水上の地平線   作:しちご

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比翼の鳥 起

時雨は武勲艦という言葉に思い入れがある。

 

それ故に、自らの思い入れのある艦隊の姿へと思いを重ねて、

彼女たちもそうなのだろうと、常に形無い敬意を抱いていた。

 

しかし、コレは違う。

 

空気だけで心が折れる。

 

見渡せば、物見に集まっている艦種たちは一様に怯えている。

夕立、綾波ですら瞳に怯えが見える、震えを隠す余裕すら無い。

 

嘔吐き、蹲る者も居る。

 

これはもはや、戦場では無い。

 

勲し、誉れなどとは程遠い、闇雲に単純な世界の終わり。

場に居合わせるだけで自らの最後が脳裏に浮かぶ。

 

そんな場所で、笑っていた。

 

戦場よりももっと低俗で救いのない、屠殺場と化した海域で

葬送の具現としか言いようの無い二人が、笑っていた。

 

泊地正面の演習海域、今その場に見えるのは二つの影。

八八艦隊の遺産である威容、相対する姿は軽空母が筆頭。

 

加賀、そして龍驤。

 

どこかで世界の軋む音が聞こえた。

 

 

 

『比翼の鳥 起』

 

 

 

―― なんでこんな事になっとんのやろ。

 

演習場に向かいながらそんな事を思っていた。

 

優しくて温厚な龍驤ちゃんが、瑞鶴を虐めていた加賀にこら☆ダメだぞ♪と指導をすると

叱られた事に怒った加賀ちゃんが、ちょっとムキになって酷い事を言って来たの(涙)

 

そのうえ演習場で相対する事になっちゃって、龍驤ちゃんコワーイ(キャピッ)

 

……すいません、本当は思い切りぶん殴った上でボロクソにコキ下ろしました。

 

ちょっとこう、軽空母如きだ何だと言ってくるから売り言葉に買い言葉で

航空母艦様に焼き鳥屋如きが大儀な口利いてんやないわーとか、ウハハ。

 

頭を振って思考を振り払い、海面に立って開始位置に臨む。

あれだ、13階段を登る心持ちがようわかるわ。

 

ああうん、わかっとる、手を出したウチが悪い。

 

瑞鶴と加賀なら加賀が悪いが、ウチと加賀ならウチが悪い、別の問題やな。

 

何か最近泊地の空気がおかしかったが、そのせいか、ちょい加賀がやりすぎていて

流石にどうよと止めようとしたけど下手打って、そこから公開処刑や、血ぃ吐きそう。

 

敵は一航戦、怖すぎる、思い浮かべた言葉に鳥肌が立った。

 

ああ怖い、怖いな。

 

息を吐く、空を見上げれば悲しいほどに青く澄んでいる。

落ち着けば数多の気配が在った、熱をもって凍えた身体を炙っていく。

 

どうしようもない。

 

爪先から這い上がる、泥が。

 

ああ、本当に何でこんな事になっとんのやろう

 

先程とは随分と毛色の違う嘆息が心を埋めた。

 

泥のような重みが心を埋める、爪先より這い上がったそれが背骨を伝い

脳髄を埋め尽くし視界を染めて、まだ足りない、燻る。

 

泥炭の如き熱量を持って身の内を焼き焦がし、焦がし。

思考が噴煙に塗り潰され、脳漿が泡立ち始める。

 

息を吸う、熱量が上がり、泥を吐く。

 

怒り。

 

怒りか。

 

ああ、これは怒りや。

 

ウチのものでもあり、誰かのものである、コレは

 

航空母艦龍驤の魄の底から滲み出るコレは、まごう事無き怒りや。

 

澱の如くに積み重ねられた諦観が焼き払われていく。

 

暖機が終わる、艤装の活動が戦闘機動に移行する。

静かな海の上で立ち尽くす、まだ始まらない。

 

ウチが、()が嘆息する。

 

ああ、本当に何でこんな事になってしまったのだろう

 

