深くする。

 アスランの中では実の母であるレノアよりも親友であったキラの母カリダの方が接した時間が長いかもしれない。レノアも十分に愛情を捧げてくれたが、やはり長い時間を共に過ごした相手に向ける情も多くなる。それでもカリダはアスランにとっては他人なのだから、やはり母親というには無理がある。どちらかといえば初恋の人と言ってもいいのかもしれない。あまりレノアが傍にいてくれなかったので代償行為と言われてしまえばそれまでだが。

 カリダの安否を心配するアスランに近づく人がいた。

 

「やあ、アスラン」

 

 評議会委員を示すコートを着た議長シーゲル・クラインは会議中の思案気な表情とは変わって、穏やかに微笑んで話しかけた。

 

「クライン議長閣下!? 御無沙汰しております」

「そう他人行儀な礼をしれくるな。ラクスの婚約者である君は将来に家族になるのだ。公式な場所ではないのだから、もっと気楽にお義父さんと呼んでくれていいものを」

「いえ、それは……」

 

 慌ててザフト式の敬礼をしたアスランにシーゲルは茶目っ気を覗かせて若造の緊張を解した。

 シーゲルの娘ラクス・クラインとは親が決めた許嫁である。プラントのトップにいる互いの家柄と、婚姻統制による結果であった。

 婚姻統制の結果として出会った二人だが、お互いに悪感情もなく将来的には結婚することになるだろうことは既定事実だった。

 出会ったのは二年前でゆっくりと関係を育んでいるがまだキスもしていないだけに、婚約相手の父親から茶化されるとどのように対応していいものか困惑してしまうアスランだった。

 

「すまんな。ようやく君が戻ったと思えば今度はラクスが仕事でおらん」

「追悼慰霊団の一員としてユニウスセブンへ視察に行くとメールがありました。お気になさらずに」

 

 二人でくじら石を眺めつつ、仕事ではなくプライベートの話を始める。

 シーゲルほど公と私の区別をつけられるほど柔軟になれないアスランなので、答える言葉は敬語だった。

 

「連絡を取り合っているのは結構だが、婚約者同士だというのに一体何時になったら君達はゆっくり会う時間が出来るのやら」

 

 やれやれ、と肩を落とすプラントの最高責任者に言われると自分がザフトに入隊したのが悪い事のように思え、人気№1の歌姫であるラクスが多忙なこともあって会える時間がないことを責められているようでアスランは体を小さくしていることしか出来なかった。

 過激派の筆頭であるパトリックと穏健派であるシーゲルの対立ぶりを議会で見ていただけに、計らずともシーゲルの立場を潰す発言しか出来なかっただけに頭が上げらなかった。

 

「申し訳ありません」

「私に謝られてもな。しかし、また大変なことになりそうだ。君の父上の言うことも分かるのだがな……」

 

 頭を下げるアスランにシーゲルは柔和な笑みを崩して苦汁を飲み込むように眉を窄めた。

 戦争の早期終結を目指すシーゲルを追い詰めているのが自分の父親なのだからますますアスランは身の置き場を失くしていた。誰か助けてくれる者はいないかと辺りを見渡しても評議会議長に気安げに話しかけてくれる勇敢な人物はいなかった。

 だが、意外な人物がアスランを救ってくれた。

 

「アスラン・ザラ!」

 

 少し遠目から声をかけてきた仮面の隊長に助かった気持ちでそちらを向いたが、話の中心人物である父パトリックが彼の後ろにいることに気づいて浮かんでいた喜びの表情を固まらせた。

 

「クルーゼ隊長」

 

 クルーゼの声にシーゲルも同じ方向を向いて困ったような表情を浮かべている。 

 二人の困惑を知ってから知らずか。アスラン的には後者の可能性が高いと思ったのは誰にも言えない秘密だった。

 

「あの新造艦とモビルスーツを追う。ラコーニとポルトの隊、そして技術試験小隊が一時的に私の指揮下に入る」

 

 シーゲルに敬礼したクルーゼはアスランに言葉少なに要点だけを纏めて言った。

 

「技術試験小隊でありますか? 新型機や開発した兵器を試験運用するあの?」

「プラントの今後を担う小隊だ。腕は確かだ。信用していい」

 

 別にアスランは技術試験小隊の腕を疑ったわけではないのだがクルーゼはそう判断したようだった。

 技術試験小隊はピーキーな機体や安全実証がされていない兵器を扱うのだから生半可な腕のテストパイロットが選ばれるはずがない。凄腕のクルーゼや亡くなったミゲルのような名付きのエースとまでは言わなくても、十分な経験を持った熟練パイロットが選ばれる。

 戦況を優位に進められるのはモビルスーツがあってこそ。プラントにとってモビルスーツ関連の技術は生命線なので新しい技術や新兵装の開発は盛んだった。

 

「疑ってはいませんが、まさか実戦で試すおつもりですか?」

 

 安全実証が為されていない機体や兵装を実戦で試すなど正気の沙汰ではない。気持ちが表情に出ているアスランにクルーゼは軽く笑った。

 

「大方の実証は終わっていると聞いている。残すは実戦検証のみで、何よりも隊長の私が新兵装の実験をしなければならんのだ。それに奪取したばかりの機体で出撃した君が言うことでもあるまい」

 

 皮肉でもなんでもなく苦笑を浮かべたクルーゼにアスランは口を噤んだ。

 話しのすり替えであることは間違いないのだが、ヘリオポリスで残った機体に乗り込んだのがキラかどうかを確認するために奪取したばかりのイージスで飛び出したのは間違いないし、クルーゼも新兵装の実証実験をやらされるとなれば文句も言い辛い。

 

「あのハイネ・ヴェステンフルスとミハイル・コースト、一人は君らの後輩らしい。残る二人も保証つきの腕だ」

「新星の英雄にドクターでありますか」

 

 前者二人はザフトにその名を知らぬほどの有名人であり、アスランの目の前にいるクルーゼにも勝るとも劣らぬエースパイロットである。後輩が誰か気になるし、有名人が同行することと、そんな彼らが技術試験小隊に入っていることの奇妙さにアスランの頭はパンクしそうだった。

 

「先の作戦に携わった彼らが投入されるほど国防委員長は地球連合の新型を気にしておられる。我らの責任は重大だぞ」

 

