泊地物語   作:まるあ

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幸運

 雪風は奇跡の駆逐艦と呼ばれる。かつての戦において、激戦を駆け抜けながらもほぼ無傷で生き残った艦として、強運の持ち主であると言われる。だが、結局、戦争には敗北し、復員船として、外地の人たちを祖国に送り届けた後、外国に賠償として譲渡された経歴があった。

「ふんふんふふふん」

 しかし、雪風はそのようなことをおくびにも出さずに、心から楽しそうに日々を過ごしていた。同じ境遇を経た駆逐艦響との違いはそこにある。響は時折哀愁を帯びた表情で北を眺めるのであった。彼女が哀惜するのは自身の不幸か二つ目の祖国の滅亡なのかを知るのは響自身しかいなかった。

 一方の雪風はまったくと言っていいほど、悲嘆もせず楽しそうに暮らしている。かつての境遇のことに話題が行くことも、特にその時代を生きなかった人間を相手にした会話では良くあった話である。だが、その時もなお、雪風は心底楽しそうにかつてのことを話すのであった。彼女が唯一悲しそうにするのは自分より先に逝った戦友たちの話をする時である。しかし、その戦友たちは今もまた共に肩を並べて戦う相手なのだから、特に大きな悲哀はない。

「雪風は今度こそ艦隊のみなさんをお守りするのです!」

 雪風はいつもにこにこしながらそのようなことを言う。かつては守り切れなかった、そして生き残ってしまった自分に悔いがあるのかないのか外からでは分からない。そして、守り切れなかった彼女はかつての敵国の軍艦として、第二の人生を歩むことになったのである。

 丹陽。生まれ変わった雪風の、かつての名前だった。しかし、彼女はその時、ただの駆逐艦ではなかった。

 総旗艦。一時は五大国の一角の総旗艦を務めたものの、実質的にその国は一つの島を中心とする小国となってしまった。二度の敗戦を経験し、祖国の亡国を見つめながらも、大陸との小さな海峡を守り続け、ついにはその海を守り切り、そして沈んだのであった。

 そして、彼女は今でもそれが誇りであり、アイデンティティであった。

 

 泊地にある図書室には少なからぬ隣国の書籍があった。全て雪風が読もうと思って発注したものである。彼の国の歴史に関する本が主であった。なぜ二度も敗戦してしまったのか、なぜ自分は守り切れなかったのか、雪風は時々そのことを考えると夜も眠れなくなってしまう。

 一度目の敗戦は、海軍主体の敗戦であったとはいえ、雪風は単なる駆逐艦である。戦争の趨勢を左右するだけの力はとてもではないがなかった。だが、二度目の敗戦はその国の主力としての敗戦である。戦争の勝敗は陸上でついたとはいえ、歯がゆい思いに蓋はできない。

 反攻を夢見、ついには実現できなかった。指導者として本国への帰還を誰よりも渇望した将軍は、しかしその思いを形にすることなく死んでしまった。雪風は、あるいは丹陽は、反攻を手助けすることもできなかった。

 歴史を紐解けば、雪風の第二の祖国も、それを追い出した国も、共に無茶なことをやっていることが分かる。スケールは違えど同じ穴の狢だと思わないでもない。だが、歴史上の汚点といえば間違いなく、敵国の方が汚点を残した。それでもなぜ反攻は実現せず、無念をかみしめなければならなかったのだろうか。

 多くの者を看取ってきたのである。

「雪風姉、何してるの?」

 本を開いたままぼうっとしていた雪風に、後ろから舞風が声をかけた。活発な彼女が図書室にいることは珍しい。

「いえ、ちょっとぼけっとしてただけです。舞風さんこそ珍しいですね」

「この前頼んだ踊りの振り付けの教本が届いたんだよねー」

 雪風はたまに、彼女の頭の中には野分と踊りのことしかないのではないか、と思う。この前、一緒に釣りに行った時も、彼女が口を開いたかと思えば野分の話か踊りの話、そしてちょっぴり魚の話をしていた。

