魔(メイジ)☆おぜうさん   作:琥珀堂

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見つめる瞳がろくなものを見ない

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、かつて母親にこう言われたことがあった。

『いいですかキュルケ。ゲルマニアの女たるもの、見る目を養わねばなりません。

 殿方の誠実さ、能力、将来性。外見や肩書きなどからは読み取れない大切なものを、眼光紙背に徹するように見抜けるようにならなければなりません』

 幼きキュルケはその言葉に頷き、以来ずっと見る目を養うべく、練習を続けてきた。

 いろいろな男を見て、付き合い、言葉を交わして――内面を、その人の本質を感じる力を養ってきた。

 そして彼女は、やがて将来を預けるに足ると感じられた男性を、息もできないような激しい情熱の中で見つけることができた――まだ結婚はしていないが、その選択はきっと間違っておらず、キュルケの母親の教育は、遠からず最も上等な形で実を結ぶことになるだろう。

 だが、しかしそれは、もはやこれ以上努力しなくていい、というわけではない。

 見る目は必要だ。ゲルマニアの女として、結婚したあとでも、それを日々研ぎ澄ませていかなければならない。

 なぜなら、女が見抜かねばならないのは、男性の内面だけではないからだ。

 キュルケは、地球に来てからも、見る目の必要性を感じ続けていた。たとえば、このような時……。

「……このキュウリと、こっちのキュウリ……どちらを買うべきかしら……」

 スーパーマーケットの野菜売り場で、ふたつのキュウリの袋を右手と左手にひとつずつ持って、キュルケは慎重に検討していた。

 目を皿のようにして、右の袋と左の袋を注視する。値段はどちらも同じ、三本入りで百円だ。どちらでもいいように思える――が、そこで適当に決めてしまうのは素人だ。

 野菜は生もの。一本として同じものはない。ならば当然、そこには優劣がつく。比べて、見抜いて、良い方を選ばなければならない――それが、ゲルマニアの女の義務だ。

(重さは……さすがに、ほぼ均等に揃えてきているわね。手の感覚では甲乙つけがたいわ。まっすぐで形が良いのは右の袋だけど、左の少し曲がったキュウリも、野性味があって美味しそうだわ。

 手触りは……ビニール袋の上からだからわかりにくいけど……ムッ。左の方が、トゲがしっかりしているわ! トゲトゲしているキュウリは新鮮だって、グルメ番組で農家のおじさんが言ってたわね)

 キュルケは五分ほどの吟味を経て、左手のキュウリを買い物カゴへ入れた。オリーブ色の美しい顔全体に、自信のある選択をした人間特有の、輝くような満足感をみなぎらせて。

 次は卵を選びに行こうと、コーナーを移動していると、背後からタバサがトテトテと駆け寄ってきて、キュルケの持つカゴの中に、カスタードメロンパンを入れた。

「あら、タバサ。今日のおやつはそれにしたの?」

 振り向いて聞けば、青い髪の小柄な友人は、無言でこくりと頷いた。

 キュルケはニコリと微笑み返し、再び卵コーナーへ向けて足を進めようとする。

 カゴを持つ者の視線が、自分から逸れたと見たタバサは、隠し持っていたチョコチップクッキーの箱を、そっとカゴに滑り込ませようと手を動かし、

 ――ガシッ。

 次の瞬間には、笑顔のキュルケに、その手をしっかりと掴まれていた。

「タバサ。……どっちかひとつにしなさい」

 天使のような笑顔で――しかし目を笑わせず、キュルケは断固とした調子で告げた。

 見る目を養ったゲルマニア女にとって、子供が背中に隠したお菓子の存在を見抜くことぐらいは、朝飯前なのだ。

 

 

 第二話 見つめる瞳がろくなものを見ない

 

 

