七実 in HL   作:被る幸

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苦難の時に動揺しないこと。これは誠に賞賛すべき卓越した人物の証拠である

どうも、私を見ているであろう皆様。

今回私は、異界と現世の交錯する都市HL(ヘルサレムズ・ロット)に営業にやってきました。

さすがは渡航前に内戦国よりも複雑な手続きが必要となる渡航制限都市なだけあって、朝食がてらにノス・バーガーにいったのですが、早速テロの被害にあいました。

都市に辿り着いて数時間で、こんな目に合うとは正直HLを舐め過ぎていたとしか言いようがないでしょう。

ふと視線を逸らした先にあった店内の壁に取り付けられた液晶ディスプレイには、本日の店内生存率なる笑うしかないようなありがたくない情報が表示されていますし。

ちなみに、ノス・バーガー HL支店の店内生存率は34.6%だそうです。

346プロに所属するアイドルである私にとってそれは縁起の良い数字のようではありますが、実際冷静に考えてみると生存率が50%以下になっている時点で危険すぎるでしょう。

一見平和そうに見えるこの店内でも生存率があんなにも低いのですから、この都市に安心して眠ることのできる場所は果たして存在するのでしょうか。まあ、私はチートによって隙のない睡眠を取ることができますから問題ありませんけど。

ちなみに、あのテロの原因は肩がぶつかったアブナイ薬を極めちゃった者同士の喧嘩だそうです。

外界ならもっと穏便に済んだのでしょうが、流石はお金を積めばどんな危険な兵器でも購入できると噂されるだけあって、喧嘩のスケールも桁違いですね。

これは本格的にチート全開で望まなければ、神様転生者の私でも死の可能性があります。

一応はあの昼行灯の用意してくれた最高の護衛であるウォッチ君達が居ますが、この異界都市において他人という存在を何処まで信頼するか難しいところですので、最悪この手を紅く染めてでも生き延びる覚悟はしておくべきでしょうね。

そんな機会が来ないことを切に願いますが。

 

さて、話は変わりますが、現在私はウォッチ君たちに連れられ彼らの会社(?)の本拠地で社長を務めているであろう大柄な男性と対面していました。

七花並みの長身に、方向性は違えども武内Pにも劣らない強面、一般的な感性を持つ人からしたら対面するだけで失神してしまいそうになる威圧感がありますが、色々な経験で最初の頃に持ち合わせていた小市民的な部分を摩り切らしてしまった私にはそれほど脅威に感じません。

丹念に手入れが施されたと一目でわかる外界の観葉植物に落ち着いたシックな感じの家具やインテリア、目の間に出された芳醇な香りを漂わせる紅茶、そして最初の礼儀正しい態度、これだけあれば彼がとてつもない紳士と判断するに十分すぎるでしょう。

 

 

「この度は到着が遅れてしまい、誠に申し訳ありません。全ては私の不徳の致す所です」

 

 

この紳士、ラインヘルツさんは深々と頭を下げてきます。

部下の失敗をこれほど真摯に受け止め、その為に頭を下げられる人間が外界にどれだけいるでしょうか。

そういった点は非常に好感が持てますし、あの昼行灯の昇進と同時に部長職を拝命する事となった私としては見習う点は多いです。

 

 

「いえいえ、私が予定時刻より早く着き過ぎただけですし。この都市の洗礼みたいなのも受けられましたから、いい経験だったと思います」

 

「そう言っていただけると、助かります」

 

「はい。ですから、先程3人を連れて行ったスターフェイズさんにも気にしていないとお伝えください」

 

 

ラインヘルツさんの右腕的存在と思われるスターフェイズさんは、私達が到着して早々怒りの炎を棚引かせる笑顔で護衛役だった3人を別の部屋に連れて行ってしまいました。

到着早々やらかして武内Pが護衛を急がせる連絡をしてしまったので、十中八九お叱りを受けていると思われるのですが、日本を思い出させるノス・バーガーにも連れて行ってくれましたし、テロにあった際の対応も見事でしたから相殺しても良いのではと思うのです。

 

 

「わかりました。スティーブンには私から伝えておきましょう」

 

「はい、お願いします」

 

 

