水上の地平線   作:しちご

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75 鈴の音に消える

白と灰の世界の中に、二重のガラス窓に区切られた異界が在る。

 

冬の最中、凍てついた色合いの単冠湾泊地。

 

薪ストーブの爆ぜる音も静かに響き、布団を被せた机の上、

天板の上に白金の髪と、顎を乗せて溶けている艦娘が一隻。

 

ウォースパイトである。

 

「……平穏ですわね」

「ロシアが頑張っていますからね」

 

漏れた声に返すのは、霧島。

 

手に持つ籠には、バナナ、マンゴー、ランブータン。

 

「何でパッションフルーツなんですか、ココはミカンでしょうに」

「ブルネイとの資材交換が終わった所ですから」

 

ナイフでランブータンに切り込みを入れつつ、炬燵に入りながら眼鏡が言う。

 

通称ドラム缶トレード、単冠湾の伊168とヨー島の伊58がフィリピン沖で

うっかりドラム缶を間違えて持ってきちゃったと棒読みする案件の事である。

 

タダのミスなので密輸では無い、返す手間を考えれば現地で消費するのも当然である。

 

それはともかく、強いて言えば蜜柑に見えない事も無い白い果肉の並びを口に入れながら

胡散臭いほどに頑張ってくれますよねと、発言者が言葉を続けた。

 

しかしそんな疑問をスルーして、手を炬燵に入れたままバナナを引き寄せようと

口を活用する英国人に見せられない感じのクイーン・エリザベス級の姿。

 

溜息交じりの霧島が、バナナの皮を剥いて咥えさせる。

 

「どちらかと言えば、何か焦っている様な」

 

むぐむぐと、色気の欠片も無いトロ顔でバナナを摂取して、ミルクが欲しいですわと

字面だけ並べて見ると妙に危険な感じを醸す発言の後の、さりげ無い言葉。

 

ランブータンの種を吐き出す眼鏡の、座った視線が英国艦を射抜いた。

 

「ロシアに、形振り構わず戦争を終結させる必要が出来たと」

 

器用に肩を竦め、さてそれは私にもわかりませんと嘯く旧い淑女。

 

そして黙々と、果実を消費するだけの静寂が続く。

 

「まあ、成る様にしかなりませんわ、気にしない事です」

 

平穏なウチは休んでおきましょうと、バナナを食べ尽したブリテンの言葉に、

最初期金剛型が、慣れない空気なんですよねと眼鏡を外して眉間を揉む。

 

「提督なんか、あまりに平穏すぎて胃を傷めていましたから」

「貴女たちは一度、人生を真面目に考え直すべきだと思うのよ」

 

どこまでもジト目なウォースパイトが其処に居たと言う。

 

 

 

『75 鈴の音に消され』

 

 

 

今日も朝からウチらの泊地はてんやわんやの大騒ぎ、ってな。

 

まあいつもの事やなと、手の空いた隙に水平線の先に視線をやりながら諦めていると

何か五十鈴と瑞鶴が泣きついて来て厨房に引きずり込まれたクリスマスイブ。

 

「お芋のケーキ、言われてもな」

 

突然の話に軽く頭を抑える。

 

今年は巡洋艦組が菓子作り班とかで、駆逐艦にリクエスト聞いて細々と数を

作っとるとは聞いとったが、何で当日朝にワタワタしとるんかと。

 

「ごめん、初月が遠慮して中々言い出さなくて」

 

爆乳が手を合わせて謝って来る、うん、それで瑞鶴まで居るんか。

 

平身低頭を脂肪が邪魔しとる横で、平たい胸族の同胞が言葉を繋げる。

 

「何でも艦だった頃に、姉の涼月とクリスマスについて話した時に聞いたとかで」

 

んでギリギリに安請け合いして、いざ作る段階でハタと気が付いたと。

 

お芋のケーキって、何やねん。

 

「ぶっちゃけ、お芋のケーキとだけ言われても何なのかサッパリなんやが」

 

「あー、すいません、スポンジに薩摩芋練り込むのかなぐらいのフワフワとした想像で」

「いざ作って見ようとしたら、何か違うなーって……」

 

馬鹿みたいに簡単な話なのに、現実に直面せんと問題点に気付けない、よう在る事やな。

 

