水上の地平線   作:しちご

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邯鄲の夢 余

誰そ彼の中、染め散る花が宴の空を飾り、季狂いの櫻が散る。

群れ集う人影から響くは、酔の気色の唄の声。

 

―― 退く戦術我知らず、見よや龍驤操典を

 

楽の根に目をやれば、乾く間も無く酌み交わされる盃と酒の樽。

老若男女と入り混じる宴席は、その多数が血染めの軍服を纏う。

 

―― 前進前進また前進、砲弾届く所まで

 

白の病衣を纏う老人が居て、背広の壮年は腹を紅に染めている。

三毛猫を抱える若者が居る、白蝋の肌の少女も居る。

 

―― 航空母艦だっつーの

―― つーか陸軍の歌じゃねーかッ

 

景気良い歌声に、囃し立てる様な声が上がり、宴の喧騒に重なった。

 

なら何だ、何が良いと問いかける声。

 

「腕は黒鉄、心は火玉か」

「ひよっこかよッ」

 

例を挙げれば酔漢の言葉に即座に打ち消され、そのままに笑い声へと変わる。

 

何処からか訪れる、眉目秀麗な貴人に振舞われるは山海の珍味。

 

増えるは妖、増えるは御霊。

 

そして龍驤は、簀巻きに成っていた。

 

 

 

『邯鄲の夢 余』

 

 

 

花間に響く歌、囃し立て、積み重なる酒樽に山と積まれた馳走の膳。

 

宴席の肴に持って来いの位置に、全通甲板の軽空母巻きが転がされている。

 

常日頃から馬鹿すか食いやがってと恨み節轟く中、聞く耳持たない有様で、

どうにかならないかと左右に転がる巻物を、人群から離れた壮年が足で止めた。

 

略装、龍驤の戦没後に第三種軍装と定められた青褐色背広型の軍服。

 

支給の物より釦幅を短くし、襟元を大きく仕立てている。

 

そんな外観の軍人が腰を掛け、意外に座り心地が良いなと嘯いた。

 

「よく加賀に座り込んでいるわけだ」

 

言いながら両手を巻かれている中に突っ込み、無遠慮に弄りだす。

 

「ちょーいちょいちょい、何いきなり突っ込んどんねん、エロか、エロ餓鬼かッ」

「五月蠅いな、貴様みたいな鶏ガラ俎板に欲情できるはずが無いだろう」

 

俄かに慌てた簀巻きの具に、眉一つ動かさない返答。

 

「マンタに欲情しとったヤツに言われても信用できんわッ」

「言われてみれば成程、まったくもってその通りだ」

 

言いながら引き抜いた手には、紙巻を纏めた紙箱が在った。

 

一本を加え火を点ける、紫煙の横に深く吸い、溜息の様な白煙を吐く。

そのままに手の中の紙箱を、注視していた誰某に向けて放り投げた。

 

歓声と共に、煙草の奪い合いが始まる。

 

「ウチのヤニがああぁぁぁ」

「おいおい、航空母艦は禁煙だぞ」

 

窘める様な言葉に、だったらてめえらも吸うなやと言い返す航空母艦。

からからとした笑い声が響き、艦娘椅子が憮然とした表情を見せた。

 

そして白煙を吐きながら体重をかける壮年の下で、ぐえと潰れた蛙の如き声。

 

「つーか除け、地味に重いんや、成人男子とウチじゃ体重違うんや」

 

そんな恨み節にふむふむと頷き、そうは言うがなと言葉を返す乗り手。

 

「そもそも貴様、今までどれだけの男を上に乗せたと思っている」

「思い切り人聞き悪い言い方すんなッ」

 

当然の話だが、航空母艦龍驤の乗員は基本的に男性である。

 

益体も無い言い合いの狭間に、柔らかい布で作られた着物を着た

美丈夫が、座布団の様に平たい果物を持って距離を詰める。

 

龍驤簀巻きの前で桃色のそれを四つに割り、中央の種を捨てて実の皮を剥く。

白桃の如き果肉を器に入れ、その上から牛乳を掛けて龍驤の目の前に差し出し。

 

上から伸びた手がそれを受け取った。

 