「ミノタウロスに掴まれたかと思った」

 結局、クッキーの方を売り場に返しに行って、戻ってきたタバサはそうぼやいた。

 かつて、ラルカスというミノタウロスと死闘を演じたことのある彼女の言葉には、実感がこもっていた――膂力ではない。スゴ味という点で、タバサの親友はかの強力な亜人に匹敵していたのだった。

 そんな少女の言葉に、キュルケは、Lサイズの新鮮な卵(もちろん、棚の奥の方にある賞味期限の遠いやつを選んだ)をカゴに入れながら、あきれたように言い返す。

「そんな恨めしそうな目で見てもダメよータバサー。お菓子は一日にひとつだけ。こっちに来た時に、ちゃんとそう決めてたじゃない。あんまり無駄なお金は使えないんだから、嗜好品はできるだけ控えないとね」

 半額シールの貼られた中華めんをチラリと見て、さっと手に取る。無造作に見えるかもしれないが、計算された動きだ。キュルケは先ほどから、広告で特売と宣伝されていた商品か、割引シールの貼られたものしかカゴに入れていない。

 そう、ふたりには金がない。少なくとも、ハルケギニアにいた時ほど、遠慮無しに散財できる状態にはないのだ。それがわかっているから、タバサもいつまでもぐずぐず言ったりはしなかった。ただ、少し寂しそうに、着ているTシャツのお腹の部分を撫でるだけだ(ちなみに彼女が今日着ているTシャツには、「食いしん坊バンザイ」と書かれていた)。

「向こうのお金が、こちらで通用したらよかったのに……」

 無念そうな呟きに、キュルケも重々しく頷く。

「仕方がないわ。私たちのエキュー金貨は、この国の人にしてみれば、どこの国の貨幣でもない、得体の知れない金の彫刻ですもの。

 一応、貴金属の価値は、こちらも向こうも変わらないみたいだから、宝石を売ってお金を得ようとしたことがあるけど……どうなったかは覚えてるわよね?」

「うん……」

 かつての記憶を脳裏に蘇らせ、タバサはぶるっと肩を震わせた。

 ハルケギニアから、地球にやってきてすぐのことだ。地球での生活資金を得ようと、キュルケは自分の持ち物の中から、宝石をたっぷりと散りばめた、豪華なネックレスや指輪を売ることに決めた。

 もちろん、ハルケギニア人のキュルケには、宝石を売るために必要な身分証明書がない。そこで、事情を知っている才人の父親にアクセサリーを渡し、代理で換金してきて欲しいと頼んだのだ。

 その結果――平賀父は犯罪の疑いをかけられ、警察の人たちに詳しく話を聞かれることになってしまった。

「うん、まあ、ちょっと考えればわかった話よね……ごく普通のご家庭のお父さんが、いきなりたくさんの高価な宝石を売りに来たら、宝石店の人も怪しむわよねー……」

「しかも、由来が説明できない。平賀家に代々伝わるような古めかしいものでもないし。盗品と思われたのは、むしろ必然」

 もし無事に換金できていたら、全部で二億円ぐらいの金額になったという。平賀家の総資産を、軽く超えていた。

「脱税の疑いもあったから、税務署の人たちも押しかけて来たのよねー……ものすごい勢いで……」

「あれは、たとえるなら『眠れる税務署が立ち上がり、牙を剥いた!』って感じだった……」

 ぶっちゃけ、エンシェントドラゴンの襲来より怖かったという。

「あれで何事もなく、サイトのお父様も無罪放免されたのは、ホントに始祖のお恵みだわ。サイトが『謎の外国人に、換金してくれって頼まれた』って、まことしやかな言い訳を思いついたのがよかったのね。実際、嘘じゃないし」

「あのあと、サイトのお父様に、ふたりでドゲザしたのも、いい思い出」

「ハルケギニアにいるうちに学んだ日本の習慣で、まさかそれを真っ先に実践することになるなんて、思ってもいなかったけどね」

 アハハ、と笑いつつ、その時の安堵を思い出したのか、キュルケも自分の胸をなで下ろす――彼女の着ているTシャツの「朝だよ!×3」という、意味不明な文字の上を、手のひらが滑っていく。

