蠱毒と共に歩む者   作:Klotho

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申し開きはせぬ。更新が遅いと我が首を切り落とすが宜しい。


『ただいまといってきます』

 

 

 

長い間、夢を見ていた。

 

 それは一つの理想を信じて集まった者達が、信じた物によってバラバラに引き裂かれてしまう話。犠牲の上に立つのであれば自らの信ずる道ではないと断言していた彼女は、けれどそうして人々の平穏の為に犠牲となった。

 彼女の言葉を信じて目前に迫る絶望に身を委ねたあの瞬間、皆は何を考えていたのだろう。怒りか、恨みか、憎しみか、哀しみか。少なくとも、喜びではなかっただろう。彼女――聖白蓮でさえ、最後の瞬間に浮かべた表情はやはり悲哀に満ちていたのだ。

 

私達が志し()ていたのは、悪い夢だったのだろうか?

 

 昔ならばすぐに否定の言葉が出てきたのに、今では答えることすら怖くなる。もしも何時か私が目覚めて、命蓮寺の皆も目覚めたとして、それでまた同じ理想を追い続けるのだろうか。

 ――怖かった。何の躊躇いもなく聖を封印した人間達が。そして何よりも、こんな事を考えてしまっている自分が怖かった。

 

それはきっと、封印される瞬間に脳裏に過ぎった物の所為なのだろう。

 

命蓮寺(家族)を引き裂いた人間が

 

人間を喰らう妖怪が

 

それ等を形作っている常識が

 

悲しくて、悔しくて、虚しくて――

 

 

私はきっと、あの時初めて世界を憎んでしまったのだ。

 

 

『私が昨日言った事を意識していれば、もしかしたら共存出来る様になるかもしれない。でも此処に今人間達を入れるなら、それは絶対に叶わない』

 

『人間達の勝手な行動で、貴女の理想が邪魔されても良いの?』

 

彼女が問うた、あの瞬間。

 

もしもあの時に戻れるとしたら、皆はどういう結論を出しただろうか。

 

 

……答えは分かっている。こんな物は、一時の気の迷いでしかない。

 

 きっと目が覚めた頃には忘れているのだ。それこそ、夢でも見ていたかのように。私が村紗水蜜である限り、絶対に諦めたりはしないだろう。星やナズーリンと再会し、聖を助け、そうしてまた理想実現に向けて頑張るのだ。

 

 

 

 

その先で待っている筈の、彼女と再会する為に――

 

 

 

 

 

 

「ぐ…うぅ…」

 

頭に響く鈍痛。

 

 気怠さを通り越して身体が重くなったような感覚と洞窟内にいるかの如く響く音。いや、音なんて鳴ってはいないのだが、それすら聞こえてきそうな勢いである。

 ここまで思考して漸く、これが俗に言う二日酔いの状態であることに気付いた。そして二日酔いであるということは、私はお酒を飲んだという事なのだろう。…確かぬえと二人で歩いている所を勇儀に見つかって、そのまま半ば強制的に飲み屋に連行された――のだったか?

 

 記憶が曖昧である所が少々不安だが、身体の訴えかけを見るにどうやら相当飲んだらしいので無理もない。どうしてそんなに飲み明かしたのかは忘れてしまったけれど。

 

兎にも角にも、まずは現状を確認するのが最優先である。

 

「ん…あぁ、聖輦船か」

 

目を開けて、飛び込んできた木目の天井を見て直ぐに理解する。

 

恐らく勇儀と一輪が運んでくれたのだろう。別に起こしてくれても良かったのに。

 

「ほらぬえ、とっとと起き――」

 

 とりあえず私は隣で眠りこけているであろうぬえを起こす為に声をあげた。今まで何度も酒を飲み酔い潰れた仲ではあるが、未だ彼女が私よりも先に目を覚ましたことはない。大抵一輪か雲山が此処まで運んでくれて、私が彼女を起こすのが通例となっている。

 

だから私は隣を向くよりも先に手を伸ばし

 

 

そうしてひよりの頭に触れたのだった。

 

「……」

 

意外にも初めて触った彼女の頭を堪能。サラサラである。

 

