水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 足

その時、あきつ丸小隊は埠頭に居た。

 

係留されている輸送用の船体に、人間の隊員たちが忙しなく資材を詰め込んでいた。

 

一連の事件から、状況の変化に対応できるようにと、各種訓練の名目で

緊急に整備を、避難時の備蓄などの準備を行っている最中である。

 

その時の事だ。

 

揺れは短く、強かった。

 

「震度にして、5弱と言った所でありますか」

 

強烈に揺れ、そして凪ぐ。

 

強いP波と極めて小さいS波、認識できる振動が短時間で終わるその特徴から、

今のが報告に在った水爆の連鎖爆発に因る人工地震だと、あきつ丸は推測した。

 

「予想通りと言いますか、被害と言うほどの規模ではありませんな」

「深海の連中が、何をしたかったのかわからないのです」

 

隊長が所感を零せば、副官が首を捻り、

そこかしこに安堵の吐息が聞こえ、作業の手が止まる。

 

アメリカに2つ、カザフスタンに1つ生み出された核の振動は、地殻を伝わり

その中間に向けて「日本列島を通り過ぎて」衝突すると推測されていた。

 

そう、3発の水爆が生み出した振動の焦点は、日本から外れている。

 

「あれ、何か水平線の向こうに」

 

そして、隊員の無事を確認していた春雨がそれを視認した。

 

「―― これが、在りましたか」

 

ぽつりと零れた言葉に、隊員たちの視線が集まる。

 

「あれは、何ですか」

 

隊員たちの疑問を、春雨が代弁した。

 

水平線に見える、簡単に視認できるほど巨大な、灰色に染まるのクラーゲンの如き半球。

 

「おそらくは東方に ―― 距離は1600km」

「つまり、どういう事なのです」

 

何とも曖昧な言葉に、副官が再度と問えば、隊長は気負い無く口にする。

 

「40分弱で地震、1時間余で衝撃波、その後に津波が来ると言う事でありますよ」

 

誰かの、息を呑む音がした。

 

何処からか、サイレンの音が響き始める。

 

視線を集める中、あきつ丸はただ一度、深く息を吐いた。

 

「小隊、沖合に避難する、抜錨急げッ」

 

即座の号令。

 

珍しく変わった声色に、事態の深刻さが滲んでいた。

 

 

 

『邯鄲の夢 足』

 

 

 

それは、静かに眠っていた。

 

自身を塞いでた惑星の外殻、岩石圏が震えるその時まで。

 

遥か彼方より伝わる振動が、海溝を閉じる。

 

圧し潰された果実の如く、数多の輸送ワ級が破裂して、衝撃。

 

振動に薄れた外殻の圧力は、風船に穿たれた穴の様な爆発に因ってさらに減少し

さながら鎖を引きちぎる猛獣の如く、その威が表層へと浮かび上がる。

 

タム山塊

 

日本列島より東に1600km、太平洋海底に存在する、太陽系最大規模の休火山。

 

およそ31万平方km、その日本列島の面積に匹敵する巨大な火山が保有する質量は、

最大でTNT火薬に換算し30兆トン、30テラトンの破壊力を内包する。

 

マグニチュードにして12.2、容易く地球を貫通して余りある数値だ。

 

それが今、指向性を持ち薄皮と化した岩盤を貫く方向に動き始めた。

 

振動が、海底の全てを打ち砕く。

 

噴出した莫大なマグマは深海の圧力を跳ね除け、火砕流が広大な海底を飲み込み

速やかに水蒸気爆発を引き起こしながら、その光景を海面へと至らせる。

 

どこまでも加速を続けるそれは、濁らせる間もなく海中の生命を灼き殺し、

暴力的な熱量を拡散させながら、ついには雷光を纏い遥か蒼天へと吹き上がる。

 

半球に在る生命体の全てが、それを識った。

 

轟音が、大気を打ち砕く。

 

対極の半球に在る者も、それを聞いた。

 

噴出した質量は成層圏を越え、拡散し、どこまでも高く、その一部に至っては

第一宇宙速度にまで達し、重力の頸木から外れ遥か彼方への道程を歩み始める。

 

そして、太平洋に面した国々を空振が襲った。

 

樹々は裂け、硝子は砕け、悉くは倒壊する。

 

悲鳴は哀哭の色に染まる前に途絶え、崩壊の音色だけが響き続ける。

 

大気圏を貫いた噴煙は、地球全土に火山灰を拡散させ、惑星の色を薄明に染めた。

 

あらゆる沿岸に水害を引き起こし、様々を海底へと引き摺り込む。

 

衛星からも容易く視認できるほどに地球が波打ち、そして闇に覆われる。

 

