泊地物語   作:まるあ

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恐怖

 陽炎型駆逐艦十九番艦、秋雲は絵が好きだった。

 果たして何で絵が好きなのか、自分でも分からないくらい絵が好きだった。

 絵を見るのも好きだし、描くのも好きであった。水彩画も好きだし油絵も好きだった。線画も、漫画も、アニメも好きだった。

 絵は自由だ。秋雲は常々そう思う。言葉に限界があっても絵だったら表現できる。秋雲はそう思っていた、思い込んでいた。

 秋雲が真っ白なキャンバスを目の前にして目に浮かぶのは炎上し沈みゆく空母であった。米空母ホーネット。艦娘としての秋雲は見たことがない光景だが、軍艦としての秋雲は見たことがある光景だった。

 夜の闇に、探照灯に照らされて燃える空母。敵ながら悲哀を感じさせる、それでも美しい光景であったことは確かである。

 あるいは、あの時の妖しい美しさを、どうにかしてキャンバスに描きたいだけなのかもしれなかった。

「ま、舞ちゃんよりは幸せなんだろうねぇ」

 秋雲のすぐ上の姉にあたる舞風はかつて軍艦だった時に、僚艦であり護衛対象の空母を自ら雷撃処分した経歴を持つ。同じ空母がらみとはいえ、こうも差がある思い出が作られてしまったわけである。

 秋雲は実際に紙やキャンバスに絵を描くことも好んだが、本土から離れた現在の任地では具材を手に入れるのもままならない。それに、限られたスペースでは絵を保管することも難しい。そのため、今では液晶タブレットにデスクトップパソコンを使って描くことが多い。

 最近アナログに描いたことと言えば、舞風が着任してきた時に、久しぶりに舞風を水彩画に描いて、それを彼女にあげたくらいである。ちなみに、その絵を彼女は早速野分との共同部屋に飾ったらしい。

 第四艦隊に配属されて以降、艤装をつけていた時間とペンを握っていた時間の比率が逆転した。大本営も敵も北方海域と南方海域に集中しており、秋雲たちのいる中部海域は至って平和であった。潜水艦でさえ見かけないのだから、大したものである。

 だから、秋雲としては絵を描いたり構図を練ったりあるいは練習したり艦隊の他の子とおしゃべりしたりあるいは外に出かけて体を動かしたりと、有意義な生活を送っていた。娯楽は少ないが少なければ見つければよい。秋雲はそのように思っていた。

 もっとも、時々不安にならないでもなかった。第四艦隊に主力艦を加えて敵の中枢を直撃することだって、あるいは可能かもしれないのに、大本営は全くそのようなそぶりを見せない。いかんせん、北方でも南方でも戦線は膠着状態にある。なれば敵だろうが味方だろうが中部海域に目をつけてもおかしくなかった。この海域を突破し敵の中枢を衝く、そのようなことが思いつかないわけではあるまい。

 第四艦隊司令長官代理の陽炎はよく、大本営に忘れ去られた艦隊という表現をする。秋雲の見解は異なっていて、大本営のみならず敵の司令部にも忘れ去られた艦隊なのである。

 たまに恐怖に思うのは、実はこの島以外では戦争は終わっていて、というよりも敵も味方も実は全滅したのではないか、という妄想であった。とはいえ、それは妄想にしか過ぎない。定期的に軍は補給物資を持ってきてくれるのだ。

 恐怖は、しかし、理性で抑えきれないから恐怖なのだ。だから、秋雲は机に向かい絵を描き、第四艦隊の姉妹たちと語らい、何か楽しいことをしようとする。たとえそれが軽薄そうに見えたとしても。

 なぜならそれ以外恐怖を紛らわす手段がないからである。

 

「えーっ、ついこの前まで第一航空艦隊にいたけど戦争してたよ?」

 秋雲は軽薄そうに、あるいは冗談めかして、自分の恐怖を舞風に語った。それに対して舞風は、不思議そうに、それでも笑顔を浮かべて答えた。

「そうだよねー、いやぁ、うちら暇してるから本土はどうなのかなーって」

「あははー、そうだよね、ここ暇だもんねー」

 とはいえ、秋雲の恐怖は舞風の証言によっても晴れることはなかった。別に舞風が嘘をついているとかそのようなことを疑っているわけではない。理性では自身の恐怖がたわいもない、どうしようもない、つまらない、取るに足らないことだということが分かっている。だが、感情がその思いにふたをする。もはや秋雲自身でも他の人に説明するのが不可能なくらい深く根差した恐怖であった。

 普段軽薄そうな振る舞いをしているから、余計恐怖におびえていることを他人に理解してもらうことは難しいだろう。だが、軽薄そうに振る舞うのはまさにそれを狙ってのことでもある。

 絵を描くということは表現することだ。表現するということは表現したいものがあるということだ。表現したいものがあるということは、その実、深く考えているということだ。

 少なくとも、秋雲はそう思っていた。つまり、自分で言うのもおこがましいが、秋雲は自分で様々なことに思いを巡らせ、いらぬ分まで考えていると思っている。それが情緒的なものなのか、あるいは理性によるものなのかまで彼女では判断がつかないが、とにかく、何かを伝えたいという思いとそれを支える考えるという営為によって彼女は今彼女自身を捉えて離さない恐怖が生まれていると考えていた。

