水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 道

 

物資高騰の折ながら、俄かにカカオの香る横須賀鎮守府。

 

「あ、もう食っとる」

 

第4提督室、給湯室にて茶を淹れて戻ってきた龍驤が見たものは

茶請けのチョコをパクつく提督であり、悪戯の見つかった表情であった。

 

「しかし、この深海棲艦たちは今まで何処に居たんだろうね」

「摘まみ食いを誤魔化すためにシリアスな話振るのは止めような」

 

あしらいつつ置かれる緑茶の横には、幾つかの書類と写真。

未だ止まる気配の無い、タム新島近海に浮かび上がる深海棲艦について。

 

「何で今とか、わからん事は多いけど」

 

数が居る理由なら見当がつくわと、秘書艦が席に戻りながら言う。

 

続きを促せば、肩を竦めて酷い言葉が在る。

 

そもそも、今までが少なすぎたと。

 

「ネアンデルタール人の頃には、既に葬式が在った言うわな」

 

突然に飛んだ話へ、訝しげな気配が寄るも、

特に気に留める事も無く、言葉が続けられる。

 

「壊れて動かなくなったんやなくて、死んだと理解した」

 

死の概念の獲得。

 

「添えられた花は、向こう側に行ったヒトが少しでも安らかにと」

 

死後の概念の誕生。

 

「喜びを捧げ、悲しみを振り払い、全てが何処かへと流れてく」

 

ぐるぐると世界を回る全ての中で、余ったモノは常に水に流されてきた。

 

「ヒトが死の概念を、死後の世界と言う思想を得てから十万年」

 

雨は河と成り、河は海に注ぎ。

 

「十万年間に渡り、流され、沈み続けた人類の負の感情」

 

それが今、大戦の亡霊と言う容れ物を手に入れた。

 

「アレらの本来なら、艦隊戦程度で対処できる物量や無いと、ウチは思うで」

 

希望の欠片も無い言葉に、湯呑みから口を離した提督が禁煙パイポを咥える。

 

「十万年分の負の感情、か」

 

そのまま天井を仰ぎ、パイポだけが雄々しくそそり立つ。

 

「やっぱさ、一国の軍隊で相手する代物じゃないよねえ」

 

 

 

『邯鄲の夢 道』

 

 

 

いややー、もうしばらくチョコは見とおない、いやホンマ本気で。

 

やたら冷たい机の平面と平たくドッキングしながら魂を吐いていれば、

何となく未だ全身からチョコの香りが漂っているような気がして、胸灼けがする。

 

いやさ、本土と違って東南アジアは結構な国が結構な数のカカオ育てとるから、

こんな混乱の最中でも何だかんだでチョコは結構安く手に入るんよ。

 

質がアレやけどな。

 

まあ要するに、一般に言う海外の安いチョコレートってヤツや。

 

病変したり、規格外の大きさの豆とか平気で混ぜて作るから、品質がバラつくバラつく。

 

かと言って、ハイクオリティ品はお値段も相応にハイクオリティなわけで。

 

「もうテンパリングは飽き飽きや」

 

先日、敷波はじめ数隻の駆逐艦に泣きつかれてな、安うてマシなチョコが欲しいと。

 

うん、カカオ豆で買うのが一番安かったんや。

 

発酵済み焙煎前、これをローストして砂糖と一緒にゴリゴリするわけで。

 

豆の油っ気でクソ重くなった擂り鉢を延々と。

 

延々と。

 

そう、延々と。

 

ぶっちゃけると最低ラインが30時間。

 

高級品なら70時間コースでやっとるらしい、やっとれん。

 

「ここ数日、間宮で駆逐艦が入れ代わり立ち代わりしとると思ったら」

 

利根が隣でチョコを摘まみながら、頭痛を抑える仕草をした。

 

「艤装担いで交代制でやっとったから、品質は結構エエ感じに成ったで」

 

とりあえず勝った気がする、何かに。

 

つーか艦の出力が無いと擂ってられっか、あんなモン。

 

「つーわけで、受け取ったチョコは味わって食っとけや」

 

作り手の思いと、ウチの怨念と、メンドクセエ言う熱い思いが籠もっとんねん。

 

そう言えば、チョコをひとつ口に放り込んだ司令官が肩を竦めた。

 

「燃料の無駄遣いじゃと、どこかに責められそうだな」

「必要経費や」

 

平然とした言葉に、白い視線が飛んできたので肩を竦め返す。

 

「思い残す事は、少ない方がエエやろ」

 

言えば司令官が天を仰ぎ、次いで書類に視線を移す。

 

「やっぱさ、どうにも成らないのか」

 

南冥に、続々と集結する深海棲艦の群れ。

 

時間経過とともに悪化する現状を記した書類が、今もなお更新されている。

 

「同数なら、どうとでもなる」

 

考えるふりをして、答えた。

 

「倍ぐらいでも、結構何とかなった」

「それを素で言えるのは、初期一航戦の馬鹿4隻ぐらいじゃ」

 

冷静にツッコまんといて、自分の価値観に疑問を抱くから。

 

「十倍の敵でも、手段を選ばなんだら勝機ぐらいは見える」

 

笑える話や。

 

「千倍は、無理や」

 

百の位が飛んどるがな。

 

文字通り、海域を埋め尽くす物量で圧し潰す。

 

一切の条件も無く、一切の手段を選ばなくて良いのなら、

 

誰やってそーする、ウチやってそーする。

 

