水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 剣

草木も眠る夜の底に、いまだ灯りの消えぬ部屋が在る。

 

横須賀鎮守府、対策会議室は予断を許さぬ現状に不夜城と化していた。

 

夜食の牛丼を流し込んでいた龍驤に、第四室の提督が声を掛ける。

 

「龍驤ちゃん、そろそろこれ外しても良いんじゃないかなあ」

「あかん」

 

秘書艦の言葉はにべも無い。

 

がくりと肩を落とした中年の首には、文章の載る札が一枚掛かっている。

 

―― 私は建前にかこつけて若い娘を虐めて遊んでいました

 

大和の事である。

 

見れば会議室に居座る、席や寝袋、金剛に襲われているなど姿勢は様々であるが、

先日の会議室に居た四提督とその秘書艦の首に、同様の札が掛かっている。

 

「天龍ちゃんに怒られちゃったし、そろそろ勘弁して欲しいんだけど」

「大和が帰って来るまで外すな」

 

第三の龍田の困った顔も、静かに茶を啜る軽空母の心を動かさない。

 

「口に出して言っておかなきゃならない事ではあったんだけどねえ」

 

第四のボヤく言葉に乗る様に、顔の前で指を組んだ第一提督が低い声で言葉を発した。

 

「海軍としては甚だ遺憾である」

 

声色だけを聞けば、本心からの苦々しさが滲んでいる。

 

札の事ですかと大淀が聞けば、縄張りを荒らされた事の方だと答えが出る。

 

「ちょい司令官、第一が真摯な瞳で迷い無く心にも無い事言うとるで」

「凄いよね、流石は第一さん」

 

途端に気の合う第四の主従の有様に、組んだ指の裏に苦笑が零れた。

 

そして僅かに軽く成った空気を、突如に電信の音が震わせる。

 

「鎮守府近海に艦隊を確認、はぐれです」

 

大淀の声に応え、龍驤と金剛が席を立った。

 

やっぱり来たか、などと言う嘆息の中で、細かい情報を受け取って身を翻す。

 

「大和含み、精鋭が抜けているが大丈夫なのか」

 

扉へ向かう2隻の背に、報告を受けた第一提督の誰何が飛んだ。

 

「キミ、誰に向かって物言うとんのや」

「ノープロブレムで心配ナッシンネー」

 

振り返りもせずに部屋を出る背中に、閉じた扉へ呆れの混ざった嘆息が零れ、

僅かに騒めきの起こり始めた扉の向こうと裏腹に、穏やかな静寂が訪れた。

 

後に残ったのは、半裸に剥かれ転がされている第二提督。

 

「最近、局地的に鎮守府の風紀が乱れている気がするよね」

「たすけてくださいよッ」

 

他人事の様な第四の言葉に、身も世も無い叫びが重なったと言う。

 

 

 

『邯鄲の夢 剣』

 

 

 

海域に威気を吐く大戦艦の背後より、一隻の艦娘が進み出る。

 

「ヤッパリ、テメエカ」

 

憎々しく毒づく深海の声を受け流すその姿は、夜よりもなお暗い。

 

「現在、ブルネイ鎮守府群への大規模査察が実施されております」

 

一枚の紙きれを突き付ける様に身体の前に出し、口を開いた。

 

照明弾と幻燈の僅かな灯りに照らされた、黒尽くめの揚陸艦、あきつ丸。

 

「ブルネイ第三鎮守府5番泊地筆頭秘書艦、龍驤、速やかに同行されたし」

 

迷い無き宣言が海原に響いた。

 

敵陣最奥という状況を完全に無視した、或る種非現実的な発言内容に

ブルネイ艦隊の思考が停止している中、極めて真剣な表情で龍驤が応える。

 

「あかん、艤装が不調や、勝手に前に進んでまう」

 

曇り無き、真摯な声色であった。

 

単騎で戦場を離れ奥へと向かう旗艦に、慌てて艦隊が後を追う。

 

「あーれーおたすけやー」

「ややたいへんだー、みなさんきゅうえんにむかうでありますよー」

 

