泊地物語   作:まるあ

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大海嘯

 

 陽炎は夢を見る。彼女が経験したかつての戦場の夢を見る。赤く燃え上がる炎、黒く流れ出る重油、物言わぬ鉄屑が海面に浮かびあるいは沈み、空に浮かぶ満月は真っ赤に見える。

 思い出したくないものを思い出してしまう。彼女にとって、夢は記憶の反芻作業だ。かつては前世での、軍艦としての記憶を辿るような夢を見ていたが、いつの間にか橙色の夢を見るようになってしまった。

「陽炎、電報です」

 平文ではなく暗号化されて送られてくるメールのことを、不知火は電報と称していた。暗号を解読し、平文にするのは参謀長代理である彼女の仕事だ。

「誰から?」

「次官どのです」

 ふぅん、と陽炎は不知火が訳したメールを一瞥する。海軍次官から個人的に第四艦隊司令部に送られるメールは独自の暗号表が使われており、解読することは海軍次官と陽炎、そして不知火を除くと誰もできない。

 海軍次官は陽炎の前任の第四艦隊司令長官であり、陽炎が尊敬していた上官である。海軍大臣に次ぐ、海軍省ナンバーツーの要職を占める彼は、まさに海軍の要の一人ということができた。

「なんてことはない、定期連絡ね」

「しかし、第二艦隊の動きなどに若干ひっかかるところがあります」

「…まぁいつも通りよ。私たちが変な動きをするわけにはいかないもの」

 第二艦隊は最精鋭集団である。帝都の最後の護りである第一艦隊が防御を主眼としたものであるとすれば、第二艦隊は最前線で攻勢を取るための戦略単位であり、優秀な艦が存在していることで有名だった。

「…陽炎は随分丸くなりました。昔は直情径行、良くも悪くも行動が思考よりも先に来ていたものです」

「守るべきものが多いもの。どうしても保守的になるわ」

 艦隊、妹たち、陽炎が守るべきものはたくさんある。かつての、考えなしだったころとは違うのである。

 いつから変わったのだろうか。陽炎には分からない。

「別に丸いことが悪いことだとは言っていません。陽炎の実力からすればむしろ当然です。あまりにも強い力が暴れまわっていたら大変なことになります」

「そんなにすごくないわよ」

「…次官どのの電報をきちんと読みました?」

「みんな買いかぶりすぎなのよ。嫌じゃない、あんな可愛くない二つ名」

「狂犬だの黒豹だの、可愛くないあだ名がついている娘はいますよ」

「それだって動物じゃない」

「それはそうですが…」

 次官から送られてきたメールには海軍中枢の空気についても触れられている。第四艦隊が第四艦隊として、平和を享受できる理由が未だに崩れていないことを示していた。

「ほんと失礼しちゃうわ。私のことを言う時には決まって名前じゃなくて橙色の、で済ませるなんて」

 陽炎の持つオレンジ色の髪の毛は彼女のトレードマークになっていた。海軍において橙色といえば陽炎を差すくらいに。

「怖いのですよ、人間の将校たちは。あなたがその気になれば彼らの権威など砂上の楼閣に等しいわけですから」

「私一人でどうなるっていうのよ。我が海軍には虎の子第二艦隊に最後の護りである第一艦隊まで揃っているのよ」

 やれやれ、と不知火は首を横に振る。

「その第二艦隊が無残に敗退し、第一艦隊も潰走した大海嘯に、たった一人をして退けたとあれば、そりゃ海軍上層部は警戒しますよ。手放せないけど恐ろしいってね」

「…あの時はあんたも黒潮もいたわ」

「実質的に陽炎一人でしか戦っていません」

 陽炎は長々とため息をついた。

 橙色の夢。それこそが大海嘯、彼女が栄達した理由である。

 

 舞風は暇を持て余していた。親友の野分の艤装の主機の調子が悪く、彼女がそれの修理にかかりきりになっているのである。それじゃあ他の姉妹と遊ぼうかと思ったところ、秋雲は写生をしにいづくかへ行ってしまい、雪風は異国の書物を積み上げ勉強中、何となく上の姉三人に遊んでくれとも言いづらく、結果暇になってしまった。

 絶海の孤島である彼女たちの駐屯地には娯楽らしい娯楽がほとんどない。一人で時間をつぶすと言っても、限られたことしかできなかった。

 舞風は図書室で面白そうな本がないか物色することにした。本土から遠く離れた孤島の泊地にしては、充実した設備をもつ根拠地であるが、それは図書室も例外ではない。一カ月に一度、本土で流行している本や雑誌、あるいは所属艦娘たちが頼んだ本が届くのである。

