その龍は鎌首をもたげて紫と霊夢を見下ろしている。その真っ赤な目は昨日より何倍も恐ろしく見えた。
身体が恐怖で動かない。
『くくく…ハハハハハ!さらばッ、忌まわしき結界ッッ!!」
─八頭龍、食欲は旺盛にして狙った獲物に関しては諦めることを知らず。その欲求の前には、1000年の時も一瞬に過ぎない。
紫「そ、そんなァ…何故よ…?」
『…150年。本当に短い…付き合いだったな』
龍は紫にそう言い残すと幻想郷へ通じる結界の穴に向かって身をくねらせながら突き進んでいく。紫もそれを防ごうと結界を張るが、龍の侵攻の前には正に蜘蛛の巣のように簡単にねじ切られてしまった。
『お前はもう必要ない。消えな』
今まで霊夢たちと関わってきたリーダーとは別の、真っ赤な甲殻と鱗を持ち、大きな細長い口先の広がった嘴を持つ掘りの深い顔を近づけそう呟く龍。その大きな黄色い目が紫を見据えた。
紫「が…!」
直後、長大な身を鞭のようにしならし、紫を体当たりで突き飛ばした。紫は蹴られた小石のように奈落の遥か彼方へ吹き飛んでいく。
午前11時23分、幻想郷上空を猛スピードで移動するシロ。
萃香との戦いでの傷が痛々しく残っている。
シロ「ち、時間を喰ってしまった…早く霊夢の元へ追いつかねば」
と言いつつも既に奈落へ通じる穴の割と近くまで迫っていた。その穴の前でたくさんの小さな影と二つの大きな影が動きまわっているが見える。小さな影は鴉天狗や山伏天狗、大きな二つの影のうち小さい方が大天狗、それよりのデカい方が天魔だ。
シロ「何だ…仲間割れか」
状況はだいたいわかった。あの天狗共が霊夢の邪魔をしているのだな。
だがその直後、奈落の穴が一気に広がったかと思えば、八つの龍の頭が我先にと押し合いをしながら無理やり出てこようとしてつっかえた。しかし、その穴の周囲がガラスを割るようにパキパキと砕け散り、ついに八つの頭が解き放たれた。
『キヤァエエエエエエエエエエエ』
150年。八頭龍にとってはわずかな時間だったかもしれないが、その封印を解かれついに復活を果たしたのだ。解放された龍の頭たちは各々に歓喜と威嚇の咆哮を轟かせる。その轟音は、更に深く黒雲を呼び、雷を無数に地上へと落した。
シロ「は…八頭龍…!」
間に合わなかった。長く叫び声をあげる龍を、ただ遠くから立ち尽くすように眺めていた。
文「龍神が目覚めた…繰り返します、龍神が目覚めました!」
「な、何ィ~~!?」
目覚めてしまった巨大な龍を仰ぎ見ながら驚愕する天狗たち。龍を蛇とすれば、まさに山の妖怪たちなど睨まれた蛙のような存在に過ぎない。
『ゲア!』
八つの頭のうち、鰻のように黒く光沢のある身体に、魚のアロワナを彷彿とさせる下顎のせり出た細い目つきの龍が天魔に口を開けながら襲い掛かる。
「お、おのれェ~~!」
豪風と妖術の衝撃波を放ち抵抗するが、いくら巨大で山の長でもある天魔と言えど龍の前ではおやつ程度でしかない。龍の大顎が天魔の上半身を齧りとった。
龍はその天魔の身体を数回咀嚼してから呑み込み、別の鼻先の曲がった頭に長い鶏冠を持つ龍がすぐさま残りの下半身に食らいつき一気に丸呑みにした。
「ど、どうにもできぬ…!」
長である天魔を失った妖怪たちはその場で恐れ戦き、もはや逃げることもできずに立ち尽くしてしまう。
シロ「これが…八頭龍の力、か…」
先ほど、天魔を喰らって見せた龍は妖怪の山まで空を泳いで行き、山そのものに長大な身を巻きつけた。
もう一つの龍も後を追うように山に向かい、山の斜面に首を突っ込み、そのまま潜り込んでいく。向かった先は…地底か。さらに二つの龍は天へ昇り、天界へと向かった。それを見た鶏冠が伸びた龍は中有の道を方角へ泳ぎ、あの世へと侵入していった。
────────────
そのころ、地上では。
止まない豪雨と落雷を危険とみなし、尸解仙である豊聡耳神子、物部布都、蘇我屠自古は里の人間を自らが普段住居を構えている神子の仙界に里の人間を全て避難させることにした。
神子「かつてない大災害。このまま嵐が吹き続ければ、里はおろか幻想郷が耐えられない!」
