俺は医師だ。この船の中で突然病気をしたり、何らかの怪我をしたりする人間がいる。そんな人間に手早くし応急処置をするのが俺の仕事だ。
コレが意外と食っていける。食っていけるはずなのだが、どういう訳か俺はそういう記憶が無いのだ。
面白いくらいに欠落している。
まるで、俺が医者であることを強制付けられているかのような、そんな感覚もする。
どこか、どこか、何か違和感がある。
とてつもなく違和感がある。しかし分からないのだ。違和感があることを認識している訳ではない。違和感を違和感として認識できない違和感を感じ取り、そしてそれが認識ではなく感覚として分かっているのだ。
面白いくらいに俺は自分の過去が分からない。
例えば、こんな説がある。世界五分前仮説という仮説だ。世界五秒前仮説とも言う。要するに、この世界は実は五分前或いは五秒前に生まれたもので、それ以降の記憶は全て設定されたものだというのが、その説の大雑把な説明だ。
「……なぁ、息子よ」
「ん? 何かな、お父さん」
「……いや、お前は本当に俺の息子なのかと思ってな」
「当然だよ。お父さんが生まれる前から僕はお父さんの息子だよ。正真正銘、僕のお父さんはお父さんだけだし、お父さんの息子は僕だけだよ。もともといたお父さんの子どもなんていないし、その代わりになり変わってもいないよ」
「やけに具体的だな」
「具体的に否定した方がいいでしょ? その方が怪しくないでしょ?」
「確かに、そうだが」
いや、そうなのか。何か丸め込まれているような気がしないか。そんなことを思う。思うくらいに自分の息子に違和感がある。異変というのだろうか。果たして、俺の息子はここまで落ちついていただろうか。俺の息子はもう少し落ち着きのない馬鹿だったような気がするのだ。
「どうしたのお父さん? それより、あの人達大丈夫なのかな」
「あの人達? なんのことだ?」
「あれ? あっ、そっか。普通は存在の消失人間の存在を覚えてなんかいないのか。ごめんねお父さん。間違えちゃった」
「何を、言っているんだ?」
「あはは、気にしないで。お父さんには関係のないことだった。まぁ、じゃあ、そうだな。どうやって話をそらそうかな……、えっと、あっ、そうだ。そうそう、僕、さっき魔物が現れた時にびっくりして、足を打撲しちゃったみたいなんだよね。えっと、僕のことを治療してくれないかな?」
「……はぁ、ったく、仕方がないな。どれ、足を見せてみろ」
「うん、ありがと、お父さん」
手早く治療を終わらせて軽く包帯を巻くと息子は面白いくらいに嬉しそうに笑った。
「ありがとうお父さんさて、それじゃあ、そろそろ着くみたいだね」
「そうか? 全然島なんて見えないようだけれど」
「そりゃそうだよ。ホントはそんな島なんてどこにもないんだから」
「……は?」
「お父さん、重ね合わせの世界って知っている? あらゆるものには普通に見せている表面と本来は誰にも見せない裏面がある。例えば目の前を見てみて。今、目の前には何もなくて海と空気とそれくらいしかない。そういう表面を見せている。だけれど、その裏面にはこうしてね」
そう言うと同時に、目の前に島が現れる。いや、最初からそこにあったのだろう。裏面の世界に。
「なんてね。実はただの認識阻害だったりするんだけれどね。ほら、神様ってのは嘘吐きだからね。嘘吐きのくせして正直者なんだ。神様はそういう矛盾したことが可能なんだ。何せ神様だからね」
「何を言っているんだ?」
「あはは、僕は嘘吐きだからね。そうでしょ、お父さん?」
――ああ、そうだ。そうだった。こいつは根っからの嘘吐きだ。
「そうそう。僕は嘘吐きだから、僕が言っていることは全部嘘のデタラメだよね」
「ああ、そうだ。お前は嘘吐きだ」
医者っていうか、医者役っていうか、もう彼はハリボテなんですよね。