水上の地平線   作:しちご

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71 痴人の愛

艦隊が帰投した折、出迎えたのは香ばしい香りであり、大量の秋刀魚であった。

 

埠頭には、幾らかの損傷が見て取れる漁船、大量のコンテナ、そして

濡れ衣だと叫びながら、飛龍に足関節を極められている蒼龍の姿が在る。

 

その近く、何処の所属だろうか、綺麗な黒髪の陽炎型駆逐艦が秋刀魚をアーク溶接している。

横に隔離と書かれた札が在り、金剛型姉妹の内3隻が青い色に成って倒れていた。

 

龍驤は考える事を止めた。

 

何はともあれ入渠をしようと思った矢先に、七輪を携え待ち構えていた赤城が居る。

 

気が付けば、背後に加賀も居た。

 

龍驤が歩めば、加賀も歩む、3歩進めば、4歩進む。

 

炊飯器を抱えた加賀がじりじりと龍驤との距離を縮めて来る。

一航戦2隻に獲物が挟まれた空間に、何とも言えない緊張が加算されていった。

 

「龍驤、貴女は何がしたいのですか」

 

穏やかな微笑みを浮かべ、正面の赤城が問うた。

 

「まず、入渠やな」

「私は秋刀魚が食べたいです」

 

その背後から、加賀が囁く様に言葉をかける。

 

「そして、寝る」

「私は秋刀魚が食べたいのです」

 

見れば赤城の横、簀巻きにされた天龍と大量の大根が横に転がっている。

 

水が氷と化すが如くに空気の質が変質した空間に、僅かの逡巡。

南国の炎天の下、冷や汗を流す周囲の目視の中、やがて龍驤が口を開いた。

 

「食えや」

「焼きなさい」

 

僅かの静寂が埠頭を駆け抜けて、消える。

 

それは、実に美しい飛び後ろ回しからの三角蹴りであり、

破損した龍驤の脚部艤装が粉微塵に大破するのに充分な衝撃であった。

 

 

 

『71 痴人の愛』

 

 

 

紫煙揺蕩う穴蔵の様な雰囲気の暴虐軽空母の店、誰やこの店名で看板作ったん。

 

設置された電影箱に映るのは、今まさにハワイへと上陸しようとする打通艦隊。

報道の届く範囲限定ではあるが全世界生中継で、新たに歴史が刻まれようとしとる。

 

画面に映るのは呉の赤加賀、ブルネイ長門、そして横須賀の大和。

 

―― 龍驤様、見てますかー

 

ウチは何も聞かんかった。

 

即座に耳を塞いで頭を下げる。

 

カウンターに艤装のサンバイザーが当たって、硬い音が響いた。

 

そんな居酒屋の様な空気の店内で、珍しく客側の席にウチが座っとるわけで。

 

突っ伏したカウンターから、横には司令官が居て、反対側に座っとんのはグラ子。

そして頭上に中ジョッキ、いい加減に結露からの湿気が頭頂に染みてきた気がする。

 

「そんなわけで、ずっと秋刀魚焼いとったわ」

 

頭を上げつつの言葉と共に、疲労が魂を連れて口から吐き出された。

 

後頭部の左右、斜め上から結局焼いたのかとステレオで苦笑があり、

カウンター向こうから何やら液体に色々と放り込むような音が聞こえる。

 

七輪の前で飽きるほど嗅いだ香りに酸味が付けば、出来ましたよとの声。

 

「まずはサンマのフリッティ、マリネーラにしてみました」

 

赤金の入った栗色の髪が、光沢のある黒い巨乳の向こうに波打っとる。

下から見とるせいで謎の生物なんは、イタリアはザラ級重巡1番艦のザラ。

 

西から来た酔っ払いの姉や。

 

何や件の酔っ払いの世話しとるお礼に、料理を振る舞ってくれるとか何とか。

 