護衛対象である私から言っても気を使わせてしまうだけですし、その方がいいでしょう。

外界のデンマークの植物を精緻に写した、ロイヤルコペンハーゲンの『デンマークの花(フローラダニカ)』のティーカップとソーサー。そのデザインの完成度からしてかなりの骨董品(アンティーク)、市場に流せばこれだけで数百万円で取引される美品です。

そしてそのカップに注がれる紅茶も英国王室御用達のF&Mの一級品であり、今まで飲んできた紅茶とは味も香りも全ての格が違いました。

わからない人にとっては只のおもてなしにしか見えないでしょうが、違いがわかる人間からすれば、どれだけ歓迎されているのかがわかります。

 

 

「このようなおもてなしをして頂き、ありがとうございます」

 

 

世界レベルで通用するSランクアイドルになったこの身ではありますが、こんな歓待を受けるのを当然と思うような傲慢さを持ち合わせていませんし、礼儀を重んじる国日本を故郷に持つ人間として御礼の言葉は当然の事です。

紅茶で一息ついた後、今度は私がラインヘルツさんに深々と頭を下げます。

頭を下げた私を見て、ラインヘルツさんは『礼には及びません』といってティーセットを片付けにいきました。

その足取りが少しだけ軽快なものだったのは、見間違いではないでしょう。

何だか、少しだけ器用で紳士になった武内Pみたいで親近感が湧きます。

色々と物騒な覚悟まで持ったHLでの仕事ですが、これなら予定された日程も多少のトラブルはあれど大惨事に巻き込まれることはないのではないでしょうか。

もし巻き込まれたとしてもここの人達なら何とかしてくれそうな気がします。

さて、今日はHLの空気に慣れるためということもあって、これからの予定はまったくの白紙なのですがどこか観光にでも行きましょうか。

ノス・バーガーで見たオブライエンさんの異界武術を見稽古させてもらうのもいいかもしれません。

自身の血液を操作して殺傷性の高い三叉槍を造るなんて魔法じみた武術があるなんて、神様転生してから3X年が経過していますが知りませんでした。

世界の広さというものを改めて実感し、下手に知識があるからと驕り高ぶる事の危険性についての戒めとなるいい例ですね。

しかし、血液をああも自由自在に操作できるのなら私の技能倉庫(バンク)の中に貯蔵されている様々な技能が日の目を見そうです。

流石にいきなり血流操作に挑戦してみようとは思いませんので、何とかしてもう一度見せてもらい見稽古を万全としたいものですね。頼んだら見せてくれるでしょうか。

オブライエンさんは堅物そうなところがありますから難しいかもしれませんが、女性の誘惑にかなり弱そうなレンフロさんならいけるかもしれません。

兄弟子と呼ばれていましたし、筋肉の付き方からして多少の流派は違えど同門であることは間違いないでしょうし。

そんな今後の予定を立てているとラインヘルツさんではなく、スターフェイズさんが戻ってきました。

一瞬でしたが、扉の向こうに正座をさせられている3人の姿が見えたのですが、見なかったことにしましょう。

藪を突いて蛇以上の何かを呼び出すようなことはしたくないですから。

 

 

「ミス・ワタシ、クラウスは何処へ?」

 

「先程、ティーセットを片付けに行かれましたよ」

 

 

私がそう答えるとスターフェイズさんは隠すことなく大きな溜息をつきました。

個性的な面子の揃うこの会社において、スターフェイズさんは良識枠に属する人間のようですね。

色々と抱えることが多くて頭を悩ませたり、胃を痛くしたりする事が多いでしょうから、美城製薬特製の胃薬でもプレゼントしてあげましょうか。ダース単位で。

シンデレラ・プロジェクトの苦労人枠である前川さんや新田さん、本田さんも愛用している一品ですから胃壁にも優しく、また効果は高いです。

 

 

「クラウスの奴、浮かれてるな」

 

「そうでしょうか。フローラダニカの骨董品のティーセットなら、誰かに任せるなんてできないでしょう」

 

 

セット1組で数千万円になるティーセット、私なら恐ろしくて誰かに洗ってもらう事なんてできませんね。

落として割ったりされるのは勿論、ぶつけて傷つけられたりしたら立ち直る自信はありません。

スターフェイズさんは、先程までラインヘルツさんが座っていた席、つまりは私の対面に座りました。

人生の甘いも酸いも経験して、若者には出すことのできない落ち着きと渋さを漂わせるその姿は、会社員というより何処かの俳優のようです。

左頬に走る大き目の傷も堅気な感じではありませんが、危険な色気というものを漂わせていて魅力的といえるでしょう。

柔和な笑顔の下では何を考え企んでいるかわからないタイプの典型ですが、とりあえず敵に回さないように気をつけましょうか。

 

