水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 生

「無数の敗北の中で、希少な成功例こそが英雄と呼ばれると」

 

殺風景な小隊詰め所で書類を捲りながら、あきつ丸が嘯いた。

 

「胡乱にもほどがあるのです」

 

電の言葉はにべも無い。

 

書面は語る、古来、英雄と呼ばれるモノに関しては様々な類型が考えられるが、

その中で語るべきはツキの在る無し、幸運に恵まれた事例であると。

 

「何ですか、要は織田信長が英雄(おけはざま)で、同じ事をして家を潰した息子が凡人とでも」

「そんな感じでありますな」

 

前大戦前夜、無職の陰陽師より提出されていた帝都霊的防衛構想の一角。

人造英雄計画、その概要を記した書面であった。

 

「英雄の条件としては、第一に上手く行く事であると定義した場合」

 

百の計略も、千の軍勢も、何事かを成し遂げられなければ塵芥に劣る。

部外秘と書かれた黄ばんだ書面を、捲り続けながら揚陸艦が要約を続ける。

 

「それを成した幸運に、理由が在ったとしたら」

 

それを再現すれば英雄を造り出せるのではないか。

 

眉に唾を付け始めた副官の姿に、苦笑をしながら隊長が言葉を繋げた。

別に、事実がそうである必要は無いのでありますよと、哂う。

 

「要は、同じ効果が在れば良いのです」

 

身も蓋も無い言葉に、切実すぎると電が天を仰いだ。

 

「けど、明らかに本来の目的とズレているのです」

 

ひとしきり話を聞いた後、根本的な疑問を口にした副官が居た。

 

その言葉に肩を竦めた隊長は、存在理由の方は手詰まりでありますからねと嘯く。

 

「それにまあ、コレはデコイに偽装した伝言の様な気配が在るのですよ」

 

AH計画進捗報告書、捜査上、不自然に目の前に置かれた何の関係も無い書類。

 

「ユダからの招待状、と言う所ですか」

 

見覚えのある肉筆をパラパラと捲りながら。

 

「しかし、意外に過ぎる内容でした」

 

日付の近い、最新の報告書を眺めながら、思うままの言葉が心中より零れ落ちた。

様々な経緯に、様々な事例に、最終的な結論が端的に、一言で纏められている。

 

現時点での人造付喪神に於ける成功例 ―― 無し

 

この文を信じるのならば、ひとつの結論が導かれる。

 

即ち、これに語られる英雄とは ――

 

「龍驤殿では、無い」

 

書面を流した者の望みは何なのか、あきつ丸は心中に様々な状況を想定し

仮定と、破綻に、未だ霧の中に在る真実と割り切って保留した。

 

 

 

『邯鄲の夢 生』

 

 

 

素晴らしい勢いで滑って行った。

 

海面と顔面が綺麗に平行を描き、将棋倒しと成った龍驤と島風が

コミカルな音でも聞こえてきそうな勢いで進行方向へと滑り込んでいた。

 

滑らかすぎるその軌道は、前面部に引っ掛かる物が無い故であろう。

 

古姫の視界に映る物は、2隻の靴底に入った罅、そして脚部艤装から漏れた煙。

 

昨今、ダイヤモンドを駆け抜ける競技でも、中々に見る事の出来ない美しい滑り込みは

異常に気が付き速度を落とした天津風の横、風切る音を飛ばしながら通過する。

 

追跡者が肩で息をしながら、その速度を緩めた。

 

ここが終着点である。

 

「手間ヲ、カケサセテクレル」

 

海面に五体投地を果たした獲物を前に、疲れた声に笑みを乗せて狩人が言う。

言葉を受け、縺れ合ったまま海面で姿勢を正した赤い水干の艦が指を立てた。

 

1本だけ立てられた指先が、再びに天を衝く。

 

「サジタリウス、それは決して外さぬ神の矢の如き」

「クドイッ」

 

2度も引っ掛かるかと憤怒を滲ませた叫びで、天丼を妨げる。

 