どうにかでっち上げてと拝まれてもな、自分でも作れそうなレシピでって注文多いな。

 

「まあ、思いつくんも2つ3つ在るけど」

 

目が輝いた2隻をスルーして、何かどうにか出来るかと厨房を見渡せば、

薩摩芋を蒸しとる川内に、スポンジにクリームを塗る神通、景気良く歌っとる那珂。

 

……いや、那珂も何か作れや。

 

そんなこんなに頭を悩ませとったら、入口に小柄な影が射した。

 

「人手が要り様かい」

「不味飯会はお呼びでないわ」

 

細々とした調理器具を抱えた白い駆逐艦、ヴェールヌイが近寄んな不味飯会員。

 

……いやちょっと待て、赤加賀(バキューム)避けと考えればむしろ必須の艦員やないか。

 

「懐かしの不味い飯の気配がしたんだけどな」

「再現しようとすんな」

 

あかんか。

 

何作るにしても、あの頃は材料の質が悪かったからそりゃ不味いやろうけどよ。

 

「と言うかね、ソビエトにはクリスマスが無かったから懐かしいんだよ」

 

そんな事を言っては、少しだけ真面目な顔をする、それはちょいズルくないか。

 

つーか、無かった言うのはちょい乱暴やな、言いたくもなるやろうけど。

 

「ソビエトにも、クリスマスカードとかツリーとか無かったかしら」

「アレは実は、年賀状と門松なんだ」

 

五十鈴の疑問にサラリと答えるソビエト艦。

 

「ソビエトのキリスト教は正教会やから、クリスマスが正月明けなんよ」

 

おかげで新年祝いが、どう見てもクリスマスと言う変な光景に成るとか。

 

「12月の方も祝いだしたのは最近、ロシアに成ってからやな」

「まあそんなわけで、何か作りたくてね」

 

そう言って見せてきたのは、木箱と手ぬぐいと鉄板2枚。

 

何や、話も聞いとったみたいやな。

 

「ああ、じゃあそれはまかせたわ」

 

とりあえずレシピ記録に瑞鶴を押し付けて、ウチは五十鈴とフライパン。

 

「見た感じ1品目は、川内が作ってそうや」

 

見に行けと言う前に、何か本艦がやって来た。

 

「これの事かな」

 

「それやな」

「あ、確かにお芋のケーキ」

 

見せてきたのは、黄金色に焼き色の付いた、切り分けた芋の様な見た目の焼き菓子。

 

「食べたいって子が結構居てね」

「憧れの洋食やもんなあ」

 

要するにスイートポテトや。

 

明治時代にコース料理の一種として提供された、卵を混ぜたマッシュ薩摩芋。

 

ポテトサラダの親戚みたいな料理が好評を博し、後に一口サイズに小型化され、

卵黄を塗ってオーブンに突っ込む現在のスイートポテトに成ったとか。

 

そんな感じでデザートとして世に広まった洋菓子や、日本産やけど。

 

「お芋のケーキと考えればコレやろうけど、戦中やとちと贅沢な気もすんねん」

「まあ何にせよ、数は作ってあるから大丈夫だよ」

 

その有り難い発言に、笑顔でサムズアップを返す爆乳軽巡。

うん、コレはこき使ってやらんと川内に申し訳が立たんな。

 

「そうそう、神通が提督用にケーキ作ってるから、味見担当で胃袋空けておいてね」

 

考えを察したか軽く笑い、そう言って芋を押し付けて去って行った夜戦狂やった。

 

見れば既に蒸してある、ええ仕事すんなあ。

 

とりあえず1品はこれで終わった、もう1品は向こう担当、ならウチはラス1品行くか。

てわけで、まずは振るいとボールを用意して粉作るかと、4~5枚分も在ればええやろ。

 

「砂と雑穀の準備は万端さ」

「入れんな」

 

あっさり調理が終わったらしく、微妙な顔の瑞鶴と一緒にヴェールヌイが戻って来た。

懐から良く洗った砂を取り出しやがったので、足を出して距離を取る。

 

「当時を懐かしむには必須じゃないかなあ」

「宴席の菓子やからな、再現料理は司令官か赤加賀にでも食わしとけ」

 