次の料理、すぐお持ちしますねと背を向けた後、司令官らと一緒に

皿の前でハイライトが消えた瞳状態の会話を交わす。

 

「マフィアは宣戦布告として、殺す予定の相手に贈り物をするそうや」

「気が付いてはいけない事って、気が付いてはいけないと思うんだ」

 

「せめて、最後の晩餐だけは美味しく頂こう」

 

ぶっちゃけ止め様が無いからな、あの酔っ払い。

 

酒の肴製造機2号と呼ばれとるグラ子まで居るし、処刑前としか思えへん。

 

「秋刀魚の南蛮漬けイタリア風、という所か」

 

横で、我関せずと料理を口にしたグラ子が所感も口にする。

 

「龍驤、グラーフの日本的表現に磨きがかかっているんだが」

「苦情は隼鷹に回してや」

 

言いつつも皿を見れば確かに、言われた通りの品が見える。

 

ブツ切り秋刀魚のフリット(揚げ物)をマリネにした、何処かオサレなイタリアン。

熱と仕事で溜まりまくった疲労に、酸味が効くわ。

 

付けられたのは安い白ワインの炭酸割り、氷ガン積みも飲み易い。

 

ワインは冷やすと香りが閉じて駄目なんじゃなかったかと司令官が聞くので

そんな高尚な趣味は安うないワインでやるもんやと、身も蓋も無い事を言う。

 

水の代わりやからコレでええねん、クソ蒸し暑いしな。

 

「そう言えば、イタリア語でも秋刀魚はサンマなんだな」

 

「秋刀魚は太平洋北半球の魚やからな、イタリアに直で示す単語は無いねん」

「どうしても呼びたい時は外来語由来だな、英語のソゥリィとか学名でサイラとか」

 

司令官の疑問に龍驤型姉妹で応える。

 

……いや待て待て、何かナチュラルに洗脳されとるけどウチに妹は居らんはずやで。

 

「大抵はペッシェ・アズッロ(あおざかな)と一括りで呼んでいますね」

 

カウンターの向こうで、茹でられとるパスタの横でフライパンを振りながら

業務用火力って良いなあとボヤいとった、臨時のイタリアン店主が会話に入って来る。

 

「まあ、日本海軍から貰って提督と艦に出すのですから、この場合はサンマと言う名前で」

 

鍋の具材にパスタを絡めながら、イタリア艦から結論が提示された。

 

「そういや日本語も他国からなら外国語なんだよなあ」

「東南アジアとかには日本由来の外来語も結構多いわな、パラオ語とか」

 

チチバンドとかな。

 

「考えて見ればヨーロッパの方にあるのも当然なんだろうが、それでも意外に感じる」

「昔から有名なのもあるだろう、フジヤーマ、テンプラ、ハラキリ、ゲイシャとか」

 

何故そこをチョイスする、グラ子。

 

「最近やと、カボチャ、ヘンタイ、ビショージョとかやな」

「何故それをチョイスした」

 

畳みかける蘊蓄連撃に軽く顔を覆った司令官が、疲れた声で話を元に戻す。

 

「何か怖い所に思考が行きそうだから、敢えてサイラと呼ぼう」

「サイラも日本語やで」

 

秋刀魚を紀伊半島方言で、佐伊羅魚(さいら)や。

 

「日本語から逃げられないッ」

 

悲鳴を放置して秋刀魚を齧っとると、新たに秋刀魚のパスタが出てくる頃合い。

めっちゃ強いガーリックの香りが食欲を、いや待て、女所帯に何してくれとんねんと。

 

まあ容赦なく食うけど、体力回復しそうやし。

 

「日本語と言えば、秋刀魚関連の書類に時折、謎の漢字が入っているのだが」

 

一息の後、パスタを巻き取りながら、グラ子が言葉を繋げる。

処理に関する事でも無く、聞くほどの事でも無かったから流していたとか。

 

「三馬とか、魚辺に祭とか、文脈から秋刀魚の事だと思うのだが」

「秋刀魚の事やな」

 