布都「うーむ、やはり先に大半の住民を避難させておいて正解だった」
布都が神子の横から、幻想郷の嵐の様子を見ていた。
星「東区の人間は避難完了しました。残るは南地区の一部の人間と、依然として逃げようとしない、里に住む妖怪たちです」
命蓮寺に住む寅丸星が神子にそう報告をした。
神子「なに、妖怪たちは逃げようとしない?」
星「ええ。人間が逃げるからって自分らが逃げる必要はあるのかよ、って話を聞いてくれないんです」
6体の龍は幻想郷に通じる各異界に散らばり、各々でその異界を喰らうだろう。その場に残ったのはあのリーダーと、500年前に行動を共にしていた赤い龍だった。
『なァ、ジエ…これからどうするよ?』
紅い龍はギョロリとした目を、「ジエ」に向けた。どうやら薄い水色の鱗に黒い棘を持つこのリーダーはジエと呼ばれているらしい。
『そうだな、ゲガルドよ…まずは、喰らいやすいように地面をほぐしてやろうぞ』
ジエが目を向けたのは、雲の隙間から見えた…人間の里。それを横目で見るとまるで笑みを浮かべるかのように歯茎を剥き出した。
霊夢「そうはさせないわ!」
奈落の穴から霊夢が飛び出し、ジエとゲガルドの目前に立ちふさがる。
シロ「アレは…霊夢!」
シロは姿を現した霊夢の傍へすぐに駆けつけた。
霊夢「シロ!その傷は…」
抉られた目、千切られたような三本の尻尾。他にもいくつかある傷跡を指差して霊夢が言った。
シロ「話は後だ…どうやら間に合わなかったようだな…」
『これはこれは白面の者と巫女がお揃いかよ。だが見てみろ、たった今…ジエは地面をほぐすために下に向けて妖気をブレスとして放つ…それがどこに着弾するか、わかるね?』
真っ赤な身体を持つゲガルドが二人にそう言った。その表情にはジエと同じく気味の悪い笑みが浮かんでいるように見える。
霊夢「そんな…やめろ…やめなさい!」
霊夢は怒りを露わにしてジエに突っ込んでいく。が、間に入ったゲガルドは頭を振って霊夢を跳ね返してしまう。
何度も挑んでいくがそのたびにゲガルドによって阻まれ、その間にもジエの開いた口の中に紫色の妖気の渦が溜まり始める。
シロ「けえええ、キサマァ!」
それに我慢が出来なくなったシロは霊夢と共にジエを止めようとする。
しかしその時、ジエの口から竜巻状のブレスが放たれた。ブレスは一直線に下へと向かい、雲を突き破って地上へ着弾した。
その場所は人間の里。建物、木、塀、全てを薙ぎ払い、巻き上げながらブレスは里を通過していく。龍神をモデルとして作られた…龍神像も粉々に吹き飛ばされるのが見えた。
霊夢「あ、あぁ~…」
里が吹き飛ぶ様を見てしまった霊夢はフラフラとシロに寄りかかった。里には阿求も魔理沙も、霖之助さんもとらも…他にも沢山の知り合いが居た。それらもまとめて吹き飛んでしまったかもしれない。
霊夢「そうだ、もう逃げよう!」
シロ「お前…何を言っておる」
霊夢「だって…未来が見える薬があってね、それが見せた未来はシロが死ぬところだったの!アンタだけは失いたくないわ、だからすぐに安全な所へ…」
今までの勇猛な態度で戦いに臨んだ霊夢から飛び出たのは泣き言であった。それを聞いたシロは目を細めながら霊夢を睨む。
霊夢「もう八頭龍なんてカンケーないよ…」
パァン
シロは霊夢の頬をひっぱたいた。目を覚ませ…その一心でだ。
シロ「八頭龍と戦えるのは今や我とお前しか居らぬのだぞ!そのお前がそんな事を言ってどうする!?」
なんでぶつのよ…。魔理沙にも殴られた…皆からも忘れられて。
憎いわ、八頭龍…私から何もかも奪っていきやがって。
霊夢「分かったわ、そんなに言うなら倒せばいいんでしょ…あの龍をさァ!!」
シロ「…!?いかん、お前まで憎しみに染まってしまっては…!」
シロは初めて萃香と出会った時に言われた言葉、そして昔にとらに倒された時に言われた言葉を思い出す。
『憎しみは何にも実らせないからねぇ』『憎しみは何にも実らせねぇ』
その通りだった…憎しみは何も生まない、その通りだった。だからお前まで…そうなるな…!