怒髪天を衝き、怨讐や憎悪とは毛色の違う、無垢なる怒りが古姫から迸る。

 

そして、応える様に爆音が響いた。

 

衝撃に、随伴していた駆逐級が粉砕される。

 

吹きあがる水煙に、釣られ立てられたままの指先を視線で辿れば、何もない空。

 

軽空母のドヤ顔が姫の米神の血管を責める。

 

信じた自分が馬鹿であったと、悔やみながら深海の姫が視線を戻せば

目の前で再度の噴煙、今まさに2隻目の駆逐級が沈められた所であった。

 

下方、海水を吹き上げながらの、即ち海中からの爆発。

 

雷撃と見た、しかし、爆発までに何の前兆も見て取れない。

 

「―― 酸素魚雷(ランス)ッ!?」

 

雷跡の無い水雷、かつて槍と呼ばれ畏れられた一撃が古姫の思考に浮かぶ。

 

「援軍、―― カッ」

 

視線を上げれば海域の果て、幾つかの艦影が見えた。

 

「神風型だけやないな、随分と混ざっとる」

 

最中に投げられた言葉に、視界の中の軽空母の有様に駆逐古姫の動きが止まる。

 

それから注がれていたのは、無機質な視線。

 

何故、今まで気付かなかったのか。

 

追い詰められた恐怖も無く、怪異に対する畏怖も無い。

相対する敵に対する憎悪も、戦火の下の昂揚も無い。

 

おかしい。

 

―― 何ナンダ、コイツハ

 

急激な状況の転換にも関わらず、思考を埋め尽くすのは必要の無い疑問。

 

違和感が、駆逐古姫の行動の全てを縛り付けた。

 

少なくとも、追い詰められている、はずだ。

 

―― 何故、私ヲ観察シテイル

 

如何に何某かの備えが在ろうとも、砲も、水雷も、何もかもが届く至近の戦場で

紙の如き装甲で、有効たる装備の一つも持たず、壊れかけた艤装を纏い。

 

―― 何故、ソンナ事ガ出来ル

 

「どうした、笑顔が消えたで」

 

次いだ言葉にあわせ、因縁の指先が口元に添えられた。

 

そのままに唇を歪め、哂う。

 

「何ナンダ、オ前ハ ――」

 

言い終わるよりも前、至近に吹きあがる水壁が言葉を遮った。

 

そしてその鼓膜は艤装の駆動音を捉え、水煙を抜けて来た物が在る。

 

黄金。

 

自らへと向かうそれが何かを理解する間も無い刹那、左右に、

上下にと揺れ動き、視線よりも速く視界の外に出る。

 

何かが向かってくる。

 

首を回し、視界に収めようと願うも僅かに端で黄金を捉えるのみ。

 

高速で切り返している。

 

ようやくに意識が其処まで到達した時、一点、あきらかにおかしい物に気が付いた。

 

鋼の色。

 

砲口が、縫い付けられたようにピタリと視界に止められている。

 

―― ツマリ、コノ機動ノ最中、照準ガ

 

思考を終えるよりも速く、反射的に身を翻そうと試みるも、足元。

 

波が、駆逐古姫の足を絡めとっていた。

 

―― 合ッテ

 

爆焔が視界を埋め、衝撃が古姫の側頭を揺らした。

 

直後、寸分違わず同じ場所に叩き込まれる砲弾。

 

―― イ、連撃、速

 

初弾で障壁を抜き、次弾がその身を削る。

 

砕けた古姫の側頭から、飛び散る破片が黒い霧と化して、消えた。

 

思考も纏まらず、開いた口から苦悶の叫びを響かせながら、

せめて、それの身を捉えようと伸ばした手の先で、霞の如くに消える。

 

刹那、何も掴めなかった指先を水煙が包んだ。

 

雷撃、だと理解した時にようやく、その姿を視界に収める。

 

軽やかに海面に弧を描く軌跡に、後ろに流した二つ括りの黄金が揺れた。

黒白の水兵服の上に、深い紺の上着を着流す駆逐艦。

 

