巡ヶ丘学園高校がただの高校だったら。
りーさんが天然さんだったら。
くるみちゃんがダンスやってたら。
みーくんが圭ちゃんと音楽やってたら。
ゆきちゃんがチョーカーさんとよく居残りしてたら。
みんなめぐねえの事が大好きだったら。
そんなお話。
先生ってなんだろう、と考えたことがある。
人によって答えはさまざま。勉強のやりかたを教える人、色々言ってくる煩い人、家族や友人以外で頼れる人とか、そんな感じ。
私もかつてはそう思っていた。そして先生になって、自分のどんくささにちょっぴり落ち込んだりして、それでも立派な先生になる為にある目標を立てた。
私、佐倉慈(めぐみ)は、みんなの目標になれる人になろうと。
1
ジリリリ。ジリリリ。
目覚ましが鳴った。
ここはめぐねえと生徒から慕われる佐倉慈の住む、とあるマンションの一室だ。
ジリリリ。ジリリリ。
目覚ましがまた鳴った。
ベットからもそりと、腕が伸びてその目覚ましを止める。
「もう朝…?」
そうぼやいたのはこの部屋の主である慈。彼女は教師にあるまじき緩んだ顔で、大口を開けてふぁーあ、とひとつ大あくび。
時刻は六時半。焦るような時間ではないがのんびりできるような時間でもない絶妙な時間に目覚めた慈はいつもと同じように食パンをトースターに入れてから洗面台で顔を洗った。一日の始まりである。
歯を磨いて、着替えをして、姿見を見ながら笑顔の練習。それらを終えた慈は少し焼きすぎたトースターにマーガリンを塗ってサクサクと平らげていく。
「ごちそうさま」
慈がこれら一連の事を済ますと時間は七時を少し回ったところだった。別段変わったことの無い一日の始まりだと思っていたが、スマートフォンに送られてきたメールのタイトルで慈はそうではない事を自覚する。
ハッピーバースデー めぐみ
そう、今日は慈の誕生日であった。母親から送られたメールで気が付いたその特別な日に、慈は特別さを感じなくなっていた事に若干の絶望を感じた。
なんといっても慈は成人しているし、これからは歳をとっても老けていくだけなのだ。幼少のころの自分の純粋さに少しだけ憧れを抱きながら、慈は母親にありがとうのメールを送ろうとスマートフォンを操作しだす。
「いけない、もうこんな時間!」
期せずして長文となってしまったメールを作成していたからであろうか、遅刻ギリギリまでに迫っていた慈は慌ててマンションの一室を後にした。
「佐倉さん、貴女は教師としての自覚が足りていません。いいですか、教師たるもの規律をしっかりと守り生徒との距離も……」
遅刻は回避できたものの、運悪く教頭に見つかってしまい慈は説教を受ける羽目に陥った。彼の言葉は慈自身が自覚している事であり大変耳に痛く、しょんぼりと肩を落とす。
そして彼の説教は朝のショートホームルーム直前まで続き、慈は廊下を走って自らの受け持つクラスまで走る羽目にも陥る。
泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目。踏んだり蹴ったり。似たような言葉がいくつもあるように、不幸とは重なりやすいモノである。
廊下を走ったのを叱られて、授業で使うプリントを忘れて落ち込んで、お弁当を忘れたのを思い出して購買に行ったりしている内に時間は流れ、今は放課後。慈は二人の生徒の補修のために三年の教室に残っていた。
「いやーごめん?宿題やったけど忘れちゃってさ」
「もーそんな事言っちゃってぇ、きーちゃん実はやってないんでしょ?」
「宿題あること自体忘れてたゆきに言われたくないな」
「はうっ!」
宿題をやったけど家に忘れたと言ったのが柚村貴依(たかえ)、少し着崩した制服と首のチョーカーが特徴的なやや不良っぽい少女。そもそも宿題の存在を忘れていたのが丈槍由紀(ゆき)で、同じく着崩した制服と頭にかぶったネコミミ付きビーニー帽がトレードマークの活発そうな少女だ。
二人は机を並べて宿題の漢字プリントを頑張っている。時折「ここどーやって書くんだっけ」「こうだよー。よーえろすん(※1)って覚えればいいよ!」「お前地味に頭いいな」等の会話が聞こえるものの、慈は苦笑いするだけで特に咎めることはしなかった。(※1 尋)