霊夢「行くわよ、シロ!」
霊夢は再び龍に向かって突撃していった。
シロ「おい!…ちっ」
後を追うようにシロも霊夢と共に龍に向かって行く。ゲガルドの体当たりを避わし、ジエの目前まで迫る霊夢。しかしゲガルドが霊夢に噛みつき口の端に霊夢の足が挟まった。
霊夢「くっ…!」
そのまま霊夢を振り回し始めるゲガルドだが、咄嗟にシロが目の下に飛びつき噛みついたことで霊夢から口を離した。
霊夢は慌ててそこから離れて態勢を整えようとする。
シロ「おい、無茶をするな。そんな強引に戦うな」
霊夢「うるさい!」
霊夢の横につくシロを振り切って再びジエに向かって行く霊夢。
『この時を待っていたぞ、さぁ来い!!』
お前が居なければ、博麗の巫女が厳選される必要はなかったかもしれない。そうすれば、私は紫に連れて来られることなく本来の家族、兄妹と普通の人間として暮らせていたかもしれない。普通に友達もできて、喧嘩もして…。
くそう、私のちゃんとした人生を返せ!
霊夢「夢想封印!」
霊夢が怒りに任せて放った夢想封印、色とりどりの巨大な光がジエの鼻先の黒い棘の生えた部分に飛んでいく。
がしかし、霊夢の攻撃はまるで水が油に弾かれるように、当たった瞬間にするりと受け流されてしまった。
霊夢「う、うそ…!」
今まで数々の戦いを勝利に導いてきた技が、いとも簡単に防がれた。もう後が無い、次の技を繰り出す暇も逃げる暇もない。
このままじゃ…死──!
