水上の地平線   作:しちご

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28 黄金の行方

月が綺麗ですね、という言葉がある。

 

様々な仕事も一区切り付き、ふと手隙になった叢雲がそんな事を思った。

 

脈絡も無く思い浮かんだ言の葉の、あまりに乙女を感じるその選択に

随分と私も人間の娘が板に付いてきたものだと苦笑する。

 

愛を囁く言葉を翻訳したものと聞く、詳しくは知らない。

先日の駆逐艦寮での雑談で少し出ていただけだ。

 

漱石であったか、何某かの逸話からの引用と朧気な記憶にある。

 

思うに、別に月がいくら綺麗だからとて、そこに愛情が芽生えるはずも無い。

 

同じものを見て同じ事を感じる、それを心の通じ合う様として表現したのだろう。

 

そんな事を考えている中、執務室の窓縁に干されている提督と龍驤が視界に入る。

先日まで寒々しい場所に居ただけあって、常夏に溶けていた。

 

汗を吸う衣服が身に付くのを嫌い、風通しの良い場所を探しているうちに

何とは無しに二人とも窓辺に布団の如くひっかかる姿勢を選んで暫く。

 

その視線の先には、泊地へと立ち寄った潜水艦たちが数隻騒いでいる。

 

熱に浮かされ力の無い視線を向けていた二人が、だらけた口調で口を開いた。

 

「やっぱスク水って巨乳は邪道だよなー」

「あーわかるわかる、寸胴の方が似合うわな」

 

脳味噌も、沸いていた。

 

アレは何か違うわよね、と叢雲は思った。

 

 

 

『28 黄金の行方』

 

 

 

ブルネイに帰ってきてから、軽い夏バテを患っとる気がする。

どうにも言動がふわふわして、現実味が1割ぐらい割引されてお買い得。

 

そんな感じのウチと提督が、間宮でだらだらと冷菓を貪るのも当然なわけで。

 

間宮アイス、3ブルネイドルまたは150円。

 

特徴として卵を使わずにスキムミルクで代用して、サッパリとした口当たりと

お手軽低価格が魅力の人気商品や、今も昔も変わらず羊羹と双璧を成しとる。

 

他の間宮ではだいたい300円ぐらいなんやけど、こんな赤道付近で

儲けを出すのに腐心しとったら、駆逐艦あたりが干乾びてまうわけで。

 

そんなわけで半額は泊地持ち、福利厚生ってやつやな。

 

他の理由としては、現地のアイスの相場が3~5ドル程度だから

あまり高値を付けるわけにもいかないとか、まあ細々としたのがいくつか。

 

戦前の、円高になる前の相場やったら2ドルまで下げれたんやけどなぁ

とか何か叶いもしない皮算用を惜しく思う今日この頃。

 

して、3つ目の器が空いたあたりで一息をつく、ようやくに体温が下がった感。

つけあわせのウェハースを齧りながら、何とはなしと提督に相談をした。

 

「やっぱメニューにかき氷欲しいわ」

 

含有する水分の量は体温の低下に直結する。

 

ゼリー等の洋菓子より涼菓子が体温を下げる効果が高いのは、ゼラチンより寒天の方が

菓子を構成する水分の含有率が高くなるからであって、つまり最強はかき氷や。

 

材料は氷やし、これなら2ドルの壁を越える事も出来るんやないかと。

 

「何故に価格破壊の方向に腐心するかな」

「安い事はええ事や」

 

泊地の外がドルの世界やからな、円ベースのウチらとは価格差がありすぎる。

可能な限り埋めとかんと水雷戦隊の士気に直結するわけで、給与額的に。

 

「しかしなぁ、ある程度は利益を見ておかないと」

 

ほれと提督が指し示す方向に目を向ければ、黄金色に輝く見事な薬缶。

 

中に入っている常温の麦茶は飲み放題だ。

横には塩が常備されている、舐め放題や。

 

「この、タコ部屋を連想する素敵な備品は流石にどうにかしたいところなんだが」

「どっちかつーと土方小屋やな、タコ部屋はもっと酷いやろ」

 

配給食が毎回塩水と勘違いするような塩辛い味噌汁だったり、週1ペースで

クズ赤肉の焼肉宴会参加費ガッポリ強制参加、とかやってたらタコ部屋やろうけど。

 

ペリカが流通する某地下帝国から誠実さと希望を取り除き、

暴力を追加した此の世の地獄、それがタコ部屋や。

 

具体的に言うと、外から縁者がお金を払って買い上げてくれるような

そんな奇跡でも起きない限り人間社会に戻ってくることが出来ない、そんな場所。

 

「何で妙に詳しいの」

「乗員にな……居ったんよ」

 

艦娘の記憶の闇やった。

 

まあそれはともかくや、薬缶をもう少しマシな見た目に差し替える言うと。

 

「ウォーターサーバーとか」

「いきなりハイカラに飛んだな」

 

「あっと違った、ウォータークーラーか」

 

言うほどの違いは無いが、正確にはプレッシャー式ウォータークーラー

日本名だと冷水機、ラーメン屋とかで見かける給水機械やな。

 