 

「今日はこれからの予定が決まっていないようですが、どうされる予定で?」

 

 

まあ、護衛を受け持っている以上当然聞かれるでしょうね。

下手にはぐらかすと腹の探りあいになって、面倒ですから先程まで立てていた予定を話すのが吉でしょう。

 

 

「そうですね、観光もいいなと思っていたのですが‥‥少し気になることがありまして」

 

「気になることですか」

 

 

スターフェイズさんの瞳に少しだけ警戒色が現れました。

何でしょうね、私ってそんな警戒されるような危険人物扱いされているのでしょうか。

それとも、あの昼行灯辺りから取り扱い注意書でも渡されていて、絶対にさせてはいけない事とかを私の与り知らぬところで事細かに取り決められているのでしょうか。

考えたら、後者の方が可能性は高いですね。

この前のロケにおいて、アルパインスタイルで8000m級の山を単独踏破したのがいけなかったのでしょうか。

当初の予定は極地法だったのですが、天候の所為でなかなかGOサインが出ず、このままでは挑戦することなく帰国する流れになっていたから人類の到達点として退く訳にはいかなかったのです。

一応無線機で連絡は入れていたので、捜索隊の出動やらはなく穏便に済みましたが、登頂を成功させ下山した後がすごかったです。

何故か現地に武内Pやちひろが来ていて、夜通し怒られる嵌めになりましたし。瑞樹達やシンデレラ・プロジェクトのメンバー達からの国際電話で着信件数とかが笑うしかない数になっていました。

心配されるのは嬉しいですが、やっぱり過保護すぎやしないでしょうか。

 

 

「はい。オブライエンさん、レンフロさん、ラインヘルツさん‥‥そして推測が正しければ、スターフェイズさん。

恐らく、貴方達は何かしらの武術を修めていますよね。しかも、外界のものとは比べ物にならない戦闘力と殺傷力を持ったものを」

 

「‥‥流石は、人類の到達点と称されるだけのことはありますね。素晴らしい目をお持ちだ」

 

 

それは褒め言葉なのでしょうか、それとも見稽古に気付いているということでしょうか。

外界であれば前者で受け取れるのですが、血流を操作する武術や異界存在(ビヨンド)が大手を振って歩き回るHLでは後者であってもおかしくはありません。

考えすぎなのかもしれませんが、そう思わせるだけの説得力がこの街にはあるのです。

ここで表情を崩すのは肯定と取られかねませんから、営業用の笑顔で切り抜けましょう。

 

 

「いえいえ、アイドルであればこれくらいの観察力は当然ですよ」

 

「で、その武術に興味があると」

 

「ええ、知っているかもしれませんが、これでも特撮ヒーローの主役を務めていたんです。

ですから、そういった特殊な武術に関してはちょっと興味があるんです」

 

「成る程」

 

 

嘘は言っていません。見稽古というチートは秘密にしていますが。

スターフェイズさんは顔に手を当て、なにやら思案しているようです。

自分で言うのもなんですが、今を時めくSランクアイドルに殺傷性の極致といえる異界武術を見せてよいものか悩んでいるのでしょう。彼らからすれば、あれは簡単に見せびらかすものではない秘伝のものかもしれませんし。

 

 

「無理でしたら、構いません。少し気になったくらいですから」

 

 

無理を強いて護衛関係に亀裂を入れてしまえば、HLでの生存率は格段に下がるでしょうから。

それにそろそろこの剣呑な雰囲気をどうにかしたいですし、空気がピリピリし過ぎて肌が痛いくらいです。

チートによる戦闘力は世界でもトップクラスではありますが、生死をかけた実戦なんて経験した事もありませんからこういった雰囲気は苦手です。

 

 

「申し訳ありません」

 

「こちらこそ、変なお願いをしてしまい申し訳ありません」

 

 

とりあえず、部屋に漂っていた緊張感は霧散しました。

見せてもらえなかったのは少々残念ではありましたが、私の目的はいかい武術の見稽古ではありません。人間諦めが肝心です。

 

 

「代わりといっては何ですが、こちらにできる限りのことはさせていただきます」

 