 もちろん、それが悪いとは雪風は思っていない。ただ、野分と二人きりの時は何を話すのか、少し興味がわくくらいである。

「舞風さんは踊るのが大好きですね」

「ダンスは人生だよ。雪風姉も踊ってみる?」

「いえ。踊りは戦場だけにしておきます」

 雪風の脅威の回避力のことを指して舞を舞っているかのようだという評論もある。

 言ってから、雪風はしまった、と思った。舞風はかつて、その名に反して、舞えない状況で沈んでいったのである。最期まで勇敢にたたかいながら、舞うことさえ許されずに沈んでいったことを思い出せば、舞風がなぜ踊りにこだわるのかも分かるし、自分の発言が迂闊であったことにも気づく。

 だが、当の舞風は特に気にした様子もなく「そっかー」と笑っていた。それに、雪風はほっと胸をなでおろす。

 よくよく考えれば、この妹は明るい性格の割につらい過去を背負っているのだ。その最期に限らずとも。

「雪風姉はまた外国の本を読んでるんだね」

「私にとっては第二の母国語ですから、読みやすいんですよ」

「いいなぁバイリンガル」

 言ってから、無神経だったと思ったのか、舞風はおそるおそる雪風の顔を覗き込む。

「世界が広がります」

 優しく微笑む雪風に対して、舞風はほっとしたようだった。

 これでおあいこ。雪風は勝手にそう決め付けた。

「そんじゃ、雪風姉、またあとでね」

 本棚に向かおうとした舞風の背中に、ふと雪風は問いかけた。

「舞風さんは、生きるって何だと思いますか」

 突然の問いかけに、舞風は一瞬真面目な表情を浮かべた。しかし、すぐにいつもの明るい表情を取り戻す。

「舞い続けること、かな」

 

生きるとは舞い続けること。舞風はまた難しいことを言ってくれたと雪風は思う。結局その裏にある真意を、雪風は聞くことはできなかった。

 雪風にとって、生きることというのは同時に幸運に恵まれることであった。かつての戦争で激戦から何度も帰還したからこそ、そのような見解に陥ってしまうのかもしれない。奇跡とも死神とも言われる彼女は、徹底的に運に恵まれていた。

 多くの仲間に目の前で逝かれた。彼女たちの死をその目にやきつけて、それでも帰還した。その時の気持ちは今でも忘れないと言ったら嘘になるだろう。その時は物言わぬ鉄の塊であったのだから。

 むしろ今、その光景が脳裡に浮かび、そして、胸を張り裂くような思いにとらわれるのだ。

「で、雪風、用は何かしら?」

 雪風は気がついたら長官室に入っていた。艦隊司令長官代理の陽炎が執務を行う場所である。とはいっても、ほとんど仕事がないこの艦隊のことで、陽炎は椅子に座って本を読んでいた。

 雪風は陽炎に問いかけることはできなかった。舞風の時とは違い、ふと思いついたような問い方はできない。わざわざ長官室に行くという労力を払ったのだ。

「黙ってても分からないわよ。何か気に病んでることがあるなら、早く言っちゃいなさい」

 雪風は普段から明るく、言ってみれば小動物的に振る舞うよう心がけていた。だから、気に病んでいることを指摘された時、素直に驚いた。自分が明るく振る舞うだけの余裕がないのか、あるいは陽炎が鋭いだけなのか。

「陽炎さんにとって生きるってなんですか?」

「難しいことを聞くのね」

 陽炎は苦笑した。

「そうね、一言では言えないわ。海を駆けるときも、妹たちとおしゃべりする時も、おいしいものを食べる時も、戦っている時も、ずっと生きてるもの」

 陽炎は駆逐隊に毛が生えたようなものとはいえ、一個艦隊の指揮を任されている。その彼女が挙げたのは、普通の艦娘が考えるだろうそれと大きく異ならなかった。

「舞風さんは、舞い続けることだって言ったんです。それの意味も分からない。私は、雪風は、幸運の結果生きています。だから、雪風にとって生きるということは幸運であり、生かされているということで、しかも大きな運命には無力なのです」