 言われて肩に圧し掛かる責任という名の重圧が確かな実感を持ってしまったことに気づいた。

 ザフトではトップクラスのエースパイロットがクルーゼを合わせて三人。既に墜とされたミゲルのことも考えれば決して多いということはない。アスラン自身、自らが乗るイージスの機体性能にはジンに乗り慣れていただけに畏怖を覚えることもある。恐らくイージスと同等の性能を擁するといってもミゲルを墜とすほどの実力者が敵にいることを考えれば味方は多ければ多いほどいい。

 

「出航は24時間後だ。短いかもしれないがしっかりと休め」

「はっ!」

 

 敬礼をしながらも、またキラと戦わなければならないと実感したアスランは心の内で失意に呻く。

 着々と地球連合の新造艦への包囲網が出来上がっており、もはやアスラン個人だけではどうしようもない領域にまでスケールが大きくなっている。パトリックに友達を助けたいなら動かなければならないと解っているのに、周りを囲むのが自分よりも遥かに格上のエースパイロットになると知れば尻込みしてしまう。

 

「失礼致します! クライン議長閣下! ザラ国防委員長閣下!」

 

 クルーゼが無言で並んでくじら石で見上げているシーゲルとパトリックに敬礼をし、彼らが頷いたのを見て歩き出した。

 声をかけるまで二人の存在を忘れていたアスランは改めて父親たちを見て、最近では対立派閥のトップであることからいがみ合っている印象しかない彼らが親友であることを遅まきながらも思い出した。

 二人が何を話すのか、気にならないといえば嘘になる。場所は折しも始まりのコーディネイター、ジョージ・グレンが木星よ持ち帰った化石だ。プラントの趨勢を左右する二人の私的な会話はジャーナリスト達の垂涎の的であろう。アスランもプラントに住む一住民としても気になるところだった。

 

「アスラン、行くぞ」

「はい」

 

 先に歩み出したクルーゼが催促するように言って来ればアスランもこの場を離れないわけにはいかない。言っても止まりはしないクルーゼの背を追ってアスランは小走りに足を進めた。

 軍服を着たクルーゼとアスランの姿が完全に見えなくなり、くじら石の前に残された壮年の男二人は何を話すでもなく立っていた。

 完全に人気がなくなった広場で最初に口を開いたのはシーゲルだった。

 

「アスラン君は良い青年に育った。パトリックの育って方が良かったのかな?」

「私のではない。あれはレノアが育てたのだ。それは知っていよう、シーゲル」

 

 二人を繋ぐ最も縁深い、この場を去ったアスランのことを話題に上げて二人は笑みを交わし合った。

 議会での二人しか知らない者が見れば、現実かと疑って目を擦るほどに二人の間に流れる空気は和やかだった。だが、その空気も直ぐに消え去った。

 空気を消し去った嘴を切ったのは議長であるシーゲルの方だった。

 

「我々にはそう時間はないのだ。アスラン君のような年若い者まで投入して悪戯に戦火を拡大してどうする?」

「戦争は勝って終わらなければ意味がない。勝つために。私に言えるのはそれだけだ」

 

 問いかけたシーゲルは向かい合ったパトリックの瞳をしっかりと見つめた。

 

「では何故、NC計画を推進する? あれはお前の」

「分かっている。言われるまでもない」

 

 開戦時から極秘裏に、それも最高評議会の評議員の大半にも知らせていない計画の詳細を言いかけたシーゲルの言葉を遮るように、パトリックが強い視線と言葉で言い切った。

 

「分からぬはずがない。あれの忌々しさは私が良く知っている。だが、地球軍がモビルスーツを開発した。直に量産化もされるだろう。配備しているシグーどころか開発中のゲイツすら上回る機体だ。それほどの機体が量産化されれば今の戦況が維持できるかと聞かれれば難しいだろう」

 

 自分の心情を整理するように、言葉を選ぶように慎重に口を開くパトリックの表情はどんどん鬼の如く鋭さを増していく。

 

「勝つために必要なのだ。あの忌々しいエネルギーが!」

 

 シーゲルは鬼面となったパトリックの顔を愕然と見入った。

 

「パトリック、お前は……」

 

 ユニウスセブンから一年の時を経てようやくシーゲルは友の目に情熱ではなく狂気が宿っていることに遅まきながらも気がついた。

 

「だからこそ許せんのだ! 我々の邪魔をする者は!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地球連合の基地がある月本部へ目指すアークエンジェルに奇妙な同行者と遭難者を胎の中に収め、ユニウスセブンを離れて航海を始めた。

 

「へぇ、フェイズシフト装甲のモビルスーツか。理論だけは聞いたことあるけど実装しているのは始めて見た」

 

 モビルスーツデッキでメンテナンスヘッドに固定されているストライクのコクピットのシートに座る箒みたいな髪の毛を後ろから眺めつつ、キラは少しだけ感心した。

 初対面時の馴れ馴れしさなどからトールのように肉体派と思っていたのに、キラですら知らなかった相転移装甲の理論を聞いたことがあるだけで凄いと感じてしまう。

 

「レッドフレームは対弾性が低すぎるから実装出来ねぇかな」

 

 ぼやくような言葉にロウ・ギュールが持つアタッシュケースサイズのコンピュータ『8』が「出来るわけがない」と文字を表示する。

 

「言ってみただけだ。本気じゃねぇよ」

 

 ぼやくロウに「いいや、本気だった」と返す8の返事は人間臭い。

 シートの後ろにいるキラのことを忘れたかのように二人はトントン拍子に会話と言えるのか判断に悩むことを繰り返しながら、立ち上がるストライクのシステムを見ては「ほぅ」とか「へぇ」とか目を輝かしているのを見ると年上なのに子供のようだった。

 

「ここのシステムとか、レッドフレームに入れられねぇか? 試算では運動値が3%も上昇するしよ。え? 駄目だって?」

 

 問いかけるロウが「合うか。逆に低下する」と即答されて意気消沈する様子を間近で見ていると、本当に子供のようだという印象が強くなる。

 8との会話を一段落させたロウがキラを振り返った。

 

「いい機体だぜ。兵器なのが勿体ないぐらいだ」

「僕もそう思います」

 

 コンソールを撫でる様子から本当に惜しがっていることが感じられ、キラもヘリオポリス脱出直後に似たような感想を持ったので同意した。

 