そのまま一分ほどひよりを楽しんだ後、私は更に奥で眠るぬえに手を伸ばす。

 

「……ちょっと、ぬえ」

 

「む、むり……頭が……」

 

そう言って此方を見もせずに片手を振るぬえの頭を引っつかみ、無理矢理此方を向かせる。

 

面倒臭そうに開けた彼女の目が、次の瞬間見開かれて――

 

「――どぅえ」

 

翻訳するならば『えっ、どうしてひよりが』と言った所だろうか。

 

 ぬえは恐る恐るといった様子でひよりに手を伸ばし、何故か頭を一分程撫で続け、次に私の方を見つめてきた。私としては先程のどぅえについて追求したい所ではあったのだが、まずは私とぬえの間で寝息をたてている彼女が夢でないことを確認しなければならないだろう。

 

どうやらぬえも同じことを考えていたらしい。私もぬえに手を伸ばす。

 

「……いひゃい」

 

「……うん」

 

互いにしっかりと抓った上で、再び私とぬえはひよりに視線を落とす。

 

 そんな私達の事など知らぬと言わんばかりに寝息をたてているひよりの、綺麗な髪飾りを、サラサラの黒髪を、変わらない身長を確認して――

 

 

「「ひよりっ!」」

 

二人して彼女の寝ている布団へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで私の所へ逃げてきたと」

 

 そう一人呟いた私に彼女は何処か疲れたように苦笑した。今の私の言葉で色々と思い出したようで、私にはぬえと村紗の二人から揉みくちゃにされる彼女の様子が鮮明に流れ込んできた。

 なるほど、確かにこれは酷い。私はあまりこの身で体験したことはないが、やはり妖怪の力は恐ろしい物なのだと知覚できる。それこそ彼女が一度死にかけて、こうして命からがら逃げ込んでくる程度には。

 

手元にあったカップを手に取り、その中で湯気を立てている紅茶を一口。

 

コトリと置いて私は彼女を見つめる。

 

「私としては大人しく死にかけていた方が良かったと思いますよ、えぇ。今貴女の()()()()()()上での結論ですが」

 

そう答えると彼女はその無表情を少し崩した。それと同時に表情と同じ焦りが流れ込んでくる。

 

私は続ける。

 

「こんなこと私に言われるまでもなく分かっているとは思いますが、あの二人は本当に貴女の帰りを待っていましたからね。長らくその気持ちを見続けてきた私からすれば、むしろ死んでいないことに感謝すべきだと思いますけれど……それに満更でもなさそうでしたよ貴女」

 

 それは今思い起こしているであろう彼女の感情からしても明らかである。私としては寝ている所に突然自分より体格の良い二人から全力で圧し掛かられ、死にかけても満更ではないという気持ちはてんで理解できない物だが。

 

彼女はその照れを隠すように、自分の手元にあったカップに口を付ける。

 

そこには正しく一人分の生き物らしい気恥ずかしさが見えた。

 

「……便利ですね、その体質。揉みくちゃにされている自分と、更に此処で話している貴女、そしてお燐達と遊んでいる彼女ですか。人型で形取るとそれぞれの時点では記憶の共有が出来ないということを除いても、こうして目の当たりにしてみればそんな欠点は霞んで見えます」

 

 少なくとも今目の前で話している彼女の他に、最低でも二か所で彼女は活動しているということになる。一人は聖輦船であの二人に捕まっているであろう一人。そしてもう一人は先ほど自身のペット達と共に動物同士積もる話をしにいったという一人だ。

 

ちなみに目の前にいる彼女は本体ではない。本体は今はお燐達と共にいる。

 

私は先ほど初めて本体である彼女が訪れた時のことを思い出した。

 

 

『すみません、それ以上近づかないでください』

 

『私は古明地(こめいじ)さとり、心を読むことの出来る覚妖怪です。ご存知ですか?』

 

『……っ、そうですか。では掻い摘んでご説明致します……私には貴方たち全員の声が聞こえている、と。これで分かって頂けるでしょうか』

 

 

……今思い出しても頭が痛くなってくる。

 