「で、結局、宝石類も出所不明のものとして、警察に押収されちゃって(持ち主である私が名乗り出られないから、きっと国庫に入っちゃうんでしょうねぇ)、日本のお金を手に入れる算段も狂っちゃって……仕方ないから、売っても騒ぎにならなさそうな、高くも安くもないハルケギニア産の食料品や工芸品を、サイトが開いたネットショップで毎日売ってもらうことで、かろうじて生活費が得られるようになったのよ。供給はハルケギニアから、ほぼ無尽蔵に出せるけど、需要の方に限界があるから……個人のネットショップの売り上げなんて、たかが知れてるしね……ホントに私たちの手に入る日本円って、スズメの涙なの。だから余分な出費は歓迎できない……わかるわね、タバサ?」

「わかる」

「よろしい。おやつは追加してあげられないけれど、素直なあなたのために、夕食を大盛りにしてあげるわね。今夜はさっぱりと、冷やし中華にするつもりよ」

「! ……トッピングは、前にやったガリアスペシャルにして欲しい」

「了解。ちゃんとゴーヤも買ったから、安心なさいな」

 ガリアスペシャルというのは、タバサがこちらに来て開発した、冷やし中華の新しい次元である。

 キュウリの代わりにゴーヤの千切りを使い、それを錦糸玉子、細切りハムと一緒に中華めんの上に並べてから、細かく刻んだミョウガを全体に散らす。さらに、通常ならば冷やし中華の頂上に乗るのは、サクランボかトマトであるのに対し、ガリアスペシャルでは梅干しを一個丸ごと乗っけるのだ。

 この味覚にケンカを売っているとしか思えないガリアスペシャル、この名に反して、ガリア王国において平然と食すことができるのは、その国の女王ただひとりだけであろう。

 やがて、買い物を終え、ふたりはスーパーを出る。

 O市は坂の多い街である。スーパーは海沿いの低い場所にあり、ふたりの住むアパートは丘の上にある。キュルケの手には、食料品や日用品でパンパンになったエコバッグがあったが、彼女はそれを持ったまま、軽い足取りでアパートへ続く石段を登っていく。横を歩くタバサは手を貸していないし、バッグはけっして見た目より軽いわけでもないのに――秘密は、反対の手に持たれた小さな杖にある。物体を軽く浮かせることのできるレビテーションは、車も自転車も持たない彼女にとても重宝されている運搬魔法だ。

 本当なら、フライを使ってぴゅーんとアパートまで帰還してもいいのだが、それをやると夏のミステリーとして世間を騒がすことになってしまうので、さすがに自重している。やるとしたら、誰の目もないアパートの裏手とか、その辺だけに限る。

 坂の上を見上げ、それに連なる青い空を眺める――ばるるるるという音を響かせながら、テレビ局のものと思しきヘリコプターが、のんびりと西から東へ飛んでいった。

 その光景は、キュルケにある乗り物のことを思い出させた。

「そういえば、あのゼロ戦、だったかしら。あれ、博物館に展示されることになったみたいよ。こないだ、サイトが電話で言ってたわ」

「ゼロせん?」

 なじみの薄い名前に、タバサはそれが何であったか思い出そうと、首を傾げた。

「ほら、あれよタバサ。サイトの乗ってた、ものすごく速い飛行アイテム。タルブの時に活躍したあれよ。

 こっちに来る時、ついでに持ってきたじゃない? 元の持ち主が、この国の王様に返して欲しいみたいなことを遺言に書いてたって、サイトが言うから……ルイズが世界扉を維持している間に、私がレビテーションで移動させて。さすがに返しに来ましたーとか言えないから、適当にその辺に置いといて発見させたやつ……」