「命は失ったら機械みたいには直せねぇんだ。こいつにそんなことはさせたくないもんだ」

 

 表情をコロコロと変える様は見ていて面白く、そんな人を殺そうとしたり、ストライクを血に塗れさせたキラの気持ちを落ち込ませる。

 あの時は勘違いから激昂して斬りかかり、格下と侮って危うく殺されかかったのだから笑うしかない。アークエンジェルで始めて顔を会わせた時、ロウは気軽に許してくれたがキラ自身が己の行いを許すことが出来なかった。そういう人間なのだ。

 雰囲気の変わったキラの様子を見てロウは話題を変えた。

 

「聞いた話じゃ、キラは始めて乗ったこいつのOSを書き換えて戦ったんだってな。こんなデカイ戦艦を守ってザフトと戦ってきたんだから凄ぇよ」

「OSを作っていたのがカレッジの恩師だったんです。教授の癖と知らずにモビルスーツのOSの解析もしていたから出来ただけです。戦闘もユイさんの足手纏いばかりで僕なんてとても」

 

 システムを全部見たロウがシートの後ろにいるキラを振り向いて感心したように言った。その真っ直ぐな視線が余計に自分の罪深さを現しているようで、心持ち視線を逸らしながらキラも自分がしたことが少しも凄いと思えず謙遜した。

 凄いのはモビルスーツを作ったミスズやOSの大部分を作り上げたカトウであって、自分はユイの足を引っ張ることしか出来ないのだと卑下していた。

 すると、振り返ったロウは最初ポカンとした顔でキラを見ていたが悪戯を思いついたように笑った。

 

「キラって戦いに向いてなさそうに頑張ったのは本当だろ? 友達を守る為に必死扱いて戦った奴がそんな暗い顔をしなさんさ」

「うわっぷ」

 

 クシャリ、と遠慮呵責なく小さな子供にするように髪の毛を掻き回されてキラは目を丸くした。

 トールが似たようなことをすることがあるがロウには彼にはない深みがあるように思えた。父や兄といった方向性とは違う頼れる男という方向性は今までのキラにはなかったものだ。それは事前に見せたロウの子供っぽい一面が理由だろう。

 どうも自分はこういう頼りになる男に弱いな、とキラは思いつつ手を払いのけることなく髪を掻き乱す手を受け入れた。

 

「ロウ!」

 

 コクピットの外から聞こえる山吹樹里の涙交じりの叫び声に、キラの髪の毛が思いの外に撫で心地が良くて止められなかったロウの手が止まった。

 何故か二人で顔を見合わせて、そろりとコクピットから顔を出して無重力を利用してキャットウォークに腹這いになりながら眼下を見下ろした。

 

「何時までもモビルスーツにかまけていないで、いい加減に手伝ってよ!」

 

 二人がキャットウォークの端から眼下を見下ろすと、キラと同年代らしい樹里が半分泣きながらロウ達の母艦ホームから運び込まれた物資の中で立ち往生していた。

 会ったこともない人達の中心で運び込まれた物資の説明を渡したリストと共に責任者であるマードックにしている樹里の姿は、俯瞰した上から見ると余計に哀れに見えた。

 マードック自身からしてどちらかといえば無精髭を生やした強面の部類に入る顔をしているのだから、正規軍人の相手をするにはまだ若い樹里には酷な事なようだった。まだ年が近く同性のユイも近くで物資の搬入を手伝っているが、コミュニケーション能力が十分とはいえないユイではいないよりマシなのだろう。

 

「いいんですか、あれ?」

「大丈夫だとは思ったんだけどな。やっぱり一人にしたのはマズかったか?」

 

 キラが隣で同じように腹這いになって眼下を覗いているロウを見れば、若干気まずそうに頭を掻いていた。

 

「出来ればあっちのアストレイも触らして欲しかったんだが無理そうだしな」

 

 物資が搬入されたので一旦手を止められたアストレイ・グリーンフレームを名残惜しそうに見るロウに、キラはクスリと笑った。

 

「あっちはまだ修理だか改造中だかで無理ですよ。下手に触ろうとしたらマードック軍曹に怒られます」

「だよなぁ。レッドフレームの同型を弄れる機会なんて今後ないかもしれないのに。ああ、触りてぇ」

「手が動いてますよ、ロウさん」

 

 自分の欲求に正直で相手の心情をきちんと斟酌するタイプの人間は珍しい。諦めきれない欲望を表現するように手がワキワキと動く様が面白い。

 ロウの気持ちはプログラマーであるキラとしても分からぬものではない。新しい物に目がないのは技術者の性で、逆に言えば興味を持てないのでは技術者失格である。

 ストライクの先にアストレイ・グリーンフレームの同型機。P02という味気なかったのをロウが名づけたレッドフレームの名の通りに赤いフレームを持つアストレイのシートにキラは座った。

 ナチュラルが操縦することを前提に開発された検証機だけあって、最初にストライクに搭載されて物よりも遥かに完成度の高いOSにキラは感嘆を漏らした。恐らくだがカトウが開発していたのはこちらで、ストライクらに搭載されているのはそこから直ぐには使えないように手を加えた物なのだろう。それほどにストライクに搭載された物とはかけ離れた完成度だった。

 何よりも驚いたのがアストレイ・レッドフレームを動かしていたロウ・ギュールの存在だった。

 

「モビルスーツを動かしていたからコーディネイターだと思っていたのに、ロウさんがナチュラルだなんてビックリしました」

 

 レッドフレームに乗って搭載されていたOSがナチュラル用であることを知って始めてロウがナチュラルであることを知った。それまでキラはロウをモビルスーツを動かしていたことからコーディネイターと完全に勘違いしていた。モビルスーツを動かせるのは基本的にコーディネイターだけなのだからキラの勘違いをあながち間違っていない。

 

「8のお蔭だけどな。俺達の中でコーディネイターはリーアムだけだ。そういやあいつなんでこっちに来ないんだ?」

 

 擬似人格コンピューターをポンと叩いたロウは母艦から荷物を持ってくるだけで乗船しようとしない仲間に首を捻った。

 ロウが宇宙で漂流していた戦闘機から発見したという人工知能搭載コンピュータ『8』もキラには良く解らなかった。自分自身の意思を持ち、アタッシュケースサイズのボディに付いたディスプレイに文字や画像を表示したり様々なビープ音を鳴らすことで人間とコミュニケートする。今も「ふふん」と言葉面だけで推測すると人間で言えば鼻高々を表現しているらしい。