 私は覚妖怪であるが故にあまり雑踏を好まない。生き物が近づけば、私が目を向ければ、その人々の心を読むことが出来てしまうからだ。心の声はその思いの強さによって多少ではあるが強弱がつくし、それが生き物の行き交う往来で数十人分ともなると私の間近で人々が言葉を交わしているのと何も変わりがない。

 

更に自分はあまり騒がしいのが好きではないときた。

 

「なので今後私の所へ遊びに来る時は今みたいに一人で来てください。……あぁいえ、別に責めている訳ではないです。私としても恐らく一生に一度体験できるかどうかという経験をさせて貰いましたし。……勘違いしないでください、一生に二度も体験したいことではありませんよ」

 

そんな私の元に彼女が訪れてどうなったか。

 

数千を超えるであろう彼等の声が一斉に私へと向かって流れ込んで来たのだ。

 

 それはまるで世界中の生き物を一堂に集めて私についての意見徴収を行ったかのような嵐であった。興味、関心、警戒、それに突然近づかないでと言われたことによる悲しみ。彼女達自身が殆ど動物のような思考であるが故にそれらは素早く簡潔にころころと変わっていくのだ。私と対峙し、彼女が一人になるまでの間一度だって全員が静かになった瞬間はなかった程に。

 

ちなみに彼女が一人になれないのであれば、私は金輪際彼女との関わりを絶つ覚悟すらした。

 

しかしそれは杞憂に終わった。他ならぬ彼女自身のお陰である。

 

「まあ、私としてはまた是非遊びに来て欲しいとは思っていますよ。言ってませんでしたか?私、動物が大好きなんです。動物としての姿だけでなく思考も私好みですし、もしも許されるなら一人地霊殿(ちれいでん)に住んで貰いたい位です。……冗談ですよ、冗談。普通に遊びに来て下さい」

 

 本心をありのままに前半部分で伝えた所為か、後半も真に受けて身構える彼女に私は苦笑しながら紅茶に口を付ける。成程、分離自体は造作のないことではあるが彼女はあまりそうすることを良く思っていないようだ。……確かに彼女をありのままに受け入れている者たちからすれば、むしろその内の一人だけ――というのはきっとあまり良い気はしないだろう。

 

そう、だからこそ私はちゃんと言ったはずなのだ。

 

「ひーよーりー!」

 

「此処にいるのは知ってるんだよ!目撃者がいたんだから!」

 

ビクンと、廊下から響いて来た声に対面に座る彼女の身体が震える。

 

その感情は焦りと後悔。次いで私に対して助けを求めてきた。

 

「全く、貴女自身そう思っていたじゃありませんか。貴女をありのままに受け入れている彼女達からすれば、その内の一人だけを置いて逃げてくるなんて方法で通用する訳がないでしょう。大体、自分自身を分けて苦痛を代替わりさせようとした所で、相手も自分自身なんだから今度は貴女の存在を売るに決まってるじゃありませんか」

 

貴女も分離した一人な訳ですから、揉みくちゃにされて本体を売ることになるでしょうね。

 

そうハッキリと告げると、いよいよ彼女は逃げ道を探すべく立ち上がった。

 

その背後から扉を叩く音。

 

「さとりさん!ちょっといい?」

 

「えぇ、なんでしょう村紗さん」

 

答えつつ、私は隣で窓に手を当てる彼女を眺める。

 

「ひよりが私たちの所に一人だけ残して何処か行っちゃったのよ!問い詰めてみたら、私と村紗が落ち着くまで別の所に行ってるって!」

 

村紗の代わりに答えたのはぬえだった。

 

「此処にくる途中で勇儀に会ったんだけど、ひよりが此処に入るのを見たって言ってたから」

 

「なるほど、それで地霊殿ですか」

 

はめ込み型の窓であるが故に諦めた彼女が小さく勇儀め…と呟くのを聞いた。

 

「勇儀さんが言うには、きっとさとりさんとお茶でもしながらやり過ごすつもりなんだろうって」

 

「なるほど、それで私の所ですか」

 