 ぼんやりと本棚を眺めていたが、雑誌の棚に来て、ふと気になったものを見つけた。古典舞踊に関する特集が組まれている、四年ほど前の雑誌だ。

 それを取ろうとしたが、思いのほかぎゅうぎゅうに詰められていて、うまくいかない。それでも引っ張っていると、その雑誌が抜けたおりに周りの雑誌もばらばらと落ちてしまう。

「あっちゃー」

 舞風は落ちた雑誌を拾おうとして、その中の一冊の拍子に目が奪われた。橙色の髪をツインテールに結い、黄色いリボンで止めている少女。言わずと知れた、舞風たちの長姉であった。

「へえ?」

 舞風はその雑誌を手に取った。艦娘は本来軍事機密であり、その情報は海軍及び大本営ががっちりとガードし、メディアに渡される情報はわずかだと言っても良い。更に、メディアを飾るのは人気が高く華々しい戦艦や空母といった人たちであり、駆逐艦に至っては名前が出れば大戦果を上げた証拠である。

「まぁ、陽炎姉はトクベツだし…?」

 駆逐艦であるにも関わらず中将、艦娘として最高位である彼女は特別と言われてしかるべき存在である。

 何はともあれ、中身を読んでみないと始まらない。舞風は古典舞踊特集のものも含めて他の雑誌を全て本棚にしまうと、陽炎が表紙を飾る雑誌を開いた。

「…大海嘯?」

 噂レベルでは聞いたことがある、海軍否、国家最大の危機、大海嘯。深海棲艦が大挙して帝都を強襲してきたというその事実は、実際に遭遇していない舞風からすればもはや神話の類であった。あの頃は艦娘の数もまだ少なく、深海棲艦との戦闘経験も貧弱で、現在と比べ極めて劣勢だったと言われている。しかし、それにしても、連合艦隊を構成する第一艦隊、第二艦隊が共に撃破され、主力戦力が他に存在しなかった中で、どのように大海嘯を防いだのかは、舞風は知らなかった。

 大海嘯のことは海軍においても苦い思い出であり、思い出したくない過去であった。同時に、軍機の二文字が邪魔をして、一介の駆逐艦ではあまり触れられないものである。

「何で大海嘯の特集が組まれているんだろう?」

 不思議に思って、何となく奥付を見ると、謹呈の判子が押され、手書きで何やら書かれていた。

「陽炎様 取材協力の御礼です…陽炎姉の本かなるほど」

 舞風はスマートフォンを取りだすと、雑誌名と号数を入れて検索した。最初にヒットしたのが、発行会社のウェブページで、それをタップする。

「発禁処分のお知らせとお詫び…?」

 不正な取材を行ったため当局から発禁処分を受けた旨が書いてあった。おそらく市場には出回らなかったのだろう。そして、発禁処分を受けるような記事は、目次を見る限り、この大海嘯の記事しかない。

 舞風は生唾を飲んだ。つまり、この雑誌を読むことは海軍から禁止されているに等しい。舞風が知ってはいけない内容も含まれているかもしれない。しかも、おそらく、陽炎に関わるような内容である。

「…ま、発禁処分を受けていたことを知らなかったということで」

 図書室に置いてあるのが悪い、と自己正当化しつつ、舞風はページをめくった。

 

 大海嘯の英雄。黒潮はカレーの材料を切りながら考え事をしていた。

 彼女自身も大海嘯の英雄と言われることのある身だ。だが、その評価は嘘の評価である。大海嘯の結果をにわかに信じられない連合艦隊上層部が軍令部や大本営を騙すために行った嘘の報告の結果である。

 本当の英雄は一人しかいない。橙色の髪をした少女だけである。

 連合艦隊系統以外の海軍部内で大海嘯の英雄というと、三人いることになっていた。陽炎、不知火、黒潮の三人の駆逐艦娘がそれで、彼女たち三人が敵を防ぎきったことになっていた。

 しかし、事実は違う。あの時黒潮は援軍を呼ぶために戦場を離れていたし、後から聞いた話だが、不知火はすぐに被弾し大破し航行不能、沈みかけていたという。戦闘可能であったのは陽炎だけなのだ。

 駆逐艦にあるまじき戦果である。連合艦隊上層部がにわかに信じられないのも仕方がないし、ましてや軍令部や大本営が信じられるはずがない。よって、三人の功績となされ、報告されたのである。

 おそらく建国以来最大の危機である大海嘯、そのクライマックスである帝都沿岸海戦と称される陽炎の戦争は、後にその場を見た艦娘たちや連合艦隊上層部によって密かに別の名前で呼ばれることが多くなった。