 8のお蔭でロウはモビルスーツを操縦できるらしいのだが、ミスズと同じ気配のするプロフェッサーという女の人やロウといい、変わった集まりであるとキラの中では認識づけられていた。

 会ったことのないリーアムという人のことは分からないが常識人である樹里が苦労させられているのだろうと眼下の光景を見ると思ってしまう。

 

「しゃあねぇ、手伝ってやるか。お~い、樹里!」

「ロウゥゥゥゥゥゥ!」

「分かったからその声は止めろって! 恐ぇって」

 

 あまり思い悩む性格ではないロウは立ち上がり、キャットウォークの柵に手を置いて下に向かって呼びかけると、年頃の乙女としてどうかと思う声を出す樹里に畏れ戦きながらも承諾できるロウを少し尊敬したキラだった。

 続いてロウは眼下の樹里からキラを見た。

 

「悪いな。本当ならもっと話を聞きたかったんだが樹里があの調子でよ」

「大事なんですね、あの人のこと」

「危なっかしくて放っておけないだけさ。そういうんじゃない」

 

 同じように立ち上がったキラにしては鋭いツッコミを入れたつもりだったが、ロウは少し顔を赤らめただけで期待していたようなリアクションは取ってくれなかった。

 

「じゃ。また後で話ししようぜ。色々と聞きたいこともあるしよ」

「はい」

 

 話していて楽しい相手なので同じことを思っていたキラが頷くとロウはキャットウォークを飛び越えて降りて行った。

 下から泣き言を重ねる樹里と宥めようとしているロウに再びクスリと笑って、沢山喋って喉の渇きを覚えたこともあって食堂に行くことにした。

 キラがコーディネイターと知っても、互いの違いを個性として偏見を全く持たないロウの存在は沈みがちだったキラを浮き立たせるのに十分だった。だから、食堂に行く際に避難民がいる居住区から聞こえた声に足を止めた。

 

「ザフトの親玉の娘を拾ったってよ」

「モビルスーツを開発したコーディネイターまでこの船に乗っているって話じゃないか」

「この船に乗っているモビルスーツの一機はコーディネイターが動かしていて大丈夫なのか、本当に」

 

 聞こえてきた避難民達の言葉の数々にキラは耳を塞ぎたくなった。

 ザフトとコーディネイターを分けて考えるのは、プラントと地球連合がコーディネイターとナチュラルの戦争という形を取っている限りは大多数の人には出来ないのだろう。コーディネイターだというロウの仲間のリーアムという人が地球連合の戦艦に乗船しようとせずに、物資の搬入だけで留まっているのはこの辺に原因がある。

 上機嫌だったキラの足取りは途端に重くなり、逃げるように避難民がいる居住区から離れて食堂に向かう。

 

「最初から分かっていたことだよ」

 

 敢えて言葉に出して自分に言い聞かせる。

 アークエンジェルに乗った時にコーディネイターと知られた瞬間に銃口を向けられた時から、もっと前からキラは知っていた。ただ、少しでも現実から逃げたくて目を逸らしていただけ。ナチュラルの中でコーディネイターは何処まで仲良くなっても異物にしかなりえない。

 暗くなっていく心と一緒に下がっていた視界の端に誰かの足が映った。

 

「サイ」

 

 顔を上げると廊下の真ん中で腕を組んでいるサイ・アーガイルがいた。

 

「ん? お前も気になるのかあの娘のこと」

 

 言われて視線をずらすと、今が休憩時間のトール・ケーニヒとロメロ・パルにジャッキー・トノムラが士官室のドアに耳を当てていた。

 それでこの一室にキラが拾ってきた救命ポートから出てきたラクス・クラインが艦上層部と共に入っているのだと理解した。見られなくても、せめてどんな会話をしているのか聞いたみたいと思った。

 

「そ、そうだね。なんかあんまり見かけないタイプだから……」

 

 清楚というか、お淑やかというか、黙って立っていても上流階級の香りがするラクス・クラインという少女はそれほどにキラの好奇心を擽る存在だった。

 

「おいおい、もっと素直なコメントはないのかよ。ぶっちゃけ、キラも可愛いと思ったんだろ?」

「いや、僕は別に……」

「ははは、なんか顔赤いぞ?」

「え!? ほ、ほんと?」

「嘘だよ。そんなことより、聞いてみようぜ。一体なんの話してんのかね」

 

 突っ込んで聞いてくるサイにキラは少し不快に感じた。

 サイらカトウゼミの面々がキラをからかってくるのは珍しいことではないが、ロウの懐の深さと波長の良さ、境遇を理解してくれて褒めてくれたことが普段とは違う心境にさせていた。これがトールならばノリに押し切られたりして受け入れてしまうのだがサイにそこまでの押しの強さは無い。

 

「やっぱり止めとくよ。盗み聞きなんて良くないから」

 

 サイの言うことを聞く気にはなれず、心残りはあれど離れることにした。

 

「おいおい、どうしたんだよ。気になるんだろ?」

「そうだけど、やっぱり…………僕、ちょっと用があるから」

 

 一般論理を当てはめてみれば自分の行動は間違っていないと思えたキラは引き止めようとするサイを振り切って、当初の目的地である食堂に向かった。

 

 

 

 

 

 当の士官室の中の空気はお世辞にも良いものとは言えなかった。

 士官室の中にいるのは艦長のマリュー・ラミアスと副長のナタル・バジルール、ムウ・ラ・フラガにオーブ代表としてミスズ・アマカワ。最後に合流して当時の状況を知るジャンク屋組代表してプロフェッサーが同席していた。

 

「ポットを拾って頂いてありがとうございました。私はラクス・クラインですわ」

「ハロ ハロ!ラクス、ハロー」

「これは友達のハロです」

「ハロハロ。オモエモナー。ハロハロ?」

 

 呑気にペットロボットの自己紹介するラクスに室内にいる全員の溜息が重なった。

 

「このお惚け娘がプラント現最高評議会議長の娘なのよ。笑えるでしょ」

 

 ラクスにベッタリと張り付かれて、見方によって腕を拘束されているように見えるミスズは疲れたように笑いながら笑えないジョークを言った。当然、誰も笑わないし笑えない。

 