「思い出した。はっきりと昔のものだと気付かれる前に、駐禁シールを貼られたあれ」

「そう、あれ。やっぱり道端に置いといたのはまずかったわね」

 佐々木氏も、まさか死後数十年を経てから違反キップを切られるとは、思いもしなかっただろう。

「大昔の戦争で行方不明になっていた飛行アイテムが、どこからかいきなり帰ってきたってニュースになってたけど。間違いなく本物だし、歴史的に貴重だっていうんで、ちゃんと保存してもらえることになったってわけ。

 あれがハルケギニアの空を飛んでるのが、もう見られなくなるのは、ちょっと寂しいけど……ま、道具とはいえ、いい加減里帰りしたかったでしょうし、これでよかったのよね。最後に、サイトとルイズを乗せてトリステインの空を飛んで、ふたりの婚前旅行に一役買ったみたいだし」

「キュルケ。……悪いけれど、その話は……」

 急に声のトーンを暗くしたタバサに、キュルケははっとして、自分の口を押さえた。

「あっ、ごめんなさい……そうだったわね。あなた、サイトのこと……」

 タバサは、切なげに目を伏せ、小さくかぶりを振った。

 それは、彼女の過ぎ去った青春の一ページだった――地球への帰還を果たしたあと、平賀才人は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと婚約した。

 多くの人々が、これを祝福した。ヴァリエール公爵やカリーヌ夫人も、ふたりの熱意と絆を認めた。地球の平賀家の両親は、行方不明だった息子が、嫁を連れて戻ってきたことを、泣いて喜んだ。魔法学院の友人たちも、教師や使用人たちも、いろいろな国の、王族も市井の人々も――そしてもちろん、キュルケとタバサも。

 ただ、才人の中にイーヴァルディの勇者を見ていた少女だけは、心の中に何か、もやもやしたものを抱えていた。

「私がサイトを好きだったのは、間違いないと思う。

 でも、今でも、まだ、わからない。サイトへの気持ちが、恩人への憧れなのか、異性への恋なのか。

 ひとつだけ言えるのは、彼がルイズと婚約したと聞いた時、すごく、寂しく思った……それだけ」

「……大丈夫よ、タバサ。きっとサイトよりステキな人が、あなたの前に現れるわ」

 夏の暑い日差しの下で、しっとりした空気をまとわせて、ふたりはアパートに帰りついた。

「じゃ、私はちょっと、夕食の下ごしらえをしておくわね。タバサはどうする?」

「ん。サイトの姿をこっそり覗き見ながら、自分の心を落ち着けることにする」

「……インターネット・サイトの方よね? 平賀サイトじゃなくて」

 タバサがノートパソコンを立ち上げるのを見て、ほっと一安心したキュルケは、エプロンを身につけ、キッチンに向かった。

 冷やし中華は、さほど難しい料理ではない。ただ、美味しく食べる条件はシビアだ。

 めんも具も、スープも、しっかりと冷えた状態で頂くのが最も美味しい。そのため、調理は夕食直前にしたのではよろしくない。昼間のうちに原型を作っておき、冷蔵庫で一時間以上は冷やす必要がある。

 まずは錦糸玉子を作る。溶き卵をフライパンに薄く流し、さっと焼いてクレープ状の玉子焼きを作るのだが、その際に、キュルケは『フレイム・ボール』を唱える――『ファイヤー・ボール』ではいけない。あれは発射した後の動きを操作できない。『フレイム・ボール』なら、発射後も動きを自由に操れる。発射した火球を、ガスコンロの上に浮かべて固定し、そこにフライパンをかざすことによって、彼女は焼きの調理を行うのだ。

 この『フレイム・ボール』調理法、ガス代をほぼ百パーセント節約する上に、火球の勢力を極小に維持しつつ、その場から動かさないようにしなければならないため、メイジとしての魔法の修行にも一役買っている。

 一日三回食事前に、火魔法の精密な制御訓練をナチュラルに行ない続けた結果、とうとうスクウェアに開眼したキュルケであったが――いったいどんな修行をしてたどり着いた境地であるのか、人に説明するのは、ちょっと気恥ずかしくてできないのだった。

