夢の世界のミストルティン 作:キモリ
夢魔。キリスト教に於ける悪魔の一種である。
女には睡眠中に生殖行為を働いて孕まされ、男にはその好みのままの姿になって誘惑した果てに精液を搾り取るという、女にとっては大迷惑な、男にとっては一夜限りの夢物語のような体験をさせてくれる存在。
それが、ラテン語で『のしかかる者』『下に寝る』を意味する名を持つ、夢魔という悪魔な筈だった。
だった。
『ねー、ミストルティンちゃん暇だなー』
「私も忙しいのです」
聴きやすい、一見聴いただけでは厄介者にしかならないという現状を感じさせない声が耳元で響く。
高校二年生にして夢魔という名の何かを、更には我儘お嬢様の典型のような危険人物を自分の中に飼うことになるとは、彼は更々考えていなかった。
二年前の春先に『荒涼とした赤紫の大地に艶やかな花のような少女が立っている』夢を繰り返し見たのが、この非日常の始まりである。
それから徐々にその夢を見る頻度が増えた。
艶やかな花のように立っていた少女が近づこうとしては何かにぶつかり、額を赤くしては諦めずに何やらやっているという、自分が傍観者でしかない夢を一年に渡って断続的に見た末に、彼の身には何やら幻聴と立ちくらみが起こるようになる。
その無視に無視を重ねられて憔悴したような少女のストーカーめいた呼び掛けに答え、はや一年。
憔悴したような少女の声は枯れた植物に水をあげたように潤いと張りを取り戻し、こちらが返事をするまで只管アタックを仕掛ける習性で味を占めていた。
彼からすれば、溜まったものではないが。
『帰り際にどっかに寄り道しよーよ。ね?』
「狩りなら2日前にしたでしょう」
『好きなことは、毎日でもやりたいじゃん?』
左耳に鳴る猫のようなお強請りを受け、彼は安全地帯である路地裏へと移動し、両手を重ねて祈る。
普段ならばやらない、億劫なその動作こそが発動のサイン。
内に飼っている彼女の狩り場が世界を侵食し、無差別に狩りの対象を捜し、蔦と茎とが範囲を定め。
少し前まで広がっていた暗い路地裏は、荒涼とした赤紫の大地に変貌していた。
幻界。夢の住人である夢魔が嘗て住み着いていた世界であり、ミストルティンの為の世界。
「ミストルティン」
「はぁーい」
トテトテと一見無害そうにやってくる彼女は、ミストルティン。
彼に棲み着いた夢魔である。
髪はしっとりとしたクリーム色。二房の髪には蔦をかたどった濃い赤さを持つリボンが絡まり、その身体を包む縦に割れた配色を持つ白と黒のゴスロリが、現代的な雰囲気を醸し出していた。
花や、枝。所々に蕾や花弁を思わせる装飾は統一された物であり、彼女の為に誂えたような似合いっぷりは確実に市販品ではないだろう。
「二日振りです」
荒野に一本植えられた巨木の元に設置された二人分の木製椅子に腰を下ろした。
冷酷さに於いて似通った点を持つ二人―――多弁で軽い調子なミストルティンと慇懃無礼な彼は、性格こそ違えどうまくやっていけている。
出逢い、支配に失敗した時点でミストルティンは彼に親近感と面白味を感じていた。
夢魔という物は、人に取り憑く。それは支配という形だったり、共存という形だったり、どっちつかずの二重人格めいている状態だったりしている。
強大且つ『寄生』という行為に適した能力を持つ彼女からすれば、器とした人などはすぐさま支配できるであろうという目算があった。
だが、彼を器にして棲み着いた時に行った急速支配と宿り木のように年月を費やして支配する浸透支配のどちらもが完璧に防がれてしまったのである。
つまり、彼女は寄生して声も届かないという孤立した状況下で採れる選択肢が、彼に対して興味を抱くより他になくなった。
断固とした無視によって発生した孤独により、彼女の我儘さは幾許か薄れ、その発作的な同胞殺しの衝動も僅かな収まりを見せている。
そして彼女の中ではその他者への冷酷さに対して感じる気持ちと自分の支配を弾いたという苛立ちは、ないまぜになって奇妙な親近感となっていた。
我儘且つ残虐非道なミストルティンを御せているのは、彼の無感動なまでの冷酷さによるところが大きかったのである。
「やっほー」
蕾の中から現れたその少女はΨのような紋様が浮かぶ瞳を三日月のように細め、目の前に無邪気に過ぎる笑いを見せた。