「もう、いかに被害を少なくするかってとこに焦点あてる段階やな」

 

天を仰いでいた司令官が、その手で顔を覆って言葉を吐いた。

 

「ゼツボー、だな」

 

まったくや。

 

「援軍とか、来ると思うか」

 

「本土かあ、引きこもるんやないかな」

「本土に注目を集めるぐらいならば、コッチを切り捨てるじゃろうな」

 

話せば話すほどに酷い現状。

 

「だいたいアイツら、どっから湧いて出たって深海だよな」

「答える前に解答が出たの」

 

司令官と利根が阿呆なやり取り。

 

「何で今まで、沈みっぱなしだったんだよ」

 

ため息交じりの言葉に、諦め全部な声色で言葉を返す。

 

「今更な話や」

 

何か思いつく事でもと促されたので、仮説を一つ。

 

「アイツらさ、エラ付いとるやん」

 

駆逐とか雑魚い所は。

 

「鬼とか姫とか、ヒトっぽいのは肺呼吸してそうや」

 

時々、海面で水を吐いて咳き込む人型棲艦が居るらしい、聞いた話。

 

「ミッドウェイの空母棲姫は、首だけでも動いとったと言っとらんかったか」

「あん時の余所の報告では、離島棲鬼の首は息絶えとったらしいで」

 

要は、生命力が高く少しは持つが、限界があると。

 

つかそもそも、あの時の空母棲姫は消滅に至る過程やった。

 

「呼吸か」

 

司令官が察する。

 

「そう、エラにせよ肺にせよ、ヤツらは酸素を必要としとる」

 

人間ほど切実で無いにしてもな。

 

そして、それがどうしたのかと言う疑問。

 

気が付けば静かに成った室内に、ウチの声だけが響いた。

 

「水爆、地震、噴火、これらは全て過程でしか無かった」

 

ああそうやな。

 

殺ると決めたのなら、自分たちの手で殺らんと、

 

殺った気には成れんよな。

 

「離島棲姫の真の狙いは」

 

海底火山の噴火を以て、海面までの熱対流を引き起こし。

 

「深海無酸素層をぶち破る事」

 

実に、今更な話や。

 

「……聞きなれない名前じゃ」

「酸素極小層とも言うな、水深600から1000あたりの深さの事だ」

 

利根の疑問に、司令官の答え。

 

「表層から細菌が、有機物を酸素を使って分解するから、そのあたりで使い切るんよ」

 

長時間の無酸素運動が可能な、抹香鯨ぐらいしかそこを抜ける事は出来ない。

 

現状から考えれば、深海棲艦の無酸素運動可能な時間は、

層を抜けるほどでは無かったんやろうと察することが出来る。

 

「そこより下の酸素は、どこから来たのじゃ」

「極や赤道で生じる高塩度の海水が、酸素と一緒に沈んで縦の海流を作るねん」

 

んでインド洋や北太平洋で深層から表層に押し上げられる。

 

今にして思えば、打通時の中東や単冠湾が激戦区やったのは、このせいやったかと。

ともかく、そうして表層と深層が無酸素層を挟んで、ぐるぐると酸素を回していく。

 

「そこに、大穴が開いたと」

 

タム新島を中心点とした、丁度良い温度の縦の海流。

あとは深海で燻ってた連中が、そこを続々と浮上するって感じか。

 

「ほれ、分かった所でどうにもならん」

「まったくもって、今更だな」

 

天を仰げば、妖精が艤装から転げ落ちた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

蒼天の下、紺碧が翠へと遷る砂浜に鋭角の岩石が列す。

 

遠浅の海底には世界二位の長さを誇る珊瑚礁が在り、砂浜を外海と隔てている。

 

ニューカレドニア、世界最大規模を誇るラグーン。

その場所に、椰子の実の如く流れ着いた幾つかの何か。

 

その内の一つ、黒く、波打つ外観をしたそれに、灰色の円筒形の物体が付属する。

 

はむはむと、平和な音が波の音に紛れた。

 

「……私ハ海藻ジャナイ」

 

よく見ればそれは離島棲姫であり、その衣装と黒髪に鼻先を押し付ける様な姿勢で

甘噛みをしているのはジュゴンである、主に海藻を食べる。

 

ようやくに意識が確かなものに成ったのか、およそ450kgほどの灰の巨体が

ぺいと沖にぶん投げられた頃合いに、周囲の漂流棲艦達も意識を戻す。

 

酷い目に遭ったと、色々と棚に上げた白々しい会話を繰り広げて暫く

波音に駆動の音が混ざり、沖合より黒尽くめの誰かが近付いてきた。

 

「待チ合ワセ場所ニ居ナイト思ッタラ、コンナ所デ何ヲシテンダヨ」

 

戦艦レ級。

 

「ソロソロ集マッテル頃合イダゼ」

「勝手ニヤッテレバイイノニ」

 

呆れたような声色の向こう、戻ってきたジュゴンが空母棲姫の髪を甘噛みしていた。

 

「発起人ガ音頭ヲ執ルモンダロウ、コウイウノハ」

 

気が付けばジュゴンが群れを成し、空母を囲む灰色の団子を構成し始める。

 

「火ヲ点ケタノハ空母ヨ」

 

その空母は現在、絶賛ジュゴンの群れに攫われている。

 

「導火線ト爆薬ヲ置イタノハ暇様ダロ」

「暇様言ウナ」

 

肩を竦めた離島の向こう、ジュゴンが次なる犠牲を防空棲姫に定めていた。

 


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