 絶妙な火加減で、薄くしっかりとした薄焼き卵を作り、それを菜ばしで丁寧に剥がして、まな板の上に重ねていく。

 ある程度枚数が揃ったら、包丁を使って、そばやうどんを切るように細切りにしていく――添える手は猫の手。太さもばらつかないように、一定の間隔で。たん、たん、たん、たん――刃がまな板を叩く音は、軽快だ。キュルケはすっかり、料理の一般的な技術をものにしていた。

(そういえば、ここに来る前、シエスタに料理の仕方を習ったのよね……。

 こっちじゃ、専属の料理人なんていないし、外食より自分で作った方が絶対安いってサイトが言うから。

 色んなことを教わったけど……それで今、こうしてちゃんと料理ができてるんだから、シエスタにも感謝しないとね……)

 キュルケの脳裏に、トリステイン魔法学院の厨房で教わった、シエスタの料理講座が思い出された。

『では、まずは鶏肉料理からいきましょう、ミス・ツェルプストー。

 ここに新鮮なニワトリを用意いたしましたので――』

 言いながら、シエスタはコケコケ言いながら暴れている元気な雄鶏をキュルケの前に持ってくると、流れるような動きで、その首の骨をへし折った。

『こうやって、一気にしめちゃって下さい。逆さに吊るしておいて、鉈で首を落とす方法もありますが、これは周りに血が飛び散るので、水場が近くにあるところでないと、ちょっとオススメできません。

 で、死んでぐったりしているニワトリの羽を、こういう風にむしって……力を入れて、根っこから一本残らずやっちゃいます。それから、包丁を使って内臓を取り出していくんですけれど――』

 黒髪の清楚なメイドが、笑顔でニワトリをばらばらにしていく光景を脳裏に浮かべながら、キュルケはそっと心の中で呟いた。

(ゴメン、シエスタ……あなたの野性的な調理法、こっちで全然使ってないわ……)

 鶏肉は、すでに解体された状態で売っていたのである。煮炊きするためのかまどを、道端の石ころを積み上げて組み立てる方法も、どんぐりをすりつぶして水にさらしてアク抜きする知恵も、日本という文明社会では意味を持たなかった。

 向こうでシエスタは、今日も元気に鶏をしめているのだろうか。今度、地球のとり胸肉(百グラム三十九円)のパックを、お土産に持って帰ってあげよう、と、キュルケは思った。

「よし、できあがり、と」

 ふたつの冷やし中華の皿にラップをかぶせて、冷蔵庫におさめて、キュルケは満足そうに頷いた。

 キュルケの分は普通サイズで、トッピングも普通。タバサの分は二人前の大きさの上、トッピングはガリアスペシャルだ。ちょっと禍々しい感じがするが、食べるのは自分ではないので、まあいいやと見なかったフリをする。

 エプロンを外して、六畳の広大なリビングに戻ると、ちゃぶ台というアンティーク色豊かなテーブルの上で、タバサが熱心にノートパソコンのキーを叩いていた。

 青髪の少女の表情は真剣そのもので、キーを叩く手の動きも、某情報統合思念体の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースもかくやと思われるような滑らかさだった。

 キュルケが後ろから近付いても、気付く様子すらない。何をしているのかしら、と思いながらさらに歩み寄ると、なにやら口の中で、小さく途切れ途切れの言葉を呟いているのが聞こえてきた。

「……サイト……大好き……。

 ……たとえ、結ばれなくても……せめて、一夜の夢の中でだけでも……一緒に……」

(あら。あららららぁ~?)