「そうですか、なら‥‥」

 

 

HLに着いたら護衛の人たちに頼もうと追っていたことがあったので、その申し出は非常にありがたかったです。

手持ち鞄の中に入れておいて1枚ルーズリーフに書かれたメモをスターフェイズさんに渡します。

 

 

「これは?」

 

「同僚や、後輩達から頼まれたお土産のリストです。何分数も多く、私もこちらの地理や店事情には疎いのでお手伝い願えませんか」

 

 

瑞樹達にシンデレラ・プロジェクト、KBYD、プロジェクト・クローネ、武内P、昼行灯や常務、係長時代の10倍以上に増えた部下達やらとさすがに1人では収集しきれない量のお土産を頼まれて困っていました。

しかも、中には『~~的なもの』という非常に抽象的な表現のリクエストもあり、今回の滞在中にそれと合致するものを見つけ出す自信はありません。何ヶ月か位前に、某国の大統領を襲ったテロリストが異界産の身体改造薬物を投与しており、SP達に大量の死亡者が出たという痛ましい事件もありました。

なので、HLから異界由来の品の持ち出しについては、持ち込み以上に厳しく取り調べられ、様々な条約や合意によって針の穴くらいの隙間すら許さないほどの厳しい規制があります。

一応色々と読み込んでは来ましたが、情報によってその解釈が異なる部分が多く、流石に一夜漬けで全てを網羅することは不可能でした。

HLを出入りする事も多いであろう会社員であるスターフェイズさん達なら、条約等に抵触しない範囲でリクエストされたものを揃えてくれるでしょう。

 

 

「リストの中に『深遠の魔道書』と書かれていますが」

 

 

絶対に神崎さんですね。

推測でしかありませんが、探せばネクロノミコンのような危険なんて生易しいレベルの魔道書がありそうです。

そういった魔道書は閲覧にも生贄を要求したり、スプラッタな展開が多かったりするというのに大丈夫なのでしょうか。

 

 

「ああ、それは異界とか魔法に憧れてるだけの子のものですから、異界言語で書かれていれば童謡みたいなものでも大丈夫です」

 

「成る程、未知に興味を惹かれるお年頃という奴ですね」

 

 

ええ、高校に入学したというのに未だに醒める事のない真性の邪気眼系厨二病ですから。

その後の学校生活を大きく左右する最初の自己紹介で『さあ、我と共に人間讃歌を謳おうぞ』と高らかにのたまったそうです。

幸いシンデレラ・プロジェクトは今や346プロを代表するトップアイドル集団となっていた為、クラスメートの中にもファンがいた様で孤立することは避けられたようでした。

 

 

「はい。ああ、その子は非常に怖がりですからホラー系の絵柄は避けてあげて頂けると助かります」

 

「ははっ、難しい注文だ」

 

「お願いできますか?」

 

「ええ、この依頼は我々が責任を持って完遂させていただきます」

 

 

リストを受け取ったスターフェイズさんは屈託のない笑顔で了承してくれました。

その笑顔にやられた女性は多そうですね。本人の気がつかないうちに、影で泣いた人の数はどれくらいいるのでしょうね。

さて、異界武術の件がダメなのなら、早速HL観光としゃれ込みましょうか。

 

 

「では、HLを観光したいのですが」

 

「わかりました。丁度手空きのものがいないので、私が同行しましょう」

 

 

予想外の申し出に少々面食らった感がありましたが、チートで表情を保ちます。

会社で言うところのNo.2くらいの地位だろうと推測されるスターフェイズさん直々に護衛を買って出てくれるとは、いったい何の思惑があるのかと疑いたくなりますね。

人の善意を素直に受け取れないのは、私が様々な経験から色々と磨りきれてしまった所為なのか、スターフェイズさんが漂わす只者ではない雰囲気がそうさせるのか、どっちなのでしょうか。

ともかく、3人はお仕置きの影響もあるでしょうから、ここは頼む以外の選択肢はないでしょう。

 

 

「では、お願いします」

 

「何処か見たいところはありますか?」

 

「そうですね。とりあえず、外界では絶対にお目にかかれない異界側の観光名所は興味あります。

特に街の中央にある空中駅、ユグドラシアド中央駅には行ってみたいですね」

 

 

