第九階層の通路を進むセバスが、ふと立ち止まり耳に手を当てた。
「モモンガ様でございますか」
『うむ。度々すまないな、セバス』
「何をおっしゃいますか。至高の御方からの御下命以上に優先すべきことなどございません」
誰もいない通路の中で一礼し、そう述べた。もちろん今のセバスを見ている者などいないのだから、わざわざ
『円卓の間にメイドをひとり寄越してほしい』
「一名でよろしいのですか?」
『うむ、すぐに来れる者で、アンデッドでない者が望ましいな。いるか?』
セバスは顎に手を当て、思案する。今ならば彼の部下が全員待機しているはずだ。その中から主の望んでいるであろう対象を選び出すことにした。
「では、ソリュシャン・イプシロンで如何でしょう」
▽ ▽ ▽
「プレアデスのソリュシャンが来てくれるそうです」
「プレアデスっていうと、九階層を守る戦闘メイド……でしたっけ。大丈夫なんですか? 想定外の効果が現れた場合に対処しきれなかったら……」
「その点に関しては心配無いと思います。プレアデスのレベルは60前後くらいで抑えてありましたから。万が一襲いかかってきたとしても問題にはならないはずです」
「だといいんですけど……」
モモンガと相談し、いきなりレベル100の階層守護者にどのような効果が出るか未知数である『精神異常感染』が効いてしまったら一大事だろうと考え、まずは弱い配下で試そうという話になったのだ。結果次第では何かしら対策を立てなければならないだろう。
緊張のため落ち着きなくソワソワしていると、唐突にノックの音が鳴り響く。
「ソリュシャン・イプシロンです。セバス様からの指示でこちらへ伺うようにと……」
「うわっ、もう来た!?」
直前まで一切の気配が感じられなかったため、完全に不意打ちのかたちとなった。これはソリュシャンの保有スキルが暗殺に特化したもので構成されているためだ。
テラーと一緒になって椅子から10cmほど飛び上がったモモンガの方はというと、既に精神を強制的に沈静化されて、すっかり落ち着いた様子である。
「入れ」
「失礼致します」
扉が開かれ、深々と頭を下げた金髪の女性が姿を見せる。
彼女がプレアデス戦闘メイド隊のひとり、ソリュシャン・イプシロンである。縦巻きロールの髪と、メイド風にアレンジしたボンテージで身を包み、すらりと伸びた脚には金属製のレッグアーマー。メイドというよりは、女王様といった方がしっくり来る佇まいであった。もちろん、別の意味での女王様である。
「ご用命をうかが……っ!?」
姿勢を正そうと顔を上げたままの姿勢で、ソリュシャンが固まった。我が目を疑うかのようにテラーの方に視線を向け、穴が空くほど見つめている。穴は既に空いているが。
「て、テラー……様……?」
その様子を不思議そうに見ていたモモンガが、ふと気付いて口を開いた。
「そうか、セバスから聞いていなかったのか。先程テラーさんがこの世界で彷徨っていたのをセバスが発見してな。こうして連れて来させたところなのだ」
「では……、では本当に……?」
全身を震わせ、両手で口を覆いながら感極まったように大粒の涙を流すソリュシャン。
「あっ、も、申し訳ございません! モモンガ様のお言葉を訝しむわけでは無いのです! ただ、こうして目の前にテラー様がいらっしゃることが、よもや夢か幻なのではないかと……!」
「あ、ああ勿論だ。お前の忠誠に陰りがあろうなどと思ってはいないぞ、ソリュシャン」
涙を流し続けたまま両膝をつき謝罪するソリュシャンに、戸惑い気味のモモンガが声をかける。その様子を他人事のように見ていたテラーに、モモンガが眼窩の奥をギラリと輝かせて睨みつける。「テラーさんからも何か言ってやってくださいよ!」。彼の目はそう言っていた。
(か、勘弁して下さいって! どうすればいいかなんて僕に分かるわけないでしょ!?)
(それはお互い様でしょう! なんでもいいから安心させるようなことを言ってやってください! 俺ひとりに押し付けないでくださいよ!)
