切なさの距離感 ~ Story of Nozomi 作:Kohya S.
翌日のμ'sの練習は気が重かったが、ここで休んだらにこを変に心配させてしまうだろう。希はなんとかいつも通り参加した。
その翌日、練習は休みで――直樹とデートの予定が入っていた。
一昨日から希は自分にいい聞かせていた。あのときに見かけた彼女はただの友達だと。しかしふと気付くと心はそこに戻っていて――千々に乱れるのだった。
JRのある駅で直樹と待ち合わせた。ふたりで買い物にいく。
直樹はいつも通り明るくて親切で先日のことを微塵にも感じさせなかった。
「希ちゃん、どうかしましたか。すこし……元気がないみたいですけど」
直樹は一緒に歩きながら心配そうに希にそうたずねた。
「ん、大丈夫やん」
希は平静をよそおってそうこたえるのだった。
いつもよりすこし早く手近なお店で休憩する。希は飲み物だけ注文した。直樹もそれにならう。
直樹との会話は途切れがちだった。
この前のこと、聞かないと……。いつまでも引きずることに、なってしまうよね……。でも、すこし怖いやん……。
長いあいだ躊躇していた希だが顔を伏せたまま小さな声で切り出した。
「……その、直樹君。おとといのこと、なんだけど」
「おととい?」
直樹はごく自然にそういった。
「うち、ちょっと用事があって、秋葉原のTレコードに行ったんよ……」
直樹の顔色がかすかに変わった。希は続ける。
「そこで、直樹君が……女の子と一緒にいるところ、見ちゃったんよ」
希はわずかに顔を上げて上目遣いで直樹を見る。
一瞬沈黙が流れる。
「……彼女は、ただの後輩ですよ」
直樹は硬い口調でそういった。
「でも、その、楽しそうだったんで、うち、気になって……」
希はまた目を落とす。
「そんなこと……彼女とは、なにもありませんよ」
直樹は顔をそらして続けた。
「それに……希ちゃんに、そんなこと、いう資格があるんですか」
希ははっと顔を上げた。直樹は希と目を合わせないままいう。
「希ちゃん、ずっとスクールアイドルの、μ'sのことばかりで、俺のことなんか、気にしてないんじゃないですか」
「そんな……そんなことないよ」
希は強い口調で否定した。直樹は視線を戻す。
「俺、希ちゃんのことが好きです。でも、スクールアイドルの希ちゃんは……俺の知ってる希ちゃんじゃないような気がして」
最後のほうは小声になっていた。
「でも……うちは、うちやん……」
希も小声でこたえる。
「わかってます。でも……。スクールアイドル、ずっと続けるんですか?」
希は思わぬ質問に胸がどきりとした。
「それ……どういう意味なん……」
直樹の顔に後悔が浮かんだように見えた。
「すみません。こんなこと、いうつもりじゃなかったんですけど」
「……うちのこと、応援してくれてるんだと思ってた」
希は涙があふれそうになるのを感じた。直樹は無言だった。
「……ごめん、うち、用事を思い出したん」
希は財布から札を取り出すとテーブルの上に置いた。
「ごめんね」
そのまま直樹と目を合わせずに希は店の外へ出た。「希ちゃん!」という直樹の言葉を背に。
希はひとりで帰宅した。その日は直樹からの希への連絡はなかった。
・
翌日はμ'sの練習があった。昨晩はなかなか寝付けず――それでも今日はいつも通り目覚めた希だったが、なかなか起き上がることができなかった。
直樹の言葉が希の心に残っていた。ベッドの中で考える。
直樹君があんな風に考えてたなんて……思ってもいなかったやん。スクールアイドルって、うちにとってなんなんだろ……。
そして、うちは……μ'sと直樹君、どっちか選ぶなんてできへんし……。
希は今度こそ練習を休もうかと思ったものの、のろのろと起き上がり準備を始めた。
練習には参加したが希がなにかおかしいことは、メンバーも気付いていたようだった。
にこからは本気で心配されてしまった。
「希、この前も調子悪そうだったし……大丈夫なの」
「うん、ちょっと寝不足、かな」
希は笑ってごまかす。
「……それならいいけど……。しっかり休みなさいよね」
帰りになにか食べていくというメンバーと別れて希はひとり帰宅した。
誰もいない部屋に帰り着く。エアコンのスイッチを入れた。
希は荷物を床に放り出してLDKの椅子に座った。なにもする気になれなかった。
スマートフォンの着信音がした。メンバーの誰かだろうか。希はそう考えながら取り出して見ると――直樹からだった。希はどきっとするが深呼吸してから受話ボタンを押した。
「はい」と希。
「希ちゃん……いま、大丈夫ですか」
落ち着いたようすだがどこかうわずった直樹の声。
「大丈夫だよ」
希も内心の動揺を押し殺してこたえる。
「……その、この前は、すみませんでした。俺、ひどいこといっちゃって……」
希はその言葉を聞いてすこしだけ心が落ち着く。
「ううん、うちも……うちも、悪かったんよ。ごめんね」
ふたりともしばらく黙った。
「あの……これから会えますか……」と直樹。
「ええよ」