見れば司令官も疑問を持ってる風情なので、捕捉しとく。

 

「秋刀魚はもともと色々な漢字表記がされとってな、秋刀魚と纏まったんは大正の頃や」

 

佐藤春夫の秋刀魚の歌が流行って、以降誰も彼もが秋刀魚と書き出して

秋の刀の魚と書く表記が主流に成って定着したと、単語自体は明治の頃から在ったそうや。

 

「秋刀魚の歌?」

「秋刀魚苦いか塩っぱいか、ってやつや」

 

あはれ秋風よ、(こころ)あらば伝えてよ。

 

作者が友人の谷崎潤一郎の女癖の悪さに振り回された挙句に、その細君との

不倫関係が破局して、傷心のまま郷里に引っ込む時に詠んだフラれ男の詩だとか。

 

うん、あの頃の文壇って本気でロクでもないのしか居らんな。

 

「ちょうど、加賀や鳳翔さんが進水した後ぐらいか」

 

んで定着しはじめたんは、川内の頃やな。

 

「まあそれまでは他に狭真魚(さまな)とか、三馬とか、魚辺に祭とか書いとったな」

 

「魚辺に祭だと、コノシロではなかったか」

「それは中国語や」

 

そういや秋刀魚の一文字書きが廃れたせいで、漢和字典には中国側の意味で載っとるか。

つか何でそんなニッチな漢字を知っとんねん、グラ子。

 

「日本語だとコノシロは魚辺に冬、祭がサンマやな」

 

そもそも中国だと日本列島のせいで秋刀魚が獲れんから、漢字が無いねん。

 

んで日本では飯の代わりに成るほど大量に、冬に獲れる魚っちゅう事で

コノシロを飯代魚、鮗とか表記する様になって、祭と書く方はサンマに使われた。

 

漁獲するたびにお祭り騒ぎだからやとか、江戸時代の話や。

 

とか話して居たら、セコンドピアット(ふたつめのメイン)だとかで皿が追加の事。

この後は、サラダとデザートが出て来るらしい。

 

目の前にはオリーブが香り、焼きトマトが添えられた秋刀魚ソテー。

厨房に転がっとったローズマリーが無駄に乗せられとる。

 

ヴィーノ()で軽くヴァポーレ(蒸し焼き)して見ました」

「秋刀魚尽くしやなあ」

 

唸るほどあるもんな、秋刀魚。

 

「正直はじめての食材でしたから、お口に合えば宜しいのですが」

 

美味しく頂いとると、素直に三連続で賞賛の声が在れば、

コスタルデッラと同じ感じで正解だったのですねと、安堵の応え。

 

そんな会話に横から疑問が上がる。

 

「こすたるでっら?」

「サンマに良く似た魚です」

 

司令官の言葉に厨房から返答、ウチからは軽い捕捉。

 

「秋刀魚と同じダツ科の青魚やな、大西洋の秋刀魚的な位置付けの魚や」

「気持ち、サンマの方が骨が柔らかい気がしますね」

 

食事の合間、適当に会話しとる横でふと見れば、黙々と食が進むグラ子。

 

「めっちゃ気に入っとるみたいや」

「ドイツの方って感じですね」

 

苦笑が在り、柔らかい雰囲気に成った所で、今こそ心のストレスの素を解消すべきと

なるたけ平静を装いつつ、最初に抱いた深刻な疑問を問うてみた。

 

「お礼って嬉しいけど、正直ウチらポーラの飲酒を止めきれとらん思うんやけど」

 

フォークを口に咥えたまま、グラ子が固まった。

彫像の如くに静止した司令官が、目だけで焦燥を伝えて来る。

 

冷や汗を頬が流れる感触が在り、笑顔だけは固めたままで断罪の時を待つ。

 

「いえいえ、聞いてみた所、随分と酒量も減ったみたいですし」

 

純粋な笑顔と、嬉しそうな声色の返答がそこに在った。

 

