水上の地平線   作:しちご

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最終話 水上の地平線

ニューカレドニアに付随する小島の一角。

 

島内に一本だけ在る舗装路には、弓張りの椰子の葉が木漏れ日を重ね、

時折混ざる鳳凰木が、高い空に火焔の如き花弁を咲き誇っている。

 

そんな、かつての帝国が南洋桜と呼び愛した樹木の紅を向こうに抜け、

開けた世界に在る物は、珊瑚礁が染める翠玉の如き色合いの浅瀬に、外洋の藍。

 

狭間の砂浜には石柱と、穴の開いたパラソルを立てて寝そべる漆黒が在った。

 

光沢の在る、柔らかな意匠の付いた露出の無い漆黒の衣服に、濡れ羽色の髪。

相も変わらず陽光の熱を好く吸収しそうな離島棲姫である。

 

そのせいかどうか、氷を入れた椰子の実を片手に、影の下で涼む。

 

横で、静かに積み重なった廃材を漁っていた面積の少ない水着の長身、

戦艦棲姫改め戦艦夏姫が、掘り出した缶詰の奥のパウチを見つけて快哉を上げた。

 

「見ロ離島ッ、味噌ダ、シカモ信州味噌ッ」

「日本食ブーム万歳ッテ感ジネ」

 

テンションに差の在る会話が夏に混ぜ込まれていた所、砂浜に響く声。

 

「何カ、ヌメヌメスルー」

 

二本角の艤装を被る駆逐艦が、海底より浮き上がり浅瀬に歩みを進めた。

 

「タダイマー、他ノ皆ハマダカナ」

 

脚部艤装の上に腰掛けながら駆逐棲姫が問い掛ければ、離島と戦艦が短く応える。

 

「レ級ハイツモ通リ」

「空母ハ迎エニ行ッテイルナ」

 

真水の入ったバケツを受け取り、頭から被りながら返答に想到を寄せる。

 

「アア、艦娘ニ名付ケラレテ囚ワレテタ娘ネ」

 

深海棲艦の鬼、姫に於いて、既に様々な艦種が存在していたにも関わらず、

何故かいまだに確認されていなかった艦種がひとつだけ在った。

 

いつかに生と死の境を、人と深海の境すらも越えてかき集められた「龍驤」に属する艦。

 

―― 軽空母棲姫

 

「アレダケヤッテ、ヤット手放シテクレタカ」

 

呆れの混ざる嘆息に、寝そべる黒い姫が気の無い声色で言葉を続けた。

 

「防空ハマダ見ナイワ」

「アア、防空ナラ途中デ合流デキタヨ」

 

そして振り向いた駆逐棲姫の視界の先、ジュゴンが群れを成し沖合に泳いでいた。

 

「…………」

 

もはや言葉も無い。

 

「ソウ言エバ、深海ノ様子ハドウダッタンダ」

 

頬に一筋の汗を垂らしながら、我が儘な肉体の夏姫が話題を変えれば、

目を逸らし、先の無い太腿をプラプラと揺らしながら駆逐が答えた。

 

「新シク生マレタ連中ハ、穏健派()ニ行クノガ多クナッテルネ」

 

やはりかと頷く戦艦の横で、気の無い風情で離島が相槌を打つ。

 

「主戦派ヲ、皆殺シニシタ甲斐ガ在ッタワネ」

 

穏やかな笑みで口にする拠点の言葉に、窘める様な戦艦の声。

 

「恨マレテイルノハ、オ前ダロウニ」

「ドウセ、百年モ過ギレバ歴史ニ成ルワ」

 

カラリと、椰子の殻の中で氷が鳴った。

 

「私タチハ、力ヲ示した」

 

南の果て、無人の浜辺に打ち寄せる波だけが音を作る。

 

「世界ハ不公平デ、不安定デ、争イハ絶エル事ハ無イ」

 

空いた手が宙に伸ばされ、言葉だけが乗せられる。

 

「ダカライツカ、コノ手ヲ握リニ来ル勢力ガ、キット生マレル」

 

今はまだ、憎しみしか掴めない掌が握りしめられた。

 

気が長い話だと駆逐が呆れ、戦艦が頬を緩める。

 