「釣って来るとは聞いていたけど」

 

両の手にそれぞれに持つ、硝煙を上げる火砲を軽く振り、

通る声に、裏腹と静寂が訪れた海域に、次弾の装填の音が響く。

 

胸元で、睦月型であることを示す三日月の徽章が、陽光を返した。

 

「姫級とは聞いて無いよ」

 

ブルネイ鎮守府群、第二鎮守府3番、ヨー島泊地所属、睦月型5番艦。

 

皐月改二。

 

「―― 釣リ、釣リナンテ」

 

軋む身体を抑え、通り過ぎる言葉を咀嚼する。

 

「馬鹿、ナ……」

 

そんな事が可能なのか。

 

姫の怪異として、瘴気の場は常に展開されている。

 

あらゆる通信は阻害されている、はずだ。

 

これまでに幾度か在った状況の如く、前もって知っていたのならともかく、

偶発的な遭遇戦に援軍を出す、臨機応変な対応が可能なはずは無いと。

 

渦巻く疑問に、衣服を正しながら立ち上がった軽空母が答えを返した。

 

「やっぱ、見えとらんのよな」

 

懐から紙巻を取り出し、軽く咥えては火を灯し、語る。

 

気付く者も少なく、誰からの確証も無かった事実が在る。

 

深海側の、人類に対する情報戦に於ける絶対的な優勢。

 

あくまでも本能的であったそれは、一部例外を除き有効活用されていたとは言えず

あやふやな事例だけが積み重なり判断の妨げと成っていた。

 

当事者すらも、それを理解していなかったがために。

 

そう、怪異から種族へと変質する最中、深海が得た物と同様に失った物が在る。

 

一夜で千里を駆けると表現される霊魂の怪異。

 

世界を見渡す目。

 

端末でしか無かった下位の深海棲艦が自意識を確立したがため、

種族間の霊的結合に不純物が混ざり込み、その精度を著しく落としている。

 

そう、故に今の深海棲艦は、基本的に自分の認識可能な範囲しか認識できない。

 

そんな仮説に仮説を重ね、もしそうであったのならば、今ならば可能かと判断され。

 

「全世界で8か所、同時多発で偵察衛星を打ち上げた」

 

種子島、内之浦、ケープ・カナベラル、バンデンバーグ、

プレセツク、バイコヌール、ギアナ、そしてインド洋。

 

敢えて、5個所が小悪魔に食われたという事実は口にしない。

 

「見えとるんよ、今この場も」

 

改めて立てられた指先、そのはるか先にそれが在ると。

 

「日米英露伊仏、六か国による対深海棲艦情報共有」

 

回覧板と隠語で語られた、それは事実上の不戦条約。

 

「昨日付で、条約が締結された」

 

ここ数日の本土の有様は、深海棲艦の脅威を忘れるほどの騒動であった。

 

「戦争が、終わる」

 

甚大な被害、憎悪を以って書き換えられた国境線、失われた様々なモノが

やがて新たな大戦の火種と成り、戦間期は短くなりそうな気配が濃厚ではあるが、

 

それでもようやくに血に飽きた国々が、第三次の世界大戦を終結に向けて纏め出した。

 

「どうした、笑えや人類の敵(しんかいせんかん)

 

古姫の視界の先、語り手が望んだ通りの展開やろうと、哂う。

 

「次は、キミらの番や」

 

宣告が、目に見えぬ質量と化して海域を埋め尽くす。

 

押し潰された静寂に、吐き出された紫煙だけが宙を揺蕩い、

それを切り裂くが如くに小手が振り上げられた。

 

指先が、天を衝く。

 

「そら、怖いものが来るぞ」

 

呆然と、魂が抜け落ちた有様の駆逐古姫が投げられた言葉に、

何の思考も無く、ただ反射的に、機械の如くと無感動に空を見上げた。

 

果たして、そこに在る。

 

雲霞の如き何かが空に集っている。

 

爆音が、海域に響き渡った。

 

「決して外さぬサジタリウスの弓」

 