泣いている女の子の扱いなど経験したことがないリアル魔法使いふたりが視線で数度殴り合い、やがて観念したようにテラーが歩み寄った。
「その、なんだ。ソリュシャン、拭きなさい」
中空から『幸福の黄色いハンカチ』――装備中、低級アイテムのドロップ率が上昇する初期レベル用アイテム――を取り出し、ソリュシャンの涙を拭った。
「て、テラー様……わたくしなどの為にそのような……!」
「すみませんでした、ソリュシャン。もう黙って消えてしまったりはしませんから。どうか安心してくだい」
ソリュシャンは、心の中で彼の言葉を染み渡っていくのを感じた。
己のようなメイド風情のために、主は神聖なハンカチが汚れることも厭わず、尚且つ慈悲深く慰めのお声がけまでくださった――。至高の御方の存在を一度でも疑った自分に、このような幸せを与えられる権利などあるのだろうか。そう自戒する程の至福に包まれていた。
一方テラーの方はというと、平静を装いつつも屈みこんで彼女の涙を拭った時に漂ってきた良い匂いにドキドキしていてた。DT乙である。
(や、やばい。こんな綺麗な人を間近で見るなんて初めてだ。心臓の音がやばい。これ絶対聞かれてるよ恥ずかしい!)
そもそも今の彼に人間のときのような臓器が存在するのかは不明であるが、それはひとまず置いておこう。テラーの動悸がピークに達し、脳がオーバーヒートしそうになった瞬間、自分の中から何かが放射状に広がっていくのを感じた。何事かと思って周囲を見回すと、ソリュシャンと目が合った。
ソリュシャンは真っ赤に上気した顔で「あ」とか「う」などと口から漏らし、明らかに平静を失った様子で視線を泳がせていた。
「……ソリュシャン?」
「あ、あ、あの! も申し訳ございません!!」
慌てた様子で立ち上がったソリュシャンは、電光石火の勢いで飛び退り頭を下げた。
その様子を離れて見ていたモモンガが、ポツリと呟く。
「おまわりさんこいつです」
「いや何もやってないですよ!?」
▽ ▽ ▽
ソリュシャン・イプシロンはサディストである。
彼女の正体は
自分の中を何かが通り過ぎていったように感じた瞬間、目の前のテラーの匂いに心奪われ、淫らな感情を抱いてしまったのだ。
たかがメイド風情の自分が至高の御方をそのようなふしだらな目で見るなど、不敬にも程がある。己自身を叱責し続ける一方で、この想いに身も心も染まりきってしまいたい。そうも思ってしまう。そしてその葛藤でさえも、己の身を溶かす甘美な毒のようにソリュシャンを溺れさせた。
「……大丈夫ですか? ソリュシャン」
「ッ何がでございましょう!? このソリュシャンは極めて冷静でございますわ!」
心配そうに一歩近づくテラーに対し、同じく一歩下がって切り返すソリュシャン。視線はあらぬ方向を彷徨っている。傍目で見ていればソリュシャンの感情などひと目で分かるのだろうが、DTをこじらせたテラーは単純に避けられたと思っており、軽く落ち込んでいた。
(うう、やっぱりキモいって思われたんだろうな……。っていうか顔が無い男とかもうキモいってレベルを超越してる)
どう考えても恐ろしげな自分の容姿を思い出し、せめてスキルでイケメンにでも変身しておくんだったと後悔した。
「テラーさん」
しばらく黙って観察していたモモンガが、テラーに耳打ちする。
「なんですか……モモンガさんもキモい僕を笑うんですか」
「いやあの」
なんと返してやったらいいのか分からず言い淀むが、咳払いを一度して話を戻した。
「そうじゃなくてですね。これ、もしかして例のアレが発動したんじゃないですか?」
「え?」
そう言われてソリュシャンを見ると、慌てて視線を逸らされてまた軽く凹んだ。だが、彼女の様子が明らかに変わったのは事実のようだと思う。
「そういえば、さっき何か体の中からブワーッと出て行ったような……。モモンガさんはなんともないんですか?」
「いえ、特には。おそらく『精神作用無効』を持つアンデッドには効果が無いか、受けてもすぐ抵抗が働くんじゃないですかね」
「成る程……」
ならば、今この中で『精神異常感染』の影響下にあるのはソリュシャンだけだということになる。若干予定とは食い違ったが、問題なく実験の方は行えそうだ。モモンガが前に出て、彼女に問いかけることにした。
「ソリュシャン、お前を呼んだのは、テラーさんの種族特性に関する実験に少しばかり協力してもらいたいからだ。構わないな?」
「勿論でございます! このソリュシャン、誠心誠意をもって至高の御方々のお役に立つべく、」
「ま、まあ、そう畏まらないで」
レッグアーマー同士がぶつかり合うガチャンッという音を響かせ、おそろしく綺麗に背筋を伸ばしたソリュシャンが熱意のこもった返答をする。やる気があるのはいい事だが、ソリュシャンってこんなキャラ設定だったか? とテラーとモモンガは揃って首を傾げた。
(確かソリュシャンはプレアデスの中でも大人びた感じの性格で設定されてたと思うんだけど……。書き込んだテキスト通りの人格になるとは限らないのかな?)
