水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 禍

針金の様な雨が降る。

 

砕けた艤装が雨粒に撃たれ、砂浜を転がっていく。

その手前、海岸に漂着し土下寝の形と成っている艦娘が2隻。

 

「青葉、生きてるー」

 

衣笠と青葉である。

 

「一生分の幸運を使い果たした気分です」

 

激しい雨音に声も途切れる中、血と硝煙が水に流され海へと注がれていく。

 

尽きぬ増援に限界を迎える前に、敵中突破を試みた末の顛末であった。

 

「何か追撃に、吹雪さんや古鷹さんぽいの混ざってませんでしたか」

 

身体を起こし、装備を確認しながら青葉が言う。

 

旗艦ですよー(ワレアオバ)って信号出してみたら」

「猛追してきたら御本艦ですか」

 

鉄火場を抜けて、益体も無い会話に安堵の苦笑が漏れた。

 

そして遅ればせながら雨避けに移ろうと互いに立ち上がれば、雨脚が緩む。

 

水に覆われていた視界が明瞭と成り、視界には海原と密林と、駆逐イ級。

 

「…………」

「…………」

 

目の前に居た。

 

背中に獅子吼を受けつつも、射線を避けて斜めに走るのは日頃の訓練の賜物だろう。

 

わき目も振らぬ全力の逃走が在り、密林へと走る重巡洋艦姉妹。

緑の中に重巡洋艦が飛び込むのと、砲弾が樹々を薙ぎ倒すのは同時であった。

 

「うわぁ、蛭が、蛭がボトボトとッ」

「何か噛まれたーッ」

 

あまり素肌を晒して飛び込みたい場所では無い。

 

潜伏に僅か、待ち続ける内に次弾が飛んでこない状況に衣笠が首を傾げ、

青葉が蛭を引き剥がしながら様子を伺えば、それは動きを止めていた。

 

時計の針が止まったかの様な、静止。

 

視線を受ける中、漆黒の体躯が僅かに揺らぎ、崩れ始める。

 

途端、視界には映らぬ何かが。

 

悍ましいモノとしか形容できない何かが場に満ちた事を、肌に受けた。

 

言うならばそれは、瘴気。

 

状況の認識よりも強い、生理的な嫌悪に突き動かされ、2隻は密林の奥へと避難した。

 

その後ろで岩が砕け、土は腐り、樹木が早送りの映像の様に枯れ果てる。

倒れた樹木の、球状の寄生植物が卵の如くに割れ、蟻の死骸が砂の様に零れた。

 

やがて足を止めて振り向けば、生と死の境が作られた密林の姿。

 

「海岸線が常世に成る、とはこのような意味でしたか」

 

蛭や蟻を払い除けながら、知識でのみ識っていた事柄への嘆息。

 

瘴気の爆弾みたいな物かと妹が問えば、姉は首を振り、崩れた世界を指し示した。

 

「土地が死んだんですよ」

 

あちら側に連れていかれた、と語る。

 

腹を見せ動きを止めた小動物、折崩れ僅かに形を残す樹木の成れの果て。

視界の先、打ち寄せる波が砂を飲み込み海原へと引き込んでいた。

 

「波に攫われ、一月もすれば入江に成るでしょうね」

 

陸地が、殺されたと。

 

 

 

『邯鄲の夢 禍』

 

 

 

逢魔刻の海原を、艦隊が征く。

 

深海勢力に対し弧を描き迂回する形、そして側面から突入を試みる。

 

いや、既に敵陣に入っている。

 

その状況の中、艦隊の誰からも言葉が無い。

 

「……何で」

 

静寂に耐え切れず、陽炎が疑問を零した。

 

―― 何で、敵に遭遇しないのか

 

「海原を埋め尽くすと言うても、別に億単位ってわけでも無いしな」

 

事も無げに龍驤が言う。

 

船足の違い、統制の精度、様々な要因から隙間が出来ると。

 