「蟠桃か、牛の乳を掛けるのは大陸だったか」

「ウーチーの桃おおおぉぉぉ」

 

苦笑と共に後ろに下がる美丈夫の後に、簀巻きの上で桃を頂く容赦無い姿。

 

そんな有様にさりげなく集まる美男美女と、簀巻きの狭間にわらわらと集う影。

続々と持ち寄られる山海珍味を、容赦なく横取りしては口元に運び続ける。

 

「桃が、肉が、酒が、ヤニがああぁぁ」

「てめえには一口も食わせてやんねえええ」

 

常日頃に自分だけ馬鹿すか食いまくり吸いまくりな恨み骨髄とばかり、

龍驤の周囲に集まった乗員たちが簀巻きを囲んで飲み食いを始めた。

 

「だからさ、帰ったらもう一度食いに行きたかったわけよ」

 

約一隻の怨嗟を馬耳東風とさせながら、話の続きと誰かが会話を再開させた。

 

「早稲田で食った新メニウでさ、こう、飯の上に卵とじのカツを乗せてんだ」

 

首元が朱に染まる軍服を纏う若者が、両手を丼の形に動かしながら熱く語る。

 

聞いていた周囲の誰かから、カツを汁に浸してどうすんだと声が上がれば、

てめえは天蕎麦を食った事が無えのかと、これまた誰かが言葉を返す。

 

「兄ちゃん、そのカツ乗せ飯を食った事はあるかい?」

 

聞いていた集団の中で、龍驤から奪い取った煙草を加えた軍服の中年が、

三毛猫を膝の上に乗せた、どうにも覇気の無い病衣の若者へと問いかけた。

 

「えーと、カツ丼ですよね」

 

自信無さげな言葉の横で、白蝋の肌の俎板少女が無駄に力強く言った。

 

「ソウ、カツ丼、ソレハスナワチ王者ノ飯」

 

カツ丼は安くても美味い、不味くても美味い、まさに奇跡の飯だと謳い上げ

安い、安いってどういう事だと軍服勢が驚愕の叫びを上げる。

 

若者が軍服集団に呼ばれ、団子と成った集団の中、何故か潜めた声での会話。

 

デノミ、カツ、チェーン店、スーパーなど様々な単語が漏れ聞こえ、

やがて、身も世も無いとばかりの絶望の呻きと共に、何人かが転がった。

 

「肉も米も衣も油の質も、俺たちの時代とは段違いなんだろうなあ」

 

龍驤の上で遠い目をした壮年が呟けば、まあそうやなと声が簀巻きから返る。

 

そんな状態に続々と持ち込まれる宴会料理の、尾頭付きを猫が奪い取った。

詰まれた重箱を深海の少女が受け取り、団子集団がまた食事を再開する。

 

延々と、呑み、食らう。

 

龍驤以外の全員が飽食の限りを尽くしているものの、持ち込まれる美食は

途切れる事が無く、やがて供給が消費を上回る時がやって来る。

 

何処か得意気な様相の美女が膳を掲げ、ついに龍驤の眼前まで到達した。

 

口をもぐもぐと動かし続ける軍人たちが、絶望の視線を簀巻きへと向ける。

 

そしてその膳を ―― 横から伸びた皮手袋が奪い取った。

 

驚愕の表の美女の視線に、航空帽の若者が精悍な笑顔を返す。

 

飽食の極みに在った集団が、何故と、その有様を、

彼の後ろに続く数多の人影に向けて言葉を発した。

 

「龍驤には、世話になりましたからね」

 

肩を竦めて嘯く口が、そのままに骨付き肉へと齧りついた。

 

喉へと火酒を流し込む短い手袋、様々な略装、食事を飯盒に取り分ける誰か。

 

そう、彼らは ―― 帝国陸軍

 

「陸海軍の不仲を越えてまでやる事かあああぁッ」

 

喝采の中、簀巻きが魂の叫びを天へと轟かせた。

 

「中隊長を呼び付けた貴女が悪い」

 

飛行服の若者が、日本酒の満たされた盃を空けながら悪びれもせずに応える。

 

有象無象と集まる人影は留まる事を知らず、宴席の料理も消費され続け。

 

やがて誰そ彼も過ぎ、宵の帳に包まれる櫻並木。

 