そろそろ真面目な顔をするのに飽きたのか、どこまでも棒読みな発言。

 

「ああ何と言う事でしょう、龍驤殿に合流するには邪魔な深海棲艦が」

 

たった今気づいたと言わんばかりの発言で、集団の口元に引き攣る物が在った。

 

当然の如く、口先では大変だと騒ぎ立てるが、その足元は微動だにしていない。

 

「茶番ハ終ワッタカイ」

「いや、お待たせしました」

 

嘆息交じりの戦艦レ級の言葉に、朗らかな声色の揚陸艦の返答。

 

そして離脱する艦隊の後ろで、砲口を向けあう互いが在った。

 

―― 対空編成ガ裏目ニ出タカ

 

連続する砲火に震え出した夜で、レ級は静かに己の命運を悟る。

 

自軍6隻、自分以外は全て軽巡ツ級で揃えている完全な対空仕様。

対し艦娘側は12隻、大和型を含め重装の水上打撃部隊。

 

個としての戦闘力にて劣る気は無いが、もはや命運は尽きたと認識する。

 

蛇の如く弧を描く航跡を繰り返しながら、視界を広く巡らせた。

圧倒的な火力差に1隻、また1隻と深海の巡洋艦が沈められていく。

 

どうせ沈められるならばと。

 

戦艦レ級の口元に、航跡に似た弧が浮かんだ。

 

視線。

 

大和の砲口が合っている。

 

身体を折りたたむ様に小さく屈め、斜形に切り返した横を砲弾が抜けた。

そしてそのまま、指先を海面に掠らせるほどに低く、全速の前進を試みる。

 

加速する。

 

ただ一直線に大和へと向かって。

 

狂行の如き突撃に、僅かな間が空き、そして砲撃の襖がその身を打ち付ける。

 

艤装が砕け、身が削れ、僅かな破片が黒煙の瘴気と化して夜に溶けていく。

 

だがしかし、およそ戦艦の装甲と言う物は桁が違う。

 

爆撃に、魚雷に、様々な状況で容易く沈んだ事例が有名に成りがちだが

その性能、正面から何の細工も無しに相対した場合ならば、

 

小、中口径の砲ならば三桁の命中を以てしてようやくに抜けるほどの、強度。

 

ならばこそ、たかだか艦隊の砲撃で止められるはずも無く。

 

その身を削られながらも、レ級は確かに哂っていた。

 

海域に、誰かの悲鳴が上がる。

 

吠えた。

 

執念が、深海の艤装を過剰に駆動させている。

 

超える。

 

引きのばされた時間、主観の中。

 

限界を。

 

水上走行に於ける最速とは、極めて危険を伴う事象である。

 

過去に世界最速の名誉を求めた挑戦者たちが、1名の例外を除き

全て試験中に死亡していると言う事実からもそれは伺える。

 

速度に対する揚力もそうであるが、最大の問題は水上走行と言う点に在る。

 

液体と固体、抵抗の違う二つの物体の中を加速しなくてはいけない。

 

やがて、破綻の時が来た。

 

前へと船体を運ぶ推進力は、極端な抵抗を受けた下半身を後ろへと残し

レ級の前傾の姿勢を、さらに極端な物へと移行させる。

 

深海の如く重くなった時間の中に、ゆらりと機敏であろう動作で

迫りくる敵へと装填された別の砲口を向ける大和が居る。

 

限界を迎えたレ級の海中艤装が潰れ、突如に増した抵抗に船体が投げ出された。

 

高加速時に足を取られた様に、前へ進む重心と、それを中心に回転する身体。

 

足が、後ろから。

 

腰よりも高く、やがて天を衝く様に持ち上がる。

 

前方斜めに合成されたベクトルは、揚力を受けさらに上昇の力を強くする。

 

レ級の視界の下を、砲弾が抜けた。

 

天地を逆さにし、一隻の戦艦が大和を飛び越える。

 

静止した時間の中で。

 

空中で、上半身を持ち上げる様に、その身を折り畳む。

 