そこに潜り込んどるだけやと。

 

発言の異様さに、陽炎の言葉が詰まった。

 

―― 何で、そんな事が出来るのか

 

「何で、そんな事を教えてもらえるんだい」

 

全体の疑問とは僅かに違う問いが、隼鷹より発せられる。

 

陰陽系艦娘故に、他に見えないモノが見えていた。

 

羅針盤固着より先に舵を切る龍驤、行動に追随するように止まる針。

 

そして、僅かな隙間を縫う様に侵攻する艦隊。

 

見えていた。

 

龍驤が、何かに道を教えられていると。

 

その視界に在るのは果たして、龍驤を取り巻く様々な怨念。

 

「隼鷹、キミいつから聖人君子に成ったん」

 

恨み言に、繰り言に、耳を傾けながらの返答が在る。

 

「海の底に沈められた負の感情」

 

太平洋の大穴から這い出てきた積載する怨念。

 

「それはつまり、ウチらの事やろ」

 

龍驤を取り巻く姿は絶える事無く、その姿を次第に明瞭なモノと化していく。

 

足の無い天龍が行き先を示していた。

 

額に穴の開いた金剛が血涙を流していた。

 

首の無い明石が首だけの五十鈴に食い付かれていた。

 

隼鷹の耳に、かつて飽きるほど聞いた一号艦攻の駆動音が響く。

 

見覚えのある姿が、軍服の誰かが、白衣の老人が、様々な存在が様々な行動の中

それでも幾らかは確かに、龍驤へと道を指し示し続けている。

 

艦隊の全ての艦娘の肌が、知らず泡立っていた。

 

龍驤の背中を、那珂が押す。

 

―― 神通ちゃんを連れて行ってくれた事だけは、有難う

 

本当は路線変更をしたかったなと言って、消える。

 

―― 今度は、辿り着けるやろうか

 

旗艦とは違う、柔らかな印象の龍驤が言う。

 

様々な艦娘が、沈み逝く無念が、いつのまにか艦隊を取り囲んでいた。

 

そして、旗艦の軽く振り向いた姿に、隼鷹がいつかの艦の姿を幻視する。

 

甲板に、数多の乗員が居た。

 

生と死の境すら気にも留めず、自らこそが龍驤だと示していた。

 

「それらがウチらの味方をせん道理は無いわな」

 

微塵も疑問の色の見えぬ断言に、隼鷹の手が伸びる。

 

口が、開く。

 

しかし言葉が無い。

 

―― アンタは、まだ艦娘なのか

 

その一言が、決定的な何かを齎してしまいそうで。

 

逡巡の隙に、それを追い越していく姿が在る。

 

「それで、どこまで上手く潜り込めるのじゃ」

 

利根が、一切を気に留めない疑問を発した。

 

「たぶん中心は本気で埋まっとるやろうし、2、3戦は覚悟やな」

「笑えるほどの酷い如何様じゃのう」

 

くつくつと笑う航空巡洋艦の姿に、信じられないモノを見る視線が集まる。

 

「やっぱ秘書艦組はおかしいわー」

 

陽炎が零した言葉に、思わずに頷く隼鷹と飛鷹。

 

「……聞こえる、夜戦の足音が」

 

綺麗に様々をスルーしている第二艦隊旗艦も居た。

 

「まあ、この艦隊で抜錨した時点で皆クレイジーね」

 

身も蓋もない発言の戦艦。

 

「今のうちに補給でもしておきましょうか」

 

そして水筒を取り出す平常運転の妹。

 

「うわー、何か真面目なアタシが馬鹿みてー」

 

宵に染まる空へとハイライトの消えた視線を向けながら、隼鷹が言った。

 

「柄にも無い事をするからよ」

 

相方の言葉には情け容赦と言う物が無い。

 

まあいつも通りだよねと、セルルを艦隊に配りながら言う島風に、

いろいろと諦めた表情でお茶を渡す天津風。

 

