水上の地平線   作:しちご

123 / 152
73 変わらぬ世界

散弾の如き南国の雨を避けて、潜水艦たちが埠頭から海中へと飛び込んでいる。

 

タイ王国南部、マレー半島ソンクラー湖、ヨー島泊地。

 

俄かに訪れた曇天の陰で、マナオ(ライム)の入ったグラスが音を立てた。

南国の熱気に焙られて、溶けはじめた氷に映る影は、2つ。

 

栗色の髪を一つに括る、令嬢然とした佇まいが逆に胡散臭い関西型艦娘トリオの一角と

緑の青髪を後ろに流した、提督以外には耳年増がバレているヨー島泊地筆頭秘書艦。

 

最上型重巡洋艦の姉妹、4番艦の熊野と3番艦の鈴谷であった。

 

「鈴谷、(ワタクシ)は思いましたの」

 

どこまでも真摯な瞳が、姉妹艦の思考を射抜いた。

 

「神戸という土地は、兵庫県の全てを結集した土地ですわ」

 

神戸とは、神戸港のために作られた土地である。

 

神戸港は、日米修好通商条約の締結により開港が定められ、しかし朝廷の反対に因り

滞っていた所を、様々な外圧の果て、ロンドン覚書に因って開港した港であった。

 

開港時から日本の顔、玄関口と成るべく発展を義務付けられており、そのため開港に

先だって近隣小藩を兵庫県として纏め、その国力の全てを神戸に注がせている。

 

かくて潤沢な資金と恵まれた立地、折からの富国強兵に因り輸入港として発展を続け

日清戦争の頃には東洋最大の港湾、四大海運市場の一角としての立場を不動の物とする。

 

兵庫県の富を集中する、言わば兵庫県の神輿、それが神戸だと熊野は語った。

 

「何かに似ていると、思いませんか」

 

日本の様な明確な辺境の存在しない特殊な形態、ブルネイの様な富が行き渡る程の小国

そんないくつかの例外を除けば、世に在る国家とはその国力を集中する物である。

 

特に発展途上国に於いて顕著な傾向の、それ。

 

詰まる所それは ―― 首都

 

「つまり、バンコクは神戸だったのですわッ」

 

聞く耳持たず間髪入れず、神戸生まれのお洒落な重巡が机の上に出したのは

木の年輪の如くに層のある、丸太の様な見た目のケーキ。

 

「だってピラミッドケーキだって在りますものッ」

「あ、うん、シェフが日本で修業して来たヒトらしいね」

 

バウムクーヘンの事である。

 

紀元前のギリシアで生まれた巻き焼きパンが、ドイツあたりで延々と伝わりお菓子と化した。

 

そしてドイツ人、カール・ユーハイムが第一次世界大戦後に神戸にて洋菓子店を開き、

ピラミッドケーキと言う名称で販売したのが、現在の神戸名物バウムクーヘンの走りである。

 

余談だが、ドイツ語のバウムクーヘンと言う呼び名に代わって行ったのは60年代になる。

 

「えーとさ、何て言うか、ほら、どっちかって言うとタイよりマレーシアの方が近くない」

 

小国が集まって大国に対抗しようとして産まれたのが、マレーシア連邦であった。

 

「つまり、クアラルンプールこそが真の神戸……ッ」

 

天啓の如き閃きが熊野の脳裏を駆け抜けた。

 

あまり関係無い話だが、その時に連邦の財布にしようと都合の良い事を考えていたら

当然の様にお断りされて、さっさと独立したのがブルネイとシンガポールである。

 

「熊野ん……神戸欠乏症にかかって」

 

雨音が屋根に響く中、何かいろいろと取り返しがつかなくなっていた。

 

 

 

『73 変わらぬ世界』

 

 

 

コンクリートを作る時に大事な事は、水を入れる前に良く混ぜておく事や。

 

なんか龍驤隊の左官ゴーストがそんな事を言うとった。

 

そんなわけで雨上がりの泊地前、トロ船の中の砂を混ぜとる最中。

 

砂の上にざっくりとセメントをぶちまけて、鍬で片側に寄せて山を作る。

あとは砂浜で遊ぶ棒倒しの様に、鍬で山を薄く削って、削って、削ってー。

 

反対側に山が出来たら、向きを変えてリトライ。

 

何度か繰り返せば良く混ざるねん、ああしんど。

 

そんな穴を掘っては埋めての繰り返しの如き単純作業の果てに、

混ざった所に砂利をざっくりと入れて、片側に寄せて山を作って ――

 

単純作業って、脳にクルわあ。

 

混ざった所にチマチマ水を入れて、ええ感じにテカるまで捏ねては捏ねて。

 

出来上がった所で、あらかじめ水に漬けておいたバケツにぶち込んで、配る。

 

集めておいた手隙の艦娘が、次々と灰色ペースト入りのバケツを受け取って行き、

そのままシャベルだのコテだの構えながら、要所要所へと蜘蛛の子の様に散って行く。

 

後は側溝に網張って、トロ船と鍬を水洗いして、やっと一息。

 