 怖いくらいに当たっている。隣の彼女を見れば今頃は旧都にいるであろう勇儀に対して恨み言を言っている最中であった。

 

「それでひより、今此処にいる?」

 

もう一度彼女がビクンと肩を震わせた。

 

私はそんな彼女からあふれ出てくる狼狽と困窮を感じ取り、自然と口角が上がった。

 

「さて、どうでしょうね?……逆に村紗さん達に聞きますが、ここで私がひよりさんは此処にいませんと言った所で確認もしないで帰りますか?あ、答えは結構です。心を読むまでもなく分かりますので」

 

扉の向こうが数秒沈黙した。

 

 しかしもうカウントダウンをするまでもなく寸前である。私があえて長々と言葉にして村紗とぬえに問いかけたのは、今横で進退ここに極まれり、といった表情で私と扉を交互に見遣る少女に僅かながらの時間を与える為であった。彼女との会話は有意義であったし、何より彼女が無事に二人をやり過ごせたのであれば、そのままもう一度話をするのも悪くないと、心の隅でそう思って。

 

そんな私の心境など心の読めない彼女に伝わる筈もなく。

 

しかし彼女は小声で匿って、と言って引き出しの中に滑り込んだ。

 

だああん、と扉が開かれる。

 

「迎えに来たわよ、ひより!――って」

 

「…いない?」

 

勢い良く扉を開いたぬえと、その背後から顔だけ覗かせた村紗。

 

私は二人を静かに見遣り、そして私の机の引き出しから此方を伺う鼠を見た。

 

「なるほど、そういう答えですか。お見事です、動作に迷いがありませんでしたね」

 

「そういう答えって…心を読むまでもなく分かってたでしょーに」

 

 中に入ってきた二人からは見えていない、引き出しの中の彼女に向けた称賛の言葉。しかしそれを先ほど自身に課された問いに対する反応だと勘違いしたぬえがそう言うので、思わず私は声に出して笑ってしまった。

 

「二人はその人のことを大切に思っているんですね」

 

 部屋を探索していた村紗も、ひよりが飲み残した紅茶とお茶菓子に手を出していたぬえも意外そうな顔で此方を見た。そうして流れ込んでくる二人分の感情、想い。そして思い起こされる彼女たちの気持ち。

 

私はそれらを受け止めて、そうして引き出しを引く。

 

「だから言ったんですよ、私は。貴女は満更でもなさそうでしたし、それに彼女達は貴女の帰りをずっと待っていた。私には心が読めますからね――死にかけたからなんて唯の言い訳で、本当はただ気恥ずかしかっただけでしょう貴女」

 

私が手を伸ばしても彼女はもう抵抗しなかった。

 

軽くつまんで持ち上げた彼女に二人からの叱責が飛ぶ前に、私は村紗に向かって放り投げた。

 

「それではぬえさん、村紗さん、後は三人で仲良く本体を探してください。恐らく私のペット達と遊んでいるでしょうけれど、早くしないと逃げられてしまうかも知れませんよ?」

 

そう言うと二人は感謝の言葉を述べながらひよりを片手に部屋から出ていく。

 

扉が閉じる瞬間、村紗の手の中で捕まっていた鼠が一瞬口を開いた。

 

 

しかし言葉は紡がれることなく扉は閉じる。

 

 

 

残された私は一人、残り僅かとなった紅茶を飲み干して地霊殿の中庭に躍り出た三人を眺めた。

 

「言葉は必要ありませんよ。私、心読めますので」

 

それは先ほど、彼女が退室する前に言おうとした言葉への返事。

 

彼女から流れ込んできたのは安堵と感謝の念。

 

 

素直じゃないなあ。

 

 

 

 

 

「はい、じゃあここ座って」

 

ボスンと置かれたのは愛用の座布団。

 

 私とぬえが使用し始めた時期から言えばこの座布団も大妖怪並みの年月をしかも封印抜きで過ごしている筈なのだが、一体どうして完璧なまま形が残っているのだろうか。もしかしたら、長年使っていた所為で私の髪飾りと同じように身体の一部として認識されているのかもしれない。