 舞風のように主体的なものを生の実感に挙げることはできない。一方で、陽炎のように取りとめもない日常を、あるいは仲間の死を見続けた戦場を、生の実感と感じることもない。

「…そうね。あなたは二度の敗戦を経験して、それでもなお懸命に時代を駆け抜けたものね。想像を絶するわ」

 私は一度も敗戦を経験してないもの、と陽炎は静かに付け加えた。彼女は敗戦を経験する前に、早々に沈んでいったのである。

「私はそれでも二つの祖国のために戦ったことを誇りに思っています。でも、目の前で僚艦が沈んでいった悲しさと、将軍を乗せ海峡を渡りちっぽけな島に逃げださざるを得なかった悔しさは今でも思い出します」

 ぎっと歯をかみしめながら、雪風は自分の胸倉を握りしめる。思い出すだけでも、その二つの感情は、身を引き裂く。

「総旗艦として、国家の主席たる将軍を乗せるなら、もっと晴れがましいときに乗せたかった」

「…そうね」

 例えば高速戦艦比叡などは一時期御召艦として使われていた関係で、大元帥陛下や隣国の皇帝陛下などを乗せ航海を行った経験がある。雪風も、敗走ではなく、そのような栄えあることを行いたかったのであろう。

「…雪風、舞風にとって舞い続けるっていうのは沈まないってことだと思うの。彼女の最期は舞うことすら許されないものだったから」

 沈まなければ生きている。艦娘にとってはごく当たり前の方程式だ。舞風はそれを強烈に心に刻んでいるのかもしれない。

「雪風、誇りと悲しさと悔しさから逃れられることは、また海の底で深い眠りにつくその時までついにないと思うわ。それはどうしようもなくあなたのものだから」

 いくら身を焦がすような思いであったとしても、それから逃れることはできない。それはその通りなのかもしれない。確かに、雪風は、その思いを手放したくはなかった。それこそが彼女を形作る、根幹的で重要なものだったから、それを手放したとたん、自分が自分でなくなるような気分さえある。

「でもね、雪風、あなたは孤独じゃないの。今は、かつて先に沈んだ姉も妹もたくさんいるんだし、戦友だっていっぱいいるの。どうしようもないくらいあなたと共にあるその思いも、孤独じゃないと思うだけで少しは和らぐんじゃないかしら」

 雪風はこくんと頷く。かつて沈んでいった仲間たちは今は共に肩を並べる戦友だ。かつて自分を置いて先に逝ってしまった姉妹たちは今は傍らで微笑んでくれる。

「ね?だから気に病むことはないのよ。あなたはむしろ自身の幸運を誇りなさい。身の不運を嘆くよりずっといいわ」

 やはり陽炎にはかなわない、と雪風は思う。紛うことなき陽炎型の長女。海軍の英雄。艦娘唯一の中将、すなわち頂点。

「艦隊をお守りしているのは雪風ではなく陽炎さんかもしれません」

「やーね、買いかぶり過ぎよ」

 陽炎は苦笑する。

「私がやっていることと言えばここに座って書類を決裁して情報を集めることくらいよ」

「それでも、陽炎さんがいるからこの艦隊は機能すると思うんです」

 結局、雪風の姉妹たちは陽炎に対して心理的に依存しているのかもしれない。陽炎に相談することで、ふわっと心が軽くなった雪風は、だから陽炎がこの艦隊を守っていると発言したのである。それは、表面以上に彼女にとって重い意味を持っていた。彼女が望み、しかし果たせなかったことを、他の艦娘ができているということを表すものだから。

「多分それと同じくらいあなたも重要よ。あなたが我が艦隊に幸運を引きよせているもの」

 陽炎は優しく微笑んだ。つられて、雪風も小さく笑った。

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