「ソレハソレトシテ、今ハ働キタクナイ」

 

言い繋ぎ、握りしめた拳を枕に変え、離島棲姫がココナツに口を付ける。

まったくもって同感だと、賛意を示した2隻が廃材漁りを再開させる。

 

ジュゴンの群れが沖合に霞と消えていき、青空に防空棲姫の笑顔が浮かんだ。

 

細やかな物音が満ちる静寂で、虚ろを見据えた瞳にココナツの殻が映る。

 

「鎮メ鎮メ、艦娘ドモヨ」

 

この終わり無き球形の戦場で、辿り着けない世界の果てを。

 

「我ラノ頸木ヲ取リ去ルタメニ」

 

この海の上に在る ――

 

 

 

『最終話 水上の地平線』

 

 

 

再建途中の5番泊地予定地にて、天津風が龍驤を探す。

 

板張りの陰陽系施設に設置されている祭壇には、何故かカツ丼が置かれ、

その近くには、簀巻きにされた一航戦の赤と青が転がされている。

 

「意味がわかりません」

「あああ、せっかくのカツ丼が、カツ丼が冷えていってしまいます」

 

何の儀式だかわからない妖しい空間を見なかった事にして、場を後にする。

 

弓道場には弦音が響き、二航戦と五航戦が互い違いに射を続けていた。

 

「ああもう、うまくいかないわね」

「飛龍ー、やっぱ鳳翔さん呼んでくるべきだよー」

 

「とは言え、鳳翔さんもお店の建築で忙しいでしょうし」

「あ、なら加賀さん呼んでくるのはどうかなッ」

 

それはちょっと勘弁と拒否する3隻に、瑞鶴がショボンと化す。

なら龍驤をと言いだした蒼龍の前で、五航戦姉妹がトラウマに蒼白と化した。

 

何にせよ居ない様だと踵を返せば、造りかけの埠頭が視界に入る。

 

海原には幾隻かの駆逐艦が教導を受け、波間に砲声を響かせていて、

珍しく起きている川内と、荒縄を持った神通が見守っていた。

 

横でドラム缶にもたれた天龍と、第六駆逐隊が天津風へと軽く手を振る。

 

振り返しながら通り過ぎ、敷地を横断すれば集団が在る。

 

買出しに出ていた空母陰陽組が、可燃性の水の入った瓶を倉庫へと運びこんでいる。

その向こうに書類を片手に指示を続ける叢雲と、建築資材の搬入を手伝う金剛姉妹。

 

爆乳エルフから筑摩が工廠機材を運び出す様を、運転席の五十鈴が確認していた。

 

「今日の内に入渠ドックは移送させるんだっけ」

「はい、すいませんが今日だけであと3往復はお願いします」

 

後部の扉を閉めながら、運転手の問いに航空巡洋艦が答える。

そのまま助手席に乗り込み、内燃機関の振動が強く響いた。

 

何処にも居ないと、天津風が足を止めて思考を始める。

 

鳳翔は、未だ箱も完成せず機材の搬入の段には至っていない。

 

間宮は、仮稼働を始め多忙を極めており、うかつに近寄ると捕獲される。

 

工廠は、叢雲たちが目を光らせており龍驤が必要とされるほどでは無い。

 

考えている内にカツサンドを食みながら歩いている島風が通りすがり、

礼号組支援艦と書かれた箱の中から、天津風の分だと一人前を渡される。

 

「お八つにしては重いと思うんだけど」

「よくわからないけど、モリモリムキッとか言ってた」

 

誰がとは言わない。

 

配っている最中だと言う配布係と別れ、飲み物でもと本棟予定地に足を向ければ

既に設置されている企業努力の具現たるECOる自販機と、白い空母。

 

「珈琲と言うよりは珈琲飲料だがな、まあこれはこれで悪くない」

 

3D VISの紅白に身体を預け、ジャマイカの青い山脈に由来する缶を傾けながら、

無駄に立ち姿が絵になる自称龍驤型2番艦がそんな事を言う。

 

「グラーフ、挟みパンを貰いましたよッ」

 

マイアーレのコトレッタ、つまりは豚肉のカツレツが挟んでありますと言いながら

紅色のカザカンを纏う自称龍驤型3番艦が駆け寄ってくる。

 

