水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 部

曇天の切れ間に陽光が差し、第二鎮守府の艦隊は夜が明けていたのを知った。

 

フィリピン、パラワン州パラワン島。

 

ルソンとボルネオ島を繋ぐ形に伸びる細長い島で在り、中央に括れの如く存在する

ホンダ湾を有する形で、州都プエルト・プリンセサが配置されている。

 

州都周辺、及び北部には、かつての大戦後にリゾートとして開発された経緯が在り

そのために砂浜に存在する幾つかの施設を利用する形で、前線基地が設営されていた。

 

その一角、自営軍の野外入浴セットを改修して作られた、仮設ドックの青い湯舟の中に

つい先程まで砲雷撃戦を繰り返していた駆逐艦が2隻、入渠している。

 

「なんつうか、もう少しこう、どうにかしたかったですね」

 

軽く波打つ癖毛を纏めてぼやくのは夕雲型4番艦、長波。

 

「予定よりも随分と戦果が上がったし、これ以上は贅沢ってもんだよ」

 

普段は括り流す金髪を、頭上に纏めてタオルで包んでいるのは睦月型5番艦、皐月

 

出来ない事は出来ないのさと、達観の気配で言葉を繋ぐ。

 

「奇跡なんかに頼る回数は、少ない方が良い」

 

パラワン島前線は、深海勢力の漸減及びプエルト・プリンセサの防衛に成功しつつも

かなりの数、討ち漏らしと言うには多すぎる程度のそれを南シナ海へと通した。

 

後の事は、後方各国の裁量に任される事に成る。

 

「そう言えば、何か味方が妙に多くありませんでしたか」

 

戦果と言えばと、ふと思い出した疑問が長波の口をついて出た。

 

乱戦の最中、居るはずの無い艦を結構見かけた気がすると。

 

「島風っぽいのも見かけたんですよね、居るはずが無いのに」

 

しかもヨー島奥義の変位抜刀霞ちゃん砲撃を完璧に使いこなしてんですよと

やや興奮気味の語り手に、改めて聞くと酷い名前だなあと苦笑する聞き手。

 

「生霊でも飛ばして来たんですかね」

「そうだとすると、見ないうちに随分と練度を上げたみたいだね」

 

その言葉に、褒めてやらねばと目を光らせて決意する夕雲型の姿。

 

そして睦月型は、会話の合間に視線を外し、タオルの端で目元を拭った。

 

―― アイデア提供は霞ちゃんだから、霞ちゃん砲撃と名付けよう

―― やーめーれー、このクソスピード狂ッ

 

ふと、忘れていた古い会話が脳裏に浮かぶ。

 

―― 島風ってさ、何て言うか本当に残念だよね

―― 待って皐っちん、真面目な顔で諦めた感じに語らないで

 

タオルに隠れた口元が、僅かに緩んだ。

 

「律儀な奴」

 

小さく零れた言葉は、誰にも拾われることは無く。

 

「あと、榛名さんっぽいナマモノが雌汁プシャーとか叫んで」

「それは忘れていい」

 

どうせ艦娘しか居ないからと、開け放たれたままの天幕からは遠浅の海が見えた。

 

 

 

『邯鄲の夢 部』

 

 

 

棲姫の沈む横に合流し、海域の離脱を開始する全艦隊。

 

ゴロゴロと音の聞こえてきそうな様相の大和に抱えられ、龍驤は無明の闇を見ていた。

 

乳圧のせいである。

 

鉄鋼乳のゴリゴリとした感触も、意外と満身創痍の肉体にダメージを与えている。

 

そう、満身創痍だ。

 

主犯は利根である。

 

過去を冷静に考えてみると、深海棲艦よりも友軍に受けた被害の方が大きいのではと

気が付きたくもない真実に辿り着いてしまい、さらに龍驤の瞳から光が消えた。

 

「海水が染みて全身が痛い」

 

もはや身体に在る痛みだけが真実と、どこか病んだ現状報告を口から零せば

生きておる証拠じゃなと、飄々とした答えが横から返って来る。

 

戯れに、大和に並走する航空駆逐艦の片割れへと、抱えられている側が問うた。

 

その、小さい子供が見たらトラウマを抱えそうな惨状の左腕について。

 

「幸いな事に、既に肩から先の感覚が無い」

 

カラカラと笑いながら語った内容が聞こえたからか、そっと陽炎隊が距離をとる。

 

控えめに言って、ドン引きであった。

 

 

 

タイ王国プーケット島。

 

マレー半島の西側に存在するリゾート島であり、マレー半島横断ルートの保護のため

東のヨー島と対に成る形で泊地が置かれている土地である。

 

そして海岸に向けて伸びる滑走路を持つプーケット国際空港、跡地。

 

やや琥珀の肌を持つ偉丈夫が、甘い香りの煙草を燻らしながら歩いていた。

 

「別勢力の侵攻、まで頭が回る奴がもう少し居てくれたらなあ」

 

或いは信用されてんのかねと、零した言葉の苦さに口元を歪める。

 

南方からの大侵攻の陰に隠れて、僅かに動いていた勢力が存在する。

 

欧州、深海勢力。

 

幾隻かの姫に率いられたそれが、オイルロードの分断に動いていた。

 

扶桑、時雨、最上、山城、満潮。

 

倒れ伏すままに休息をとっている艦娘を脇目に、歩を進める。

 

崩れ、瘴気の欠片と成って霧散している姫級の残骸を抜け、

歩む先、滑走路の終端に在る物は水平線と。

 

一隻の戦艦。

 

破損を重ねた艤装に、創痍の満身。

 

