水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 外

横須賀鎮守府第一提督室には、困惑が在った。

 

昨年末よりのブルネイ鎮守府群の動向が、あまりにも不穏であるが故に。

 

終戦を機にオイルロード防衛の強化名目に因る、不特定多数の国家との交渉。

災害対策の備蓄との名目で、予算を使い果たす勢いで買い込まれる資材。

 

「このままだと、野党の軍縮案がまた勢い付く事になりそうだな」

 

眉間を揉みながら愚痴をこぼす提督に、大淀が苦笑する。

 

「亡命を企んでいる、とまで言う人も居ますね」

 

眉間を揉んでいた指が、頭部を抑える掌に取って代わった。

 

南方三本陣提督は、前線に左遷されるだけの実力と問題を兼ね備えている。

さらに、最大軍事力を確保している泊地は提督が民間出身である。

 

成程、愛国心は多分在るが、忠誠などは値札を付けて倉庫に放り込む難物揃いだ。

 

今にも英国あたりの後ろ盾で、南方軍が独立し兼ねない雰囲気が在る。

 

―― だが、違う。

 

「アレは、裏切らないだろう」

 

給料を払っている内は、と言う身も蓋も無い言葉は呑み込まれる。

互いの脳裏に浮かんだ赤い水干の物体に、どちらともなく乾いた笑いが漏れた。

 

南方の軍事力の要が動かなければ、独立など絵に描いた餅でしか無い。

 

「裏切ったわけでは無いとすれば、何故 ――」

 

ふと、軽く考えていた単語が脳裏に浮かぶ。

 

―― 災害対策

 

部屋の空気が氷に取り換えられたかの如き錯覚が在る。

 

「取り繕う余裕すら、無いのか」

 

ただ一言が、室内に重く響いた。

 

 

 

『邯鄲の夢 外』

 

 

 

三重県名張市下比奈知。

 

疎らな田園の住宅地に、溶け込むが如く自然に其処は在る。

 

名居神社 ―― 目立たぬ程度の樹木に囲まれた、神域。

 

主祭神は大巳貴命、幾つか在る大国主命の名称の内、巳の字を充てたモノを祀る。

 

他には少彦名命、天児屋根命、事代主命、市杵嶋姫命、蛭子命と

過去には国津神社総社であったが故か、国津神系の神霊を多く合祀している。

 

何の事は無い、何処にでもある地方の氏神神社だ。

 

そんな閑静な神社の境内を、珍しく掃き清めている巫女が居た。

豊かな肉体を巫女装束に包み、青の長髪を軽く左右と後ろに括っている。

 

慣れぬ手つきで竹箒を扱う姿が、本職では無い事を物語っていた。

 

巡潜乙型3番艦、伊19

 

憲兵隊にて小隊を持つ、あきつ丸の同僚である。

 

「気配を消して近寄るのは止めて欲しいのねー」

 

掃き手を止めて溜め息一つ、誰にともなく言葉を零した。

 

「失礼、性分でして」

 

果たして、背後の木陰より姿を見せたのは、黒尽くめの陸軍制服。

 

そのままに互いに軽く挨拶を交わし、幾つかの伝達を終える。

あきつ丸が煙草の箱を取り出せば、境内は禁煙と情の無い言葉が在った。

 

「それで、イクはいつまでここで掃き掃除をしていればいいの」

「申し訳ない、交代要員は週末まで確保できなくて」

 

煙草を懐に戻し、懐紙に包まれた飴玉を取り出しながら同僚が応える。

 

「そもそも、何で巫女の真似事をしなくちゃいけないのねー」

 

愚痴に謝罪を充てながら、陰陽寮の意向ですからねと、気の無い言葉。

 

「銅鐸クラッシャーの理由もわからないのだけど」

 

それ自体は別にそう難しい話では無いのですよと、あきつ丸が肩を竦めた。

 

「念のため、件の龍驤殿にも伺って意見が一致したであります」

 

掃き手を止め、飴玉を受け取りながら興味深そうな風情を出す潜水艦に

ついでにと包んでいた紙まで押し付けて、揚陸艦が語り始めた。

 

「カネ、サナギ」

 

突然の単語に困惑が在る。

 

語り手が、かつての銅鐸の呼び名でありますよと笑った。

 

「何故、銅鐸は土に埋められていたのか」

 

聞き手が飴玉を転がしながら、先を促す。

 

国津神と呼ばれたモノを鎮めるため、豊穣を祈るため、財貨を隠すため

祭祀を大和式に塗り替えるための廃棄、諸説は様々に在るものの。

 

「そんな真実の探求は、学者にでも任せておくべきでありますな」

「身も蓋も無いの」

 

箒に顎を乗せて飴玉を転がす巫女が、さらに先を促す。

 

「大事なのは、何故と言う疑問に、どう答えを出し続けてきたか」

 

歴史の積み重ねが、儀式に必要な想念を積む。

 

土の下に埋めると言う行為は、どのように解釈されていたのか。

 

「土の下は手の届かぬ場所、見えない場所」

 

―― 此の世とは違う常世

 

故に単純にこう呼ばれる、根の国と。

 

「言霊信仰、というのをご存じで」

 

言葉には魂が宿る、故に音には意味が乗る。

 

「例えば、ゐと言う言葉には連なる、連続すると言う意味が在るのであります」

 