 ……いや、流石に座布団が自分の身体の一部になってしまうならいよいよ私は紫や永琳に相談する覚悟すらある。この調子で私が長年使っている物が私の一部として認識されてしまうのなら、何時かは付喪神か何かと勘違いされてしまいそうだ。

 

と、そんな風に座布団を眺めていたのにぬえが気づいたのか。

 

彼女は少し寂しそうに笑った。

 

「それ、実はもう三代目なんだ。受け取ってから使い続けて…ひよりが来なくなった頃に丁度かな?流石に中の綿も潰れちゃって外側も補修出来なさそうだから捨てちゃった」

 

その後に同じ柄のを作ってそれも壊れて三代目、とぬえが言う。

 

 成程、これで一つ疑問が解けた。流石に肌身離さずといった訳でもない唯の座布団がそんなに長持ちする筈がない。ぬえの言う通りこれが三代目なのだとしたら充分納得できる話だった。

 

ちなみにそれでも平均して五百年使っていることになるのだが。

 

寿命の長い妖怪だからこそ確認出来る物の寿命という物は、実はこれくらい長いのかも知れない。

 

もしそうでなかったとしても――

 

「二代目までには、三代目までにはって思ってひよりを待ってたら……まあ、やっぱり大事にしちゃうよね」

 

こんなにも使い手に大切に使われればきっと大往生を遂げるのだろう。

 

話が逸れちゃったね、とぬえは言って私と向き合う。

 

「それじゃ……おかえりなさい、ひより。随分長かったじゃん」

 

それは先ほど合流して記憶を共有した『私』の時に何度も聞いた言葉。

 

 しかし泣きじゃくりながら二人してしがみつき、何度も繰り返していた時のおかえりとは違う。それを聞いて漸く私は、目覚めてから今まで心の片隅に残り続けていた後悔が小さくなっていくのを感じた。私は何も伝えられなかったけれど、ぬえはずっと私を待ち続けてくれていたのだ。

 

だから私も正面で笑うぬえに対して、出来る限りの笑顔で答える。

 

「ごめん……それと、ただいま」

 

意識してするのは得意じゃないのでぎこちない笑顔だっただろう。

 

けれどぬえは何故か満足そうに頷いて、そうして聖輦船の外に繋がる扉を見た。

 

「村紗、もう入ってきていいよ!」

 

そう言って暫くして、開いた扉から水蜜がひょっこり顔を出した。

 

「もう?早くない?」

 

「そもそも村紗が気を遣い過ぎでしょ。私とひより、別にそんなに悲劇的な別れ方をした訳でもないんだから。積もる話も言いたいことも聞きたいこともあるけれど、それは村紗も一緒だろうし」

 

 何でもない風にそう言ったぬえ。確か私たちは涙を流しながら別れた筈だが、彼女にとってはあれは悲劇的な別れ方には含まれていないらしい。一体彼女の中の悲劇的な別れ方はどれくらい悲しいのだろう。ほんの少しだけ聞いてみたい気持ちはある。

 

けれど彼女自身がそう言うのであれば今は特に言う事はない。私は二人を待った。

 

「うーん……じゃあ私も相席させて貰おうかな。とりあえず、おかえりひより!」

 

「うん、ただいま水蜜」

 

そう言ってストンとぬえの横に座ってにへへと笑う水蜜。

 

 二人がそうして私に向いた所で、今度は私の方から話を切り出した。今までのこと、起きてからのこと、娘と別れたこと、今は霊夢と暮らしていること。地上で流行っている弾幕ごっこの話や、水蜜には封印される前に行った命蓮寺の話、そして聖の封印されているという法界についての話も知ってる限り伝えた。

 二人は驚き、時に目を輝かせながら私の話を聞いている。特に、人間の娘がいたと知った時の二人の反応は、きっとさとりであれば椅子から転げ落ちたかもしれない。私は両手で耳を塞ぎながら、大人しく二人が落ち着くのを待った。

 

すうはあと興奮を落ち着かせるように息をする二人を見て苦笑。

 

最初に口を開いたのはぬえだった。

 

「私聞いてないよ娘なんて!い、いつ?封印される前?え、じゃあもう会えないの?嘘ぉ……」

 