敵陣深く、僅かでも補足されれば即座に袋叩きにされる状況で

のんびりと茶をすすり緑色の菓子を齧りながら、前へと進む艦隊の姿。

 

「……これはひどい」

「お主が言うでないわ」

 

先頭に在る2隻の朝潮型航空駆逐艦が益体も無い事を言う。

 

やがてセルルの最後の欠片を茶で流し込み、一息を吐き、口を開く。

 

「ふむ、時間も在るようじゃし、吾輩の最大の武勇伝を聞かせてやろう」

 

なんでやねんとのツッコミを受け流し、そのままに言葉を繋げた。

 

「戦争を生き残った吾輩は、その後に解体され鋼材と成ったわけじゃが」

 

訥々と語る声は、気負いなく響き。

 

「そして電車や鍋釜、様々な物に姿を変え、戦後復興の一助と成ったのじゃ」

「それを武勇伝として語るのは、ちょい卑怯やん」

 

あー、アタシも成った成ったと隼鷹が言い、他は頭を抱え悲鳴を上げる。

そして私はロシアに持っていかれていたなと、遠い目をするグラーフ。

 

「そうじゃ、帰ったらおから寿司を頼む」

「大ぶりの握りでか」

 

わかっておるのうと、苦笑が在った。

 

言葉を受けてか、途端に屋台談義が細々とはじまる艦隊後方。

 

緊張感無いなと呆れた表情を見せる旗艦に、利根は真摯な表情を返す。

 

先頭に生まれた僅かな静寂に、流し込む様な言葉が在った。

 

「お主に救われた命は、ちゃんと後世に繋いでやったぞ」

 

決まり悪く、そりゃどうもと目を逸らして返した龍驤に

本当に我が儘なヤツよと、肩を竦める利根が居る。

 

「我が儘か」

「我が儘じゃな」

 

嘯く声を、一言で切って捨てた。

 

「守るべき艦に守られた、随伴の惨めさを考えた事は在るか」

 

責める口調ではない。

 

しかし、それだけに龍驤は目を合わせる事も出来なかった。

 

「じゃからな、お主への義理も果たした吾輩は」

 

それを気に留めず、利根は言葉を繋げる。

 

「ひとつぐらい我が儘を言うても罰は当たらんと思うのじゃ」

 

僅かに楽しそうな色の滲む言葉だった。

 

困惑の空気に、後方から声が掛かる。

 

「龍驤、前方7km先に敵艦隊を確認した」

 

偵察隊の夜間発着を終えたグラーフの発言。

 

「姫級、おそらくは防空棲姫とその随伴だ」

「嫌なとこ引いたなあ」

 

髪を軽くかき混ぜながら、報告を受けた旗艦が零す。

 

「時間的に艦載機出せんのが、良かったのか悪かったのか」

 

手早く指示を回し、一同が艤装の点検を始める。

 

目に見えぬ戦意が高まる中、僅かな隙間に利根と龍驤が向かい合った。

 

「我が儘か」

「我が儘じゃ」

 

帰ってからかと聞けば、すぐに終わると言う。

 

「一言じゃ」

 

短い言葉が在った。

 

「吾輩の望む一言を、今この場で出せなんだら」

 

海原に響く、真摯な声色に艦隊の視線が集まる。

 

「お主との付き合いも今日限りじゃ」

 

空気が張り詰めた。

 

この状況下で何をと言う意思が、我が儘と言う言葉に納得する。

艦隊の誰もが何かを言おうとするも、声が出ない。

 

並走する2隻は気安くとも、どちらの眼も笑っていない。

 

「利根」

 

やがて、龍驤が口を開いた。

 

その一言が何を齎すか、張り詰めた世界にただ一言が通り過ぎる。

 

「ウチより前に出て、ウチより先に沈め」

 

酷い言葉だった。

 

しかしその意味を、その言葉の重さを幾つかの艦は理解する。

 