天使が通り過ぎた様な静寂が訪れる。

 

言葉が鼓膜を通り、脳髄に染み込むまでに暫くの時間が掛かった。

 

カウンターに座るそれぞれが、異口同音に声を上げる。

 

「アレでッ!?」

 

イタリアの恐ろしさを魂で理解できた一日やった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

何か秋刀魚祭に比叡さんと磯風ちゃんが複数隻乱入して来たあたりで、

数隻の目敏い艦に混ざって、一目散に逃げだしたのが私、島風です。

 

こんな事も在ろうかと持ち歩いていたお小遣いで、泊地外の買い食いを企むのだ。

 

まあ選択肢はほとんど無いのですが。

 

サイパンは海域断絶後は無人の島でしたが、今回の日米両国の施設設置から

グアムなどに避難していた難民の人たちが少しだけ戻って来ているのです。

 

第一次帰還事業前の、先行帰還組だとか何とか。

 

とは言え市場も何も無いわけで、基地相手に商売をする以外の選択肢に乏しく、

小さな屋台で軍人さんや艦娘相手に、細々と何か売っている感じの今日この頃。

 

そんなわけで今の私は、基地、泊地に隣接する様に作られた広場の、

小規模なマーケットをぶらついている最中なのです。

 

何かいつのまにか軽く顔見知りになった米軍の人や店の人が、

通りすがりに手を振ったりして来てくれます。

 

目を逸らして口笛を吹きながら速足で去って行く人は、夜のお店的な方向ですね。

 

偉いヒトたちに混ざって会議していた龍驤ちゃんが、千ドルを1回寄付する予算が在るのなら、

10ドルで百回の買い物をするべきやと主張したとか何とか。

 

そして、そんな方向で話が纏まったとかで、作戦参加艦娘にはお買い物用お小遣い予算が

組まれる事に成ったと、漣ちゃんが言っていました、いやっふー。

 

つまりこれはお仕事なのです、素晴らしいですね。

 

と言うか、平気な顔で怖いヒトと偉いヒトの会議に混ざっていた漣ちゃんも少し怖いです。

 

何はともあれ、軽くお菓子的な物でもと思ったあたりで目に留まった物が在ります。

 

緑色の葉っぱで細長く包んだ棒状の物体、火に掛けた感じに焦げ目が付いている。

 

アピギギですね。

 

1本買って皮を剥くと、中から白く蒸し焼きにされたお餅が出てきます。

 

ココナツとバナナ、タピオカを磨り潰した物に砂糖を加えて、

バナナの葉で包んでから、鉄板などで焼き上げたお菓子なのです。

 

笹餅的な色の組み合わせに、外郎的(タピオカ)な食感のココナツバナナ餅、何と言うか南国。

 

モギュモギュと食べ歩いている所で、目にした物が大きい揚げ餃子的な何か。

 

聞いてみたら、ブチブチと言うお菓子だそうです。

 

何はともあれと頂いてみると、揚げパイ的な何かでした。

 

中に入っているのは南瓜ペースト、サクサク感に柔らかい甘味が何となく落ち着く。

 

しかし、揚げたり焼いたり、サイパンって水気の無いお菓子が多いですね。

口の中がパサパサだよと何か冷えた飲み物を探してみれば、缶コーヒー。

 

有名なレゲエ奏者の人が写真がでかでかと印刷されていて、インパクトが凄い。

 

以前に足柄先生の授業で聴いた事が在る、ボブさんだね。

 

マーリーズワンドロップ、曲名からとった商品名だとか。

 

飲んでみたら南国の缶コーヒーでした、予想通りと言うか。

 

うん、甘い。

 

甘すぎる。

 

風が語り掛けます。

 

きっと噂に聞くMAX珈琲とか、UCCオリジナルとかと、同じぐらい甘い。

 

まあ冷えているから良いのですが。

 

何だかんだで散財してしまった昼下がりでした。

 


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