人間側の技術では後数百年は必要とされる空中駅。

『永遠の虚』と呼ばれる人類未踏の純然たる異界との境の上に浮く、そこからの眺めはきっと8000m級の山から見たあの黄金の夜明けと同じくらい衝撃的なものが見られるのではないかと思うのです。

 

 

「わかりました。でしたら、電車での移動となりますので、車ではなく徒歩になりますがよろしいですか?」

 

「はい、その辺に関してはお任せします」

 

「では、早速行きましょうか。ここHLは観光名所が多いですから、のんびりしていたら日が暮れてしまいます」

 

 

カメラ等が入った手持ち鞄以外はここに置いて行かせて貰いましょう。

あんまり大荷物を持って観光客丸出しで歩いていたら、それを狙った輩による余計なトラブルに巻き込まれることが容易に想像できます。

いくら護衛がいるとはいえ、自分自身でもそういったことを呼び込まないための注意はしておくに越したことはないですから。

来たときとは違うエレベーターを使い、外に出ました。

やっぱりこの纏わり付くような霧の濃さには慣れませんが、諦めはつきました。

こんな視界がよくない状態で車やバイクを走らせて、良く事故が起きないものですね。

と思っていたら、遠くの方から盛大な衝突音が響いてきました。どうやら、事故が起きないのではなくて事故は日常茶飯事なのがHLにおける交通事情なのでしょう。

HL警察の交通課は仕事が多くて離職率も凄いのでしょうね。

 

 

「どうかされましたか?」

 

 

どうでもいいことを考えていると案内役のスターフェイズさんに心配されてしまいました。

こうして1人で色々変な事を考えてしまう癖は直したほうがいいと母親から言われた事もあるのですが、もう三十路を越えて今更性格矯正なんてできません。

面倒くさいですし、この性格でトップアイドルまで来たのですから、これが私らしさとでも思っておきましょう。

 

 

「いえ、やっぱり視界が悪くて事故が多いんだなと」

 

「‥‥何も聞こえませんでしたが」

 

「アイドルやってると、色々な感覚が研ぎ澄まされるんですよ。恐らく、南南東200mくらいの位置ですかね」

 

 

周囲の喧騒の中なので、少し自信がないのですが。そこまで外れては居ないと思います。

HLであれば、もっと聴力のすぐれた存在なんてざらにいるでしょうから自慢になんてならないでしょうがね。

それからユグドラシアド中央駅行きの電車の出る駅までは比較的穏やかな時間が流れました。

街の中心に近付くに連れて人類(ヒューマー)より異界存在(ビヨンド)の方が視界を占める割合が多くなってきましたが、何処を見てもそうだと意外と慣れてきます。

恐らく腹芸が苦手であろうラインヘルツさんに代わって、会社の交渉事を担当しているであろうスターフェイズさんの話術は巧みでした。

HLの最近のニュースや外界でも噂となっている外界料理と異界料理の最高峰が融合、昇華した王様のレストランの王様『モルツォグァッツァ』の話等、私のつぼを押さえる話題選びをしてくれているため会話が尽きることがありません。

営業用のトークを除いて、どちらかというと話し下手な方であると自覚のある私ですが、出会ったばかりの人とここまで話が続いたのは初めてではないでしょうか。

流石は、伊達男ですね。こういう所まで気障で、私が恋に恋するお年頃だったらとっくに惚れていたでしょう。

しかし、さっきから何でしょうね。チート全開中である為、特に過敏になっている私の感覚に微妙に引っかかるものがありました。

近くに誰かが居て見られているような気がするのですが、そうでもないような気がします。

反響定位や聴勁を使用してみても、その存在をはっきりと捉える事ができません。

盗撮者やパパラッチと日夜鎬を削りあって研ぎ澄まされた視線察知力が、しかも手加減抜きのチート全開状態でその程度しかわからないなんて、恐ろしい存在が居たものですね。

とりあえず、不用意な行動で相手を刺激しては困りますから、スターフェイズさんにこっそりと耳打ちします。

すると、視線の主の存在感が一気に強くなったので服の内側に忍ばせておいた刃を潰してある棒手裏剣を無音投擲します。

 

 

「ぎゃうん!」

 

 

どうやら、いい感じに命中したようで疎らにしか人が居なかった列車内に突如額を押さえたスーツ姿の女性が現れました。

見たところカメラや武器といった類のものは持っていないようですが、それでも私の『ステルス』を上回る驚異的な潜入スキルの持ち主ですから油断はできません。

棒手裏剣を再び構え、如何なる行動にも反応できるように神経を更に研ぎ澄ませますが、スターフェイズさんに止められました。

 