 キュルケは無言でにんまりと微笑んだ。

(この子ったら、意外にロマンチックなところもあるのかしら。

 呟きからして、さては自分とサイトの恋愛物語でも書いてるのね? 自分の恋心に、決着をつけるために……。

 前に、自分の復讐心を満足させるためだって言って、ジョゼフ王とカステルモールさんのとんでもない小説を書いてたけど……自分とサイトをモデルにして書くんなら、さすがに爽やかな、正統派の恋愛小説でしょうね。

 どれどれ、どんないちゃつき方をしているのか、恋愛巧者のお姉さんがちょっと見てあげるわ)

 そこからは忍び足で、気配を殺しながら、キュルケは慎重にタバサの背後に腰を下ろした。

 そして、タバサの肩越しに、青白く光る液晶の画面を覗き込み――。

 

 

「サイト! 女性というのは、みんなどうしようもなくわがままな生き物なんだ! 僕はそれがはっきりとわかったよ!」

「おいおい、どうしたんだよギーシュ。夜も早いのに、もう飲みすぎたのか?」

 ギーシュ・ド・グラモンの、バラと青銅の芸術品に囲まれた華美な部屋の中で、サイトは親友の涙ながらの愚痴を聞かされていた。

 金髪の巻き毛の少年は、ボトルから直接グラスにワインを注ぐと、ぐっと一気飲みをして、サイトに泣きつく。

 酔いが回って、ろれつが回らなくなっているが、要するに言っているのは、モンモランシーとうまくいっていないという意味のことだった。こちらは彼女のわがままに付き合っているのに、こちらはずっとおあずけを食わされている。そして、女性たちが主張するには、それが彼氏としての甲斐性というもので、当たり前なのだということなのだった。

「僕は自信がなくなってきたよ。モンモランシーのことはもちろん愛しているさ。

 でも、少しずつ彼女との間に、溝ができているような気がして……僕と彼女の『当たり前』が、どんどん違うものになってしまっている気がして……いつか、世の中のうまくいっていない夫婦のように、相手に疎ましさを感じるようになってしまうかもしれないと思うと……やるせなくて仕方がない」

「そっか……」

 サイトは、親友のその苦悩を理解できたようで、力強く頷くと、ギーシュの肩に手を乗せた。

「よし、わかった。だったら、俺が何とかしてやる」

「何だって? サイト、きみには、僕の悩みを解消する方法がわかるというのかい?」

「ああ。それほど難しいことじゃない。お前が、女の気持ちを知ればいいんだ。そして、それを俺が教えてやる」

「ふふん? それは聞き捨てならないね。サイトが僕に、女性の気持ちを教えるって?

 バラとしてたくさんの女性を楽しませてきた僕に、きみが教えられることなんて……えっ?」

 次の瞬間、ギーシュの華奢な体は、サイトの腕の中に抱きしめられていた。

「ギーシュ。俺が、お前に、女の気持ちを教えてやる。

 女を楽しませた経験はあっても、女として扱われたことはないだろ……?

 俺は今夜、お前を女として扱ってやる。お前も、女としてふるまえば、きっと女の気持ちが、本当の意味でわかるはずさ」

「な、な、な、何を言ってるんだ、さ、サイト……?

 僕は男だ。ほ、誇り高く勇敢な、グラモン家の四男だ……そんな僕を、女扱いなんて……できるはずがない」

 どぎまぎしながら言い返すギーシュの顔を、正面から見つめて、サイトはにこやかに言う。

「ははっ、大丈夫だって。お前、すっごくキレイだぜ……女の子って言われても、疑えないぐらいにさ」

 実際に、その時のギーシュは中性的な魅力を発散していた。まつげの長い、大きな目。瞳は潤み、恥ずかしそうにサイトを見つめている。頬はもちろん、耳まで真っ赤なリンゴ色に染まり、桜色の小さな唇が、甘く熱い吐息を漏らしている。