「じゃあ……俺、そっちまで行くので……秋葉原の例のお店でいいですか」
静かに直樹がいった。
「了解。五時くらいでいいかな」
希も淡々とこたえる。
「わかりました」
希はシャワーを浴びて着替えてから家を出た。
秋葉原のチェーンのコーヒー店。直樹とふたりで最初に行った場所だった。秋葉原に来たときなどそのあとも何度かふたりで訪れていた。
希はカウンターで注文してから二階席に上がり待った。今日もすいていた。
すぐに直樹がやってきた。希の前に座る。
「希ちゃん」
硬い笑みの直樹。
「あ、直樹君、久しぶり……かな」
挨拶をしたあとはふたりとも無言だった。
やがて直樹が切り出した。
「その、電話でもいったけど……ごめんなさい。俺、ひどいこといいましたよね」
その表情は暗かった。希はかぶりをふる。
「ううん、うちこそ、ごめん。直樹君のこと……その、信じられなくて……」
希はぽつぽつと絞り出すようにいった。
「いえ、仕方ないですよ……」と直樹。
希は最近のことを思い出す。
「……それに、うち、忙しくて……直樹君のこと、すこし考えられてなかったみたい。ごめんね」
希は軽く頭を下げた。
「そんな……あやまらないでください」
直樹は困惑したようにこたえた。
しばらく間をおいてから希は目を落として小声でいう。
「……ほんというと、スクールアイドル続けるのかっていわれて、ちょっとショックやった」
直樹がびくっとする。希は続ける。
「うち、向いてないんかなって思うこともあったし……」
「そんなことありません」
強い調子で直樹がいった。希は顔を上げる。
「ありがと。うち……いまは、もうすこし続けたいと思ってるんよ……」
希の顔に悲し気な笑みが浮かんだ。
「そう……ですよね」
直樹は硬い表情で続けた。
「俺、希ちゃんのこと、μ'sのこと、応援してるのは本当です。ただ、その……思ったよりずっと……すごくて……」
「すごい?」
「はい……だから……いえ、なんでもないです」
希は続きが気になったが――直樹はそれ以上なにもいわなかった。
ふたりは店を出た。秋葉原の街は夕日に染まり涼しい風が吹いてきていた。
「それじゃ、また」と直樹。
「うん、またね」
「これからも応援してますね」
直樹はなんとか笑顔でいう。
「ありがとう」
ふたりは手を振って別れた。
直樹の背中を見送って希はゆっくりと歩きだした。
ビルの間を抜ける風に希の髪がゆらいだ。
次のデートの予定……なにもいわなかったけど……いや、なにもいえなかった、が正しいのかな……。
・
直樹と話したことで希はようやく多少とも落ち着いた。直樹の言葉に引っかかるものはあったがきっと時間が解決してくれる、そう希は思っていた。
夏休みもそろそろ終わりに近付いた練習最終日。練習後、メンバー全員で秋葉原へ打ち上げに行くことになった。
音ノ木坂学院を出て、傾いた夕日が街を赤く染めるなか全員で歩いていく。
「みんな、宿題は終わったの?」と絵里。
「はい、もちろんです」海未は胸を張った。
「花陽も終わりました」
「ことりも、大丈夫だよ」
花陽とことりは顔を見合わせてにっこりと笑いあう。
「あー、まだほとんど残ってるんだよね……」これは穂乃果だ。
「穂乃果ちゃーん、いっしょにがんばろ」
凛が穂乃果に抱き着いた。
「できないもの同士で一緒にやっても、意味ないでしょ」にこが突っ込む。
「そういうにこちゃんはどうなのよ……」
すこし離れたところから真姫。
「う、うるさいわね。これから本気出すのよ。ねえ、希」
「はいはい」
希はみんなの会話に胸が暖かくなるのを感じた。
神田川を渡ると秋葉原の雑踏が近付いてくる。人通りも多くなってきた。
「ねえねえ、これからどうするの」と穂乃果。
「そうね、まずはなにか軽く食べてから……カラオケでも行きましょうか」
絵里がこたえる。
「ラーメンがいいニャ!」と凛。
「ちっとも軽くないじゃない……」真姫がいう。
そんな会話をしながら歩いていたとき、前から数人連れのグループが来ることに希は気付いた。希たちと同じく高校生くらいのようだ。
なんの気なしにそちらを見ると、その中に見慣れた姿があった。
直樹だった。そして隣には例の彼女。ほかに三人ほど男女が一緒だった。
希は胸に痛みが走るのを感じた。
希が見た直樹は彼女と話していた。直樹の顔は明るくて楽しそうで――以前自分に向けられたものと同じだと希は感じた。彼女も笑っていた。
希は気付かれないことを祈りながらそのまま歩いた。しかしその祈りは通じず――直樹も希に気付いたようだった。さっと直樹の顔色がかわった。
ふたりは言葉を交わすこともなく、そのまますれ違った。
「希ちゃん!」
しばらく無表情で歩いていた希は凛が話しかけていることにようやく気付いた。
「希ちゃんはなに食べたい?」
「うちは、なんでもいいよ」
希はみんなになんとかついていった。さきほどの光景が思い起こされる。
希は衝撃を受けていたが――なんとなくこんなことを予感していた自分に気付くのだった。