私は作家を目指している。どうしてと言われてしまえば、うっと言葉を詰まらせてしまうがそれが私の夢なのだ。元々本を読むような人間ではなかった。外で遊ぶほうが好きな人間だった。だけどある日ふと、作家になりたいと思って、だから私は作家になりたい。
そんな私には一人の友達がいた。正確には最後まで友達でいてくれた少年がいた。
彼はとってもお喋りで、色々なことを話してくれたし、私の色々なことも他の人々に話した。もしかしたらそのせいで私は友達を失ったのかもしれないけれど、まぁ、そんなことはないのだろう。彼はちゃんと人に対して気遣いのできる人間だった。唯一気遣えなかったのは自分のことについてだ。
何故そんな見ず知らずの人間の、しかもその友達の話を聞かないといけないのかと不遜な気持ちになる人もいるだろうが、少しだけ語らせて欲しい。そもそもフィクションの小説なんて、架空の人物の冒険譚なり色恋沙汰なりを聞かされているようなものではないか、それが実物の人物の話になっただけで態度を変える程、貴方の性格が悪くないと信じたい。ごめんなさい、今のは嫌味。
彼はついさっき自殺した。とても綺麗な姿で。人が死んでいるのに綺麗などと宣うなんて、と思ったのならば双子が主人公の某野球漫画の名言を否定してから言って欲しい。
これを書いているのは彼の自殺からまだいくばくも経っていない。だから、手が震えて仕方がない。体が震えている。変な笑いが漏れる。はたから見れば私は彼の自殺を見て狂ったか壊れたかしたのだと思われるのだろう。しかし生憎様私は正常だ。いや、もとから何かしらの欠陥があったと言うべきか。初めから狂って壊れていた。だから私は彼の自殺を目の当たりにしても狂ったり壊れたりしない。
さてはて、こんな前文を書いてまで私が書きたかったのは、人の人生だ。例えばつい先ほどのお喋りな彼は、自らの手でその人生を閉幕させた。見事と言えるべき、そんな死だった。
「あははははッ。進む進む。文章が書けるッ!」
ここからは文章ではなく私のモノローグだ。創作意欲が沸き立っている。遠くの方で誰かが私を覗いているのも気にならない程、筆が進む。どれだけ消費しても次から次へと沸き立ち私に文章を与えてくれる。
創作なんて実のところモチベーションと時間と知識量でことが付く。才能もそりゃもちろんいるが、この世界は不公平なのだ。才能を持つものがその才能を活かせないなんてことはありふれている。逆に言えば、才能の持たない私なんかでもこの世界では実に簡単に夢を叶えられたりするのだ。
私が好む書き方は一人称視点の半分フィクション、半分ノンフィクションの話だ。過去の体験に基づいた創作話を私はでっち上げる。作家という職業は、ある意味では詐欺師だ。全く以て存在しない話を幾つかの事実や例を用いて真実味を持たせる。幾ら真実味をもたせた所で、それは本物っぽい話であって本当にあった話ではない。本当にあった、なんて付けてしまえばそれはそれで逆に妖しいし、ノンフィクションだと言えばそれは一体誰がどこでどんな風にあった話なのだ、と尋ねる人間がいる。野暮だと分かっていても尋ねたくなる人間はいる。そういう人間を黙らせるほどの、でっち上げの能力を持った人間こそが作家にふさわしいのだと思う。
そういう面でも私は向いていない。私はありのままを書くことしか出来ない。ありのままの体験と彼が教えてくれた知識と私が得た知識と、私が持つ語彙力のすべてを用いて、私はありのままの想いを感情を情景を伝えるしか出来ない。それしか私には能がない。
私は次々と私は筆を進める。私は作家になるのだ。彼の犠牲を無駄にしないように、彼の命を私の全てを使って表現し尽くすのだ。
――大好きだった彼を、一生を表現し尽くすのだ。
人の命を全て文章で表現できる能力は、少し欲しいと思います。作家的視点から見ると。