そう言って項垂れるぬえ。しかし、私も何も理由もなしに彼女に伝えなかった訳ではない。

 

「うーん……でもぬえ、私に娘がいるって言って会わないでいられた?」

 

「うっ」

 

「地上と地底、今でも行き来するのは良くないんでしょ」

 

「ううっ」

 

それにきっと『お互い離れ難くなってしまう』だろうから。

 

 これが人間のただの友人であれば伝えたかもしれない。けれどあの子は私の娘で、私は母であったのだ。であれば、私は妖怪とはいえ母としての義務を果たすべきだった。だからこそ、妖怪であるぬえを含めた友人たちには出来る限り伝えないように、そして遊びに来ないようにとお願いしたのだ。

 

私はあえてこの一言は胸の内に仕舞っておくことにした。

 

次に口を開いたのは私の話の後半部分から考え込んでいる水蜜。

 

「ひよりの娘のこともびっくりだけど、私としてはナズの言っていた法界のことが気になるかな」

 

『私』の聞いた話によると、水蜜達が封印から目覚めたのは三百年前。

 

 私が最後にナズーリンから話を聞いた時には、どうやら飛倉の破片と星の持っている宝塔がどうたら……と言っていた筈なのだが、生憎永琳のする話も含めて学の浅い私にはその手の話を聞いた上で他人に説明するのは非常に難易度が高い。

 先ほどの話でもそこはある程度曖昧に伝えたのだが、相手は水蜜。聖の封印解除の為の方法があまり良く分かっていないが故に考え込んでしまっているようだ。心の中で謝罪。

 

「今度星達の所に行って詳しく聞いてくるよ、二人のことも気になるし」

 

「うん、お願い。あとは……手紙とかも書いた方がいいかな」

 

「あ……じゃあさひより、ついでにマミゾウのことも見てきてよ。流石に千年ともなると、私も多少は気になっちゃうんだよね」

 

命蓮寺はともかく佐渡島。気になってはいたが、何故。

 

水蜜と私が首を傾げる中、『それに』とぬえは神妙な顔で本音を吐露した。

 

封獣(ほうじゅう)にはもうウンザリ。正直今すぐ地底を出てぶっ飛ばしに行きたい」

 

「あぁ……そうだね」

 

息巻いて手のひらと拳を打ち合わせるぬえを見て苦笑する水蜜。

 

つまりこういうことだ、と水蜜は語る。

 

「地底だとぬえって鬼達と同じ位の古株だから皆苗字で呼ぶんだよね、封獣さん封獣さんって。字だけが伝わった人には封獣(ふうじゅう)さん。それ位なら良いんだけど、ぬえと親しい古株の鬼なんかは封獣(ほうけもの)のぬえって」

 

「だぁーれが惚け者だ!鬼に言われたくないやい!」

 

その怒号に私も水蜜も苦笑。呼び方の発端は果たしてどちらの鬼か。

 

 まさかマミゾウもそんなつもりで付けた苗字ではなかろうが、こと地底においては彼女の付けた苗字は良い意味でも悪い意味でも浸透しているらしい。これでは今更変えた所でもう取り返しはつかないのでは――そう思ったが、しかし今のぬえを前にしてそんな残酷なことを伝える勇気はなかった。

 

それを誤魔化すように口を開く。

 

「じゃあ、命蓮寺と佐渡島の様子は見てくるとして……二人とも、その後はどうするつもり?」

 

後?と二人して首を傾げる。どうやら何も考えていなかったらしい。

 

「ぬえはともかく、水蜜は地底より命蓮寺に居た方がいいと思うけど」

 

「え、私も地上に出たい」

 

「行きたい行きたくないの話じゃなくて、聖復活の為にってことでしょ」

 

即座にぬえにツッコミを入れる水蜜。『あ、そうか』と納得するぬえ。

 

仲良くやっているようで何よりだ。

 

「結局ぬえもマミゾウに用があるならどっちかが地上か地底に行かなきゃいけないけどね」

 