そして10分ほど経過してプリントのほとんどが完成した頃、不意に貴依が口を開く。
「なあめぐねえ、ちょっと屋上いこうよ」
「え?どうして?」
生徒にめぐねえと言われるのを嫌がる慈にしては珍しく、先に質問が出た。放課後と言えは園芸部が屋上で部活をしている時間であり、見る物といえば園芸部の農園とソーラーパネルくらいのものである。慈の表情からそれを察した貴依がさらに続けた。
「園芸部に悠里(ゆうり)ってヤツが居るんだけどさ、ぜひめぐねえに園芸部に来てほしいなーって言ってたんだ」
「えっ?めぐねえだけズルい!私もいきたい!」
「ゆきは話をややこしくするな!」
「ふぎゃー!」
そういう事か、と納得すると同時に慈は胸が温かくなるのを感じた。教頭先生からは生徒との距離が近すぎるといつも叱られてばかりいるが、それでも慕ってくれている生徒は居るのだと。
慈は貴依にこねくり回されている由紀を見ながら頬を緩めた。
「そうね、是非行ってみたいわ。それとめぐねえじゃなくて、佐倉先生」
「はーい、めぐねえ」
「もう…」
2
今日ほど不思議な日は無いと慈は考える。
異変に気が付いたのは屋上の扉を開いて直ぐだった。外から運動部の声が聞こえないのだ。
「運動部のみんな、いないね」
「そうね…」
由紀の言葉に思わず慈が返事をした。いつもは賑わっているはずのグラウンドから風の吹く音以外が聞こえないのがとても不気味だ。
慈の視線がグラウンドから正面に戻ると、そこには一人の生徒が立っていた。
「佐倉先生、来てくれたんですね!」
彼女、若狭悠里は満面の笑みで慈を受け入れた。そして劇場のステージに居るように腕を広げて横に一歩ずれ、農園に意識を向けさせる。そこには『よく手の入った畑』では言い表せないような、立派な農園になっていた。
大きな豆を吊り下げた枝豆。ズシリとした重みのありそうなかぼちゃ、つややかなトマト、天に向けて直立しているトウモロコシ。とても学校の、それも部活動で行うようなものではない種類の植物が所狭しと育まれていた。
「すごい……」
ぽつりと、掛け値なしの本音が慈の口から漏れた。それを聞いた悠里は嬉しそうにくるくると回りながら笑う。
かなり過剰な喜び方に由紀が「楽しそう!」と言って一緒に回り出した。一緒にいた貴依は呆れたような笑みを浮かべるものの、止める気は無いようだ。
うふふ、あははと踊り狂う二人を見て慈は狐にでも化かされているのかと空を仰いだ。空は深い青と鮮やかな橙で、昼と夜の境目である時間特有の綺麗なグラデーションを奏でている。
「こりゃ作戦変更だな」
貴依がぽつりと漏らした。慈が何の事が疑問に思って貴依を見るも意地悪く笑うだけ。「めぐねえはそこな」と言い残した後大仰な動作で屋上の真ん中に陣取り、手を打ち鳴らした。パン、パンという音で全員の意識が貴依に向く。
「落ち着けお前ら、特に悠里!」
貴依がビシリと悠里に人差し指を向ける。名指しされた彼女は小首を傾げて「何故?」と言わんばかりの表情をした後ポンと手を打った。
「あ、そうだったわね。佐倉先生、こっちも見てください」
「わっ」
悠里は優しくありながら力強く慈の手を引いた。その有無を言わさない力強さに抗えぬまま慈は農園の真ん中にある通路を付いていく。色とりどりの野菜に加え、たんぽぽや百日草、向日葵に加えアサガオ等食べれる花まで植えられていることに慈は気が付かなかったが、その場はまるで花畑のステージのようであった。
学園内にあった意外に身近な絶景に息を飲む慈。
「ふふふ、驚きました?ここは私たち園芸部が丹精込めて作った特別な『ステージ』なんです」
悠里は慈に、語りかけるように言葉を繋ぐ。
「特別な日に、特別なステージ。そして特別なひと。今舞台は整ったんです」
まるで舞台にでも上がっているかのように悠里は大きな身振りで慈の視線を奪う。そして彼女の背後では静かに作戦が始まっていた。
どこに隠れていたのか、各々の楽器を持った吹奏楽部と軽音楽部の面々が特別なステージの前に陣取り、楽器を設置して行く。
さあ後ろを見てくださいと悠里に言われて振り返った慈は驚きの声を上げた。
「我ら、吹奏楽部ー!」
「同じく、軽音楽部!」
