水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 外

いまだ気配の鎮まらぬ海域より、ただ一隻のみが自らの足で帰投する。

 

曳航を受けて埠頭に引き上げられている3隻、赤城、鳳翔、龍驤に劣らず

創痍に満ちた肉体でありながら、その表情は平素と何も変わりは無い、加賀。

 

穿たれた眼窩より流れる血を拭いながら、泣きそうな顔をしている瑞鶴より

修復材を受け取り、間を置かず頭より被れば、濡れた重さに髪型が歪んだ。

 

白煙を上げ高速に修復されている中、首を振り余った液体を振るい落とす。

 

言葉も無く、ただ軽く拍手の響く埠頭の先で、畏怖と敬意の視線の中、

誉を受ける艦より空になったバケツを受け取ったのは、赤金髪の航空母艦。

 

「あの時に居たのが貴女でしたら、私は沈められていたのでしょうね」

 

サラトガの賛辞に、瑞鶴が僅かに悲痛の色を見せる。

 

そんな有様を横目にする青い空母は、俯く後輩の頭を軽く撫でた。

 

「次は、瑞鶴もやってくれるはずですよ」

 

サラトガは、そんな言葉に固まっている瑞鶴を様を視界に入れ、

笑わない目のままに溜息を一つ、苦笑いを乗せて口を開く。

 

「貴女がそう言うのなら、そうなんでしょうね」

 

その頃には、いつもの様に柔らかな笑顔と、無駄に自信の溢れた無表情。

 

「次なんて、あって欲しくはありませんが」

「それはまあ、確かに」

 

戦史に於いて、不思議と対に成る様な評価の2隻は、連れ立って場を後にする。

 

 

 

『邯鄲の夢 外』

 

 

 

「あー、喧しいのが居ないと、何か寂しいわねー」

 

胡瓜の一本漬けを齧りながら、黒髪の軽空母が零した。

 

誰そ彼の仮設泊地に、店主も店員候補も不在の仮設居酒屋鳳翔に、

鍵を受け取って屯するは飲酒母艦組、と言うには平素より数が少ない。

 

カウンターで管を巻くのは飛鷹とヴェールヌイ、厨房にはポーラが居る。

 

赤城と鳳翔は修復も終わり、安静にするために自室に戻っていた。

 

「まあ、思い残す事は無くなったんだろうけどさ」

 

龍驤だけがいまだ目覚めず、関わりの在る艦娘が病室に詰めている。

 

「しかしアンタ、料理できたのね」

「このポーラ、美味しくお酒を呑むためなら努力は惜しみませんよー」

 

普段より少しばかり酔いの浅い風情で、イタリアの重巡がタッパーの中の

丸まった中身に小麦を振り、卵を潜らせてはパン粉を纏わせている。

 

そして次々とフライヤーに投下しては、素材を狐色へと変成させた。

 

「楽しい楽しい夕餉の席に、誰か足りないヤツは居ないかな」

「誰それ誰それ居るには居るが、髭付き肉しか残ってない」

 

軽空母が適当な節で古い傭兵の詩を嘯けば、駆逐艦が似た様な節で返す。

 

そんな受け答えの2隻が、口元を歪めて言葉を繋げた。

 

「隼鷹なら酒瓶かしら」

「龍驤なら俎板だね」

 

どちらともなく苦みの在る笑いが漏れ、手元のグラスを口に空ける。

 

「不謹慎ねー」

「まあ、こんな環境じゃね」

 

少しばかり空気が軽く成り、液体の追加をと手を伸ばした2隻を

カウンターの反対側から慌てて止める重巡洋艦が居た。

 

「次を注ぐ前に、ちょっとコレを見て考えてみて下さい」

 

そう言って揚げたてを紙を敷いた器に盛り、カウンターへと置く。

 

そして次々と小山に積まれていくのは、コロッケの様な衣の付いた球状の揚げ物。

 

「クロケット、かしら」

「ミートボール、じゃなかったよね」

 

よくわからない物体に、何となく連想した単語を口にした飛鷹の言葉を受け

ヴェールヌイが調理過程を思い返しながら疑問を乗せる。

 

「ビターバレンです」

「名前だけだとよくわからないわね」

 

「オランダの名物ですよー、まあ要はクロケットの一種なんですけど」

 

日本ではいろんな地域のミソが在る様に、ヨーロッパにもいろんな地域の

クロケットがあるんですよーと、小皿に乗せたマスタードを置きながら語る。

 

そんな言葉に頷きながら、出された2隻が狐色を口に運んだ。

 

「クロケット、なのかしら、味が濃いと言うか尖ってる感じ」

「これはつまり、一口サイズのクリームコロッケだね」

 