「……それなんだけど、今って地上と地底の行き来の約束ってどうなってるんだろ?私が勇儀達と地底に来た時には駄目って言われてたけど、萃香は勝手に出て行ったし」

 

遠回りな言い方をしていることに気づいてくれたのはぬえだった。

 

 恐らくは水蜜も伝えられているとは思うのだが、地底を封印された妖怪たちが過ごす場所として使用するにあたって紫は管理人であった四季映姫と『地底から絶対に封印された妖怪達を出さない』という約定を結んでいる。人間が封じ込める意図で地の底に送ったのだから、無遠慮に解除して地上へ戻すというのは見過ごせないということだ。

 

無論私や水蜜、ぬえとしてもこの約定に異論がある訳ではない。

 

でも萃香出て行っちゃったし。

 

「紫に聞かないと分からないけど、もしかしたら閻魔様の言葉が関係してるのかも」

 

「閻魔様?閻魔様って……あれだよね、地獄の偉い人」

 

「そそ、前に地底を貰う時に一回だけ会ったんだ。えーと、何て言ってたかな……確か――」

 

『もし地上で人と妖が共存出来るようになれば、この地底に封印された妖怪を留める必要もなくなるでしょう。それを貴方達が成せば、ですが』

 

確かこのような事を言っていた気がする。

 

 であれば今回萃香が地上に出ることが出来たのは、地上で人間と妖怪が共存出来るようになったからということになるのだろうか。

 

二人に視線を送ってみるも、二人ともさっぱりという風に肩を竦めた。

 

「じゃあまずは紫に聞いて、それから命蓮寺と佐渡島。それからの結果次第だけど、地上に出れるようだったらとりあえず水蜜と一輪達だけでも地上に……だね」

 

地上に出れるとしても聖輦船を含めた水蜜達をどうやって地上に送り出すのかという問題がある。

 

ちなみにこの問題は予想だにしていない形で解決することになるのだが、それはもう少し後の話。

 

異議なーしと声を揃えた二人を見て私は立ち上がった。

 

「じゃ、早速行ってくる」

 

「待って待って、まだ手紙書いてないって!」

 

私の言葉を聞いて慌てて立ち上がる水蜜。

 

手紙のことをすっかり忘れてしまっていたのでなんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

 

「そうしたらひよりとちょっと旧都を見てくるねー!勇儀にもお礼言いたいし、あとは私の傑作建築物も見せてあげなきゃ!村紗ー、風穴前で集合ね!」

 

 そこに間を入れずにフォローを入れてくれたぬえに心の中で感謝。もしかしたら唯彼女の作った傑作建築物を見て欲しかっただけなのかも知れないが、お陰で多少申し訳なさが薄れた。

 

了解と声を上げながら遠ざかっていく水蜜を二人で見送る。

 

 

 

 

「じゃあ行こっか」

 

ぬえは嬉しそうに立ち上がって私に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして風穴前には数人の人だかりが出来ていた。

 

「それじゃこれ、皆を代表して私と一輪から!こっちが星宛てで――」

 

「そしてこっちがナズーリン用ね。ひよりちゃん、お願いします」

 

「ん、分かった」

 

急いで手紙を書いてくれたのだろう、息の上がった二人から手紙を受け取り仕舞う。

 

 

「悪いねひより、私達はそういう気の利いた物はない組だ。とりあえず萃香にたまには帰って来いって伝えておいてくれ。ぬえの作った萃香の()()が寂しそうにしてるってな」

 

「私からはそんなに具体的に伝えて欲しいことはないんだけど……とりあえずマミゾウにはありのままの私の怒りを伝えておいて。あと萃香には、少し改造して快適にしておいたよって」

 

自称気の利いた物のない組である勇儀とぬえからは、二人の友人たちに込めた言葉を受け取って。

 

萃香の家のことについては触れないでおく。いずれ語らざるを得ない日もあるだろう。

 

 

 

私は一人一人と顔を合わせて、そうして皆に背を向けた。

 

 

 

「それじゃ行ってきます」

 

 

『いってらっしゃい!』

 

 

 

 

 

背中から押された勢いのままに、私は思い切り風穴に向かって上昇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




申し開きはせぬのだ。



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