「製氷機も欲しい所だな」

「中身が瞬殺される未来が見えるで」

 

「ウォータークーラーもな」

 

笑うに笑えない、乾季に入ってから空気も乾燥しとるし、水消費量が洒落にならん。

常温麦茶でも結構量いくのに、無料の冷水なんか置いたらどうなる事やら。

 

ちなみにウチはコップにガッチリ氷を入れるボッタクリタイプが大好きや。

 

節約? 聞こえんなぁ。

 

「設置するなら大型か」

「水も買うか沸かすかせんとあかんし、手間が増えるなぁ」

 

一応ブルネイは水道水を直でイケる国ではあるものの、時折疫病の流行する

素敵な東南アジアクオリティ、共有施設だけでも煮沸はしておきたい。

 

誰ぞが腹下すんはええんやけど、全滅は勘弁や。

 

「今回ので仕入れ経費が大分削減できたから、設置だけなら無理では無いんよな」

 

ああでもないこうでもないと案をこねくり回しながら炭酸でも頼む。

 

レモン水を配りながら製氷ぐらいならウチでいけますよという間宮さんの温情に

甘えたいところをぐっと我慢、いや、あきらかに需要が供給を上回りそうやから。

 

基本2隻で回しとるお店なんやし、ロハで氷の補充に終始されるとヤバすぎる。

鳳翔さんとこが始動すればイケるか、ああ、つまり時機やないって事なんかも。

 

「氷は有料」

「釣り具屋かいな」

 

「大型製氷機を導入」

「機械は空き部屋に突っ込むとして、問題は水の調達か」

 

「湯沸し要員でも確保するか、間宮でアルバイトみたいな感じで」

「駆逐艦のローテにもう少し余裕が無いと安定せんやろ」

 

結局最後は頭数に帰結する、間宮にも人増やしたいんやけどな。

 

なんかもう、本土の余っとる艦娘を遠征とかで持って来てくれんかな、

5番泊地がフォローする範囲広すぎやねん、むう、駄目元で要望書でも出すか。

 

まあそれはともかく。

 

問題は、苦労したあげくに薬缶の方が良いとか言われそうな点や。

薬缶が有能すぎるせいで、冷水機に要求するハードルが高くなりがちすぎる。

 

「やっぱ利益無しで回すのは限界があるんじゃないかな」

「もういっそ薬缶撤去を諦めようや、ええやん、肉体労働なんやし」

 

根本的なところで無理があったと判断、薬缶に勝る置物は無し。

費用対効果が酷い事になるのならば、薬缶を選ばざるを得ない。

 

「だよなー」

 

提督が遠い目をしとった、5番泊地無惨、薬缶に敗北す。

 

結局、せめてもの抵抗としてカップベンダーを設置した、1杯50ブルネイセント。

 

いくつかあるメニューには堂々と「かき氷ラムネ味」の文字が。

いや、常時売り切れ御礼やけどな、泣ける。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

横須賀第四提督室、穏やかな小春日和の中、扉を開けて入ってきた武蔵の視界に

耳鼻稜線よりもやや上へ、何某かの書類を持ち上げ見上げる提督の姿があった。

 

「提督、此度の遠征の報告書を持ってきたのだが、何だそれは」

 

若干の言葉足らずになった連なりに、意味を取った提督が答える。

 

「ああ、ブルネイからの要望書なんだけどね」

 

はいと渡してきた内容に、武蔵の背筋が総毛だった。

 

ブルネイ前線、東南アジア各泊地への定期遠征打撃部隊編成の要望書。

 

それは、先日より鎮守府内の艦娘たちが要望していた内容そのもの、

遥かブルネイより、完全に横須賀の内情を把握しているかの如き文面であった。

 

「……あの龍驤は、一体どこまで見透かしているんだ」

 

「こちらからお願いしようとした所で、先んじて要望を出す

 教本に載せたくなるような鮮やかな手並みだって、騒ぎになってるよ」

 

あれだけ脅しあげ騒ぎを起こし、窮地に追い込んでおいてから救いの手を出す。

華を持たされては悪い気もしない、行き場を失った敵意は霧散せざるを得ず

 

残るのは強烈な印象。

 

「第一の様子はどうだった」

「借りにしておくってさ」

 

誰を送り繋がりを作るにしても、向こうからの要望という事で面子は通る。

自縄自縛に陥り頭を下げる時機を伺っていた第一には、願っても無い展開であった。

 

「ここまで見事に掌で転がされると、もう笑うしかないって感じだったねー」

 

そういう提督も笑っている。

 

「龍驤と言えば、ウチの龍驤さんはどうしたんだ」

 

そういえばと、ふと気になった事を武蔵が問う。

 

若干の無音、やがて窓の外へと遠い眼差しを向けた提督が問いに答えた。

 

「君のお姉さんが拉致していってね、金剛's強化合宿(ブートキャンプ)に強制参加って」

 

秘書艦不在のせいか、提督の机の上には常よりやや多めの書類束が積んである。

 

「…………すまん」

 

褐色の指が眉間を抑え、絞り出すような声が出た。

 

どこか遠い海原で悲鳴が響いていた。

 


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