ビターバレン、肉にブイヨン、バター、ナツメグ、小麦粉、人参などを混ぜ煮込み、

塩、香辛料で味を調えた種を、小さい球状に丸めて衣を付け揚げたものである。

 

粘度が高くとも液状であるそれを丸めるため、煮込んだ後は粗熱を冷まし

冷蔵庫などに入れて種を固める工程が必要に成る。

 

「龍驤さんでしょうかー、冷蔵庫に仕込んであったんですよ」

 

「あー、演習後に仕込む手間を省く感じで作り置いてたのね」

「何て言うか、不必要に気が回るよね彼女」

 

言いながら3隻、マスタードをディップしながらもう一つと口に運ぶ。

 

そして誰ともなく頷き、静かに口を開いた。

 

「しかしこれは」

「よね」

 

「ですよねー」

 

言いながらポーラは、既に用意してあったそれを高く掲げる。

 

「おビール様ッ」

 

結露の流れるキンキンに冷えた中ジョッキに、黄金の麦酒が泡を揺蕩えていた。

 

流れる様に自然な動作で、値千金の黄金を受け取りながら、

2隻も遅れじと高く掲げ声を上げる。

 

「おビール様ッ」

「おビール様ッ」

 

硝子を打ち合わせる高い音が響き、そのまま泡に埋もれた唇が3つ。

 

即ち呑む。

 

食う、呑む、食う、呑む、食う。

 

「ヤバイ、これいくらでも呑める」

 

ぽいぽいと景気良く口に放り込みながら、喉を潤すと言うには暴力的な勢いで

麦酒を流し込んでいた飛鷹が、お代わりを注いでもらいながら焦った声で言った。

 

「マスタードをコロッケに、何て言うか凄いね、意外だ」

 

ジョッキを空けながらヴェールヌイが言えば。

 

「龍驤さん、ビールの売り上げ獲りに来てますよねー、絶対」

 

お代わりを並々と注いだジョッキを片手に、深く頷きながらポーラが受けた。

 

実のところ、飲食店で美味しいのはビールの売り上げである。

酒の肴などは、所詮ビールを売り上げるための餌でしかない。

 

こんな事をするから、鳳翔さんがいつまでも店員として囲おうとするのを

諦めないのよと飛鷹が嘆息しつつ、さらに呑み、食べ、呑み干した。

 

「おっかわりーッ」

「ジョッキも取り替えてほしいな、出来れば」

 

「ヘーイ、ドンドン揚げますよーッ」

 

先程までのどんよりとした気配はもはや微塵も無く。

 

「あー、何か美味しそうなもの食べてるーッ」

 

扉を開けて入って来た二航戦の黄と緑の内、蒼龍が声を上げて。

 

俄かに騒がしい仮設店舗の夜は更けていった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

仮設泊地が宵闇に染まる中、明りの灯る仮設執務室には影が三。

 

提督と大淀、そして明石。

 

「それで、龍驤はどうなんだ」

 

遊びの無い表情で口を開いた提督の横、大淀が発言を記録していく。

 

「元より、素体として限界を迎えていましたから」

 

感情を押し殺したような無表情で、明石が静かに言葉を紡いだ。

 

「深海の汚染と言うヤツか」

 

そのような疑問に、工作艦は軽く首を振り否定する。

 

「確かに、何故か龍驤さんは深海の属性を色濃く内包していましたが」

 

何故深海に堕ちないのか、わからないほどに。

 

いまだ目を覚まさない、個体が限界を迎え機能停止に陥りかけている

理由はそこには無いと、いくつかの資料を提示ながら言葉を繋げる。

 

「要するに、内包する霊魂が大きすぎるんです」

 

器に、容量を越えた内容物を無理に詰め込んでいる状態だと。

 

霊格の上昇に従い、深海棲艦ならば鬼に、姫にとその肉体を

内包する怨念、霊魂を格納するに相応しい肉体へと変貌を遂げる。

 

しかし、人造付喪神として造られている艦娘にそんな機能は無い。

 

「仮に目が覚めても、どこまで稼働できるかは ――」

 

ただ生きているだけで、肉体を酷使している状態に他ならないと。

 

「こう、お祓い的なもので余分を取り払うとか」

 

空気を換えようと、提督から軽い声色での問い掛けが在り、

僅かに無理の見える微笑で、どこか泣きそうな表情の明石の無言。

 

そして、眼鏡を光らせながら大淀が口を開く。

 

「ぶっちゃけ、龍驤さん本体が悪霊判定で成仏しそうな気がしませんか」

 

冗句のつもりの与太ではあった。

 

しかし、口にしたら妙な説得力があり、一同は揃って言葉を失う。

膠で張り付けた様な引き攣った静寂の中、無言で顔を覆った1人と2隻。

 

回復魔法でダメージを負う艦娘の異名は伊達では無かった。

 


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