立ちくらみと幻聴の原因、ミストルティンその人である。
「さて、なんの様でしょうか?」
「そろそろ、群がる蝿を殺したいんだよね」
赤の他人に対して一切の慈悲と罪悪感を持たない男と、子供の如き無邪気な残酷さを持つミストルティン。
完全に悪役と言う形容が似合う二人は、おかずの相談でもするような調子で『人の夢を葬り去る』話をしていた。
ミストルティンの暴虐の対象となる夢魔は、人を器とし、その『夢』に棲み着いている。
この夢というのは一見すれば『将来こうなりたい』という類の夢だと思われるが、『生きる気力そのもの』を指していた。
それが何と関係してくるのかと言えば、『人を器としている夢魔を殺せば、器とされた人間の夢ごと死ぬ』という事実と関係してくる。
つまりザックリ言うならば、人を器としている夢魔を殺せば人一人の人生を潰すことになるのだ。
「それはまあどうでもいいですが、最近あなたはあらたにあらわれた多数の夢魔に探られているらしいのではありませんか?」
「うん。ミストルティンちゃんは人気者だからね」
語尾に星でも付けているような軽さと共に『事実』を吐き、ミストルティンはカラカラと笑う。
彼女が他の夢魔に討たれれば当然ながら彼の夢も消えることがわかっていながら、それはあまりにも軽い行動だった。
寄生を得手としている彼女が器としている彼との共存の度合いを深めている現状からすれば、下手すれば死ぬ可能性すらある。
注釈すると、別にミストルティンはこの器を殺したい訳ではない。
ただ、自分の実力に自信を持ち過ぎているだけなのだ。
自分の実力に自信を持っているからこそ、多数の夢魔を敵に回しても討滅されない自信がある。
ミストルティンからすれば、器である彼がもし心配しているようならば笑い飛ばして安心させようという目論見がその不謹慎な行動の内情を占めていた。
「まあ、追われているのは構いません。弱い者いじめしかしていないとは言え、あなたの実力は充分に頼りになりうるとわかりましたから」
「言うね、ムラカミ」
暗に馬鹿にしたような言葉を平然と吐いた彼に対し、本名を呼びつつ瞳を向ける。
その声色は常とは違い、殺戮者としての狂暴さを表に出した時のそれだった。
視線を向けられた者を恐怖で硬直させるその眼には、蛇の如き冷酷さが浮かんでいる。
慇懃無礼に過ぎる彼と、殺人ナイフの如き無差別な切れ味を誇るミストルティン。二人のコミュニケーションは、傍から見れば危険極まりないものだった。
「事実ですから」
「あれは趣味。ガチでやるときはとことん殺るよ」
この男があまり外出を好まないこともあり、ミストルティンの『狩り』は主に受動的な物が多い。
彼が能動的に動く時は、その襲ってきた身の程知らずに仲間がいた時でしかないのである。
量を殺すよりも単数で愉しめるようになれ、と言うのがムラカミと呼ばれた男の内心だった。
こう聞くとミストルティンが襲われているから仕方なくやっていると思われるだろう。
が、彼女を狙ってやってくる者はだいたいが被害を被ったが故の反撃であり、突き詰めて考えればミストルティンが悪かった。
幻界、彼女の本来の居住地である夢の世界にいた時から、ミストルティンはミストルティンだったのだろう。
「あなたの築いた悪名です。あなたが最大限に利用されることを望みます」
ミストルティンの性格を表すならば、無邪気な子供という表し方が最も的確だった。
その場その場に合わせて目的がころころ変わり、水をさされ過ぎると冷めてしまい、時間が経つとすぐ飽きてしまう。
どういう状況下であろうとも一つの物事に集中できず、本来倫理感を身につける時期に既に圧倒的な力を得てしまったばかりにそれが欠如し、純粋な欲望が残酷さに転用されていた。
生まれもった圧倒的な力で純粋培養されたが故に残虐さを収めるすべを失ったのだろう。
「わかってるって」
茎から芽が生まれ、生まれた芽から茎が伸び。
植物の成長を描いたような一本の菫色の茎があしらわれたニーソックスを履いた脚をプラプラと振り、ミストルティンは無邪気に笑む。
ゴスロリのミニスカート部分からスパッツが見えていることすら頓着しないその子供っぽいあどけなさに苦笑しながら、ムラカミは僅かに天を見た。