白地の制服は自らの鮮血で朱に染まり、破裂した砲塔の先に雫を生み出している。

零れた先の赤い泉には、砕けた艤装の破片が撒き散らされ、陽光を返していた。

 

微動だにしないままに、立っている。

 

「良い女だったよ ―― 陸奥」

 

中天に昇ろうかという日輪が、猛攻を耐え抜いた大戦艦の背を照らしていた。

 

やがて静かに、力が抜ける様に、構えられていた砲塔が大地へと向かう。

 

「改めて言われるまでも無いわね」

「あれ、何だ生きてたの」

 

乾いた血液のこびり付く表情には、疲労の色が濃い。

 

「キャラメル頂戴」

 

陸奥が飄々とした言葉を流し、意外と切実な声色で相変わらずな言葉を零せば、

本陣提督が箱を取り出し、受け取ろうとするも動かない指先にようやく気が付く。

 

疲れた視線のままに指を見つめ、逡巡。

 

そして軽く瞼を閉じ、朱の映える口元を開けた。

 

苦笑を零しながら提督が、ひな鳥に餌を与えるかの様にキャラメルを放り込む。

 

「しかしまた、随分とやられたもんだな」

 

僅かな咀嚼と、波音が静寂に乗る。

 

一息の後、疲労の隠せぬ声色で一言が告げられた。

 

「後方での火遊びも、楽じゃないわ」

 

お道化た言葉に、物言わず互い肩を竦めた。

 

 

 

大和の曳航だと船足が酷い事に成ると、龍驤が島風と天津風に荒縄で引きずられている頃。

 

「やから隼鷹は、可哀想な事に今回の作戦で轟沈してしまってな」

「いや、生きてるからねアタシッ」

 

あきつ丸との打ち合わせの中、隼鷹の轟沈が確認された。

横で何か言っているのは、想い出が魅せた幻影であろう。

 

査察に関して前もって色々と方策を考えてはみたものの、隠蔽しきる自信が無かったらしい。

 

「安心してください、隼鷹殿の身柄は自分が守って見せるで在ります」

「畜生、アタシの生存ルートが無えッ」

 

優し気な笑顔で、存在しないはずの改装空母に声を掛けた揚陸艦の、

逃がすものかと言う副音声を、聞いてしまった隼鷹が悲嘆の声を空に投げた。

 

「あー、龍驤、艦隊を確認したんだが」

 

そんな査察をされる側とする側の、事前の打ち合わせの最中に

声を掛けてきたのは白い自称2番艦、偵察鬼からの報告を告げる。

 

「あかんな、ゴミ袋の数足りんかもしれん」

「こんな事もあろうかと、予備を持ってきたであります」

 

意外と消耗激しい品であった。

 

「いや、味方艦隊みたいだ」

 

早速にゴミ袋を配ろうとしていた曳航空母に、偵察担当が追加で入手した情報を告げる。

 

「まだ深海の勢力圏やと思ったんやけどな」

 

どっかの勢力が迎えでも寄越したかと予想を語り合う内に、見えてくる艦影。

 

「夕雲型、と言う事は第二でありますか、漣殿の手筈でありましょうか」

「流石に本陣は遠いし、皐月あたりやないかな」

 

交わす言葉には安堵の色が見て取れて。

 

「まあ何にせよ、一安心ってとこやな」

「ええ、これで安心して些末な問題のすり合わせが出来ますな」

 

互いの艦隊を確認し、手を振り合う様の後ろで。

 

揚陸艦と軽空母が神器の押し付け合いをはじめ、周囲の艦娘の顔色を青く変えていた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

「おーい、島風、生きてるかーッ」

 

長く、銀色の髪を後ろで括る夕雲型の16番艦が、合流も早々に曳航組に駆け付けた。

 

「あ、朝霜、ちゃん」

「おお生きてる生きてる、良かったなー」

 

やや尖った歯先の目立つ口元を開け、喜色に満ちた風情で会話を繋ぐ。

 

そこに居る事を確かめる様に、ばんばんと、正面から少し強めに両手で肩を叩きながら。

 

頭上のリボンが衝撃に合わせて揺れ動き、突然の出来事に目を白黒とさせる島風。

 

「本当に、良かった」

 

そのままに最後、俯き、零れる様な小さい言葉が聞こえ、

2隻、静かに海上に立ちすくむ僅かな時間が生まれた。

 

「じゃ、帰ろうぜ」

 

顔を上げ、気を取り直すような声と、差し出された手。

 

逡巡は僅か、差し出された手に、硝煙に汚れた白手袋の手が重ねられる。

 

「うん、ちゃんと連れて帰ってね」

「おう、任せときな」

 

そういえば泊地には霞や清霜も居るんだろと、楽しそうに話しかける迎えの艦と

おっかなびっくりと言った様相で、言葉を出して会話を繋ぐ曳航艦。

 

手を繋ぎ、帰還の途に在る2隻の姿。

 

後ろには、ぴんと張った荒縄と。

 

「救援が、満身創痍の大型艦を華麗にスルーしている件」

 

何となく蚊帳の外に居る侘しい気持ちを声にする旗艦の姿。

 

「日頃の行いのせいじゃな」

 

何かフォローしようとした天津風に先んじて、一言で切って捨てた利根。

 

そして艦は行く。

 

天津風も混ざり、3隻の駆逐艦が初々しくも和やかな雰囲気を作る後ろで。

 

草原を駆け抜ける風の如く爽やかな笑顔で、利根の傷口に海水を飛ばす龍驤が居て、

海原を渡る壮健な雲の如き優し気な笑顔で、龍驤の傷口に海水を飛ばす利根が居る。

 

曳航の前後の集団は、随分と違う色の空気を吸っていた。

 


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