ああ、反らせて伸ばした腰が痛い。

 

軍手を外し、ようやくにヤニにありつけたとばかり吹かしている所へ、

無駄に安全メットを被った司令官が、ペットボトルを投げ渡して来た。

 

100PULS、炭酸入りスポーツドリンク。

 

甘さ控えめの炭酸飲料的な感じで、だだ甘だらけの東南アジアでは実に尊い飲料や。

 

その尊さのせいか、マレーシアのスポーツドリンク市場ではシェア88%を誇り

国民的飲料としての地位を確立しとる、つまりどこでも売られとる。

 

当然の様に隣接しまくり国のブルネイでも売られとるわけで、そこかしこで。

 

「レモンライムか」

「オリジナルの方が良かったか」

 

無炭酸(エッジ)や無かったら何でもオッケーや」

 

軽く礼を言いつつ、のどを潤す。

 

失った水分が身体に染みわたる様な感じ、どころの騒ぎや無いな。

 

炎天下の運動の後に入れる冷え切った飲料、臓腑に凍てついた金属を捻じ込むような、

刹那で溶けて全身に染みわたる様な、もはや脳がそれを液体と認識していない感じ。

 

一口と口を付けたはずなのに、何故かペットボトルが空に成っていた。

 

うん、つまり記憶が飛ぶレベル。

 

「やばい、脱水症状起こしかけとったわ」

「いや待て、結構洒落に成ってないぞそれ」

 

動いてる最中は気付かんもんよな、あかんあかん。

 

頭を振って気を取り直し、軽く見渡せば、平和。

 

作戦終了からこっち、何か終戦に伴い政治でもはじまったのかどうか

どうにも本土からオイルロード方面に割く戦力を出し渋りがちと言うか。

 

要するに差し迫った仕事が無いねん。

 

溜まった書類を片付けたら、もう手持無沙汰と言うか。

まあそれならそれで、以前から放置しとった泊地周辺の整備を進めようかと。

 

詰まる所、地面の穴ポコ埋めや壁の罅の修繕、細かい所の舗装とかやな。

 

この際ついでと、市の管轄の所もウチでやるわと申請出して、現在作業中な話。

 

「何でこう、穴が出来るんだろうかなあ」

「まあ、乳化剤の撒きが甘いとか、下地の締め方が雑とか」

 

色々と理由はあるんやろうけど。

 

「交通量が微妙ってのが一番の理由やな、諦めるしか無いわ」

 

アスファルトの罅割れが限定的に成りがちで、破損が一か所に集中し易いねん。

 

これが連日大渋滞とかやと、広範囲に罅が入って衝撃が分散され

全体的な破損の進行のルートに乗るわけで、意外と長持ちしたりなんかする。

 

「今回直しても、どれだけ持つだろうなあ」

「まあ、繋ぎ相応には持ってくれるんやない、きっと」

 

視界の向こうでは、6駆の姉妹がアスファルトの上で常温合材を踏んどる。

 

「つーか、何時まで経っても穴埋めてくれないんだもんなあ」

「そこらへんは、日本がおかしすぎるってのもあるわな」

 

かねてから市に公道の修繕依頼は出しとったんやけど、見事なまでに放置されとった。

 

やります言うてからやるまでが長いんよなあ、果てしなく。

 

「まあそれもマレーシアの病や、仕方ない」

「病気なのか」

 

業病とまで言われとるそれ。

 

土地柄、ブルネイも含まれてしまう特性が存在する。

 

「上がサボって下が馬車馬の様に働くってやつや」

「何処の国でも、そんなもんだろ」

 

「上の言う事は絶対、とかな」

「いや本当に、何処でもそうじゃないのか」

 

マレーシア関連は民族性とまで言われるほどに酷いって事や。

 

「やから実務は動くけど、上の裁可が必要に成ると途端に滞るってな」

「あー、公道の修繕の許可、とかか」

 

おかげで公共施設関連の修繕とかはひたすら放置がデフォ。

 

許可出るまでが長い、予算付くまでが長い、予算出るまでが長い、依頼出るまでが長い。

 

「んでようやく開始して、すぐ終わると」

「コッチでやった方が明らかに早いわけだ」

 

結構遠く、敷地から離れた所までバケツ持った修繕組の姿が見える。

 

「まあ良い人気取りや、有り難く風評稼がせて貰おやないか」

「良いんだか悪いんだかだなあ」

 

単なる負け惜しみかもな。

 

「王室もやっとる事や、誰にはばかる事でも無いわ」

「何か酷い話が出たな」

 

「普段はサボってる上役も、王族に言われたら必死に働くって話や」

 

なんせ、上の言う事は絶対やからな。

 

「やからブルネイ国王は、暇さえあれば諸国漫遊して働かせとるわけで」

「国王陛下のおかげで図書館の階段が直りました、とかそんな感じか」

 

水路の橋とか道端の穴ポコとか、アーケードの雨漏りとかもな。

 