『ワシは既に飽きたぞ、巫女よ。ではお前も死ねィィ!』
ジエは後頭部から背中に向かって三列に生えている巨大な斧のような背びれを目いっぱい伸ばし、霊夢に突進していく。
逃げようとする霊夢だが、やはりすでに遅い。もう巨大な斧はすぐ前まで迫っていた。
シロ「チッ…!」
シロは咄嗟に霊夢の前へ飛び出した。そして霊夢を遠くへ突き飛ばそうとした瞬間…─
巨大な斧がシロの胸に深く食い込んだ。文字通り残り薄皮一枚で繋がっているという場所まで斬りこんだ。
霊夢「シロ…!」
その光景は正に、霊夢が夢で見て、かつ紺珠の薬が見せた光景そのものであった。そのままシロは目を閉じ、ぐったりと動かなくなってしまう。斧に鮮血をまき散らしたまま、ずるりと下に落ちていく。ジエはそこに追い打ちをかけ、頭を振り回してぶつけて雲の下まで叩き落として見せた。
そんな…あんなに強かったシロがやられてしまった。霊夢も見て来たであろう、シロの他の妖怪とは別次元と言ってもいいほどの圧倒的な力。そのおかげで何度も命を狙われたりもしたけど、結局なんだかんだで生き延びてきた。でも今回は違う、私の所為だ、私の…。
『終わった…ハハハ、白面の者は死んだ!』
ゲガルドが細長い口を広げて大声で笑った。
『そうだな、ゲガルドよ。なんと弱いのか…弱すぎるぞお前たち!』
あまりのショックに呆然とする霊夢に向かって、ジエは再び口元に妖気の渦を溜め始める。これであの巫女さえ滅ぼせば、ワシの勝ちだ。
ジエは妖気のブレスを放った。そのブレスが視界を覆うほど近づいてきた時、霊夢の意識はこと切れた。
『やった…ついに恨みを晴らした!白面を殺し、巫女を殺し…あとは思うがままに食事を堪能するのみだ!』
ジエとゲガルドは天に向かって吠え声とも笑い声にも聞こえる狂気じみた轟音を鳴らし、より一層嵐を強くしていった。
同時刻、神子の仙界。
避難してきた里の人間で混雑する霊廟の中を、霧雨魔理沙は人をかき分けながら走っていた。神子たちにここへ連れて来られた時、はぐれてしまった阿求や霖之助を捜しているのだ。
人々の靴に付着していた水のせいで木の床はとても滑りやすくなっている。そして案の定、魔理沙は足を大きく滑らせて開脚するような形で転びそうになる。
魔理沙「うわわ!」
地面に手を付こうと腕を伸ばした瞬間、身体がぐいっと後ろに引っ張られた。ビックリして後ろを振り向くと、そこには背の高い、禿げ頭の老人が自分の肩を掴んでいた。
「…もしかして、まりさ…なのか?」
老人は目を丸くしながら魔理沙にそう聞いた。
魔理沙「お、お父さん…」
なんという事だろう…随分前になんやかんやあって逃げだした「霧雨店」の店主、魔理沙の父親に偶然出くわしたのだ。
この様子だとお父さんも避難してきたクチだろうか。
「本当に、偶然…だな。元気そうでよかったよ」
魔理沙「う、うん。お母さんたちは…?」
「ああ、ここへ避難はしているがどうもこの人ごみじゃはぐれちゃってさ」
魔理沙「そっか、無事なんだな」
本当に偶然だ。魔理沙は父親との再会に、何だかこっぱずかしくなって三角帽を深くかぶって顔を隠した。
その時、突然地面が揺れた。魔理沙と父親は衝撃で窓の付いた壁に寄りかかった。何事だと辺りを見渡し、近くの窓の外を覗き込んだ。
そこから見えたのは、紫色の巨大な竜巻に薙ぎ払われる人間の里だった。神子の仙界は里を見渡すためにいくつか「窓」があり、そこから仙界の外が見えるのだ。
魔理沙「な、なんてこった…」
竜巻の過ぎ去った跡には建物の残骸やぐしゃぐしゃになった地面があるだけだった。
「そんな…まだ全員が避難しきってないってのに…!」
魔理沙「何だって…!」
既に龍たちは幻想郷という異界を喰らい始めている。手当たり次第に喰って行けば、この仙界に確実に行き当たるのも時間の問題だ。
布都「何と…あの龍は…」
神子「あのような巨大な龍が…幻想郷は滅び去ってしまう!」
見る者には見えたであろう、雲の中で耳をつんざくような咆哮を轟かす…圧倒的な龍の姿を。
それと同時に、幻想郷が滅亡を宣告されたのは、11時35分の事だった。
─────────
時逆「お前、聖白蓮だな?」
聖「はい、そうですが…」
時間にして霊夢とシロが龍に敗北してから実に5分後のこと。
流離いの旅を続けていた聖白蓮の目の前に、時を遡る妖怪…時逆が姿を現した。
時逆「お前さんに…頼みたいことがある」
復活です。これからどうなるのでしょうか。
うしとら本編を見たことが有ればおのずと予想できちゃうとは思いますが、残念ながらこれはれいむとシロなのでちょこっとは変えます。