確かに当時のレシピ本ですら、小麦粉と書くのを諦めて粉と書いとるのが多いけどな。

 

それはともかくと、雑穀からボウルを死守しながら振るいを持ち上げる。

 

戦前は選択肢が無かったから小麦粉や粉やったけど、普通にやるなら薄力粉やな。

 

「まずは薄力粉を200グラム振るって、これは160あたりまで少なくてもええわ」

 

シロップが甘さ控えめになるやろうし、砂糖の比率を上げとく感じ。

 

「んでベーキングパウダーを8グラムほど、ここに砂糖を40グラム」

 

そこで香料入れるか聞こう思うて、手を止めれば。

 

何やろう、この五十鈴と瑞鶴の、葬儀の経文で寝そうに成っとる戦国武将みたいな表情は。

 

「……言い換えると、硬質小麦の粉をざっと1合、重曹を小さじで2杯」

 

「え、うん、そうよねプロテインよね」

「はい、ハッスルマッスルですよね」

 

これはアカン。

 

「べるぬい、ホットケーキミックス在るか」

「はい、使いかけだけど」

 

空いた袋を素直に渡してくる、中を確認、うん、変なモンは入っとらんな。

 

「1枚あたり50グラムな」

「問題無いわ」

 

いや、そんな精悍な表情されても反応に困るんやけど。

 

「まずは、粉入れる前に卵と牛乳を良く混ぜる」

 

んで、後から粉入れてザックリ混ぜると。

 

「ちょっと待った、まだダマが残ってるわよ」

「それぐらいで止めとかんと、重曹(ベーキングパウダー)が反応仕切って膨らまんのよ」

 

逆に卵と牛乳はしっかり混ぜんとあかんから、先に混ぜとくわけや。

 

ダマは調理中に二酸化炭素吐きまくるから最終的に勝手に混ざるねん、大丈夫や。

 

そしてまあ熱したフライパンに、均等に広げるために高い所からダバーッと落として。

 

「泡が出始めたら引っ繰り返す、と」

「早ッ」

 

「サッサと引っ繰り返さんと、二酸化炭素が上に抜けて膨らまんからな」

 

生地の中で泡に成って貰わんと、ペラペラなパンケーキ(アメリカ風)に成ってしまうわけで。

 

「んで、分けて貰うた芋を、牛乳と水飴で伸ばしてー」

 

じわりと縦に膨らんできた生地の、横のコンロで軽く火に掛けて、と。

 

焼き上がりを皿に乗せたら上から掛けて、出来上がり。

 

「ほい、()ットケーキ、薩摩芋ソース掛け」

 

粉が良かったり水飴入れたり、あの時代のモノと同じとは言えんけどな。

 

「ホットケーキよね」

「最近はパンケーキと言うんでしたか」

 

ぶっちゃけ単なる昔ながらの茶店のホットケーキや、最近の型使うのとはちょい違う。

 

「シロップや砂糖の代わりに薩摩芋ってな、お芋のケーキ言われてもおかしいは無い」

 

芋餡を乗せるとか挟むとかのバリエーションも在ったな、確か。

 

生地にも砂糖が無けりゃ薩摩芋突っ込んでたんやろうけど、砂糖か芋かそこらへんは

本人に聞かなわからん範囲や、まあデフォルトなレシピで砂糖仕様で芋は無しと。

 

「つーか自由に砂糖使えるんやし、コッチがええやろ」

 

コレで2品、と。

 

「こっちも焼き上がった所だね」

 

そう言って少し離れ向こうから、鉄板の仕込まれた木箱を持ってくる白と緑。

 

粉、芋、物資窮乏でケーキとくれば選択肢はそう多くない。

3品も在ればほとんど総当たりや、どれか当たるんやないかな。

 

「ああ、電気パン」

 

実物を見て、五十鈴が名称を述べた。

 

電極の仕込まれた箱の内部には手拭いが敷かれ、その上に焼き上がったパンが在る。

 

ジュール加熱製法で作ったパンやな。

 

食材に、つーか食材で通電させて、内部から熱調理するねん。

 

適当な木箱の内側の側面に、正と負の極に成るよう鉄板貼って

生地を入れたら通電開始、焼き上がったら電気が通らなくなるから勝手に止まると。

 