熱量に浮かされて言葉を取り繕う余裕も無い、する気も無い。

何もかもを放棄した意識の中に、シンプルな理由だけが残っている。

 

許せない。

 

許せるはずがない。

 

あの「加賀」が ―― 「一航戦」があれほどの無様を晒すなど

 

目障りだ、此の世から消し去りたいほどに。

 

違和感がある、この思考は誰のものか。

 

私だ、そして龍驤のものだ。

 

唐突に、歯車が噛み合ったかのような天啓が在る。

横並びの撃鉄が次々と撃ち合される様な、連続した、暴力的な理解

 

笑う。

 

笑った。

 

余りの馬鹿さ加減に笑う事しかできない。

 

理解してしまえば何と無駄な苦労であった事か。

 

龍驤とは、誰か。

 

私の名前だ。

 

付き従う死神の名でもある。

 

各設備が起動して演習の開始を告げる。

相対する人影を視界に入れる、アレが敵だ。

 

ああそうだ、始めよう、今こそ始めよう。

 

今こそ、龍驤を始めよう。

 

「祓ひ給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ ――」

 

何処の誰が自らの足に歩いてくれと頭を下げるのだろう。

いかなる理由があれば(かいな)に物を採ってくれと供物を捧げるのだろう。

 

『ああ、何と言う惨めで不必要な誤解であった事か。

 愛情豊かな心に背いた、何と言う頑固、身勝手な離反であった事か』

 

道具としてなど応えるはずが無い、彼らもまた龍驤(わたし)なのだから。

 

「―― 龍驤の名において勅令す」

 

理解してしまえば簡単な話であった。

 

私が此処に居る、ならば彼らもまた此処に居る、居なくてはならない。

 

「艦上戦闘鬼「烈風」龍驤隊旗下英霊二十八鬼、召霊」

 

太いのが居る、美丈夫が居る、飲んだくれが居る、お人良しが居る。

 

何の手ごたえの無いほどにあっさりと、召喚に応えたかつてのエースたちが

忘れようはずも無い懐かしい顔ぶれが蒼天へと駆け登る。

 

我らは龍驤、敵は「一航戦」、これほどの獲物はそうは無い。

邪魔なものは打ち払おう、不要なものは取り払おう、敵は

 

「さあて、お仕事お仕事」

 

淡々と、何時もの様に淡々と、蹂躙しよう。

何も思う事も無く、何一つ悔やむ事も、得る物も無く。

 

弧を描く口元に、牙を剥く感触があった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

消え去った。

 

紫電改二44機が墜とされた、いとも容易く。

 

戦術や技能、これはもはや、そのような次元の差ではない。

 

食われていく、空が。

 

古来より続くたったひとつの事実がそこには在った。

 

―― ヒトは、化物(ケモノ)には勝てない

 

蒼天に捕食するものと捕食されるもの、立ち位置が綺麗にふたつに分かれている。

それは、かつて私と赤城さんが彼女から譲り受けた狂気、武力そのものの姿。

 

視界を見覚えのある鬼たちが食い尽くしていく。

 

勝てない。

 

自身の拠り所となっていた力そのものが今、私に向かって牙を剥いている。

それはまるで、かつての何もかもが私を責めているようで――

 

わかっている、私が間違っている事など

 

瑞鶴に酷い事を言った、赤城さんには謝っていない、龍驤には八つ当たりをしている

自分の弱さと醜さに気が狂いそうになる、何故、誰も私を責めないのか。

 

沈んだ事を。

 

かつての慢心を、言い逃れの出来ない不覚を、殴られた時は救われた気すらした。

 

―― それでも

 

それでもと誰かが言う

心の奥底で誰かが叫ぶ

 

散り散りに乱れた心の中で、たったひとつの言葉がある。

 

ああ、それでも

 

許せない

 

許せるはずがない

 

私が沈んだその時に、傍に居なかった貴女の事なんて

 


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