 橙色の地獄、と。

 黒潮が救援艦隊―といっても近海で訓練や修理していたものや敗残兵の内まだ戦える艦娘を糾合しただけの特攻部隊に近かったが―と共に姉二人の無事を祈りながら戦場に辿りついた時には既に戦闘は終わっていた。敵から流れ出した重油で海が燃え、鉄くずが浮かびあるいは沈み、引きちぎられた敵の体が漂う中、陽炎は妹を抱きしめながら、しかし目立った外傷はなく立っていた。

 あの時の陽炎の目は忘れられない。貪狼のように血に飢えぎらぎらした目であった。自分の姉が、全く違う、凶暴なもののような気がした。今でもあの時背筋に走ったぞくりという感触は忘れられない。親しい姉であり、全幅の信頼を置いているにも関わらず、ひょっとすると自分は喰らわれ犯され殺されてしまうのではないかと思ったほどだ。

 連合艦隊内で陽炎が橙色と呼称され、あるいは魔王と呼ばれるようになったのは、一人で大海嘯を防いだ事実よりも、あの薄暗く、目につくものすべてを破壊してしまうような、ぎらぎらした目のせいではないのかと、黒潮は思うほどだ。

「黒潮さん」

「雪風ちゃん、どないした?お腹すいたか?」

「いえ、漢字に埋もれるのに飽きたので休憩に」

「研究熱心やな」

「そんな研究というほどじゃありませんよ。趣味ですよ趣味」

 雪風ははにかむように笑う。それを、黒潮は可愛らしく、そしていとおしく思うのだ。

「それより黒潮さん、包丁を扱っているわりにぼうっとしてましたよね。何か考え事でもしてたんですか?」

 雪風は小動物的な愛らしさを持っているが妙なところで鋭いところがある。相手を深く観察するその姿勢があるいは戦場での奇跡につながっているのかもしれない。

「いやな、陽炎ちゃんのことを考えていたんや」

「…不知火さんに殺されますよ?」

「ちゃうで、そういうことじゃないで」

 黒潮は慌てて首を横に振る。変な噂を立てられれば、殺されないまでも不知火に何をされるか分からない。

「…大海嘯のこと」

「ああ…」

 雪風は大海嘯の時から生き残っている数少ない艦娘の一人である。彼女は当時第二艦隊所属で、物量に負けてみじめに敗走していたのを、今でもありありと思い出すことができた。

 そもそも大海嘯の頃はまだ実戦に投入されている艦娘も少なかったけれども、戦列に加わった戦友たちが無念に沈んでいくさまをその目に焼き付けていた。

「陽炎さんがいなければ私たちは特攻の末轟沈でしたでしょうね」

 敗残兵として、しかし奇跡の駆逐艦としての誇りを持って、雪風は黒潮の集めた特攻隊に加わった。だから、黒潮と同じ光景を、地獄の中に立つ長姉を見たのであった。

「せや。陽炎ちゃんがいなければうちらだけやない。帝都は滅ぼされやがて軍組織は壊滅や…今頃帝国はなかったかもしれんわ」

 黒潮はぶるっと震えた。そのような将来は考えるだに恐ろしい。

 大海嘯によって侵攻部隊が壊滅した深海棲艦たちは一時的に休息を余儀なくされた。しかし、それは主力が壊滅した艦娘側も同じだった。あの時、どちらかが余力を上げて決戦を挑んでいたら戦争は終わっていたかもしれない。だが、お互いに、そのようなことをやるだけの度胸はなかった。

「陽炎さんはなんであんなことができたんでしょうね。私でも…もって十分といったところでしょう」

 奇跡の駆逐艦と呼ばれ幸運の量ではおそらくこの世の誰にも負けない雪風でさえ、十分で使い果たしてしまうような戦場で、陽炎は生き延びた、のみならず敵艦隊を殲滅したのである。異常というよりほかにない。

「陽炎さんはいつまでここで呑気にしているつもりなのでしょうか。深海棲艦との戦争は膠着状態にありますが、それは安定状態にあることを意味しません。不安定な中で、かろうじて均衡がとれているだけです。ひょっとすると、今まさに前線は総崩れの可能性もあります。そんな中で陽炎さんは…」

「さあな、うちにも分からん。不知火ちゃんもきっと知らないやろな。ひょっとすると陽炎ちゃん自身も分からんかもしれんわ」

 雪風は小首を傾げ、黒潮を見る。その瞳には静かに疑問を湛えていた。

「もしかしたら、陽炎ちゃんは、機を待っているのかもしれないということや。あの優しさの裏に烈しさを持つ、あの娘のことや。このまま安穏と朽ち果てるはずがないわ。帝国が彼女を必要とする、そのような危機を待っているのかも…」

 黒潮の言葉に、雪風は頷くことすらできなかった。

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