「ブルネイ人はその生涯に於いて、何度か国王陛下に救われる経験を持つ」

 

大なり小なり。

 

「王室人気が凄まじいわけだ」

「まあそれだけやないけど」

 

俗な面だけであれほどの人気と信頼を得られるわけも無し。

 

「そもそも王政に成ったんも、真っ赤にかぶれた議会が共産化を採択して」

 

即座に国王が強権で議会を解散、緊急避難的に王政に移行したからなわけで。

 

「その判断がどれほど正しかったかは、後の歴史が証明しとるわな」

「ああうん、素直に凄い」

 

んでそれが現在まで続いてしまっとる。

 

「教育に力を入れとるのも、緊急避難的な現状の打破のためって面もあるな」

「あとは民族性の克服、か」

 

「んで東に転びかけた国って立場が、西側からの悪意ある干渉を控えさせた」

「内政チートの小説か何かか」

 

「おかげで極東の、黄色い惑星ジャポニカ人がやりたい放題」

「オチがそこかよ」

 

ガス、油田、重工業が完全に日本依存と言う美味しい国と成りました、ブルネイ。

 

「いや、日本国ブルネイ県だった時に、知事さんが頑張ったからって縁もあるんやで」

 

所謂、英国涙目案件。

 

「歴史は繋がってんだなあ」

 

しみじみと言う司令官に、これまたじみじみと言葉を掛ける。

 

「艦娘的には、温泉が出た土地よねヒャッハー、ぐらいなんやけどな」

「結論が酷すぎる」

 

しかもポーリン温泉はマレーシアや。

 

「まあ栗田艦隊の艦は、何か思う所あるかもしれんけど」

 

ウチのログには何も無いな。

 

軽く響くクラクションに視線をやれば、修繕した道をトラックが通り過ぎていく。

 

その際に何かあったのか、軽く手を振り合う修繕組の駆逐艦たちの姿が視界に入り、

車体より僅かに上がる砂埃が、潮風に混ざり涼し気に吹き抜ける。

 

さて後半と、司令官を他へと追いやれば。

 

熱気に流れて来た汗を、手拭いで拭いて空を見上げた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

「神戸ビーフですわ」

 

夕刻の日差しが入る喫茶室に、熊野の声が響いた。

 

「どう見ても鶏肉だよねー……」

 

机の上、鈴谷の目の前に置かれた屋台料理が、出来立ての香りを漂わせている。

 

包みに使われたバナナの葉の上で、焼き目の付いた香ばしい色合いの鶏肉は

手頃な厚さに切り分けられており、付け合わせのマナオ(ライム)が良く似合っていた。

 

ガイヤーン、所謂タイ風焼き鳥。

 

魚醤(ナンプラー)や大蒜の入った甘辛いタレに漬け込んだ鶏肉を、炭火で焼いたもの。

 

タイ国内ではありふれた品目であり、どの土地に行っても必ず屋台のどれかが

鶏肉を焼く時の派手目な炭火の煙をモクモクと立てている。

 

餅米(カオニャオ)もありますわよ」

「うん、嬉しい組み合わせだけど、やっぱり神戸ビーフじゃないよね、コレ」

 

手を合わせ頂くついでに冷静な指摘を飛ばす鈴谷の言葉に、

熊野は遠く涅槃へと視線を流し、真理へ到達した覚者の如き言葉を口にした。

 

「私の神戸は既に天地と一つ、故に必ずしも神戸は必要無いのです」

 

神戸とは何であったのだろうか。

 

そう、ヒトが神戸を眺める時、神戸もまたそのヒトを眺めているのだ。

 

「この際、もう神戸はそれで良いけど、ビーフは何処に行ったのかな」

 

鶏肉である。

 

「……すき焼きを作る時、鶏や鯖で代用する家もありましたわ」

「何か、神戸ビーフって響きから果てしなく遠く成っている気がするよー」

 

むしろ対極に在る気がする。

 

「だって、高いのですもの、ブランド牛ッ」

 

血を吐くような言葉であった。

 

「うん、帰って来て熊野ん、何か私が悪かったから」

 

魂も吐き出して居るお洒落な重巡を呼び戻し、ようやくに料理に手を付ける塩梅。

 

「でもまあ、ガイヤーンは美味しいよね、何か肉がシッカリしてて」

「屋台では地鶏を使う店が多いそうですし、そのせいでしょうね」

 

タイでは70年代以降にブロイラー産業が盛んになったが、輸出、或いは

大量消費のチェーン店、店舗などを主体として出回っているため

 

小規模な、焼き鳥屋台などでは地鶏を使う事が多い。

 

巷に在る、タイの鶏肉は美味しいと言う風評の一因である。

 

「島風さんのお薦めでしたけど、屋台だからと馬鹿にできませんわね」

「屋台料理に手を出すなんて珍しいと思ったら、それが理由かー」

 

話しながら餅米を摘まみ、タレに絡め、鶏肉と共に口に入れる。

 

さくさくと食べ進め無くなる頃合いには、傾いた日も沈み湖畔の其処に夜。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。