「あちゃ……、ドンピシャだったとは」

 

 ピシャリと額を叩いたムウが頭が痛いとばかりに顔の左半分を抱えて深い溜息を漏らした。アークエンジェルはまたもや厄介な荷物を背負ってしまった事が分かるばかりに、溜息も漏らしたくなる。

 

「そんな方が、どうしてこんなところに?」

「私、ユニウス7の追悼慰霊の為の事前調査に来ておりましたの。そうしましたら、地球軍の船と、私共の船が出会ってしまいまして……」

 

 マリューの問いかけにラクスは気落ちしたように肩を落としながら状況を説明する。

 ベッドの上に並んで座りながら腕をラクスに抱えられているミスズが確認するように、入り口近くに立つナタルの反対側で腕を組んでいるプロフェッサーに確認の視線を向けた。

 その視線を室内にいるラクス以外の全員が見て、頷きを返したプロフェッサーにまた溜息が重なった。

 

「臨検するとおっしゃるので、お請けしたのですが地球軍の方々には私共の船の目的が、どうやらお気に障られたようで些細な諍いから船内は酷い揉め事になってしまいましたの。そうしましたら、私は周りの者達にポットで脱出させられたのですわ」

「なんてことを……」

 

 地球連合からしてみればプラント陣営のユニウスセブン追悼慰霊団は気にくわない存在なのだろう。攻撃を加えた理由が理解できてしまった自分に吐き気がしたマリューは続く言葉がなかった。

 あの惨劇の地を見て、その間近で凶行に至れる神経が信じられなかったのだ。

 

「あの後、地球軍の方々も、お気を沈めて静めて下さっていれば良いのですが……」

 

 ラクスの言葉に地球連合の制服を身に纏う自分が責められているようでマリュー達は少女を直視できなかった。

 キラがレッドフレームに戦いを挑んだ理由として攻撃されたばかりでブリッジらしき場所に穴が開いていた船を見てしまったのが理由の一つである。そのことを報告で聞いていたマリューは、ラクスが乗っていた船に生存者がいないことを知っている。微かな希望を胸に抱く少女を目の前にして残酷な真実を言えるはずがなかった。

 彼女が乗ってきた船を沈めたのが同じ地球連合だと知って何も言えなくなった空気を払うようにそれまで黙っていたプロフェッサーが口を開いた。

 

「それにしてもドクター、プラントの歌姫とどこで知り合ったのかしら? あなた昔はともかく今はオーブの人間でしょ」

「付き合い自体は長いわよ。出会ったのもこの子が小さい頃だし。ねぇ、ラクス?」

 

 会話をするプロフェッサーとミスズの関係性も良く解らない。

 元より謎めいたところがあったミスズのこともあるので、このプロフェッサーという明らかに偽名臭い名前の人間にもどんな過去があるのか聞いてみたいような気もしたが藪蛇になりそうなので開きかけた口を閉じたマリューだった。

 

「はい。うちは早くに母を亡くしたので博士が私の子守をしてくれたんです。博士が作ってくれたオカピは今でも現役で動いてくれていますわ」

「オカピって10年以上前に作ったAIロボじゃない。良く背中に乗って遊んでたのに、とっくの昔に壊れていたと思っていたからまだ動いてたことにビックリだわ」

「壊れかけたことがあったのですけれどアスランが治してくれましたの。このハロもアスランが作ってくれたんです」

 

 地球連合側の思惑を無視して私的な会話を始めてしまった二人に、マリューは思わずナタルと顔を見合わせた。

 ナタルは疲れたようにため息を吐いて首を横に振った。首を突っ込みたくは無いらしい。ムウも聞き耳を立てているが同じようで、マリューも下手な藪を突きたくはないので見守ることにした。

 

「へぇ、ペットロボットにしては高性能じゃない。あら、色々とギミックも搭載しているのね。これだとアークエンジェルの電子ロックも解除できそうじゃない。ここは地球軍の軍艦なんだから迂闊に出歩いちゃ駄目よ」

「はい。分かりましたわ」

 

 どこからか取り出した工具でハロの機能を参照しながら言うミスズの言葉に素直に頷くラクスに、マリューはこれでいいのだろうかと疑念を強くした。事前に問題が解消されたことに誰も気がつかなかった。

 取りあえず、最初の問題はドアの外にいる不届き者にナタルに怒鳴らせて追いやることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 マリュー達地球連合の軍人と、プロフェッサーが持ち込んだ積み荷の作業の手伝いに離れたので士官室に残ったのはラクスとミスズだけとなった。

 先程までは明るかったラクスが肩を深く落として俯いている姿を見れば、マリュー達が部屋の様子を見れば驚いたことだろう。彼女はマリュー達の反応から乗っていた船シルバーウィンドが墜とされたことを察していた。

 

「ラクス、大丈夫?」

 

 気遣うように肩に置かれたミスズの手に、ラクスは体を震わせた。

 

「――――大丈夫、です…………」

 

 俯いているラクスは膝に置いていた手がスカートの布を強く握り締めた。感情を表すように膝の手は震えていた。 

 

「馬鹿ね。無理して明るく振る舞わなくてもあなたの安全は私が保証するのに」

「でも、この船も地球軍の船なのでしょ?」

「船だけよ。オーブの人間が多く乗っているし、今のところは軍の命令系統にはないわ」

 

 優しく諭すように言うミスズにラクスは寄りかかろうとはしなかった。

 言葉を信じていないわけではない。信用も信頼もしている。ミスズが言うのなら安全であると確信できるし、身の安全が保障されると安心している。だが、ラクスはそれに甘んじていることは出来ない。

 シルバーウィンドの乗員は誰一人として助からなかった。救命ポートが一つしかなくて助かったのはラクスだけだったが、見方を変えればラクスを犠牲にすれば他の誰かが助かることも出来た。

 

「生きなければならないのです。船の皆様方の犠牲に報いるためにも」

「ラクスがこうやって気負うことを望んではいなかったはずよ。彼らが私達の死を気にしてくださいって言ってた?」

「わたくしの歌が好きだと言ってくれました。生きてほしいと。恨み言も何もありませんでしたわ。でも……」

 