山中を親子で連なって走るから、「ゐ」の「しし」と言った塩梅でなどと

幾つかの由来を提示すれば、突如の豆知識に微妙な苦笑が返る。

 

古語からは音で意味を読み解く事が出来るのだと語る。

 

「な、という音には軟弱と言う意味が在りまして」

「ちょっと待つの」

 

ふと思い当たる事が在り、ジト目の伊19が一言を挟む。

しかし気にも留めず、言葉を繋げるあきつ丸。

 

「地面が軟弱と成り、揺れ続けるが故に地震は「なゐ振り」と呼ばれ」

 

―― 名居神社

 

「ものすごーく、偶然の一致であって欲しいのだけど、この神社って」

「日本でも珍しい、なゐの神を祀る神社でありますな」

 

現存する唯一では無いか、などとも言われている。

 

「……あきつが詰めている鹿島神宮って」

「地震を抑えている要石、が在りますなあ」

 

何の事は無いと、澄ました顔色での返答が在った。

 

「厄い気配がビンビンに迫って来たのー」

 

巫女が海に戻りたいと嘆きながら天を仰ぎ、溜息を吐く。

そして思い当たる事の切っ掛けと成った、飴の包み紙ををジト眼で睨んだ。

 

そこに書かれていたのは、二つの単語。

 

常に毛筆に慣れ親しんでいるかの様な、誰かの綺麗な字。

 

文字の意味を考えようと想到した所で、語り手が親切に謳い上げた。

 

「堅きモノ、固めるモノ、根を張る物、見えぬ世界に影響を与えるモノ」

 

―― 堅根(かね)

 

「それは、厄災を薙ぎ伏せるモノ」

 

―― 災薙(さな)

 

言葉が途切れ、静寂が境内を包み込む。

 

「耕作が捗りそうでありますなあ」

「待てコラ」

 

韜晦の言葉に、空気が鉛から少し軽い物に変わった。

 

「何なの、深海棲艦は震災でも起こそうって言うの」

「それはまあ確実に、たぶんきっとおそらく、であります」

 

ざっくりとした言葉であった。

 

「結局の所、どうすれば良いのかサッパリわからないんだけど」

「要は真っ先に馳せ参じ陰陽寮に恩が売れた訳で、他は些事でありますよ」

 

酷い本音であった。

 

「機に臨み変に応じ、常に弾力的な対応で前向きに処理する所存でして」

 

実に日本的な言葉であった。

 

大和撫子的な気配で軽薄な風情をまきちらすあきつ丸に、一言が在る。

 

「でも、そうなると確信している」

 

積み重なる韜晦の中に、伊19の言葉が僅かの静寂を生んだ。

 

「まあ、件の龍驤殿は誘蛾灯の如く正解に引き寄せられる方でありますからね」

 

肩を竦め、気を取り直したあきつ丸がそう零した。

 

信頼してるのねーと呆れた言葉に、マブダチでありますからなと白々しい声。

 

「―― 抱えた望みが、正解以外の選択肢を許さない」

 

次いでぼそりと紡がれた、小声の言葉を聞き返そうをした潜水艦の興味を

いえいえと、何でもない事の様に結論の言葉で塗りつぶした。

 

「そして困った事に、結論も一致してしまったのでありますよ」

 

地震の事なのと聞かれると、違うのでと首を振る揚陸艦。

 

「それで終わるんなら、手間はかからないと」

 

再び境内の空気が、鉛へと転じた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

今日も今日とて、5番泊地提督執務室。

 

鍋を揺すっていた夕立が、茶漉しを通してマサラ・チャイを湯呑に入れはじめた頃。

 

「話でしか聞いた事が無いので、イマイチ実感ナッシンネー」

 

机の上に困惑を乗せて、金剛がそんな事を言う。

 

シスターズはアンダスタンド、などと長姉が気楽に問いかけようとすれば、

同じ困惑の雰囲気の中、ただ一隻だけ蒼白に成った榛名の様相に口が閉じた。

 

「アレは、洒落にならんぞ」

 

湯のみを受け取った利根が、深刻な表情でそう零す。

 

「あー、戦没艦と生存艦で結構意識ちゃうんやな、やっぱ」

 

重くなった空気を龍驤がマッタリと掻き混ぜれば、扉を叩く音。

 

そして入室してきたのは、白い駆逐艦。

 

「呼んだかい」

「ああ、ちょいソビエト関連で聞きたい事があんねん」

 

唐突な話だねとヴェールヌイが応えれば、龍驤の横で利根が眉間を揉み始める。

 

「裏取りに時間がかかってしまっての」

 

その手に持たれた報告書に書かれている文字は、イタリア語。

遠征の兼ね合いとかもあり、聞くのが遅く成ったと軽い説明が在った。

 

「流石にただの駆逐艦だと、知らない事も多いんだけど」

「いや、当時のソビエトの気風を聞いておきたいだけの話や」

 

単に参考意見を集めとるだけやとの言葉に、知らず張っていた駆逐艦が吐息を零す。

 

「ヴェールヌイ、かつてのソビエト連邦にAN602 ――」

 

軽い語り口の中、しかし誰の目も笑ってはいない。

 

核爆弾の帝王(ツァーリボンバ)を超える多段階水爆を製造する必要性は在ったか」

 

吐き出された吐息は、すぐに飲み込まれる事と成った。

 


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