ああ、彼女はなんて美しいのだろう。いつもの通り、僕はそんなことを思う。今彼女は一心不乱に何かを書いている。夢中で、全力で、ある意味狂ったようなそんな表情で何かを書き続けている。まるで何かに取り憑かれたように。憑かれて、疲れていない。しかし書ける喜びには浸っているようで、喜びの湯船に浸かっているようで、そしてついさっき彼女の唯一であり絶対の大親友が死んだというのに悲しむ素振りを見せず、誰かの大号泣が聞こえるというのにそんなことを全く気にしていない。
素晴らしい。素晴らしく美しい。ああ、彼女は完璧だ。知性ありしとして狂い、理性ありし人間として間違い、しかし本能に忠実な人間としてまさしく完璧な人間だ。そして本来人間というのはそういうもののはずなのだ。
「ああ、綺麗だ。綺麗だ。綺麗だ。綺麗だ。綺麗だ」
トリップしてしまう。トランスしてしまう。彼女の美しさは魅力的で魅惑的で過激だ。才能と呼べるものを何も持たない彼女は、だからあらゆる才能を得ることが出来る。白紙にはあらゆる色を塗ることが出来るとかそういう原理だ。そういう原理で、つまり彼女は真っ白で純粋で、だから純白だった。純白と言えば、ウェディングドレスだが、初夜で清純で純粋の証を汚すのだからそういう意味を持ってアレを見るとなかなかに表現し難い妖しさがある。妖艶で官能的。そんな衣装を着て婚約を祝う結婚式というものもそういう意味では面白い。
もし仮に彼女とそんな関係になったとしても、僕なら絶対にそれらの行事をしないと思う。彼女はとてつもなく大切で、とてつもなく重要な、そんな人なのだ。
誰かに見せるのならば僕はありのままの姿の彼女を見せたい。そうだなぁ、例えば標本採集された蝶のように、全裸のまま腕や足、それに胸にも鉄の杭でしっかりと止めて、そうして腐らないように加工して、そうして美術館の一角にそっと見せるだろうかな。
まぁ、残念ながらそんなことは出来ないのだけれども。何せ僕は、ただの観察者。観察し、それをゆっくりと僕の記憶に焼き付ける。僕はそれだけで満足だ。こんな世界を変えようだとか、そういうくだらないイベントなんて僕には全く関係ない。
抜け駆けのように、イベントの一週間前には既にここを抜けていった、そんな人間など気にしていられない。僕は彼女だけを見続けるのだ。なるべく手早く寝食を済まし、清潔な格好を保つ為に身だしなみを整え、彼女を片時も見逃さないようにしていたい。それが僕の唯一で絶対の願いだ。
例えば世界が滅んだとしても、僕が死ぬ瞬間まで僕の目の焦点が彼女に合っていれば僕はそれでいい。何なら今すぐ誰か僕を殺してくれたって構わない。本当にそれでいいのだ。
おっと、書き続けていた何かが完成したようだ。とてつもなく満足気に、彼女は頷き、そしてどこかへと走っていく。
勿論のこと僕はそれを少し離れた場所から追っていく。他の人々からよく何をしているのかと尋ねられるが、僕は僕のやりたいことをしているんだと、そんな曖昧な受け答えをして手早く話を終わらせる。
世界とは認識の重ね合わせであるという言葉がある。それぞれの認識の重なりあった部分に世界が存在し、つまり誰にも認識されていない場所は存在せず、無であるということだ。
彼女が自らがいる場所を認識し、僕が彼女がそこにいると認識する。つまり、僕が彼女を見失えばその時点で彼女は消失することになる。
そんなことさせる訳がないだろう。彼女を一瞬たりとも消失させるなんて、そんな大失態を僕はしてはならないのだ。それが僕の彼女への愛の証だ。一方通行で無責任で彼女にとっては迷惑であろうそんな、重く暑苦しくうざったるい、しかし軽い気持ちでなんやかんやをして子どもを孕んだとかそんなくだらないやりとりをして相手を泣かせるそんなクソみたいな人種よりかはマシだと思うのだ。
勿論、そんなものは僕の押し付けだ。押し付けであり、押し売りだ。
押し売りの何が悪い。
世界や運命は幾らでも変えられるだとか、夢はかならず叶うだとか、どんな人間にも必ず救いはあるだとか、そんなくだらない美談の押し付けや押し売りで成り立つ世界だってどうせどこかにはあるのだ。
当然、そんな他の世界のことなんて興味はさらさらないけれど、それでもそこにいる人間は幸せだと感じているのだ。
そんな生き苦しい、辛い世界でも人間は、なんともないような顔で平然と、幸せだと言い切れるのだ。
そういう風に人間は出来ている。
極限でないならば、あらゆる状況に適応できるように人間は出来ている。それは進化の賜だとか、知性があるからだとか、そんなものではなく、ただ単に浅ましく生きたいという願望が強すぎるからなのだ。思いが強すぎるからだ。
思いが強いが故に、認識が強いが故にそんなクソ食らえな世界ですら生きられる世界にへと変えてしまう。
「ああ、僕があなたを見続けている限り、あなたは存在し続ける。あなたの存在は僕が握っているんだ。それに気づかずに純粋な笑顔だなんて、なんて無邪気で綺麗なんだろうか」
本当にもうゾクゾクする。
彼女は知らない。僕の存在を彼女は知らない。
「……あれ?」
そうだ。彼女が僕の事を認識していないのならば、僕は存在しないのではないのか。
そう思うと同時に、僕の存在は消失し――。
そこには、何もなかった。
存在の消失なんて、日常茶飯事なのかもしれません。あなたに彼氏彼女がいないのは、実は存在が消えてしまったからなのかもしれません。