 親が子供に言い聞かせるような言葉にラクスは俯いた顔を上げることは出来ずとも首を横に振った。

 ミスズにとってラクスは正しく子供なのだろう。プラントの歌姫ではなく、評議会議長の娘でもなく、ただのラクス・クラインを見ている。まだ歌姫になる前の、シーゲルが評議会議長になる前の、今のプラントの人間が知らないお転婆だった小さな頃のラクスを知っているミスズに被り慣れた仮面はいらない。

 

「小さい頃から歌は好きだったものね。オカピの背中に乗っていたラクスが歌姫なんて呼ばれるようになんて思いもしなかったわ」

 

 肩に乗せられていた手が反対側に回され、引き寄せられる。頭がミスズの胸元に預けられたのを温もりで感じ取ったラクスの目に涙が浮かんだ。

 

「博士は卑怯です。突然わたくしの前から、プラントからいなくなったのにいてほしい時にいるのですから」

 

 目の端に涙を浮かばせ、唇を尖らせて甘えるように言うラクスの姿を見たら、きっとプラントの人間は我が目を疑うだろう。ミスズは驚きはしない。ミスズの知るラクスは甘えん坊で我儘な、どこにでもいるその辺の小娘と変わらないのだから。

 ミスズは顔の間近にあるラクスの髪の毛を優しく撫でる。

 仕事で忙しく家でも常に緊張感を纏っていた父には甘えることが出来なかった幼きラクスの心を解きほぐした優しい仕草だった。悲しみに沈むラクスの心は癒されていく。生まれて直ぐに母を失ったラクスが知る身近な温もりは卑怯な程に傷ついた心に染み渡る。

 

「知らなかったの? 私は自分勝手なのよ」

「本当にそうですわ」

「ラクスも言うようになったわね。これも成長したってことかしら」

「何時までもわたくしも子供じゃありませんもの」

 

 二人で静かに笑い合う。

 ラクスは現実を受け止めるようにミスズの手を受け入れ、失った命を悼むように瞼を静かに閉じた。

 暫く何時かのように頭を撫でられているとラクスも落ち着きを取り戻してきた。すると、今度は厚かましくも自分の今後が気になる。

 

「わたくしはこれからどうなるのでしょうか?」

 

 今乗っている船は地球連合の戦艦である。嫌な想像だけが膨らんできて、ラクスは顔を上げて近くにあるミスズの顔を見た。

 不安に苛まれたラクスは涙に濡れた瞳でミスズを見たが彼女が悪戯っぽく笑っているのを見て少し呆けた。

 

「大丈夫よ。全て万事抜かりなし。人間万事塞翁が馬ってやつね」

「?」

 

 笑いながら片目を瞑って悪戯そうに言い切るミスズに、言っていることの意味が分からなくてラクスは首を傾げた。

 プラント生まれ、プラント育ちのラクスに地球の一国家の諺が分かるはずもない。首を傾げるミスズは口の中に押し込めたような笑いを漏らす。

 

「分からないのならいいわよ。今頃、プロフェッサーが上手くやっているから気にしなくていい。私に任せておきない」

「分かりました。私の全てを博士に任せます」

「こら、女の子が軽々しくそう言うことを言うもんじゃありません」

「博士を信じていますから」

 

 疑問はあれど、ミスズがここまで自信満々に言ってくれるのだから心配する必要はないとラクスは自らを納得させた。

 会わなかった時間はあっても信頼できると全幅の信頼を込めて言うと、ミスズは子供の成長を目の当たりにした親のように緩く目を細めた。

 

「変わりといってはなんだけど、してもらいたいことがあるのよ」

「なんですか?」

「歌を聞かせて。ラクスの歌を」

 

 ラクスに否と言えるはずもない。今の彼女に出来ることは少ない。その中で歌を唄うことはラクスに出来る数少ないことだった。

 

「ユニウスセブンの、シルバーウィンドの、何よりも傷ついているこの船の人達をあなたの歌で癒してほしい」

 

 頼みながら失った命を悼むように目を伏せたミスズに、アークエンジェルがどのような航海をしてきたかを知らないラクスでも相当な苦難が起こったことは予想がついた。

 柔らかな揺り籠のような温もりを発する腕から抜け出し、立ち上がってベッドに座るミスズに正対する。

 胸に手を当てて一礼。

 

「はい。不肖ラクス・クライン、唄わせて頂きます」

 

 ユニウスセブンを襲った悲劇を、亡くなったシルバーウィンドの乗員の事を、アークエンジェルのこれまでを思って口を開いた。

 歌うは一周年式典で披露するはずだった新曲。観客はたった一人ながらも、向ける先は世界全てへ。

 

「静かな夜に」

 

 亡くなった者達が安らかに眠れるように、今を生きる者達が健やかな世界を歩んで行けるように願ってラクスは歌う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヴェサリウス発進は予定を12時間早めて出航します。搭乗員は12番ゲートより、速やかに乗艦』

 

 まだ出てから一日も経っていない軍事ステーションへと戻ってきたアスラン・ザラは、船の入り口に見覚えのある仮面の男ともう一人が何かを喋っているのが見えた。

 

「クライン議長閣下」

 

 何時も通りの仮面をしたクルーゼと話しているのは珍しいことに、忙しいはずのシーゲル・クラインだった。ザフトのトップである父パトリックならばともかく、シーゲルがクルーゼと話しているのを見るのは初めてだったので声にはありありと驚きがあった。

 シーゲルはアスランを一度見ると、ヴェサリウスに入って行った。まさか航行に同行するとは思えないので艦長であるアデスに用があるのか。残ったクルーゼがアスランを見る。

 

「アスラン、ラクス嬢のことは聞いているな」

「はい。しかし隊長、まさかヴェサリウスが?」

 

 軍事ステーションとヴェサリウスを繋ぐ入り口に手をついて地に足を止めたアスランは信じられぬ面持ちでクルーゼを見る。

 アスランの声を聞き届けてクルーゼが口元を少しだけ笑みの形に歪めた。

 

「おいおい、冷たい男だな君は。無論我々は彼女の捜索に向かい、ラコーニとボルトの隊、技術試験小隊は当初の予定通りに足つきを追う。これはクライン議長直々の命令だ。一介の兵である我らに反抗することは認められていない」

 

 いいから黙って言うことを聞け、と婉曲に言われているのを察してアスランはあまりいい気分ではなかった。

 地球連合の新造戦艦と残ったG、ミゲルを墜としたGに似たモビルスーツの撃墜命令を帯びているクルーゼ隊がやる仕事ではない。キラを救えるのは自分だと信じているからこそ、地球連合の新造戦艦追討任務から外されることは簡単に受け入れられることではなかった。