宴もたけなわと、誰かが腰を上げた。

 

宵闇の中、角を生やし、恨めし気な視線を向けている着物の麗人たち。

 

「まあ、カツ丼だったか、それが好きに食える時代に成ったってーなら」

 

簀巻きに言葉を掛けながら、並木の奥へと足を向ける。

 

「死んだ甲斐も在ったってもんだ」

 

背中越しに手を振る誰か。

 

「アレだ、赤城の澄ました面に叩き込んだ一発は良かった」

 

だからまあいいさと、簀巻きを軽く叩いて歩を進める誰か。

 

「何だかんだで、楽しかったですよ」

 

病衣の若者が、猫を抱いたまま頭を下げて歩き始める。

 

一人、また一人と場を立ち去り、櫻並木の奥の宵へと、その姿を溶け込ませていく。

 

景色が薄れ、人影が疎らと成り、簀巻きにずっと座っていた軍人が腰を上げた。

 

「ウチを、置いて行くんか」

 

言葉を受け、僅かに立ち竦み、やがていくつかの言葉が零れた。

 

軍人と、軍艦と。

 

僅かに訪れた静寂が昏闇に染まり、夜空へと投げる様な言葉が差し込まれる。

 

「生まれが罪なら生きるは罰」

 

続く言葉が、母艦へと告げられた。

 

「貴様はまだ、償いが足りんよ」

 

告げ手の視界に入る不満そうな表情に、自然と苦笑が零れ落ちる。

 

そう言って背中越しに手を上げて、闇の中へと歩を進めた。

 

「ああそうだ、天津風に宜しくな」

 

最後の言葉と共に、取り残されたのは、簀巻きの航空母艦と深海の少女。

 

黒白の片割れは踵を返し、簀巻きを担ぎあげた。

 

「おせっかいが過ぎるんや」

 

拗ねた様な声色の一言に、担ぎ手が苦笑する。

 

「ソウ言エバ、マダ礼ヲ言ッテイナカッタナ」

 

黒暗淵から離れる様に歩を進める軽空母の姫が、思い出した様に口を開く。

 

「アリガトウ、モウ思イ残ス事ハ無イ」

 

視界が薄れ、世界が曖昧に成っていく。

 

「遺言みたいやな」

「違イナイ」

 

軽い声色の会話が、光の中に溶けて消える。

 

「ジャアマタ、次ハ、水平線ノ上デ」

 

黄泉平坂を昇りつめ、龍驤と名付けられていた怨念はその頸木を外した。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

そして龍驤は瞼を開く。

 

宵闇の中、星明りに殺風景な病室が朧と浮かび上がっている。

 

軽く手を上げ、横たわる身体の上で握り、広げ。

一度目を閉じてから開き、上半身を起こす。

 

足回りに不自然な重さを感じて視線をやれば、寝台に上半身を倒れ込ませるように

座り込んだままに寝落ちした姿勢の、銀の長髪を左右に括る駆逐艦が、夢の中に居た。

 

宜しくなと言われて早々やなと、音の無い苦笑が漏れる。

 

起こさない様にと気を付けて足を抜き、寝台から降りては腰を反らし、身体を解す。

 

窓の外に宵闇と、星が見えた。

 

静かに近づいて、見上げる。

 

黒に染まる夜の中、僅かに見える青の気配に、久方ぶりの蒼天だと言葉が零れた。

 

破裂するほどに身体に詰まっていた何かが、消え去っている。

 

南冥の夜の中、数多の星が河と成り空を横切っていた。

 

幾つもの大きな光が蒼天の河を飾り、篝火の如くに海を照らしている。

紅玉よりも赤く透き通り、リチウムよりも美しく燃え続けている。

 

東の果ての空が、僅かに勿忘草の色へと変わり始めた。

 

「夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へ昇って行きました」

 

静かな、呟く様な一言が宵の終わりへと捧げられる。

 

やがて、振り向いた時にはいつもの在り様で。

 

眠ったままに、物音に僅かと身動ぎをした天津風を見て、龍驤が笑う。

 

「豚肉、仕入れんとな」

 

あれだけ念を押されたら仕方ないわなと、ぼやく様な言葉を乗せ。

 

心も、身体も軽く感じた。

 

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