空を埋め尽くしているのは ―― 陸上攻撃機

 

いつか泊地で言の葉に乗せていた、艦娘の要らない艦娘の装備。

 

偵察衛星による索敵にリンクし、指定の海域を爆撃する死神の群れ。

明石の手に因りサイパンに設営された、航空基地から放たれた超遠距離攻撃。

 

海域を越え、遥かな距離を踏破して来た、妖精が操る96式陸攻。

 

「その矢は、ウチら自身と言う事やな」

 

終の言葉に合わせ、爆撃が全てを埋め尽くした。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

火焔が視界を朱に染めた。

 

あらゆる場所を打つ衝撃に、砕け続ける身体を理解して

絶望に、諦観に、そして疑問が心中を埋める。

 

何があったのか、何故こうなったのか。

 

―― 何故、後続ガ来ナイ

 

袋叩きの中心で、自身が砕けながらも猶、撤退の機を探る。

そして同族の感を探りて、識る。

 

全軍が、速やかな戦線離脱を試みていると。

 

振り切って来た、随伴艦までもが。

 

不自然なほどに整然と。

 

―― マサ、カ

 

予定通りの戦闘、予定通りの軍勢、そして、予定通りの敗北。

 

そんな誰かの声が、聞こえた気がした。

 

「貴様カ」

 

喰らうために、肥え太らせた。

 

駆逐古姫が、真実へと辿り着く。

 

そう、自分は軍勢を掻き集めるための贄でしかなかった。

横から全てを奪い去るために、協力されていた。

 

「貴様カアァッ ―― 離島棲姫ッ」

 

火焔万乗、鉄風雷火の最中に、怨嗟の色を以って同族を呪う声が響く。

血涙が熱に炙られ、白蝋の肌に黒い染み跡を残す。

 

役割を終えた演者は、退場する定めと。

 

聞こえぬはずの声を、憎悪の泥で塗り潰した。

 

―― 沈ンデナルモノカ

 

爆撃が半身を消し飛ばす、踏み出した足が、暴れ崩れる波に取られ、千切れ飛ぶ。

 

―― ナル、モノ

 

崩れ去る世界の中、視線だけが歩みを進め、止まった。

 

そしてようやく、彼女が視界に入る。

 

意識すらも、止められた。

 

―― 何ナンダ、コイツハ

 

無機質な視線が、そこに在った。

 

赤い、どこまでも赤い1隻の艦。

 

僅かな力で引き千切れそうな装甲、あくまでも空母としての高速でしかない速力。

微塵も持ち合わせていない戦力、見るからに不安定な艤装。

 

端的に言えば、話にもならないその性能、鎧袖一触に消し飛ばせるはずの、雑魚。

 

だがしかし、現実はどうだろうか。

 

どれほどに手を尽くそうとも触れる事すら出来ず、

終には自らが微塵に砕かれようとしている。

 

―― コイツハ

 

識っている、このような理不尽を識っている。

 

駆逐古姫の意識の上に、小柄な漆黒の姫の姿が浮かび上がった。

 

―― コイツハ、アレダ

 

海を捨て、陸に上がり、人を食らう事に何の痛痒も見せぬ異端の姫。

世界そのものを従えている様な、あらゆる機会を活かす理不尽の権化。

 

―― アレト、同ジナンダ

 

僅かに残った生身の、伸ばした指先が衝撃に挽肉と化して砕け散る。

 

―― ソウカ、奴ラハコレヲ欲シガッテイルノカ

 

自らと共に無い、幾隻かの姫の姿を思い浮かべる。

 

―― コレヲ、コンナモノヲ

 

引き千切れた肉に、露出する背骨に氷を突き込まれた様な感情が在る。

何と名付ける暇もなく、崩れ去る身の内をそれが埋め尽くす。

 

そして心の内が、僅かに言葉と化して零れ落ちた。

 

「バケ、モ……ノ」

 

世界を塗りつぶす爆撃の底で、駆逐古姫と呼ばれたそれは確かに砕け散った。

 


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