 金色の巻き毛は天使のようで、フリル豊かな白いシャツが、また女性っぽさを演出している。

 そして――抱きしめた者にしかわからない、折れそうな細い体――守ってあげたくなる儚さを、サイトはギーシュに感じていた。

「な、な、な……」

 動揺と、さらにもうひとつの意外な感情に心を乱されて、ギーシュはろくに言葉も発せなくなった。

 もうひとつの感情とは、ときめき。サイトの体温に、安らぎを感じている。サイトの眼差しに、胸の高鳴りを感じている。

 本当に女性になったかのように、ギーシュはサイトの抱擁に身を任せていた。

「ほら。今夜は俺が彼氏役だ。甘えて、何でも言っていいんだぜ。

 女ってわがままな生き物なんだろ? お前のわがまま、俺が何でも聞いてやるよ……」

「だ、ダメ……やっぱりダメだ、サイト。僕ときみは、友達じゃないか。

 お互い、恋人は別にいるのに……こんなことをしちゃ……あんっ」

 サイトがぐっと頭を沈め、ギーシュのシャツの合わせ目から覗く首すじに、唇で吸いついた。

 ちゅう、と、一瞬のキス。しかしそれでも、サイトが顔を上げた時には、ギーシュがサイトの所有物になったという証が、ピンク色の小さなキスマークが、白い肌の上に刻まれていた。

「ギーシュ。親友が、恋人より親しくしちゃいけないって決まりでもあるのか?」

 この言葉で、ギーシュ・ド・グラモンは落ちた。

 大好きな、自分のことを包み込んでくれる親友の背中を、そっと抱きしめ返す。そして、震える唇で、サイトの耳に囁いた。

「灯り……消して。それだけが、僕のわがままだ。

 それからは、きみに好きにされたい……きみのために尽くす、ワルキューレになりたい……」

「お前……いい男だよな、ギーシュ……」

 サイトは手を伸ばして、ランプの灯りを落とした。闇が、優しくふたりを覆った。

 

 

「……ギーシュは抱かれながら、サイト大好きと繰り返し……。

 結ばれぬ運命とわかっていながらも、ふたりはせめて一夜の夢の中で愛を誓う……まるで儚く美しい、可憐なバラのような恋……ふふ、うふふふふふ」

「…………………………」

 キュルケは疲労感に、ぐったりとうなだれた。

 その気配にようやく気付いたタバサは、顔を赤らめながら、慌ててノートパソコンを畳んだが、キュルケはそこに少女らしい初々しさを感じなかった。むしろ、広大な腐海の広がりを感じた。

「…………見た?」

「…………見た」

 タバサの問いに、キュルケは機械的に返事をする。

 恥ずかしいものを見られた眼鏡の文学少女は、呼吸を整え、冷静でいようと自分に言い聞かせながら、静かに言い訳を始める。

「キュルケ。勘違いしないで欲しい。これはあくまで、私の失恋の傷を癒すための、自分の気持ちに決着をつけるための儀式。

 そう、ルイズと結ばれる彼のことを諦めるために、私の心を慰められる恋愛の形を……」

「というか、タバサ……あなた、こないだもジョゼフへの復讐とかって言って、その手の小説書いてたけど……。

 要するに復讐とか気持ちの決着とか関係なくて、あなた自身がそのジャンルが好きだってだけじゃ……」

 キュルケのおずおずとした指摘は、タバサの急所を見事に突いた。

 少女は錆びついたブリキ人形のように、ギギギとぎこちなく、赤髪の親友から目を逸らした。

「…………………………」

「…………………………」

 みーん、みーん、みーんと、窓の外でやかましくセミが鳴いている。遠くから、電車の走るかたたん、かたたんという音が響いてくる。しかし、ふたりのいる六畳の部屋は、妙に静かだ。

「……タバサ。おやつ時だし、カスタードメロンパン、食べたら?」

「……食べる」

 美味しい食事は、人を笑顔にするという。

 タバサがカスタードメロンパンを食べることで、この気まずい空気が温かくほぐれることを、キュルケは願っていた――本気で。心から。始祖に真剣に祈るほどに……。

(それにしても、まさか、毎回途中で挟まるんじゃないでしょうね……? タバサのこの創作って……)

 ふと、そんなメタなことを考えるキュルケだった。

 




ギーシュ可愛いよギーシュ。

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