月の如く、大きく、踵が弧を描いた。

 

その終端に在るのは、あきつ丸。

 

砲も無い、艦載鬼も飛ばせない夜の揚陸艦。

 

―― それは、前回に見たであります

 

時間の僅かな隙間に、一言が挟まれる。

 

その手に在るのは、蟷螂之斧の如き一振りの刃金。

 

昭和13年制定陸軍制式軍刀。

 

見栄えばかりと名高い九八式(なまくら)

 

―― マタ、ヘシ折ッテヤルヨ

 

一閃が、交差した。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

時間の流れが戻った海域に、海面を転がり水飛沫を上げる音が響く。

 

互いに斬り抜け、残心を持ったあきつ丸に対し、半身を失ったレ級。

 

海域に静寂が訪れた。

 

断面よりその身を瘴気と変えながら、不格好に身を起こしたレ級が問う。

 

「何デ、折レナイ」

 

在り得ない展開だった。

 

形だけを整えた鉄板に、戦艦が両断される。

 

問い掛けに息を吐き、軽く白刃を振って振り向き、改めて剣先を突き付ける担い手。

 

「鈍らとは言え、それでもコレは陸軍(りく)の魂」

 

軽く口元を歪め、ざっくばらんな言葉を吐く。

 

「海軍如きに、折れる物かよ」

 

誰かの息を呑む音が聞こえた。

 

「ヌケヌケト、ヨクモ言ウ」

 

朽ちる身体に、苦笑が乗った。

 

「デ、ドンナ如何様シヤガッタ」

 

楽し気な、一欠けらも信じない言葉が重ねられる。

 

問われた側は軽く肩を竦め、軍刀を軽く振った。

 

「形代と言うのを御存じで」

 

それは即ち、御霊を宿す器と語る。

 

古来よりこの御霊を授かる時は、その時代、その場の刀を形代として御霊を宿らせていたと。

 

「ええ、故に嘘では無いのです、これは確かに陸軍(りく)の魂」

 

言葉の下でも白刃は白々と、静謐な気配を漂わせている。

 

「海軍ばかりの現状を哀れに思われ、陸軍に垂らされた一振りの慈悲」

 

連なる言葉に閃く物が在り、レ級の脳裏にかつて抱いた疑問が蘇る。

 

名古屋 ―― 熱田神宮

 

「オイ、マサカ」

 

朽ちかけた深海が引き攣った顔で声を上げるも、陸軍は迷い無く言葉を締める。

 

「コレが当代の、草薙大剣であります」

 

発言に、海域の空気が絶対零度を記録した。

 

神器霊刀、生半可な怪異ならば鎧袖一触に切り捨てる由縁。

 

艦隊の時間が凍り付き、幾隻かが口を開けた姿勢のままに固まっている。

 

「酷エ」

 

そしてようやくに絞り出されたレ級の言葉は、海域の総意であった。

 

「まあ自分も正直、持ち歩きたくは無いのですがね」

 

他に手頃な陸軍の艦娘が居ないのだから仕方が無いと、溜息を吐く。

 

「脳ミソ湧イテンダロ、テメエラ」

「否定できませんな」

 

呆れの乗った言葉に、改めて肩を竦める揚陸艦が在った。

 

「はてさて、時間も惜しい事で、そろそろ首を頂きましょうか」

 

そして白刃を突き付け、会話を締める。

 

「ソウ言エバ黒尽クメ、名前ヲ教エトケヨ」

 

アタシはレ級だったかと、確かめる様な言葉も在る。

 

「憲兵隊の揚陸艦、あきつ丸でありますよ」

 

気負い無い返答に、問い手の口元が歪む。

 

「覚エタゾ、アキツ丸」

 

そしてそのまま、頭部が消し飛んだ。

 

崩れず残った深海の艤装から、硝煙が上がる。

 

もはや海域に動くモノは無く。

 

「ま、電の分は返したと言う事で」

 

首は獲り損ねましたがと、飄々とした言葉だけが残った。

 


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