 

「でも、まだ何かあったと決まったわけでは。ラクスが乗っているのは民間船ですし」

 

 キラとラクスのどちらかが大事かという問題ではない。地球圏で最も発展した技術力を持ち、コーディネイターが動かす船が事故に合うとは考え難く、軍が民間機を攻撃する理由もない。アスランの根底にあるのはそこだった。そもそもクルーゼ隊は戦闘部隊である。諜報や偵察、捜索は出来ないとまでは言わないが専門にしている部隊に比べれば遥かに劣る。

 アスランの言葉にクルーゼは近づき、耳元で囁くように口を開いた。その口元はアスランには見えなかったが確かに愉悦の色があった。

 

「まだ公表はされてないが、既に捜索に向かったユン・ロー隊の偵察型ジンが撃墜されたシルバーウィンドを発見している。乗組員は全員死亡していたそうだ」

「なっ…!? では、ラクスは!?」

 

 告げられる報告にアスランの頭の中は一瞬で真っ白になった。思わず目の前にいるのが上官であることも忘れて掴みかかる。

 花畑の中で歌っているラクスの姿が頭を過る。

 誰からも愛されて、幸せになるべき少女。アスランが幸せにしなければならない人だった。

 

(だった?)

 

 知らずに過去形にしてしまっている自分が信じられなくて掴みかかっていたクルーゼから離れる。反動で壁に背中を打ち付けてもアスランは気にならなかった。もっと別のことが気になっていたからだ。

 頭の中が動揺し過ぎて逆に平坦になり、次に出た言葉は信じられないほど無感情だった。

 

「ラクスは死んだのですか?」

 

 ギョッ、とシーゲルの護衛らしき銃を持ったMPがアスランの聞き咎めて目を剥いた。

 誰がシルバーウィンドを撃墜したかは横に置いておいて、今はシルバーウィンドに乗っていたラクスの安否が心配だった。今のアスランに常識は存在しない。

 クルーゼはアスランの変容やMPの驚きすらも楽しげなものだと言わんばかりに唇の端を笑みの形にしながら、笑みを見られないように手で口元を隠しながら沈鬱そうに首を横に振った。

 

「分からん。シルバーウィンドには救命ポットが一つだけ搭載されている。それに乗って脱出してくれていればいいが」

 

 確証もなく、小さすぎる希望だった。

 重い事実を前にして、アスランは絶望して顔を上げることが出来なかった。

 

「希望的観測であることは分かっている。が、我らの任務は脱出したと思われるラクス・クライン嬢の救出に変更された。ユニウス7は地球の引力に引かれ、今はデブリ帯の中にある。嫌な位置なのだよ。ガモフはアルテミスで足つきをロストしたままだ」

「まさか…………隊長は足つきが彼女のポットを回収したと?」

「可能性の一つではある。どちらにせよ、クライン嬢とアスランは婚約者同士なのだろう? 休暇している場合でもあるまい」

「あ、ですが……」

 

 アスランとて本音で言えば自分の手でラクスの捜索を行いたい。だが、ザフトはプラントの民の為の軍隊である。一個人の望みで部隊を動かすなどあってはならない。例えそれがプラントの歌姫であり、最高評議会議長の娘であってもだ。

 婚約者であるといってもザフトの兵であるアスランはクルーゼの問いかけに答える言葉を持っていなかった。

 固まってしまったアスランの下へ、ヴェサリウス内部から戻ってきたシーゲルがやってくる。

 

「アデス艦長には伝えた。クルーゼ隊長もよろしく頼む」

「はっ! お任せ下さい、クライン議長閣下」

 

 敬礼するクルーゼ。アスランの与り知らぬところで何かが動いていた。

 シーゲルは次いでアスランを見た。

 

「すまない、アスラン君。議長が私情に走るのは分かっている。無理を承知で娘をどうか頼む」

 

 問答無用に身体の横に垂らされていた右手を取られ、きつく握り締められる。

 目の前でアスランの手を強く握っているのは、尊敬される人物でも、プラント最高評議会議長でもない。ラクス・クラインの父親であるシーゲル・クラインである実感が襲い掛かって来て、頷かずにはいられない。

 

「分かりました。このアスラン・ザラ、微力ながら力を尽くさせて頂きます」

 

 頭を下げて痛いほど手を握って来る震える背中を見下ろすアスランに他に何が言えよう。キラが遠ざかっていくのを承知の上でシーゲルの頼みを受け入れることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスランが乗るヴェサリウスがプラントを立つ数時間前。地球の温暖な気候の地域にある中世ヨーロッパのような宮殿に一人の男が招かれていた。

 

「だからね。この仕事をあなたに頼みたいのよ。ジェス・リブルにね」

 

 宮殿の主である男――――マティアスは招いたジェス・リブルを見ながら、手に持っている高級すぎて一般人には実用性がなさそうなコップを置いた。

 主に相対するジェスは女性のようなシナを作るマティアスに若干引き気味になりながらも、他人に考えを読ませない瞳を注視しながら慣れない高級な椅子にもぞつく。

 マティアスと同じ種類のコップに紅茶が入っているが口を付ける気になれず、台の上に置きっぱなしであった。

 

「ターゲットはプラントから地球に下ろされるザフトの実験機と現地の取材。危険な物になるけれどあなた以外には頼めないわ。野次馬バカと呼ばれるジェス以外にはね」

 

 マティアスの胸の前に上げた右手の小指と人差し指を立てるのはどういう意図を示しているのか、さっぱり分からないのだが野次馬バカと言われたジェスは言われ慣れている異名に怒ったりもせず胸の前で腕を組んだ。

 ジェスは腕を組んで自らの着古し過ぎてボロボロと形容した方が正しい服が目に入って、悩みながらもマティアスの提案に心の天秤が急速に傾く。

 

「渡航費といった掛かる費用は全てこちらで用意するわ。報酬とはまた別にね」

「う~ん」

 

 条件はとても良いのだが即答出来ない自分に悩んでいた。

 

「あら、不服なの?」

「そういうんじゃない」

 

 全てお見通しといった様子のマティアスに反骨心が浮かび上がって来ないわけではない。咄嗟に口に出た言葉だが力はない。

 