龍驤が後ろに回る。

 

それは、信条を曲げた言葉。

 

「任せよ」

 

その一隻で在る僚艦は、破顔一笑で思いを返した。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

弧を描き風に正対し、その高度を下げていく機影が在る。

 

4発のエンジンが力強い音を響かせる中、船体が気持ち後方から着水する。

 

超々ジェラルミンの船体が海を切り裂き、僅かに上下しながら波打つように前へ進み

角度をつけて合流し並走する艦娘が、横合いからその船体を抱え上げた。

 

抱え上げるのは輝度の高い紫の髪を細く二つに括る、緑白の制服の姿。

 

飛行艇母艦秋津洲、そして二式大艇であった。

 

そのままに、サイパン泊地埠頭で待機している明石たちへと舵を切る。

 

「第二航空隊帰投しました、損耗率30%ッ」

「96改修終わってますので、差し替えで補給次第再出撃をッ」

 

慌ただしい空気の中、持ち込んだ緑色の機体を台の上に乗せる姿。

 

「大艇ちゃん回収してきたかもッ」

 

「夕張さんッ」

「はい、データ吸出し始めますッ」

 

サイパンは現在、航空基地、及び情報収集拠点として多忙を極めている。

 

「吸出しの間、航空基地の方に行って状況確認してくるね」

「お願いします」

 

秋津洲の経歴には、工作艦の時期が在る。

 

もともと飛行艇母艦として、様々な資材、タンクの他、クレーンなどの工作機械を

備え付けている船体で在ったがため、工作艦として流用が容易であったからだ。

 

そのせいか、およそ明石や夕張と作業工程上での相性が良い。

 

多くを語るまでも無く必要な行動をとる背中に、ほっと一息を吐く明石。

 

「秋津洲さん回してもらって、舞鶴には感謝ですね」

 

様々な思惑を掻い潜り、本土よりねじ込んできた援軍の有難さに

限界手前で粘っている前線の中、そんな言葉が漏れた。

 

そして修理の手を休めず、陸攻へと向き直る明石が

何の反応も見せなかった夕張に違和感を覚え、ついと視線を上げる。

 

そこには、記録より吸い出された映像に動きを止める夕張。

 

「………何ですか、これ」

 

密集する敵陣を、すり抜ける様に進軍する姿が在った。

 

艦隊が通り過ぎた後、辿り着く前、僅かのズレで消滅する僅かな隙間から隙間へ

海を埋め尽くすかの様な大群の、全てを知り尽くしているかの様にすり抜けて行く。

 

僅かに見えた画面の異様さに、明石の動きも凍り付く。

 

「破損率高い順に交換してきたかも、私も修理入るねッ」

 

固まった世界に、台車で破損した陸攻を運んできた秋津洲の声が掛かる。

 

「ッと、今はそれどこじゃ無かったですね」

 

声に正気を戻し、明石が慌てて機体へと視線を戻す。

夕張も頭を振り、現状のために様々な疑問を飲み込んだ。

 

「吸出しにあと30分、その後で再度偵察お願いしますッ」

「了解かもッ」

 

そのままに各自が自分の作業へと没頭する。

 

いや、ただ1隻だけ様相が違っていた。

 

吸出した映像の確認を、理不尽を常に視界に入れ続けている夕張が

自らの作業と並行して幾つもの疑問を心の中に抱え込んでいく。

 

―― 何故、こんな事が出来るのか

―― この海域でいったい何が起こっているのか

 

何一つ答えなど出るはずも無く、様々な仮定が組まれ、様々な情報を引き出し

そしてそれら全てが理不尽な現実の前に崩れ去っていく中で。

 

―― 彼女たちは、これを識っていたのか

 

先ほどに受けた、ひとつの無謀なる報告に想到した。

 

そして結局の所、ただそれだけの話。

 

抱え込んだ疑問は解けるはずも無く、延々と思考の迷宮で無駄な想到が繰り返された。

 


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