「今日は佐倉せんせーにー!」
「特別な歌をおくります!」
先頭に立った少女二人が交互に慈に言葉を贈る。少女たちは目をまんまるにして驚いている慈を見ると「作戦せいこー!」とハイタッチを交わした。
「では聞いてください!」
「ハッピーバースデートゥーユー(※2)!」(※2 誕生日で歌われることの多いバースデーソング。世界で一番歌われている歌)
軽音楽部先頭の直樹美紀(みき)が景気よくギターをかき鳴らし、同じく吹奏楽部先頭の祠堂圭(けい)がトランペットから軽快な音を奏でる。
しかし突然美紀の持つギターが「ミョイン」、圭の持つトランペットが「プェ」と音を鳴らし全員が驚き顔のまま固まった。何事かと思い慈が振り返るとそこにはどこからやって来たのかユニフォーム姿の野球部員やサッカー部員、変わりどころで言えば水泳部までもがステージを囲うように揃っている。
「ハハハ!甘いな音楽部!サプライズはお前たちだけじゃあないんだよ!」
そしてその先頭にはいつの間にかマイクを持参した貴依が堂々と立っていた。どうやら全ては彼女の手のひらの上で転がっていたようだ。そして一番驚いたのは渦中の人物であるオロオロと周りを見回している教師、慈だ。
「大丈夫ですよ。みんな、佐倉先生のために集まったんです。許可も取ってありますから」
悠里はそう言うと慈の両手をそっと握った。「許可って?」と慈が悠里に問いかけるとニッコリ笑いながら答える。
「屋上でサプライズイベントを送る許可を教頭先生に。いつも口うるさい人ですけど佐倉先生の事、認めているみたいですよ」
「そーなんだよー!教頭先生は『つんでれ』だってきーちゃんが言ってた!」
そして補足するようにゆきが言葉を繋げる。それは慈にとっては余りにも意外な事だった。彼女はいつも教頭に叱られているので嫌われているのではないかと思っていたのだから。
やがて音楽部と運動部の問答は終わり、結局全員でハッピーバースデートゥーユーを歌う事に決まった。美紀の指揮によって一応のテンポを取ることには成功したもののリハーサルもしないままでうまく行く訳は無く、なんだか滅茶苦茶なテンポの歌になってしまう。
それでも慈の心は感動で満たされた。ここまで慕われていることに戸惑いはあるが、自分のやりかたは間違っていなかったのだと。
その瞬間である。屋上にゾンビがなだれ込んできたのは。
軽快な音楽が終わるのと共にゾンビが一斉に決めポーズを決める。
なんてことは無い。彼らは運動部の中でも特に運動神経の良い者を選抜して組まれた、ゾンビに扮するダンスチームである。
最初は驚いていた慈と由紀ではあったが(特に由紀など半分泣いていた)種が割れてからというものの踊るゾンビに夢中になったようで彼らが華麗なステップやターンを決める度に「おお~」と諸手を叩いて関心していた。
そして今は各々の決めポーズで固まっているドッキリチームを眺めながら、興奮さめやらぬといった風に由紀は飛び跳ねながら喜ぶ。
「すごいすごーい!さっすがくるみちゃん!」
「へへ、照れるな」
そして一番最初にポーズを崩したのがツインテールの顔色土色ゾンビ、恵飛須沢胡桃(くるみ)だ。彼女は個人的に由紀と交友があり互いを仲の良い友達と認識していた。
そしてそれを皮切りにぽろぽろと各々のポーズが崩れていき、タイミングも声質もバラバラな声で「めぐねえおめでとー!」「だいすきー!」と誕生日を祝った。
「わ、わたしも……」
その輪の中で、震える慈の声が囁くように絞り出された。その声に生徒たちの喧騒は一気に収まって行き、そして。
「私もみんなが、大好きよー!」
わっと歓声が上がった。
3
「きーちゃん!めぐねえ喜んでくれたね!」
「そうだな。こんだけ喜んでくれたら教頭に頭を下げた甲斐があるってもんだ」
「ところできーちゃん」
「うん?何だゆき」
「わたし、サプライズの事なーんにも聞いてないんだけど」
「ああ、それな」
「ゆきは隠し事がへたっぴだからな。お前には黙ってたんだ」
「つまり…?」
「まあ。なんだ。仲間外れにして悪かった」
「えっ、ええ~~っ!?そんな事知りたくなかったよー!」
夕方の5時半頃、ベソをかきながら同級生をぽこぽこ殴る女子高生がいたそうな。