浮かんできた疑問をまあいいかと隅に置いやる。
テラーが、今からいくつか質問をするので答えるようソリュシャンに伝えた。彼女が肯定の意思を示したのを見て、最初の質問をぶつける。
「ではソリュシャン、今のキミの精神状態について教えてください」
「は、はい! えぇと、その……。胸のあたりがきゅうっとなって、とても、なんというか……落ち着かない、というか……」
考えながら途切れ途切れに答えるソリュシャンの顔が、みるみる朱に染まっていく。その変化の様子に気付いたテラーが覗き込むと一瞬で耳まで真っ赤になり、小さくなって俯向いてしまった。
「も、申し訳、ございません……うまく、言葉にできません」
テラーとモモンガの二人は、困ったように顔を見合わせた。
(どう思います?)
(何らかのバッドステータスが発生しているようですけど……ちょっと分からないですね)
(『恐慌』とか『忘却』とか、もうちょっと分かりやすい精神作用から試したかったな……。っていうか、この種族特性の効果っていつごろ切れるんですか?)
(さ、さあ)
重ねて言うが、この上位者たちは極めつけのDTである。そうでさえなかったなら、おそらくここまで拗れなかったのではないだろうか。ここにいる者は誰も悪くはない。悪いのはDTなのだ。
その後、モモンガがテラーに精神作用系の魔法をかけ、ソリュシャンに感染するか試してみたが変化は無し。魔法による精神作用では効果が無いのか、それとも『精神異常感染』の効果が持続している間は新たに上書きできないのかまでは不明なままであった。
「参ったな……。一旦ソリュシャンの精神異常を解除してからもう一度やってみましょうか?」
テラーがそう提案した瞬間、ソリュシャンが弾かれたように顔を上げた。
「このままで! このままで宜しいかと存じますわ!!」
テラーとモモンガが、ソリュシャンの気迫に気圧される。その後、いち早く平静を取り戻したモモンガが尋ねた。
「何故だ? その精神状態のままでは仕事に支障をきたすのではないか?」
「お、畏れながら申し上げます。先程テラー様の種族特性についてお調べになっておられると伺いました。それならば、持続時間もお調べにもなった方が、よ、宜しいかと」
ソリュシャンは、胸の奥から湧き上がるこの感情を消してしまいたくなかった。絶対の忠誠を誓うべき主に意見するという、不敬にさえ気づかない程。無意識に体が震え、奥歯がガチガチと鳴る。頭では気づかずとも、己自身の身体が警告を発していた。
「ど、ど、どうか、わたくしをこ、このままお使いくだ」
「ソリュシャン」
最後まで言い終わる前に、肩に手を置かれ優しく語りかけられた。テラーである。
「……もう十分です。ずいぶん無理をさせてしまったようですね」
ちがうんです。そうではないのです。わたくしはシモベの分もわきまえずあなたを想う気持ちに縋り付く、浅ましい女なのです。
否定しようとするが声を出せなかった。言えばきっと軽蔑され、もう二度とこんな風に御声をかけてくださらないだろう。そう思ってしまったから。消したくない。消さないで。その思いがソリュシャンの心の中を渦巻いていく。
その直後、彼女自身にも思いもしない行動を取らせてしまった。
「……ッ!」
「えっ!?」
逃走。ソリュシャンはテラーの手を振りほどき、逃げだしたのだ。
「…………ど、どうしましょう…………?」
「どうって……」
円卓の間には、察しの悪いふたりが呆然と立ち尽くしたままだった。
「よいか! 百発のカワイイで倒せぬ読者だからといって、一発の力に頼ってはならぬ。一千発のカワイイを投げるのだ! これぞ、インストラクション・ワンの極意!」
「ハイセンセイー!!」
というわけでソリュシャンは実際カワイイのお話でした。
恋する乙女は皆カワイイなのです。たとえショゴスでも。たとえサディストでも。