生地だけだと水分が足りなくて通電しないから、濡れ手拭いを下敷きにするのがコツや。

 

ちなみに名称が無駄にサイバーパンクにカッコ良いのは、製法がアレなんもあるが、

電気って単語がナウでイケてる時代やったからや、流行りやな。

 

電気光(がいとう)だの電影館(えいがかん)だの、文明開化の象徴として電気と言う単語が世に知られ、

やから明治から昭和にかけて、新しい物には何にでも電気と付ける風潮が在ったねん。

 

有名所で言えば、電気ブランとかか。

 

いや、電気パンは本気で電気使っとるけど。

何せ戦時中は薪が無かったからなと、説明するまでも無い面子。

 

電球割って正負に配線繋いで、食材入れたら通電(ちょうり)開始ってな、懐かしいと言えば懐かしい。

 

「どこらへんがお芋のケーキ」

「生地に混ぜてあるよ、その分、ちょっと砂糖控えめだね」

 

五十鈴の問いに、ヴェールヌイがそう答えながらパンを手拭いごと箱から取り出し、

一斤のパンの様な形のそれを薄切りに切り分ける。

 

手拭いに面していた焦げていない部分と裏腹に、内部は軽く琥珀に染まっていた。

 

内側から焦げていくのが、ジュール加熱製法の特徴やな。

 

「今で言えば、芋の入った蒸しパンって感じかな」

「まあこれも所謂、お芋のケーキやな」

 

素直に秋月型の進水年とかから考えれば、コレが正解臭いな。

 

しかし、微妙に地味や。

 

「クリーム塗ってチョコでも散らしとくか」

「ドライフルーツを入れておくのも良いね」

 

ホットケーキにも、薩摩芋の甘露煮あたり乗せとくか。

 

そこらは作っておくから、ほれさっさと作れと制作班に材料を渡す。

 

フライパンの前でお玉をおっかなびっくり持ち上げる五十鈴を眺めながら

さて電気調理組はと見れば、生地に色々と混ぜている所。

 

甘露煮を作る後ろで、何で妙に料理が上手いのよと問い掛けが聞こえて来る。

 

「不味い飯を作るためには、ちゃんとした技術が必要なんだよ」

「不味くなるんやなくて、不味い飯の再現やからな」

 

類稀な技術が悪魔合体して悪性新生物を創造する高速戦艦次女とはベクトルが違う。

 

いやまあ、一言で言えばアレやな、うん。

 

―― 何と言う無駄な努力

 

そんなこんなで甘露煮が出来た頃合いに、神通が甘さ控えめのケーキを持って来た。

 

今年のクリスマスは随分と菓子が豊富に成りそうや。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

深く、深い。

 

一筋の光も在らぬ黒暗淵の中。

 

およそ最後の別れに成ると、互いに敬礼を交わし離れていく。

 

深海、群れ成し沈んでいく丸い船体、輸送ワ級の軍勢を足元に眺めながら

通りすがりの抹香鯨に捕まり、急速に浮上する戦艦が1隻。

 

やがて海面に浮上した艦が、中空に水を吐き出した。

 

肺に溜まっていた海水と共に、静寂の中に喧しく咳を吐く。

 

一頻りの濁った音が響いた後の、音。

 

「……ア、アァ、アー……アーァーアー」

 

胸元を抑え、焼けた喉を確かめる様に声を出せば、途切れた。

 

戦艦レ級。

 

深夜の太平洋にその姿が在った。

 

「ナアンデ、呼吸ナンカ必要ナンダロウネエ、アタシラ」

 

妄執の塊のくせにと、吐き捨てる言葉。

 

軽く咳をしながら毒吐く声は、小さい。

 

「……サテ、アトハサッサト避難開始、ト」

 

そして、海面を滑る様に船体が移動を開始した。

 

冥い。

 

波音も凪ぎ、静寂に染まる夜の底。

 

黒く。

 

どこまでも、沈んでいる。

 

やがて、航跡の先から聞こえて来た。

 

―― 鈴が鳴る(Jingle, bells)鈴が鳴る(Jingle, bells)此の世の全て赴く場所に(Jingle all the way)

 

愉しそうな声色が。

 


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