物語には谷と山があり、見せ場とオチがあり、盛り上げと盛り下げがあり、シリアスとギャグがある。
そして物語は、よく人生の比喩表現として用いられる。
ならば、これまでに私が読んできた物語は、もしかしたならばこの世界或いは別の世界の誰かの物語なのかもしれない。
そんなことを思うと私は、少し胸がドキドキする。そして、胸がドキドキするから私は生きていると自覚するのだ。よかった、まだ生きている。
とりあえず、今日は生きている。
こうして私は生きている。
私を助けてくれた、ちょっとドジで、だけどとてもかっこいい私のヒーローは、怪我だらけのまま病院に運ばれて、私に謝った。
「ごめん。俺は神になれなかった。神になって、君を救えなかった」
そう言って号泣していた。
そうか、と思った。何やらよくわからないイベントが三ヶ月程前にあったらしい。だけども、あの小さな島には誰も辿り着かなかったらしい。みんな死んだり、怪我したり、あるいは失踪したり、何だかんだあって、だけどもしばらくすれば世界は元に戻った。未だに神の力が定めた理は有効で、人は不幸であり幸せであり、辛さと楽さと、悲しみと喜びに満ち溢れた日々を送っている。
イベントの日に起きた出来事を、小説のようにして、短編のようにして纏められたものを私は今持っている。二十の物語はそれぞれ、正直意味不明だったし、にわかにも信じられないものばかりだ。だからもしかしたら、全ては作り話なのかもしれない。
そしてそんな短々編にはドジなヒーローが何を経験したのかも載っており、だから私は知っている。知っているけれど、私は彼に、聞きもしないし、話さないし、書かないし、見もしない。歌わないし、また綺麗な言葉を彼に謳うつもりもない。それは全部、私じゃない、誰かの人生で、誰かの物語だ。
私は何もしない。ただ、こうして私は、人々の人生を、物語を読むのだ。
あらゆる人生、あらゆる物語は、読者がいなければ知られることはない。どれだけ出来の悪い作品であろうとも、どれだけ出来の良い作品であろうとも、読まれない限りは、ないのと同じだ。だから私はまだ読んだことのない物語に憧れを抱き、既に読んだ物語に敬意を払う。
それが私の、人間としての、物語に対してのキッチリとした立場だと思うから。
そういえば、私の寿命は二ヶ月がギリギリとお医者さんが言っていたけれど、どうやら奇跡が起こったらしい。まるで神が奇跡を起こしてくれたかのように、忽然と私の身体を巣食う病は消えてしまったらしい。私の体は超健康体になり、その報告を私の大好きなヒーローに言ったところ、交際を申し込まれた。
幸せだ。
こんなにも幸せな人間は私だけではないのだろうか、などと色々と問題のありそうなことを思ってしまうくらいに、幸せだ。
健康で、好きな人と結ばれて、そして未来があって、希望があって、人生があって、物語がある。
多分、それがこの世界で最大で、そして最高な幸せなのだろう。
私は私の身の丈にあった幸せで満足だ。神にはなりたくないし、だからって自らの願望を押し付けたりしたくもない、私は私の幸せを私だけで独占していたい。誰かの幸せを奪うことも、誰かに自らの幸せを押し付けることもなく、私は私だけの幸せが欲しい。
多分、こんなつまらない、だけども私の幸せな人生も、物語も、誰かが読んでくれているのだろう。そうだとしたなら、とても嬉しいなと思う。だから私は笑う。
私はここにいるのだ。だから、私は笑う。私の物語を見て、読者はどう思ったのだろう。これまでの、あのイベントの日の短編を読んだ人々はどう思ったのだろう。これまで誰かの人生を、誰かの物語を読んで、人々はどう思うのだろう。
まっすぐなのだろうか、捻くれているのだろうか、それとも何も考えていないのだろうか、或いは同じ創作者として何かしらの影響を受けているのだろうか。
「リーダー」は少女だけではありません。どこにでもいるし、少なくとも目の前の画面に反射した先にいます。
そんな皆様に。
二十日間連続投稿、お付き合い頂きありがとうございました。また、いつもの時たま投稿のスタイルに戻りますが、またいつか、作品が皆様のお目にかかれば、とても嬉しいです。