 だが、そのようなことを気取られても何も面白くない。だから、秋雲はわざと軽薄そうに振る舞うのである。

「しっかし誰かに相談できることかねぇ」

 秋雲は悩んでいた。あるいは誰かに話したらすっきりするかもしれないと思ったのである。だが、誰にすればいいのか分からない。場合によっては一笑に付されるものかもしれない。

 第四艦隊に所属する姉たちの顔を秋雲は思い浮かべた。まず、雪風と舞風は除外される。彼女たちはそもそも深刻な話を真面目に聞けるような性格ではない。

 それでは野分はどうか。野分は真面目な性格をしているが、それだけに変に気をもみかねない。それは避けたかった。

 すると、残るのは陽炎、不知火、黒潮という陽炎型の中でも姉の役割を担っている人たちだった。この中であれば誰に相談しても性格には問題ないであろう。それなりに真面目に話を聞いてくれるだろうし、一緒に考えてくれるかもしれない。だが、それで我がことのように気に病んだりはせず、もっと新しい観点から助言をくれるかもしれなかった。

 そうすると、誰に相談しやすいか、という問題になる。不知火は少しおっかない雰囲気があって相談しづらいというのが秋雲の感想であった。陽炎と黒潮の二択というと、やはり陽炎かな、と思うあたり、陽炎型の長女の存在感はゆるぎないようであった。

 

「面白いこと考えてるのね」

 やはり冗談めかして、しかしそれで少しは悩んでいるということが伝わるように秋雲は陽炎に自分の恐怖を伝えた。深刻ぶっても面白くないし、かといって悩んでいることが伝わらなければ意味がない。

「姉貴はどう思う?」

「要するに戦いたいんでしょ?」

 あっけらかんとした陽炎の言い方に、秋雲は少々驚いた。そもそも自分は戦闘などはまっぴらごめんだし、戦場に駆り出される時間があれば絵を描いていたいと頭から信じていた。それと真っ向から対立するようなことを何のためらいもなく、何の重みもなく言われてしまえば、面食らうにきまっていた。

「いや、それはどうなんだろ…」

「秋雲、私たちは艦娘、戦争のために生まれたのよ。心の奥底では戦争を渇しているの、誰であれね」

 戦争。彼女たちはそれしか知らない。

「誰であれ…?」

「そうよ。私たちのふるさとは戦場だもの。大海原と、戦場こそが私たちの故郷であり、住み処であるの」

 陽炎はなんでもないように言う。おそらく、彼女は戦争を欲してやまない自分の心と折り合いをつけようと努力しているのであろう。いくら栄達したとはいえ、閑職に回され、戦場を渇する彼女の心はどのように揺れ動くのだろうか。

「大丈夫よ、秋雲」

「何がだよ」

 秋雲は陽炎の表情を見てはっとした。一見して穏やかに微笑んでいるだけに見える長姉だが、その内面には普段の彼女が見せない、闘争心がみなぎった凄惨な笑みを浮かべている。

 秋雲はぞくっとした。幸い、もしくは不幸なことに、秋雲は陽炎と肩を並べて戦場を駆けたことはない。だから、陽炎が戦場でどのような表情を見せるのか知らなかった。だが、今となっては容易に想像がつく。今の笑顔にもっと闘争心と殺意を上乗せした、美しくも恐ろしい笑みを浮かべるのだろう。

「第四艦隊が戦場に駆り出される日も近いわ。詳しいことはまだ話せないけど、ね」

「…中部海域が戦場になるのかい?」

「そうとも限らないわ」

 陽炎は司令机の後ろに貼ってある海図を振り返った。

「中部海域は要衝よ。しかし、ここはおそらくまだ戦場にならないわ」

「それじゃ…」

 秋雲は陽炎が指差したポイントを見て目を丸くした。

「本土付近の自由海域じゃないか…」

 自由海域とは民間船が好き勝手に航行しても良い海域であり、軍によって安全が保証された海域のことであった。そこが戦場になるということはつまり、劣勢を意味する。それも、かなり厳しい戦いとなっているのだろう。

「もしくは、ここね」

 陽炎は首都を目前とする湾を指差した。

「いや、んなバカな」

 陽炎が言いたいのは、おそらく遠からぬうちに北方海域か南方海域の戦線に大きな動きが起こり、防衛戦を突破され首都を強襲される恐れがあることであろう、少なくとも秋雲はそう解釈した。

「ま、そこまで確率は高くないとおもうけどね」

「そりゃそうだろ…。『大海嘯』以来だぞそこまで来られたら」

「ま、そんなわけだからつかの間の安逸を楽しみましょ」

 いつの間にか、陽炎はいつもの陽炎に戻っていた。

「…姉貴はどうなんだ?安逸を楽しんでいられるのか?」

 陽炎は予想外の質問だったらしく、一瞬きょとんとしていた。だが、すぐににやりと笑った。

「なんで中部海域が安穏としているか、知ってる?」

「いや?」

 秋雲にとってはそれは謎であった。

 大本営も、敵も、何故中部海域を突破しようとしないのか。

「私がいるからよ」

 自信満々につぶやいた陽炎に、虚言の影はどこにもなかった。

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