 

「チェイン‥‥何やってるんだい?」

 

「えと、これは‥‥その‥‥」

 

「お知り合いですか?」

 

 

私が尋ねると、スターフェイズさんは頷いて色々と教えてくれました。

彼女の名前はチェイン・皇、スターフェイズさんの会社の客員であり、常人離れしたスキルによってどんな場所にでも潜入を可能とする工作のエキスパートらしいです。

今日は本来なら本所属の職場に顔を出しているはずとの事でしたが、ならばどうして此処に居るのでしょうか。

警戒の必要はないといわれても、先程まで監視されていたわけですから、はいそうですかと素直に解除できるほどお人好しではありません。

スターフェイズさんの手前武装は解除しますが、いざとなれば瞬時に距離を詰めスキルを使う前に無力化できるようにはしておきましょう。

 

 

「チェイン、どうしてこんなことしたんだ。くれぐれも粗相の無いようにしろって、言ったじゃないか」

 

「‥‥はい」

 

 

お叱りの言葉にしゅんとする皇さんに犬の耳と尻尾が見えるような気がするのは、幻覚でしょうか。

しかし、いいスキルを見せてもらえました。今まで使用していた『ステルス』は人間の視覚的聴覚的にのみ作用するものであり、カメラ等の映像媒体に対しては一切効果がなかったのですが。

皇さんのスキルは光学的なものに留まらず、体重、体温、体臭、触感、挙句の果てには自身の因果律にまで干渉して周囲との関係性を極限にまで薄くするものであり、それは自身という限定的な部分ではありますが世界に対して書き換えを行っているのと同意義です。

一度では不十分なので、もう一度消えて出てきてくれたら『存在希釈(暫定名)』も完全なものとして使いこなせるのですが、何か起こりませんかね。

今の状態で使うと因果律の消滅と存在の境界線を踏み外して、私という存在がなかったことになってしまう可能性があるので恐ろしくて使えません。

これが使用可能となれば、いくら昼行灯達が共謀して会社への進入を拒もうとしても、いとも簡単に休日出勤することができるでしょう。

 

 

「ミス・ワタシ。申し訳ありませんが、皇も護衛として同行しても宜しいでしょうか?」

 

「はい、構いません」

 

 

一応警戒は必要ですが、この破格のスキルを見稽古する機会をふいにしてしまうのは勿体無いです。

二つ返事で了承し、それから皇さんのスキル発動のタイミングを見損ねることがないように集中していたのですが、なかなか機会が訪れませんね。

スターフェイズさんとの会話が再開されたので、視線を露骨に向けるわけにもいきませんし。

スターフェイズさんの方を向きつつ皇さんを視界の隅に捉えていると、霧ばかりだった窓の外に人工物が見えました。どうやら、電車が駅に着いたようですね。

電車が停止し扉が開いたので、とりあえず駅のホームへと出てみます。ですが、其処には誰も居らず田舎の駅のような寂れ具合で、本当に観光名所なのかと疑いたくなりますね。

しかも、何とも形容しがたい嫌な臭いがします。

昔何処かで嗅いだ事があるのですが、それはいったい何処だったでしょうか。随分と前だと思うので、上手く思い出せません。

私に続いてスターフェイズさん達護衛の人間が降りてきたのですが、ホームに降りた途端に表情が強張りました。

スターフェイズさんがスマートフォンで誰かと緊急連絡を取り、距離をとって護衛していた人達が何やら厳つい銃器を構えて私の周囲を取り囲みます。

 

 

「スティーブン、どうする。電車で逃げていただくか?」

 

「いや、もし奴等が居るならそれは悪手だ。電車の中だと足場が安定しないし、身を隠す場所もないから一方的に嬲られる可能性がある」

 

「なら‥‥」

 

「居なければ幸運(ラッキー)、居たら精一杯頑張るしかないだろうな」

 

 

私は完全な置いてけぼりなのですが、空気を読める日本人ですから会話の流れからある程度は推測できました。

現在このユグドラシアド中央駅は非常に危険な存在によって占拠されている可能性が高い、その存在は飛行能力等を有している、そしてその戦闘力は極めて高く精鋭と思われる護衛の皆さんたちが死を覚悟するレベルであるという事でしょうか。