ならば1番艦の場所を知らないかと問うが、残念ながら心当たりが無いと返る。

 

軽く礼を言って別れ、泊地を歩く。

 

歩く。

 

様々から僅かの時間しか過ぎていないのに、慌ただしくも普段通りな泊地予定地を。

 

誰よりも前に出るヒトだからと。

 

思いつきのままに、いつもの光景全てに背を向けて歩を進めた。

 

ブルネイ第三鎮守府5番泊地初代筆頭、第13世代型人造付喪神、龍驤。

 

第4次の世界大戦に先立つブルネイ鎮守府群再編に於いて、

艦娘でありながら泊地を任された個体として、記録に名を遺す。

 

2度の大戦、26年の軍属を経て随伴艦天津風と共に退役、2年後に機能を停止。

 

その従来より遥かに短い稼働年数は、生涯の過酷さを物語っている。

 

戦場に捧げた生涯は幾つもの逸話を残し、自立行動をとる人外の知的生命体、

艦娘の性能に因らない有用性は、後の日本国海軍の行動指針に多大な影響を与え。

 

それらはやがて、1冊50セントの安っぽい伝説と成った。

 

彼女の日常は常に戦場に在り、日々の大半を前線で過ごしていた。

その戦場には常に日常が在り、激動の時代に確かな平穏が在ったと人は言う。

 

様々な出会いと別れが、特別でない日々を彩り積み重ねていく。

 

今日のこの日も、そのまた一日である。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

輝度の低いブルネイの海の、果てが見えて空と交わっている。

 

天津風の視線の先、海岸沿いの椰子の木陰で、

赤い水干の軽空母が目を閉じて幹に身体を預けていた。

 

声を掛けようと口を開き、音を出さずに噤む。

 

波音が満ちる中で、周囲を伺う駆逐艦が小声で呟いた。

 

「少しぐらい、良いわよね」

 

そのままに隣に腰かける。

 

身を寄せる様に近づいて、横顔をそっと覗き込む。

最近に見た事の無い、穏やかな寝顔だと天津風は思った。

 

少し、バランスが悪かったのか。

 

肩の触れる僅かな動作で、もたれ掛かっていた身体がずり落ちる。

 

慌てて受け止めるも、起きる気配の無い荷物の有様に、

少しばかりの呆れを滲ませた苦笑が零れる。

 

そのまま頭を膝の上に乗せ、未だ夢の中に在る空母の様に頬を緩めた。

 

「警戒心を投げ捨てた様な顔しちゃって」

 

髪を撫でつけながら、思う。

 

このヒトは、何を望み、何を得ようとしていたのか。

 

私たちの多くは、何某かの願い、思いを抱えてこの世界に戻って来た。

 

口では給料だ休暇だと嘯くが、余りに薄っぺらい言葉が理由とは思えない。

 

龍驤は何を望んでいたのかと、考える。

 

全てを通り過ぎ、いつもの泊地の賑わいを背中に受け、

いつかに望み果たされる事の無かった、龍驤の隣で。

 

ああ成程、確かにそうだ。

 

唐突に理解が在る。

 

彼女は常に前に出る艦だった。

あらゆる全てを背中に回す艦だった。

 

「うん、それでこそ、よね」

 

確かめるような言葉が、口から零れ落ちる。

 

膝の上でだらしない顔で眠っている様に、頬が緩んだ。

 

それは、かつての劣勢の中、私たちの誰もが諦めた夢。

 

長門も、大和も、名だたる誰もが持ち続ける事を許されなかった願望。

 

絶望に塗り潰された夢物語。

 

―― 前に討ち果たす敵、後ろには守るべき民

 

龍驤は、正しく英雄で在り続けた。

 

誰からも気付かれず、誰からも顧みられる事が無くとも。

 

それが私の憧れた、ただ一隻の正規空母。

 

気が付けば潮騒が遠く、喧騒が消えていた。

耳元を穏やかな風が揺らし、視界の先には静かな海。

 

ようやくに身を休めた小柄な体を、労わる様に撫で付ける。

 

「お疲れ様、龍驤」

 

いつかの日に届けられなかった言葉が、空に消えた。

 


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