「マティアスには何時も感謝してる。仕事をくれたり、食事をくれたり、感謝してもしきれない。今、俺が生きているのはマティアスのお蔭だ」

「行き倒れていたところを助けたものね」

 

 改めて頭を下げて感謝するジェスに、マティアスは当時のことを思い出したのか口元を手で隠しながら上品に笑う。

 相変わらず男とは思えない女性口調と仕草だがジェスはそれも個性だと気にしなかった。そういうところがマティアスに好まれていると知りもしないジェスである。

 

「もっと周りに合わせれば楽に生きられるのに」

 

 マティアスはジェスの着古してボロボロと言っても差し支えない服を見て素直に思った。

 フリーのジャーナリストをやっていて、野次馬バカなんて異名が付くほどにあちこちに首を出し過ぎて業界で干されているジェスに回って来る仕事はかなり少ない。

 商売柄、カメラなどの機材は常に最高の状態にしているが扱うべき体の方が疎かになってしまっている。正直に言えば食べるのにも困るほどだった。マティアスがいなければとっくの昔にジェスは野垂れ死んでいたことだろう。

 

「出来てたら行き倒れなんかしない。俺は俺の信条を変えるなんて出来ない」

 

 年齢不詳のマティアスの忠告に、しかしジェスは拳を胸に当てて胸を張る。

 

「でも、スクープは欲しいんでしょ?」

「俺はスクープが欲しんじゃない。世界に自分の目で見た真実を伝えたいだけだ」

「立派ね。不器用な生き方だけど、そういうとこ好きよ」

 

 惚れてしまいそうだわ、と上機嫌に流し目を送ってくるマティアスに、以前の取材で男に尻の穴を狙われたことがあるジェスは冷や汗を流しながら手を後ろに回して一生誰にも上げる気のない貞操を守った。

 先程の勇ましいところから一転して気弱になったジェスに感じる物があったのか、マティアスは目の奥に熱い物を滲ませる。

 しかし、次の瞬間には一瞬でそれを消して仕事モードに入る。

 

「詳細な内容は紙面に起こしてあるから後で渡すわ。取りあえず先に風呂に入ってきなさいな。汚れが酷いわよ、匂いも」

「そうか?」

 

 相変わらずの切り替えの早さに困惑しながらもジェスは自分の服を嗅いでみた。

 見慣れ過ぎて当たり前に思えるのだが、宮殿と言えるレベルで清潔なのが当たり前な場所にいると自分がひどく薄汚れていることに気がついた。そんな汚れた服でジェスが一生普通に働いても買えなさそうな椅子に座っていることが不味い事であることに今更ながらに気がついて立ち上がる。

 振り返って椅子を見ればなんの材質かも分からない椅子に汚れがポツポツと付いている。ジェスは顔から血の気が引いていくのを感じた。

 

「洗えば取れるんだから気にしなくていいわよ」

「いいのか?」

「湯を沸かしてあるから、いいから風呂に入って来なさい。替えの服も用意してあるから」

 

 一人でコントをするジェスがおかしくて仕方ないといった様子で笑いながらマティアスは後ろに控えていたごっつい黒服の男に合図をする。

 

「ジェス様、こちらです」

 

 黒服に促されるまま、ジェスは椅子の横に置かれているコップが置いてある台の上にあるカメラを手に取って部屋を出て行く。

 部屋を出て行くジェスの背中の見送ったマティアスは、台の上に置いてある紅茶を一口飲んで、また置く。

 次いで視線をジェスが出て行ったのとは違う扉に向ける。

 マティアスが視線を向けた先は、隣の部屋と繋ぐ扉でジェスが出て行ったのと比べると一人用である。その扉が開いた。

 

「奴で本当に大丈夫なのか、マティアス」

 

 扉を開けて部屋に入ってきたのは綺麗に整えられた顎髭を持つ、20代半ば程の長身の男である。

 前髪を上げて後ろだけ長い長髪を首の後ろで縛って、パリッとしたスーツを着こなしている。鋭い目つきをしているが粗暴さとは無縁の、ナンパな男といった雰囲気を醸し出していた。

 男の本質が戦士であり、ナンパな男という雰囲気が仮面であることをマティアスは知っている。

 

「大丈夫よ、彼は。心配かしらカイト・マディガン?」

「戦地に行ったりしたら真っ先に死ぬタイプに見えれば、見目麗しい女性でなくても少しぐらいは気にもする。直ぐ近くで見た奴が死ぬと分かっていて止めないのは目覚めが悪い」

 

 自信満々に答えるマティアスにカイトは尚も懐疑的な視線を向けていたが、目の前の女性口調の男が一度決めたことを覆すことがないことを重々承知しているのでそれ以上の突っ込みはしなかった。

 

「で、俺を呼んでわざわざこんな回りくどいことをするってことは奴の護衛が次の依頼か?」

 

 カイトは、わざわざ隣室に待機させて話を聞かせたことからマティアスの意図を推測すると最も可能性の高いのを口にした。

 マティアスは近くまで歩み寄って来たカイトに笑みを向けながら否定も肯定もしなかった。胸元に手を伸ばしてポケットに入れていた写真を取り出し、カイトに向かって投げた。

 回転しながら向かってくる写真をカイトは無造作に上げた手で掴み取る。大して注視もせずに、最初からあるべき場所に定まったような写真を見る。

 

「へぇ、美人じゃないか。俺の好みだ」

 

 写真に写る女を見たカイトは口笛を吹きそうなほど上機嫌になる。

 カイトの視線の先の写真には、最低限だけで化粧気の薄い白衣を纏った女が映っていた。くすんだ金髪を無造作に伸ばして首の後ろで結び、鼻の上に実用性があるとは思えない小さすぎる丸眼鏡をかけているがそれがまたカイトの琴線を刺激してくる。

 

「彼女の護衛があなたへの依頼よ」

「喜んで依頼を受けよう。で、彼女はどこに?」

 

 詳細も聞かずに依頼を引き受けて自他共に女好きであるカイトの豹変に苦笑しながらもマティアスは指を上に向けた。

 天井に向けられた指先にカイトが頭を捻るのを見ながらマティアスはゆっくりと口を開いた。

 

「宇宙よ」

 

 年齢不詳、立場不詳のマティアスは自身の目論見の為に人を動かし続ける。

 

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