空は、黒く染まった。

 

海は、黒く染まった。

 

山河も、大地も、風雪も、その全ては例外無く深海の色に染められた。

 

生命の溢れる荒野は死の渓谷と化した。

 

死の溢れる砂漠は闇の色を纏った。

 

地軸は歪み、あらゆる計器がエラーを吐き出し続ける。

電離層の混乱はあらゆる電波を妨害し、全ての通信が途絶える。

 

一時的とは言え、人類は全ての眼を失った。

 

薄明の中、人々は自らの視界に映る光景が全てと成る。

 

或る者は、黙示録の光景だと言った。

 

神の貞操を奪った報いを受ける日が来たのだと。

至る所で銃声が響き、自らと、誰かの命が失われた。

 

世界中、至る所に虚ろな目をして虚空を見上げる視線が在った。

 

泣き叫ぶ余力も尽き果てて、死せる詩人の如くに過去に囚われる。

無気力な生者は次々と、生ける死人に成す術も無く食い散らかされた。

 

動く者も居る。

 

衝動は暴動を呼び、暴力が阿鼻叫喚の地獄を現世に降臨させる。

 

何が起こったのかを理解できた者は少ない。

その少数も、誰かに伝える術も無く。

 

未だ冷静さを失いきれない者達との間には軋轢が生じ、世界が紅に染まる。

 

深海の見る空が、堕ちてきたかの様に ―― 絶望が、惑星を包む。

 

期間としては短期ではあったが、感覚として、人類史に於ける最大の混乱は長く続き、

その検証が開始されたのは何もかもが落ち着いた後、随分と後の話に成る。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

灰色の雨が降る。

 

「核の冬、とか言う感じに成るのかね」

「破局噴火にまでは至らんかったし、そこまではいかんやろ」

 

執務室にて、降灰を避ける提督と秘書艦の声が在った。

 

埠頭を打ち付ける雨が泊地を灰色に染め、海の色を冥くする。

 

タム山塊の噴火は、火山爆発指数で言えば7で止まった。

 

規模の表現としては超巨大噴火、千年に一度の頻度で起こる格、

1815年のタンボラ山噴火と同じか、もしくは少し劣る程度である。

 

その時の噴火に於ける被害は、地球規模で2年に渡る夏と言う季節の消失。

及び10年に渡る平均気温の低下と記録に残されている。

 

「噴火も海底やし、水圧で威力が減少する分マイルドになっとるしな」

 

海底火山の噴火は、受ける水圧に因り噴出物が抑えられるため

基本的に、噴火の規模よりも被害が抑えられる傾向に在る。

 

ポールシフトも10km程度で済んだと、調査団からの報告が在った。

地球環境の変化は不可避であろうが、劇的、致命傷と言うほどではない。

 

「けど、どうやって」

 

簡単な言葉の疑問に、水爆やなと簡単な言葉が返る。

 

「場所が問題やったんや」

 

言いながら龍驤が身を翻し、ホワイトボードの前に立つ。

室内の視線を集めながら、描かれている世界地図に継ぎ接ぎと線を引いた。

 

「―― プレートテクトニクス」

 

想到した提督がぽつりと零す。

 

見れば世界に重ねられる様に描かれた線は、マントル上の岩盤を示していた。

 

秘書艦組の見守る中、筆頭はタム山塊に印を付ける。

 

「この場所の圧力を下げるために」

 

言いながら更に印を打つ、サンフランシスコとカザフスタン。

 

「太平洋プレートと、ユーラシアプレートの反対側を水爆で引っ叩いたわけやな」

 

そして、ネバダ。

 

「太平洋側は距離が在るから、ついでにネバダで北アメリカプレートもぶっ叩いた」

 

そのままの流れで日本に丸を付ける。

 

ついでに答えから逆算すればと、一連の本土での深海棲艦の行動は ――

 

「ユーラシアプレートの端に打ち込まれた、日本と言う楔を引っこ抜く事」

 

語られた結論に、室内の空気が沈んだ。

 

天を仰ぎ、顔を伏せ、それぞれに悲嘆を表に出す中で、提督だけが気付いてしまう。

 

ペンを弄ぶ龍驤の、詰まらなそうな表情に。

 

「まだ、何か在るのか」

 

重い世界と化した室内に、その言葉は深く響いた。

 

「ウチらは、まだ生きとる」

 

言葉だけをとってみれば、希望や、熱意の気配が在る力強い一言だろう。

 

しかし語り手は、頭を掻きながら焦燥の見える声色でそれを口にする。

 

「ここで手を緩める理由は、無いわな」

 

そこから導き出される結論は、苦い。

 


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