流石はHL、ちょっとした観光のつもりがまたまた厄介事に関わるはめになるとは思いもよりませんでしたよ。

なんて、冷静な風を装っていますが、心境的には結構やばいです。

チートで焦り、取り乱さないように努めてはいるものの段々とはっきりとしてきた臭いの正体に汗が流れます。

死臭、そうこの臭いは死者が漂わせる特有のあの嫌な臭いです。最後にかいだのは、幼少期の曾御祖父さんの葬儀の時でしたからすっかり忘れていました。

 

 

「ミス・ワタシ‥‥」

 

「状況は、ある程度把握しています。私はどうしたらいいですか?」

 

「それでは」

 

 

一応、こういったことの専門家であるスターフェイズさんに意見を聞こうとしたのですが、相手はそれを許してはくれなかったようです。

駅の出口の方から人類(ヒューマー)異界存在(ビヨンド)の大群が雪崩れ込んできました。

その大群は普通ではありませんでした。身体は搾りかすのように細く枯れ果て、瞳には生気というものが一切感じられず落ち窪み、口からはおおよそ世界に存在する言語を理解できる私にも判別不能な意味を持たぬ呻きが漏れています。

まあ、要するにゾンビですよ。ゾンビ。

異界と現世が交錯する街HLですから、居てもおかしくないとは思っていましたが実際目にする事になるとは思いませんでしたよ。

白坂ちゃんなら喜ぶような光景かもしれませんが、自分に害意を持った死者の大群は台所とかに現れる生きた化石並に不快感が拭えません。

スターフェイズさんの号令の下に銃声が響き渡りゾンビ達を薙ぎ倒していきますが、全力で前進を続けるゾンビ達に戦線は圧されつつあります。

とりあえずそんな地獄絵図の中、私も棒手裏剣でゾンビの頭や足を吹き飛ばしますが、いまいち決定打にかけますね。

さがるように言われているのですが、背後は『永遠の虚』ですから逃げ場なんてありません。なれば、1人でも戦力が多いほうがいいでしょう。

数が少なくなってきた棒手裏剣を構え、最も脅威と成り得るゾンビを探していると空気が一気に冷え込みました。

 

 

「エスメラルダ式血凍道『絶対零度の地平(アヴィオン・デル・セロ・アブソルート)』」

 

 

厨二心を擽る技名と共にスターフェイズさんが強く踏みしめるとその前方の床が一気に凍りつき、ゾンビ達は床と接地していた部位が氷漬けになり身動きが取れなくなります。

成る程、オブライエンさんと同様に自身の血を媒介として様々な現象を発現可能とするのが、異界流の戦闘術なのですね。

血流操作は見稽古できましたが、それに属性付与させるにはもう一度観察が必要でしょう。

空中へと飛び上がったスターフェイズさんが氷の槍を纏わせた急降下蹴りを放ち、身動きの取れなくなったゾンビ達を粉砕します。

まだ生きている(?)ものも居ましたが、それは他の護衛さん達が銃弾等で丁寧に処理していきました。

 

 

「チェイン、クラウス達は!」

 

「後、20分は掛かるそうです!」

 

「皆、聞いたな!後、20分お姫様を守り抜くぞ!」

 

 

生まれて初めてのお姫様扱いがこんな状況でなければ、もっとロマンチックだったのにと思わないでもないですが、今は生きるために死力を尽くしましょう。

隠されていた素晴らしい武術も見稽古できたことですし、上手くやれば20分くらいの時間は稼げるはずです。

あれが前哨戦であるとして、これから訪れるであろう死を覚悟するレベルの激戦を前に、自身を奮起させるようにとあるドイツの楽聖と呼ばれる古典派音楽の集大成でありロマン派音楽の先駆けでもある作曲家の名言を投げかけるのなら。

『苦難の時に動揺しないこと。これは誠に賞賛すべき卓越した人物の証拠である』

 

 

 

 

 

 

この後、堂々と現れた血界の眷属(ブラッド・ブリード)との死闘が繰り広げることになり、見稽古したスキルを応用した戦闘術でなんとか20分間を生き延びて、合流したラインヘルツさん達のスキルや能力も全て見稽古したり。

私のチートについて詰問されるはめになったりするのですが、それはまた別の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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